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三原市・糸崎の憲徳寺報恩講法座を勤めた。親鸞様の御一生から学ぶものというテーマだった。最近、あーそーかーと思い至ることあり。それは真実なるものの納得というものは、知的了解もさることながら、感性で、感動するものでもあると思った次第。知的に納得するのも大事だが、感性で、涙が出るほどに感動するのももっと大事なのかも知れぬ。そこで、西洋人で、真宗僧侶になった人が、正信偈の中の、極重悪人唯称仏、我亦在彼摂取中、煩悩障眼雖不見、大悲無倦常照我というところに来ると、感極まって声に出して読めなくなるということを思い出し話した。キリスト教では、神に背くものは、最後の審判で、地獄へ落とされるということになっている。ところが、阿弥陀仏は、極重の悪人を捨てられない、救い取られるというところに感動されるのであろう。その感性に感動する。そして、親鸞聖人が、親鸞を殺しに来た、山伏を拒否しなかった世界を語った。親鸞聖人には、誰をも、いつかは、真実の眼を開いてもらえる人という人間への信頼があったということではないか。だから、親鸞を死刑から流罪にし、念仏弾圧を為し続けるものに対し、真を見る目のない悲しき人、真を聞く耳の閉ざされた悲しき人として、決して敵視に陥らず、いつくしみ、哀しみの心で相対されたというところに、大きく学べる世界があると、そのことを、自ら感動しつつ語った。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.31
今日の朝日新聞で、外国の人が善い資本主義・悪い資本主義ということを論じておられた。今日の新聞の中で、気に留めたことである。この人は社会主義がいいということは言っていなかったが、資本主義ならば、善いのと悪いものがあるというのだ。詳しい論述は忘れたが、私の感じでは、ただ、あくなき利潤追求のみで、公害も人権も不正もそっちのけでただ策略を弄し、戦争もいとわない、ただもうけることだけ、というようなものが悪い資本主義ということかと思った。それに対し、よい資本主義とは、他社を配慮し、フェアな競争で、企業スパイを送るとかいうこともなく、富を公平に分配しょうとし、企業倫理として、利潤を社会に還元しょうとし、職場でも、地位の違い、役職の違いはあっても、みんな一人の対等な人間として尊重され、みんな粗製乱造、手抜きということがなく、職務に、みんな誇りを持っているというような資本主義を目指そうとするのが、よい資本主義というのだろう。これは社会主義だって同じことだろうと思う。ともかく、やさしさ、思いやり、あたたかさの通い合うものであってこそと思う。なら、資本主義だろうが、社会主義だろうがどちらでもいいのではないかというような気がする。ある川漁の被差別部落の人たちは、取れた魚を、みんな平等に分けたということを聞いている。よく魚をとった人も取れなかった人も、みんなで集めて、公平に分けて、生活の格差がないようにしたあたたかい智慧を思う。又、荷受をする仕事の被差別部落の人は、体力のあるものも、無いものも、仕事量にかかわらず、賃金を分けたという。力のあるものは賃金高く、生活が豊かで、力の無いものは賃金少なく、生活は乏しいということを無くし、みんな生活に格差の無いようにしょうとしていたのだろう。こういう考えを大事にしたいと思うのだ。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.30
大峯顕という哲学専門の真宗僧侶の講義を聴いた。以下私の感想である。誤解も曲解もあるかもしれない。強調されるところは、人間の真実ならざる、そのものの悲歎ということの実感、慙愧ということ。それも、知識でなく、まさしく、実感としての、恥ずかしい、どうしょうもない自己の限界、悲しさ、偽善、見栄、体裁、打算、虚栄、おごり、高ぶり、闇、ドロドロしさという命の慙愧の実感そのものということ。理屈でない実感そのものということを受け止めた。そういうところにこそ、同時に、阿弥陀仏の、こんな私を救うという大きな慈悲を、これも知識ではなく、実感として、命が感動しているそこのところこそ、信心といわれるものということを学んだ。しかし、一般に、説く僧侶も、聞くものも、上っ面の知識あるいは理解というところで、実感も感動もなく、恥ずかしいとか、ありがたいという言葉で、わかったつもりになっているというところを、これは信心ではないということを、ことに強調されたと思う。阿弥陀仏や浄土をどこか外に眺め、信仰するとか、信じるとかいうが、そういうものに頼るとかおまかせするということではなく、自分の偽善、不実が問題になるところにうなずけてくるところこそ信心というものであることを強調される。信心とは、『知性』においては、阿弥陀仏や浄土に「あー真実とはこういうものなんだなーと目覚めるところ。同時に、自分や、人間社会は、自我の執着にどうしょうもなく絡められていて、全く、偽善・不実だなーとめざめ感じるところ。『感情』のところでは、こんな不実のものを、どんなことがあっても必ず、まことに仕上げる「成仏させる」というところに、アーありがたいなーと感じるところ。『意思』においては、とても仏のようなまねさえもできないが、少しでも、慈悲心というものの真似事でも出来ればなーと感じ、ささやかでも思いやりの心、やさしい心、温かい心を忘れないように、歩もうとするところと思う。まさしく、信心とは、単なる信仰ではなく、この『知性』『感情』意志』において、阿弥陀仏や浄土を通して、真実と虚仮不実とを実感してあゆめているそこのところといえる。質問で、自分は、阿弥陀仏の所在根拠を、西田幾多郎や大谷派の内在的考え方に同調するとの事を問うた。講師は、西田幾多郎が、超越的内在ではなく、内在的超越であるといわれたところ、つまり、阿弥陀仏は本来、外なるものではなく、内なるところに根拠を持つとの事に同調された。二元的・恩寵的・対象的・実体的おまかせ、あてたよりとするような信仰ではなく、自覚的、一元的、実践的信心こそ本来的、信心のありようであろう。でも、講師は、まだ二元的であった感あり。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.29
森さんは映画監督、ドキュメンタリー作家と紹介されている。オウム真理教広報担当者を被写体として社会とオウムの双方を取り続けたドキュメンタリー映画『A』の上映と講演であった。テーマは『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい』だ。以下は私の講演記憶である。多分に自分勝手な受け取りで、誤解や曲解もあるかもしれないが記述してみる。世間・マスコミが、オウムの麻原他幹部逮捕以後、オウムバッシングの状況の時、取材関係者の中では、森さんひとり、その後のオウムの施設に入り、映像やインタビューなど取材したという。その映像を、どこのテレビ局も採用してくれなかったという。それは森さんのオウム取材の内容が、オウムの非道性を暴くというようなオウムバッシングではなく、オウム広報担当者を実写しながら、彼の純朴さ、一途さ、普通さが現れているから、世間受けしなかったのだという。世間受けとは、オウムは、ひどい、いかがわしい、気味の悪い、恐ろしいもの達だという世間に作り出されたマスコミによるイメージに合致するものという。上映は、2時間以上だったか、森さんも、カメラを撮りながら、映画を作るというより、オウム青年の事実を撮り続けるというものだった。彼らは、彼らなりに、悟りとか解脱だとか、欲望を抑え、魂を浄化するようなことに一途なようである。森さんも言っていたが、彼らは、サリン事件や、坂本弁護士一家殺人事件や、それらの大事件には、それは事実であったことには違いないと気づいてはいるが、でも、なぜ、麻原他幹部がそういう重大事件を犯したのか、彼らの信じているオウムの教義や修行と犯罪の事実とがきちんと受容できぬもどかしさの中にいるように感じられた。森さんは、オウム事件・アメリカセンタービル爆破事件以来、世界中で、過剰危機意識、過剰監視、不安、仮想敵作り、先制攻撃、異色排除、いじめ、厳罰化、国民管理、統合化、などというものが顕著になったと語る。又、警察白書を見ると昨年が戦後殺人の一番少ない年で、少年犯罪もそうだという。しかし、国民は知らされていない。世間は、マスコミ報道による、殺人犯罪のニュース過剰で、国民は、戦後、殺人事件は上昇しているという思い込みになっているというのだ。だから、マスコミも、国民に出来上がった、戦後最悪の殺人数というような作られた、恐怖イメージに対して受けをねらうため、殺人事件も少年犯罪も戦後最低なのに、殺人事件や、少年犯罪が減少し、昨年は戦後最低犯罪数であるということを報道しないのだという。マスコミは多く、スポンサーに配慮し、営利優先で、大衆の意識レベルに迎合するものだというのだろう。国民大衆意識を作り上げてゆくマスコミの怖さも感じる。さて、森さんの結論として、人はみな善と悪の両面他多面性を持っていて、一面的なレッテル貼りや決め付け的なものの見方、対立的では、考え方が硬直し、その人、全体を受け止めることにはならない。人間が、善悪、正邪、敵味方、などと偏った、一面的な見方から解放されて行くと、そこは豊かな世界が広がり、やさしさが生まれてくるというようなものだった。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.28
山口県知事宛に原発反対運動のハガキを送った。『上関原発予定地の田ノ浦の浜を埋め立てないでください。稀少な貝や魚たちのいのちを育むこの海をなぜ埋め立てるのですか。この海域を漁場とする祝島の人たちは1銭の保証金も受け取っていません。こんな暴挙を許さないでください。原発・火電でない、クリーン発電を考えたいものです。』というもの。私は恥ずかしながら、形だけの脱原発運動しかしていない。命の底からの本気な運動になっていない。ほんのちょっと学んだ、理屈で言えば、原発の事故は多くの人が死に、被爆し、発ガンするということ。原発関連施設の周辺では、発ガン率が高いという。放射能は、生体に入ると次々に食物連鎖の中で濃縮されるという。それを人間が食べることになり、発癌化する。地震事故の懸念もある。活断層に近いところもあり、活断層の見つからないところでも、地震の懸念はあるという。テロリストによる攻撃も心配。高レベル廃棄物の完全処理も未完成。高レベル廃棄物のガラス固化体も永久ではない。いつか腐食するか、地下に埋めても、地殻変動で壊れて放射能が漏れる心配もある。下請け原発労働者は被爆しているという。高速増殖炉もんじゅの再開も心配。又、ナトリウム爆発をするのではないか。原発燃料を運ぶトラックの運転手も被爆しているという。そのトラックの止まるパーキングでも放射線量を測ると針が揺れるという。ウランとプルトニウムの混合燃料のMOX燃料によるプルサーマル方式も危険視されている。プルトニウムの半減期は2万4千年といい、半永久的だ。プルトニウムは核爆弾の原料にもなる。政府は、密かに、核武装を画策しているのではないか。つい2年前、元、自民党の中川昭一政調会長がそんなことを思わせる発言をしていた。麻生総理もかつて外相時代、核武装も考えの一つだというようなことを言っていた。トイレなきマンションと表現されている。プルトニウム、ウランの無毒化はまだ不可能で、低レベル廃棄物の詰めたドラム缶はたまり続け、高レベル廃棄物は、冷却プールで冷ましながら、ガラス固化体にしてもどうしょうもなく、たまり続けている。原発建設には莫大なお金がかかる。それは我々の電気代に上乗せされる。原発が古くなったら、解体費用もどれほどいるかわからない。放射能を無毒化できないのだから放射能を一応抑えるために厚いコンクリートでおそい、原発の墓があちこちに出来、その費用も電気料に上乗せさせられるという。こんな子孫に危険な付けを回す、原発は、縮小そして廃止へと進めたいと思う。クリーン発電もよいが、少欲知足の生活でもいいじゃないかと思う。ものを公平に分かちあい、殺さず、差別せず、助け合い、尊重しあって生きれるなら、原始生活でも結構だ。文明が進んでもよいが、それと共に、富の公平分配、生活格差のない、公平、平等で、戦争のない、武力を必要としない、平和な社会を建設することと同時進行でなければならない。そんなことを思うが故の私の脱原発理屈である。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.27
社会問題の学習会に参加。主催者は社会主義社会を目指す人たちだ。かつて、社会主義か?資本主義か?とろくに勉強もせず考えたことがある。今のところ、資本主義であれ、社会主義であれ、政治家も市民も、とにかく、人間性に基づいた、やさしさ、思いやり、あたたかさ、殺してはいけない、奪ってはいけないというものを生き方の基調に置く考え方が成立しないと、社会、国家はよくならないという思いだ。そうなれば、どちらの体制であっても、差別、死刑、戦争というものは排除するだろう。もし、資本主義の体制だとした時を考える。政治家も資本家も労働者も人間性を基調とするから、政治家は汚職をしないだろうし、資本家は、互恵の精神で、過当競争をせず、富を独占しないで、公平に分配し、社会に還元しょうとするから、格差の無い社会が現出するであろう。労働者は怠慢ということが無く、職務に誠実である事に喜びと誇りを感じるであろう。そして、製品は、粗製乱造でなく、上質なものを目指し、労使ともに、その生産に誇りを持つことになるであろう。社会主義の体制だとした時を考える。政権を得た権力は、同じく、人間性を基調とするから、腐敗することなく、常に、誠実と公平を大事にする社会作りに心がけるから、格差の無い社会が現出するであろう。市民も、怠惰ということなく誠実に職務に貢献し、みんな人間として誇りを持って生きられる社会が現出することになる。そういう考え方の人が多くなれば世の中変わるであろう。社会主義でなければとか、社会主義は駄目だ、資本主義でなければというものではないのではないかと考えてみる。だが、現実には、自分を内省しても、人間はドロドロしており、自己中心的な欲望に絡められるものだから、理想はわかっていても現実には、そうは行かないものであろう。でもそれでも、いやそれだからこそ、人間性を基調とする価値観を自他共により主体化させたいものと思う。社会主義を目指し、組合関係の人の多い学習会だからここまで意見は述べられなかったが・・・・。いや、まだ自信がなかったのだろう。-----Original Message-----From: [mail]Sent: Saturday, October 25, 2008 9:38 AMTo: ??????@hi.enjoy.ne.jpSubject: 25日の日記in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.25
生きる今日、知人との約束で飲んだ。少しでも、雑談の中にも、命の真実にふれて、あーそうだったかとお互いに、人間として生きるということ、それは、思いやりの心、優しい心、温かい心、他者を喜ばせて、自分も喜ぶといったことを共感しょうと思ったけれど、雑談で終わったかなー・・・。故・黒澤監督の『生きる』という映画を思い出す。するで無し、せんでなしの役所づとめの男が定年退職で、癌が発病何のための人生だったかと反省。そして、生きた証として、今までほおっておいた児童公園建設に一念発起、尽力した。やっと、完成した公園で、ブランコにゆれながら、『命短し、恋せよ乙女と』口ずさみながら息を引き取る。アーそうだ、幸せ、人生の充実は、他者のために何かを尽くして、自ら静かに喜びを感じるということ。しょせん偽善でしかないのだが、それでも・・・・・。ここに命の真実があるはず。でもわかっちゃいるけど・・・・・。だin_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.24
朝、蜂の死骸、カメムシの死骸を見つけた。つい 、ゴミのようにつまんで小川のほうに捨てた。おっと、今まで精一杯生きてきて命終えたのだった。ポイと捨てたのをすまなく思った。捨てた小川のほうに向かって合掌した。ゴミのように扱うところ、まさしく自分の徳を損なう振る舞いだ。考えてみれば、あの蜂やカメムシの臨終に、誰もそばにいて死を見取ってやるものはいなかったはずだ。たった一人で死んでいったのだ。ただ、生も死も命を自然にゆだねていたのだろう。蜂は蜂を生き、カメムシはカメムシを生きたのだ。私は私という個性の人間を生きてゆくのだろう。人間として生きるとは?今まで、なんとも思わず、虫の死骸をゴミのように捨てていた私。今朝、虫の死骸をぽいと捨てた後、気がついた自分の無神経さ、無慈悲さ。今、なんと、ブログを打つ私の手に生きているカメムシが止まった。昔はばい菌のごとく、毒虫のごとく嫌っていたが、最近いとしく思う。くさいにおいを出すのは、彼の本能。私も家族に無遠慮に屁をこいているではないか。命をいつくしむ、そこに人間として、徳を積み人間になってゆく原点があるはず。カメムシが手の甲をはいだした。外へ出してやろう。窓を開け手の甲にいるカメムシを口で吹いて外へ出した。どれだけ、他の命を、そして人をいつくしめる人間に一生かけてなれるものかと思う。 in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.23
古代ロマン探求会で、小中学生と稲刈りをした。稲作、何千年かの昔を思う。石垣が、土地を開墾し、田んぼにした先祖の汗を知っていると思う。われらのふるさとは、はるか何万年もの昔か・・・アフリカという。よく流れてきたものだ。やがて死ぬ命。子供たちは若いなと思う。後、老人メンバーと酒盛り。女性がいとこ夫婦のことを話される。そのいとこ夫婦は誰でも、寂しい老人を招待してご馳走を食べてもらって、お年寄りの喜ぶ顔を見て喜ぶという。いいなあと思う。その女性は、人生、どこから来てどこへ行くのかわからずにただ忙しく生きているが、どう納得すればよいかとか、時には愚痴も出るといわれる。だが、他者に喜んでもらって、自分が喜ぶということは、絶対、命の真実だと思うし、それを確認しながら聞いた。in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.22
人と人との間で人は学び、成長し、脱皮すると思い、ホームページは開いていた。 http://ww7.enjoy.ne.jp/~houshouji/ 掲示板もあったが、無料期間が過ぎ、掲示板は消えた。 掲示板があるときは、いろんな人からコメントがあったが、今は、直接メールくださる人は少ない。 自分のメールアドレスを知らせることになるからだろう。 この度、ブログを始めて、私の思いを発信し、いろんな人からコメントもらって、命・人生・社会にこだわってみたい。 今月の聖典学集会を開いた。 参加者は、坊守と門徒さん一人。 淋しいが、 不徳のいたすところと反省。 でも語り、聞き、学ぶ。 大無量寿経の学習が終わった。 阿弥陀仏や浄土が実体的に実在すると信じるのではなく、阿弥陀仏や浄土から、無我・慈悲・利他・布施といった真実に目覚めるということが肝要と再確認。 午後、親鸞フェスティバルの反省会に参加 現代人にきちっと対応できる伝道が課題。 in_uid = '185096';in_templateid = '12002';in_charset = 'UTF-8';in_group = 'DefaultGroup';in_matchurl = '';in_HBgColor = 'CCFF99';in_HBorderColor = '578A24';in_HTitleColor = '00008B';in_HTextColor = '000000';in_HUrlColor = '00008B';frame_width = '468';frame_height = '60';
2008.10.21
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