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本編の主人公・村井長頼は凡人かもしれない。それでも、時に失敗し、利家や秀吉、家康といった大物との自身の器量の違いを感じつつ、成長していく物語。自身の役割を意識して、全力を尽くす。現代のサラリーマンにも通じる物語ではないだろうか。通勤電車の中で読むと、職場に向かう足どりが軽くなる。そんな本である。副題の加賀百万石の礎のとおり、ハイライトはお松さま(利家の妻)を、お家存続のために、江戸に人質に出すシーンだろう。ただ、僕の心に残ったのは、主君・利家のいまわのきわに際し、自身の妻を立ち会わせるシーン。物語の冒頭に登場した女性を、物語後半(300ページあたり)まで引っ張って再登場させるとは。あっと驚く伏線回収に平伏いたしましたぞ、砂原殿。
2025.11.28
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幼少の頃より、真田びいきだった。上田城や松代城を訪れ、六文銭の旗も買ってもらった。当時は、真田昌幸・幸村がスターで、信幸(関ケ原の戦い後、信之に改名)への関心は低かった。ところが、この歳になると体制を守ることに苦心する信幸への興味が沸々と湧いてくるのである。歴史上のヒーローも、自身の年輪によって変化するのであろうか。信幸が93歳の長寿であったことを初めて知った。時代は既に、4代将軍家綱、下馬将軍・酒井忠清の治世である。近代でいえば、明治維新から大戦を経て、戦後まで見続けたようなものであろうか。お家騒動の収拾は最後の大仕事だったのかもしれぬ。守成の人・信幸の家と領地と領民を守るための攻防は、大坂の陣の幸村の活躍と同じように、ワクワクするのである。改めて、松代の町に行ってみたくなった。
2025.11.27
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娘が、いよいよ年明けに成人式を迎える。成人式当日は、早朝から、髪を整え、着付けをして、それはそれは大変らしい。まあ、今回は、写真撮影だけの成人式の前撮り。本番前のウォーミングアップ程度の軽い気持ちで同行したら、とんでもない。結構、大がかりでびっくりした。まずは、お化粧や髪のセットで、約1時間。そして、ようやく撮影だ。その撮影が凄かった!カメラマンさんと助手さんが、つきっきりで着物や髪の毛を直したり、ポーズをアドバイスしてくださる。ところどころで、「カワイー!」、「いいねー!」と合いの手が飛ぶ。さらに、傘をもってみたり、屏風をバックにしてみたり、背景が藤の花に変わってみたりで、娘本人もノリノリになってくるのだ。まるで、芸能人が写真集を出すような物々しさ。撮った写真の数、なんと約120枚!ここまでで、3時間半以上経過していた。最後に、写真選び。撮影した写真データは1枚8,000円也!! 但し、コースなら約120枚の全写真のデータと25枚を選んだアルバムがついてくるというが・・・。このコースのお値段は、16万円!!結構なお値段です。とはいえ、今や気持ちが乗っている娘に我慢せよとは言えず、お店の方の「だいたい皆さん、コースですね!」とニコッと営業されては断れず。まあ、娘が喜んでくれれば。それにしても、着物レンタル(着付け+成人式当日の髪型セット)が25万円くらいしていたから、合計40万円超か!このビジネスモデルの洗礼、前にもどこかで受けたような!?と考えていたら、思い出しました。大学受験に向けた塾の三者面談。あの時も、前のめりな塾の先生に乗せられた娘のやる気を見て、余計な講座を随分と申し込んだような。子育てには、結構なお金がかかりますねー。
2025.11.26
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冷たい雨があがり、太陽が眩しい。気持ちのよい朝だ。絶好の散歩日和だ。こうなるといてもたってもいられない。僕自身、前世は犬だったのではないかと思っている。だから、こんな日は、散歩を待ちきれない犬のように、尻尾を振るがごとく家を飛び出した。近くの泉谷公園は、思ったとおりの気持ち良さ。モミジが赤・黄・青のグラデーションに染まり、ヒマラヤスギが青空に向かってすくっと立っている。昨夜の雨の雫が、樹々の葉を濡らし、色めきを与えている。そんな風景にうっとりした僕は、あちらでパシャリ。こちらでパシャリ。犬がオシッコで縄張りを主張するかのごとく、スマホであちこちの風景をマーキングする。実際、泉谷公園は犬の散歩のメッカである。樹々にかこまれた芝生は、犬たちにとって社交場であり、公園でもある。この朝は、嬉しいことに、日本犬のサロンになっていて、柴犬さんと甲斐犬さんが5匹も大集合。嬉しそうに群れて遊んでいた。これは、犬人間としてはたまらない。僕も、さりげなく犬たちの群れに入っていく。犬たちは、クンクンクンと僕の匂いを嗅いで、やがて、僕に体当たりしてきたり、からみついたり。どうやら、群れの仲間として認めてくれたらしい。嬉しい!こちらも、アゴや頬をナデナデしてやり、顔を近づけてお返しにクンクンクンと匂いを嗅いでやる。楽しい!家に帰ると、今度は、待っていたモヒうさぎさんがクンクンしてくれる。もて期到来か!?犬にうさぎに大もてだ。ところが、洋服に犬の匂いや毛がついていたのかもしれない。モヒうさぎさん、目を大きく見開いて、足ダンをしてきたのである。「犬と遊んできたれすね(怒)」「モヒというものがありながら、あなたって人は(怒)」とでも、言いたげな表情である。モヒうさぎさんは、その後、うさんぽしてもなかなか機嫌を直してくれなかった。悪いことをしたかな、と思ったが、また、あの犬たちにあったら、きっとじゃれてしまうに違いない。浮気をする人の気分が少しわかった気がした。
2025.11.24
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浅田次郎さんは、夢を操れるというというようなことをエッセイに書いていた。眠る前にこんな夢をと念じれば、実際にその類の夢を見ることができるのだという。本作品も、そんな見たい夢から着想を得たのではないか。但し、本作品は、夢ではなく既に彷徨っている魂と対話するのだから只事ではない。本作品のテーマは、そんな贖罪を償って荷を下ろすことだが、一方のモチーフはなんだろうか?僕は、二つの話とも、高度経済成長のもたらして光と影なのだと解釈した。ひとつめの話のキヨの家族は、こうした影の犠牲になったが、二つ目の話の百合子は、影を乗り越え、かつ高度成長に置き去りにしてきた美徳を武器に逞しく生きていったのである。誰しも、あの時こうしていたらという後悔や、申し訳ないことをしたという贖罪の意識のひとつや二つはあるだろう。だから、本作品は、誰にとっても他人事ではない。本作品を読んで、思い浮かべる人がいるはずである。
2025.11.19
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「〇〇歳を過ぎたら好きなことをしなさい。好きなものを食べなさい」といった中年・高齢者向けの指南書をよく目にする。歳を経るごとに人間は我儘になる気がする。また、体力的にできることも限られてくるだろう。将来の展望も限らてきて、もうジタバタしてもどうしようもない。残りの人生、限られている中で、我慢して余計なことをしなくてもいいのだと思う。僕の場合、新型コロナウイルス対応で生活が大きく変わった。仕事の環境が変わったばかりでなく、マラソン大会や外食など外出の機会が激減した。一方で、外出しなくても、結構、楽しめることがあることを知った。amazonプライムやTverで映画やテレビを見ながら、コーヒーを飲む至福。ちょっとしたおつまみを手作りして宅飲みする缶チューハイ。周りを気にせず、「ウィー!」でも「うまっつ!」でも法悦の声をあげ放題だ。庭に出て、モヒうさぎさんと追いかけっこやダルマさんが転んだ遊び。モヒうさぎさんの生き生きした動きや表情を撮影して、ニンマリするという少々暗い趣味も覚えた。やりたいこと、楽しいことはたくさんあるのである。昨夜は、ベランダに出て月を眺めながら歯磨きをしてみた。ものすごくいい気持ちだった。幸せを感じた。幸せの青い鳥は、身近にあるものだ。これからも、自分の身近な幸せをみつけ、楽しもうと思っている。
2025.11.17
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七年に一度のご開帳に合わせた当時のコラムを読むと、善行寺について知らなかったことがたくさんで、へえーと感心しきり。誰かに言いたくてたまらないことばかりだったので、ここに記録しておきたい。まずは由来。仏教伝来時(538年もしくは552年)の蘇我氏と物部氏の対立で、廃仏派の物部氏が「一光三尊阿弥陀如来(いっこうさんぞんあみだにょらい/いわゆる善行寺如来)を難波の水路に投げ捨てた。これを信濃の住人・本田善光が引き上げて、長野市の今の場所に祀ったのだという。なんと、日本最古の仏像!日本仏教の原点なのだ!さらに、時が下って戦国時代。激闘の川中島の戦いも善光寺争奪戦の意味合いもあったのだとか。実際に、戦火から守るべく、善行寺如来を受け入れる甲斐善光寺を建立したというのだから合点がいく。武田家滅亡後は、信長から秀吉と天下人が善光寺如来を保持し、京都方広寺の本尊でもあったのだという。なんとも、歴史の表舞台をさまよってきたのである。そして、長野に戻った善光寺如来は、浅間山の大噴火とそれに続く天明の大飢饉による、民衆の苦しみの中、当時の住職・等順の民間救済の取り組みにより、民衆の善光寺信仰が一気に拡大したのだとか。「牛に引かれて善光寺詣り」はこうした世相の中、生まれた伝説である。小諸の老婆が川で布を晒していると、牛が布を角にひっかけてどこかに行ってしまう。老婆が牛を追いかけると善光寺に至り、夢をみて改心するという話。信心あるものは、すべて救済するという善光寺如来らしい話だ。家族旅行で善光寺に行ったのは2016年。もう10年近く前のことだ。事前にこんな話や歴史上の関わりを知っていたら、善光寺詣ももっと楽しく奥深いものになったに違いない。背景を知っているかどうかで、旅は、もしかしたら人生はより豊かになるのだ。
2025.11.16
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どうせ、一年中春眠暁を覚えない娘の学園祭出勤は、遅いに違いない。そんな目論見で、娘の学園祭に向かう前に寄り道した。門井慶喜著「家康、江戸を建てる」の舞台の一つでもあり、また、かの有名なフォークソングのタイトルでもある、神田川沿いを歩いてみることにする。神田川の水は思ったよりも澄んでいて、鯉や亀が泳いでいるのが見える。鯉が亀のすぐそばをすれ違う現場に遭遇し、注意深くみていたけど、何事も起こらなかった。ご近所さんだけど、あいさつだけの間柄というところだろうか。びっくりするくらいの鯉の悠然たる泳ぎぶりの見事なこと。あんな堂々とした鯉になるのもいいかもしれない。日頃、セカセカと川底の苔を食むように仕事して生きている小サラリーマンにとっては羨ましくもある。神田川のほとに、松尾芭蕉が住んでいたという庵があった。このあたりの旧地名をとって、関口芭蕉庵というらしい。芭蕉はそもそも伊賀の人で、元々は藤堂家の家来筋だったらしい。そんな経緯で、神田上水の改修工事に携わって、この水番屋に庵を結んだという。風流人も生活のためには苦労もあったのだと感慨深い。「家康、江戸を建てる」では、塩辛い水しか出なかった江戸に、七井の池(井の頭)から水道を引いたとあった。目白下(文京区関口大橋付近)には、海水の遡上を防ぐ石堰(いしぜき)を作ったという。川床が人工の構造物っぽいのはそのせいであろうか?以前見た映画「オオカミこどもの雨と雪」の一幕、オオカミであるお父さんが川で事故にあい、ごみ収集車に運ばれるシーンがあった。映像は、雨の日のコンクリート直立護岸の川だった。オオカミのお父さんと人間のお母さんが出会ったのは一橋大学で、国立の街がモデルになっているというということだが、本当だろうか。あの雨の日の直立護岸の風景は、この神田川・早稲田付近と重なるのだが。そうこうしているうちに、肥後細川庭園に到着。南門から入って、池も周りを歩く。薄曇りだが、周囲の樹々が池の水に映えて美しい。モミジは少し色づき始めたところだろうか。もう2週間もすれば見事な紅葉になるだろうに。ちょっと悔しい。その分、季節はずれのツツジの花のサプライズがあった。松聲閣(しょうせいかく)なる屋敷は、父の会社の箱根保養所の風情。幼き頃の思い出が蘇る。出口の門で、屋敷を守るように三角の目をひからせているカマキリに遭遇。さすが、肥後細川藩の守衛、迫力がある。ちなみにカマキリは秋の季語なんだとか。季節は確実に進んでいるということだろう。気がつくと、2時間近くたっていた。気持ちの良い逍遥になった。
2025.11.08
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娘からの招待をいただき、学園祭に参加。「招待」というのが正しいのかどうか。娘からは、「来てほしい」が、でも、「皆の前では、他人のフリで」という微妙かつ複雑なミッションを課せられてのご案内なのだ。確かに、大学生くらいになると親がわざわざ来るのも照れくさく、親離れしていないように見られるのも嫌なのだろう。僕自身の当時を振り返ってみても、娘の気持ちはわかるので、そぉーっと、参加するつもりだった。ところが、キャンパスのメインストリートで、娘とばったりと出くわしたのである。お互い、思わず「おー」と声を漏らし、そしてなにもなかったように距離を取った。少し、離れてみていると、娘は、サークルのプラカードを持ち、声を張り上げて呼び込みをしている。裏方仕事を一生懸命に取り組む娘はカッコよかった。父親として、嬉しかった。しばらくして、娘のサークルの会場に、偶然を装って入室。しかも、娘に似ていると思われないよう、マスクをして、上着のフードを頬くらいまであげる。少々、野暮ったく、不審者っぽくもあるが、完璧なディフェンスである。ところが、受付にいきなり娘が・・・びっくりしたー。またまた「おー」と出かかった声を飲み込む。なんとか、娘に軽く会釈をしながら、それでも、それ以上は踏み込まないように、関門を突破した。ふー、危ないところだった。ところが、展示してある作品が、いずれもニックネームだったりするものだから、娘の作品や、娘のコメントがどれだかわからない。〇〇(娘の名前)の作品はどれですか? と聞きたいのはヤマヤマだが、ここはじっと我慢だ。通りすがりの者ですが、ちょっと拝見しますよ、という雰囲気を醸し出して、でも、やたらと細かくじっくりと見てしまった。平成初期、二流私大だった僕たちの学園祭は、村の祭りのようだった。学内の生徒が、顔見知りのところに顔を出す。もしくは、高校の時の友達が見に来てくれる。そんな、インナーのお祭りだった。それが、どうだ。早稲田祭りの来場者数は、なんと20万人だというではないか。確かにキャンパス内は、歩くのも難渋するほど人でぎっしりで、不特定多数の人があらゆるところから自主的に集まり楽しんでいる。村の祭りというより、これはテーマ―パークのようではないか。一方で、盛り上がりという点ではどうか。僕の所属するテニスサークルは、毎年、羽目を外しすぎた。結果、実行委員会から催事の中止を命じられた。大学4年の時なんか、大学祭への1日目にして参加自体を禁止させられた。村の掟を破ってしまったのである。何がそんなに楽しかったのか。村の祭りの無礼講、他のテニスサークルと酒を酌み交わし、サークルの名誉にかけて、時に喧嘩になる。そんなことに一生懸命だった。当時の仲間が集まるとそんな武勇伝で、今だに盛り上がる。令和の現在、そんな羽目を外すことはなおさら許されないだろうが、後々、盛り上がるような、そんな良い仲間と巡り合って欲しい。テーマパークの運営者は、どんな打ち上げをしたのだろうか。良い思い出をたくさん作って欲しいものだ。
2025.11.03
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もともと涙もろい性質だった。家族愛やスポ根もの、別れや犠牲といったシチュエーションがくれば、十中八九、目を潤ませてきた。さらに、御多分に漏れず、僕も歳を取るごとに、さらに涙もろさが加速しているようである。先日は、マクドナルドの月見バーガーのCMで目頭を熱くしてしまった。父親が子育てに奮闘する。保育園で発熱した子供を急ぎ迎えに行き、最後に月見バーガーをガブッと食べて明日からも頑張ろうと決意する。そんなストーリーだったと思うが、ドラマとは違い、わずか30秒あまりのCMである。自分自身、感情の昂ぶりに驚いた。感情を制御できなくなっているのであろうか?それとも、サラリーマンや子育ての経験で強く共感してしまったのだろうか?さらに、犬とうさぎの出会いが、涙を流すジャンルを拡大した。動物ものである。ワン寿という犬のサプリメントの動画広告を見た。犬が、インタビューに答える中で、飼い主に対して感じている喜びや哀しみが如実に表れて、心が揺さぶられるのである。インタビューへの犬の応答がAIっぽいのだが、それが、また、舌足らずだけど実直な感じで、犬がしゃべったらこんな感じなんだろうな、という風で、さらに胸に刺さってくるのである。こんな映像をみたら、目の前のモヒうさぎさんにもインタビューしてみたくなるではないか!早速、インタビューを試みた。パパがお家に帰って来た時、嬉しい? ― 嬉しいれす! 嬉しすぎてピョーンって立っちゃうれす!パパにされて一番嬉しかったことは? ー うさんぽの後、パパさんがヒザの上でドライフルーツをくれたれす。パパに抱っこされるってどう? ー 捕まったみたいでドキドキしたけど、今は慣れたれす。 パパは同じ巣穴の仲間だから安心なのれす。 パパのわきの下に頭をスッポリと突っ込むと暖かいれす。パパとのうさんぽ中は何を考えているの? ー 追いかけっこかな? ホリホリかな? ダルマさんが転んだかな? パパのお腹の上に乗っちゃおうかな? とか、いろいろれす。仕事でちょっとしか一緒にいれなくてゴメンね。 ー チモシー代稼いでくるれす。でも、安いチモシーでもいいから早く帰ってきて欲しいれす。パパと長生きしようね。 ー 長生き?モヒ、獣医さんに行かないれすよ・・・。最後にパパに言いたいことは? ー パパ大好き。これからもよろしくれす!!うー、なんて、かわいくて!せつなくて!愛しいんだ!!うー、妄想しただけで、泣けてくる。広告だと思っても、思わず買ってしまうのではないか。ワン寿のみならず、是非とも、うさ寿も発売して欲しいものである。文章が千々に乱れておりますのは、僕の文章力が稚拙なばかりではありません。ワン寿の柴犬のインタビュー、そして柴犬から惹起されたモヒうさぎさんのインタビューに、心が強く動揺しているからなのであります。
2025.10.30
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あいにくの雨。うさぎを連れてにわんぽに出ることも叶わず、うさぎをナデナデしていたところ妙なことを考えた。動物占いというものがあるのなら、動物を人間のタイプにあてはめる人間占いがあってもいいのでは?さらに飛躍して、動物を日本史上の人物になぞられるのも楽しそうだ。もちろん対象は、目の前にいるモヒうさぎさんである。モヒうさぎさんの性格や行動から日本史上の人物に置き換えたら?程なく、一人の人物に思い至った。維新の三傑・桂小五郎(木戸孝允)である。まずもって、モヒうさぎさんは優しい。お尻洗いや爪切りといった大ピンチの際でも、イヤイヤはするが決して噛んだりはしない。桂さんも剣術塾頭の腕前ながら、無駄な人斬りをしなかった男である。そして、桂さんの代名詞ともいえる「逃げの小五郎」。モヒうさぎさんも、絶妙の間をとって捕まらないことにかけては、桂さんに遜色ない。「逃げのモヒうさぎ」と言っても過言でないのだ。さらに、危機管理能力。桂さんは、池田屋の変の現場から離れ、蛤御門(禁門)の変には反対して逃げ延びた。安全な庭から決して外に出ようとせず、カラスの気配を感じれば、すかさず軒下に隠れるモヒうさぎと符号するではないか。ちなみに、桂さんとモヒうさぎさんは、見た目での共通点も多い。両者とも堂々たる偉丈夫であり、凛々しい顔立ちも同じである。純粋で知的な眼差しも似ているような気がする。ということで、モヒうさぎさんを日本史の人物に置き換えると、桂小五郎ということで、結審した。ナデナデしながら、「小五郎」と呼びかけてみたところ、モヒうさぎさんは、気持ちよさげに目を細めてなすがままに任せている。あたかも「そうせい」と返答するかのように。ちなみに、「そうせい候(公)」と呼ばれるほど、藩士に丸投げだったのは、桂さんの主君である毛利敬親公だ。モヒうさぎさんにとっては、自身が殿様で、僕は臣下なのかもしれません。ここは、臣下の務めとして、ナデナデを止めるわけにはまいりませんな。ナデナデ。
2025.10.29
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別れは突然やってきた。夜半から冷たい雨が降った翌朝のことだ。車のフロントガラスには、オレンジ色の置き手紙が積もるように置いてあった。まだ周囲は、甘く柔からな香りが漂っていて、まだ君の気配が残っていた。短い間だったけど、幸福だった。朝、家を出ると角を曲がるまで、君は見送っていてくれた。振り返らなくてもわかる。君の香りがしたもの。夜、君に会いたくて家路を急いだ。やはり、角までくると君の香りがした。それだけで、リラックスして仕事の疲れが吹っ飛んだ。でも、もう君 ー 金木犀 は戻ってこない。花散らしの雨に連れ去られてしまったのだ来年の秋には、また会えるだろうか。♪さよならは別れの言葉じゃなくて♪♪再び会うまでの遠い約束♪という歌が、昔あったような。恒例になってしまった猛暑の影響が気になる。どうか、体に気をつけて、また会う日まで。
2025.10.28
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秋、それはうさんぽ(にわんぽ)に絶好の季節である。モヒうさぎさんと追いかけっこするから、少し肌寒いくらいがいい。今日ぐらいの気温なら、蚊がうるさいこともなく、ゆったりと縁石に腰かけながら楽しめるな、と思って軽い足取りで家路を急いでいたところ、頬に当たる冷たい感触。たちまち髪の毛も路面もしっとり濡れて、今夜のうさんぽは中止と相成った。恨めしげにスマホを取り出して雨雲レーダーを見ると、このあたりだけ、細ーい雨雲の帯がかかっているではないか。ああ無情・・・。「女心と秋の空」とはよく言ったもの。天気が急変する秋は、うさんぽもできるうちにしておいたほうが良さそうだ。うさんぽがなくて不満気なもひうさぎさん。うさんぽができない分、せめてナデナデを。先日、立ち読みしたうさぎ雑誌によれば耳は疲れが溜まるらしいから、重点的にナデナデしてあげる。「モヒさん、モヒさん。モヒさんの耳はうさぎにしては短いねー」と話しかけながら。モヒうさぎさんは、「そうなのれす。モヒは耳も前脚も短いからティモテできないれす」と言いたげにうつむき、「だから、パパさんがナデナデするれす」とばかりに眼を閉じてアゴを床につけた。こうしてモヒうさぎさんを撫でながら、夜が更けていく。雨降りの夜もいいものである。
2025.10.27
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うさぎは可愛い奴と思われている。メスうさぎだったらいいけれど、モヒはオスうさぎ。オスは雄々しくありたいと常々思っている。そこで、モヒは、相撲部屋に入部した。モヒの入部したヤマ部屋には、桃太郎親方がいて、クマ関や、イヌ関、キジ関がいた。クマ関は右脚だけでモヒを踏みつぶすくらい大きかったし、イヌ関も尻尾だけでモヒを払いのけそうな勢いだ。キジ関は体こそモヒと同じくらいの大きさだったが、機敏でいつのまにかモヒの真上に飛びあがることができた。モヒは、来る日も来る日も、稽古でクマ関に倒され、イヌ関に押し出され、キジ関に上から突かれた。やっぱり、うさぎはうさぎ・・・。強くなるなんて無理だった。やっぱり、元の草原で、他のうさぎ達と可愛く生きていこう。幸い、クマ関もイヌ関もキジ関も、朝の稽古でくたくたになって、眠りこけている。モヒは、ヤマ部屋から逃げ出そうと、荷物の入ったリュックを背負い、そぉーとドアを開けた。ドン。突然、なにかにぶつかった。目の前に桃太郎親方がいた。親方は、逃げ出そうとしていることには触れず、座り込んでこう言った。「モヒどん、腹へってんでねえべか」親方は、懐からアケビとイチジクを取り出した。「こんなおいしいもの食べられるんだから、俺たち幸せだ―」モヒは食べた。甘いはずのアケビとイチジクがちょっとだけしょっぱかった。親方も食べながら言った。「モヒどんの後ろ脚で蹴られたら、俺だってただじゃすまねーよ」さらに、「モヒどんのホリホリの勢いといったら。前脚のあの速さでツッパリされたらたまんねーなー」とニコニコしながら言った。そうか、うさぎはうさぎだ。クマ関やイヌ関やキジ関とは違うんだ。うさぎの武器で戦うんだ。それから、モヒは、稽古に励んで強くなった。前脚のツッパリの速射砲で押し込んで、土俵際、後ろ脚でけたぐり。これがモヒの必勝パターンだ。森の中で自信満々のうさぎに出合ったら。草原で、堂々と立ち上がるうさぎがいたら。その雄々しい姿は、きっとモヒうさぎにちがいない。モヒうさぎは、小さな大横綱になったのだ。
2025.10.26
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自分で言うのもなんだけど、僕は、ケチである。そして欲深である。そんなケチな人間の僕がサブスク商品に手を出すと、当然、碌なことにならない。かつて、散々、痛い目にあってきた。青春18きっぷでは、目的地を楽しむことより、電車に長く、多く乗ることが目的になってしまい、うどん屋さんの天ぷら定期券を入手すれば、毎日、せっせとうどんばかり食べるものだから、しまいにはうどんに飽きてしまう、という具合。そういえば、学生時代、新宿・歌舞伎町の3,000円で1年間ウィスキー飲み放題の会員券っていうのもあった。結局、お通し(おつまみ)代は取られるし、毎回、悪酔いした。きっと、入っているウィスキーはラベルとは違ったものだったに違いない。こんな具合に、サブスクの失敗談の枚挙にいとまがない。それでも、懲りずに手を出してしまうのが、欲深の業(ごう)の深さだ。今回は、東京を中心とする美術館・博物館等の入場券・割引券がセットになった、「東京・ミュージアムぐるっとパス」に手を出した。メトロの1日乗車券2枚(1,400円相当)がついて、3,300円だから、1,900円分の美術館・博物館等に入場すれば、得をすることになる。思いっきり使い倒してやろう!うっしっし、と欲深な商人の表情を浮かべて、皮算用したのだった。で、今回の結果は・・・1 井の頭公園 400円2 大倉集古館 1,000円3 東京都写真美術館 700円4 旧岩崎庭園 400円5 上野動物園 600円6 郷さくら美術館 800円7 野球殿堂博物館 800円8 千葉市美術館 300円9 葛西臨海公園水族園 700円10 永青文庫 1,000円11 新宿区立漱石山房記念館 300円 で、しめて計7,000円分の入場券を賄ったことになる。収支5,100円もの大黒字である。これだけ見ると大成功なのだが、どうにもすっきりしない。今回もサブスクの罠にはまり、楽しむよりも、得をすることに注力してしまい、オリエンテーリングのように急ぎ周ることになったからだろう。ただ、今回、改めて自分自身の趣向を知ることができたのは収穫だ。やはり、芸術や美術(絵画や書道など)は、僕には、「よくわからん・・・」ということが、よくわかった。僕自身の趣向は、生き物や歴史、景観にあるということを再認識した。次回、ぐるっとパスを入手したならば、動物園や水族館、庭園など自分の趣向に合うところをまわろうと思う。旧古川庭園や六義園、多摩動物園や地下鉄博物館、昭和館など、候補はたくさんある。これだけ回れば、また黒字だろう。うっしっし・・・。やれやれ、まだ懲りていない。サブスクの魅力には抗しがたいのである。
2025.10.25
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どうもおかしい・・・睡眠のことである。僕自身、布団に入れば、すぐに瞼が重くなる。おかげで寝床での読書はまったく進まない。朝は朝で、決まった時間まで目覚めることはない。トイレを催したくらいしか起きないのがこれまでだった。ところが、どうだ。このところ、寝入りはバタンキューではあるけれど、目覚めの方がいけない。暗いうちから目が覚めて、冴え冴えとしてもう眠れなくなってしまうのだ。かといって起きるほどの根性はなく、さりとて、改めて眠りに落ちることもできず。布団の中でモゾモゾする毎日なのだ。同じ巣穴の仲間であるモヒうさぎさんも、そんな僕の寝起きを見て、つられてすっかり早起きになってしまった。そんな中、10月20日のダイヤモンドオンラインで配信された記事を読んだ。「8時間睡眠は不健康の元凶・・・」という衝撃的なタイトルで、これは看過できない。ダイヤモンドオンライン記事 8時間睡眠は不健康の元凶 100万人調査で判明「死亡率、糖尿病・心疾患リスクが最も低い睡眠時間」記事によると、死亡率、糖尿病リスク、心血管疾患リスクが最も低い睡眠時間は、6~7時間だという。ここまでは、まあ、そうだろうな、と予想できたが、8時間以上の睡眠は、5時間睡眠と同等のリスクだといわれると意外な気がする。長く寝れば良いというものでもないようだ。アメリカの調査では、睡眠時間6~7時間に比べて、8時間以上の睡眠の層は、糖尿病リスクは3.12倍、短時間睡眠(5時間以下)よりもリスクが高いという。どうしたことだろう。原因を考えてみると、長時間寝ることで、代謝や活動量が落ちるからだろうか?長時間寝る人は、元々、不健康な状態だったり、そもそも他の生活習慣も乱れている可能性もあるのではないか?が思い浮かぶ。ただ、厚生労働省も「健康づくりのための睡眠ガイド2023」の中で、「高齢者は8時間以上寝ないように注意」とコメントしているというではないか。責任のある組織が実名で公表するといくことは、間違いのない事実だと思う。一方で、加齢によって若い頃より早寝早起きになるようだ。これは、体内時計の加齢変化によるもので、血圧、体温、ホルモン分泌など、睡眠を支える生体機能のリズムが前倒しになるからのようだ。ちょっと気がかりだった僕の睡眠の変化について、一応の結論が出た。加齢による自然のものということで、杞憂に終わってやれやれだ。それでは、ホッとしたところでお休みなさい・・・ ZZZZZ・・・・・・
2025.10.24
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出てくるなり、これは僕の知るチャーハンではないと思った。僕の知るチャーハンは、黄色かかっていて、少し黒く焦げている風合いだが、目の前のそれは米がツヤがあって透きとおっているのだ。うーん、未知への挑戦だ。とはいえ、10人待ちでようやく入店、やっとオーダーできたチャーハン。感傷にひたっているお腹の余裕はない。早速、レンゲをチャーハンの山に突き立てる。熱々の湯気が立ち上るチャーハンを火傷しないように、フーフー言いながらパクリ・・・。美味い!!これは美味い!!何か、気の利いた言葉でいうならば法悦。薄味なのだが、あとを引く味。レンゲが止まらない。さすが、食べログで100名店に選ばれるだけある。店名の「龍朋」の読みは、RYU HO。奇しくも、あの漢の初代皇帝にして、中国史上最も有名な偉人ともいうべく、劉邦と同じなのだ。言われてみると、気さくでありながら奥深い味は劉邦さながら。中国皇帝の味ともいえるかもしれない。満足して、店を出ると行列はさらに伸びていた。店先の大きなザクロの樹には立派な実がなっていた。ひょっとして、隠し味は・・・。企業秘密に違いない。
2025.10.23
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すっかり涼しくなった朝。玄関を開けると金木犀の甘い豊かな香りが鼻孔をくすぐる。門柱の隣にすくっと立つハナミズキの大きな葉も赤みを帯びている。いい気分だ!気持ちよく秋の装いを満喫していたところ・・・奴の姿が目に入った。三角形で突起のように葉や樹皮になりすましてやがる。まるで、レーダーをかいくぐるステルス攻撃機のような。でも、レーダーは見過ごしても、僕の目はごまかせないぞ!奴の名はチュウゴクアミガサハゴロモ。急速に生息域を拡大している外来種の昆虫で、樹や果実の汁を吸い取って病気を引き起こすという、とんでもない奴だ。先日、秋の道沿いで見つけて、マークしていたのだ。チュウゴクアミガサハゴロモに果たし状ここで会ったが百年目。さっそく握りつぶしてやろうと思ったが、弱気にも素手での対応に躊躇し、ティッシュの上からと弱気になっていたら、気配を感じた奴は飛び去ってしまった・・・。しまった・・・。数時間後、帰宅するとハナミズキの樹の下の蜘蛛の巣に、奴が2匹、引っかかっていた。でかした!見ると、大きな女郎グモが、まさにそのうちの1匹にしがみつき、食べようとしているところであった。蜘蛛を家の中や庭で見つけても、放置したり外に逃がしたりしてきた。蜘蛛は、蚊やハエ、ダニなどの害虫を食べてくれるというし、何より、蜘蛛は神仏の使いだと聞いていたから。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のイメージなのだ。ひょっとしたら、業の深い僕も、カンタダのように蜘蛛に救われるかもしれない。蜘蛛が一本の糸を伸ばして救い出してくれるかもしれない。そんな思いもあるのだ。お陰で、この日、我が家の北門のシンボルツリーたるハナミズキを、奴の魔の手から守ることができた。蜘蛛の恩返しだったかもしれない。我が家の女郎グモの糸は一本ではなく、何本もの糸で同心円を描き、ビッシリと巣を作っている。相当に恩を感じてくれているのであろうか。心強い限りである。
2025.10.23
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夜の会合に向けて市川駅に降り立った。折角だから、市川駅のタワマンにあるアイリンクタワーなる展望台に昇ってみた。実は、おのぼりさんの僕。スケスケのエレベーターに乗るところから気分がノリノリ。同乗した小さなお子さんの歓声に、大人の余裕として笑顔で応えるが、実は、お子さん並みに、いやそれ以上の歓声をあげたかった。エレベーターに1人で乗りたかったと思わないでもなかった。展望は思った以上。45階という高さに加えて、周りが開けているところがいい。蛇行する江戸川が東京湾に流れ込む感じ。川がまさに生きていることを実感。日本三大暴れ川の利根川水系の力を見せつけれられた。それに、昔の国府だっただけに、古い街並みが理路整然としていて、うーん・うーんとうならされた。そして、総武線の線路が船橋方面に定規で引いた線のように一直線に伸びていることにも驚いた。言われてみれば、市川から先、快速のスピードが上がっているような気がする。北海道の道路のようなこの線形なら、スピードも出るに違いない。いやはや面白い。市川市の年表もあって興味深い。万葉集に詠われたという、真間の手児奈(てこな)という悲劇のヒロインの話を初めて知った。下総の国府があったくらいだから、奈良時代はこの地方の中心だったのだろう。さらに下って、日蓮や国府台合戦、江戸開府後の塩浜塩田の話も新鮮だ。時間を忘れるほどの魅力的なスポット。思わず、会合に遅れるところだった。今度は、夕暮れ時から夜景にかけて見にきたい。
2025.10.22
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白いまっすぐなものは、フローリングから浮かび上がるように光り輝いて見えた。僕の髪にも白髪が混じってきたが、その白くまっすぐなものはコシとツヤが違う。また、細くしなやかなモヒうさぎさんの体毛とも明らかに違う。釣り糸にしたら、ちょっとした魚が釣れそうな太さと硬さなのであった。「こ、これは・・・」僕は、そのモノを手にとり、目の前にいるモヒうさぎさんの頬のあたりに充ててみる。そのモノは、モヒうさぎさんの他のヒゲたちと一緒になると、秋のススキ原のごとく調和した。間違いない、これは、モヒうさぎさんのヒゲに違いない。以前、NHK「美の壺」という番組で、「跳ねて幸よぶ うさぎ」というタイトルの放送を見た。番組では、うさぎさんが、五穀豊穣の象徴として、あるいは、後ろに下がらない勇気の証として、うさぎさんが崇められていた。そして、鳥取県八頭郡八頭町の西橋寺の白兎は、魔除けとして敬われていると紹介されていた。鳥取県八頭郡八頭町は、我が祖父の出身地なのである。うさぎとの縁を感じずにはいられなかった。そんな僕に、うさぎのヒゲが下されたのである。はっ、はっはーこれは、もう、両手で頭の上に高々と掲げ、恭しくいただくのである。そして、八頭町の白兎様にちなみ、うさぎのヒゲは魔除けのお守りとなった。翌日、魔除けのお守りたるうさぎのヒゲを、職場のディスクマットの中に入れ、手を合わせた。「仕事がうまくいきますように」「どうか、災難が降ってきませんように」そして、うさぎのヒゲのご利益が、僕だけでなくグループ員に広く及ぶよう、皆にも祈願を呼び掛けた。まさに、その時・・・他所属の部長さんが、我がグループにもの凄い剣幕でやってきた。我がグループの取り組みについて、「事前の説明を聞いていなかったぞ!」、「そもそも、方針がないぞ!」と、凄い剣幕であった。僕はじめ、グループ員は皆、下を向いて俯いた・・・。部長さんが言うべき事を言って立ち去った後、嵐の後のように、グループ員はしょんぼりと放心していた。そして、口々に僕をなじった。「うさぎのひげ、ご利益ないじゃないですか!」僕は答える。「うさぎ様のヒゲがあったからこそ、あれぐらいで済んだんだ」思えば、部長さんのご指摘はごもっとも。貴重なアドバイスで、今ならまだ修正して取り戻せる段階だ。やはり、うさぎさんのご利益はあったのだ。その後も、うさぎのヒゲは僕のディスクマットの中で僕たちグループを見守っている。僕は、今もうさぎのヒゲパワーを信じている。そして、パワーを増強するために、新たなうさヒゲがないか、ゲージの周りの点検に余念がない。そんな僕をうさぎさんが、不思議そうに眺めていた。
2025.10.21
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京都高山寺に伝わるという「鳥獣戯画」。もちろんホンモノを見たことはないけれど、生き生きとした動物が人間のように振る舞う愛嬌ある姿に惹きこまれる。中目黒の郷さくら美術館で、そんな鳥獣戯画に着想を得た作家達の作品展が開かれているというので、やってきた。竹内浩一さんの絵画は、どこか幻想的だけど、動物たちが生き生きと弾んでいる。「戯画 雨中鯰図」は夜行性の鯰(ナマズ)たちが、スッポン亀を囲みあたかも遊んでいるよう。そして、白ウサギたちが、そんな水の中のことは無関心に飛び跳ねているところがいい。「戯画 猿来迎」は、来迎図の阿弥陀さまの代わりを猿がつとめている。神妙な猿の表情が可笑しい。「戯画 釣り名人」も面白い。釣り糸を垂れる猿の背後を、魚を獲るのが得意そうなアオサギがお手並み拝見という表情で見ているのだ。平子真理さんのダチョウに乗った猿のレースは、ニンマリしてしまう。必死にしがみついている猿や、落馬ならぬ落鳥して、無念そうな猿の姿に、思わず微笑んでしまう。武蔵原裕二さんの「一〇八匹犬図ー走ー」も、楽しそうな犬たちに、口元が緩む。特に、柴犬好きなので、柴犬の表情に注目だ。動物たちの一生懸命な姿に和まされた。きっと、この作家たちは動物たちが好きでたまらない人たちなんだろうな、と思った。僕も、動物を好きなことにかけては、人後に落ちないが、いかんせん絵の才能がない。残念だが、見て楽しむしかない・・・。
2025.10.19
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台風22号と23号に挟まれて迎えた3連休。どんよりとした雲に覆われ、時々、雨が降るあいにくの天気だったが、早起きしたりで雨を避け3日とも走ることができた。涼しくなってきたが1kmも走れば汗ばむ。ランニング時の体感温度は気温+10℃というのが僕の心得。気温20℃だとしても、ランニング中の体感は30℃になるのだから、Tシャツではなくまだまだノースリーブ・ランニングシャツの出で立ちだ。とはいえ、風景は確実に秋になってきている。彼岸花、コスモス。今年のカキは豊作だろうか。一本の木でよくもまあ、と思えるくらいにたくさんの豊かな実をつけている。藪の中では、リーンリーンという鳴き声がする。鈴虫だ!コオロギのコロコロとも、キリギリスのギースチョンとも違う、鈴虫の鳴き声は、少しもの悲しく、気品や風情がある。鈴虫が愛される理由がわかった気がした。今年は猛暑だったのに、こうして植物や生き物たちがカレンダーどおりに10月の装いで登場してくるのはどうしたことだろうか。彼らは、気温でなく日照時間なりで計って舞台にあがるのか?不思議である。そんなことを考えていたら、村田川の桜(河津桜?)がチラホラと開花していた!びっくりである。桜は2月1日からの日平均気温の合計が400℃、日最高気温の合計が600℃に達すると開花すると聞いたことがある。猛暑の影響だろうか?周囲が秋の装いに変化する中で、番組を間違えて出てきた役者のような気まずさを感じないでもない。場違いな狂い咲きであった。走る哲学者といわれる人がいる。古くはアベベ・ビキラ、最近ではエリウド・キプチョゲ。彼らトップアスリートだけではない、市民ランナーでも、走ると様々なことに思いを巡らせ、考えをふくらませる。良い発想が浮かぶのは、三上(さんじょう)といわれる。三上とは、馬上、枕上(ちんじょう)、厠上(しじょう)だが、現代の馬上とは走上もしくは路上なのだろう。ただ、悲しいかな。走り終わると、良いアイデアが思い出せないのはどうしたことか。ランニングの魅せる幻に踊らされていたのか、単に記憶がどこかにいってしまうのか、謎である。
2025.10.14
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めっきり涼しくなってきて、モヒうさぎさんの活性もあがってきた。だから、うさんぽ時間も、約束の30分を過ぎても、まだまだ庭に残りたがる。ただ、納得しないモヒうさぎさんを確保する(捕まえる)のは至難の業だ。モヒうさぎさんは、僕の手が届かない間合いを確実に掴んでいる。僕の手が届く範囲にいる時は、いつでも逃げられるような態勢でいるからだ。かくして、確保しようとする僕と、まだまだ遊ぼうと逃げるモヒうさぎさんの捕り物帖が繰り広げれる。それは、微妙な間合いを巡って対峙するボクサーのように、モヒうさぎさんと僕の真剣勝負だ。モヒうさぎさんは、僕の足元を八の字ダンスで回る。その軽快な動きは、あたかも、蝶のように舞い、蜂のように刺す、といわれたモハメッドアリのようだ。であれば、こちらは、異種格闘技戦で、寝転がってアリキックを連発した、アントニオ猪木だー、だー、とばかりに、ベランダの上で寝そべる。モヒうさぎさんは、僕が死んだと思ったのか、心配して僕のお腹の上に乗って来て、あえなく御用となった。本日のうさんぽ、38分32秒、死んだふり作戦で、アントニオ・僕の勝ちだ! イチ・ニー・サン、ダー!モヒうさぎさんをだまして後ろめたくはあったが、確保できて良かった。モヒうさぎさんは、悔しそうに、僕の脇の下に顔を埋め、家の中に戻っていったのでした。但し、かしこいモヒうさぎさんに、二度と死んだふり作戦は通用しまい。明日以降の確保は、モヒうさぎさんと一緒にホリホリしてドサクサまぎれに捕まえるとか、あるいは、油断して休んでいるところを、上から段ボール箱をかぶせるとか・・・。僕とモヒうさぎさんの捕り物という名勝負は続く。
2025.10.13
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笹川スポーツ財団が発表した運動実施状況調査「スポーツライフ・データ2024」によると、ランニング人口が大きく減少しているという。20歳以上で年1回のジョギング・ランニング実施率は7.4%、推定758万人で、過去最高だった2020年と比べて2.8%減、人数で約300万人もの減だという。2020年以降の急落ということだから、やはり原因は新型コロナウイルスの影響だろう。不要不急の外出を控えろと言われ、ランニングすることもためらわれたし、感染防止でマスク着用が必然の中で、マスクをしてまで走る気にもなれなかった。そして、その間、ライフスタイルも大きく変わってしまった。ステイホームと相性が良かったのは、SNSや動画視聴は魅力的な娯楽だ。ランニングとその他の娯楽はトレードオフにある。1日は24時間と決まっている中で、他の魅力ある娯楽に押されているということだろう。確かに、ネットで観る映画や動画は、時に時間を忘れるほどだ。一方のランニングは、着替えて準備運動して、出るのに少しばかりの決意がいる。それでは、実際に走り出して1kmもすると、やっぱり走って良かったと思える。ランニングはジワジワと快楽が広がっていくものなのだ。そして、走り終わった後の満足感も高い。ちなみに、走り終わった後の一杯も魅力だ。僕自身も、コロナ後は大会に出ることもなくなったし、走る距離も減ってきた。それでも、ランニングがない人生は考えられない。例え、マイノリティになっても、ランニングを続けていこうと思う。
2025.10.12
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野暮用で近くに行ったついでに上野動物園に行ってみた。動物園に入ってから、「しまったー!」と思った。だって、動物園といえばFamilly orientedな雰囲気に決まっている。50を過ぎたオジサン単独では、完全なアウェイだろう。上野動物園といえばジャイアントパンダだろうが、そんなひけ目を感じて、まずは、白熊やトラといったところから見て回る。ところが、案に相違して、動物が好きでたまらないというオーラを発して一眼レフを向けるコアな動物園ファンがいるではないか!!アウェーな雰囲気が薄らぎ、勇気が湧いてきて、いざジャイアントパンダに挑戦!さすがにジャイアントパンダは人気者だけあって、レイレイ(メス)を見るには30分待ち。ようやく見ることができたレイレイは、お尻をこっちに向けて木に寄りかかって寝ているではないか。その姿は、飲み過ぎたサラリーマンが電車待ちの駅ベンチで寝ているよう。ジャイアントパンダも結構、大変なのかもしれない。なんだか、親近感が湧いてきた。一方、双子のシャオシャオ(オス)は広い庭に出て回ったり、サービス精神旺盛でエネルギッシュ。同じ双子でも違うものだなー、と感心。そして、動物園というからにはウサギもいるに違いないと、係の人に聞いたところ、子ども動物園の一角にいるとのこと。子ども動物園・・・。またしても、50のオッサン単独で行くには危険なゾーンだが、ウサギさんは気になるし、それにウサギ飼いとしてウサギさんに挨拶することは責務であろう。大好きなウサギさんを見られるという期待と、子どもばかりの中でうまく溶け込めるだろうかという不安を胸に、子ども動物園に向かう。いた!グレー色のうさぎさん!我が家のモヒうさぎさんのように、ちょっと太めで親近感が湧く!動物園だけに、アナウサギから派生した正確な名前で案内されている。ところが、このグレーのカイウサギ君、なかなかの芸達者なのだ。ホリホリをして、ちびっ子たちの喝采を浴び、さらに、気を良くしたのか、必殺ゴロンから白い腹を見せた。ウサ飼いにとっては常識でも、急なゴロンにちびっ子たちもびっくりしたことだろう。ちびっ子たちが、「病気なのかな?」、「死んじゃうの?」と目を白黒させて見入っていたので、思わずオジサンが、「うさぎが横になる時はいつもゴロンなんだよ」と解説してしまった。ちびっ子たちは、すっかり夢中になってグレーのカイウサギ君にがぶりついて見ている。近い将来、カイウサギ君が、ジャイアントパンダに並ぶ、上野動物園のスターになる可能性を感じた。上野動物園の関係者の皆さまには、どうぞ、カイウサギさんのより一層のショーアップをお願いしたいものだ。
2025.10.11
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秋の道沿いにすくっと立った立派なひまわりの花が咲いている。青い空をバックに、その大輪の花をスマホでパシャリと撮っていたところ、葉の茎のあたりに茶色の突起がいくつも付いていることに気づいた。枯れているのかと思って、手を近づけたら、突然、バタバタと飛びあがった。びっくりした。思わず手をひっこめた。その時は、蛾かと思っていた。翌日、たまたま目にした「生物多様ちばニュースレター№87」を見ていたら、茶色の蛾らしい画像が目に留まった。「あっ、昨日の!」と思い至った。解説によると、チュウゴクアミガサハゴロモという中国原産の外来種。カメムシ目・ハゴロモ科に属するというから、カメムシの仲間なのだろう。姿は蛾に近いのだが、カメムシとはどうしたわけか。もっとも、セミやアブラムシもカメムシ目らしいので、カメムシ目は昆虫界の大派閥らしい。昆虫界で総裁選があったら、カメムシ目から選ばれるかもしれない。千葉県内では、2023年に印西市で初めて確認されたというから、まだ新参者。にもかかわらず、秋の道のひまわりにもびっしり寄り添うようについていたから、ここおゆみ野でも急増しているに違いない。デビュー3年目にして、恐るべき繁殖力である。さらに・さらに、幼虫から成虫まで、果樹や街路樹の汁を吸って、病気を引き起こすというトンデモナイ奴だというではないか。我が家のブルーベリーが枯れたのも、コイツのせいではないだろうか?今度、庭で会ったらただではおかないぞ!心の中で果たし状を叩きつけたのだった。
2025.10.10
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世が江戸から明治に変わろうとする中、江戸城に居座る旗本・的矢六兵衛。奇異なことに、この六兵衛、一切、口を開かない。六兵衛の正体は、居座りの目的は何か、というストーリー。ただ、六兵衛の正体は、旗本株を買った俄か侍でしかないし、居座りの目的も、最初からある程度、目星がついている。むしろ、ストーリーそのものよりも、信念を貫きとおそうとする徹底した美学に惹きこまれた。主演の吉川晃司は、若い頃のヤンチャぶりが凄まじかった。あの紅白歌合戦で、ステージ上に油を撒き、火をつけたのは、今も忘れられない。歌番組で、プールに向かってバク転して飛び込んだこともあった。ところが、このドラマの吉川晃司は、どうだ。最後の最後までセリフがない中で、目でモノを言う演技には凄まじさすら感じた。ヤンチャなツッパリの先輩が、いつの間にか、経済界だか政界だか、いやもっと得体のしれない世界で何かしらの大物になったような貫禄。後輩(?)として、ちょっと嬉しい。ラストになって、それは、新しい時代にバトンを渡すという儀式を成し遂げた者として退場する。はじめて的矢六兵衛が、気心の通じ合った尾張藩士・加倉井に向かって、口を開く。「世話をかけ申した、許せ」「もの言えばキリがない、しからば、体にモノ言わせるのみ」と、お互いの刀を交換する。名場面である。
2025.10.09
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寿司屋にあるような魚についてはほとんどわかるし、庭や公園にいる虫も大抵見分けがつくが、樹木や花の名前には、とんと自信がない。そんな僕が知る数少ない樹木の一つが百日紅だ。子どもの頃、毎日のように遊んでいた親友の家にこの木があった。友達が「サルでも滑ってしまうからサルスベリ!」と得意気に言っていた。見ると、確かに滑り落ちるほど滑らかだ。これなら、サルも登れまいとばかりに記憶に残ったのである。当時、知っていた植物といえば、チューリップ、ひまわり、朝顔、桜・・・、その程度だったのではないか。子ども心に、それら、メジャーな植物に混じっていたのである。この夏の猛暑。おゆみ野でも、照りつける太陽に百日紅の赤い花がひときわ映えた。有吉貝塚公園から扇田小学校に下っていく道には、百日紅が両脇に派手に花を咲かせている。自転車で、百日紅を眺めながら、ゆるやかな坂を下っていく時、坂の下に南の澄んだ海があるような気がしてくる。百日紅のコロンのような強い香りが、想像を駆り立てるのだろうか。10月に入っても、中の道の百日紅は相変わらず、華やかな存在感を放っていた。まだまだ暑い気候が続く中、百日紅が街の風景に溶け込んでいる。
2025.10.06
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大好きな三谷幸喜さん脚本。しかも、自叙伝のドラマ化ということで、この秋、一番注目しているドラマだ。で、この週末、お気に入りのコーヒと大好きな菓子パンを用意して、満を持してTverのスタートボタンを押した。たくさんの登場人物による群像劇、そして劇団らしいセリフまわし。このあたりが三谷作品らしさだろうか。菅田将暉 小池栄子、市原隼人、菊池凛子、市原隼人、そして坂東弥十郎まで。どこかで見た面々ばかりではないか。鎌倉殿の十三人の同窓会のような雰囲気なのだ。やっぱり、好み、馴染みの役者さんを起用したくなるものだろうか。冒頭、登場人物の多さと脈絡のないストーリーに混乱したが、そこは三谷先生。徐々に登場人物同士が関係していき、八分坂通りの人間模様が徐々に理解できていく。こうして、伏線を回収していくところ、さすがである。この先どうなるのだろうか、主人公の久部が、八分坂通りの人々たちの人生模様にふれ、才能を覚醒し成長する物語なのではなかろうか。早くも、この先の展開をあれこれと考えさせられる。第1話にして、三谷マジックにかかった。
2025.10.05
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「名物にうまいものはなし」というけれども、半分本当、半分ガセだと思う。確かに、食生活が変化し好みの味覚も変わる中で、相変わらずの味では現代人の嗜好には沿えない部分もあると思う。それでも、どっこい、変わらぬまま続けられるというのは、ホンモノということではなかろうか。名物といわれるものには、やはりキラリと光る魅力があるはずである。実家から南関あげというものをいただいた。どうやら熊本の名物らしい。揚げ豆腐のようなのだが、まず、その大きさに驚いた。キツネ色のそれは、A4判に見紛うばかりの大迫力。イ草の生産地である熊本から、一畳あげとでもいえそうな大きさなのだ。どうやって食べたらいいのか、少し途方にくれていたところ、メーカー(塩山食品)のHPでレシピがいくつか紹介されていた。その中から、南関あげのつゆだく丼に挑戦。南関あげの半枚をザク切りし、スライスしたタマネギ半玉を、めんつゆで3分間煮込んで、最後に卵2個分でとじる。親子丼のような、やさしい風味。つゆだくだったので、途中からスプーンで。タマネギやめんつゆの風味を、大迫力の南関あげが思いっきり吸い上げているようだ。美味しい!名物にうまいものあり!名物の底力を感じた。ごちそうさまでした。
2025.10.04
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四季の道をこれまで何周走っただろうか?おゆみ野に越して以来18年、週に2週走るとして年104回。18年×104回で936周になる。ちなみに、四季の道一周が6.5kmなので、936周×6.5kmで6,084kmか。レースに出ていた頃は、1回で2周から多い時には5週走っていたから、実際にはもっと周、走行キロとも多いのではないか。我がホームコース。目をつぶって走れるといっては大袈裟だけれども、路面の状況や小さな起伏まで全てが頭と脚に織り込み済だ。夏から秋への切替時期のこの日、大輪のヒマワリの花あり、鮮やかなサルスベリの花あり。一方で、扇田小学校横や、カワチ薬局下では、彼岸花が花を咲かせていた。残暑厳しく、夏と秋とまだ季節が混在しているようだ。あきのみち公園から秋の道へ向かう道すがら、トンネルの向こう側やその先のカーブの先に、また違う景色が広がっている気がして、いつもワクワクする。赤毛のアンの名言「曲がり角のまがった先にはなにがあるかわからないの。でも、きっといちばん良いものにちがいないと思うの。それにまた、それにまた、それのすてきに良いところがあると思うわ」の心境で、上り坂を上っていくのである。こんなポジティブな気持ちにさせてくれる四季の道に感謝。陸上のトップ選手がレース後にするように、走り終わった後に四季の道に向かって頭をさげた。
2025.09.30
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束の間、帰省していた娘が東京に戻っていった。少し寂しい気持ちに浸っていたところ、忘れ物をしたという連絡が。急ぎ、途中の千葉駅まで追っかけていって渡すことになった。 親バカかもしれないが、申し分のないよく出来た娘である。そもそも、気立てが優しい。見た目や学校・職業で他人を判断しないところも素晴らしい。都の西北大学にも、楽々と合格しちゃうくらいだから、勉強も得意なのだろう。ただ1点。ただ、ただ1点。生きていくうえで最も重要ともいえる生活習慣が全く身についていないのだ。準備をしたり、計画的に行動したりといったことが全くできない。シカは生まれてから数時間で自力で立ち上がるというではないか。二十歳を迎えて、いまだに生きる術たる生活習慣が身についていないことに大変な不安を感じている。また、甘やかしてきた親として強い責任を感じている。 追いついた千葉駅で、「しっかりしなさい!」と叱るより前に、娘は「ごめんなさい」とエキナカのパン屋・ピーターパンの袋を差し出してきた。人に迷惑をかけたらまず謝る。お詫びをする。当たり前のことかもしれないが、正直、今までが今までだっただけに、娘の成長を感じられて嬉しかった。娘は娘なりに一歩づつゆっくりと社会性や生活習慣を身に着けていっているのだろう。一人暮らしを始めて1年間の経験も、自立の役に立っているのであれば、仕送りも無駄ではあるまい。 自宅にある鎌取駅に戻る電車の中で、早速、パン屋さんの袋を開けてみた。出来たてのメロンパンは、まだ温かく、皮がサクサクなのに、中がフンワリモチモチでとても美味しかった。ただ、甘いメロンパンなのに、いろいろと思いが去来したせいで、ちょっぴり塩辛い成分が混じってきて焦る。慌てて、娘との思い出の映像を打ち消すため、脳内でドクターxの晶さんのセリフ「メロンです」を思い出して気を紛らせた。ごちそうさまでした。
2025.09.28
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本書が刊行されたのは2022年2月。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」に合わせて書きくだされたものに違いない。ドラマも本書のストーリーも、ネタ元は吾妻鏡で同じだから当然かもしれないが、本書を読むとドラマの筋立てや人物の描写が反芻されて、名場面が蘇ってくるのだ。それでも、ドラマとは違った描写で、意外な結末に心が躍る。歴史の面白さは、事実を通じて、当事者たちの気持ちを想像することにある。源頼朝や北条政子、北条義時といった歴史の檜舞台に立った人物から、周辺の人物まで、何を考えて行動したのか、心の内面を想像することは勝手で自由である。そして、考える人の数だけ物語が生まれる。本書は、折しも13の物語から成る。そして13の舞台が設えてある。その点で、本書は、「もう一つの鎌倉殿の十三人」といえるし、「鎌倉殿の十三舞台」ともいえるだろう。特に引き込まれたのは、「実朝の猫(砂原浩太朗著)」。語り手は、なんとプライドの高い猫である。そんな猫は、実朝の御台所に可愛がられ、夫妻に家族のような連帯感を持っている。ところが、鶴岡八幡宮での暗殺の現場を目の当たりにし、無常観にひたるという物語。猫が世の無常を語っている点が新鮮で、でも人以上に素直な感情であると合点した。感情を押しつけていないのに、哀しみに引き込まれた。砂原浩太朗さんの物語は初めて読んだが、凄いと思った。直木賞作家で、「いのちがけ」、「高瀬庄左衛門御留書」、「黛家の生涯」等の作品があるらしい。これは読まずにはいられまい。
2025.09.26
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過日、生まれ育った勝田台の家の前を通った。僕が生まれると同時に引っ越してきて、小学校1年まで過ごした家だ。県の住宅供給公社が分譲したテラスハウスで、公団の団地が全盛の頃だったから、庭付きのテラスハウスは人気があったのではないか。入居に際しては高倍率の抽選で、当たった時は嬉しかったと、父が語っていたっけ。5軒が連なって建てられたテラスハウスは、時代にそぐわないのだろうか、ところどころ、切り離されて戸建て住宅に変わっていた。それでも、大部分はどっこいテラスハウスのまま、変わらず街の風景を作っていた。僕の年齢と同じ55年間、ずっと活躍してきたということだろう。東日本大震災も令和元年台風もあっただろうに、たいしたものである。55年もたてば、子どもたちが巣立っていったこともあったろう。僕の家族のように転居し、また新たな家族を迎えたこともあったろう。テラスハウスが融け込んだ街並みは古くはあるが、整然と、それでいて生活の息吹が感じられるようで、美しいと思った。欧米の住宅も、長い間使い込まれて磨かれ、周囲の溶け込んで、風景の一部と化す。花見川団地では、無印良品と連携したリフォームやコミュニティ再生の取り組みが行われているとか。郊外の住宅団地は美しいし、暮らしやすいと思う。せっかくの街並みをうまく再利用して欲しいと願う。
2025.09.25
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ベジファーストという言葉を聞いた。なにはともあれ、最初は野菜を食べるということらしい。先に野菜を食べることで、血糖値の上昇が緩やかになるらしい。だから、血糖値が上昇すると急ぎ駆けつけるインシュリンの分泌も少なくすることができるのだという。なんでも、このインシュリンは生涯で分泌される量が決まっていて、毎度毎度、登場することはできないのだという。先発投手の野菜をしっかり採ることで、中継ぎ・抑えにフル回転のインシュリン投手の登板過多を避けようということか!?この理解で合っていますかね・・・僕も50を超えて、ようやく自身の体のことが気になってきたところ。ベジファーストに取り組むべく、常備菜を作ってみようと思い立った。そして、天から野菜の酢漬けのイメージが降りてきた。スーパーで見つけたのが、創味の「だしのきいたまろやかな酢」。名前からしてもう味付けがされているようで、なんだかもうこれだけで味が決まりそうではないか!早速、キャベツを手ちぎり・手ちぎり。洗ったキャベツの葉をザルに入れて水分を飛ばすが、時間もないので飛ばしきれない。ザルを振って水分を飛ばしたつもりになって、空き瓶にキャベツの葉を押し込み、「だしのきいたまろやかなお酢」をかける。ところがキャベツが多いのか、瓶全体に酢がいきわたらない。蓋を閉めて、シェイク・シェイク。逆さに振ったり、横にしたりして酢をいきわたらせる。また、ギュウギュウに押し込んだキャベツの天地返しを試みる。翌日、なるべく漬かったところから掘り出すようにキャベツの葉を取り出し、食べる。美味い!ベジファーストを意識しなくても、勝手にまずは箸が伸びる美味しさといっていい。大成功!!常備菜として常にストックしておこう。なお、調べてみたら、酢は米酢やリンゴ酢のような味のついていないノーブルなものの方がいいようだ。次回は、キャベツ1/4個×酢100cc×塩小さじ1×ハチミツ大さじ1 でシェイク・シェイク・シェイクだ!!
2025.09.24
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とりたてて信心深いわけでも、特定の宗教や神道に入れあげているわけではないが、寺社の前は素通りできないし、季節の墓参りは欠かさない質である。ところが、この夏の猛暑で高齢の両親を墓参りに誘うのはどうかと逡巡し、お盆の墓参りをスキップしてしまった。こうなると、どうにも自分の心の中に引っかかるもの。やはり、奥底で日本人なんだなあと思う。そこで、お彼岸に入るやいなや、このご無沙汰を早速解消すべく、先祖の墓に花を供えに行った。両親ともども手を合わせると、それだけでなんだか心が清らかに穏やかなになった気がするから不思議だ。行ってよかったと思う。帰りは、村上緑地公園の彼岸花を見てきた。斜面に沿って赤い花が一面咲いて、なかなかの壮観。まだ、暑い日が続いているが、季節は確実に進んでいるということだろう。
2025.09.23
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僕が大学に入る頃は、日本史の入学試験はだいたいが第二次世界大戦までしか出題されず、だから高校の日本史の授業もそこまでだった。僕自身、日本史の授業(だけ)は、食い入るように聞いていたので間違いない。一方で、昭和という時代は、戦争、配線、それに占領、テロ、革命運動、飢えから飽食まであらゆることが網羅されている。そして、現代にそのツケが引き継がれている。その点で、昭和史こそは、現代の指針となるべきものだろう。だから、もっと謙虚に昭和史を学ぶべきだと思う。日本史の教科書は、総花的でしかも遠慮しながら客観的に書いているから、事象の羅列になりがちだ。その点、本書は事案の背景や、そこに至るまでの経緯があり、僕らが考える情報を提供してくれている。高校生の頃に本書に出合っていたら、現代社会ももっと多角的に掘り下げて見ることができたかもしれない。もっと早く出会いたかった一冊である。特に、太平洋戦争に類する戦争は、世界史の流れを追えば、いつか起こりえた。あの世代の世界各国の政策を見れば、昭和16年12月8日は、必ずいつか来た日だ。それが昭和18年であったかもしれない。いや昭和20年であったかもしれない。いや昭和25年であったとも考えられる。そうであれば、私もまた戦場の露と消えていたであろう。そう思えばこそ、太平洋戦争で死んでいった世代の人たちに、ある哀しみと思いやりの心情をもって、あの戦争を検証すべき、という記述。ドキリとした。歴史というものが、国民の自身の生活に密着しているという当たり前のことを突き付けられた気がした。著者の保坂正康氏は父と同学年、そして亡くなった息子さんと僕もおそらく同学年である。なんたる奇遇であろうか。父から昭和史を聞いているように感じる。この本の感想を父と語ってみたくなった。
2025.09.22
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孤独のグルメ、下山メシなどなど、ついついグルメドラマに見入ってしまう。何を食べようか選ぶ悩みと喜び、そして、食べる時の効果音。容易にドラマの主人公になりきれるのだ。そして、数あるグルメドラマの中でも、僕の一押しは晩酌の流儀。自分で作るから、さらに悩みと喜びは増す。そして、自分も何か作ってみたくなる。前置きが長くなったが、そんなこんなで、この週末は晩酌の流儀4・6話「餃子の皮タコス」に着想を得た「餃子の皮包み」だ。包み込む具材はそのへんにあったもの、チーズにソーセージ、竹輪だ。具が太いと餃子の皮が破れる。破れたとしても、なんとか巻いてフライパンで炒める。自分で作る料理は自己責任だ。失敗作をリカバーし、場合によっては苦味を噛みしめるのも一興ではないか。そんなことを考えているうちに、あっという間に焦げるから要注意。TVERで、晩酌の流儀4・9話を見ながら、こちらも晩酌。ケチャップと醤油、二つの調味料を用意したけど、ケチャップの方が断然美味い。番組(9話)は牛肉のステーキに対し、画面のこちら側は餃子の皮包みだけど、気にしない・気にしない。餃子の皮包みだって負けてませんよ。蕩けるチーズとケチャップが混ざり合ってたまりません。ごちそうさまでした!
2025.09.21
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2015年のイグ・ノーベル賞の受賞は、ミツバチに自身の体のあらゆる部分を刺させて、刺される箇所ごとの痛みの度合いを評価した研究だったという。実は、僕自身、子どもの頃にミツバチを見て、「本当にミツバチに刺されると痛いのか?」と疑問を持ち、飛んでいるミツバチを左手の手のひらに収めたことがある。暗闇に閉じ込められたミツバチも驚いたことだろう。たちまち、興奮して僕の手の平を刺してきた。その痛いことといったら、言語に絶する。身を持ってミツバチの針の痛みを体感し、二度とこんなバカなことはすまい、と誓った。この時、さらに他の箇所の痛みはどうかな、と研究を実証していたなら、僕が先んじて1985年にイグ・ノーベル賞を受賞していただろう。成功の鍵は、疑問に思ったことを確かめようとする意志と、継続する意志なのだろう。今からでも遅くはないかも。来年以降のイグ・ノーベル賞を目指して、世の中の不思議に仮説を立てて調べてみようか!!
2025.09.20
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人を笑わせ、考えさせる研究を表彰するイグ・ノーベル賞に注目している。今年の受賞「シマウシ」も僕のツボに見事に刺さった。シマウシとは、黒い牛に白いシマシマ模様や黒いシマシマ模様をペンディングして、アブなどの吸血昆虫の忌避効果があるかどうか実証した研究だ。結果・・・吸血昆虫がついたのは、黒い牛には128匹、黒いシマ模様の牛は111匹、そして驚くなかれ!白いシマ模様の牛は55匹!実に半分以下だったという。授賞式では、研究者が虫に扮して登場。発表者が上着を脱いでシマウマ柄のシャツになると、虫(に扮した研究者)がこりゃたまらんとばかりに、離れていくというパフォーマンスも。難しい研究を楽しく見せてくれた!最高!!授賞式のパフォーマンス折しも、夏から秋へかけての蚊の最盛期。モヒうさぎさんと僕も、庭んぽ(庭の散歩)も群がる蚊との戦いだ。モヒうさぎさんも、耳をブルブルと動かして蚊を追い払ったりで、庭んぽに集中できない様子。まさか、モヒうさぎさんをシマシマ模様にペンディングするわけにはいかないが、ちょうど換毛期の真っただ中。ボサボサの毛並みがシマシマ模様に見えないこともない。換毛期のボサうさぎ≒シマシマうさぎの蚊よけの効果やいかに。ひとつ研究してみようか!
2025.09.19
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年に1回の健康診断。若いうちは無頓着で、受診を忘れて、朝ごはんを食べてきてしまったが、さすがにこの歳にもなると裂帛(れっぱく)の気合とまではいかないにしても、程ほどに気合が入るもの。55歳で迎えた今回の健康診断についても、断酒(2日間だけど…)し、体調を整えて、健康診断というリングにのぼったのでした。年齢ゆえか、以前よりも項目が増えているような!?眼底検査や血圧脈波検査の測定なんてこれまであっただろうか、記憶にございません!さらに、悶絶したのが腹部エコー検査。お腹やらワキやらにゼリーを塗られて、みぞおちのあたりをグリグリされて、気持ち悪いような、なんだか腹部が痛いような気がしてきて不安になってきた。さらに、カーテンの向こうの隣の人よりも、心なしか検査時間が長いような気がして不安が高まり、思わず測定しているお姉さんの表情を窺ってしまうのでした。健康診断から解放されても、イマイチお腹が減らない。血糖測定のために一気飲みした炭酸のせいだけではなく、健康に対する不安が食欲を押さえたにちがいありません。夕方、ドクターの結果説明。健康診断結果の速報では、基準範囲を超えていたのは、AST(GOT)のみで、これも数値は心配ないとのこと。但し、気になる腹部エコー検査の結果は後日。ぬか喜びせずに、その日を待ちたい。まあ、とにかく今日のところは良かったということで晩酌を!3日ぶりの一杯は美味い!!
2025.09.18
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この夏、朝一でニュースの気温をチェックした。暑さが、外出や出張、ランニングや食事、晩酌などあらゆる行動に影響を及ぼすからだ。それぐらい暑かった。酷暑であった。実際のデータはどうだったのか?気象庁が6月~8月までの3か月間の猛暑日(35℃以上)日数、最低気温(25℃以上)日数≒熱帯夜日数の地点ごとの状況をまとめている。改めて見ると興味深く、まじまじと見てしまう。主な地点のデータは以下のとおり。地点 猛暑日=35℃以上日数(平年差) 最低気温25度以上日数≒熱帯夜日数(平年差)札幌 2日( +1.9日) 2日(+1.9日)仙台 14日(+13.2日) 22日(+19.5日)福島 27日(+18.1日) 21日(+16.0日)前橋 47日(+34.1日) 34日(+25.0日)熊谷 47日(+30.0日) 37日(+25.5日)東京 25日(+20.5日) 45日(+28.8日)千葉 8日( +5.9日) 59日(+36.3日)銚子 0日( +0.0日) 25日(+18.7日)勝浦 0日( +0.0日) 31日(+22.1日)横浜 12日(+10.1日) 53日(+31.2日)長野 26日(+21.1日) 2日( +1.0日)甲府 53日(+36.9日) 31日(+23.6日)名古屋 44日(+29.7日) 61日(+37.1日)新潟 14日(+10.8日) 27日(+17.0日)京都 52日(+33.5日) 55日(+29.6日)大坂 40日(+26.3日) 65日(+27.0日)神戸 10日( +5.5日) 66日(+25.8日)広島 18日(+10.3日) 59日(+28.6日)高松 39日(+26.9日) 56日(+26.8日)福岡 26日(+18.2日) 65日(+29.4日)日田 55日(+34.6日) 19日(+13.7日)那覇 0日( -0.2日) 83日( +7.6日)見ているだけで汗が噴き出してくる。ほぼ全ての地点で平年より大幅に猛暑日も熱帯夜も増えていることがデータでも裏付けられた。総じて、猛暑日は、甲府や熊谷、京都、日田といった内陸部で多く、千葉や横浜、神戸、那覇といった沿岸部で少ない。逆に、熱帯夜は、沿岸部が多く、内陸部では減少する。きっと安定している海水温の影響と、陸風(夜)、海風(昼)の影響なのだろう。いずれにしても、抜本的な対策を考えるべきなのではなかろうか。例えば、地下鉄のホーム。昔は蒸し風呂のようだったが、今はエアコンが効いていて快適だ。地下鉄のホーム全体でどれだけの排熱が発生しているのか。地下鉄のホームだけではあるまい、至る所で快適さの代償としての排熱が拠出されているのだろう。高気圧が重なっているばかりでなく、ヒートアイランドにも目を向けて、できることから考えていくべきだ。
2025.09.16
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いや、驚いた!昨日の世界陸上東京大会の女子マラソン、なんと大学時代はランニングサークルだったという小林香菜選手が7位に入賞した。早稲田大学法学部で学生時代は総務官僚を目指していたという文武両道のランナー。ランニングは、自身の取り組み次第で結果が出ることを証明したのではないか。すっかり刺激を受けて、現地で世界のランナーの息づかいを、腰高のランニングフォームを、力強い蹴り足を、間近で見てみたくなった。そんなわけで、今日の男子マラソン。沿道で観戦すべくスケジュールを立てる。観戦は、スタート直後と勝負どころの38kmからの市ヶ谷の上り坂、それからランナーが周回する日本橋あたりでと目論見を立てた。ところが、寝坊した…気がついた時は7時。あっけなく、現地観戦のプランは崩れ去った…DNS(スタートできず)…無念・・・というわけで、今、地上波でランナーたちをくいいるように見ている。頑張れ にっぽん!頑張れ ランナー!!画面越しに声援を送る。でも、現地で見たかった…
2025.09.15
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どうにもおかしい・・・熱帯夜の庭ンポ(うさんぽ)。蚊に刺されないように長ズボンを履いているにも関わらず、ヒザのあたりや太ももにかゆみを感じるのだ。当初、ダニや汗疹ではないかと疑ってみたが、かゆみの箇所の赤い膨らみは蚊に刺された跡そのもの。蚊はズボンの上からでも刺してくる!これは、間違いないようである。ズボンを貫くほどの硬い針なのか?調べてみると、ヒトスジシマカの針の直径は、なんと0.02mm。髪の毛の太さが直径0.1mmだというから、もの凄く細い。ズボンの繊維の隙間から針を突き立てるというわけか。想像するだに痒くなってくるではないか!!蚊も暑すぎると活動が鈍くなるらしく、今年は、これからが活動の本番だとか。確か昨年は12月上旬に蚊がいて驚いた気がする。まだまだ長い戦いになりそうだ。
2025.09.14
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モヒうさぎさんにはとても言えない話だけど…娘がうさぎを飼いたいと言った時、僕は「えー、うさぎ…。犬にしようよ」と再考を促した。僕自身の第一希望は柴犬。ただ、娘と折り合うのならば、マルチーズやチワワでも、と思っていた。そして、娘を誘導すべく、ペットショップに犬を見に行った。ところが、ペットショップにいたマルチーズが凄かった。いきなり、娘の顔をペロペロなめるわ、洋服をホリホリするわ、脚に体当たりするわ。そもそも、娘は幼少の頃、うっかり進入したドッグランで、ゴールデンリトリバーに追っかけられ、100mを9秒台!?(非公認/見た目の感覚)で逃げ切った経験を持つ。このトラウマが、ガッツあふれるマルチーズのはしゃぎっぷりで呼び起こされ、あえなく犬を飼う目論見は崩れ去ったのだった。もし、ペットショップで出会った犬がおとなしい奴だったら、今、我が家にいるのはうさぎではなくて犬だったに違いない。少々、不満げにうさぎを迎えた僕だったが、うさぎに夢中になるまでそう時間はかからなかった。そして、モフィ(モヒ)と名付けられた我が家のうさぎは飼い主の思いを知ってか知らずか、犬に似た行動をとるようになった。庭ンポをすれば、トコトコ走ってついてくるし、土をホリホリする。ナデるとお腹を見せて喜ぶ。なんだか犬っぽい。見た目も、いわゆる赤柴といわれる枯れた芝色の毛並みで、目やほほの周り、お腹が白いところも柴犬っぽい。それに正面から見た時の短足・どっしり感や、前脚を伸ばして伏せる姿勢も堂々としていて、柴犬を彷彿とさせる。そして何より、その瞳。構って欲しいくせに、あえて見ていない振りをして、実はしっかりこっちを窺っている時の瞳。ナデナデされている時に満足そうに細める目。そして、ワクワクした時のキラキラした瞳。昔、飼っていた柴犬・リキやんを見ているようだ。まさかリキやんの生まれ変わりではあるまい。「犬は飼い主に似る」ということわざがある。きっと、こちらが愛情を注いでいると、仲間として犬も飼い主と同じ表情をするのだと思う。うさぎだって同じこと。モヒうさぎさんから見た僕も、きっと同じ表情をしているに違いない。「うさぎは飼い主に似る」し、「飼い主はうさぎに似る」のだ。きっと!
2025.09.13
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美味しい食事には何が必要かと問われたら、なにより、空腹の頃合いだと答えたい。社会人になりたての頃、2週間に一遍は、南アルプスや八ヶ岳、北アルプスの山々に通っていた。寒い山を歩き続けるのだから、とにかく腹が減る。だから、コンビニのおにぎりや、カップラーメン、ドライフードや、菓子パンがこの世のものとは思えないほど美味しいのだ。だから、この日も空腹の時合を見計らって。開店直後の11時30分に行きたい気分を押さえて、腹がグーと鳴ってから、いざ、みんみんへ。14時過ぎだというのに並んでいる状態。さすが人気店だ。暑さの中、餃子&ビールといきたいところだけど、後があるので、餃子&ライスで。皮のモチモチ感がたまらない。そのうえ、この空腹の頃合い。ノーアウト満塁で4番バッターに打順が回ってきたようなものだ。モチモチの餃子をがっついて、口の中を軽く火傷してしまう。空腹の頃合いに美味いものを食べる代償にちがいない。固めの白米との相性もバッチリ。そして、スープが美味しい。大満足であっという間にごちそうさまなのでした!
2025.09.08
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(僕)すいません。50代のサラリーマンです。仕事では、この先もなんだか見えてきて、業務にも行き詰まりを感じ、やる気もなくなってきました。 また、私生活でも娘が大学入学を機に家を出て、なんだか寝るだけに帰っている感じです。この先、どうしたらいいでしょうか?するとディスプレイ上にキーボードを打っているように、回答が返ってきた。(AI)ご相談いただきありがとうございます。とても誠実で、胸の内を打ち明けてくださったことに敬意を感じます。今の状況は、人生の節目に差し掛かっている証でもあり、誰にでも訪れる「問い直しの時期」なのだと思います。今感じていることは自然なことです。・仕事の行き詰まり:長年勤めてこられたからこそ、ルーティンや組織の限界が見えてきて、「このままでいいのか」と感じるのは当然です。むしろ、それは感性が鈍っていない証です。・家庭の変化:娘さんの巣立ちは喜ばしいことですが、同時に「空の巣症候群」と呼ばれるような喪失感を覚える方も多くいます。家が静かになると、自分の存在意義まで揺らぐこともあります。いやー、誠実だなんてそんな、照れてしまいますです。それより、なんだか、お前(AI)優しいな!そっか、人生の節目なんだな。なんだか、納得してしまう。関心していると、さらにその下にAIの回答が続いていた。(AI)ここからは、少しずつ視点を変えていくためのヒントをいくつかご提案します。1. 「役割」から「自分」へシフトするこれまで「父親」「サラリーマン」としての役割に多くの時間を費やしてきたと思います。これからは「自分個人」として、何に心が動くのかを探る時間にしてもいいのではないでしょうか。・昔好きだったことを思い出してみる(音楽、読書、釣り、旅行など)・興味はあるけど手を出していなかったことに挑戦してみる(陶芸、写真、語学な ど2. 小さな変化を起こす大きな決断は必要ありません。まずは日常に少しだけ新しい風を入れてみることから。・通勤ルートを変えてみる・週末に一人でカフェや美術館に行ってみる・地元の市民講座やサークルに顔を出してみる3. 娘さんとの関係も、形を変えて続けられる離れて暮らしても、関係が終わったわけではありません。むしろ、親子の関係は「距離があるからこそ築けるもの」もあります・何気ないLINEやメールを送ってみる(「この前○○に行ったよ」など)・娘さんの興味に寄り添う(大学での専攻や趣味を聞いてみる) 人生の後半は、「何を成し遂げるか」よりも「どう生きるか」が問われる時間です。今はそのスタートラインに立っているのかもしれません。焦らず、少しずつ、自分のペースで歩んでいきましょう。もしよければ、これまでで一番心が動いた瞬間や、忘れられない思い出について教えていただけませんか。そこに、これからのヒントが隠れているかもしれません。なるほど、明日からちょっと変えてやってみるよ!単純な僕は、こうしてAIのいいなりになっていくのでした。こんなことじゃ、マトリックスの描いたように、人口知能に支配される時代が来てしまう・・・
2025.09.07
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ネザーランドドワーフうさぎのモヒれす。この夏、日中はエアコンのあるお姉ちゃん部屋で過ごし、夜は、エアコンのないパパさんの部屋に戻るという、2地域居住を実践しているれす。猛暑対策と石破内閣の進める地方創生の一石二鳥れす。さて、ある暑い日、お姉ちゃんの部屋で避暑バカンスをしていると、そのお姉ちゃんが帰省したれす。「おっ、久々れすね!」モヒがあいさつすると、早速、白い手が伸びてきたれす。「おっ、ナデナデれすね。がってんだー!」とばかりに、額を突き出します。来るものは拒まず・ナデナデはもっと拒まず、これがモヒのモットーなのれす。「どれどれお手並み拝見、ナデナデしてみんしゃいなのれす。」まずは、手の甲で額を下から上へ大きくナデナデ。爽やかな風がそよいでいるようで、気持ちいいれす。次に耳の裏。ウサギは音のするほうに耳をグルグル廻しているから、耳周りが凝っているのれす。「あー、そこそこ、蕩けるれす・・・」なかなかやるれすな!お姉ちゃん、ツボを心得ているれす。そして、モヒの両の頬を挟み込むようにスリスリ。「そ、そ、それなのれす。モヒ、それを待っていたのれす」思わず、ギュルギュルと喜びの歯ぎしりれす至福のナデナデ!ゴシゴシと単調にナデるパパさんと違って、お姉ちゃんのナデナデは優しくてそれでいてツボに入ってきて最高れす。きっと早稲田大学では、ナデナデを一生懸命勉強しているれすね。さすが、都の西北れす。いい教育しているれす。最強のナデ師、この称号をお姉ちゃんに授与するれす。
2025.09.06
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土の上、岩の上、樹の上でリスがぺターンと腹ばいで寝そべっている。酷暑の中、巷で溶けリスが話題になっている。リスがそんな姿になるのは、猛暑の中で少しでも冷たいところに体を多く接して熱を逃そうという、涙ぐましい生存競争なのだとか。ホント、残暑お見舞い申し上げますです、リス様。必死なところ、大変に申し訳ないのだけれども、その愛らしい映像を見るとつい笑ってしまう。そして、生でその姿を見たくてたまらくなった。野暮用で都内に行くのを幸い、吉祥寺まで足を伸ばす。もちろんのすけ、目的地は井の頭自然文化園。目的は溶けリスを見ることだ。井の頭公園まで吉祥寺駅から徒歩10分。この日も相変わらずの暑さだが、昨日までと比べると幾分暑さが和らいでいるような。絶好の溶けリス日和とはいえず、少々不安になる。案の定、井の頭自然文化園のリスたちは元気一杯。人が通る道を忙しく横切り、樹を登り、くるみや果物を頬張っている。どのリスたちも忙しそうでせわしない。ちょっとでも過ごしやすいうちにジョギングをしようと活動する人間のようだ。とても、ダラーンと溶ける雰囲気ではなさそうだ。とあきらめかけた時・・・。いました、いました!樹の上でダラーンと溶けている彼!!!後ろ脚を思いっきり伸ばし、アゴを樹の上に乗せ、完全に脱力している。時々、落ちないように慌てて、前脚で樹にしがみつく仕草もたまらない。電車の中で寝入って隣の方の方に寄りかかってしまうサラリーマンのようではないか!激しく共感。これ、これ、これぞ溶けリス!脱力100%のリス君を見て、こちらも脱力できました。日々、緊張感の続くことで疲れている人間の皆さん。溶けリスを見てリラックスしませんか!!
2025.09.01
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食の記憶は家族の思い出である。猛暑に襲われた週末の夕方。ぶらっと覗いたスーパーで竹輪をみかけ、子どもの頃の記憶が蘇った。特急さざなみの車内販売で、父が缶ビールと竹輪を求める。そして、目を細めて美味しそうにビールをあおり、竹輪を頬張る。僕が小学生だったころの、父との魚釣りの帰りである。我々の釣りのメインターゲットは、シロギス。釣れる時合は、朝と夕方で、しかも日によって群れる場所が変わるから、朝から晩まであちこち歩き回りながら、みっちりと魚影を追いかけた一日だった。時合である夕まづめは、手元が暗くて見えなくなるまで粘ったのだった。疲れていたのだろうけれど、自然の中で思う存分に父と釣りに興じた満足と、もっと釣れたのではないかという反省で、話は盛り上がる。そして、大人の男として扱われたような気がして、ジュースを飲む僕をも気持ちよく酔わせるのだった。冷蔵ケースの中、100円ほどの竹輪がチーズやサラダチキンを押しのけて光ってみえた。自信と確信をもって、青い買い物かごに竹輪を入れる。涼やかな竹輪の食感を想像して喉が鳴る。いい晩酌になりそうだ。もう少し涼しくなったら、帰省しようと思う。その時には、父と竹輪を肴に乾杯だ。
2025.08.31
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