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正徳寺の赤煉瓦塀。
この塀は元々はこの寺のものではなく工場で使っていた煉瓦塀だと。

虚空蔵横丁を入ったところにある寺は、虚空蔵菩薩のある明鏡山善光院 養願寺。

養願寺の御本尊 虚空藏菩薩は木像で空海作と傅えられていると。

商店街(旧東海道)に面して可愛らしい山門が。

豊盛山 延命院 一心寺。
江戸時代、大老井伊直弼によって開山。
本尊を不動明王とする真言宗智山派の寺。 本堂には、不動のほか、聖観音菩薩像や

この辺りに最も近い京急の駅が新馬場(しんばんば)駅。
この看板はその駅名の由来が書かれている説明板。
品川宿には幕府公用の旅人に対して1日当たり馬百匹、人足百人を無償で提供する
義務があり、従事する馬小屋があったためつけられた地名であると。
南北品川宿に馬場町があり、北品川宿ということで北馬場といったのだと。
高架化工事の際に北馬場駅と南馬場駅を統合し、両駅の中間地点に建設されたのだと。

聖蹟公園(せいせきこうえん)(品川宿本陣跡)。
江戸時代は、大名が宿泊する本陣が置かれた場所。
品川宿の本陣も、南北の品川に一軒づつあったようだが、南品川宿は廃れ、
江戸時代中頃から北品川宿本陣のみとなったと。


公園の中に入ると石碑が。
明治天皇が休憩した行在所としても使われたことから「聖蹟」の名が残ると。



交差点の文字は「東海道北品川」の文字が。

![46515[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/f2bbe7da37d74bff3d6ad36484b64d6a3ef892f8.15.2.2.2.jpg?thum=53)
品川橋。
品川がかつては海辺のまちであったことを知る貴重な場所。



海徳寺は、大永2年(1522)鳥海和泉守(法名自覚院岸日性)が出家し自宅を寺としたといい、
松陽院日増(天文14年1545年寂)が開山したと。


ホームラン地蔵。
元巨人軍の王貞治選手が新人のころ、心臓病の少年にホームラン王になることを誓った。
少年は残念ながら14歳で亡くなったが、王氏は度々少年の墓を参ったり、
ホームラン世界記録を樹立した時にも報告に訪れたのだと。
バットを抱き、ボールを持った地蔵像がこの少年の墓。
![2014_02_20_IMG_2099[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/dfdd558ce6f61c6ec6df14cb3b7df012f3a8315d.15.2.2.2.jpg?thum=53)
旧東海道品川宿のシンボルとなる街道松『品川宿の松』。
東海道が取り持つ縁で、29番目の宿場町があった静岡県浜松市の有賀氏から
寄贈された、樹齢80年の黒松。

三岳(説明板)。
現在、南品川2丁目の通称「三岳」と呼ばれているところは、江戸時代には
二日五日市村(ふつかいつかいちむら)、の集落があったところで、
三岳神社の近くであったことからそのようになったと。



天台宗 常行寺山門。
号は熊野山報恩院。常行寺は、慈覚大師が開基となり、嘉祥3年(850)に創建、
長保年間(999-1003)には恵心僧都が住持を勤めたという古刹寺院。


顕本法華宗の天妙国寺は、鳳凰山と号し、顕本法華宗の別格山。
天妙国寺山門。


岡松畳店。
安永8年創業の畳店。仙台藩下屋敷のお抱え職人から現在7代目。

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