ふさの国から 晴走雨読パパの日記帳

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2025.09.22
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テーマ: 読書(10125)
カテゴリ: 読活(読書)
僕が大学に入る頃は、日本史の入学試験はだいたいが第二次世界大戦までしか出題されず、だから高校の日本史の授業もそこまでだった。僕自身、日本史の授業(だけ)は、食い入るように聞いていたので間違いない。
一方で、昭和という時代は、戦争、配線、それに占領、テロ、革命運動、飢えから飽食まであらゆることが網羅されている。そして、現代にそのツケが引き継がれている。その点で、昭和史こそは、現代の指針となるべきものだろう。だから、もっと謙虚に昭和史を学ぶべきだと思う。

日本史の教科書は、総花的でしかも遠慮しながら客観的に書いているから、事象の羅列になりがちだ。
その点、本書は事案の背景や、そこに至るまでの経緯があり、僕らが考える情報を提供してくれている。
高校生の頃に本書に出合っていたら、現代社会ももっと多角的に掘り下げて見ることができたかもしれない。もっと早く出会いたかった一冊である。




特に、太平洋戦争に類する戦争は、世界史の流れを追えば、いつか起こりえた。あの世代の世界各国の政策を見れば、昭和16年12月8日は、必ずいつか来た日だ。それが昭和18年であったかもしれない。いや昭和20年であったかもしれない。いや昭和25年であったとも考えられる。そうであれば、私もまた戦場の露と消えていたであろう。そう思えばこそ、太平洋戦争で死んでいった世代の人たちに、ある哀しみと思いやりの心情をもって、あの戦争を検証すべき、という記述。
ドキリとした。歴史というものが、国民の自身の生活に密着しているという当たり前のことを突き付けられた気がした。

著者の保坂正康氏は父と同学年、そして亡くなった息子さんと僕もおそらく同学年である。
なんたる奇遇であろうか。父から昭和史を聞いているように感じる。





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Last updated  2025.09.22 05:40:04
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