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阿弥陀経から、法話とした。若い人がいる。今、世界の問題の元凶は、人間性の喪失と思う。そこで、共命の鳥の話をした。この鳥は、浄土で、説法をしている。でもこの鳥は、浄土に往生する以前は、そうではなく、いつも争っていた。なぜなら、この鳥は、胴体は一つ。頭は二つという架空の鳥であった。お互い、頭の羽根毛の美を争ったり、鳴き声を争ったりしていた。あるとき、一方の頭が、もう一方の頭を苦しめ亡き者にしょうとたくらんだ。密かに、毒の実を、「うまいぞ」といって食わした。相手は苦しみだしたが、毒は全体に回るので、自分のほうも毒が回ってどちらも死んでしまったという。そして、仏に救われたというのか、今は浄土で、こう説法しているという。「相手を損なう道は、自分を損なう道、相手を生かす道は、自分も生かされる道」となかなか面白いたとえだ。ここに仏教の、万物の相関関係そして支えあい、尊重しあう考え方が示されている。建築、食品、偽装は、自分も破滅する。周りを破滅させるだけではない。たとえ発覚しなくても自分の心、人格、精神、魂を損なっているではないか。自己中心な道は獣の道、互いに敬い助け合う道は人間の道。どこの世界でも、人間を失ったら、破綻が来るということ。自ら慙愧を持って言う。
2008.11.29
生活保護を受けている人の投稿を読んだ。生活保護者の場合、少しでも収入があれば、生活保護費は、その収入分が差し引かれる。自治体からの福祉的な給付金などについては、一定額までの収入を認定除外することもあるらしいが、これが認められるかどうか不確かのようだが、投稿者は、ぜひ、この度の定額給付金は、生活保護費から、差し引かないで欲しいと訴えている。尤もだと思う。こんな配慮を政府はすることさえ念頭に無かったのだろうか。とすれば、怠慢な政治ということになる。ただ、この定額給付金というのは、選挙目当てのばら撒きのようで、あとで消費税を上げてそれ以上に吸い取る詐欺のような感じがしている。
2008.11.26
小泉容疑者が出頭して逮捕された。彼の生い立ち、性向などが報道された。彼の闇を思い、又、彼の父や親族の人々の衝撃と苦悩を考える。保健所で、ペットを殺されたという。彼の孤独を思う。社会性の薄さを思う。周りの人も彼を疎んじたのか。優しさ思いやりが彼には一滴も注がれなかったのか。だから、いよいよ、人間不信になったのか。家族より誰より、ペットだけが親族だったのか。父へは10年も音信不通だったという。親子の縁も薄かったのだろう。大学まで行っている人だ。プライドと、劣等感と、人間不信などから、屈折し暴発したのか。逮捕された写真の顔を見て、彼の冷暗室の様な心を感じた。人間不信や劣等感、孤独感は世間への反抗となるのだろう。世間の幸せそうな日常への反感嫉妬もあったかもしれない。私の心の一面でもある。彼はもう一人の私でもある。彼はいつの日に、優しい自分を回復するのだろうか。彼を更生させる教誨師や、刑務官の真剣勝負の大変さを思う。又、彼の父や親族の悲痛を思う。この衝撃を超えてなお、前向きに歩んでゆかれねばならない。ご苦労を思う。願わくは、共によりよき自己と社会の創造へのより確かな自覚を思うのだが・・・。
2008.11.24
病院にお見舞いにいった。眠っておられたので、他にどなたが入院しておられるか部屋の前の入院患者の名前を見て歩いた。知人があれば声をかけようと思った。案の定、二人の知人に会った。少しでもお見舞いの中で、お互いに、人間として、苦悩の中にも、ともに、人間を高め、深め、前向きに、どんなことがあっても生きてゆこうというようなことを共感したいという思いではある。しかし、会話は、とりとめのないもので、そんな共感というところには行かない。説教ではない。高みのお仕着せでもない。自然な共感を得たいのだ。しかし、どうでもよさそうな話で終わる。それでもいいのか。かえって迷惑だったのかもしれない。ともかく、こちらに、真実なるものの熱も意欲も自覚も薄いからであろう。義務感では駄目だ。それはうそだ。三人のお見舞いに電池切れだ。放電して、充電できていない。そんな体たらく。もうあと何人かお見舞いをと思ったが、エネルギーが沸いてこない。達人は、人と出会って、自然体で、そよ風のように相対し、どちらも気持ちが豊かに生きる意欲が充実し、いよいよ充電でき、疲れるということが無いとなるべきだろうに。どこまで人間的力量が高め深められるか、一生の課題だ。
2008.11.23
又、門徒さんの葬式を勤めた。一体なん十回の葬儀を勤めたのか。しかし、その葬儀の法話で、何を訴えたのか。死ということ、生きるということ、別れてもいつも一緒であることなどをいつも語っている。しかし、語る私も、聞かれる人も本当に実感して、ともに生きるエネルギーを得ているだろうか。いや、まだ観念論なのだ。こうして自分を反省している。真実とは簡潔なものではないかと思う。阿弥陀様とか浄土とか本願とか教義はあるがその本質は理屈ではない。そこからの命の深い感動だ。南米だったか、先住民の人が、幸せとはなんですかという文明人からの問いに、「そういう言葉はありませんが、ただみんなに食べるものがあって、みんなが仲良いことです」と語ったという話を聴いた。「オーそうだ。それこそ真実」と思った。又、末期がんになった井村さんという医師が、自分の二人の子へ書いた遺書のことをブログで見た。このブログは、私が色々参考に学ばしてもらっている、野口嘉則さんのブログで、2005年11月15日のブログである。野口さんのブログは、http://coaching.livedoor.biz/である。それは「思いやりのある子に育ってほしい。 思いやりのある子とは、まわりの人が悲しんでいれば共に悲しみ、 喜んでいれば、いっしょに喜べる人のことだ。 思いやりのある子は、まわりの人を幸せにする。 まわりの人を幸せにする子は、まわりの人々によって、 もっともっと幸せにされる、世界で一番幸せな人だ。 だから、思いやりのある子に育ってほしい。 それが私の祈りだ。 私はあと、いくらもそばにいてあげることができない。 だから、おまえたちが倒れても手を貸してあげることができない。 お前たちは倒れても自分の力で立ち上がるんだ。 お前たちがいつまでも、いつまでも、幸せでありますように。 父より」あー、そうだと思う。ここにこそ、簡潔な真実というものが示されてあると思う。こういう命の真実を伝え、私も共感すべきだったのだ。これが伝わらない限り、葬儀でも、法事でも、法話でも、しょせんはない。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.22
オーッつ、なぜだと思った。というのは、警察白書をみても、最近は、犯罪全体が低下しているからである。実は、実際の警察白書とは違って、犯罪は凶悪犯罪も含め増大していると勘違いしていた。この勘違いは、ニュース報道で、犯罪が多いに違いないと思い込んでいたのだ。実際は、警察白書のとおり、最近は犯罪は低下しているのが事実だ。ところが、小中高生では、実際に過去最多の暴力という。このことは、いかに、学校というところが、生徒を追い込んでいて、子供たちが精神的に圧迫され、それが暴発しているのではないかと思える。世界で、日本の子供の学力が低下しているということで、文部科学省は、学力アップということで、全国学力調査などで、現場の先生も圧力を受け、学力向上最優先でゆとりが無くなり、先生もそのために忙殺され、子供に向き合う時間が無いとも聞く。管理職の上意下達で、今までのような先生同士の協議ということがなくなっているとも聞く。そんな先生同士でも連帯が薄れ、ただ、学力向上に向けて締め付けられるようでは、その鬱憤が子供たちにたまり、暴力発散となっているのではないか。先生も生徒も、余裕の無さで、人間性が荒廃しているのではないか。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.21
社会保険庁の膨大ずさんな事務ミスや不正、毒入り米騒動他食品不正への管理責任などへの反感か。更に、貧富の格差の増大、生活不安、孤独、劣等感、世間へのイライラ、不満、鬱憤というものもたまっていたのか。批判は当然としても、テロで殺傷というその非道を思う。連れ合いの婦人には罪は無いはず。アメリカのケネディー大統領もテロに遭った。今度のオバマ大統領もテロの危険があるという。テロリストという人たちの、人間性の荒廃、人格の屈折、破綻を考える。テロリストを生み出す、社会、政治の貧困を思う。その元の、宗教、教育他精神文化の不毛を思う。死者には ただ、お気の毒でならない。被害婦人、被害者の家族の救いを、そしてテロリストはいかにして救われるかを思う。被害婦人は、恨みの中にありながらも、至難ながら、なお、犯人へのいとしみが生まれて来てこそではないだろうか。テロリストは、やはり自ら、人間としての、まことの慙愧が生まれぬ限り、救いは無いのだろう。加害者も、被害者も、人間誰しも、人間性の原理に覚醒し、自己と世界の最高の創造に向かって生きてゆこうとする人生に対する姿勢が確かに成立しない限り、救いは無いということか。おぼつかない私を思う。どんなに心の破綻し、屈折した人であっても、その人に、人間性を回復せしめられるほどの人間的力量の深まりをはるかに憧れる。 in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.20
円高、株暴落で、輸出企業が利益を減少させているという。ことに、トヨタ、など車企業の売り上げ減少で、非正規雇用者を首切りという。まさしく、非正規社員は経済の動向いかんによる、調節弁ということだ。景気がよければ雇い、景気が悪くなれば首を切る。雇うのも首を切るのも自由ということだ。非正規社員の不遇。今労働者の約30%が非正規という。労働者派遣法が決まってからだ。これは、世界大競争のための、大企業などの策ということだろう。派遣会社が出来れば、企業の人事採用の手間が省け、人事課の職員を減らすことが出来るのも企業の合理化ということか。正規の職員は責任を担う職務につかせて遇する。しかし、単純労働者のような立場の労働者は、派遣会社から雇う。人件費が安上がりだから。というのは、有能な人間は、報酬も、生活も高くてよいが、そうでないものは、報酬少なく、したがって、生活も低くてよいというような考え方が元にある。規制緩和だとか、合理化というが、それは、人間らしい、あたたかい、おもいやりのある考え方とはいえない。世界中がそうなったようだ。そこに、不満がたまり、暴発もするし、様々な社会問題の元凶があるのではないか。競争は自然であろう。でも、フェアな競争でありたい。人間を道具化し、序列で差別することなく、人間として尊重するということを忘れたくない。この不景気で、たくさんな首切り、失業者が増えるのだろう。傍観者であることを恥じる。社会主義であれ、資本主義であれ、人間としてのやさしさ、思いやりを失いたくない。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.08
7日の朝日新聞に、アメリカ・カリフォルニア州の住民投票で、過半数が、同性愛結婚に反対したという。反対52,5%、賛成47,5%だ。州の最高裁では、同性愛結婚は認められていたのにである。すでに、カリフォルニア州では、同性愛結婚者が一万八千組あるという。こんなにもあるのかと認識を新たにした。最近インターセックスといって、生まれながら、体に、男性と女性の性を両方持つ人が有るということを、改めて思った。当事者の人々の苦悩ははかり得ない。天のいたずらというのか。天の過ちというのか。創造神というものがいるのなら、その創造責任ということを問いただしたくなる。同性愛者という人たちにしてもそうだ。一般的に、生殖は、異性同士の結びつきによる。ところが、同性愛者は、異性に関心が持てず、同性に性的に惹かれるという。これも、天のいたずら、天の過ちか。神がいるなら、創造責任を問いただしたい。同性愛者の人々の苦悩も聞いた。最近、カミングアウトされるほどに、理解が高まったかと思う。同性愛の当人同士にとってみれば、異性愛と同じ恋愛心情であろう。恋愛は理屈ではないはず。本人同士の親愛の情は、他者がとやかく言えないはず。尊重したい。一般的な、異性愛から言えば、不自然といえようとも、心情は、尊重したい。私は、第三者の観念論かもしれない。もし、私の親族に同性愛者がいたとして、結婚願望があるなら、認めたい。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.07
オバマに敗れたマケイン。マケイン陣営のニュースがあった。マケインは、支持者に、「オバマに電話で、お祝いをした」というようなことを言うと、支持者は、ブーブーとブーイングをした。わからんではないが、負けたものは、即座に勝った相手に電話することになっているのかどうか。マケインは、その支持者たちのブーイングを静め、オバマをアメリカ大統領として応援するというようなことを言った。ブーイングはなりを潜めた感あり。朝日の6日のニュースでは、マケインはオバマに電話で「これは歴史的な選挙だ。オバマ氏は偉業を達成した。私は彼が国を率いるのを助けると誓う」と語ったとある。天晴れと思った。マケインは、内心は悔しいだろうが、こと決着がつけば、後は、よりよいアメリカのため、決して、オバマに追従、ということではなく、是々非々でともにアメリカのよりよい進展に力を尽くすというメッセージだと思う。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.06
オバマ大統領が決まった。今までのアメリカ式グローバリズムが転換されて、貧富の格差が緩和されることを望む。彼の生い立ちの苦労が、政治にそして、冷えたアメリカ社会をあたたかい人間の血の通った社会にしてくれることを望む。演説で、(どんなに意見などが違った異質の人であっってもその人を尊重するということをモットーとし、こういう考え方が大きくアメリカに広がって欲しい)というようなことを言っていた。感動した。今後、どのようにアメリカが変わるか見ものである。演説は何か格調高かったような気がする。日本の小泉、安倍、福田、麻生総理には人類普遍的な格調高さが感じられなかったと思う。マスコミは、黒人大統領などと強調するが、アメリカでは、黒人扱いかもしれないが、事実は、白人黒人混血系アメリカ人というのが正解ではないか。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.05
浄土は往くのか?還るのか?。どちらでもいいと思う。浄土の本質は真実。真実とは、究極の無我・慈悲・利他・布施の世界。これは、目標とすれば高いところにあるといえる。しかし、命の深い願いともいえるし、そうなれば命の本質・命の真実とも言え、命の深い底にあるともいえる。浄土は、経典作者の象徴的表現。つまり、真実の象徴表現。往くべき世界。又還るべき世界とも言える。親鸞さんは、往生といって浄土に往くといい、又、法性の都にかえるとも言った。真実、それは願いの故郷。命の故郷。人間には、でも、真実への願いと同時に、相反する、自己中心な欲望もある。どちらも命の両本質だ。でも、動物性の本質なら、自己中心性かもしれないが、人間性の本質なら、真実への願いといえる。だから、真実は命の本質といったが、つきつめれば、人間性としての命の本質ということ。だから、浄土は往くべき世界とも言えるし、還るべき世界とも言える。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.04
本日の朝日新聞による。他母神氏は、航空幕僚長に就任して、空自の隊内誌、(鵬友)の去年5月号に掲載された文に、「日本人としての誇りを持とう」と題し、「戦後教育の中で、わが国の歴史と伝統はひどい無実の罪を着せられてきた。その代表的なものが、日本は朝鮮半島や中国を侵略し残虐の限りを尽くしたというものである」とし、「ウソ、捏造の類であると証明されているが、多くの日本国民はそれを事実として刷り込まれている観がある」と書いたようだ。こういう考え方の人は、日本のかつての戦争を悪く言いたくない人たちで、教科書もかつての戦争を悪く言わない、新しい教科書を作ろうという人たちと連動していると思う。だがしかし、一応の政府見解としては、敗戦50年、村山談話にあるように、かつての戦争を公式に謝罪している。これはその後の総理大臣に受け継がれている。政府の公式見解といえる。しかし、他母神氏の見解は、この政府見解に反している。こういう見解を持つ人を航空自衛隊のトップに置く、防衛省にも責任があるとおもう。他母神氏はどうして、このような見解を持つにいたったのかと思う。個人としてはどういう考え方を持つかは自由である。しかし、公務員の上級幹部として、政府見解に反する考え方の人は、幹部に登用されてはならんだろう。遅きに失したとはいえ、更迭されたのは当然であろう。しかし、最近の小泉、安倍、麻生総理にしても、村山談話を踏襲しているとはいえ、どこまで本気かと思う。それは、政治家のみならず、多くの国民、市民もである。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.03
9条の会事務局長・小森陽一さんの講演を聞いた。500人以上の参加のようだ。民主党の小沢一郎は、アメリカの軍事戦略に日本も加わることを推進してきた人であるから、一番要注意人物であるとの考えが伝わってきた。アンケートで護憲派が改憲派を上回っていることに、全国7000からの9条の会が立ち上がっているということが、その推進力との事。中曽根元総理が、この草の根の護憲9条の動きに対して、改憲・草の根運動をするといっていた。その中に、民主党の鳩山議員がいることを考えねばならぬ。確かに、自民党との連立を働きかけたのも小沢一郎だった。小沢は、国連のお墨付きを得るなら、自衛隊は武力行使できるという考えだ。小沢は、9条の改憲、アメリカの戦略と一体化をづーっと狙っている政治家だったのか。読売のアンケートで、15年ぶりに、護憲派が改憲派を上回ったという。その15年前は、小沢は、当時自民党員で、アメリカから、自衛隊が海外派兵できるために明文改憲をと願われ、それに応えようと自民党を割って出て、政界再編し、細川連立政権が誕生し、55年体制が崩壊した年だったという。元は、湾岸戦争のとき、日本は、金は出したが、血と汗を流していないという批判で、日本の、武力貢献が取りざたされたことから始まる。そのときの海部総理のとき、自民党幹事長だったのが小沢。こうしてみると、小沢の元からの考えが、戦争の出来る日本の政治体制ということかと思う。今度行われる総選挙で、民主党にやらせてみても、小沢に幻想は抱かれぬ。眉唾物ということか。こんなことを講演で感じた。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.02
浄土真宗遺族会代表・菅原龍憲さんらが、2年前、靖国神社と国を相手取って、自分の戦死した父親の合祀取下げの訴訟を起こしている。菅原さんの場合、住職であった父親は、南方で戦死された。その父親は、戦後、靖国神社に神、命として合祀された。菅原さんは、今まで何度も、父親が神格扱いされ、讃えられていて、戦死を崇高なものとされる考え方に利用されているような現状に、忌避感を持たれ、合祀取下げを申し入れてこられた。ところが、靖国神社は、いったん祀ったものは取り下げられない、こちらにも祀る自由があると取り下げ拒否。ついに訴訟となった。靖国神社は今も、戦争を謝罪する神社ではなく、戦死をあがめる思想である。そして、今後も、国のために命をささげ、戦死することを名誉とする考え方を推進する役目を果たしている。つまりは、英霊と讃えられる、戦死者は、今後の戦争に精神的な推進力となるということでもある。戦死者は、侵略された、アジア諸国にとっては、加害者であり、国家によって死地に赴かされた戦死者は、国家によって讃えられるべきでなく、本当は国家によって、謝罪されるべきはずのものと考える。戦死をたたえられることに忌避観を持ち、靖国神社の国家神道思想に相容れない、考え方の遺族が訴訟を起こされた。靖国神社としては今までの伝統から、取り下げられないというのであろうが、ことは、取り下げないということで、大事な思想信条・個的心情を侵害しているということではないか。そこのところを靖国神社はわかってもらわねばと思う。戦前は、靖国神社は、国家の神社であった。戦後、政教分離で、国家から離れ、靖国神社は宗教法人になった。しかし、合祀において、国が合祀に関与していることがあり、政教分離違反として、国の責任も問うている。靖国神社から、戦死者の名簿を調べさせて欲しいという依頼があれば、閲覧に供することは国として、拒否するまでのことは無いと思う。しかし、国のほうから、積極的に靖国神社に英霊として神格化し、靖国神社の合祀に関与したとすれば憲法違反・政教分離違反といえる。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.11.01
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