JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.10.22
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

商家『駒屋』の『二川宿本陣資料館』に立ち寄る。
旧道沿いに主屋そして中央が主屋入口そして右に脇門が。
脇門は明治末期から大正期にかけて、離れ座敷や茶室へ客人を招き入れるために建設された。



商家『駒屋』の『二川宿本陣資料館』は入場無料。
商家「駒屋」は、主屋・土蔵など8棟の建物からなり、二川宿で商家を営むかたわら、
問屋役や名主などを勤めた田村家の遺構です。豊橋市内に数少ない江戸時代の建造物で、
当時の商家の一般的な形式を良く残していることから、平成15年5月に豊橋市指定有形文化財と
なりました。
豊橋市では、平成24~26年度の3か年で、すべての建物について江戸時代から大正期の姿に
改修復原する工事を行いました。商家「駒屋」の公開により、二川宿は本陣・旅籠屋・商家の
3か所を見学できる日本で唯一の宿場町となりました。



主屋は木造平屋・一部二階 面積179.12㎡
建築年代:文化11年(1814)、安政2年(1855) 修繕
構  造:木造平屋建て一部二階建て
解  説:商家「駒屋」は、江戸時代に米穀商・質屋を営みました。この建物は
     間口九間、奥行き七間の大きさで、東側にミセニワ、オクニワ、中通りに
     ミセ、ナカミセ、ダイドコロ、西側に、オクミセ、ブツマ、オクノマの各
     部屋が並んでいます。



商家『駒屋』の建造物。



『離れ座敷(はなれざしき)』内部。
木造平屋 面積95.78㎡
明治末期から大正期にかけて、来客用に建設されたものと。
主屋と結ぶ渡り廊下も同時に造られ、西側に中庭を、東側に浴室、便所、洗い場を併設。



『離れ座敷(はなれざしき)』の前の通路を奥に向かって進む。



右手に『茶室』が。



左手に『南土蔵(みなみどぞう)』。
土蔵造二階 面積71.42㎡
記録によれば、田村家では安永3年(1774年)と天明元年(1781年)に土蔵を新築しており、
どちらかが南土蔵と考えられます。間口2間1尺、奥行5間で、敷地内の3棟の土蔵のうち、
これだけが出入り口を南側に向けているため、間口が3間余であった頃の敷地形状に沿って
建設されたものと判断できます。



その奥に『中土蔵(なかどぞう)』。
土蔵造二階 面積82.70㎡
安政3年(1856年)に建設された土蔵。すでに敷地幅が6間余あったので、幅2間半、奥行5間の
規模とし、また品物を出し入れしやすいように出入り口を東側に設けたと。
右手に『管理棟』。



南土蔵ギャラリーにて『ニッポンの前掛け展』を令和元年9月1日(日)~10月4日(金)開催中。



『ニッポンの前掛け展』ポスター。





日本伝統の仕事着の「帆前掛け」は、昭和30年代から40年代をピークに豊橋から全国に
広まったのだと。
豊橋伝統の帆前掛け工場【エニシング】が二川に新設されたことを機に、戦前から愛用された
物の他ヨーロッパやシンガポールなどで人気があり使われている商品20種類を展示。




ウェストで紐を締めるエプロンと違い、前掛けは腰骨位置(ベルトの少し下くらい)の位置で
しっかりと締めることにより、骨盤が安定し、「重い物を持つときの腰への負担を軽減させる」と
いう【腰を守る】役割があるのが大きな違いであるのだと。
そのため、酒屋や米屋、味噌屋など、重い物を持つ職業の人が好んで使っていたのだと。



武者絵や中日ドラゴンズの前掛けも。



こちらは海外のものか?



最奥正面に『北土蔵(きたどぞう)』、そして右に広場。



土産物屋にはハチミツも販売されていた。



11/3(日)には『第29回 二川宿本陣まつり』の『大名行列』が行われると。
江戸時代に二川宿を行き来していた吉田城主松平伊豆守信明の行列をモデルに時代風俗絵巻を
再現。市民から選ばれた松平伊豆守、雅姫、琴姫や近(きん)温(じゅ)、奴、腰元などが宿場町の
面影が残る二川宿のまちなみ練り歩きくと。



そして『茶室』と枯山水の庭。

明治期に建設されたと。4畳半の茶室に3畳の水屋2間が付いている。
水屋とは、茶室に隣接して設置される設備。茶事の手前に必要となる茶道具や水などを
用意するための場所で一般の住宅でいう台所。



そして再び商家『駒屋』の『二川宿本陣資料館』を振り返りながら後にする。



商家『駒屋』横に延びる瀬小道。東の枡形と交差し、ここから松音寺門前に続く。
路面が石畳できれいに舗装され、古道の雰囲気を醸し出していた。



右手にあったのが『二川宿まちなか公園』。



巨石に『二川宿まちなか公園』と刻まれていた。



この付近に『東問屋場』があったのだと。



モール化が望まれるのであるが・・・。



この民家には『旅籠中村屋』と『和泉屋』の札が。




右手にあったこちらも普通の民家の入口。



しかし、塀には『脇本陣』案内板が。
「脇本陣は本陣の利用が重なった場合、その補助的な役割を果たしました。その格式は
本陣に次ぐものであり、本陣と同様にその経営は宿場の有力者があたり、二川宿の脇本陣は、
松坂家がつとめていました。

本陣職が紅林家から馬場家に移った際に、本陣建築のため、もと街道の南側にあった
脇本陣はこの地に移りました。
脇本陣の建物は間口7間(約13m)、奥行19間(約35m)、屋敷は93畳でした」
本陣、脇本陣は大名など身分の高い武士が宿泊していたのだと。



そして左手の『二川宿 馬場本陣』前に。



こちらは『旅籠屋清明屋』
旅人は草履を脱いで奥へ案内されたのです。
道路から写真を撮る。



武士や一般庶民を宿泊させた食事付きの宿屋を旅籠屋と呼び、江戸時代に入って発達し、
宿場の中央に軒を並べていた。
次第に接客用の飯盛女を置く飯盛旅籠と飯盛女を置かない平旅籠とに分かれていたと。



二川宿本陣の部屋を道路から覗く。



以前2009年にこの場所を訪ねた時は、この部屋で皆でお色直しをして
記念撮影したのであったが・・・。
この時の『​​ ブログ ​』👈リンク です。速いもので10年前なのです。



『二川宿 馬場本陣』を旧街道から。
「本陣とは江戸時代、公家・大名・幕府役人などが旅の途中、宿泊休憩した施設です。
宿場の中央に大きな間口を占め、門・玄関・上段の間を備えた堂々たる建物でした。
二川宿の本陣は、後藤五左衛門が中町の北側で勤めていましたが、再三の火災のため没落し、
寛政五年 ( 1793 ) 以降は紅林権左衛門に本陣職をゆずりました。
しかし、文化三年 ( 1806 ) 十二月の火災により紅林も再起すことができず、文化四年以後
明治三年 ( 1870 ) の本陣廃止まで馬場彦十郎が現在地において経営しました。
馬場家本陣は、文化年間の間取図によると間口十七間半 ( 約32m ) 、敷地面積は五二五坪
(約1 , 733m2)、建坪は一八一坪余(約598m2)と宿内一の建物でした。
現在も享保年間建築の土蔵、宝暦三年 ( 1753 ) 建築の主屋、文化四年本陣開設時に
建築の玄関棟・表門が残り近世交通史上貴重な文化財となっています。
豊橋市では、昭和六十年本陣当主の馬場八平三氏より本陣敷地建物の寄付を受けたことを契機とし、
本陣の保存と活用を図ることとし、昭和六十二年史跡に指定するとともに、昭和六十三年より
三か年事業で、現存部分の改修及び明治以降取り壊されていた書院棟の復元工事を実施し、
江戸時代の姿を再現しました。」



そしてここが『豊橋市二川宿本陣資料館』駐車場入口。
江戸時代の交通路「東海道」にあった、「二川宿」に関する情報を中心に、
当時の旅行者の風俗等をまとめた、豊橋市の市営の資料館。



資料館掲示板。



土蔵の奥にある、土蔵と同じなまこ壁の建物が資料館。
本陣にもここから入る。(入館料¥400)。
この日は外からのみ。



駐車場には『高札場』が復元されていた。時間は15:50過ぎ。



高札とは、幕府の法令・禁令といったものを板書したもので、こういった人の集まる場所に
これらを掲げたのだと。



ここが『豊橋市二川宿本陣資料館』入口。



こちらが旅籠に入る方向。



『豊橋市二川宿本陣資料館』前にあったのが国登録有形文化財の『西駒屋』



国登録有形文化財の『西駒屋』。



西駒屋は、東駒屋の分家で、東駒屋は、駒屋の分家だと。
西駒屋田村家住宅主屋( にしこまやたむらけじゅうたくしゅおく)は東海道二川宿に位置する
町家で、醸造業を営んでいた。街道に南面して建ち、床上部を二列六室とする。
東列は店、中の間、台所、西列は奥店、仏間、奥の間が並んでいたと。
床上部正面に出格子をたて、上下階とも軒を出桁造とする。宿場の風情を醸す町家。



そしてこの先中村屋前で旧街道はS字にカーブしていた。



『高札場跡』と『秋葉山常夜灯』が左手『中原屋』の前に。
高札場とは、宿場の入り口や中心の目立つ場所に幕府からの禁制や通達事項などをしるした高札を
掲げた場所をいう。日坂宿や二川宿、草津宿には復元された高札場がある。



『中原屋』は 和菓子屋。



『中原屋』の隣りにあったのが『古美術』と書かれた店。
しかしカフェのようでもあったが。






                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 14:46:00
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