JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.03.11
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カテゴリ: 海外旅行
兵馬俑坑1号坑の見学を更に続ける。

1974年、井戸掘りをしていた農民が兵馬俑のかけらを偶然発見した場所が

ここ1番の場所と。

DSC05025_R.JPG

兵馬俑の最前列。

主鋒の前方部隊は、歩兵で3列で見事に整列。

これだけでも大変な数。

多くの歩兵俑の姿。

髷を高々と結い上げ、立派な髭をたくわえた戦士。

右前合わせの上着を革帯で留めていた。歩きやすいように丈の短いズボンと脚絆を着用。

兵士俑の横顔のアップ。

頭と胴体は別々に製作され、頭を上から差し込む構造となっていると。 

11_R.jpg

シャッターを押し続けました。

入口方面の上段(白い台形の上辺)が一般見学フロアー。

その下(台形の底辺)は特別な記念撮影用フロワーであるようだ。

南側展望通路から。 

DSC05034_R.JPG

最前列の武士俑と、その後方の光景。

史記や漢書など、数々の歴史書に秦の始皇帝陵の存在は記されていたが、数々の動乱などにより、

存在そのものが長い間忘れ去られていたのであった。

兵馬俑坑入口?部分には7本の柱と土壁、そしてその上部に丸太が並べられた場所が。

兵馬俑の上部は巨大で強靭な梁と棚木の屋根で支えられ、屋根の上にはむしろを敷いて、

土の層を被せたのだと。

そしてそれが朽ちて落下し、俑を破壊して倒してしまったと。

凹みは梁の載った跡と。

横顔を再び。様々な表情はいつまでも見つめていたいのであったが。

ここは発掘後に埋め戻し養生している場所か?

1号坑では今も発掘が行われており、補修された像は展示待ちとなって

ここ修復ヤードに保管中。

顔や掌、そして足下はビニール袋で養生中。

顔の部分をズームで。

自分の居た場所に戻り出番を待つ俑。

破片をジグソーパズルの如くつなぎ合わせ、帯で固定している姿も。

修復員の姿が。

頭部の修復の途中であろうか。

騎馬の姿も。

多くの武士俑(兵士俑、歩兵俑)が修復中であった。

それぞれの庸には管理番号のTAGが付けられていた。

右腕の先端の復旧を待つ多くの俑。

ガードマンの姿も。

兵馬俑1号坑全景を西側から。

そして1号坑の見学を終え屋外に。

窓の外側には騎馬をあやつる兵士の姿が。

オウバイ(黄梅)の花が満開中。

次に3号坑の見学へ向かう。

3号坑は1号坑の北側西端に約25m離れ,2号坑からは西に120m程のところに位置し、

兵馬俑で既に発見された3つの坑(穴)のうち、最も小さいものがこの第3号坑。

馬4頭立て,兵俑4体の戦車が出土。 

総面積は500平方m程度, 戦車の南北の両脇にはそれぞれ小部屋があり、

小部屋の中には軍の幕僚や警備部隊と思しき兵俑が64体存在していると。

ここでは11体×2列の兵俑が発掘され,鹿の角や動物の骨も出土している。 

当時,鹿は「純霊の物」という扱いを受けていて、政治や軍事戦略などの策定手段の一つとして

祈祷が用いられていたことから、この小部屋は軍幕の祭祀や祈祷の場所であったと

考えられていると

兵傭が壊れ、ここでも瓦礫の如くに横たわっていた。

頭部のない多くの兵傭。

頭部のないまま横たわる兵傭の姿。

軍馬が4頭並んでいたが、これは秦軍の当時の戦車。

4頭の騎馬。

別の角度から。

              ・・・​ つづく ​・・・ 






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Last updated  2019.11.01 22:25:57
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