全3件 (3件中 1-3件目)
1

タラヨウ(ハガキの木)上のタイトルを見て、記事の内容が一発でわかる人がいるとすれば、それは農政事情に相当詳しい人か、もしくはたまたま例のニュースのことを知っていた人ではないでしょうか。そのニュースとは、2026年度よりブロッコリーが指定野菜に追加されるというものです。指定野菜というのは「特に消費量が多く国民生活に重要な野菜」として国が指定している野菜のことです。こうした野菜は安定的な供給のために国からの手厚いサポートを受けて栽培されています。現在指定されている14品目をすべて挙げると、次のようになります。キャベツ キュウリ、サトイモ、ダイコン、タマネギ、トマト、ナス、ニンジン、ネギ、ハクサイ、ジャガイモ、ピーマン、ホウレンソウ、レタスこれらのうち、一番最後に指定されたのはジャガイモ(馬鈴薯)で、1974年のことだそうです。ということは、2026年に新規追加されるブロッコリーは52年ぶりの指定ということになります。52年ぶりなんて聞くと、何だかめでたいことのように思えて、思わず㊗️マークを付けてしまいました。ふだんブロッコリーを食べない人にとってはどうでもいい話かもしれませんが、私のように長年習慣的にこの野菜を食べ続けている者からすれば、今回のこのニュースはある種の慶事ではあります。消費者にどれほどの恩恵があるのかはよくわからないものの、ブロッコリー自体の昇格を素直に喜んであげたいという気持ちが心のどこかにあるのです。現在ブロッコリーは指定野菜に準ずる特定野菜(35品目)に位置づけられていますが、2026年からはその中からたった一つチョイスされて、さらに上のカテゴリーにランクアップされるわけです。まあ、ブロッコリーを育てている人や、好んで消費している人からすれば、これは我が子が出世したり押しが売れたりするのと同じような感覚ではないでしょうか。というわけで、今回は昇格おめでとう特別企画として、その方面の識者の方々が語るブロッコリー評を2件ほど紹介させていただきます。まずは、ブロッコリーと同じく特定野菜グループのメンバーにして、『怒りのブロッコリー』『時計じかけのブロッコリー』『ブロッコリー畑で捕まえて』等の著書により、ブロッコリー評論家としても名高い仮花(カリフラワー)博士の祝賀スピーチからの抜粋ということで、早速どうぞ。「ブロッコリー族のこの度の昇格は、我らアブラナ科全体にとっても喜ぶべきことではないかと思うのであります。思い返すに、明治のはじめ頃、我らカリフラワー族はブロッコリー族と共に初めてこの国に導入され、以来なんとか人々の口に合うようお互い切磋琢磨し続けてきたわけでありますが、その甲斐もあってか、昭和の30年代ころからは、我らカリフラワー族が先にブレイクして庶民の食卓にまで進出し始めたのであります。しかし、その頃よりわたくしは常々思っておりました。そのうち、ブロッコリーの時代がやって来ると。わたくしがそう思った最大の理由は、やはりブロッコリー族に秘められたその驚くべき栄養価にありました。これは残念ながら、私どもカリフラワー族には太刀打ちできないほどの能力でして、それがそのうち人間の知るところとなり、脚光を浴びることになる。当時からそう私は確信していたのであります。そして、それは現実のこととなり、今日こうしてブロッコリー族が「野菜の王様」としてもてはやされる時代が到来したわけであります。 では、その高い栄養価というのは具体的にいかなるものか。それはすでにあなた方もご存知のことかと思いますが、改めてここで確認しておくと、我らカリフラワー族に比べブロッコリー族が断トツに秀でているのは、β-カロテンとビタミンCの含有量であります。さらに言うと、ブロッコリー族はスルフォラファンをはじめ約200種類ものファイトケミカル(抗酸化作用物質)を体内に隠し持っているというから驚きです。要するに、いつの間にか彼らはガン予防が期待できる食べ物ランキングの上位に君臨するようになり、そういう情報が大好きなヘルシー志向の日本人によって大量に消費されるようになったわけであります。」お次は、やはり特定野菜グループのメンバーで、救荒作物の研究家としてお馴染みの甘藷(サツマイモ)先生へのインタビュー記事の一部をご覧いただきます。Q 先生、ブロッコリーの指定野菜入りが決まりましたが、それを受けての感想を一言お願いします。甘藷 : 感想言われてもなあ。そんなもん、特にありませんがな。まあ、どんな作物でも、安定的に供給されるということは、ええことじゃないですか?Q では、ブロッコリーが新たに選ばれた理由は何でしょう。甘藷 : いや、だから、単に消費量が多いということじゃないですか?あと、ルックスもヘルシーっぽくて、よろしいんじゃないですか。あれ、何と言うんかな、フラクタル構造でしたかな。Q 消費量だけが決め手とは思えないのですが。例えば、同じ芋類でも、サトイモが指定野菜の中に入っているのにサツマイモの方は入っていません。素人の印象では、サツマイモの方が生産量、消費量共サトイモを上回っているような気がするのですが、そのへんは先生、どうお考えですか?甘藷 : さあ、それは役人に聞いてみんことには、私にもようわかりませんなあ。ただ、ちょっと指摘しておくと、君は「同じ芋類」と言うが、それは名前だけを見ての分類で、我々は実際のところ同じ仲間なんかじゃないんだよ。サトイモはサトイモ科、サツマイモはヒルガオ科、ジャガイモはナス科の植物なんじゃよ。Q えっ、ジャガイモってナスの仲間なんですか。甘藷 : 植物学者はそう分類しておる。ちなみに、現在の指定野菜には二大派閥のようなものがあって、一つはナス派 ( ナス、ジャガイモ、トマト、ピーマン ) 。そして、もう一つはアブラナ派 ( ダイコン、ハクサイ、キャベツ )。これにブロッコリーが新たに加わるわけじゃ。でも、それはあくまで植物学者の見立てであって、農水省の役人たちはそういうふうには見ておらん。彼らは、葉茎菜類 ( キャベツ、レタス、タマネギ、ネギ、ホウレンソウ、白菜 )、果菜類 ( キュウリ、トマト、ナス、ピーマン ) 、根菜類 ( ダイコン、ニンジン、サトイモ、ジャガイモ ) というふうに分類しておるようじゃが。まあ、でも、そんなことはどうでもよくて、ついでに言うと、消費量云々という話も、実はどうでもいいのじゃ。肝心なのは、国や地域によって食文化が違うように、人それぞれ好みの野菜も違うということじゃ。だから、話としては、カルト野菜論とか、我らサツマイモ族のような品種を扱った救荒作物論の方が大いに盛り上がって楽しいんだけどな。まあ、ブロッコリー族の今後の課題はそのへんにあるかもしれんな。Q と言いますと?甘藷 : ジャガイモ族のような万能性を彼らに期待するのは酷かもしれんが、レシピとかを新たに開発してもろうて、もうちょっと面白うせにゃあかんなあ。いつもいつも茹でてマヨネーズつけて食べるだけじゃ、そりゃあんた、いかにも芸がなさすぎでっしゃろ。 笑Q ( なんか、話し方が安定せんかったけど、最後は関西弁で締めたな、このオヤジ…)
2024.01.25
コメント(0)

マサキの実167気がつくと白葱を一本片手に握りしめて、スーパーの入り口に突っ立っていた。あ、ワシは買い物に来てたみたいだな。何で白葱かはわからんけど、こいつを握りしめて外向きに立っているということは、もう用事は済んだということか。じゃあ、とりあえず帰ろう。次の場面では何かを探している。広々とした駐車場をぐるぐる歩き回るも、自分の車が見当たらない。あれー?変だなあ。たしかこの辺に停めたんじゃなかったっけ。それとも、それは何かの勘違いで、実は誰かの車に乗せてもらってここまで来たのだろうか?でも、その誰かも見当たらない。かくなる上は、自力で歩いて帰るしかない。ホップ!東の方角に一歩踏み出してみて、すぐに異変に気づいた。身が軽すぎると思ったら、なんと宙に浮くようにして歩いているのだ。ふわー、ふわーっと二歩、三歩歩いただけで、ゆうに20mくらいは進んでいた。ジョナサン・エドワーズも真っ青の無重力歩行だ。でも、まわりの人は特段驚いた様子もない。ははーん、ひょっとしてこれはいつものアレかもしれんなあ。そう思ったとたん、案の定、場面がいきなり切り替わった。歩いている。まわりは枯れ木だらけの緩やかな山道を、巨大な白葱を背負って歩いている。二宮金次郎のように薪ではなく、葱をしょって歩くとは、何だか鴨になったような気分だなと思う。いや、いや、おまえさんは蕪村でしょ。と誰かの声が囁く。ああ、そうか。「葱買うて枯木の中を帰りけり」か!ありゃ何だ?突然向こうから巨木のようなものがこちらに近づいて来る。どうやって動いているのかはわからない。視野は望遠レンズ的に限定されていて、人間で言うと胸部のあたりは見えるが、下部は見えない。太い幹をくり抜いて、中に観音像のようなものが収めてある。どうやらそれが司令塔らしい。枝が一本右手に伸びており、それに幟のようなものがくくりつけてある。やがて、そこに記された文字が鮮明に浮き上がる。「有情篠原植林魔神」どういう意味?と考えているうちに目が覚めた。「魔神」というのはマシーンのことだろうか?「篠原」というのは篠原有司男のことだろうか?目が覚めてからもしばらくはああでもないこうでもないと楽しめる夢だった。 笑168最近見つけたどーでもいい写真をネタにどーでもいい話をします。まずはこれ。見ればわかると思いますが、これは太宰治の『斜陽』の直筆原稿をプリントしたTシャツです。黒地に白のものもあり、値段は4,400円。新潮ショップが手がけている商品です。まあ、作家名や作品名のロゴが入ったTシャツやキーホルダーはよく見かけますが、生原稿っていうのはちょっと画期的かもしれません。しかも文面がまた過激。 笑誰がこんなTシャツを買うんだろう。おそらく大半は太宰治のファンなんだろうけど、買った人がみんなこれを着て外出するかと言えば、それはどうだろうな、ちょっとビミョーだな。部屋に飾っておくだけ、あるいは部屋着として着るだけという人も多いのではないか。ついでに言うと、これを着ている人が必ずしも太宰のファンとは限らないようなケースもあるのではないか。例えば、こんなのはどうでしょう。街でこのTシャツを着ている少年を見かけた太宰ファンのあなたは嬉しくなって思わず声をかける。「君、なかなかセンスのいいシャツ着てるね」「そうすか?」「あれ?君、太宰のファンじゃないの?」「ええ、そんなんじゃないっす」「じゃあ、何故?」こんな問いかけにいちいち答える筋合いは少しもないにもかかわらず、この少年は気のいい子なので、正直に説明してくれる。「実はボク、自分の好みで服を選べるような環境にはいないんです。贈り物として施設に送られてきた服の中から、他の子が選ばなかった残り物をボクが着てるだけです。ボクが一番年長なんで」 「えーっ、そんなの全然ありそうにない」みたいなオチかもしれませんが、このヘンテコリンなTシャツに見合うだけの妙な妄想にはなっているのではないでしょうか。 笑お次は角川文庫版『文字禍・牛人』のブックジャケット(カバー) を取り上げます。ネット上でこれを見て、ちょっと噴き出しそうになりました。中身とのギャップがあり過ぎる。 笑でも、これは「文豪ストレイドッグス」コラボアニメカバーということなので、まあ、そちらのファンがジャケ買いしてくれればいいわけですよね。別にカバーデザインが中身のイメージを反映していなければならないというルールがあるわけでもないし。件のアニメで中島敦がどんな役回りなのかは知りませんが、ネットの情報によると、「能力名:月下獣。巨大で獰猛な虎に変身する異能の持ち主」とありました。一応、「山月記」を踏まえているみたいですね。中島敦の短編にはいろんな動物や妖怪の類いが出てきますが、「文字禍」では文字の精霊、「牛人」では牛のような顔をした男が人に災いをもたらします。ある意味、これらはそのへんのB級ホラー映画よりずっと怖い話です。ここでヒッチコックの映画を解説する淀川長治の「これ、ほんとに怖いですね、怖いですね、怖いですね」というセリフが脳裏にチラつきます。(古〜 笑)また、「文字禍」は出だしからボルヘスチックな語り口全開で、中島敦がいかに時代を先取りしていたかがよくわかります。最近、円城塔が「文字渦」という作品を書いていますが、これは明らかに中島敦の「文字禍」にインスパイアされてのものだと思われます。どちらも「もじか」と読みますが、私はまだ円城塔のやつは読んでいません。が、一応「いつか読みたいリスト」には入っているので、そのうち読むことになるでしょう。その前にまず今読んでいるやつ、それから、その後に列をなして控えている面々を片っ端から片付けていくことになるでしょう。まあ、そんなふうに次々と本を読み漁ってしまうこと自体が文字の霊に取り憑かれている証拠で、これこそまさに「文字禍」と言えるのかもしれません。 笑
2024.01.14
コメント(0)

2023 サツキの黄葉165雑煮を食べた後、外に出ると、あまりのポカポカ陽気に誘われて、ちょっくら散歩にでも出かけてくるかという気になった。初日の出、初詣ならぬ初歩き。元日なのでガラガラに空いた道を車でスイスイ走って10分。いつもの海沿いの広場に到着。お決まりのコースをてくてくと歩く。予想以上に人がいる。左手のベンチでは若者たちが物を食いながら談笑している。前方からいかにもジョガーでございといったウェアで決めたオヤジが颯爽と駆けてくる散歩の老人たちの足取りも軽い。こちらの緩歩を嘲笑うように、スタコラサッサと抜き去って行く。むむむ。竹川竹斎の神足歩行術か。サササザザザ、オイトショ。広場では若い親子連れが何組か凧揚げに興じている。よく見かける正方形のやつから連凧、あるいは龍を形どったものまで、乏しい風量の中、嬉々として宙を舞っている。それらをチラッチラッと見遣りながら、老若男女、シングルやらカップルやらが通り過ぎてゆく。枯芝の上で皆さん、それぞれの流儀で思い思いのひと時を満喫していらっしゃる様子。これも長閑な元日の一コマといったところか。そして、ふと思う。この人たちはみんな人間なんだろうか。中には異種が混じっていたりもするのではないか。あるいはみんなエキストラってことも考えられるぞ。笑こちらが立ち去ったら、みんなで一斉に「お疲れさーん」と言って消えてしまう影絵のような人たち。ふふふ。だとしたら、みんな芸達者やなあ。エキストラにしては、うますぎる。というか、あまりにも自然すぎる。 笑まあ、でも、よく考えると、私だって誰かの夢の一コマに飛び入り参加したエキストラの一人かもしれないんだよね。166毎年、年末になると年越し蕎麦ならぬ、年越し小説が読みたくなる。それも短編集みたいなやつ。長いのはもうしんどいからね。今までに読んだやつを再読するもよし。あるいは「いつか読みたいリスト」の中から満を持して一つチョイスするのもいいだろう。が、今回は全く名前すら知らなかった作家の本にたまたま巡り会ってしまった。梨木香歩という人の『家守綺譚』(新潮文庫)という本である。「家守」は「ヤモリ」ではなく、「イエモリ」と読む。タイトルからして、なんとなく和のテイストが感じられる不思議な話だろうくらいの察しはつくかもしれない。実際そのとおりなんだけど、その手の話としては、今まで読んだ中でも抜群に良かった。「抜群に」というのは、要するに私の好みにバッチリ合っていたということである。まず、一つ一つの話が短いのがいい。植物名のタイトルが付けられた28個の掌編が、連作ふうに一話読み切りの形で語られていく。だから、つまみ食い的な読書にシフトしていってる当方にはありがたい。長くても10ページに満たない小話ばかりなので、集中力の続かない人や忙しい人にもお勧めできる。登場人物が少ないのも好感がもてる。語り手の綿貫征四郎を除くと、何回か登場する人物は限られた人数しかいない。隣りのおかみさん、山寺の和尚、原稿を催促しに来る編集者の山内くらいかな。あと、時々掛け軸の中から舟を漕いでやって来るのは旧友の高堂。え?掛け軸の中からやって来るって何だよ?まあ、幽霊でしょうな。 笑でも、別におどろおどろしいところは微塵も感じられない。毎回不思議なことが起こるが、それらはすべて日常茶飯の出来事のようにサラッと語られる。話が大事になることもなく、発展することもない。要するに、複雑な人間関係とか、込み入った人間心理とか、いかにもって感じの事件や葛藤など小説らしいお膳立てが一切ないので、超清々しいのである。 笑え?じゃあ、何を読むんだよ?ふふふ。雰囲気とディテールかな。 笑昔、と言っても百何年か前、すなわち明治の中頃から大正時代くらいにかけての日本の面影と言ってもいいかな。当時の日本には、まだ人々が狐や狸に化かされたり、河童や鬼を身近に感じられる日常があったんだな、ということがこの本を読むと懐かしく思い出される。まあ、この世と異界との境目が今よりはずっとユルユルだった時代を舞台に、綿貫征四郎のような高等遊民ふうの主人公が話を語れば、こんなにもあっさり風味の綺譚が出来上がるんだな、と感心することしきり。やはりこの男のようにちょっとこの世から浮いた感じの恬淡(てんたん)なキャラじゃないと、こういう世界は演出できないよなあ。というわけで、そろそろこの欲望まみれの3次元には飽き飽きしてきたという人には是非お勧めしたい本ではある。あと、犬好きの人にもたまらんかもしれない。綿貫がひょんなことから飼うことになったゴローという犬は、そのへんの野良犬のように見えて、なんのなんの、これもまた不思議な話にずいぶんと絡んでくる賢くて可愛い犬なのである。この犬とカワウソ族の長虫屋は続編の『冬虫夏草』でも名脇役としてちょくちょく出てくるので、読むつもりのある人は覚えておいてほしい。最後にもう一つ付け加えておくと、植物好きな人であれば、この本を読んでハズレ感を抱くことはまずないと思われる。もし、ハズレと感じたら、その人は実は植物好きではないということだ。 笑タイトル名になっている植物はほとんどが私たちの身近にあるものばかりだが、二、三珍しいものもある。例えば貝母(ばいも)。もちろんご存知の方もいるだろうが、私は寡聞にして知らなかった。別名アミガサユリとも言って、中国原産のユリ科の多年草らしい。俯き加減に咲いた釣鐘形の花は、ちょっとクリスマスローズを思わせる。「季節の花300」より
2024.01.03
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1