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先日、「東海道品川宿」を散策して来ました。
「東海道品川宿」は、江戸時代に宿場町として栄えた品川駅近く旧東海道沿いのエリア。
北品川から鈴ケ森までの3.8キロメートルにわたって、江戸時代と変わらぬ道幅が
「旧東海道」として残っており、昔の道が、今は商店街となっているのです。
品川駅から京急線で北品川駅で下車。
品川駅よりも南に位置するが、本来品川と呼ばれていた地域(品川湊周辺一帯)の
北側に立地することから、北品川と名付けられたとのこと。
徒歩で5分ほどで旧東海道に出る。

「北品川本通り商店会」の文字が。

「問答河岸跡」の石碑。
かつて海岸先に波止場があり、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき、
沢庵和尚が迎え出て禅問答をしたとされる場所に建つ石碑。
将軍「海近くして東(遠)海寺とはこれ如何に」
和尚「大軍を率いても将(小)軍と言うが如し」
この東海寺、今は海岸線からずいぶんと離れた目黒川近くの位置にあるが、
何ともほほえましい情景が浮かぶと。

「善福寺」
藤沢の遊行寺を総本山とする時宗のお寺で、1294年鎌倉時代後期に、
遊行寺第二世他阿真教によって開かれた寺。(山号)音響山伝相院。

伊豆の長八こと入江長八の龍のこて絵が残っていた。
入江 長八は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した名工(左官職人)。

利田神社(かがたじんじゃ)横のモニュメント鯨(セミクジラ)。

江戸時代、品川沖に迷い込んだクジラの骨が埋められた塚。

寛政の鯨事件として品川宿を大いに賑やわせた有名な鯨。
寛政10年(1798)5月1日、品川沖に迷い込んだ鯨を漁師たちが 天王洲の浅瀬に追い込み、
捕らえて浜離宮まで曳航し第11代将軍家斎も上覧されたと。
鯨はシロナガスクジラ(?)といわれ体長16.5m、高さ2.04m。このクジラの骨を埋めて、
その上に建てられたのがこの富士山の形をした鯨塚。

「鯨碑」には上記の説明が刻まれていた。

利田神社。
旧目黒川の河口にできた砂嘴(きし)の先端に弁天堂が祀られていた。
洲崎弁天ともいわれ浮世絵師歌川広重(うたがわひろしげ)の名所江戸百景の
一つにも描かれている。寛永3年(1626)、今から約360年前に沢庵和尚が
弁才天を祀ったことに始まると伝えられる。

明治になって利田神社になり、祭神も弁才天から市杆島姫命にかわったと。

御殿山下台場(砲台)跡。
この地、台場小学校の敷地は幕末、江戸の防衛のために築かれた「品川台場」の
ひとつである砲台跡地。

レプリカのこの灯台は1870(明治3)年から1957(昭和32)年まで
使用されていた品川灯台(国の重要文化財に指定)であり、周りの石垣は
旧目黒川に架かっていた品海橋(今の台場交番前)を築いた石であると

道を戻ると釣り船乗船場が。

「品川浦舟だまり」
江戸湾には、漁を専業とする人々の集落がいくつかあり、漁師町または浦といった。
品川周辺には「品川浦の品川漁師」と「御林浦の大井御林漁師町」があり、
収穫した魚介を江戸城に献上していたと。
力レイ・あいなめ・車海老などをはじめ、様々な魚介類が獲れたと。
現在は、つり舟や屋形舟の発着場として賑わっており、「品川浦とつり舟」で
"しながわ百景"に制定されていると。

「品海公園」。
公園としては小規模だが、公園入口に【品川宿】の石碑が立っていた。
もちろん品川宿は東海道五十三次の第一宿。
五代目の品川宿の松が植えられていた。現代の品川宿東海道沿道には様々な
宿場の松が植えられていた。ここは地元の品川の松のようである。

日本橋から2里(約8km)、川崎宿まで2里半(約10km)の場所。
品川宿は「一六〇〇軒、人口七〇〇〇人規模で賑わっていた」と書かれた説明板が。

「臨海山 法禅寺」。
浄土宗寺院の法禅寺は、臨海山遍照院と号すと。
明徳元年(1390)に言譽定賢が創建。東海三十三観音霊場31番札所。
門前に「品川小学校発祥之地」という石碑も。

レンガ造りの建物内には石造の供養塔が収められていた。

「法禅寺板碑」。
板碑は鎌倉時代から戦国時代にかけてつくられた石造の供養塔で、関東を中心に
広く分布しているとのこと。この寺の板碑は、品川御殿山から出土したものの一部で、
破片を含め121基も。古いものは1308(徳治3)年の銘があると。

「流民叢塚(るみんそうづか)碑」。
天保の大飢饉で亡くなった人たちを祀る供養塔。
品川宿は農村などから流浪してくる人が多く、病や飢餓で倒れた人が891人を数え、
法禅寺と海蔵寺で葬っているとのこと。

「本堂」。
南北朝時代の末の開創。芝増上寺の末寺であると。
堂内には木造等身大の阿弥陀如来坐像が安置されていると。

「布袋様」。
ふくよかなで恰幅のあるほがらかな表情が、暑い日差しの中なんとも心を
和ませてくれたのであった。私の身体は布袋様に似てきたが、このほがらかな
表情も似たいのあるが・・・・。

法禅寺の「イチョウ」は推定樹齢350~400年。樹高約25メートル。

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