JINさんの陽蜂農遠日記

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2015.08.29
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カテゴリ: 国内旅行

先日、「東海道品川宿」を散策して来ました。

「東海道品川宿」は、江戸時代に宿場町として栄えた品川駅近く旧東海道沿いのエリア。

北品川から鈴ケ森までの3.8キロメートルにわたって、江戸時代と変わらぬ道幅が

「旧東海道」として残っており、昔の道が、今は商店街となっているのです。

品川駅から京急線で北品川駅で下車。

品川駅よりも南に位置するが、本来品川と呼ばれていた地域(品川湊周辺一帯)の

北側に立地することから、北品川と名付けられたとのこと。

徒歩で5分ほどで旧東海道に出る。

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「北品川本通り商店会」の文字が。

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「問答河岸跡」の石碑。

かつて海岸先に波止場があり、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、

沢庵和尚が迎え出て禅問答をしたとされる場所に建つ石碑。

将軍「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」

和尚「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」

この東海寺、今は海岸線からずいぶんと離れた目黒川近くの位置にあるが、

何ともほほえましい情景が浮かぶと。

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「善福寺」

藤沢の遊行寺を総本山とする時宗のお寺で、1294年鎌倉時代後期に、

遊行寺第二世他阿真教によって開かれた寺。(山号)音響山伝相院。 

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伊豆の長八こと入江長八の龍のこて絵が残っていた。

入江 長八は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した名工(左官職人)。

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利田神社(かがたじんじゃ)横のモニュメント鯨(セミクジラ)。

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江戸時代、品川沖に迷い込んだクジラの骨が埋められた塚。

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寛政の鯨事件として品川宿を大いに賑やわせた有名な鯨。

寛政10年(1798)5月1日、品川沖に迷い込んだ鯨を漁師たちが 天王洲の浅瀬に追い込み、

捕らえて浜離宮まで曳航し第11代将軍家斎も上覧されたと。

鯨はシロナガスクジラ(?)といわれ体長16.5m、高さ2.04m。このクジラの骨を埋めて、

その上に建てられたのがこの富士山の形をした鯨塚。

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「鯨碑」には上記の説明が刻まれていた。

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利田神社。

旧目黒川の河口にできた砂嘴(きし)の先端に弁天堂が祀られていた。

洲崎弁天ともいわれ浮世絵師歌川広重(うたがわひろしげ)の名所江戸百景の

一つにも描かれている。寛永3年(1626)、今から約360年前に沢庵和尚が

弁才天を祀ったことに始まると伝えられる。

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明治になって利田神社になり、祭神も弁才天から市杆島姫命にかわったと。

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御殿山下台場(砲台)跡。

この地、台場小学校の敷地は幕末、江戸の防衛のために築かれた「品川台場」の

ひとつである砲台跡地。

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レプリカのこの灯台は1870(明治3)年から1957(昭和32)年まで

使用されていた品川灯台(国の重要文化財に指定)であり、周りの石垣は

旧目黒川に架かっていた品海橋(今の台場交番前)を築いた石であると

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道を戻ると釣り船乗船場が。

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「品川浦舟だまり」

江戸湾には、漁を専業とする人々の集落がいくつかあり、漁師町または浦といった。

品川周辺には「品川浦の品川漁師」と「御林浦の大井御林漁師町」があり、

収穫した魚介を江戸城に献上していたと。

力レイ・あいなめ・車海老などをはじめ、様々な魚介類が獲れたと。

現在は、つり舟や屋形舟の発着場として賑わっており、「品川浦とつり舟」で

"しながわ百景"に制定されていると。

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「品海公園」。

公園としては小規模だが、公園入口に【品川宿】の石碑が立っていた。

もちろん品川宿は東海道五十三次の第一宿。

五代目の品川宿の松が植えられていた。現代の品川宿東海道沿道には様々な

宿場の松が植えられていた。ここは地元の品川の松のようである。

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日本橋から2里(約8km)、川崎宿まで2里半(約10km)の場所。

品川宿は「一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた」と書かれた説明板が。

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「臨海山 法禅寺」。

浄土宗寺院の法禅寺は、臨海山遍照院と号すと。

明徳元年(1390)に言譽定賢が創建。東海三十三観音霊場31番札所。

門前に「品川小学校発祥之地」という石碑も。

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レンガ造りの建物内には石造の供養塔が収められていた。

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「法禅寺板碑」。

板碑は鎌倉時代から戦国時代にかけてつくられた石造の供養塔で、関東を中心に

広く分布しているとのこと。この寺の板碑は、品川御殿山から出土したものの一部で、

破片を含め121基も。古いものは1308(徳治3)年の銘があると。

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「流民叢塚(るみんそうづか)碑」。

天保の大飢饉で亡くなった人たちを祀る供養塔。

品川宿は農村などから流浪してくる人が多く、病や飢餓で倒れた人が891人を数え、

法禅寺と海蔵寺で葬っているとのこと。

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「本堂」。

南北朝時代の末の開創。芝増上寺の末寺であると。

堂内には木造等身大の阿弥陀如来坐像が安置されていると。

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「布袋様」。

ふくよかなで恰幅のあるほがらかな表情が、暑い日差しの中なんとも心を

和ませてくれたのであった。私の身体は布袋様に似てきたが、このほがらかな

表情も似たいのあるが・・・・。

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法禅寺の「イチョウ」は推定樹齢350~400年。樹高約25メートル。

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Last updated  2023.10.07 05:48:12 コメントを書く
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