JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.02.21
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

日本橋をスタートし旧東海道歩きを始める。最初に訪ねたのは「名水白木屋の井戸」。

東海道、日本橋の傍、COREDO日本橋の裏手に「名水白木屋の井戸」の碑が

移築再現されていた。 

日本橋の南側にあった白木屋は近江商人大村彦太郎の創業で、日本橋北側の越後屋と並ぶ呉服の

大店であった。2代目彦太郎は正徳元年(1711)、日本橋周辺の水の悩みを解消するため店内に

井戸を掘る。難工事の中、1体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと。

以来、周辺住民のみならず広く「白木名水」とうたわれた。越前松平家では、この水で

当主の病が治ったとして、明治維新まで毎朝汲み取りに行ったのだと。

そして隣の植え込みの中に自然石風な石碑・「漱石名作の舞台」が。

漱石の多くの作品に、日本橋が登場し、「吾輩は猫である」の先生が白木屋のご贔屓(ひいき)

だったとか、小説「三四郎」や「こころ」にはこの路地の寄席や料理屋が描かれているのだと。

高島屋 日本橋店の前を通る。

10:30の開店を待つ多くの人々が入口付近に。

「日本橋 3丁目」。

日本橋3丁目の交差点の角には巨大な高さ6.25mキリンの銅像が。

冠をかぶっていて、優雅な雰囲気の麒麟。作者は多摩美の客員教授で、彫刻家の安藤泉氏。

2006年までは漢方薬のツムラの本社で、ビル名は「中将湯ビル」だったと

ツムラと巨大なこの麒麟像の関係は?

DSC03493_R.JPG

「平和の鐘」。

中央区は昭和63年(1988年)に世界の恒久平和と人類の永遠の繁栄を祈念し

『平和都市宣言』をした。

交差点の中央分離帯にある段上の三角形のアーチは この宣言を記念するモニュメントとして

設置したものと。

『中央区平和都市宣言』

 いまいちどたちどまり 平和の尊さをみつめよう

 ささやかな幸せも   こよなき繁栄も

 平和の光が消えたなら すべてが失われる

 私たちの手にある   この輝きを

 明日の世代に     伝えよう

 一九八八年      三月一五日  

 この日 私たちは   永遠の平和を願いを

 中央区が平和都市で  あることを宣言する  』

この「​ 平和の鐘​ ​」⇐リンク は、オランダ製で26個のベルによって四季おりおりのメロディを奏でると。

交差点の中央分離帯の平和の鐘の横にはヤン・ヨーステンの碑が。

ヤン・ヨーステンは1600年(慶長5年)、帆船リーフデ号で日本に漂着。

日本に留まって徳川家康の通訳となり、屋敷を与えられた。

彼の「耶楊子(やようす)」という日本名から、屋敷周辺は「八代洲(やよす)河岸」という

地名になり、やがて「八重洲」と呼ばれるように。住所として登場するのは1872年(明治5年)の

ことで、1954年(昭和29年)には東京駅の東側一帯が「中央区八重洲」となったのだと。

写真左手の凛々しい人が、ヤン・ヨーステン。右手の船は彼を乗せてきたリーフデ号。

この記念碑は、1989年に日蘭修好380周年記念として建てられ、日本とオランダの架け橋と

なった彼の功績を称えていると。

横断歩道の真ん中の中央分離帯まで急いで行き、立ち止まり慌ててシャッターを。

そして青信号を確認し引き返す。

07-IMG_4101_R.jpg

 「歌川広重住居跡」を訪ねるがその付近は工事中の白きフェンスに囲まれていた。 

工事用フェンスにパネルが貼り付けられていた。

「浮世絵師安藤(歌川)広重(1797~1858)が、嘉永2年(1849)から死去までの

およそ10年間を過ごした住居跡とのこと。八重洲河岸(千代田区丸の内2丁目)に生まれ、

家職のかたわらで歌川豊広の門人となった。「東海道五拾三次」以来、風景画家として著名に

なり、江戸についても、「東都名所」、「江戸近郊八景之図」、「名所江戸百景」等を遺す。

特に、「名所江戸百景」はこの地での代表作であると。

住居は、幕府の奥絵師(御用絵師)狩野四家のうち、中橋狩野屋敷の裏門外にあり、

2階建ての独立家屋であった」と説明板に。

「京橋 1丁目」。

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 「京橋 2丁目」

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「日本橋から1km」の道標。

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「京橋 3丁目」 。昔、アサヒビール(株)の本社がこの交差点の角にあったのだ。

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「江戸歌舞伎発祥之地」の碑

「寛永元年(1624)、猿若中村勘三郎が中橋(現在の日本橋と京橋の中間)に、猿若中村座の櫓を

あげたのが江戸歌舞伎の始まりです。写真は、これを記念して昭和32年(1957)に建立された

碑で、銀座と京橋を分かつ高速道路のすぐ脇に。当時、この中村座の後に、市村座、森田座、

山村座と続き、この四座が官許の芝居小屋でした。役者の氏神といわれた市川団十郎をはじめ、

尾上菊五郎などの役者が絶大な人気を得、江戸歌舞伎は大衆文化の頂点に立ったのです。」と。

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すぐ傍らには「京橋大根河岸青物市場跡」の碑も。

1664年(寛文4年)に京橋川の水運を利用して、京橋の北詰西側に野菜の売り場が設けられた。

この青物市場には大根の入荷が多かったため、「京橋大根河岸市場」と呼ばれ、明治になって

からは「京橋青物食物河岸」と呼ばれた。明治の終わりには現在の京橋3丁目と八重洲2丁目の

南部、対岸の銀座1丁目の西部にまで規模が広がり、青物・菓物のほか、魚類・乾物も

扱うようになったと。

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「​ 京橋の親柱 ​」⇐リンク。「きゃうはし」と刻まれていた。

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四角く大きなこの石柱は、大正時代に道路の拡幅工事で橋を立て替えた時のものと。

丸い親柱と共に中央区の区民文化財。 

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「煉瓦銀座の碑」。

明治時代実際に使われていた煉瓦を当時と同じ「フランス積み」に敷き詰め、

煉瓦の町を照らしたガス灯の灯火も復元していると。 

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この「京橋 親柱」も明治時代のもの。

擬宝珠(ぎぼし)の意匠に江戸の伝統を継承していると。

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そして、「警察博物館」に立ち寄る。

警視庁 の歴史と活動に関する資料を展示している 博物館

警視庁内での正式名称は「警視庁広報センター」。 

2017年4月29日:1年間の改装工事を経てリニューアルオープン。入場料は無料。

警察官 制服 記章 の実物が展示されており、複製されるのを防ぐため 1,2F以外の

写真撮影は禁止されていた 。 

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入口にはRX-8パトカーが展示されていた。 

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ヘリコプター 「はるかぜ1号」。

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赤バイ。

1918年の大正7年に警視庁が導入したのが「バイク」だが、今のような白色の白バイではなく、

赤色の「赤バイ」であったと。

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ヘリコプターから降下する警察隊員。 

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そして「銀座 1丁目」 。

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花屋には不思議な色のバラが。海外のどこかでも撮影した記憶が。

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「銀座発祥の地」 。

碑には「銀座発祥の地 銀座役所跡」と刻まれており、江戸時代にこの地に銀座があったことを

記念して、昭和30年(1955年)に建てられたとある。銀座役所がこの地にあったのだそうだ。

銀座という地名も江戸時代に貨幣の鋳造所としてこの地に建てられたことから。

役所は1800年に日本橋の蛎殻町(かきがらちょう)に移転したが、銀座は地名として

残ることになったと。

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「銀座 2丁目」 。

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ティファニー(Tiffany & Co.)銀座本店のショッピングウインドウ。

ティファニーは、世界的に有名な宝飾品および銀製品のブランド。 

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「銀座の柳の碑 」。

「銀座の柳由来

 銀座の柳は明治20年ごろ銀座通りに植えられて以来大正九年撤去昭和6年復活の変転を

 経ながら数多くの詩歌にうたわれ人々に親しまれてきた銀座のシンボルとなった柳も樹勢の

 衰えもあって昭和43年歩道の大改修に当たり移植の止むなきに至った

 いまふたたびこの通り一帯に柳を迎えて「銀座柳通り」と名づけるに際し永く

 銀座の柳の由来を伝えるため碑を建立する」 と。

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カルティエ(Cartier SA) 銀座 ブティックの入口の柱のレリーフ。

カルティエは、フランスのジュエリー・高級時計ブランド。 

このレリーフは、御用達のお墨付きをいただいている各国王室の紋章らしい。

10数カ国の王室御用達らしいが、さすがに「王の宝石商」だけのことはある。

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「東京銀座通電気燈建設之図」 。

この街灯は、それまで行燈(あんどん)や提灯(ちょうちん)しか夜の照明がなかった日本で、

はじめて灯された電気灯。明るさは、ローソク4000本分と。

おかげで銀座の町は、連日、見物客で大にぎわいになったと。

この電気街灯は、翌年には京都の祇園に、翌々年には大阪の道頓堀にも設置された。

もっともこの電気灯は、送電線で電力が供給されるタイプではなくて、その場に据え付けた

バッテリーから電力を供給していた。

バッテリーではなく、電力会社から電力の供給が始まったのは、明治19(1886)年とのこと。

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銀座・マロニエ通り。

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「銀座 3丁目」 。

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「銀座 4丁目」 

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                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ ​つづく ​・・・







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Last updated  2020.04.26 14:44:56
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