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そして次に兵馬俑2号坑へ。
2号坑は1976年、1号坑から北東へ20mほど離れたところで発見された。
1号坑の補助をおこなう秦軍の左軍(歩兵や車兵それに騎兵などが主)。
兵馬俑の数は約1300体。さまざまな役職の兵傭が展示されていて、
間近で見ることができたのであった。
形はL字を逆さにした差し金形で、東西96m、南北84m。面積6000m2と、1号坑の半分弱の
大きさ。89台の戦車、472の馬俑、900以上の兵士俑が埋まっているといわれている。
屋根の丸太を外しただけで、未発掘の場所が多く残っていた。
車輪の姿が確認出来た。
1 号、 2 号、 3 号兵馬俑坑に合わせて戰車が 130 両余りあると。
戰車は全部木で造ったため、出土された時に朽ちてしまった状態で、痕跡しか殘っていない。
その形は、二つの車輪に 1 本の轅 ( ながえ ) 、四頭陶馬をつなぐものである。
車体は長方形を呈して、幅 1.4m、前後の長さ 1.2mである。
その 周辺には、高さ 40cm 、窓格子の上ような柵が囲まれて、後ろに出入り の門扉が一つ、
車輪が1.35mの高さである。
戰車は全体が漆塗りされているが、あるものに絵や模樣が見えている。実用な戰車と
同じように車馬具が備わっていると。
井戸の跡。
二号坑配置案内図。
瓦礫の如くに発掘されたままの場所も。
まだ発掘途中の兵馬俑がバラバラになって土に埋まっているのであった。
頭のない騎馬の姿も。
まだまだ未発掘の場所が残っていた。
こちらにも。調査用の梯子も架かっていた。
「秦俑坑出土的典型文物」 展示コーナー。
2号坑から出土した跪射俑。
右足を跪き、左足を立て膝にして遠射兵器である弩(いしゆみ)を
構えている姿で、高さ1.2m。
後ろ側から。
くるぶしまでの浅めの麻靴をはいており、右足の靴裏が外側に表れている。
靴裏には滑り止めが施されている。重心をかけるかかと部分やつま先に突起が多く、
土踏まず部分には突起が少ない。ここまで表現している事に感動!!
弓矢を持った姿を図書館から借りた本より転載。
中級軍吏俑。
中級軍吏俑は頭に「双板長冠」をかぶり、鎧甲をかけている。
鎧甲の形として、上半身の前だけ守る彩色の縁どりがついた前胸甲と甲片がかなり大きく
彩色の縁どりがついた辺甲という 2 種類があると。
手に剣を持ちながら威嚴に立っているのだと。
穏やかな顔。
高級軍吏俑。
後ろ側から。
位(くらい)は頭の冠を見ればわかるという。
2号坑から出土した「英姿颯爽的騎兵俑」。
英姿颯爽的騎兵俑とは「さっそうとした勇姿の騎兵俑」の意。
兵俑の身長は1.8m,陶馬の高さは1.72m,長さは2.03m。
馬には鞍があるが,鐙(あぶみ:馬の鞍の両側に吊し,乗馬する時に足をかけるもの)は無い。
4人の騎兵と4頭の馬が1組の状態で出土し,全て東を向いていたと。
2号坑から1997年に出土した「訓練有素的立射俑」。
手には弩級を持ち、矢をつがえて攻撃命令を待つ兵士の姿。
元来、矢入れを背負っていたものと思われる。半身に構え、上からみた時に足をL字型に開く
姿勢は、命中精度を高めるのに適したものであると。
装備はすね当てをつけ,革製の靴を履いている点を除けば、歩兵俑と同じ服装である。
身長1.78m。
この類の陶俑は2号坑から172体出土したとのこと。
俑を具に観察すると,様々な服装や格好により身分が区別され,顔立ちや体格は
漢をはじめ蒙古や西域など,それぞれの民族的特色を表現していると。
この高度な写実性は,この兵馬俑の特徴の一つと 。
残念ながら、彩色が多く残っている兵馬俑は展示されていなかった。
始皇帝兵馬俑博物館に向かう車中で添乗員の毛さんが彩色兵馬俑の復元写真を見せてくれた。
この様に見事な彩色が施されていたとのこと。
そして2010年5月18日、中国陝西省西安市が世界に誇る歴史的遺産・兵馬俑で、
新たに発見された兵士の俑が3体、下の写真の如く公開されたと。
【http://www.recordchina.co.jp/b42309-s0-c40.html】より
銅車馬館(どうしゃばかん)を訪ねる。
世界遺産のシンボルマーク。
館内。
銅車馬館の案内が記載されているのであろうか?
1980年暮、始皇帝陵の西側20m、地表から 7.8mの深さで2台の彩飾された
大型の銅車馬が発見された。
この2台の車は大きな木槨の中に置かれていたが、2,000年余りの間に、木槨は腐朽して
陪葬坑も自然に陥没した.その際、2台の車も 粉々に破壊されたと。
修復は3,000点におよぶ破片の為もあり8年近く要し、1988年にやっと元の様相に復元され、
展示されることになったのだ。
1号銅車馬は、先導車。4頭立て2輪馬車に御者が直立し、馬車には傘が立つ。
銅車馬は秦始皇の御用車を模造したもので、秦始皇陵の陪葬品の一つである。
サイズは1号車は全長2.25m、全高1.52m、実際の車馬の1/2とのこと。
1号銅車馬は、立車といい、車体の右には盾と鞭、前には弩と矢が掛けられている。
車上には1本の傘が立てられ、傘の下には高さ91センチの銅御者1体が手綱を引いて立つ。
人、馬、車すべてが青銅で模造されており、大量の金銀装飾が施され、生き生きとしている。
秦代の高度な冶金鋳造、装飾工芸技術などには、目を見張るものがある。
2台共双輪で、四頭の馬で曳かれている。
今までに発見された同じタイプ車馬では最大で,最高級で 、貴重な歴史資料であると。
2号車は全長3.17m、全高1.6mで、これも実際の車馬の1/2とのこと。
2号銅車馬は、安車または轀輬車といい、始皇帝が乗るための車で正座した
御者1体が手綱を引いていた。
車体のドーム式の屋根と四囲の壁には変形龍鳳巻雲紋と雲気紋が描かれていると。
後ろからも。
御者の背中には長剣が。
そして2号銅車馬。
輿のなかに寝そべって乗ることのできる2号銅車馬は、壁の内外面と天井の内面に
龍と思われる文様がびっしりと描かれていると。
正面から人の少ない瞬間に。
壁には小窓が三方に。
安全上、大きく出来ないのであろうが、それにしても小さ過ぎて
夏は極めて暑く辛そうなのであったが。
後ろが出入口なのであろう。
出入口は閉まっており、内部は残念ながら確認出来なかった。
銅車馬は、警護用武器として弩弓と矢を備えていたと。
その矢は、一部が別に展示されていた。
2号銅車馬の各部分の成文分析表。
銅車馬の製造工程一覧表。
銅車馬館を出ると再び黄梅(おうばい)の花が。
黄色い花が梅に似ていることと、咲く時期が同じことからこの名前になったが
本来、梅とは関係なく、ジャスミンの仲間。垂れさがる細長いツル状の枝に花が咲いていた。
中国では、旧正月(2月)頃に咲き出すので「迎春花(げいしゅんか)」と呼ばれると。
秦皇大劇院と書かれた楕円形の建物。
公園の円形噴水?には、勢いよく岩山を駆け上る6頭?の馬の姿が。
正面から。
第1発見者の楊さん?の土産店に立ち寄る。
本を購入すると本へのサインと記念撮影が出来るようだ。
しかし第1発見者を名乗る楊さんは何人もいるのだとネットより。
以前にNHKドキュメントの”アナザーズストーリーズ/運命の分岐点”に出ていた
第1発見者の楊さんと顔は異なり、年齢もかなり若い方が座っていたのであったが?
息子さんなのであろうかとも。
大小様々な大きさの兵馬俑の土産物が販売されていた。
本物の兵馬俑と同じ土、製法で作ったあると売り込みも激しかった。
・・・ つづく
・・・