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このロシア時代の兵舎を改築したピンク色の建物には、インフォメーション・センターや
トイレ、地元の方も利用されるというカフェ「ヴィアポリン・デリ&カフェ(Viaporin
Deli&Cafe)」そして、スオメンリンナの醸造所(Suomenlinnan Panimo)のレストランが
あり地ビールや海鮮料理が楽しめるのだと。
インフォメーションセンターには、英語、独語、中国語など、日本語を含めて
8カ国後の案内パンフレットが用意されていた。
ピンクの門をくぐると、島の灯台の役割も果たすスオメンリンナ教会が見えて来た。
そしてそのピンクの門と塔を振り返る。
現地ガイドの説明を聞く。
スオメンリンナの要塞は、フィンランドの首都ヘルシンキ市内の6つの島の上に建造された、
世界遺産にも登録されている海防要塞。
元々、この要塞は1748年にスウェーデン=フィンランドがロシア帝国に対する守りを
固めるために造ったものであると。
しかし、皮肉なもので、フィンランド戦争中の1808年5月3日に要塞はロシア軍に占領され、
1809年のロシア軍によるフィンランド占領の足がかりとなってしまったと。
当初の名前はスヴェアボリ(Sveaborg, スウェーデンの要塞)であったが、
フィンランド国民からの要望の高まりを背景に、1918年にスオメンリンナ(スオミの城塞)と
改称されたと。スオミはフィンランド語で「フィンランド」を意味。
スウェーデンに関連する名前から自分の国の名前に変更したということ。
スオメンリンナの要塞は、現在ヘルシンキの主要な観光地の一つとして人気を博していると。
実はヘルシンキ市内から秘密の?海底トンネルも通っていて、いざという時には
使用出来るようになっているのだと。
スオメンリンナ要塞配置図。
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スオメンリンナ教会(Suomenlinnan kirkko)。
小高い丘にあるこの島のシンボル、1854年に要塞の建設とともに作られた教会。
緑の尖塔が美しい教会だが、支配国が変わるたびにカトリック→ロシア正教と変更され、
今現在は福音ルーテル派の教会。鎖と柱は砲台をリメイクしたものとのこと。
また、空路や海路用の灯台としての役割も果たしていると。
スオメンリンナ教会(Suomenlinnan kirkko)の芝生にいた海鳥。
名前は聞いたのであるが・・・?? カモメの一種か?
この壁の内側は「図書館」で一部は幼稚園にもなっていると。
狭間・銃眼の様な開口は塞がれていたが、僅かな隙間から園児の姿も見えると
ガイドの話であったが・・・。
写真案内図。
城壁の所々に入口が。図書館の入口?
この教会は、ヘルシンキで最も人気のあるウェディング会場の一つと。
式のあと、カップルは要塞のまわりを馬車で廻るのだとか。
水鳥をカメラに収める旅友達。
スオメンリンナ管轄機関棟。
ユネスコの世界遺産であるスオメンリンナを復元、管理する政府機関棟。
イソMustasaariのスーパーマーケットか?
島にはかつて要塞だった当時の建物が多数残っていると。
ここは1748年にスウェーデンによって要塞が築かれ、後にロシアのものとなり、
約100年前にフィンランド領に。1970年代に海軍学校を除いて軍施設は無くなり、
当時の建物は一般市民の住まいになるなどで、今も800人以上が島に住んでいるという。
様々な建物が。Piirtamo会議室とレストランChapmanか?
造船所が右手奥に。黒い建物の後ろにカフェバーValimo。
スシサーレン橋を渡り更に島の奥へ進む。
ブリュワリー工場の煙突か?
レンガ造りの建物や煙突は当時の名残で、外観はそのまま利用し、
内装を修繕して利用し、しっかり歴史を残しているのであった。
Svensksundの戦いの碑。
Svensksundの戦い (フィンランド語: Ruotsinsalmi 、ロシア語: Rochensalm )は、
1790年7月9日と10日に現代都市コットカの外でフィンランド湾で戦った海上戦闘であった。
スウェーデンの海軍はロシア艦隊に激しい敗北をもたらした1788-90年の
ルソー・スウェーデン戦争が終結した 。
この戦いは、スウェーデンの最大の海戦勝利であり、バルト海で最大の海戦であると。
エーレンスヴァルド博物館(Ehrensvärd-museo)
スオメンリンナ要塞の建設を指揮したスウェーデン軍の司令官、
アウグスティン・エーレンスヴァルドの住居を利用した博物館。
彼の肖像画をはじめ、絵画、家具、武器、船の模型などを見ることができると。
要塞機能を備えた住居の造りにも注目出来ると。
スウェーデン戦争、ロシア戦争、クリミア戦争、フィンランド国内戦争で
重要な無台となった島。
写真はエーレンスヴァルド博物館の壁。
看板を見ての通り、スオメンリンナ島は世界遺産に認定されている。
コートヤードに続くトンネル。
トンネルの途中の両側には、通路があった。
少し歩いてみたが、こちらは薄暗くて、ちょっと危ない雰囲気。
スヴェア城塞の造船所(Sveaborgs varv) 。
乾ドックとなっている時が多いようだが、この日は海水が満々と。
コートヤードは、1760年代から要塞の中央広場として使用。
この広場は1855年のクリミア戦争中、爆撃により大被害を受けたようです。
アウグスティン・エーレンスヴァルド(Augustin Ehrensvärd)の墓。
スウェーデン王国統治下のフィンランドで、このアウグスティン・エーレンスヴァルドの
指揮により海上要塞の建設が始まったのであった。
ブロンズから成型された軍事に関わる装飾的シンボルが取り付けられていた。
ローマ帆船の船首、 その上にはエーレンスヴァルトの紋章を描く盾(シールド)、
剣とヘルメット、 スウェーデンのセラフィム騎士国の鎖と記章(バッジ)も。
エーレンスヴァルドの勇姿を偲ばせるこの騎士の甲冑と船先のモチーフは
1805年にストックホルム出身の名彫刻家ヨハン・トビアス・セーゲルによって完成。
広場の先のパイパー公園(Piperin puisto)に、大砲を発見。
砲身のライフリング(rifling)も確認できた。
ライフリング(rifling)は、銃砲の銃砲身内に施された螺旋状の溝を意味し、
日本語では施条(しじょう)、あるいは腔線(こうせん)。
この螺旋状の浅い溝で銃身内で加速される弾丸に旋回運動を与え、
ジャイロ効果により弾軸の安定を図り直進性を高める目的。
大砲を反対側から。