JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.02.20
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カテゴリ: JINさんの農園
「日帰り温泉 こごめの湯」の前にあったのが「 月夜広場 」。
公共トイレの先に「御堂」があった。



「万葉公園」マップ


「イチョウの大木」。



再び「月夜広場」に戻る。



廻り込むとあった 三方がガラス戸の 神輿蔵 」。




湯河原の祭り「湯かけ祭り」に担がれるのでしょうか、横の社殿(神輿蔵)には小さな神輿、
温泉街らしく墫神輿も安置されていた。



「神輿蔵」前に立っていた 「養生園」碑



養生園の碑
明治38年、日本海海戦でロシアのバルティック艦隊に完勝しその名を世界に知られた
東郷平八郎は、帰国後、湯河原の大倉孫兵衛の別荘に滞在し、温泉療養をしながら別莊の庭園
「養生園」で英気を養いました。
東郷は、養生園について漢文で次のような感謝の意を表し、孫兵衛に残しました。
  大倉翁孫兵衛自ら資を投じて、此の仙境を開き、衆と之を楽しむ。
  余既に園の風勝を愛し、今又翁之人となりの淡雅なるを喜び、
  遂に筆を抽きて之の為に記す。
石碑上部の横書きの「養生園」の文字は東郷の真筆を刻し、本文は高千穂学園教官・丹所啓行の
書による楷書体を刻しています。」



そして「 太子堂 」。
日本文化興隆の祖・聖徳太子の遺蹟を敬慕して昭和35年(1960)建立された
六角形の「太子堂」。



太子堂建造の由来
聖徳太子は用明天皇の第二皇子として五七四年にご誕生になりました。

理想郷に居住していた作家・山本有三氏撰文の「太子堂建造の由来」碑。



太子堂 」。



「公園寄附」碑



その左の祠には常夜燈、延宝8年(1680)造立、一面4臂・邪鬼・三猿が陽刻された




一面4臂・邪鬼・三猿が陽刻された庚申供養塔。



「万葉公園」の「千歳川」の清き流れ。



狸福神社(りふくじんじゃ) 」には5つ連なった 赤い朱の鳥居 が並ぶ。



狸福神社の由来
山間の地、この湯河原に一匹の雄狸が居りました。
ある日の事、土地の人が狩猟の弓で狸を傷つけてしまいました。
雄狸は山間を流れる河原に湯の湧き出る所を見つけ、傷を癒していると、同じように足に
火傷を負った雌狸が浸かりにやって来ました。
ニ匹の狸は来る日も来る日も傷を癒しに通ううちに、恋仲になり、やがて傷も治り、晴れて
夫婦となりました。
ニ匹はこの湯のご恩を忘れる事なく、人に化けては湯河原の温泉のすばらしさを説き、
旅人の願を叶え、福をもたらす神の使いとなり、今でも湯を守り続けて居ます。」


社殿前には多くのお賽銭が。



狸の石仏が迎えてくれた。
社殿の右側。



右手前にも。



左にも。



「千歳川」の清き流れを再び追う。





「文学の小径」碑



声かけて ほしい椿の 蒼蕾  梅門
作者・金尾梅門は湯河原温泉をこよなく愛し、湯河原温泉の椿まつりには毎年来ていたといわれ、
この句もその時に作ったものとのこと。



「散歩随意」碑。



碑の上部に ゆび指し の姿と、下に「 散歩随意 」(ご自由に散歩してください)と。



散歩随意の碑
明治時代、このあたりは実業家大倉孫兵衛・和親親子が別荘を構え、その庭園がありました。
日清・日露戦争のとき、陸軍省が湯河原温泉を負傷軍人の温泉療養地に指定、当時の温泉旅館が
分担して将兵を引き受けました。孫兵衛は別荘の庭園を散歩用に開放し、養生園と呼ばれました。
このとき和親が案内用に藤木川沿いにこの石碑を建立したとされています。
以川登天毛(いつとても) 春可勢た江ぬ(はるかぜたえぬ) こ能さと耳(このさとに)
遊飛転(あそびて)  幾ミ可(きみが)  与波比(よはひ)  延ふへ之(のふへし) 

当時は、現在の万葉橋より川上に大倉別荘用の橋があり、その橋を渡る手前の道路側に石碑が
建立されましたが、昭和30年に町立万葉公園となるとき現在の地に移設されました。」

【寒い季節でも、春のような暖かいこの湯河原に、静養に来ているあなたは 
きっと長生きするでしょう】
と。



そして最奥にあった「 独歩の湯 」に向かって進む。
独歩の碑 」。
万葉公園の奥に進むと、国木田独歩の著書「湯河原ゆき」の最末尾の一節
「湯河原の渓谷に向かった時は、
   さながら雲深く分け入る思があった  独歩 」の碑。



「独歩の碑
この碑は、明治の詩人・小説家の国木田独歩の著書『湯ケ原ゆき』の最末尾の一節です。
湯ケ原の渓谷に向かった時は、
 さながら霧深く分け入る思があった  独歩
独歩は薄幸な人と言われますが、その人生に一点の光明を点じるのが 3回に及ぶ
河原温泉保養の旅(明治後期)です。ここでの体験に基づく短編小説には、「湯河原より」、
「恋を恋する人」、「湯河原ゆき」、「都の友へ、B生より」などがあり、共に明るく温かい
ロマンがあります。
理由として、自然愛の深い独歩が敬愛した英国の詩人ワーズワースの詩の世界に湯河原渓谷が
酷似していたこと、独歩の定宿の女性たちの情をこめた応対などが考えられます」



更に進む。



独歩の湯 」案内。



「独歩の湯」の園内は(ちょっと写真ではわかりにくいですが)日本列島をイメージして
つくられているとのこと。



「独歩の湯」案内図。
「独歩の湯」は足湯を楽しむことができる施設で、様々な効能がある9個の足湯を楽しむことが
できるのであった。



現実の門 」。



皮口(ひこう)の泉 」は、肌の若返り、口に関する事に効果がある と。



「平静の泉」は、心穏やかになる泉 と。



風呂桶の滝
敷地にある大きな樽からお湯がこんこんと。



そして来た道を引き返す。
左手奥にあったのが「熊野神社(くまのじんじゃ)」
紀伊からの勧請といわれているが、時代は不明である。
湯の守護神、健康の守護神 として 別称「湯権現」 と呼ばれている。
5月の第4土・日曜日には「熊野神社例大祭」が「湯かけまつり」とあわせて開催される to。
御祭神
 天照皇大神 ( あまてらすすめおおみかみ )、
 伊弉諾神 ( いざなぎのかみ )、
 伊弉冊神 ( いざなみのかみ )



扁額「熊野神社」。



清き流れと紅葉を楽しみながら「万葉公園」の遊歩道を進む。





前方左手に休憩小屋が見えた。



ライトアップされた美しい壺が置かれていた。



そして前方・美しい紅葉の下に滝が見えた。



「玄関テラス」下を滝に向かって進む。



案内板。



惣湯テラス
」。



正面に2段の滝が現れた。



滝を様々な方向からカメラに。















観光会館脇の階段が万葉公園・独歩の湯の正式な?入口なのであった。



そして 観光会館脇の入口の近くに、もう一つ入口があり、こちらからも万葉公園に
入れるのであった。




歌碑 」。




万葉歌碑

湯河原温泉を詠った歌と言われています(詠み人知らず)。

足柄(あしがり)の 土肥(とひ)の河内(かふち)に 出(い)づる湯の 
世にもたよらに 児ろが言はなくに


あの娘は私との関係を不安げには言わななかったのに心配で……と、揺れる男の恋心を
深い消えゆく湯けむりに托して詠んだ景情一体の見事な恋歌です。 

(注釈:  「足柄(あしがり)」はアシガラの訛り。「土肥(とひ)」は、今の真鶴・湯河原の辺り。
    「湯」は、湯河原温泉。「河内(かふち)」は河淵。「世にも」は、断ジテ。
    「たよら」は、タユラと同じで、ユラユラと定まらない意。「児ろ」の「ろ」は親愛の
     情を表す接尾語。「言はなくに」は、言フの未然+打消しのヌの未然+体言化する
     接尾語+接続助詞のニで、言ワナイノダガ。)




                               ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・​ つづく ​・・・







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Last updated  2024.02.20 07:25:12
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