JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.01.28
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

大磯・鴫立沢の交差点手前にあった『鴫立庵(しぎたつあん)』を訪ねる。




始まりとされる。その約30年後、俳諧人・大淀三千風が庵を再興。庵主としてこの地に住み、それから300年以上に渡り、代々の庵主がこの庵を守ってきた。
現在の建物は昭和61年に町が再建したもの。




三世庵主 白井鳥酔追善句碑。



『旧跡 鴫立澤』。



ここ『鴫立庵』は西行法師の歌
【心なき 身にもあはれは しられけり しぎたつ沢の 秋の夕暮】
で名高い「鴫立沢」に立つ俳諧道場で、日本三大俳諧道場の一つ。
『石橋』を渡る。




鴫立沢の中流は国道1号線(写真後方)の下を流れて、さらに鴫立庵入口の橋の下を
流れ下って、相模湾へそそぐのだ。



鴫立庵入口門。







西行法師生誕900年記念
特別展「西 行 ―紀州に生まれ、紀州をめぐる―」が和歌山県立博物館で行われていると。



鴫立庵の『庵室(東住舎)』の前を入口門から。
現在では、京都の落柿舎、滋賀の無名庵とともに日本三大俳諧道場の一つといわれている。



『庵室(東住舎)』
正門を入って右側にあるのが鴫立庵室(東往舎)で、大淀三千風が入庵した時の庵を伝える
ものである。
隣の少し高い場所の増築した部分は、大淀三千風の入庵70年後に三世・鳥酔が建てたと。



その十畳間には、東流書の扁額「俳諧道場」がかかり、鴫立庵の正庵である
ことを示している。

「庵室(東住舎)」の画像検索結果


『鴫立沢』は大磯町指定史跡名称天然記念物。
「現在、鴫立庵内には鴫立庵室、俳諧道場、円位堂、法虎堂、観音堂があります。
庵室については、大淀三千風(1700~1750)が建てたもの、俳諧道場については
三世庵主鳥酔が明和2年(1765)に増築したものと伝えられていましたが、調査の結果
鴫立庵の基本部分は江戸時代のもので、他の建物は江戸時代以降に建てられたものと

鴫立沢には西行法師が鴫立沢を詠んだ地という言い伝えが室町時代よりありました。
寛文四年(1664)、  崇雪がこの地に草庵を結んだ時に鴫立沢の標石を建て、その標石に
『著盡湘南清絶地』と刻んだことから、『湘南』の名称発祥の地として注目されています。」



正面に見えたのが『円位堂』。
敷地内には、86基にも及ぶ句碑・可碑・墓碑等が点在していると。



『法虎堂』。



円位堂の向かって左に、鴫立沢を背にして法虎堂が建っていた。
堂の内には有髪僧体の、虎御前が十七歳の時の姿を写した木像が安置されていえ¥ると。
三千風在庵の頃に、堂も木像も江戸新吉原から寄進せられたと伝えられています。
元禄時代のそのままの遺物です。



堂内の木像は虎御前、十七歳の姿と。

イメージ 9

『鴫立澤碑(西行五百年記念碑)』



『西行上人歌碑』(左)。
「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」
『西行銀猫(ぎんみょう)碑』 
正面上部に竜、下部に亀が浮き彫りにされている碑。造立年は元禄十三年(1700)だと。

円位堂の左側にある円筒形の句碑で、芭蕉の四時遺章が残されている。
“みのむしの音を聞に来よ草の庵”
“日のみちや葵かたふく皐月雨”
“はこねこす 人もあるらしけさの雪”
“春たってまた九日の野山哉”
下段には芭蕉の弟子やゆかりの人の26句が刻まれている。



『円位堂(西行堂)』を近くから再び。
屋根は厚く茅葺で覆われていた。



三千風の建てた元禄時代の風格を残す建物で、堂内には等身大の西行法師の坐像が
安置されている。痩身、眼光爛々として歌道に精進した姿を写し出している。
文覚上人鉈作りの西行51歳の像で、三千風が京都から背負ってきたと伝えられている。



西行法師の等身大座像。

イメージ 11

『清虚洞一絃琴碑(せいきょどういちげんきん)』。
一枚の桐の板にたった一本の絹の糸。一絃琴はその名の通り、一本絃の琴です。
平安時代 日本後期巻八に崑崙人が三河の国に漂着し、一絃琴を携えていたと。



『天條とし子歌碑』。



『第二十一世庵主 草間時彦句碑』。
「大磯に 一庵のあり 西行忌 」



『第五世庵主 加舎白雄句碑』。
『吹つくし 後は草根に 秋のかぜ』
在庵8年。



『小野隋鷗顕彰碑』



『第二十世庵主 村山故郷句碑』。
「花の下は 花の風吹き 西行忌」



『佐々木信綱歌碑』。
「こゝろ今もいこひいまさむ波のおと松風きよきこの海そひに」
信綱は大磯に在住し、大磯百首を詠んでいる。
昭和37年、鴫立庵第十八世庵主鈴木芳女の
退隠記念に多数の有志により、この歌碑が建てられた。



『第四世庵主 杉坂百明句碑』。



『経塚供養塔』。



ここにも『第四世庵主 杉坂百明句碑』。




『第三世庵首 白井鳥醉句碑』
「鴫立澤一世 鳥醉翁」
「大嶌や 波によせたる 雪の船」



『第十世庵主 島田立宇 句碑』



『第一世庵主 大淀三千風墓碑』
崇雪が最初に草庵を結んで30年程後、元禄8年(1695)に紀行家、俳諧師の大淀三千風が
庵を再興した。三千風は伊勢の三井家の出で、寛永16年(1639)に生まれている。
伊賀上野の松尾芭蕉とは生家も近く年齢も同年代(三千風は5歳年長)で同じ俳諧師である。
元禄10年(1697)には謡曲『鴫立沢』や『虎御前縁起』などを発表して鴫立庵を
俳諧道場として広く世に紹介した第一世庵主である。その後俳諧道場は、
三世:鳥酔(ちょうすい)、五世:白雄(しらお)、八世:葛三(かつさん)など有名な
俳諧師が跡を継ぎ、今日二十二世庵主として鍵和田釉子氏が平成14年に就任されていると。



『佳梅尼墓碑』。



『辛巳生老人碑』。



『松本順墓碑』。
茶室前にある。松本順は初代陸軍軍医総監で日本最初の海水浴場を大磯に開いた人である。
順は先に亡くなった長男、夫人、次男の三人の冥福を祈るため球形の墓碑を建てた。
墓碑表面には「守」の字が刻まれている。これは三人をしっかりと守るとの意味から、
家族合葬の碑であるという。
その後順もここに葬られたが、全員の遺骨は昭和27年妙大寺に改葬された。 



『第八世庵主 倉田葛三墓碑』、『第九世庵主 遠藤雉啄墓碑』



『第七世庵主 三浦柴居墓碑』、『第六世庵主 西奴墓碑』。



釈迦・阿弥陀・大日・阿しゅく・宝勝(宝生)の五仏からなる『五智如来像』
小田原の祟雪と云う人が五智如来をここに運び、西行寺を建てるのが目的だったと。



『第十四世庵主 二宮松汀墓碑』(右)、『第十五世庵主 原昔人墓碑』(左)



左から『第十三世庵主 間宮宇山墓碑』、『宇山碑』、『間宮宇山句碑』、
『第十二世庵主 菅喜田松頂墓碑』。



『第十八世庵主 鈴木芳如句碑』。



多くの石塔が所狭しと。



藁ぶき屋根の『俳諧道場』



縁側には記帳用ノートが。



床の間。



そして再び『庵室(東住舎)』の部屋。



受付の部屋の展示物。



中庭に展示されていたのは第十五世庵主 原昔人の作のオブジェ
『蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)の蛙』。



再び鴫立庵の前庭を。




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                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.28 12:56:37
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