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今日の朝日新聞記事。派遣打ち切りと退寮で絶望の中、東尋坊で自殺しょうとした人の記事。彼は30代、千葉出身の男性。5年前弟が事故死。残された弟の妻と子供に毎月15万円の仕送り。今春、子供が小学校入学し、仕送りはやめた。生活のたくわえは全く無かった。やがてネットカフェ暮らし。そこで、財布を盗まれ、支払い出来ず無銭飲食で警察に突き出される。同じ頃、親友が派遣契約を打ち切られた。連絡が取れず、実家に連絡すると「死んだ」と返事。理由を聞くと遺族は泣き出した。心に穴が開き「死んだほうが楽かもしれない」と東尋坊へ。在来線を二日乗り継いで福井駅へ。途中、白紙の履歴書に、両親宛の遺書を書いた。「親父おふくろ本当にごめん。仕事も探したけど何をやってもうまく行かなかった。これ以上は無理・・・・」等と。駅から30キロ、夜どうし歩いた。作業着にジャンパー姿、お金は300円だけ。死に場所を探していて、朝焼けに映える海の美しさに息を呑んだ。自殺をためらって体を休めていた時、地元で自殺を思いとどまらせる活動者に声をかけられた。「もう大丈夫、世話してやるから安心しなさい」の一言に相談所で泣き崩れた。「助けてもらった恩返しをしたい」と明日への希望を語った。彼は、今まで、人生に何を求めてきたのだろう?漠然とした、いわゆる幸せを求めてきたのだろう。自覚的にあえて、求める確かな何かは無かったのだろうか。もし、仮に、彼に、「どんなことがあっても、最後まで、終世、真実の自己と真実の世界の実現を求めて生きてゆくぞ」というようなものが、彼の信念として、自覚的に成立していたならと思う。それでもなお、過酷な現実に打ちのめされて、死を選ぶのだろうか。とにかく、「たとえ、孤独な、末期癌の死の寸前であっても、思いやりや、やさしさや、あたたかさの注げる自分であり続けたい。そして、そういう、思いやりや、やさしさや、あたたかさのある人間関係、国家、社会の実現のために生き続けていたい。何があっても、何にも無くても、これを一生忘れずに生きてゆきたい」という自覚、態度、姿勢が確立していてもなお、苦悩が勝てば、苦悩、苦痛ゆえに自殺はするものなのかと思う。又、誰かへの思いやり、やさしさゆえにこそ、自殺を選ぶということもありうるだろうかと思う。
2008.12.25
葬式の当家に、忌中と張り紙があった。別に何も張る必要は無いはず。昔の習俗の名残だろう。昔は、(死)を忌み嫌っていて、忌中の家に近づいたり、そこの人と接すると穢れが移るという迷信から来ていると思える。昔は、服忌令という決まりがあったようで、女は男より、忌み謹慎する時期が長いという資料を見たことがある。今の時代、わざわざ張り紙をして葬式を出した家ですと知らせる必要は無いと思う。ここ浄土真宗の土地では、この忌中という迷信性から、(還淨)という張り紙に変える動きがある。読んで字の如し、浄土に還ったということである。張る必要も無いが、張るとすれば、忌中よりいいということだ。浄土とは、無我、慈悲、利他、布施といったものの場所的象徴表現といえる。ついでに、仏とは、無我、慈悲、利他、布施といったものの人格的象徴表現といえる。浄土とは、真実の理想郷とも言えるし、真実の故郷ともいえる。還るべき、往くべき、踏まえるべき世界だ。真宗の教義で、浄土に還り、仏となってすぐさま、この世の自我、冷酷、利己、収奪の世界に還り来たって、みんなの過ちを導き続けるというものがある。自利即利他ということの象徴的表現だ。このことを感じる表現が(還淨)といえる。私は、(忌)を使わない。だから、三回忌・七回忌といわず、三周会、七周会と言い換えている。
2008.12.19
バスの運転手の上に、どこかの神社のお守りが取り付けてある。文字は、交通安全御守護だったか。公営バスなら、抗議するのだが、市営バスだから抗議したいが黙認している。今の科学時代に、迷信じみている。運転手さんに、「こんなことに金をつぎ込まずに、賃金上げてくれたらいいのにね。」「労働組合にでも言ったら?」と言って見た。運転手も、会社のつけるものだからといっていたが、どう思っているのだろう。マスコットだという人もあろうが、それにしてもと思う。
2008.12.17
日本に住む外国人が、日本国籍を取ろうと取るまいと、本来、自由であろう。外国人が永住の意思を持っている時、当然、同じ仲間として、自然に国籍が与えられてもよいのではないか。又、永住でなくとも、3年か5年か、日本に住めば、日本国籍が与えられるようになってもよいと思うのだ。自分の生まれた国の国籍と、永住する国の国籍と二重国籍を認めてもよいのではないか。もちろん、当人がいらないとする自由もある。今まで、ことに、永住外国人に選挙権としての、政治社会参加の権利を与えなかったというのは、人権侵害といえるのではないか。外国人も、永住であろうと無かろうと、税金は同等に払っているのだから。国籍をとらなければ、権利を与えないというのは、おかしいと思う。国籍を持とうと、持つまいと、この国家社会にともに生きている、義務も、権利も同等な同朋と見る視点を持ちたいものだ。今は、地方の選挙権を与えるという論議だが、上記の論から、国政選挙も与えられるべきだと思う。当人が、選挙権を拒否する自由も当然認められる。
2008.12.12
9日、朝日新聞によると、元大阪空襲被害者の人たちが国に謝罪と賠償を訴えた。そうだ。軍関係者だけが国家賠償を受けるのみならず、一般国民、戦時被害者も国家賠償を受けるべきだろう。どちらも、侵略戦争という、誤った国策の被害者である。イヤ、本当は、日本の戦争によって、被害を受けたアジア諸国の戦争被害者にこそ。それは戦後、政治決着で、賠償責任は問わないということだったというが・・・・。更には、米英他、対戦被害者にも加害責任を思う。国の罪責、民族の罪責ということを思う。古代から、朝鮮半島を侵略して来た。アイヌの人を蝦夷といって迫害してきた。徳川は、北海道のアイヌの人々を支配し、明治政府は、同化政策でアイヌの人々の権利、人権、文化を奪った。やっと今年、形だけ、アイヌの人を日本の先住民族と認定した。賠償にはすすんでいない。琉球王朝は、島津に侵略され、明治政府に統括され、戦後は、アメリカ支配を受け、今、米軍基地として提供させられている。アメリカは、原子爆弾を投下した。アフリカの黒人を奴隷化した。たいてい、どこの国も、どの民族も、国内でも、国外でも罪を犯してきたと思う。そのことを忘れず、隠さず、真摯に向き合い、人間として誠実性を回復したいと思う。観念論を恥じる。
2008.12.09
8日の朝日新聞「ひと」欄に、トーマス・バーゲンソールという戦時中、ナチスの収容所、アウシュビッツを生き抜いた国際裁判官が紹介された。1944年、10歳のとき、アウシュビッツへ送られた。両親と引き裂かれる。ガス室の恐怖などを体験。周囲が次々と命を落とす。自身、凍傷で足の指2本失う。母親とは再会できたが、父親は処刑死。収容所では、人を撃ち殺し、銃剣で赤ん坊を刺し、収容者も仲間を裏切る。なぜ人間が悪魔になるのか今もわからないという。それでも悲観しないという。あんな状態でも、気高く生きる人々はいたという。ここに感動する。自分も、そう在りたいとは思う。でも保身ゆえに、卑劣な振る舞いをしでかすかもしれない。彼は、残虐性は人間の本性ではなく、阻むことは出来ると信じるという。彼のどの報告書でも、(非人間的)という言葉は使わなかったという。それは、人間は本来、よいことをするものだという考えが前提だからという。この人は、性善説なのだろう。その反対に、性悪説がある。しかし、人間は、性悪と性善と両方を持つ存在と考えたい。100%の悪人もいなければ、100%の善人もいない。ただ、悪縁によって、悪に染まり、善縁によって善に染まるのではないか。一生、より質の高い善縁にふれ続けたいものだ。
2008.12.08
浄土真宗の学習会で、ある門徒さんが、「浄土真宗を一口で言えばどう言えばいいのか」と質問された。もっともな問いである。その人は、自分でも、まだ不確かな世界におられるのだろう。一人の僧侶が、阿弥陀さんの一人働きにおまかせというようなことを、勢い込んで言っていたが、どうも、自己満足の空回りのようだった。もう一人の僧侶は、「そんなに簡単に一発で、真宗を言い当てて、わかるようなもんではない」といった。これもどうかと思う。まず一口に言ってみればよいのだ。もう一人若い僧侶が言った。子供に、仏さんを説明するのに、先輩が『仏様は何事も、ひとごとにできないお方だ』と言ったといい、忘れられないという。そして、自己中心がぶち破られる世界だとも言い、戦争は、自己中心の最たるものというような説明で、これは伝わった。私も発言した。超越的な阿弥陀仏にお任せして安心するというのが大半だが、もう一つ、阿弥陀仏から、真実なるものにめざめ、反戦など、実践的な歩みの真宗ということを言った。そして、この両方を取り上げる人もあり、現代人に伝わる真宗ということで大きな課題だというようなことを言った。阿弥陀仏への実体信仰で、おまかせし、安心するという信仰を批判するところまでは言わなかった。本当は、『阿弥陀仏を実体的な実在として信仰し、お任せし、安心するというのは、時代遅れで、阿弥陀仏と象徴的に表現されたものから、真実なるものにめざめ、そこから、自己と社会の真実ならざることにめざめ、同時に、それゆえにこそ、真実の自己と社会の創造に向かって歩む教え』と言いたかったのだが、その結論までに、皆さんの論議を起こすべく、二つの真宗とその両方という事でとどめたが、それに誰も論議を続けず、論議は終わった。でもここが、肝心要の天下分け目の関が原のように思うのだ。
2008.12.02
私は行ったことが無いが、長野県の称名寺という寺の鐘撞き堂には、大きな石がぶら下げてある。だから石の鐘である。でも鳴らない。それは、戦時中、寺の仏具類まで戦争協力させられたその時、称名寺の有名であった鳴りのいい鐘も供出させられた。そのとき、屋根が飛んではいけないからと、石をぶら下げてある。もう戦争が済んだのだから、鐘を吊ったらという人もあったが、称名寺の住職は、世の中がほんとの平和にならない限り、鐘をつらない。づーっとそれまで石をぶら下げておくといわれる。敬服する。仏教も戦争と一体化した。戦争反対を信念を持って言った人はごくごく少数。当時私が生きていたらどうかと考える。そうだ、それは戦争であれ、死刑であれ、命を奪い、物を奪い、差別して、何が仏教というのだろう。だが現実のこの身は、恥ずかしいこと。いささかなりとも、ものを公平に分かち、殺さず、奪わず、差別せず、お互いに尊びあって生きられる人生と社会の創造に生きておきたいとは思う。
2008.12.01
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