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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『二川宿』の散策を始める。
『二川宿案内所』の建物・『川口屋』を再び。
豊橋市のマンホール。
朝日の中を出港していく船と人々や町が描かれている。合流マンホール蓋。
右手に『妙泉寺』入口。『南無妙法蓮華経』と刻まれた石塔が右手に。
『日蓮宗 妙泉寺』。
参道には、桜並木が。
参道脇の民家の大きな『てるてるぼうず』。
10月12,13日に行われる『二川八幡神社例大祭』のポスター。
『山門』。
山門は薬医門。左右に袖塀付き。
山門を入った境内の左側には1798(寛政10)年建立の『紫陽花嫁』と呼ばれる松尾芭蕉句碑。
『阿ちさゐや(あじさいや) 薮を小庭の 別座敷』
晩年元禄7年(1694)、芭蕉が生涯最後の旅に出る前、江戸深川の門人の屋敷で開かれた
送別の歌会で詠まれた句。
手の込んだ庭ではなく、自然のままにされた別座舗の庭に咲いていた紫陽花の美しさを
捉えた一句です。送別の歌会を開いてくれた門人への感謝と、おそらくこれが今生の別れと
なるだろうという寂しさを、紫陽花の美しさと儚さに込めた芭蕉の想いが感じられます。
台座には、建立世話人9名が刻まれており、当時の二川宿における俳句の隆盛がしのばれると。
『本堂』。
『妙泉寺』。
「妙泉寺は日蓮宗の寺院で、前身は貞和年間 (
1345~50 )
に日台上人が建てた小庵でした。
その後、衰微していたのを寛永から明暦 (
1624~58 )
頃観心院の日意上人が信徒の
助力を得て再興し、信龍山妙泉寺と改称したうえ、身延山から離れて遠州吉美村の妙立寺末となり、
さらに万治三年 (
1660 )
旧地今田中より現在地に移転して、山号を延龍山に改めたといわれます。
江戸時代には黒印地二石を受け、その格式はかなり高いものでした。また、寺子屋を開いたり、
大通行の際の休泊所にもなっていました。
当寺所蔵の鰐口は、永享五年 (
1433 )
につくられ、後に半面が慶長二年 (
1597 )
に再鋳された
珍しいもので、豊橋市有形文化財に指定されています。境内には、寛政十年(1798)に
建立された芭蕉句碑である紫陽花塚があります。」





























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