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旧飯田家住宅
」👈リンクは、「佃喜八」という屋号をもつ日本橋魚市場の魚問屋の併用住宅
として大正9年(1920)頃に建築されました。佃島の「中通り」に面して建つ2階建の出桁造
(だしげたづくり)町家で、魚問屋らしく北側に生け簀(いけす)と手押しポンプの井戸を配した
広い土間をもち、南側には住宅への玄関を独立して設けていることが特徴です。土間の入口
の鴨居には、商家のステータスとなる背の高い人見梁(ひとみばり)を用い、大八車が
入りやすいように敷居が外れるようになっています。
また2階には榁(むろ)の変木を用いた数寄屋風の続き間座敷があり、昭和のはじめには、
東京宝塚劇場の開設にあわせて阪急電鉄社長の小林一三(こばやしいちぞう)が滞在したとも
伝えられています。
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