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宗賢院を後にし、「臺谷戸(だいやと)稲荷の森」に向かう。
稲荷神社の境内は臺谷戸(だいやと)稲荷の森と呼ばれる丘の上にあり、
タブノキ、ヒサカキ、ヤブツバキ、ケヤキなどが生い茂っていた。
階段を上ると朱の鳥居が2本。
小さな神社。
大庭御厨を開発した鎌倉権五郎景政が境内を馬つなぎの場としたと伝えられ、
近くには、先ほど訪ねた大庭景親の居館が近くにあったという宗賢院や
大庭神社の旧跡といわれる熊野神社があるのだ。
このタブノキは幹周り6mもあり、かっては樹高が18mもあったが老木化により
平成8年(1996年)に大枝が折れてしまったと。
奥には地上1mで双幹になっているタブノキが。
続いて熊野神社(くまのじんじゃ)に向かう。
江戸時代には「御霊社」、「権現社」と呼称されていたが、境内の石碑には
「大庭神社舊趾」と刻まれていた。
歴史を感じさせる石鳥居の先には竹藪に囲まれた参道が。
何故か参道の階段が途中で微妙にずれていた。
こちらも小さな社。
大庭の地に鎮座し、本来はこの神社が「延喜式内相模国十三座」に数えられていた
大庭神社だといわれている。
賽銭箱は大きなコンクリート基礎から出た鎖で縛られていて、盗難防止?
この後再び舟地蔵公園に戻り、自転車で小糸川沿いを走り大庭城址公園の
駐輪場に自転車を停める。
坂を上ると大庭城址公園の建物が見えて来た。
坂の途中から見えた、湘南ライフタウンの高層住宅。
管理事務所内には天井からぶら下がった和凧。
引地川と書かれた文字。
管理事務所内には大庭城の歴史について案内表示が。
大庭城址公園のMAP。
豊臣秀吉の小田原攻めの詳細ルート案内。
大庭城周辺の地形の模型。
石畳の坂道を登り大庭城址公園の広場を目指す。
大庭城址周辺コースの文化財の案内板。
公園の入口は3ヶ所
『自然』。
藤沢都市計画事業西部土地区画整理事業完成記念 1995年(平成7年)制作者 熊坂 兌子。
母が赤子を抱くかのような白き像。
大庭城址案内板。
大庭景親の城址と言われているが明らかではなく、室町時代中期の15世紀中頃に
太田道灌が築城したと。その後、扇谷上杉朝良の時に北條早雲によって攻略され、
豊臣秀吉の小田原攻めの後に廃城になったとのこと。
『からほり』 と彫られた石碑。
戦国時代の大規模な空堀とのこと。
城址公園内には、それぞれの曲輪を区画するための空堀が、東西に横断するように
3本残っているとのこと。
チビッコ冒険広場には家族連れの姿が。
掘立柱建物址。
大庭城屋敷跡
この石柱は1968年(昭和43年)の発掘調査で見つかった高床建築の柱穴の位置を示すも。
実際の柱穴は現地表下50cmに保存され地下に埋まっているのだと。
大庭城跡碑。
舟地蔵方面からの公園入口にあり、かすれて読み難かったが、大庭景親の居城と言われ、
後に上杉氏の居城となり、北條早雲に滅ばされたと漢文調に漢字のみの記載。
石碑には『昭和七年九月 神奈川縣』の文字が。
ドクダミの群生地。
大きな釣り鐘状のうすいピンクの花を咲かせるホタルブクロ。
花の広場のバラはピークを過ぎてはいたが、様々な種類の花が残っていた。
鮮やかなオレンジの花そして未だ蕾も。
美しい真っ赤な薔薇。
色の七変化。
市制50周年記念の「足型の丘」。
先人が立ち上げた半世紀にわたる歴史の上に立ち、家族の記念として子供の成長の記録
として残されたもの。
家族の足形、二人のもの、大きい足、小さい足、見ていると心温まるのであった。
公園北端の『原始・古代の集落』説明板。
この台地上には、縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代など各時代の遺物が広く散布しており、
大庭城が築かれる以前から、人々の生活舞台となっていたと。
『さくらの園』。
広場内にはケヤキやクスノキ、サクラなど、さまざまな樹木が植栽され、それらの樹形が
アクセントになって景観も見事。見事な枝振りの大きな木もあり、日差しの強い季節には
木陰を落としてくれその下にテントを張っている家族の姿も。
サクラは特に多いようで、春には美しい景観を見せてくれること間違いなし。
広場の北側外縁部には藤棚が何カ所かに設けられており、これも開花の時期には
見応えのあるもの。
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