JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.04.26
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次





東海道、興津川の『川越遺跡』。



「ここは東海道興津川「川越し」の跡です。旅人は両岸にあった川会所で「越し札」を買い、
蓮台または人足の肩ぐるまで川を越した。越し札はその日の水深によって上表のごとく値が違い、
蓮台越しの場合は札四枚を要した。深さが四尺五寸を越すと、いわゆる「川止め」となった。
但し冬期(11月下旬~3月5日まで)は仮橋が架かり無賃で渡れた。川越人足は興津側で36人が
常備されて居り、大通行があると250人以上が動員された。」
太股川(42cm) 12文   はさみ川(70cm)15文
横帯川(106cm) 24文   若骨川(120cm) 32文
脇水川(150cm) 42文
備考:天保の頃 そば1杯が16文。



『東海道五拾三次之内 興津 広重画』
奥津(興津)は興津川沿いの宿場であり、川は浅く架橋はなく徒歩渡りで、河口での力士の
川渡りの様子が描かれている。一人は馬、一人は駕籠であり、人夫との対比も面白い。
遠くには、三保の松原、駿河湾が描かれている。
二人はともに、柄袋をかぶせた刀を腰に差しているので、大名抱えの関取と思われる。



『歌川広重 東海道五十三次 狂歌入東海道《 興津/興津川 》』。
『風吹けば 沖つ白波たつた山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ 年垣真春』。
人足の肩ぐるまで興津川を越して行く旅人の姿が。



「東海道五十三次興津」歌川廣重(安藤廣重)寛政9年(1797年)~安政5年(1858年)
興津宿の沖の駿河湾からの、真っ白に雪に覆われた富士山の姿が描かれている。




画面左にある小高い山が薩埵峠です。薩埵峠を西側(江尻宿側)からみている景色です。
画面奥には駿河湾が広がります。

薩埵峠の手前に軒を連ねているところが興津宿です。
画中に「清見がせき(清見ヶ関(きよみがせき))」とありますが、興津宿は平安時代に
設置された清見ヶ関の鎮護のために建てられた清見寺(せいけんじ)の門前の町としても
栄えました。




『慰霊塔建立之碑』
明治、大正、昭和三代に渡り、祖国の国難に殉じた六十有余の地元の方々に
対する忠霊碑。



興津川に架かる東海道線のガード下を潜る。



JR興津駅まで1.6km、30分と。



興津川に架かる興津川橋を渡る。



左側は現国道1号線・富士由比バイパス、その奥にクア・アンド・ホテル 駿河健康ランドが。



右側には東海道本線。
東海道線の線路のあたりが渡し場の西岸であると。



県営住宅 興津団地入口のモニュメント。



興津中町東交差点を直進する。



『興津宗像神社』の石鳥居が右手に。
宗像神社の森は,女体の森といわれ、漁師が海上からの目印にしたと。
創建は平安時代中期といわれ、祭神はスサノウノミコトの子の3人の女神(宗像三女神)で
航海安全の神。女神の一人奥津島姫命が興津の地名の由来と言われている。
江戸時代に木、豊穣、音楽、知恵、水の神として信仰する弁天信仰と同化され、境内の森を
「女体の森」、池を「弁天池」と名づけている。
地元の漁師は、神社の森やクロマツを灯台代わり目印にしていたのだと。



そして興津中町西交差点の角にあったのが『身延道起点の道標』。
ヒゲが跳ねたような文字で「南無妙法蓮華経」とかかれており「髭題目」と呼ばれている。
碑文から承応3年(1654)の建立であることがわかる。
並んでいる「身延山道」は元禄6年(1693)の道標。



江戸時代の身延道追分の碑。現在の身延街道は、興津郵便局の前が起点となっていると。



「身延道は、身延山参詣の道であることにその名の由来があるが、もともとは駿河と甲斐を
結ぶ交易路として発達してきた街道で、 鎌倉期にはそのルートが開かれていたといわれている。
街道成立当初は、興津川沿いの村落を結ぶ程度の道でしかなかったものと思われるが、
戦国時代になると駿河進攻をもくろむ武田信玄によって整備され、軍用路として重要な役割を
はたすようになる。また江戸時代初期には身延山参詣の道として使われるようになった。」



『一里塚跡』の碑を発見。



『興津一里塚』
江戸日本橋より41里。



江戸日本橋から165.090kmなのであろうか。



そしてJR興津駅に到着。時間は17:26。



次回訪ねる予定の『清見寺』が描かれた大きな興津宿の絵が駅前広場に。



富士山の頂上が山の合間から。



再び『東海自然歩道バイパスコース』。



そして17:39発の熱海行きに乗車。



料金表に我が駅は既に掲載されていなかった。



『興津駅』。



この日は茅ヶ崎駅で下車し、旅友の行きつけの店で反省会。
そして帰路に。時間は21:35。



                             ​ その9 ​  に戻る。

                   ・・・完・・・






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Last updated  2020.04.28 14:53:56
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