JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.02.20
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​ ​ 『旧東海道を歩く』ブログ 目次 ​

旧東海道を歩きたくなり、先週の2/15(木)に旅友のSさんを誘い、日本橋をスタートし​

品川駅まで歩いてきました。

旧東海道は以前から歩きたいと思っており、藤沢遊行寺周辺、品川宿周辺 、

箱根旧街道石畳等を訪ねてきましたが、飛び飛びの散策でしたので

今回、取り敢えず起点の日本橋から小田原宿までを9~10回に分けて歩くことを決断したのです。 

ダイヤの乱れた上野東京ラインで30分遅れで東京駅に到着し八重洲口に出る。

JR東京駅の八重洲地下中央口から徒歩1分の「GRANROOF グランルーフ」。

ノースタワーとサウスタワーを結ぶ「光の帆」をデザインモチーフとした長さ約230mの

大屋根と、賑わい空間と歩行者ネットワークを形成するペデストリアンデッキは、

「先進性」「先端性」を象徴する八重洲口の新たなランドマーク。

巨大な白い屋根・・というより帆船の帆(ほ)の如し。

八重洲側には以前、百貨店・大丸東京店などが入る駅ビル「鉄道会館」(高さ約50m、幅138m)

がある。1954年に建設され、68年に12階建てに増築されていたと。これが、東京湾から

の涼しい海風は隅田川を北上して都道を西に進むが、“屏風”のような鉄道会館にぶつかって

上昇。駅東の丸の内側には風が流れにくく、気温が高くなるというヒートアイランド現象が発生。

このヒートアイランド現象対策として 

高さ205mの超高層ツインタワー「グラントウキョウノースタワー」・「グラントウキョウ

サウスタワー」が誕生し、その後、鉄道会館が撤去されたのです。

両タワー間(約246m)は高さ約27mの位置の歩行者用通路でつながるが、その上部で海風が

吹き抜けのような状態になり「風の道」が出来、ヒートアイランド現象が緩和されたのです。

正面に大丸東京店の入る「グラントウキョウノースタワー」。

線路沿いに呉服橋方面に歩く。

下を流れる川は日本橋川。東京都千代田区と 文京区 の境界にある 小石川橋 で 神田川 から分流し

南東へ流れ、 中央区 の 永代橋 付近で 隅田川 に 合流 する1級河川。

ほぼ全流路に渡って 首都高速道路 の高架下を流れているのだと。

南口周辺は未だ新ビルの建設ラッシュ中。常盤橋街区再開発プロジェクト。

東京駅近くにに日本一の高さとなる390mの超高層ビルなど4棟を建設中なのです。 

旧日本相互銀行本店ビルの鉄骨柱梁接合部(実物)。

『時をつなぐ 

 日本相互銀行(三井住友銀行の前身行の一つ)は、1952年にこの地に本店ビルを建設しました。

 設計者は、日本の近代建築の歴史に大きな足跡を残した建築家、前川國男 。 

 旧日本相互銀行本店ビルは、中高層ビルとしてわが国初めての鉄骨造全溶接工法や押出型材

 アルミサッシュを採用し、外壁PCパネルによる建物の軽量化、工業化を図るなど、現代へと

 つながる事務所建築の先駆的な役割を果たしました。この建築史・建築技術史のうえで重要な

 建築がこの地にあったことを伝えるため、解体に際して部材の一部を保存採取し、ここに

 モニュメントとして設置しました。 

 史料展示室には当時のアルミサッシュやPCパネルの一部を展示しています。 三井住友銀行』

 とパネルに。

常盤橋を右折し進んでいくと中央通りに出た。

ここを右折すると左手には黄金に輝く「奈良まほろば館」が。 

特産品や観光情報を集めた奈良県のアンテナショップ。

正面に日本橋が見えて来た。

そして日本橋に到着。

「ここ日本橋を起点とする東海道は、徳川家康が関ヶ原合戦に勝利した翌年の慶長6年(1601)に、

徳川幕府を開くよりも早く、江戸-京都間、江戸-大坂間の人馬と情報の往来幹線として

整備され、伝馬制の制度が敷かれた。東海道には名画やエピソードも多く、江戸後期の歌川広重に

描かれた「東海道五十三次」や、十返舎一九が書いた「東海道中膝栗毛」は、あまりにも有名」。

元標の広場。 

「日本国 道路元標」。

大正時代に設置された道路元標の大きさは、縦横25cm、高さ約63cmの直方体。

ここ日本橋にあるのは、徳川幕府が定めた

五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点を明治政府が踏襲したもの。

これはレプリカ。 

明治6年12月、明治政府は太政官達第413号で、各府県ごと「里程元標」(りていげんぴょう)を

設けることを定めます。明治44年、現在の日本橋の架橋時に当時の道路法施行令第八条によって

橋の中央に「東京市道路元標」が設置されました。

第八条一 東京市ニ於ケル道路元標ノ位置ハ日本橋ノ中央トス

   二 市町村ニ於ケル道路元標ノ位置ハ前項ニ規定スルモノヲ除クノ外府県知事之ヲ定ム

大正9年4月に道路法にもとづいて認定された国道の一覧(大正9年内務省告示第二十八号)でも

国道の起点は日本橋とされています。日本橋の中央にあった「東京市道路元標」は、東京都電 の

架線柱として使用されていたが、昭和47年の道路改修で日本橋の北西詰にあるここ

「元標の広場」に移設されたと。

里程標1 東日本方面。

里程標2 西日本方面。

日本橋の4隅にある獅子像の横で旅友を撮影。マスクがありますのでモザイク無しです。

獅子像は当時の東京市の紋章を持っています(この紋章は東京都の紋章として現在も使用)。

太陽を中心にして6方に光が放たれている形で、日本の中心としての東京を象徴するデザインに

なっているとのこと。 

DSC03471_R.JPG

高架橋の銘板その下が日本橋。

橋の上を覆っている首都高の道路を繋ぐように本当の元標の位置を示すレプリカが上部に。

この印の真下の道路上に本当の元標が埋め込まれていたのですが交通量が多くて危険。 

IMG_3775_R.JPG

歩道からズームで。 これは本物?

71_R.jpg

橋の中央には、 翼のある麒麟の像 が左右に二体ずつ、 計四体 鎮座。

麒麟は吉兆や繁栄を現す神獣とのことで、日本橋の麒麟は「東京都の繁栄」を意味していると。 

橋の上には高架橋が。そして日本橋川にはその柱が無数に突き刺さっていました。

2006(平成18)年には当時の小泉総理の指示により、著名財界人や文化人によって

「日本橋川に空を取り戻す会」が結成され、その後2017年、国土交通省と東京都が

「日本橋上空に架かる首都高の地下化を検討する」と発表。

かつて、何度も頓挫した日本橋周辺の首都高地下化の現状は?本当に実現に向かうのか? 

「日本橋魚河岸跡」。

『日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を

荷揚げする「魚河岸」がありました。ここで開かれた魚市は、江戸時代初期に佃島の漁師たちが

将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川

沿いの魚河岸を中心として、本舟丁・小田原町・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の

広い範囲で開かれ、大変な賑わいをみせていました。・・・』と。

日本橋魚河岸跡の全景と(右)日本橋魚市場発祥の地碑

中央の像は竜宮の乙姫。

観光案内所の横には、道の起点としての「日本橋 道 日本の道百選」 の石碑が。

「日本橋は徳川家康が江戸幕府を開いた年(1603年)に掛けられたといわれている。

日本橋は中山道、東海道等の五街道の起点であった。江戸経済のの中心地でもあった。」

と説明板に。 

街路灯とここにも獅子像が。 

DSC03479_R.JPG

「日本橋観光案内所」に立ち寄る。

「日本橋観光案内所」は観光案内だけでなく、商品の販売やカフェ、ワークショップなどの機能が

ひとつに集まっている様子。2名の女性の和服姿の「CONCIERGE(コンシェルジュ)」が

迎えてくれた。 「東京 中央区 観光ガイドマップ」と「中央区 初めて物語りマップ」を

頂きました。 

DLbBNY1UQAEQssF_R.jpg

観光案内所の横にあったのが「日本橋記念碑」と説明板。

DSC03482_R.JPG

上に日本橋の姿がそして下には「日本橋由来記」・日本橋の歴史が色々と文字で刻まれていた。

橋の 右上に富士山が描かれていた。

日本国重要文化財『日本橋』。

建設省の重要文化財プレート。

DSC03483_R.JPG

日本橋を南側から。 

39c4aaa9ff6cee0dfca67dfaab4f9d6c_R.jpg

これが、歌川広重(初代) 作 「東海道五拾三次之内 日本橋」 。

明六ツ に日本橋を渡る 大名行列 と、その手前には 魚河岸 で仕入れた魚を売りに行く行商の

魚屋の姿などが描かれている。現在の築地市場の前身である魚河岸は、かつて日本橋のたもとに

あったのです。

cover-53tsugi01_R.jpg               【http://chisoku.jp/collection/au-0014/i00280/】 より。

そしてこれから歩く旧東海道。 




                        ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2021.08.22 19:42:53
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