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141この写真は去年の10月27日に笠岡湾の干拓地で撮影したものです。湿地に生えている珊瑚のような草が紅葉しているので、珍しいなと思い撮りました。でも、接写できなかったので、何という植物か調べる手立てもなく、そのままスマホのフォトアルバムの中で眠らせていました。それを何故今頃UPしたのか?単純に名前がわかったからです。先日、ふと高山植物の写真が見たくなり、『極限に生きる植物』(増沢武弘 著/ 中公新書)という本のページをパラパラとめくっていたら、見覚えのある写真が目にとまりました。北海道のサロマ湖や能取(のとろ)湖の湖岸(塩湿地)で見られるアッケシソウという草本植物の群落です。それが上の写真とよく似ていたので、Wikipedia でチェックしてみると、この植物は瀬戸内海沿岸のごく一部でも自生しているとあり、本州唯一の自生地として、浅口市寄島町の干拓地が挙げてありました。寄島と笠岡はお隣さんといった感じなので、ネットでさらに調べてみると、上の写真もやはりアッケシソウであることが判明しました。ただし、笠岡の方は自生ではなく、10年ほど前に誰かが移植したものだそうです。それでも、この植物の群落がナマで見られるというのは、植物好きにとっては、なんとなく得をしたような気分になるものです。まあ、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定されているほど稀少な植物みたいですから。ついでながら、関心のある方のために、件の本の一節を抜粋しておきます。アッケシソウは五月から六月に茎の部分が膨らみ、小さなソーセージのような形の多肉となる。夏の間は茎が緑色をしているが、秋になるとだんだん赤みを帯び、枯れるまでに深紅色に変わる。気温の低い北海道の湖で、あるときは海水に、あるときは真水にさらされ、干潮のときは乾燥にもあう。この条件をすべてクリアして生きられる植物はそれほど多くない。『極限に生きる植物』より142これは岡山県笠岡市産の魚狗(かわせみ)です。昨日、Mさん経由でポポイワールドに迷い込んできました。まさにナイスタイミングです。久しぶりに西脇順三郎の詩でもUPしようかなと思っていた矢先だったんですよ。それも季節柄、「冬の日」なんていいんじゃないかと決めたところだったんです。どういうこと?まあ、この詩を読めばわかります。あんた、そうやって是が非でもその詩を人に読ませようという魂胆じゃない?いえ、いえ、私はそんな姑息な手は使いませんよ。 笑誰にでもよくある、ほら、あれですよ、ええと、シンクロってやつですか。ホンマにそれだけの話です。では、どうぞ。 冬の日或る荒れはてた季節果てしない心の地平をさまよい歩いてさんざしの生垣をめぐらす村へ迷いこんだ乞食が犬を煮る焚火から紫の雲がたなびいている夏の終りに薔薇の歌を歌つた男が心の破滅を歎いている実をとるひよどりは語らないこの村でラムプをつけて勉強するのだ。「ミルトンのように勉強するんだ」と大学総長らしい天使がささやく。だが梨のような花が藪に咲く頃まで猟人や釣人と将棋をさしてしまつた。すべてを失つた今宵こそささげたい生垣をめぐり蝶と戯れる人のため迷つて来る魚狗と人間のためはてしない女のためこの冬の日のために高楼のような柄の長いコップにさんざしの実と涙を入れて。西脇先生にしてはかなりキャッチーな部類に入る詩ではないかと思います。二十歳前後によくこの詩を読んでいたことを思い出します。特に11行目〜15行目の部分が気に入っていたような気がします。今日こそは勉強しようと思いながら、つい横道に逸れて遊んでいた日々。そんな自分を重ねて読んでいたのでしょうか。どうしてもコツコツワールド(人に刻苦勉励を要求する世界)には不向きな人っているんですよね。そんな人はどうしたってアナザーワールドの方に迷い込んで行ってしまうんです。この度、マイワールドに迷い込んで来たカワセミくんも私の同類なのかなぁ。 笑※ 後日、Mさんよりさらに数枚の写真が届きました。その中から2枚ピックアップしてみました。
2023.01.29
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ふだんは組織化された音を積極的に聴くことはほとんどないが、たまに10代から20代にかけてよく聴いていた曲のメロディーがふと脳裏に浮かんでくることがある。そんな時は「私の懐メロタイムの始まり〜」って感じで、You tube 等の動画を開いてみたりする。今はライブも含めて色んなコンテンツが出回っているが、懐メロを聴く時はだいたいカヴァー曲を選んで聴く。オリジナルだと若干聴き飽きた感が漂うので、ちょっとだけ違った風味も味わいながら懐かしい気分に浸ろうという思惑がどこかで働いているのかもしれない。去年聴いた中で印象に残っているカヴァー曲を挙げると、まず、桑田佳祐の Starman (デヴィッド・ボウイの曲) 。変則的でゆるゆるのイントロから完璧にコピーしていて、さすがだなあと思った。歌い方もほぼオリジナルどおりだが、声質はやはり桑田佳祐なので、そこが新味ってとこかな。忠実なコピー路線でもう一曲挙げると、フランク・ザッパのバンドが演っている I Am the Walrus ( ビートルズの曲 ) がピカイチによかった。ノンセンスソングの金字塔とも言えるこんな変てこな曲をカヴァーしようなんて、ふつうは誰も思わんよなあ、そもそもの話。しかも、ライブで何度も演っているみたいだから、ザッパはこの曲が相当お気に入りだったのではないか。ギターの出番はあまりないので、ザッパ自身は例によって指揮者気取りのパフォーマンスをいかにもご満悦といった感じで演じている。ヴォーカル担当も、セイウチのぬいぐるみを抱えて歌っており、ビートルズのファンがこれを見たら、「えっ、I Am the Walrus ってこんな楽しげな曲だったっけ?」と呆気にとられるかもしれない。でも、ザッパのことを知っている人からすれば、この曲はまさに彼にはドンピシャなんだよね。何故そうなのかは上手く説明は出来ないけど、めちゃくちゃ波長が合っているというのはよくわかる。ちなみにザッパはジョン・レノンと同い年で、両者は伝説のフィルモアイーストライブで共演している。その貴重な映像も今では動画で簡単に観ることができる。何と便利な世の中なんだろう。しかし、間違ってこれを観た人はそのあまりのカオスぶりに仰天を通り越して、笑いがこみ上げてくるかもしれない。ジョンやザッパのパフォーマンスもイカれているけど、そこに混じって奇天烈な声を発し続けるオノ・ヨーコの存在感も半端ではない。さて、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが出てきたところで、そろそろ本題に入っていくとするか。でも、今回はカヴァー曲の話から始まったので、ここもそのラインで話を進めることにする。上に挙げたカヴァー曲はいずれもオリジナルにほぼ忠実と言えるが、中にはそうじゃないものもある。例えば、YMOの Day Tripper (ビートルズの曲) なんかはテクノ風のアレンジが徹底されていて、ほとんど別の曲のような趣きになっていたりする。でも、さすがに歌詞を変えて歌う例はあまり記憶にない。ところがである。デヴィッド・ボウイが昔カヴァーした Imagine (ジョン・レノン & オノ・ヨーコの曲)を聴いていて、「あれっ?」と思うことがあった。原曲では、You may say I'm a dreamer というところを、ボウイは You may call me a dreamer と歌っているのである。これは一体何なんだろう?こちらが知らないだけで、「イマジン」の歌詞には別のヴァージョンがあるのだろうか。でも、そんなふうに歌っているシンガーなんて聞いたことないなあ。オリジナルはいわゆる間接話法の文であるが、ひょっとしてボウイはそれに何らかの違和感を覚えたのだろうか。非ネイティブからすれば、取り立てて変な感じはしないが。けど、こちらにはわからない何か微妙な違いがあるのかもしれない。そのへんは今度知り合いの英語の先生に尋ねてみることにして、ここでは当方の勝手な解釈で話を進めることにする。ヒントはその次の歌詞にあるのかもしれない。You may say I'm a dreamerBut I'm not the only one ( 君はぼくのことを夢想家と言うかもしれない / けど、それはぼくだけじゃない )つまり、ボウイはここで「dreamer はジョンだけじゃない。ぼくもジョンと同じで、実は夢想家なんだ。だから君たちはぼくのことも dreamer と呼ぶかもしれない 」と言いたかったのではないか。その気持ちを前面に出すために、あえて歌詞を単文にパラフレーズすることでリスナーの意識を喚起したのではないか。そう考えると、何故かしっくりくるんだよなあ。というのも、ボウイも実際のところ、ジョンと同等かそれ以上に dreamer なアーティストだったからだ。ちなみにこの曲の共作者であるオノ・ヨーコも筋金入りの dreamer である。「イマジン」という曲のコンセプトは、もともとオノ・ヨーコの『グレープフルーツ』という本から来ているという。この本は詩集の形をとったアーティストブックで、それこそ Imagine で始まる文のオンパレードなんだとか。そして、オノ・ヨーコの言によると、「想像してみて」ゲームの始まりは彼女の子供時代にまで遡るそうだ。第二次世界大戦のさなか、田舎に疎開していた彼女は、食べ物がだんだんなくなりしょげている弟を元気づけるために、あるゲームを思いつく。それは自分が今食べたい物の名前をどんどん列挙していくという、まあ、言ってみれば、架空の献立作りである。(これは内田百閒の「餓鬼道肴蔬目録」と同じ発想で面白い)姉のこの提案に弟も乗ってきて、次々と食べたい物を挙げていくうちに、いつしかお腹いっぱいになり、元気もでてきて、しまいにはでんぐり返しを始めたのだという。これがオノ・ヨーコの dreamer としての原点かもしれない。つまり、現実に抗ったり、それに直接働きかけたりすることなく、ただ想像するだけで、現実の厳しさを無化してしまう彼女の才能はこの時すでに芽生えていたのかもしれない。その後、彼女は20歳でアメリカに渡り、詩と音楽を学ぶためにニューヨークのサラ・ローレンス大学に入学する。しかし、当時はまだアーティストを志すつもりはなかったという。転機になったのはピアニストの一柳彗と出会い、彼と結婚したことかもしれない。そのつながりで、当時一柳が師事していたジョン・ケージと知り合い、彼から多大な影響を受けることになる。以後、コンセプチュアルアートの先駆け的な活動(主にパフォーマンス/ハプニング/インストラクションなど)を通して、彼女は前衛芸術家としての才能を開花させていく。とりわけその人脈の広さと高い社交性には定評があり、フルクサス(当時の前衛芸術集団)の集まりにデュシャンを連れて来てメンバーを驚かせたり、日本の前衛アーティスト(高橋悠治や赤瀬川原平など)たちともアクティブに交流したり、まあ、そのへんのことは現美の歴史を繙くと必ず出てくる話題ではある。要するに、オノ・ヨーコという女性はジョン・レノンと知り合う前から、すでに前衛アーティストの間ではよく知られた存在だったわけだ。昔はジョンをたぶらかしてビートルズを解散させた魔女みたいな謗りを受けたこともあるようだが、実はジョンの方が彼女の才能を発見して、惚れ込んだというのが真相ではないだろうか。ロンドンでオノ・ヨーコが個展を開いた時、そこを訪れたジョンは展示作品の一つである「天井の絵 ー Yes Painting 」にたいそう感銘を受けたらしい。一発で彼女の感性の面白さを見抜いたわけである。もちろん、そうした共鳴が起こるには、ジョンの側にもアートに関する何らかの素養がなくてはならない。ジョンのファンなら知っていると思うが、実はこの男、若い頃は美術系の学校に通っており、デュシャンに傾倒していた時期もあるという。なるほど、上手いことやるなあ、運命の女神も。 笑何だかオノ・ヨーコのバイオグラフィーみたいな記事になってきたけど、さあ、この後、どうする?ちょっと飽きてきたなあ。 笑最後にちょっと小耳に挟んだ程度のエピソードを紹介して終わろうか。その噂によると、オノ・ヨーコは大学に在学中の頃からけっこう有名人だったらしい。時にはキャンパスにある木によじ登って俳句を詠んでみたり、まあ、いわゆる不思議ちゃんぶりを存分に発揮していたそうだ。だが、これも一流の dreamer としての片鱗を見せていただけなのかもしれない。そして、こんなやりとりもひょっとしてあったのではないかと想像してみたりもする。「おーい、ヨーコ、そんな所で何してんだよ」「今、わたし、蝉になってるの。だからあなたもわたしのことを蝉だと想像してみてね」
2023.01.19
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今年は2023年の卯年か。まあ、無時間的3.5次元脱力夢幻空間を生きている老人にとっては、今が何年かなんて本当はどうでもいい話なんだけどね。たぶん来月あたりは、「今年は何年だっけ?」みたいなことになるんだから。それより、ほら、お屠蘇で酔っぱらっているわけじゃないけど、お外では、ウサギがクォンタムジャンプの実演のつもりか、ピョーンと飛び跳ねて、そのまま宙に消えていった。あ、まずい。いつもの癖で、新年早々、また意味不明なことを口走ってしまった。 笑時を巻き戻そう。巻き戻して、23の話を始めよう。百年に一度巡ってくる23の年だから。あるいは、23マニアのために。え?23マニアなんておるんかい?探せばきっといるだろう。マニアってほどではないにしても、23という数字が好きな人や、それが気になって仕方ない人はいるだろう。例えば、23日生まれの人。あるいは1958年(1985年)とか1967年(1976年)みたいな年に生まれ、なおかつ自分がシリウシアン(シリウス星人)だと思っている人。なんじゃ、それ。1+9+5+8=23 。また、23はシリウスナンバーとして知られている。これでいいかな?それにしても、自分がシリウシアンだと思っている人はどういう経緯でそう思うに至ったのだろう。まさか、23だけが決め手というわけじゃないだろうが、そのへんの事情は各人まちまちだろうから、ここでは深く詮索しない。じゃあ、23が気になって仕方ない人ってどんな人?例えば、「23エニグマ」の信奉者とか。初耳という人のためにちょっと説明すると、これは「23という数字が、特別かつ特殊な重要性を持つという思想」だそうだ。とりわけ災害や事故に23という数字が深く関わっているという一種の陰謀論で、こうした考えは18世紀あたりからあったという。現代では、どうもウィリアム・バロウズあたりがこの思想を復活させ拡散させたらしい。参考までに、彼が23に注目するようになったエピソードを孫引き(「あなたの聴かない世界のコラム 猫と23エニグマ」という記事からのコピペ)で紹介しよう。「60年代初頭、タンジールにいたバロウズはタンジールからスペインへ航行するフェリーの船長、キャプテン・クラークと知り合った。ある日、クラークはバロウズに、自分は「23」年間無事故でフェリーを運転してきた、と自慢気に語った。そしてその話を聞いたまさにその日、フェリーは沈没し、クラークと乗客は全員死亡してしまった。その夜のことである。バロウズはラジオを聞きながらこの事故の思索にふけっていた。するとニュースキャスターが、ニューヨーク-マイアミ間のイースタン・エアラインの事故を報道した。その事故機の機長がまたキャプテン・クラークで、しかもその便は「23」便だった」なかなか不気味な話ではある。ただ、この話の肝は、バロウズの意識が23とクラークに焦点を合わせると、それらに関連した別の事故情報がすごいタイミングで飛び込んできたという点にあるのではないか。瞠目すべきは、出来事の連続性とか、情報の共時性にあるのであって、23という数字そのものに事故を誘発するような何らかの秘められた力(呪力)があるわけではない。まあ、ふつうはそう考えるところだが、バロウズはそうではなかった。その後、彼は23にまつわる出来事の発生率の記録を集め始め、自らの著作の中でそれらについて言及していくことになる。詳細はわからないが、その執着ぶりから考えると、明らかに彼は23という数字に秘められた禍々しい力を信じていたことになる。ここで試しに去年起こった知床遊覧船事故の記事をチェックしてみたところ、なんとその事故日は4月23日だった。さらにふと思いついたことだが、関東大震災だって1923年に起こっている。こんな感じで、23に焦点を合わせて災害や事故をチェックしていくと、23がらみのサンプルなんて、いくらでも集まってくるのではないかと思う。ただ、どのくらいの頻度で23が災厄に関わっているのかはわからない。というか、むしろ23に関係のない事例の方が多いのではないか。 例えば、阪神淡路大震災にしても、東日本大震災にしても、23の影はどこにも見当たらない。さらに言うと、23にまつわる不思議はなにも不吉なことに限られた話でもない。例えば、去年の有馬記念。「ワールドカップでアルゼンチンが優勝した年の有馬記念は、23日生まれの馬が優勝する」という都市伝説をネット上で拡散させた予想屋がいたそうだが、結果はまさにそれを証明する形になった。いつかまた、このことを思い出すかもしれないので、自分用の備忘録として、データを上げておこう。1978年(アルゼンチン大会) カネミノブ (5月23日)1986年(メキシコ大会) ダイナガリバー (3月23日)2022年(カタール大会) イクイノックス (3月23日)ちなみに、6番人気ながら2着でゴールしたボルドグフーシュも、勝馬と同じく3月23日生まれだった。このことがこの都市伝説に箔を付けることになったのではないか。出走馬16頭のうち、23日生まれはこの2頭だけなのだから、不思議感が増すのは否めない。競馬においては、この手のサイン馬券がこれまでに度々炸裂している。一番有名なのが、同時多発テロが起こった年の有馬記念。アメリカがらみの馬名を持つ「マンハッタンカフェ」と「アメリカンボス」が1、2着となったいわゆる「同時多発テロ馬券」というやつである。ちなみに、アメリカンボスは13頭立ての13番人気で突っ込んできたため、馬券的には大荒れの結果となった。あれ?23の話なのか、競馬の話なのかわからなくなってきたぞ。まあ、いい。ついでに、23がらみのサイン馬券の極めつけとも言える例をもう一丁、紹介させてもらおう。それは2014年の第81回日本ダービー。当時の皇太子(現在の天皇陛下)が観戦する中で行われたいわゆる天覧競馬だった。有力馬の一頭ウインフルブルームが直前に出走取り消しになったり、逃げたエキマエが途中故障したり、4コーナーを回った最後の直線で、先行していたトーセンスターダムが内ラチに激突したりという波乱に富んだこのレースを制したのは3番人気のワンアンドオンリー。終わってみれば順当な結果と言えるが、勝負事の常として、レース前は何が起こるか誰にもわからない。それでも、この馬が勝つのではないかという確信に近い胸騒ぎを覚えたファンはけっこう多かったのではないかと思われる。というのも、走る前からジョークのようなあからさまなサインが出ていたからだ。不思議なことに、ワンアンドオンリーと騎手の横山典弘、馬主の前田幸治氏、そして観戦した皇太子殿下は、誕生日が2月23日で、皆同じだったのである。この情報を掴んでいながら、ワンアンドオンリーを外した人はもう競馬をやめた方がいい。 笑それほどまでにインパクトのあるシンクロではないかと思われる。皇太子殿下自身も、レース後にこのミラクル級の情報を知らされて、たいそう驚かれたらしい。ダービーは運のある馬が勝つと言われているが、ワンアンドオンリーはまさにこれに該当する例ではないかと思われる。というのも、この馬、次走の神戸新聞杯こそ勝ったものの、その後は23連敗して引退していることからも分かるように、決して強い馬ではなかったからだ。なのに栄えあるダービーで激走して勝ってしまった。何故だろう?思うに、これは23を司る女神が妖精に命じて、ワンアンドオンリーの鼻先にニンジンをぶら下げたからではあるまいか。 笑もちろん、人間の目には見えないが、馬にはしっかり見えていた。ワンアンドオンリーはニンジンに食らいつこうとして、能力以上の力を発揮したに違いない。 笑というわけで、今回は不思議loveな人の暇つぶしのために、23にまつわる秘話を紹介してみたが、果たして楽しんでもらえただろうか。こうした話は実は氷山の一角にすぎず、巷では今も人知れず「23エニグマ」事象が発生しているのかもしれない。また、23に限らず、他の数字でも同様のことが頻繁に起きているのかもしれない。ただ忘れてはならないのは、どんな数字であれ、ネガポジ両方に等しく作用するという点ではないだろうか。13や23を忌み数として嫌う人もいるようだが、こうした数が災厄にのみ絡むという根拠はどこにもない。ただ、13や23は他の数字に比べて、秘めたるパワーが絶大なだけかもしれない。仮にそうだとしても、何故そうなのかは誰にもわからない。ひょっとして素数ということに関係があるのだろうか。素数に関しては、古来より多くの数学者がそれに魅了されてきたが、いまだかつてその謎を解き明かした者はいない。
2023.01.08
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