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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
右斜めの道に入ったらすぐ写真の地蔵堂があった。ここから石薬師町に入ったのであった。
『東海道 石薬師宿』と刻まれた石柱。
『歴史と文化のまち石薬師』案内板。
『北町の地蔵堂』。
「北町の地蔵堂
延命地蔵さんである。家内安全、交通安全を祈願すると霊験あらたかといわれている。
江戸時代、東海道の宿場として賑った石薬師宿の入口に旅の安全のために、
誰かが建てたのだろう。
現在この付近の十六軒の方々で地蔵講を結成して、掃除や供花の奉仕がなされている。
毎年八月二十四日は地蔵さんの会式である。」
『これより南 石薬師宿 信綱かるた道』
「 一・八キロの間に信綱かるたの短歌五十首を掲示している。途中、本陣址、
佐佐木信綱記念館、淨福寺(弘綱記念碑、幸綱歌碑)、
石薬師寺(信綱、西行、一休、芭蕉等の歌碑句碑など)、
蒲冠者範頼社・蒲桜、一里塚などがある。」
『信綱かるた道』
平成17年、東海道石薬師宿の北端から南端の1.8kmの間を「信綱かるた道」と名付けた。
信綱かるたの歌とそれに添える絵をベニヤ板に焼き付け、これを梅干ざるに取り付けて
歌額として、信綱かるた道に28基設置した。
平成19年、歌額を恒久的なアルミ板に取り替えるとともに、増設して36基とした。
平成27年、歌額を更に増設して信綱かるた50首すべての歌額が整備され、
信綱かるた道が完成した。
歌額の文字とこれに添える絵は、平成17年、平成19年の場合は辻善衛氏、
平成27年については渡部明美氏が担当された とのこと。
この歌の作詞者は、三重県鈴鹿市石薬師町出身の歌人・国文学者の佐佐木信綱という人。
信綱は、明治5年(1872)に生まれ、明治10年まで石薬師にいて、歌人だった父親の弘綱に
歌を学び、5歳で作詞を始めたという天才少年です。東京帝国大学文学部を卒業して、
明治29年(1896年)に冒頭の「夏は来ぬ」を作詞しています。
万葉集や歌学史を講じ、父親との共遍で「日本歌学全集(全12冊)」を刊行しました。
昭和12年には第1回文化勲章を受章しています。昭和38年(1963)に91歳で静岡県熱海市で
没するまで生涯に1万余首を作詞したといわれます。この中には、三重県立四日市高等学校、
東京・千代田区立麹町中学校、台東区立根岸小学校、筑波大学付属小学校、神奈川県の
清泉女学院中学高等学校、清泉小学校などの校歌も作詞して、その名を残しています。
『東海道石薬師宿 信綱かるた道』歌碑立札配置案内図。
【 http://nobutsuna-karuta.org/karutamichi
】より転載
そして佐佐木信綱の歌碑の書かれた立て札を順番にカメラ撮影しました。
それら4枚を下記のごとく纏めて、掲載させていただきます。
順番は上段左から右に、そして下段左に順番に。



































藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.14
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.13
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