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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110131-00000002-maiall-soci<新燃岳噴火>大量マグマ、長期化必至--東大調査30日に3度目の爆発的噴火を起こし避難勧告が出された霧島山系新燃岳(しんもえだけ)(1421メートル)は、約300年ぶりの本格的な活動に入る可能性も出てきた。東京大地震研究所などの観測チームは同日、東京都内で開いた報告会で、噴火前に地下で増えたマグマ量の半分程度しか噴出していないとする分析結果をまとめ、「長期化することは避けられない」と指摘した。さらに、29日夜から周辺で、これまでにない長い周期の地震波が観測され「近い将来噴火を繰り返す可能性もある」として注意を呼びかけている。現地調査した中田節也教授(火山学)によると、火山灰の分布範囲などから推計した26~28日に噴出したマグマ量は、計270万~370万立方メートル。噴火前に蓄積された地下のマグマ量は、国土地理院の推計で、火口の西北西約10キロ、地下約6キロのマグマだまりに600万立方メートル、火口の直下約3キロのマグマだまりに100万立方メートルの計700万立方メートルとされる。中田教授は「まだ半分程度しか出ておらず、まだまだ長期化することは避けられない」とする。上空からの調査では、直径約700メートルのすり鉢状の火口には、複数の小さな火口が並び、中央には直径約50メートルの溶岩ドームが見つかった。大噴火につながる見通しについて、中田教授は、江戸時代にあった前回の大噴火(享保噴火)を参考に挙げる。1716年からマグマの上昇に伴う噴火が3カ月程度続き、7カ月沈静した後に大噴火に至った。この時に噴出されたマグマ量は約1億立方メートルとけた違いに大きい。現在、地下に蓄積されているマグマが徐々に消費されて終息に向かうのか、マグマの供給が続いて大噴火につながるかは「現時点では分からない」(中田教授)という。◇「ドーム飛ばす噴火も」 長周期地震波を観測一方、同研究所の武尾実教授(火山学)は、29日夜以降に火口周辺でこれまでに見られなかった長い周期の火山特有の地震が起きていると報告。溶岩ドームがマグマの出口の「ふた」になり、ガスの圧力が、マグマの通り道となる火道で高まっている可能性があり、「ドームを吹き飛ばすような爆発的噴火が起こる懸念もある」と分析した。時期や規模に関しては現状では分からないという。今後、周辺住民が注意すべき現象として、軽石の飛散と、降り積もった火山灰が流れる泥流や土石流などがある。中田教授は「雨が降れば泥流が起こるのは100%間違いない。川などに近づかないことが重要」と警戒を呼びかけた。----------記事を読むと、地下に蓄積されているマグマが全部噴出すれば噴火はおしまい、というわけには行かない可能性があるようです。溶岩ドームも、最初に報じられたときには直径50mほどだったのが、あっという間に直径500mまで巨大化。別報道によると、この溶岩ドームの大きさが2000万立方メートルもあるそうです。蓄積されたマグマの量が700万立方メートルなのに、噴出した溶岩ドームがそれより遙かに体積が大きいのは、どういうことでしょう。噴出しても、後からどんどんマグマが供給されていると言うことでしょうね。前回、1716年の噴火というのが、3ヶ月噴火が続いて7ヶ月沈静化の後で大噴火、という経緯だったそうで、もし同じ経過をたどるとすると、なかなか怖いものがあります。そのときの噴出物の量が1億立方メートル、つまり0.1立方キロとのこと。これは、3万人の死者を出した西インド諸島マルティニーク島のプレー山噴火(1902年)とほぼ同じ規模になります。火山の山頂から火砕流は6~7キロの距離を下って、麓のサンピエールの町を全滅させている。新燃岳から6~7キロというと、どのくらい人が住んでいるんでしょうか。ドームを吹き飛ばす噴火、というのもかなり怖い。しかし、一番怖いのは、いつ終息するか分からないまま、延々と続く(かも知れない)避難生活でしょうね。
2011.01.31
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今日は、某ペルー料理店でキラ・ウィルカの練習でした。昨日の記事に書いたように、メンバの一人が病欠だったので、4人編成でしたが、私が笛を吹く曲は、ギターを抜きにして演奏しました。前回の練習から2週間しか経っていないせいか、ずいぶん演奏の出来が良かった。私自身の体調も良かったのかな、サンポーニャが結構よく鳴りました。今のところ、3月上旬に、某ペルー料理店でライブをやる、という予定になっています。まだ、正確な日程は決まっていませんが、決まったら、このブログでも告知します。---ところで、話は変わりますが、笛を吹くと、程度の差はあれ、クラクラしますね。私は、ケーナでは基本的にはそれほどクラクラしません。ただ、今使っているケーナは以前のケーナより太いので、ケーナを替えた当初は、ちょっとクラクラしました。今も、長い曲で、高音が連続するような場合はクラクラします。フルートは、ケーナより管体が長いので息もより多く必要で、クラクラしやすいように思います。私はケーナの息の量が感覚として染みついているので、フルートだと自分で狙った息継ぎの場所まで息が続かない、ということがよくあります。ケーナだったらここまで息が届くので、同じ感覚でフルートを吹くと、その手前で息が足りなくなるわけです。ただ、フルートも気がつけば、吹き始めてもうじき4年になります。最近、以前ほどには「クラクラ」を感じなくなってきたような気がします。単に「クラクラ」の状態に慣れただけかも知れませんが。しかし、なんと言っても一番キツイ笛は、サンポーニャです。おそらく笛類の中でもサンポーニャ(パンパイプ類)は、息を音に変換する効率がもっとも悪い楽器だろうと思います。そのため、息継ぎの頻度が非常に高い。ケーナと比べると、同じフレーズを吹くにも、遙かに多くの息継ぎが必要です。※ただし、ケーナは高音ほど大量の息(正確には高速な息の流速)が必要なのに対し、サンポーニャは低音ほど大量の息が必要なので、高音ではそれほど違いが出ない場合もあります。サンポーニャにコンテスタード(2人一組で、1人が「ドミソ」もう1人が「レファラ」を吹く奏法)が発達したのも、この効率の悪さ故でしょう。毎年ゴールデンウィークに、「ザ・横浜パレード」という祭りに参加して、全長3キロのコースをサンポーニャを吹きながら行進していますが(南米では、もっと長距離・長時間を練り歩く祭りもあります)、あれを一人でサンポーニャ吹いていたら、とても終わりまで保ちません。一人でサンポーニャを吹く奏法は、1曲3~4分の普通の曲でないと無理なのです。さて、あの笛を吹くとクラクラする現象は、いったい何でしょうか。私が尊敬するジャーナリストの一人である朝日新聞記者伊藤千尋氏の「太陽の汗、月の涙」という著書の中で、「ボリビアのペーニャ(音楽喫茶)に行くと、3000mの高地でサンポーニャを吹いている演奏家は、まるで酸欠になりそうだ」という趣旨のことが書いてあったように記憶しています。(手元に現物がないので、おぼろげな記憶を頼りに書いています)その当時(1990年頃)は、私もまだ音楽歴も非常に浅かったので、なるほど、笛を吹いてクラクラするのは酸欠のせいか、と思った覚えがあります。で、改めて「笛・酸欠」で検索してみると、やはり非常に多くの方が、笛を吹くと酸欠になってクラクラすると思っていらっしゃるようです。でも、私はサンポーニャを吹き始めてしばらくたってから気がついたのですが、笛を吹くとクラクラする症状というのは、実は酸欠ではなさそうです。伊藤千尋氏は尊敬するジャーナリストですが、ご自身が演奏をされるわけではないでしょうからね。単純に考えて、笛を吹くときの息継ぎというのは、かなりの深呼吸です。演奏以外で、あんな深い呼吸をするのは激しい運動をしたときだけでしょう。笛を吹くことも、激しい運動と言えなくはないけれど、マラソンなどの持久運動とはちょっと違い、体が深呼吸を欲しているわけではありません。何よりも、息継ぎの間隔が長いケーナより、息継ぎの間隔の短いサンポーニャの方がクラクラするという事実が、クラクラの原因は酸欠ではないことを強く示唆しているように思うのです。また、2001年にボリビアに行ったとき、海抜4000mのエル・アルトでサンポーニャを吹く機会がありました。クラクラの原因が酸欠なら、こんな高度で笛を吹いたら猛烈にきついはずですが、このときサンポーニャを吹くことが平地よりきつかったという記憶は一切ありません。まったく平地と同様に吹けました。では、あのクラクラの原因は、いったい何でしょう。おそらく酸欠の正反対の原因ではないかと思うのです。つまり、過呼吸症候群です。昔、コンサートで、観客が熱狂したあまり失神する出来事が頻発したことがあります。あれが過呼吸症候群です。興奮して息が早くなる(=息の量が増える)、「キャーキャー」と叫んだりすることで、更に息の量が増える(笛と同じで、大声を出すときも大量の息が必要)ことで、体が必要とするより多くの酸素を体内に取り込んでしまった結果、意識が朦朧となってしまうわけです。笛を吹いているときも、おそらくはそれと同じ状態でしょう。人間は、酸素がなければ生きることができないのに、酸素が多すぎてもまた問題を生じる。人間(いや、生物)と酸素の関係というのは、実に不思議なものです。-----実は、根源的には、生物にとって酸素は有害な存在なのです。いや、生物だけに限りません。酸素というのは、あらゆる物質を酸化によって破壊する、宇宙でももっとも凶悪な物質の一つです。もともと、最初の生物が誕生した当時の地球には酸素はなく、その当時の生物はすべて嫌気性の微生物でした。地球の生物の歴史の半分以上は、無酸素状態で生きる嫌気性生物の歴史だったのです。しかし、今から二十数億年前に、光合成を行うもっとも原始的な生物(シアノバクテリア)が誕生します。それ以来十数億年の時間をかけて、酸素という猛毒物質が大気中に蓄積されていきました。その結果、ある時期を境に、嫌気性生物は大気に身をさらしては生きることが出来なくなります。そして、酸素という猛毒物質を体内に取り込んでエネルギーに変えるという、革命的な大変化をおこなった生物(真核生物)が主流になる。我々人間もその一員ですね。酸素をエネルギーとして利用する機能は、細胞内のミトコンドリアが担っています。ところが、このミトコンドリアは元をただすと別の生物だったというのだから驚きです。真核生物の遠いご先祖様は、ミトコンドリアという別の生物を体内に取り込んで、両者の共生によって、酸素という猛毒物質を御する技を身につけたわけです。だから、生殖細胞のDNAとは別に、ミトコンドリアにもDNAがあるわけです。もともと別の生物だったから。まさしく生命の神秘です。だけどやっぱり、根っこの部分では、生物にとって酸素は毒物。だから、必要以上の酸素を取り込むと、体が変調を来すわけです。なければ困るけれど多すぎても困る、自然の摂理とは、複雑にして微妙にできているなあと思います。
2011.01.30
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またまた性懲りもなく新録音をアップしました。※ついにYouTube動画貼り付けに成功しました。タグの大文字と小文字を間違えていただけでした・・・・・・。風の丘(魔女の宅急便より)フルート+ギターYouTube版ニコニコ動画版「魔女の宅急便」の代表曲です。同じメロディーが、イメージアルバムでは「風の丘」、サンドラでは「海の見える街」、井上あずみの歌版が「めぐる季節」と、3つのタイトルが付いています。正直言って、私のフルートの腕前では手に余る曲でした。相当の回数録音し直しています。副旋律の一部は、どうしても吹けずに、やむを得ず部分部分の録音をつぎはぎにした部分も・・・・・・。何度も録音し直しているうちに、何重奏か分からなくなってしまったのですが、多分フルートは一番多いところで四重奏だと思います。自分で作った譜面は三重奏になっているのですが、更にもう一段後から付け足しているので。さすがに、私もこういう曲は譜面にしないと、副旋律は再現できません。欄外に「ドレミ・・・・」と音階を書き足さないと、自分で作った譜面でも自分では読めないのが悲しいところですが。YouTubeの貼り付けは成功したけれど、比較するとやっぱりニコニコ動画の方が本質はいいですね。最近、フルートの音が何となく出にくくなったような気がするのですが(どの音も若干かすれる)、下手になったせいか、楽器の調整不足のせいか、冬で結露しやすいためか、果たしてどれが理由でしょう。昨年10月に調整したばかりなので、やっぱり下手になったかなあ。練習はしているんですけどね。30日は、某ペルー料理店で練習です。が、メンバーの一人(ギター)が風邪で寝込んでいるという連絡が。うーーーーむ、こりゃ大変。ギターがお休みということは、やっぱり私が全部ギターを弾くことに。また笛が遠のいていく・・・・・・。
2011.01.29
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何でこうなるのかなと思うのですが、口蹄疫、鳥インフルエンザに続いて、宮崎県で火山の噴火です。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110128-00000000-maiall-soci<新燃岳>火口付近で火砕流 52年ぶり爆発的噴火鹿児島、宮崎県境にある霧島山系新燃(しんもえ)岳(1421メートル)の噴火で、火口付近で火砕流が起きていたことが分かった。27日、宮崎県高原町であった霧島火山防災連絡会コア会議の後、鹿児島大学の井村隆介准教授(火山地質学)が明らかにした。井村准教授は「さらに大きな噴火が起きる可能性がある」と警戒を呼びかけており、両県は同日、災害警戒本部を設置した。上空調査に同乗した井村准教授によると、火口から北西以外のほぼ全方向へ火砕流の跡が確認された。新燃岳は、27日午後3時41分、爆発的噴火(爆発)を観測した。爆発は52年ぶりで、噴煙はその後最高で火口から約3000メートル立ち上った。噴煙量から中規模な爆発的噴火という。--------------------霧島山系で噴火というと、石黒曜の「死都日本」という小説を連想してしまいました。まさしく、霧島山系で超巨大噴火が起こり、南九州が壊滅する、という内容です。火山の噴火で南九州が壊滅するとは、一見大げさな話に感じますが、実際には決して大げさな話ではありません。霧島は実は加久藤盆地を囲む巨大カルデラの一部なのですが、この加久藤カルデラは、実際に30万年以上前に、100立方キロもの噴出物を伴う巨大噴火を起こしています。このときの火砕流は、鹿児島県と宮崎県の広範囲に広がっています。更に巨大な噴火は同じく九州の阿蘇山で9万年前に起こっており、その噴出物は600立方キロ、火砕流は九州の半分を埋め尽くし、更に海を越えて山口県にまで達しています。今同じ噴火が起これば、死者は500万人以上、いや1000万人に達するかも知れません。ま、不幸中の幸いというか、今回の新燃岳の噴火が、そういう巨大噴火に匹敵する事態になる可能性は、目下のところありません。毎日新聞の報道によると、今回の噴火の前、山体が約4センチほど膨張していたのが、噴火が始まって1センチ収縮した、とのことです。山体の膨張はマグマが地下から上昇してきたため、収縮はそのマグマが噴出したためと考えられるので、単純計算すると、溜め込まれたマグマの1/4がすでに噴出した、と推定できるようです。残り3/4が全部噴出したとしても、噴火の規模としては、まあそれほど大規模というわけではなさそうです。もっとも、地震の規模と災害としての規模は必ずしもイコールとは限りません。噴火としてはごく小規模でも、火砕流の下る先に人口密集地があれば、大惨事になる可能性があるわけですから。そういう意味では警戒を怠るわけにはいかないようです。YouYubeに噴火の瞬間の映像がいくつかアップされています。一番迫力があるのは、以下の2つの映像です。後の方の映像では、火砕流が起こっているところが写っています。火砕流の瞬間にカメラが振られてしまっているのがちょっと惜しいですけれど。画面上では豆粒のように見える火山弾が飛び散っていますが、落ちた先の森林の樹木の大きさとの対比で考えると、豆粒どころではない、数十センチか、下手すると1メートル以上あるような溶岩がポンポンと飛び散っているのです。もとは、↓こんなにきれいなカルデラ湖を抱いた美しい火口だったそうですが。もう、この美しい姿には二度と戻らないんでしょうね。
2011.01.28
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一昨日の記事で、情報保全隊が自民党の佐藤正久参議院議員の講演会を監視していた、という事件について触れました。そのとき書いたように、自衛隊の諜報機関によるこのような監視活動は問題であり、止めるべきであると私は思います。・・・・・・ところで、監視された本人の佐藤正久自身は情報保全隊の活動について、こう言っているようです。「自衛隊への破壊活動とそれを目的とした浸透活動をはかる団体の情報収集は必要だが、対象を際限なく拡大するのは問題だ。自衛隊員は国家に忠誠を尽くすことは求められるが、政党や政治家の私兵ではない」と指摘している。(産経新聞の記事より)なるほどね。それでは、4年ほど前の自民党政権時代に流出した、情報保全隊の監視リストを見てみましょう。監視対象団体は、先の記事でもリンクしましたが、これです。では、具体的にどんな監視をしていたか。しんぶん赤旗のサイトに、その具体的な内容が記載されています。----------「文書A」に添付された「一般情勢の細部」は、情報保全隊が、国民のあらゆる種類の運動を監視の対象としていたことをしめしている。そこに記載された多くは、この時期に全国各地で広がった自衛隊のイラク派兵に反対する活動であるが、それ以外にも、「医療費負担増の凍結・見直し」の運動、「年金改悪反対」の運動、「消費税増税反対」の運動、「国民春闘」の運動、「小林多喜二展」のとりくみなどへの監視がおこなわれていたことが記載されている。これは自衛隊情報保全隊が、国民のおこなう運動の全般にわたる監視活動を、日常業務として実施していることをしめすものである。「文書B」は、イラク派兵に反対する運動の監視については、特別の体制がとられていたことをうかがわせるものである。情報提供者は、陸上自衛隊の情報保全隊は、「国民的に高まったイラク派兵反対運動の調査を中心的な任務とし、他の情報よりも優先して本部に報告する体制をとっている」、「情報保全隊は上部からの指示で、各方面ごとに反対運動を調査し、各方面の情報保全隊は、情報を速やかに情報保全隊本部に反映するため、毎日昼に前日の反対運動をまとめて報告する」と証言している。(中略)そこには多数の個人が実名で記載されている。「文書B」に記載されている「反対動向」のうち、「市街地等における反対動向」の監視対象とされた団体・個人は、全国四十一都道府県、二百八十九団体・個人におよび、高校生まで監視の対象とされている。ここにはデモの行動の様子や参加者を撮影した写真も添付されている。情報保全隊は、社会的に著名な映画監督、画家、写真家、ジャーナリストなどの活動なども、監視の対象としている。マスメディアの動向についても監視下におき、詳細に記録されている。マスメディアとの「懇親会」の席上で、誰がどういう質問をしたかまで、肩書付きの実名で記録されている。「駐屯地を退庁する隊員に対し取材を実施した」ある大手新聞のメディア記者の行動は、「反自衛隊活動」として記載している。イラク・サマーワに派遣されたメディアの特派員の動向も、詳細に追跡されている。各地の市町村議会でおこなわれた「イラク派兵反対決議」についても、その発議者、賛否議員数、議会構成などについて、詳細に記録している。国会議員についても、民主党の国会議員によるイラク派兵への批判的発言と、それへの対応が記載されている。宗教団体の活動についても、仏教者やキリスト教関係の団体のおこなった平和運動が監視・記載されている。さらに「文書B」では、「日本国内におけるイスラム勢力等の特異動向」という項目が特別に設けられており、イスラム系団体が組織的・系統的な監視対象にされていることをしめしている。(強調は引用者)----------さて、どうでしょうか。自民党政権時代の情報保全隊の活動のどこが、佐藤正久のいう「自衛隊への破壊活動とそれを目的とした浸透活動をはかる団体の情報収集」だったのでしょうか。「医療費負担増の凍結・見直し」運動、「年金改悪反対」運動、「消費税増税反対」運動、「国民春闘」運動、「小林多喜二展」。これらに対する賛否は別の問題として、これらの運動のどこが、自衛隊への破壊活動なのでしょうか。なるほど、一般論として、これらの活動を行っている団体の多くは左派系であり、左派系は一般に自衛隊に対して対立的であるという傾向はあるでしょう。一言でいえば、「自衛隊にとって(自民党政権にとっても)気に入らない団体」と言えるかも知れません。だから監視する、という理屈が成り立つなら、佐藤正久や田母神俊雄の講演を監視することも、まったく同列でしかありません。しかも、デモの参加者の写真撮影までしている。私も、2003年から2004年にかけては、イラク反戦の集会やデモ(ピースパレードと言っていましたが)に何回か参加したことがあります。私の写真も、撮られているかも知れないね。実際、ある集会の時、デモ行進のコース上に歩道橋があって、ふとそこに目を上げてみたら、一目でそれと分かる「いかにも公安」って雰囲気の連中が鈴なりになって監視していることに気づいたことがありました。写真を撮っていた連中もいました。あの多くは公安警察だろうけど、中には自衛隊の情報保全隊も混ざっていたんだろうね。で、改めて監視対象のリストを見てみると、結局現在野党の自民党は「俺たちを監視対象にした」と吹き上がっているけれど、自分たちが与党の時は、野党の民主党を監視対象にしている。監視対象リストに民主党室蘭支部ってあるけれど、これって鳩山前首相の選挙区の民主党支部ですよね。他にも、民主党北海道、民主党6区総支部(北海道6区は旭川の選挙区)などが監視対象になっている。そして、むしろ逆に、本当に「破壊活動」を行う団体は監視対象になっていません。具体的に言えば、中核派やその他の新左翼過激派の各団体も、当時イラク戦争反対を掲げていたし、反戦デモに参加してきたこともあったにも関わらず、監視対象リストにはその名がない。まして、イラク戦争反対運動と関係のない反社会団体(たとえばオウム真理教とか)は、まったく出てきません。自衛隊情報保全隊の監視が以下に恣意的か、その一点でも明白というものです。産経の報道によると、元防衛大臣の石破茂は、いけしゃあしゃあと「保全隊は自衛隊の安全を守る組織で在任中は恣(し)意(い)的に運用しないよう徹底させていた。」などと言っているようですが、これのいったいどこが恣意的な運用じゃないのか、是非教えてほしいものです。ちなみに、前記の情報保全隊から流出した文書は、2003年11月から2004年2月にかけての監視活動の報告書なのですが、その時期に防衛庁長官を勤めていたのは、まさしく石破茂自身です。
2011.01.27
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110126-00000081-mai-soci<鳥インフル>野鳥に感染疑い 簡易検査で陽性…高知、滋賀高知、滋賀の両県で26日、高病原性鳥インフルエンザに感染した疑いがある野鳥が見つかり、簡易検査で陽性反応が出た。高知県では仁淀川(によどがわ)町の町民運動場で25日夜、弱って飛べないオシドリ1羽が見つかり、26日捕獲して検査した。同県は半径10キロ圏内の養鶏場6カ所(計520羽)に立ち入り検査した。滋賀県では大津市におの浜3の川で死んでいたオカヨシガモを26日に回収、検査して分かった。---------最近、水鳥の名前がやたらと新聞に出てきますね。元野鳥の会会員の私としては、なんとも複雑な心境ですけれど。この記事で報じられているのはオシドリとオカヨシガモ、その前に松江と福島でキンクロハジロ、北海道でオオハクチョウ、鳥取ではコハクチョウ、兵庫でカイツブリ、出水でマナヅルなどがH5N1亜型トリインフルエンザに感染して死亡しているのが見つかっています。これだけあちこちで見つかっているのは、最近になって野鳥の間で急激に強毒型トリインフルエンザが大流行し始めたのか、それとも、我々人間が気がつかなかっただけで、元々野鳥はこの程度にはトリインフルエンザに感染しているものだったのか、果たしてどちらでしょう。私は、何となく後者ではないかという気がするのです。なぜなら、トリインフルエンザの感染例は報告されているけれど、それによって野鳥が大量死している、というような事実は報告されていないからです。出水のマナヅルがトリインフルエンザで死んだときにはこのブログでもそのことを取り上げましたが、その後、出水のツルの間でトリインフルエンザが大流行とか、大量死している、というような事実は伝わっていません。もし、私の推測のとおりだとすると、これからも野鳥からは強毒性トリインフルエンザウィルスが次々と検出されるでしょうし、それを撲滅することなんてできない相談でしょう。そうだとしたら、これはもう諦めるしかない。野鳥とはそういうものだ、ということです。あとはせめて家禽への感染を防ぐしかないけれど、それも限界はあります。水鳥は大型だからまだしも、スズメくらいの小鳥が鶏舎などに侵入することを完全に防ぐなんて、事実上出来ない相談です。つまり、対策が非常に難しい、ということです。だから、トリインフルエンザの発生自体は、半ば不可抗力というしかないのではないかと思います。もちろん、発生した後に、どう対処するかという部分は、不可抗力ではないですけれど。で、怖いのはこのH5N1トリインフルエンザが、人にも普通に感染するようになる事態です。今のところ、H5N1は普通の状態では人に感染しません。ただし、まったく感染しないわけではなく、主に東南アジアで、家禽との接触の多い人が、時々感染することがあります。鳥から人への感染例はありますが、人から人への感染は、目下のところインドネシアできわめて特殊な例が一例あるだけです。しかし、H5N1は、ひとたび感染してしまうと、その毒性は人間にとってもすさまじいものがあります。知られている限り、H5N1トリインフルエンザに人間が感染した例は全部で300件くらいありますが、そのうち200人くらいが亡くなっています。恐るべき死亡率です。(幸い、日本ではまだ人への感染例はない)だから、何らかの突然変異によって、H5N1が人から人に感染するようになったら、非常に恐ろしい事態になる。※ただし、そう警告されて何年にもなり、感染者が累計300人にもなっているけれど、まだ人-人感染を起こすような突然変異は起こっていません。H5N1亜型は、そういう突然変異はできないウィルスなんじゃないか、という意見もあることはあるようです。そうかも知れないけれど、まさか今の時点でそう決めつけるわけにもいきません。もともと、インフルエンザという病気そのものが、鳥から人間に広がってきた病気ではないか、という説があります。少なくとも、1917年に大流行したスペイン風邪(現在流行している季節性のインフルエンザや新型インフルエンザも、スペイン風邪の末裔です)は、その当時のトリインフルエンザが突然変異したものであることは確からしいです。
2011.01.26
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http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110125-OYT1T00361.htm自衛隊情報保全隊、自民・佐藤正久議員を監視か自民党は25日午前の国防部会で、自衛隊へのスパイ活動に関する情報収集などを行う自衛隊情報保全隊が、同党の佐藤正久参院議員の会合を監視していた疑いがあるとし、防衛省に説明を求めた。防衛省側は「佐藤氏は監視対象ではない」と説明したが、党側は納得せず、国会で北沢防衛相をただすことを決めた。佐藤氏はその後、記者会見し、「会合に保全隊員がいた」と述べた。佐藤氏は自衛隊OBで、政治的発言をする部外者を自衛隊関連行事に呼ばないよう求めた防衛次官通達に関し、北沢氏を批判している。部会では「監視が事実なら言論弾圧だ」(岩屋毅国防部会長)という声が出た。これに対し、北沢氏は閣議後の記者会見で、「調査したが、佐藤氏は情報収集の対象ではなかった。特定の個人の情報収集を指示した事実はない」と述べた。-----------佐藤正久のいうとおりだ!自衛隊情報保全隊が、外部の団体や個人に対してこのような監視を行うのは、実にけしからぬことです。情報保全隊は、そのような監視活動を一切やめるべきです。ところで、自衛隊情報全体が各種団体の監視活動を行っていることが表沙汰になったのは、今回が初めてではありません。2007年に、情報保全隊が(自衛隊に対して敵対的と自衛隊が判断した)市民団体や政党、労働組合などに対する監視を行っていたことが表沙汰になったことがあります。調査対象となったのはこれらの団体です。(なぜか、北海道の団体ばかりが多く、南下するほど調査対象が減っていく不思議。一部略号になっていますが、「P」は共産党、「S」は社民党とのことだそうです。)というわけで、佐藤正久に是非明らかにして欲しいと思うのは、情報保全隊が外部の団体や個人を監視すること自体をどう思っているのか、ということ。つまり、そのような監視活動全体を非難しているのか、自分自身が監視の対象になることだけが非難の対象か、ということです。後者であれば、「勝手に言ってろ」というだけです。記事によると、自民党の国防部会は、「監視が事実なら言論弾圧だ」と言っているようですが、自分たちが政権にあったとき、情報保全隊の監視活動についてなんと言っていたか、よく思い出すべきでしょう。「自衛隊法に基づく正当な任務である。」(久間防衛大臣)共産党や社民党や反戦団体を監視対象とすることと、佐藤正久や田母神俊雄を監視対象とすることの間に、質的な差などありません。この種の諜報機関が「左翼」を監視対象にすることを容認すれば、自衛隊(あるいは時の政府)の恣意的な判断でどんな団体でも監視対象になる可能性があるのは、当たり前すぎるくらい当たり前の話。「左翼を監視しろ、でも俺たち国士サマを監視するとは怪しからぬ」なんてのは、ムシが良すぎてなんの説得力もない。現実問題として、日本の過去の歴史において、政府転覆が誰の手によってたくらまれてきたか、よく考えてみることです。「左翼」がクーデターを起こしたことなんて、ないのです。515事件や226事件、神兵隊事件、戦後は三無事件、三島由紀夫の自決騒動、みんな右翼が起こしている。右翼ということに加えて、軍(または自衛隊)の内部あるいは周辺にいる者たちです。単純に言って、佐藤正久や田母神俊雄が自衛隊に向かって「政府転覆に決起せよ」と檄を飛ばした場合と、社民党や共産党が同じことをした場合を比較して、どちらの方が自衛隊に対して、より大きな影響力を持ち得るかということです。前者であろうことは疑いありません。であれば、自衛隊(あるいは時の政府)が前者に対してより大きな警戒心を抱くのは、当たり前のことです。従って、そのような監視活動を止めさせるには、「すべての」監視活動を止めさせる他はないのです。
2011.01.25
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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110124k0000e040048000c.html政府専用機:退役へ 経営再建中の日航、整備困難に首相ら要人の外遊や緊急時の在外邦人救出に使う政府専用機「ボーイング747-400型」2機が数年以内に退役する方向となった。「あと10年は使える」(防衛省)というが、機体整備を委託する日本航空が今年度中に同型機を全て退役させ、整備が困難になるため。政府は近く検討委員会を開催し、新型機購入の方向で検討するものの、財政状況が厳しい中「民間機をチャーターすべきだ」との意見も出ている。防衛省などによると政府専用機は91年、米国の対日貿易赤字減らしに協力するために2機を360億円で購入した。日航に機体整備や搭乗員教育などを委託しているが、経営再建中の日航は燃費の悪い同型機を今年度中に退役させる方針。部品や人員の関係から、数年後には整備を受けられなくなる見通しになった。自衛隊が自ら整備するには、設備や器材などをゼロから用意しなければならない。数百億円を超える経費が必要で「費用対効果の観点から適当ではない」(防衛省)という。このため、新機種導入の是非など今後の方針を決める必要があり、政府関係者は「人気機種はオーダーから納入まで数年はかかり、改装や飛行訓練も考慮すると、再来年度予算の要求までに決めないと間に合わない」と話す。ただ、政府専用機の必要性への理解が十分に得られている状況ではない。日航が政府専用機の整備だけのために部品や人員を確保するとコストが上がることから、防衛省は11年度予算の特別枠に、前年度より11億円多い41億円を維持費として要望した。しかし特別枠を巡る「政策コンテスト」で、A~Dの4段階評価でC判定となって17億円しか認められず、他の予算を削って維持費を捻出せざるを得なくなった。(以下略)------------単純な疑問なのですが、B-747は日航だけでなく、全日空と日本貨物航空も保有していますが(エンジンも、検索した限りは政府専用機・日航・全日空・日本貨物航空とも、GE製のCF6系を使っている)、日航がジャンボ機退役なら、全日空か日本貨物航空に委託先を変える、というわけにはいかないのでしょうか。全日空もB747は退役の方向にあるようですが、それでも日航よりは後の話ですし、日本貨物航空は当分退役という予定はないような。貨物専用機と旅客機型の違いはあるけれど、飛行機としての基本的な仕様は同じだと思うんですけれど。それにしても、かつてB747の最大ユーザーだった、あの日本航空からB747が消える、というのはやっぱり衝撃的な出来事ですねえ。しかも、経営危機が表面化してから、まださほど時間はたっていないのに。B747は、登場した時点では世界一燃費と運行コストの安上がりな飛行機だったはずなのに、それから40年以上経って、今ではB747以外の4発旅客機がほとんど姿を消してしまったために、今では運行コストも燃費も割高な飛行機になってしまったんですねえ。ま、「まだ新しい」とは言え、1991年に導入されているので、20年経過しています。数年以内に退役と言うと、トータルで23~4年ということになるので、年数的にはそんなに短命ではないでしょう。もっとも、飛行時間でいうと、おそらく民間航空機に比べて大幅に短いと思います。その意味では確かにもったいない。ただ、さすがに購入の時点で20年先の航空業界の状況なんて、想像も付かないから、ある程度は仕方がないのかなと思います。もともとが政府専用機って、バブル期に貿易黒字解消のために、米国から「何か買え」と言われて、購入したものです。つまり、どちらかというと「必要があるから買った」というより「まず買って、それから使い道を考えた」というのが本当のところでしょう。それに、20年先の航空業界の状況がどうなるか想像が付かないのは、これから先も同じです。つまり、これから先も「新しい政府専用機を購入して数年経ったら整備の委託先がなくなった」ということが起こりうる。ということは、記事にあるとおり、チャーターの方がいいんじゃないでしょうか。今は特に財政状況が悪いし。どうしても新たに購入ということなら、中古機で良い。機種はB767がよろしい。B767なら委託しなくても航空自衛隊が独力で整備できるはずだから。(航空自衛隊はB767をベースにした給油機と早期警戒機を持っている)
2011.01.24
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先週と先々週の日曜日ですけれど、NHK特集で「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」という番組が放送されていました。実は、録画していたものの、すぐに見ていなくて、インフルエンザで倒れている間にやっと見ました。38度の熱がある時に見たものだから、布団の中で根ながら見たにもかかわらず、とてもきつかったのですが。内容的には、なるほど、そうだなあと思う部分が多かったのですが、どうも私には一つ違和感が感じられたのは番組の中では「太平洋戦争」という言葉にいちいち「いわゆる」という枕詞を付けて「いわゆる太平洋戦争」と称していたことです。いったい何に遠慮して、こんな奥歯に物が挟まったような言い方をしているんだろうか、と思います。まさか、「大東亜戦争」なんて言葉に遠慮して「いわゆる太平洋戦争」なんて言っているんじゃないだろうなあ、なーんて思ってしまうんですけれどね。あの戦争を指す言葉は確かに複数あります。たとえば私は個人的には、「アジア太平洋戦争」が一番ふさわしいと思っています。ただ、あまり一般的ではないので、他人にそれを「使うべき」とは言いません。日本政府の公式な表現としては、すべて「太平洋戦争」か「先の大戦」のはずですから、「太平洋戦争」でいいのです。それに先立つ中国との戦争は「日中戦争」です。以前「愛国者が国を滅ぼす」という記事を書いたことがあるのですが、そのときは、もっぱら敗戦の際の「降伏反対派」のことを念頭に置いて書いたのですが、太平洋戦争開戦の時(さらに遡って日中戦争や満洲事変も同様)についても、まったく同じことが言えるなあとおもいます。番組の中でも触れられていましたが、日本が決定的に戦争への道を踏み出したのは満洲事変※です。つまり、日本を滅亡への道に引き込んだ最大の「立役者」は石原莞爾ということになります。ところが、この石原莞爾は戦犯として裁かれていないんですよね。東条英機と対立して太平洋戦争以前に失脚していたからですが、どうも釈然としない話です。もっとも、戦犯にはならなかったけれど、健康を害して、戦後数年のうちに亡くなっていますけれど。※ もっとも、その3年前にも、日本軍はまったく同じ手口で張作霖爆殺事件を引き起こしています。つまり、根としては満洲事変と同じ体質をそれ以前から持っていたわけです。
2011.01.22
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http://www.asahi.com/national/update/0121/TKY201101210414.htmlインフルエンザ、全国的に注意報レベル 感染研発表インフルエンザの流行が全国的に注意報レベルに達したことが21日分かった。国立感染症研究所が最新の1週間(1月10~16日)に全国約5千の定点医療機関のインフルエンザ患者数が、1医療機関あたり12.09人だったと発表した。前週(5.06)から倍増、注意報発令レベルの10を超えた。年齢別では20代以上が6割近くを占め、厚生労働省は2月上旬ごろのピークに備え、手洗い・せきエチケットと予防接種を改めて呼びかけている。全国の患者は78万人と推計される。今季は累計で165万人になり、感染が急速に広がっている。18日現在、22人が死亡、72人が重症との報告がある。都道府県別では、沖縄が警戒レベルを超えて55.26(前週25.90)になった。このほか佐賀27.87(同11.41)、福岡24.81(同11.53)、宮崎24.08(同7.25)、長崎20.43(同9.29)と続く。今季は昨季に比べて20~50代に患者が多い。感染研感染症情報センターの安井良則主任研究官は「こうした働き盛りの世代は、予防接種を済ませていない人が多いので注意を。重症化が心配な妊婦や呼吸器の持病などがある人は急いでワクチン接種を受けて欲しい」と話している。-----------皆様くれぐれもお気をつけください。東京も、現在急激に流行しているようです。というか、我が家はすでに手遅れで、子どもと私がインフルエンザになりました。やっと治ったところですけれど。子どもは今日から学校に。私は4日も休んでしまったので、明日は休日出勤。本当は、今日は出勤しようと思えば可能だったのですが、うつしちゃいけないですからね。仕事が・・・・・・と思いつつも自重しました。さすがに明日は大丈夫。というか、休日出勤なら同僚にうつす心配はない(こともないか、多分来ている人が他にもいるから)。月曜日に発熱して、夜帰宅したら子どもが「インフルエンザ陽性だった」というので、あわてて私も火曜日に医者に行ったら、やはり陽性。そのときにも、他にも「インフルエンザ」と診断されている人がいましたし、実は職場でも私の前に一人、私の後に2人インフルエンザが出ているので、かなり大流行モードかも知れません。簡易検査では季節性か新型かは分からないと言っていましたが、今は新型の方が主流とも言っていましたので、多分新型なのでしょう。我が家は、私と子どもの他、その前に、我が相棒も風邪を引いていました。相棒は医者に行かずに治ってしまったので、本人は「インフルエンザではない」と主張していますが、多分あれもインフルエンザだっただろうと思われます。子どもはリレンザを、私はタミフルを処方されました(「どっちがいいですか」と聞かれて、分からないので「どちらでも良いです、よく利く方を」と言ったらタミフルにされました)が、その後で新聞報道を見たら、数パーセントの割合でタミフル耐性ウィルスが出現しているようですね。リレンザは耐性ウィルスはまだないらしい(今後出てくるかも知れませんが)。そうか、しまったと思ったのですが、とりあえず私にはタミフルは効果があったみたいです。記憶する限り、私はインフルエンザにかかったことがなかったのです。子どもの頃のことは正確には覚えていませんけれど、少なくとも高校生以降の二十数年間では初めてのインフルエンザです。-----で、こういうときに読むと、なかなか心楽しくなれるSF小説があります。小松左京「復活の日」インフルエンザ(正確に言うと、インフルエンザウィルスを隠れ蓑にするMM-88という超猛毒生物兵器)によって、南極観測隊を残して人類が絶滅する話です。そういえば、この本を初めて読んだのは中学生か高校生の頃だったのですが、やっぱり風邪(インフルエンザではなかったけど)を引いているときだったので、すごく怖かった記憶があります。何しろ死屍累々の話ですからね。で、せっかくだからインフルエンザ記念に(何じゃ、そりゃ)、またあの本をと思ったら、どこかに行ってしまいました。うーーーん、残念。ところが、この小説は映画化されているんですが、この映画がほぼ全編YouTubeにアップされているんですよ。(URLは紹介しません。そのうち削除される可能性もありますから)映画版は見たことがなかったので、今回初めて見てみました。原作の時代設定は1960年代後半(発表されたのが1964年だから)ですが、映画は15年後の1980年公開なので、時代設定は1982年に変えられています。映画も、原作同様に死屍累々の描写がいっぱい。繁華街で自衛隊が遺体を次々とトラックに積み込んだり、遺体の山に火炎放射器で火を放つシーンは、骸骨があちこちに散乱するシーンなど、かなり強烈です。ただ、やっぱり中高生の時読んだ原作の方が、そのシーンのインパクトは遙かに強烈に感じました。(さすがにこの年にもなると、中高生の頃とは人生経験が違うから)それに、もし鳥インフルエンザのH5N1が人間の新型インフルエンザ化したら、この映画に出てきた死屍累々の表現、医療機関の修羅場の表現が、現実になる可能性だってないとは言えません。(もちろん、人類が滅亡するわけではないけど)そういう意味では、大きく時代を先取りした作品とも言えます。もっとも、1917年のスペイン風邪大流行にヒントを得て作られていると思われるので(作中でも、度々「スペイン風邪の時は」という話が出てきます。原作が書かれた時点では、まだスペイン風邪から50年経っていなかった)、そういう意味では、これは古くて新しい問題なのでしょう。それにしても、とにかくすごく金をかけている映画で、南極で撮影しているんです。しかも、チリ海軍の本物の潜水艦を使っている。この潜水艦は、ソ連とイギリスの潜水艦を一隻二役で演じています。ソ連潜水艦として「出演」しているときは、浮上時にソ連の国旗を掲げているんですけど、当時のチリは、ピノチェト独裁政権。国内の左翼勢力を大弾圧して、中国以外の社会主義国全部と断交したあのピノチェトの海軍が、外国映画のためにお金をもらえば潜水艦にソ連国旗を掲げた撮影に応じるんだなあ、と。私が初めてチリに行ったとき(ピノチェト政権時)は、港で軍艦にカメラを向けるのが見つかるとカメラが没収されるから、撮っちゃダメって言われてたんですけどねえ。ま、惜しいことに、設定では原子力潜水艦役なのですが、問題の潜水艦は第二次大戦時の米軍潜水艦の中古なので、どこからどう見ても原子力潜水艦には見えないんです。艦首が涙滴型じゃないし、そもそも甲板に大砲を備えているし。で、YouTubeを検索したら、この潜水艦の艦長だったトレド・デ・ラ・マサ提督という人物の、映画撮影の思い出みたいな番組がありました。(チリの番組でしょう、スペイン語です)http://www.youtube.com/watch?v=MrQmpSoW45s
2011.01.21
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http://www.asahi.com/politics/update/0119/TKY201101190447.html「反党行為なら議員辞職」与謝野氏、自民時代に誓約書自民党の大島理森副総裁は19日、与謝野馨・経済財政担当相が2009年の自民党時代に「反党行為があった場合、良心に基づき議員辞職する」と書いた誓約書を公開した。大島氏は、与謝野氏の署名が入った書状を記者団に見せながら、「政治家としての道義にどう答えるのか。しっかり問いただしていく」と述べた。通常国会の予算委員会でも追及する方針。自民党は09年の総選挙で、すべての公認候補に誓約書を提出させていた。大島氏は、与謝野氏が民主党の会派に入会しても無所属のままであることについても触れ、「まさに脱法的行為だ」と批判した。 -------問題の「誓約書」なるものの現物写真も公開されています。これによると、「党の綱領(?よく読めない)、政策および党紀を遵守することはもちろん、離党などの反党行為は一切行わないことを、自由民主党および有権者に対して誓約するものであります。」とあります。自由民主党および有権者に対して誓約???はて、私も日本国の有権者の一人ですが、そんな誓約の存在は今回の報道で始めて知りましたが。もちろん、与謝野あるいは自民党に投票した有権者も同様でしょう。有権者に対して、今までそんな誓約の存在を隠しておいて、何が「有権者に対して誓約するものであります」ですか。というわけで、表面上の文面は、「自由民主党および有権者に対して誓約するものであります。」とありますけれど、実際には、これは「自由民主党対して(のみ)誓約するものであります」という趣旨であるわけです。確かに与謝野馨が、コロコロと所属政党を変えていき、野党から与党になった行動は、大いに問題だし、それを批判するのは大いに結構です。だけど、そんな誓約書を今持ち出すのはどうなの?と思いますね。記事によれば全公認候補に同じ誓約書を書かせたそうですから、これはもう有無を言わさず、否応なく誓約書を書かなければ公認をもらえない、という状況で「書かされた」ものです。それをこういう形で持ち出すのは、あまり美しいやり方には見えません。「有権者に対して」という文面のとおりなら、本来は選挙戦の際に公表すべきだったし、実際そうしていれば、離党に対する多少の抑止力にはなったんじゃないでしょうか。遅くとも与謝野が自民党を離党したときに、何故この誓約書を公表しなかったのでしょう。文面は、「離党などの反党行為は一切行わないこと」となっています。事実、与謝野は、自民党を離党して、たちがれ、じゃなかった「たちあがれ日本」を結党したとき、自民党から除名処分を受けています。その時点で、この「誓約書」に反しているのです。比例区で当選しながら自民党を離れたのは、比例投票への真義上大問題ですから、それを批判するのは当然です。離党を「反党行為だ」と非難することも分かります。しかし、すでに除名されてしまい党員でなくなった議員が、そのあとどの党からどの党へ動こうが、反党行為もへったくれもない。党員ではない人間の「反党行為」を云々する資格など、誰にもありません。(真義の問題を云々する資格は、大いにありますが)それにしても、自民党を続々と離党した国会議員の中で、除名処分になったのは与謝野と舛添要一だけですが、この「誓約書」の文面に従えば、離党はすべて反党行為で議員辞職ということになります。同じく自民党を離党した与謝野とともに「たちがれ」に行った園田博之と、無所属になった鳩山邦夫は、同じ誓約書を書いているわけですから、やはり「議員辞職を」となるはずです。他の選挙でも同じ誓約書を取っているとしたら、参議院議員の舛添や中山恭子等々(かなり大勢離党者がいる)も同様の筈ですが、はたして、自民党は毎回こんな誓約書を候補者に書かせているんでしょうか。
2011.01.20
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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/221714出直し市長選で新市政が始動した鹿児島県阿久根市。市役所や商店のシャッター、防波堤などに、風景や人物、名画を模した絵が多数描かれている。落選した竹原信一前市長が昨年7月、観光振興を目的に予算500万円を専決処分したアート事業だ。なかにはミッキーマウスやピカチュウ、スーパーマリオ、クレヨンしんちゃんの絵もある。これって著作権侵害では-。西平良将・新市長は18日「一部の絵は消したい」と作者に申し入れたが結論は出なかった。東シナ海に面する阿久根新港。防波堤には130メートルにわたって壁画が続く。ここでも、くまのプーさんや不二家のペコちゃん、スタジオジブリ(東京)の映画「魔女の宅急便」の主人公などの人気キャラクターが“夢の競演”を果たしている。ウォルト・ディズニー・ジャパン(東京)の広報担当者は「情報は入っている。許諾したものではないし、申請があっても許諾しない」。スタジオジブリは「ファンから連絡が多数ある。ただ事実を確認しておらずコメントできない」とする。描いたのは、竹原氏が神奈川県藤沢市から招いた画家の清田定男さん(71)。清田さんは各著作権者に許可を取っていないことを認めた上で「子どもに喜んでもらうために描いたパロディー。抗議もない」と話す。(以下略)-----------------記事にある写真は小さいので、別のところから集めてみました。↓消防署ピカチュウがいますね↓堤防魔女の宅急便に奥様は魔女?、リトルマーメイド、ペコちゃん、くまのプーさん・・・・↓市役所この「ぼんたんあめ」というのは、セイカ食品という一企業の発売している商品だそうです。それも、阿久根市ではなく鹿児島市の企業だそうですが。↓堤防ETの有名シーンと、ポンキッキのムックとガチャピン↓個人商店のシャッター?著作権とは違う意味で大問題じゃないでしょうか。右から2人目の白い服の大人、私の目には、「あの人物」に見えるのですが・・・・・・。他にも、カーネルサンタース、ひょっこりひょうたん島などがありました。---もう20年近く前の話ですが、その当時勤めていた会社で、個人的にディズニーキャラクターを巡って痛い体験をしたことがあります。ミッキーマウス(に見えなくもない)絵をあるところで使ってしまい、それがウォルト・ディズニー・ジャパンの目に留まってしまったのです。上司が平謝りに謝って、なんとか事なきを得ました。当時の私は、著作権問題にはまったく疎かったのですが、今から振り返ると、よく損害賠償請求を免れたものだと思います、上司がうまく謝罪してくれたのでしょう。まったく冷や汗が出ます。作者は「抗議もない」と言っているようですが、それは、この問題がごく最近になってマスコミに取り上げられるようになったので、各著作権の保有企業がこれまでその存在を知らなかった、というだけのことでしょう。今頃は、もう警告書か何かが届いているでしょう。この作者の清田定男という人物は、過去に各地で多数のシャッターアートを手がけてきたそうですが、さすがに個人商店のシャッターなどであれば、マスコミに取り上げられない限りはウォルト・ディズニー・ジャパンといえども存在を知ることはないでしょうから。米国系企業の著作権管理は情け容赦がないですからね。かつてどこかの小学校で、児童がプールにディズニーキャラクターの巨大な絵を描いた、という話が新聞に取り上げられたら、ウォルト・ディズニー・ジャパンが抗議して、その絵を消させたという事件がありました。http://tdr-3d.blog.so-net.ne.jp/2007-08-17「子どものため」「パロディー」「営利目的ではない」などの理屈は通用しないのです。私も、著作権を巡る様々な動きには少なからず不満はありますが、とにかく法律は法律です。更に痛いのは、竹原支持派の反応。http://akunekaze.blogspot.com/2011/01/blog-post_120.html「誰が見ても西平よしまさ新市長の陣営(職労側)とマスコミのマッチポンプと思われるような流れです。」なのだそうです。そうかも知れないけれど、もともとが著作権侵害という行為が問われているのに、それに対する反省は皆無。これでは説得力は皆無に等しい。もっとも、竹原前「政権」は、阿久根市にはまるで日本国の法律が及ばないかのごとく、法律を無視した市政を行ってきましたから、著作権法を破るくらいはへとも思っていないのかも知れませんが。ところで、阿久根市を巡ってはもう一つ記事があります。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110119-00000001-maip-soci阿久根市 竹原派が市役所で集会…新市長を批判鹿児島県阿久根市の出直し市長選で落選した竹原信一前市長(51)の支持者ら約60人が18日夕、市役所で集会を開いた。竹原氏も出席し、1階のロビーを「占拠」して西平良将市長(37)を批判した。今後、毎日開く予定という。集会は「副市長」を17日に解任された仙波敏郎氏が呼びかけ、竹原派市議や竹原氏が採用した市幹部も出席した。仙波氏は「対話などまったくない」と新市政を批判。竹原氏は報道陣に「西平氏は公約を実現できない普通の市長」と語った。集会について西平市長は「意見交換会があるとは聞いていたが、集会とは想像していなかった」と語った。一方、西平市長は18日付で、竹原前市長が職員に採用した元群馬県警警部補、大河原宗平・総務課長兼選挙管理委員会事務局長(57)を市民環境課参事に異動した。後任には元総務課長の尾上英二・参事(58)を復帰させた。また職員給与の張り紙をはがして竹原前市長から懲戒免職処分を受け、昨年8月に復職した男性職員(46)を副市長付主幹から総務課主幹(課長補佐級)へ異動した。-----------言論は自由ですから、竹原支持派が集会を開くのは自由です。それを市役所の片隅で開くというのもいいでしょう。市職労の事務所も、以前は市役所内にあったようですから。ただし、市職労の事務所は市役所から出て行け、でも自分たちの集会は役所内で自由に開かせろ、というのでは整合性が問われます。別記事によると、仙波敏郎は「対話を重んじる市長が問答無用で私を解職し、総務課長も更迭した。報復人事だ」などと西平良将市長の批判を展開し、決起集会の様相を呈した。のだそうです。(読売のサイトより)でも、上記毎日の記事では副市長の肩書きにカギ括弧が付いていることでも分かるように、副市長を専決処分で決めるという行為は、そもそも違法です。「阿久根国」の独裁者の無理が通れば道理引っ込む法で彼は副市長を名乗っていたけれど、日本国の法の下では、彼が副市長を名乗る法的根拠は乏しい。独裁政権が倒壊した以上、そのような存在がいったんは解任されるのは当たり前のことです。それに、報復人事って、竹原派自身がそれを散々やってきたのではないでしょうか。
2011.01.19
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http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110118-OYT1T00819.htmナスカの地上絵に人間の頭部?…山形大発見山形大は18日、同大人文学部の坂井正人教授(文化人類学)の研究グループが、世界遺産に登録されている巨大な地上絵で知られるペルー・ナスカ台地で、新たに人間の頭部(長さ約4・2メートル、幅約3・1メートル)と動物(長さ約6・9メートル、幅約2・7メートル)とみられる地上絵計2個を発見したと発表した。坂井教授らの研究グループは2006年、衛星写真から新たな地上絵を約100個発見している。今回は、昨年8月から地上を歩いて調査していた。見つかった地上絵の一つは、目や耳、口が確認でき、「人間の頭部」と推定。そこから約30メートル北東にある別の地上絵は、足や首のような形があり、何らかの「動物」を描いたとみられるという。いずれも珍しい黒色の地上絵で、台地に広がる黒い石を除去して制作されたとみられる。頭部の絵は、ナスカ期(紀元前200年~後600年頃)の前期か、それ以前の制作とみられる。また、人が移動する際に手がかりにしたと考えられる、放射線状の直線が交差する場所(ラインセンター)も新たに76点発見。これまでの研究では62点しか発表されておらず、これだけの大量発見は例がないという。-----------私はペルーには行ったことがありますが、ナスカの地上絵は見たことがありません。でも、相棒は地上絵を見たことがあるそうです。もっとも、あれは、セスナで空中から見学するのですが、相棒は大の乗り物酔い体質。そりゃもう悲惨な状態で、見学どころではなかったそうですが。しかし、砂漠の中に刻まれた絵が、何百年も残り続ける・・・・・・雨の多い日本ではあり得ないことです。ペルーは、大まかに言って、コスタ(海岸地方)・シエラ(アンデス高地)・モンターニャ(辞書上はこれも「山」の意味ですが、ペルーでは東部のアマゾン密林地帯を指す)の中で、コスタは本当に雨がまったく降りません。首都リマはコスタの中心都市ですが、年間降水量は各種ソースによってまちまちなんですが、ウィキペディア日本語版では「約30mm」、英語版では13mm、スペイン語版では7.5mm、MSN天気予報によると、各月の降水量を全部足しても年間降水量4mm未満・・・・・。どれが本当の数字かよく分かりませんけれど、どの数字を採用しても、サウジアリビアのリヤド(年間降水量90mm程度)より降水量の少ない、超乾燥地帯です。そんなところで、どうやって人口800万人の水源を確保しているかというと、アンデス高地には結構雨が降る(クスコの年間降水量は700mmくらい)ので、そこから流れてくる川の水を引いています。※追記 ただし、リマは降水量は超乾燥地帯ですが、湿気はかなり高いです。決して雨は降らないのに、天気はいつも曇り(晴れか曇りかよく分からない薄曇り)という不思議なところです。ミラフローレス(リマの海岸沿いの高級住宅地)から水平線を見ると、霞がかかっていて水平線はよく分かりません。しかも、赤道近くの割にはさほど暑くない。理由は南極から冷たいフンボルト寒流が流れ込んでいるからです。ナスカも、おそらくは同様でしょう。だからこそ、地上絵が何百年も残ってきたわけですが、ただし、聞くところによると、地上絵と自動車の轍のあとはそっくりで、一時地上絵の上を車で走り回る輩がいて、だいぶ荒らされたそうです。と、いうことは、ひょっとすると、たくさんある地上絵の中には、現代人が後から書き加えた地上絵も混ざっていたりして・・・・・・。
2011.01.18
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去年も1月17日に同じテーマで記事を書いたのですが、阪神淡路大震災から16年が経過しました。私自身はずっと東京在住なので、当時リアルタイムでは自身を体験していない(東京の震度は確か3か4で、起きたときは寝ていました)のですが、相棒は当時大阪にいたので(大阪の震度は確か5だった)、しかも高層マンションに住んでいたので、相当怖い思いをしたようです。相棒は、とにかく地震が苦手で、震度2くらいでも真っ青になって固まってしまうのです。震度5ではさぞかしパニック状態になったのだろうと思います。いや、実際東京でも、6~7年前に震度5の地震がありました。ちょうど、子どもをうちの両親に預けて、相棒と2人で、この映画を見に行った帰り、喫茶店でお茶をしていたら、ぐらっときたのです。後から考えれば、喫茶店というのは割れ物がいっぱいあるので、できれば地震をそんなところで迎えたくはありません。ただ、揺れはでかかったけれど、短時間だったので、食器類が散乱するようなことはありませんでしたけど。そういえば、あのときも相棒はキャッと言って固まっていました。そのとき、JRは地震でかなり長時間止まってしまったのですが、地下鉄は2~30分で復旧したので、比較的短時間で家に帰ることが出来ました。帰宅すると本棚の一番上の方の本とCDが、床にぶちまけられていました。まあ、その程度で済んでよかったです。あのときの経験から考えると、震度6以上がきたら、本棚は確実に転倒するでしょうね。本棚には、転倒防止のつっかえ棒を取り付けてあります。安定の良い本棚はつっかえ棒のみ、ちょっと安定性に疑問のある本棚は、上につっかえ棒、下に転倒防止ゴムです。だけど、本棚の重さとの対比で考えると、つっかえ棒では転倒するまでの時間を少し稼げる、という程度でしょう。多分、天井の強度が保たないのではないかと思います。それでも、家具転倒までに5秒でも余計な時間が稼げるなら、メリットは大きいです。ちなみに、寝室には本棚は置いていません。私の箪笥がありますが、これは壁にねじで固定しているので、つっかえ棒よりは利き目があるでしょう。起きているときならともかく、寝ているときに頭上から本棚が倒れてきたら、無事では済みませんからね。あとは、テレビがあるか。26インチの液晶。重さは10キロくらいでしょうか。あれが顔面の上に降ってきたらちょっと怖いけど、コンセントとケーブルでがんじがらめなので、多分飛ばないでしょう。いずれにしても、地震被害を完全に防止することは、多分無理です。でも、ちょっとした工夫で被害を局限することは、ある程度可能じゃないかと思います。でかい地震が来たら、「怖い」の「キャー」のと騒ぐ前に、まずは(可能な限りは子どもと一緒に)テーブルの下に潜り込めと言っているのですが、もちろん、そう言っている私自身も体験したことがないわけで、実際起こったらどうなるかは、果たして・・・・・・。ただし、先ほど、喫茶店を「できれば地震をそんなところで迎えたくは」ないと書きましたが、しかし地震予知に成功でもしない限り、いつどこで地震に遭遇するか分かりません。(地震予測は当たりそうにないですね)たとえば、地下街の居酒屋で飲み会を開いて、酔っぱらっているときに地震が来るかも知れません。風呂場で素っ裸のときに地震が来るかも知れません。(トイレと風呂場は、部屋が小さく柱が多いので、一般的に比較的倒壊しにくい場所ですが)超満員の地下鉄の中で地震に会うかも知れないし、首都高速の橋桁の下を通るときに地震に遭うかも知れません。壁面が総ガラス張りのビルの脇を歩いているときに地震が来るかも知れません。(いずれも、私の通勤経路上の実例)いずれの場合も、その瞬間に現場に居合わせたら、命を落とす可能性がかなり高いと思わざるを得ません。これは、もう仕方がないなと思います。まさか、そのために仕事を変えるわけにはいきませんから。そのときはそのときと割り切るしかない。山登りなんかも、ガレ場で「今この場で大きな地震が来たら絶対死ぬな」と思うことはあるんですが、だからって山歩きを止めたりはしないですからね。ただ、群発地震が発生しているようなときは、山には行かないですけれど。地震だけではなく、様々な災害があります。いずれも、ある程度の対策によってリスクを下げることはできますが、リスクをゼロにはできません。どこで割り切るのが合理的か、ということですが、これはなかなか難しい問題かも知れません。
2011.01.17
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http://www.asahi.com/politics/update/0116/SEB201101160014.html鹿児島・阿久根市長に西平氏 3選目指した竹原氏は落選住民投票で市長が解職された鹿児島県阿久根市の出直し市長選は16日投開票され、養鶏会社経営の新顔西平良将氏(37)が、3選を目指した前職竹原信一氏(51)=共に無所属=を破って初当選した。「市役所・議会改革」を唱え、議会に諮らずに専決処分を繰り返した竹原氏の行政手法が否定された形だ。当日有権者数は1万9715人、投票率は82.39%(前回は82.59%)だった。(以下略)-----------------この記事には票数が出ていませんが、別の記事によると西平良将8509票・竹原信一7645票だそうです。僅差ではありますが、リコールの住民投票の票差(400票足らずの差)よりは開いたようです。しかし、あそこまで無茶苦茶なことをやったにもかかわらず、依然として支持者が多んですね。ということは、専決処分連発という異常な行動に走らなければ、今でも圧倒的な支持だったかも知れません。ただし、あのような異常な行動や発言そのものが、支持を集める手段と化していた側面も、あるのだろうと思います。ある時点までは、竹原信一が発言をエスカレートさせればさせるほど、支持が集まっていた。それで、発言と行動をどんどんエスカレートさせたけれど、ある一線を踏み越えたところで、さすがに住民が退いてしまったのでしょう。私は、このブログで竹原信一を繰り返し批判してきましたけれど、ただ、注目すべきは82%以上という投票率です。一般的に農村部は大都市より投票率は高い傾向にありますが、それにしても、同じ阿久根市の選挙でも、前回参議院選の投票率61%、一昨年の衆院選の投票率71%、鹿児島県知事選の投票率47%だそうですから(数字は阿久根市役所のホームページより)、それらと比べて、市長選の投票率は飛び抜けて高い。それだけ、良くも悪くも注目されていたということでしょう。市政への関心を集めることに成功した、という意味では竹原の功績を認めなくてはならないかも知れません。
2011.01.16
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昨日まで2回に分けて、広瀬隆の「二酸化炭素温暖化説の崩壊」を批判してきましたが、ただこの人は、地球温暖化問題以外の点については、正しいことも言っている、とも思います。たとえば、地球温暖化防止のために、CO2を排出しない原子力発電を拡大しよう、という意見があります。確かに核反応そのものは直接CO2を出しませんから、一見するともっともらしい意見のように見えます。しかし、実際にはそうではありません。CO2削減のため、水道水の無駄づかいを止めよう、という話があります。水そのものはCO2を排出する筈がないのに、どうして?と思いますよね。しかし、水そのものはCO2を排出しなくても、上下水道の建設や水の供給、汚水の処理などに大量のエネルギーが必要であり、だから水道水を大量に消費することはCO2排出の増大につながるわけです。原子力発電もそれと同じで、核反応そのものにはCO2は無関係でも、発電所の建設、核燃料の採掘・運搬・精錬、そして放射性廃棄物の処理・保管、最終的には廃炉となった原子炉の処分(これは、まだ実例が少ないので未知数の分野)などによって、大量のCO2を排出します。加えて、原子力というのは非常に効率が悪く、また使い勝手の悪い発電方法なのです。原子力発電はどうやって発電しているかというと、核反応によってお湯を沸かし、蒸気をタービン(風車)に吹き当てて回転させ、それによって発電機を回しています。熱源に原子力を使っていますが、原理的には蒸気タービンそのものです。かつて、20年くらい前までに建設された火力発電所も、原子力発電所とまったく同じ原理で発電機を回していました。つまり、原子力ではなく、火力(石油か石炭)で蒸気タービンを動かしていたのです。蒸気タービンには、出力を急に変えることができないこと(急に出力を上げるとボイラーが壊れる)と、燃費が悪いという2つの欠点があります。火力を直接動力にするのではなく、水(蒸気)という媒体が介在するため、どうしたって効率は悪くなるのです。ディーゼルエンジンなら、燃費は良いし、非常に短い時間で出力を上げることができます。ならば、出力調整が容易で効率も良いディーゼルエンジンで発電機を回せばいいじゃないか、と言いたいところですが、残念ながら何十万キロワットを発電するような大出力のディーゼルエンジンは作れないため、不都合には目をつぶって蒸気タービンが使われてきたわけです。ところで、何でお湯を沸かして蒸気でタービンを回すなんてまだるっこしい方法を取るんでしょうか。燃料を燃焼された噴射を直接タービンに吹き付ければいいじゃないですか。この理屈が、ガスタービンです。それが困難だったのは、蒸気(数百度)より燃焼ガスの噴射(数千度)の方が圧倒的に高温で、タービンの耐熱性に問題があったからですが、近年ガスタービンの技術は急激に進歩し、現在では火力発電所でもガスタービンによる発電が行われています。ガスタービンは、定格出力で運転する限りは非常に燃費がよく(出力を落とすと燃費が悪くなる)、短時間で出力を変動させることができます。しかも、最近はガスタービンの燃費を更に向上させる手段が導入されています。ガスタービンの後ろに蒸気タービンも組み込み、ガスタービンの排熱でボイラーを沸かして、蒸気タービンも動かすのです。一粒の燃料で二度おいしいこのシステムを「コンバインドサイクル発電」と呼びます。このシステムの発電効率(発生させた熱が電気に変換される割合)は5割以上。6割近い発電所もあるようです。一方、原子力発電所の発電効率はどのくらいかというと、約3割なのです。残りの7割の熱は、温排水として捨てられています。この一点だけでも、最新の火力発電所と比べて、原発がどれほど効率の悪いものか分かろうというものです。更に言えば、火力発電所は基本的に大都市からそう遠くないところに建設されています。それに対して、原発は大都市からは離れた場所に建設されています。事故が怖いからです。当然、電気の消費地までの送電線の長さが、原子力の方がずっと長い。送電線が長ければ長いほど、電気のロスも大きくなるので、原発の発電効率は、前述の数字より更に低くなるわけです。加えて、出力を上げるのに要する時間も、火力と原子力では全然違う。ガスタービンは、始動してからすぐに最大出力を発揮することができるし、蒸気タービン(火力を熱源にする)だって、最大出力までに時間がかかるといっても、せいぜい1時間程度です。原子力はというと、始動から最大出力まで何日もかかります。「今日は暑くなるから電力消費が多そうだ」というので原発を始動しても、全然間に合わない。しかも、原発は常に最大出力で運転されるもので、出力を絞って運転することが原則的にできません。電力会社は「出力調整運転はできる」と言っていますけれど、現実に、わずかな実験例があるだけで、営業運転では原発の出力調整運転は行われていません。出力を落として原発を運転すると、原子炉が不安定な状態となるためです。あのチェルノブイリの事故は、出力調整運転の最中に起こったというのは有名な話ですから。というわけで、原発は、始動するとき、停止するときを除くと、停止しているか最大出力で運転しているかのどちらかしかないわけです。しかも、原発の出力はとても巨大で、1基で百万キロワットにもなる。結局のところ、原発は常に動かしっぱなしで、電力消費の増減に応じて出力を調整するのは火力発電所と水力発電所ということになるのです。ところが、夜間になると電力消費が減り、原発以外の全ての発電所を止めても、まだ電気が余る、という状態が起こります。消費電力より発電量の方が少ないと停電になりますが、消費電力より発電量の方が多くても、電力過剰でトラブルが起こります。だから、発電した電気は使い切らなければならない。それで電力会社が思いついたのは揚水発電なるもの。「電気の利用が少ない夜間に下流のダムから水をくみ上げて、日中のピーク時にその水で水力発電を行う」というのが電力会社の言い分ですが、そうでもしないと夜間に電気が余ってしまうというのが実態です。こうしてみると、事故が起こった場合の危険性の問題を別にしても、原子力発電はCO2削減の切り札どころか、むしろエネルギー効率が悪く、エコとは非常に縁遠い発電方法だということが分かります。
2011.01.15
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昨日の続き、なのですが、実は当ブログでは、これまで地球温暖化問題を何度も取り上げてきたため、この本に対する批判は、大半が過去の記事と同じ内容の繰り返しになってしまうことに気がつきました。1.縄文海進について以前から何度も書いていますが、現在は地球の歴史全体から見れば寒冷期(氷河時代)であり、氷河時代の中では、比較的温暖な時期(間氷期)にあたります。氷河時代の特に寒冷な時期(氷期)には、現在より更に大陸氷河が拡大しており、つまり海の水が陸上に氷という形で固定されていたため、現在より海水面が大幅に低くなっていました。約2万年前の最終氷期最寒冷期には、今より100m近くも海水面が低下していたのです。約1万年前、氷期が終わると、地球は急激に温暖化し、カナダとスカンジナビアの巨大氷床が融解したことから海水の量が増え、海岸線が上昇します。7000年前頃、つまり日本の縄文時代にあたる時期には、現在よりもっと海水面が高くなり、関東平野のかなり奥地まで東京湾が拡大していたことが知られています。この状態を縄文海進と呼びます。その後、海水面は次第に低下して(低下した高度はほんの数メートルですが)、現在の海岸線に落ち着きます。この縄文海進について、広瀬隆はこんなことを書いています。-----江守(引用者注:国立環境研究所の江守正多、地球温暖化問題の専門家の一人で、反温暖化論を強く批判している)のすり替えの代表例が、縄文海進である。彼は日経エコロミー(2009年11月27日)掲載記事に「7000年前頃にかけて海面が上昇したのは、氷期が終わって氷床が大量に融けた、つまり地球全体が温かくなったせいです」と書きながら、その当時の気温が現在より遙かに高かったという事実を認めていない。そして縄文海進後に海面が低下したのは、地球全体が寒くなって氷床が増えたからではないと、無関係の海面低下の話にすり替えて、いきなり「縄文海進の頃は地球が今よりもずっと暖かかったのですから、今の温暖化も異常ではない、というような説明に出会ったときも、是非注意していただきたいものです」と、とんでもない結論を書く。(P.44-45)-----最終氷期が終わって、温暖化により氷床が融けたから海面が上昇し、縄文海進が起こった、これは間違いなく事実です。問題は、その後海水面が再び低下した原因は何か、ということです。広瀬隆は、どうやら気候が寒冷化して氷床が再び増加したから海面が低下したと思っているようです。しかし、事実はそうではないのです。確かに、縄文時代はその後の時代より気温が高かったと思われますが、「今よりずっと」暖かだったかどうかは分かりません。日本に関しては、花粉分析により、縄文時代は今よりかなり暖かだったことが分かっています。しかし、これは日本という局地的な現象であり、地球全体がそこまで暖かかったわけではないようです。グリーンランドと南極の氷床コアの分析からは、この時期の気温は現在と大差がなかったと推定されています。そして、氷床の氷の量は、縄文海進の時期の方が現在より多かったと考えられています。つまり、最終氷期が終わって縄文海進の時期までは氷床はものすごい勢いで融けた。それ以降、融解速度はは急減速したが、融けなくなったわけではない、というわけです。さて、氷は融けたのに海水面の低くなったとすると、その分の水はどこに消えたのでしょうか。巨大な氷床がなくなったカナダと北欧では、地面を押さえつけていた重しが消失したため、現在地面が急激に隆起しています。ということは、逆に、融けた氷床が流れ込んだ海は、今までより重くなったわけです。つまり、今までより海水が重くなった分、海底はその重みで沈み込んでいるわけです。海底が沈み込めば、当然海水面も低下します。ただし、氷床は融ければ短期間のうちに海に流れ込むのに対して、地球の岩盤は固いので、海水や氷が重くなったり軽くなっても、それに応じて隆起したり沈下したりするまでには、かなりの時間差が生じます。これが、縄文海進の時代に現在より海水面が上昇し、その後再び低下した原因なのです。従って、消失した氷床の下や周辺の地域(ヨーロッパ中北部や北米北部)では、縄文海進の時期でも現在より海水面は高くなっていません。これらの地域は、前述のとおり氷床という重しが取れて地面が隆起している(=海水面が更に低下している)からです。2.原子力発電の温排水全般的に言って、地球温暖化否定論を切り離せば、それ以外の部分では広瀬隆の主張は、そんなに間違っているとは思いません。私も、原子力発電にはきわめて懐疑的ですし、原子力発電の効率の悪さ、停止か全力運転かしかできず、出力調整ができない取り回しの不便さ、稼働率の低さ、そしてもちろん事故を起こした場合の危険性と、放射性廃棄物を半永久的に保管し続けなければならないという問題点は、まったくそのとおりだと思っています。ただし、原子力発電に対する批判は批判として、それは正当な根拠に基づくものであるべきだ、とも思います。広瀬隆は原発の膨大な温排水が周辺の環境を破壊していると主張しています。それは、おそらくそのとおりだと思います。ただ、彼はこのようなことを書いています。-----日本の大河である一級河川は109ある。(中略・109の川の名が羅列されている)全土の原発が捨てている熱量を合計すると、以上すべての一級河川の流量の水を3.1度上昇させる熱量になる。今日本全土で、それだけの海水温度を上昇させているのだ。これをまったく議論しない地球温暖化論とは何か、と私はすべての学者に尋ねているのである。(P.152-153)-----広瀬隆は、本書の中で繰り返し、「地球は温暖化していない」と力説しています。それが事実だとしたら、原発の温排水だって、廃熱という意味でははたいしたことはない、という結論になるわけで、上記の文章とは明らかに矛盾します。また、別の言い方でいうと、日本中の一級河川は、確かに日本の中では大河ですが、世界の中で見れば微々たるものです。信濃川(長さ日本一の川)の平均流量は毎秒518立方メートル、利根川(流域面積日本最大の川)の平均流量は265立方メートルです。一方、世界最大の川アマゾン川の平均流量は毎秒22万立方メートルですから、信濃川の400倍、つまり日本の一級河川すべての合計より遙かに大量です。ところが、そのアマゾンでさえ、海の広さに比べれば取るに足りないものなのです。地球上の水の中で、淡水で液体の水(川や湖の水)はたった1%を占めるに過ぎません(その中でも日本の一級河川の占める割合は、更に何十分の一です)。大陸氷河、つまり氷が2%、残り97%は海水です。そして、もちろん日本の原発は、すべて海岸沿いに立てられており、温排水も川ではなく海に捨てられています。それが問題ない、とは言いません。局地的には大きな環境破壊につながるでしょう。しかし、地球規模で温暖化を招くには、少なすぎる熱量といえます。他にもいろいろあるのですが、広瀬隆の主張に対する直接的な批判は、この辺りまでにしようと思います。
2011.01.14
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このブログでは、これまで度々温暖化懐疑論を批判してきました。批判の対象はもっぱら武田邦彦。他に丸山茂徳なども俎上に上げたことがありますが。丸山茂徳の「地球温暖化論に騙されるな!」(講談社)は購入して読んだものの、武田邦彦の著作は、一読して、とても金を払って読むような価値のあるものとは思えず、基本的に図書館で借りて読みました。と、書くと、図書館は購入する価値のない本を読む場のように聞こえてしまいますが、もちろんそうではありません。さて、今度は広瀬隆です。実は、私は昔広瀬隆の本には随分共感したことがあるのです。広瀬隆は反原発派の旗手の一人であり、私も原発に対してはきわめて懐疑的だからです。チェルノブイリ原発の事故が起こった直後に出た「東京に原発を」という本(最初の版はチェルノブイリ以前に出版されていたようですが)は、なかなか面白かった。そんな広瀬隆の著作ですから、武田邦彦みたいな右翼的かつ粗雑な理論展開を繰り広げる輩とはひと味違った主張が読めるのかなと思い、この本は書店で購入して読んでしまいました。結論としては、やっぱり武田邦彦と同レベルだった、ということに尽きます。うーーーん、私に中では、広瀬隆の評価ががた落ちです。基本的に、既存の使い古された温暖化否定論が再度持ち出されており、つっこみどころが満載。事実の間違いが多く、主張の展開やその根拠が粗雑です。1.気温上昇グラフを「捏造」したのは誰か?例えは、冒頭からいきなり、以下のような主張が書いてあります。-----(2000年)当時発表され、あらゆる新聞と雑誌に掲載され、テレビに映し出された地球の気温上昇グラフは図2になる(引用者注:図は省略)。1998年に平年差が0.8度にもなったと騒がれた。ところが、2003年と2009年に発表された気温をグラフに描くと、図3(省略)になる。・・・いままで私が読んだ「CO2温暖化説を否定する書」のどこにも書かれていない事実だが、この10年ほどの間に、1998年の温度データが、どんどん下がってきているのである。平年差と呼ばれるこの1998年温度上昇分は、2000年の図2(省略)では0.8度もあったのが、図3(省略)では0.64度しかない。2008年のデータでは0.37度しかない。図3の基準として比較した平年値は、どちらも1971~2000年の平均値で、同じである。・・・地球が冷えたのではなく、公表されたデータが密かに冷えているのだ。(P.15-16)-----問題の地球の平均気温は気象庁のサイトに掲載されています。http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/temp/an_wld.htmlhttp://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/temp/list/an_wld.html確かに、1998年の気温の平年差は+0.37度となっています。かつて、1998年の世界の気温が平年より0.8度高かったと発表されたというのは、確認してはいませんが、おそらく事実だろうと思います。では、その理由は何故か。気象庁のサイトに、ちゃんとその理由が説明されています。上記の平均気温の推移の表の末尾に、更新履歴があります。http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/temp/rireki_temp.htmlです。これを読めば、気象庁の発表した1998年の世界の平均気温の平年差が、何故年を追うごとに下がっていったのか、その理由がきちんと説明されています。まず、2000年の発表で0.8度から2002年の発表では0.64度に下がった件は2001年平年値期間を1961~1990年から1971~2000年に切り替えたことにより、過去の全ての年の平年差・平年比を再計算ということです。つまり、2000年の時点で使われていた「平年値」は1961~1990年だったけれど、2001年から、それが1971~2000年に切り替えられたのです。「平年」から除かれた1961~1970年の気温は、ほとんど平均以下、新たに「平年」に加わった1991~2000年の気温は全部平均以上なんだから、平年値がぐんと上がったことは確実です。当然各年の気温の平年差は以前より小さくなる。実に当たり前の話です。時の引用文の中で、「図3の基準として比較した平年値は、どちらも1971~2000年の平均値で、同じである。」とあります。図3というのは、2002年に公表されている「1998年の気温の平年差」と2008年に公表されている「1998年の気温の平年差」の比較です。確かに、2002年と2008年の間には、平年値の切り替えはないので、この主張は間違いではありませんが、2000年との間には平年値の切り替えがあったのに、そのことには触れていない。非常にトリッキーなやり口というしかありません。さて、では2002年と2008年の差はどこから来たのか。これも前述の更新履歴にちゃんと説明されています。2005/12/14世界の平均気温について、陸上で観測された気温データのみを使用した算出方法から、海面水温を含めた算出方法へ変更したことにより、過去の全ての年の平年差・平年比を再計算と、いうことです。きちんと説明されているし、ついでに、以前の「陸上で観測された気温データのみを使用した算出方法」による表も、注釈付でちゃんと公開されています。http://www.data.kishou.go.jp/climate/cpdinfo/temp/land/land_an_wld.html1998年は平年差0.64度となっています。というわけで、これは広瀬隆がきちんと調べなかったのか、知っていて隠したのか分かりませんが、変遷の理由がちゃんと説明されているのに、それを無視して陰謀に仕立て上げてしまった例です。ちなみに、気象庁は10年ごとに「平年値」を更新します。今年2011年がその更新年に当たります。つまり、去年までの「平年値」は1971-2000年の平均気温でしたが、今年からそれが1981-2010年の平均気温に変わるのです。当然、平年値は今までより上がるし、それによって、1998年の気温の平年差は今までより更に小さくなるはずです。ひょっとすると、広瀬隆は「またデータがこっそり書き換えられた」と主張するかも知れませんが、事実はこのとおりですので、今から予告しておきます。2.温暖化肯定派はCO2以外の環境問題に関心がないのか?さて、その次にはこんな文章があります。-----今の人類は、NHKを筆頭とするテレビ番組、テレビコマーシャルが示す通り、CO2を減らせば環境を守れるという幼稚園児レベルの知能しかない。ヒートアイランド、原発の放射能災害、発電機の温排水、砂漠化、野生生物危機、大気汚染、水質汚染、酸性雨、熱帯雨林の破壊、遺伝子組み換え食品、環境ホルモン、食品添加物、農薬、ダイオキシン汚染、増え続けるゴミ、大地震の脅威、戦争など、ありとあらゆる環境破壊と毒物生産を放任して、すべて無実のCO2にその罪をなすりつけ、人類が大規模な環境破壊に踏み出し始めた。(P.30)-----私もブログで人を批判するときはかなり手厳しい表現を使いますから、あまり人のことを言えませんけれどけれど、それにしたって程度の差というものはあるわけで、「幼稚園児レベルの知能」とか書いてしまうのはさすがにどうなの?と思います。それはともかく、CO2の排出を減らすべきであると声高に叫んでいる人のなかで、CO2さえ減らせばそれだけで環境が守れるなんて言っている人がいるでしょうか。CO2のみが環境問題のすべてである、CO2のみが人間社会の問題である、などと言っている人が、いったいどこにいるでしょうか。最近私はテレビをあまり見ていないのでよく分かりませんが、新聞などその他のマスコミ報道も含めて考えれば、上記に広瀬隆が挙げている様々な問題のすべて、とは言いませんがかなりの部分は、大々的に取り上げられています。そもそも、砂漠化、大気汚染、水質汚染、酸性雨、熱帯雨林の破壊などは、地球温暖化と表裏一体の問題です。(原発の温排水の問題に限定すれば、確かにあまり取り上げられていないと思います)むしろ、砂漠化やダイオキシン汚染、野生生物危機などを公然と否定する人は、反温暖化論者の中にいる。言わずと知れた、武田邦彦です。3.中性の温暖期とか、近世の寒冷期は本当にあったのかこれは、他の温暖化否定論者も同様に主張していることですが、広瀬隆も、中世には「20世紀より遙かに気温が高い」温暖期があったと信じているようです。中世の温暖期は、確かに存在したと思われますが、地球全体規模としては、おそらく「20世紀中頃と比べて0.5度くらい気温が高い」という程度のものです。20世紀の100年間で、地球の平均気温は0.8度上昇していますから、現在の平均気温はすでに中世の温暖期を超えていると思われます。一口に「地球の気温」と言っても地域差があります。当時文明が発達していた北半球の温帯域、特にヨーロッパではかなり気温が上がったことは事実ですし、そのために、当時気温がとても高かったという記録がたくさんあるのは事実ですが、世界中がみんなヨーロッパ波に温暖化していたわけではありません。たとえば、グリーンランドと南極の氷床コア分析では、中世の温暖期も、近世の小氷期も、気温変動の痕跡はほとんどないのです。つまり、南極とグリーンランドでは、この時期に目立った温暖化や寒冷化はなかったということです。温暖期や寒冷期が全くなかった、とは言いませんが、氷期のすさまじい気候変動に比べれば、取るに足らないような変動にすぎないのです。うーーーーん、たった30ページまでの批判だけで、すでにこんなに長文になっている・・・・・・。このままこの本の最後まで批判しようとすれば、10回以上に分けて連載しなければなりません。けれど、そんなにこのテーマを続けたら、きっと読者がいなくなってしまいます。書く私も辛いし。というわけで、以降は要点を限定して、あと1回か2回の記事に納めることにします。というわけで、続きは次の記事に。(途中に別のテーマが挟まるかも知れませんが)
2011.01.13
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110111-00000076-san-soci「教科書、陛下“呼び捨て” 皇室軽視強まる 小6社会3社、4月から使用」天皇陛下に敬称を付けず“呼び捨て”の記述が文部科学省の教科書検定をパスし、今年4月から小学校6年生の教科書として供給・使用されることが10日わかった。巻末の用語の索引に「天皇」を盛り込まなかった教科書もあった。天皇、皇后両陛下はじめ「皇室軽視」の傾向はこれまでも教科書でみられたが、学習指導要領では「天皇への理解と敬愛の念を深める」よう求めている。専門家からは「指導要領の趣旨が教科書に十分浸透していない」との批判の声が上がる。敬称がない表記があったのは、小6社会の教科書。文科省の検定を通過した4出版社のうち教育出版と日本文教出版、光村図書の教科書が、陛下ご自身が写った写真を説明する際に「文化勲章を授与する天皇」「インドの首相をむかえた天皇」と表記していた。2つの教科書を出す日本文教出版は、別の教科書でも天皇、皇后両陛下の写真説明を「福祉施設を訪問される天皇と皇后」と表記。「される」と敬語はあるが敬称はなかった。「天皇」という地位自体の説明は、憲法や法律、指導要領でも敬称を付けずにただ「天皇」と記述し、新聞や出版物も同様。しかし、陛下ご自身の行動や表情などを伝える際には必ず敬称をつけるのが一般的。しかし、教科書は陛下に敬称がなく、一方で一般国民や外国人らの名前には「被爆体験を持つ○○さん」「緒方貞子さん」(元国連難民高等弁務官)などと敬称があった。東京書籍は“呼び捨て”はないが、教科書の重要語を並べた巻末索引に「天皇」はなし。一方で「内閣総理大臣」「ユニバーサルデザイン」などはあった。過去の小中高の教科書でも「仁徳天皇陵」の記載が括弧書きや「大仙陵古墳」「大山古墳」「仁徳陵」として検定をパス。「皇太子明仁」の記載が「明仁皇太子」となったり、皇后陛下を「正田美智子」とした記載がパスしたことがあった。皇室や教科書問題に詳しい高崎経済大学の八木秀次教授は「憲法上の『天皇の地位』は、重い。国民の敬愛を受ける存在で、教科書では敬称を付けるべきだ」と話すが、文科省は「教科書記述の内容に誤りがあるわけではない」とする。-----------------産経の狂信ぶりが露骨に現れた、かなり笑える記事です。「陛下」を付けないと「皇室軽視」なんだそうです。あまりに馬鹿馬鹿しい。「天皇」というのは肩書きです。まあ、天皇家の一族に生まれた長男は、天皇になることが生まれたときから決まっている(それでも、即位する前に亡くなることだってあるんだから、確定した事実ではないけれど)という特殊な身分ではあるけれど、それでも、天皇という名前の人間がいるわけではない。そうである以上、天皇にいちいち「陛下」という尊称を付けるのは、好みの問題でしかありません。普通に考えて、「インドの首相をむかえた天皇」という表現は何の問題もない、それどころか、「インドの首相をむかえた天皇陛下」という表現では、むしろインドの首相にたいしてどうなのかとおもいますよ。それなら「インドの首相閣下を迎える天皇陛下」にしなくては。少なくとも実際に天皇と外国首相が会見する場で、「天皇陛下」と「××国首相」なんて失礼な言い方はしていないでしょう。もっとも、教科書で首相に「閣下」などといちいち表記することはあり得ないですから、そうしたら「首相と天皇」って書くしかない。「一般国民や外国人らの名前には「被爆体験を持つ○○さん」「緒方貞子さん」(元国連難民高等弁務官)などと敬称があった。」これも馬鹿馬鹿しい話。天皇というのは肩書きです。たとえば、「首相」「大統領」「議員」「大使」「社長」「部長」「選手」「提督」「党首」・・・・・・・・何でもいいのですが、これらの肩書きは、基本的に敬称がそこに含まれているものと扱われます。首相を、儀礼の場では首相閣下と言いますが、それ以外の場では、いちいち「閣下」なんて付けないし、まして「首相様」「首相さん」なんて言いません。しかし、肩書きではなく、その人の氏名そのものに対しては、敬称を付けることもある。菅首相さんとは言わないけれど、菅直人さんと呼ぶことは不自然ではない。従って天皇という肩書きには尊称を付けず、何の肩書きもない一般人の名前にさん付けをするのは不思議なことではありません。緒方貞子が現職の国連難民高等弁務官だったら、「緒方弁務官さん」とは書かない。※ちなみに、このブログでは原則的にはどんな人名でも、「論」として人名を挙げるときには原則として呼び捨てにしています。たとえ尊敬する本多勝一だろうと、もちろん直接お会いする場合は必ず「本多さん」ですが、論として名前を書くときは本多勝一。ただ、時々この原則どおりにはならないこともありますけれど。「過去の小中高の教科書でも「仁徳天皇陵」の記載が括弧書きや「大仙陵古墳」「大山古墳」「仁徳陵」として検定をパス。」→それのどこが問題なんでしょうか。歴史についてちょっとでも知識があれば、「仁徳天皇陵」と呼ばれている(宮内庁がそう主張している)古墳が、本当に仁徳天皇の古墳である可能性はかなり低い、ということは誰でも知っている話ですが。「社会科」の教科書は「神話」の教科書じゃないんだから、こんなものを注釈もなく、ただ仁徳天皇陵と書いたら、その方がよほど時代錯誤的です。八木秀次のコメントも凄いです。「憲法上の『天皇の地位』は、重い。国民の敬愛を受ける存在で、教科書では敬称を付けるべきだ」だそうですが、「天皇の地位」と呼び捨てにしたその口で「教科書では敬称を付けるべき」って・・・・・・。まあ、記者の要約のせいかもしれないですけれど。国民の敬愛を受ける存在というのも、敬愛ってのは感情の問題なんだから、「敬愛を受ける存在であるべき」というなら分かるけど、こういう決めつけは空しいだけというものです。ま、産経がぶっ飛んでいるのは今に始まった話ではないでしょうが、この力こぶの空回り具合がなんとも言えません。
2011.01.11
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6日に選択的夫婦別姓制の記事を書いた際、コメント欄でちょっと触れたのですが、日本人の氏名は、まさしく氏名という字のとおり、最初に名字、後ろに名前という順番です。ところが、自分の名前を外国(欧米)で紹介する場合、多くの場合氏名をひっくり返して「名氏」の順にして紹介します。欧米諸国では多くの場合、氏名は日本と逆順、つまり名前が先、名字が後になっているからです。でも、これは、ちょっと考えるとおかしなやり方だということが分かります。だって、では欧米人の名前を日本語で書くとき、氏名の順にひっくり返しますか?オバマ・バラク大統領とか、クリントン・ヒラリー国務長官とか、誰もそんな書き方はしませんね。また、中国、韓国、ベトナムなどの人名も、日本と同様「氏名」の順ですが、外国語の文章の中で氏名の順をひっくり返すことは、やっていないようです。少なくとも、Wikipediaの英語版を見る限り、中国人(台湾も含む)・韓国人・ベトナム人の人名は氏名の順番のままで記事が書かれていますが、日本人だけが名氏の順番にひっくり返されて記事が書かれています。いや、もう一つ、実は欧米諸国の中で唯一ハンガリーだけは日本と同様人名は「氏名」の順なのですが※、ハンガリー人の名前もウィキペディアの英語版では記事が「名氏」にひっくり返されています。(日本語の記事では氏名の順のままです)でも、ハンガリーはオーストリア・ハンガリー二重帝国としてオーストリアと同じ国だったことがあり、オーストリアの人名の順番(名氏)に合わせざるを得なかった時期があるのでやむを得ない事情があります。イギリスの植民地だったことがあるシンガポールでも、中国系住民は英語表記でも「氏名」の順を保っているようです。少なくともウィキペディア英語版の記事ではそうなっています。日本語の人名をハンガリーの事情に合わせる必然性は、ほとんどないように思えます。英語(をはじめとするヨーロッパ言語)の文脈中で氏名を名氏にひっくり返す習慣を、だれが最初に始めたのかは判然としませんが、明治初期の文明開化の時代に、誰かが初めて、それがそのまま定着してしまったようです。私自身は、外国語の中でも日本人の氏名は氏名の順にすべしという主張を、本多勝一の著作で知ったのですが、これは本多氏だけの主張ではなく、かなり広範囲に主張されているようで、国語審議会も、姓名をローマ字表記する際にも氏名の順にすることが望ましいという答申を2000年に出しています。当然のことだと私は思います。どう考えたって、日本語で話すときに「名氏」で名乗る人なんかいないんだから、「氏名」の順こそが日本の文化なのです。ただ、これがどこまで実践されているかは、判然としません。ウィキペディアが開設されたのは2001年ですから、国語審議会の答申より後のことですけれど、前述のとおり英語版では日本人の人名は「名氏」のままですから。選択的夫婦別姓制反対派のように、私はそれをすべての日本人に押しつける気はまったくありませんけれど、少なくとも私自身は、もう長いこと自分の名前は、英語でもスペイン語でも「氏名」の順で名乗っています。それに、署名はすべて漢字の名前で書きます。これは、実用上の意味もあって、外国(中国を除く)では、漢字で書かれた署名はまず偽造不可能ですからね。特に私の名前は画数の多い字が入っていますから、特に偽造困難。※実は、1994年にボリビアのポトシに行った際、夫はボリビア人の演奏家、奥さんはハンガリー人という夫婦と会って、一緒に鉱山見学ツアーに参加したことがあります。(その後でひどい高山病のなった)そのとき、自分の名前を紹介し「日本人の名前は名字が先で名前が後だ」と説明したら「ハンガリーと同じだ」と教えてもらいました。
2011.01.10
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実は、昨日今日と家族で水上温泉に行ってきました。少し前まで水上温泉には雪がほとんど降らなかったらしいのですが、一昨日から雪が降り始めたそうで、昨日も1日激しい降雪、まさしく雪国らしい雰囲気になっていました。たいして歩いたわけではありませんが、うちの子は雪遊びで大喜びでした。ただ、雪装備で行かなかったので、駅から宿まで、1キロかそこら歩いただけで、足回りはびしょぬれに。私はゴアテックスの雨具を着込んでいたけれど、肝心の靴がジョッギングシューズだし、当然山用のスパッツも付けていないから、子どもと一緒に新雪に足を踏み込む度に、靴の中に雪が侵入します。わかっちゃいたけれど、温泉街のただ中の宿に行くだけなのに、まさか登山靴ってわけにもいかないし、子どもがとにかく雪遊びをおもしろがっていたのでね。(そのために連れて行ったようなものですから)-------http://mainichi.jp/select/biz/news/20110108dde001040002000c.html「知りたい!:世界で5億人利用、交流サイト「facebook」 日本で浸透する?」◇原則実名「公の会話」に抵抗も--学生は就職活動で利用世界最大の会員制交流サイト「facebook」(フェースブック)。創業者のマーク・ザッカーバーグ氏(26)は昨年末、米タイム誌の選ぶ「今年の人」となり、今月15日には創業の物語を描いた映画「ソーシャル・ネットワーク」も公開される。日本でも推定約200万人が利用していると見られている。巨大交流サイトは日本で浸透するのか?フェースブックの利用者は昨年7月に世界で5億人を超えた。04年開設で、米国外の利用者が7割、70言語以上に対応し、日本語版は08年に始まった。原則として実名登録を推奨、ネット内で知人を「見つけられること」を重視する。ニックネームでのやりとりが主流となっている国内老舗の「ミクシィ」(約2190万会員)とは異なる。プロフィルと写真が公開され、知り合いがいればすぐにわかる。ファンページと呼ばれる公式ページもあり、英エリザベス女王やマイケル・ジャクソンなど著名人や企業が設けている。就職活動中の岡本俊太郎さん(上智大学3年)は、志望業界で働く先輩をフェースブックで見つけた。業種を登録すると、そこで働く人や同じ業界を目指す同級生のプロフィルが表示される機能を使った。あるIT系企業の代表にメッセージを送り、3分後にはOB訪問の約束を取り付けた。「ダイレクトにつながることができた」(岡本さん)と、実名登録の利点を実感し、名前や写真、知人関係を公開することに抵抗は感じないという。フェースブックジャパンの児玉太郎代表は「ミクシィが内輪なら、フェースブックは公の会話。実名だと効率よくいろいろなことができる」と説明する。世界のネット人口のすべてが実名でつながることを目指すフェースブックにとって、1億人のネット人口の多くが実名で「つながっていない」日本対策は最重要課題だ。実名登録に不安を覚える日本のネット環境を打破しようと、実名に利点がある就職活動向けの機能をリクルートと提携して10年秋、スタートした。児玉代表は「社会人ならアカウント(登録名)を持ち、必要な時に検索できるようにしておくのが自然」と話す。リクルートの毛利威之ゼネラルマネジャーもフェースブックを「オンラインの名刺交換」と例える。(以下略)----------------実は、たまたま、この年末年始の休みの間にフェイスブックのアカウントを取ったのです。私の場合、インターネットを始めたばかりの頃、まだネットの危険性など意識していなかった時代に、本名を公開してしまったことがあって(各種演奏の動画も)、ネットウヨクの一部にその名前は知れ渡っているようです。そのせいで、掲示板やこのブログで嫌がらせを受けたこともあるけれど、逆に言えば今から本名を公開することへの抵抗感は、そんなに大きくありません。どうせもうばれちゃっているんだから。ただ、そんな私でも、勤務先はさすがに書けないですね。どういう職業かは、これも昔書いてしまったことがあるので、知っている人は知っているのですが、さすがに具体的な勤務先を公開する気はないです。出身高校大学くらいは公開しても良い(高校は、現状でもある程度推測)のですが、公開するメリットがあまり考えつかないので、公開はしていません。結局のところ、全員が全員ネット上で本名を明らかにしており、嫌がらせ行為を行ったものが必ず(とまでは言わないまでも、現実の犯罪検挙率と同程度には)検挙されたり制裁を受けるならともかく、現状はみんながネット上で実名を明らかにしていても、嫌がらせをする連中だけは実名を隠して、陰からこそこそ悪さができる。もちろん、本気で調べれば、たいていの場合は犯人を突き止めることは出来るけれど、そのために要する労力を考えると、多くの人が諦めてしまっているのが現実です。嫌がらせをする側の払う労力と、防御する側の払う労力を天秤にかければ、前者の方が圧倒的に簡単。もちろん、発覚して逮捕されれば、大きな社会的制裁が待ちかまえているけれど、そんな事態に至る確率はかなり低い。となれば、ネット上の嫌がらせを受ける側が圧倒的に損であり、ならばネット上に本名を晒さないという防衛策をとる方が安全確実ということにならざるを得ません。もっとも、よく考えてみれば、このような、嫌がらせをする側とされる側の非対称性は、ネット上だけではなく、実社会でもあまり差がありません。たとえば、無言電話とか嫌がらせ電話を何百回とかけ続けたらさすがに捕まるでしょうが、5回10回だったら、まず捕まらないでしょう。前記に「現実の犯罪検挙率と同程度には」と書きましたけれど、殺人とか強盗のような凶悪犯罪はともかく、脅迫や嫌がらせに類する犯罪の検挙率は、おそらくかなり低い、というかそれ以前に警察が取り合ってくれない例も多いでしょう。だから、たとえば電話帳に自分の電話番号を載せる人は最近はかなり少ないでしょうし、中には郵便受けにも自分の名前を出さない人もいます。その状況を改善しない限り、実名主義というFacebookが、どこまで日本で受け入れられるかは、何ともいえません。と、アカウントを取ってしまった私が言うのもなんですけれどね。それにしても、日本では200万人だけど、全世界では5億人、ということで、アカウントを取った時点で想像したとおりなのですが、何人かの知り合いと友人になった時点で、「友人の友人」は日本人よりボリビア人の方が多かったです。割と有名な演奏家も含めてね。
2011.01.08
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110106-00000131-jij-soci「夫婦別姓求め初提訴へ=「憲法違反」と国賠請求―東京地裁」夫婦別姓を認めない民法の規定は、夫婦が同等の権利を有するなどと定めた憲法に違反するとして、男女5人が国や自治体を相手取り、別姓で出した婚姻届の受理や計約500万円の国家賠償を求める訴訟を東京地裁に起こすことが6日、分かった。2月にも提訴する。原告側の弁護士によると、夫婦別姓を求める訴訟は初めて。選択的夫婦別姓制度の導入に向けた議論に影響を与えそうだ。訴えるのは、富山市の元高校教師塚本協子さん(75)や東京都、京都府の計5人。1985年に女子差別撤廃条約を批准し、96年には法制審議会(法相の諮問機関)が選択的夫婦別姓制度の導入を答申したにもかかわらず、民法を改正しない立法の不作為で、精神的苦痛を受けたなどと主張する見通しだ。塚本さんは「民主主義の世の中なのに、女性が姓を変えるべきだという因習になぜ縛られないといけないのか」と話している。---------------すべてにおいて後ろ向きの菅内閣からは、選択的夫婦別姓制実現に向けた動きが、まったく見られません。もはやまったく「民主党らしい政策」など実行する気がないのだと思うしかないでしょう。可能性の面から言えば、この訴訟で原告側が勝訴する可能性は、ほとんどないだろうと思わざるを得ません。また、夫婦別姓を認めないことが「憲法違反」とまで言えるのかというと、それはちょっとどうかなと思います。が、それでも私はこの提訴を行った原告の皆さんには敬意を表し、大いに賛同したいと思います。過去何度もこのブログに書いていますが、私は選択的夫婦別姓制の導入に大賛成です。選択的夫婦別姓導入に賛成する選択的別姓制についての首相の答弁亀井静香・・・・・・誰か、このばか者の言っていることの意味を説明してください「憲法違反」はともかくとして、夫婦別姓制を待っている夫婦は、世の中に大勢います。私自身は夫婦別姓にする意志はない(より正確に言うと、私は相棒がその気なら夫婦別姓でもいいと思っているけれど、相棒にはその意志がない)けれど、私の周囲には、夫婦別姓の導入を待っている夫婦は何人もいる。特に、職場の共稼ぎ夫婦にはその傾向が強いです。私の推測では、フルタイムで仕事をしている妻のうち、全体の2~3割は夫婦別姓にしたい希望があるんじゃないかと思います。専業主婦やパート労働の主婦の場合は、それよりずっと低いでしょうけれど。夫婦別姓の導入が家族の絆を壊すだの、日本の伝統を破壊するだの、ネットウヨクや自民党保守派の言っている戯言には「バッカじゃなかろうか」としか思えません。
2011.01.06
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http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110105k0000m040101000c.html「阿久根市:市長職務代理者・仙波氏 補正予算を専決処分」鹿児島県阿久根市の竹原信一前市長に対するリコール成立に伴い市長職務代理者に就任した仙波敏郎氏は4日、16日投開票の出直し市長選の関連費用など約1億5000万円の補正予算を専決処分で決定した。阿久根市議会は21日まで開会中で、議会側は会期中の異例の専決処分に対し「二元代表制を無視した行為だ」と反発している。仙波氏は、市議会が10年末に定例議会の延長を決め、115日間の会期となることを批判し「いたずらに会期を延長する議会には予算を提案できない。市民生活に影響が出ないよう、緊急を要するため専決処分した」と指摘した。これに対し浜之上大成議長は「予算などがすぐ審議できるように会期を延長した。議会に提案すればすむことだ」と話している。補正予算の内訳は、市長選の関連費用約1100万円、市議会解散リコールの署名審査費用約460万円、生活保護費約4600万円など。-----------------そもそも、この市長職務代理者(副市長)自身が、本来議会の同意を得て選任されなければならないのに、専決処分によって議会の同意なく選任された人物です。そして、言うまでもなく、その専決処分を行った阿久根市長竹原信一はリコールで失職しています。つまり、そもそも本来なら副市長の資格のないはずの人物が、専決処分を行っているわけです。専決処分というのは、議会が機能しない、あるいは緊急事態で議会に諮る時間的余裕がない場合に認められている、緊急避難的な手法です。ところが、阿久根市の場合は竹原信一元市長が、議会を招集しないという挙に出た。招集されなければ、議会が機能しないのは当たり前の話で、つまり竹原は自分で議会を機能しないようにしておいて専決処分を連発したわけです。何故そんなことをやったかと言えば、議会は反竹原派が多数を制していて、竹原の意のままには提案が通らないからです。竹原は、議会は既得権者だと言っているようです。それが事実かどうかは、この際問題ではありません。はっきりしているのは、議員は選挙によって選出されており、その結果、反竹原派が多数を制しているという事実です。それを排除したいと思うなら、次の選挙で竹原支持派が議会の多数を握ればよいのです。それができないなら、竹原派は、竹原個人には支持はあるかも知れないけれど、議会の多数を制するだけの支持を住民から得てはいない、というだけのことです。竹原の行った行為は、どこからどう見ても議会制民主主義の否定であり、独裁者のクーデターそのものです。まして、リコールで失職した市長が、議会の同意を得ずに選任した副市長が、議会が開催されている真っ最中に、審議引き延ばしとか採決しないなどの妨害工作があったわけでもないのに専決処分を行うなど、言語道断と言うしかありません。民主主義というのは、ある意味では、手間がかかり面倒な制度です。独裁者がチャッチャッと物事を決めて、パッパッと実行する方が、早いし安上がりで手軽かも知れません。その代わり、独裁者が物事を間違えたら、ストップは利きません。行き着くところまで行き着いてしまう。つまり、民主主義とは保険あるいは安全装置のようなものだ、とも言えるかも知れません。もちろん、人間のつくるものですから、絶対確実な保険も、絶対確実な安全装置もありません。民主主義も、絶対間違いの起こらない制度ではない。何しろヒットラーが政権に就いたのは、選挙によってなのですから。それでも、独裁政治よりは、ずっと安全性の高い制度です。その安全性のためには、手間とか面倒とかは「保険料」だと思う他はありません。保険なんて面倒だし金がかかるから、自賠責なしで車を走らせますか?ということです。
2011.01.06
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昨日一昨日と、学校の音楽教育について書きましたけれど、とにかく小学生の頃、特に低学年の頃の音楽の授業には、私はよい思い出が一つもないのです。ずっと昔の記事に、音楽の授業のトラウマについて書いたことがあります。私の受けた音楽教育とこれで、上記リンク先に書いたように、私が小中学生の頃、音楽の授業で習った楽器は、最初はハーモニカ、3年生くらいになるとソプラノリコーダー、中学生になるとアルトリコーダー。この3種類だったと思います。その他、カスタネットやトライアングルなどの打楽器もつかったかな。加えて、中学の音楽教材として、ヤマハのファイフという横笛も購入したのですが、これは実際の音楽の授業で使った記憶がまったくありません。なお、小中学校の音楽の授業に使ったハーモニカとソプラノ・アルトリコーダーは、とっくの昔に行方不明ですが、ヤマハのファイフは、何故か家に残っているのです。かなり汚れていましたが、プラスチック(ABS樹脂だろうと思う)なので、洗剤を使って充分に水洗いしたら、随分きれいになりました。当時、確かこの笛は私には音が出せなかったのです。でも、もちろん今は音が出ます。もっとも、フルートよりケーナよりずっとかすれた音しか、私には出せませんけれど。ソプラノリコーダーとアルトリコーダーは、音楽の授業で使っていたものはなくなってしまいましたが、それとは別にドイツ製の木管リコーダーを10年くらい前に手に入れました。音楽の授業はともかく、リコーダーという笛そのものは魅力ある楽器です。でも、ハーモニカはその後吹いたことがない。あの楽器は私の最凶トラウマの種ですから、今でもハーモニカは吹きたいと思いません。しかし、こうやってみると、弦楽器と鍵盤楽器は一切音楽の授業で習っていないことに気がつきました。そう、私は学校の授業で鍵盤楽器を習ったことはないのです。ピアノも、だから弾いたことはありません。ギターも、始めたのは大学生の時です。-----さて、今私の子どもは小学校1年生です。三十数年前の私とは違い、うちの子は音楽の授業は苦手ではないようです。良いことです。そして、当時私に音楽嫌いのトラウマを植え付けた楽器、ハーモニカも使っていません。良いことです!では、うちの子は音楽の授業でどんな楽器を使っているのかというと、鍵盤ハーモニカ(いわゆるピアニカ、ただし、ピアニカというのはヤマハの登録商標で、うちの子の教材はスズキの「メロディオン」という商標)です。そういえば、鍵盤ハーモニカも子どもの音楽教材の定番という気がするのですが、何故か私は小中学校の音楽の授業で使ったことがありません。ずっと後年になって、アルゼンチン・フォルクローレの「エパ」というグループで、鍵盤ハーモニカを取り入れて演奏していましたけれど。(エストゥディアンティーナと呼ばれるジャンルの音楽では、コンセルティーナというアコーディオンの親戚のような楽器が使われるのですが、鍵盤ハーモニカの音が、このコンセルティーナとちょっと似ているのです)これなら、鍵盤だからピアノにも通じるでしょう。ただ、私の素人考えだと、リコーダーより鍵盤ハーモニカの方が難しそうな気がするのですが、小学1年生で鍵盤ハーモニカで、高学年になってからリコーダーというのは、順番としてどうなの?という気がしないではありません。
2011.01.05
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昨日の、固定ドと移動ドについての記事でも書きましたが、私は小中学生の頃、音楽の授業は大の苦手でした。私が音楽の授業がどれほど苦手だったかという話は、ずっと以前の記事にも書いたことがあります。多分、私は小学生の頃、クラスでももっとも音楽のできない子どもだったと思います。いや、実は音楽に限らないのですが。小学校1~2年の頃の私は、早生まれの版でもあったのかも知れませんが、どの教科でも、何をやっても他の子より遅いところがありましたから。それでも、他の教科は、小学校高学年以降人並み以上にはなったのですが、最後までずっと苦手なままで終わってしまった教科が2つあって、それが音楽と体育でした。考えてみると、今、趣味として日常的にやっているランニングと音楽のどちらも、子どもの頃は大の苦手だったのですから、不思議なものです。(もっとも、ランニングの方は、「趣味」と言って良いのかどうかは分かりませんけれど)ところで、音楽が苦手だった苦手だったと常日頃書いていますが、通信簿上の成績が極端に悪かったわけではありません。小学校の成績は、もはやまったく記憶がありませんが、中学では音楽の成績は、だいたい3でした。2は記憶にありません。あったとしても1回くらいでしょう。逆に4を取ったことも、1回くらいはあったかも知れません。1と5を取ったことがないことは、はっきり覚えています。一方、もう一つの苦手科目体育の方はというと、1年の1学期から3年の3学期まで、3年間まったく変動なく、常に2でした。つまり、同じ「苦手科目」でも、実は音楽より体育の方が、よほど成績は悪かったということになります。むしろ、音楽は通信簿の成績だけで見れば、むしろ平均並みということになります。そうすると、「リコーダーは苦手、楽譜も読めない」というのは、果たして私一人だったんだろうか、という疑問が湧いてきます。だって、あんなに音楽が苦手だった私でも通信簿の音楽が3なら、私と同様に音楽が苦手な子が、他にもたくさん(ひょっとするとクラスの半分以上)いたはずだ、ということになります。もちろん、通信簿の成績と、音楽の才能はイコールではないですけれど。考えてみると、「楽譜が読める」という人は、私の周囲でそんなに多数派ではなかったような気がします。フォルクローレの演奏仲間ですら、みんなが楽譜が読めるわけではありません。私自身もそうですし、他にも、楽譜が読めずにフォルクローレを演奏している人は少なくない。まして、音楽とは無縁の生活をしている人たち一般は推して知るべしです。無作為で選んだ100人に楽譜を渡して、「読んでください」と言って、メロディーを再現できる人がどのくらいいるでしょうか。せいぜい2~30人ってところではないかと思うのですが、どうでしょう。これが国語や算数なら、「私は学校で国語を習ったんですけれど、苦手で、字が読めないんです」とか「算数習いましたけど、どうしても苦手でかけ算ができません」という人は、健常者ではあまり見かけません。それては社会生活が成り立たなくなってしまうからです。しかし、楽譜は読めなくても社会生活上困ることがない。そう考えると、音楽の授業って、ある意味で「落ちこぼれ率」の非常に高い教科とも言えるかも知れません。でも、それだったら、音楽の授業って、いったい何のためにやっているんだろうかと思ってしまうのです。実利面だけで考えれば音楽が出来なく経って社会生活上困ることは何もないですけれど、音楽のない人生なんて、私にはとても魅力のない生活としか思えません。そういう音楽のすばらしさを、音楽の授業が伝えていくことができるならいいんだろうなと思うのですが・・・・・・。※余談ですが、私が中学時代にもっとも低い成績を取ったのは、体育でも音楽でもなく、美術でした。1を取ったのです。確か、中学3年間で1を取ったのは全教科通じて1回だけだったと思います。そのとき、通信簿には、担任のコメントで、「1から5までの全部の評価をとった珍しい生徒です」と書かれていました。確かに、通信簿は美術が1、体育が2の他、345も全部そろっていたのです。でも、美術は音楽ほどには苦手意識はありませんでした。絵は下手でしたけど好きでした。で、1をとった学年の間に、2学期だったか3学期だったか、成績は突然4に急上昇。何故1を取ったのかも、何故それが4に上がったのかも記憶がないですけれどね。もう一つ余談。そんなに苦手だった体育、中学の時は通信簿は常に2でしたが、高校に入ったら、成績は5に急上昇!その理由は!・・・・・・高校の成績は10段階評価だったんです。(だから、5はちょうど真ん中)それに、中学は相対評価でしたが、高校は絶対評価だったのです。高校の体育の先生は、ちゃんと出席している限りは生徒全員に5以上の評価をくれる方針だったようです。つまり、5というのは最低評価だったわけです。やっぱり・・・・・・
2011.01.04
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今日は、朝から右小指付け根を突き指してしまいました。そのときは、「あれ、突き指したかなあ?」と確信が持てないくらいだったのですが、午後笛の練習をしたら、その後で痛み始めてしまいました。ケーナ・サンポーニャ・ギターは右小指はほとんど使わないので、悪化の原因はフルートでしょう。何しろ右小指付け根が反っくり返るようにして構えますから。今も、結構痛い。これは治るまでフルートの練習は無理かなあ。というか、ギターも辛いぞ。16日にグループの練習があるのに、大変だ、こりゃ。この年末年始は満身創痍で、まずは年末、サンポーニャ吹いていて下唇がすり切れてしまいました(サンポーニャを吹いていると時々起こることなのですが、最近はやったことがありませんでした)。それほど練習したわけではないのに。仕方がないから下唇に絆創膏を貼って練習したら、サンポーニャとケーナは良いのですが、フルートはどうも音が出しにくい。音が出ないわけではないんですけれどね。そして、大晦日にはランニングで足をくじいてしまいました。これは、歩くのには支障がなくて走るのが辛いだけで、湿布を貼っていたら今日にはだいぶ良くなりました。治りそうだと思った瞬間に突き指だからなあ、参りました。---ところで、たまたま今、私の知人がmixiの日記とブログで、ほぼ同時に固定ドと移動ドの話を書いています。そして、たまたまどちらもアルトフルートの話が出ています。固定ドと移動ドとは何か、このブログには音楽に詳しくない方も多いと思うので、ごく簡単に説明します。音階というのは、ドレミファソラシドの7音です。(半音はとりあえず考えない)日本語名ではハニホヘトイロハになります。さて、ドというのはどの音でしょうか。ソプラノリコーダーなら、全部の穴を塞いだ最低音がドです。フルートでも同様(ソプラノリコーダーより1オクターブ低いですが)。ケーナだと下3つの指穴を開いた音がドです。ギターでは2弦の3フレット、または5弦の1フレットを押さえた音がド。というのが、「固定ド」の考え方です。では、移動ドというのは。音楽には、色々な調(キー)があります。たとえば、ハ長調(これが一番簡単な調)は、文字通りド(ハ)から始まるドレミファソラシドという調です。フルートとソプラノリコーダーを、一番下の音から半音のないように吹くと、この音階になります。同じ音階を使って、2つ下のラから始まる音階、つまりラシドレミファソラという調は、ラ(イ)から始まるのでイ短調と呼びます。一方、ケーナは下から3つの穴を開けた状態がド(固定ドのド)と書きました。では全部の指穴を塞ぐとどうなるかというと、ソが出ます。そこから、普通に半音のない音階を吹くと、ソラシドミファ♯ソとなります。ソ(ヘ)から始まる長調だから、ヘ長調です。短調の場合は、同じ音階がミファ♯ソラシドレミというホ短調になります。あれっ、おかしいぞ、「半音のないように音階を吹くと」と書いたのに、何でファ♯という半音が出てくるんでしょうか?これは、ケーナという笛がナチュラルにもっている音階(ソが起点)と、固定ドの楽譜の書き方(ドが起点)の食い違いから起こっている現象です。ケーナにとって半音が出てこないように音階を吹くと、固定ドの楽譜の上では、半音で表記しなければならないのです。ややこしいですね。じゃあ、ケーナではソをドに読み替えてしまおう、そうすれば、ソラシドミファ♯ソという音階は、ドレミファソラシドになるので、分かりやすくなるぞ、というのが、移動ドという考え方です。調が変われば、その度に「ド」の音の高さも読み替えるわけです。現在はどうか分かりませんが、私が小中学校で音楽の授業を受けた当時、移動ドという考え方が結構使われていました。しかし、実は私にとっては、この「分かりやすい」はずの理屈が、小学生の頃、全然理解できなかったのです。だって、ソプラノリコーダーは、全部の穴を塞ぐと「ド」だと教わっているんですよ(もっとも、小学生の間は、リコーダーの指穴を全部塞ぐと、音がまともに出せませんでしたけど)。それが突然、「この曲ではこの音がドです」って言われても、それって、リコーダで習ったドの音と違うじゃない、うーーーん、というわけです。※いや、まあ固定ドの楽譜だって読めはしなかったんですけれどね。というわけで、私は、移動ドという考え方はどうも苦手なのです。ケーナも、前述の通り、あくまでも固定ドの考え方で、ミファ♯ソラシドレミという音階で頭に入っています。ところで、ソプラノリコーダーにもフルートにも兄弟楽器があります。ソプラノリコーダーには、それより4音低い、最低音がファのアルトリコーダー、フルートは3音低い最低音ソのアルトフルートです。更に、もっと低い、あるいはもっと高い音の同族楽器もそれぞれあります。これらの楽器は、たとえばソプラノリコーダーやフルートと同じ指使いをすると別の音が出るわけで、その場合は、移動ドの譜面ではないと、むしろ分かりにくいのだそうです。なるほど。そこでハタと気がつきました。そういえば、ケーナにもケナーチョがあるぞ。ケーナの最低音はソですが、ケナーチョはレです(最低音ドのケナーチョもあるけれど、私は持っていない)。つまり、ケーナのト長調の音階と同じ指使いでケナーチョを吹くと、ニ長調になるわけです。でも、やっぱり私はケナーチョを吹くときでも、頭の中は固定ドですね。基本的にフォルクローレでは楽譜を使っていないから、メロディーを頭に浮かべているだけで、音階は頭に浮かんでいないので、どっちでも良いのかも知れませんが、たまたまケナーチョを持った最初に、「この笛では最低音はレ、ドの音は一番上を半音開けた状態」と覚えてしまったから、頭の中は固定ドなのです。それに、運指が同じといっても、指の開き加減が違うので、感覚も違い、あまり「運指が同じ」と意識することがないのです。でも、じゃあ自分にとって移動ドは全然関係ないのかというと、そうでもありません。一つだけ、ギターにカポタストを付けたときだけは移動ドの考え方になります。ギターのカポタストというのは、まさしく移動ドの考え方を具体化するための道具と言えますから。というわけで、移動ドの考え方も私にとって無縁ではないことが分かりました。でも、小学生でギターはやらないですからね。小学生にとって移動ドという考え方は非常に分かりにくいと思うのですが、どうなんでしょう。私が人一倍音楽落ちこぼれ児童だったから分からなかっただけなんでしょうか。※しかし、改めてよーく思い出してみると、リコーダーを吹くときに移動ドを使ったかどうかは、記憶が定かではありません。唄の時は確かに使ったのですが、リコーダーではどうだっただろうか・・・・・・・・。でも、とにかく私には分からない理屈だったのです。
2011.01.03
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チリの太平洋沖に、イースター島(パスクワ島)という島があります。モアイ像で有名ですね。イースター島は面積が約160平方キロ、小豆島より少し大きく、利尻島より少し小さいくらいの大きさです。人口は、現在は約4000人。このイースター島に人間が初めて足を踏み入れたのは、西暦4~5世紀頃のことだったとされています。タヒチ島方面からカヌーでやってきた、ポリネシア人たちです。その人数は、おそらく十数人から、せいぜい数十人程度だったはずです。彼らがこの島に足を踏み入れたとき、この島は椰子を中心とする熱帯雨林の深い森に覆われていたことが、今日の花粉分析で分かっています。しかし、その後島の人口は数百年の間にどんどん増えた。人口が増えれば、森がどんどん切り開かれます。更に、8世紀か9世紀頃からは有名なモアイ像が作られはじめます。作ったモアイ像を運ぶのに、丸太を並べて、その上を転がしていったと考えられており、そのためにも大量の木が伐採されました。島の人口は、16~7世紀頃には、1万人近くとも、2万人近くとも言われる(正確な人数は不明)数に達しました。しかし、そのときには島の森は丸裸にされていたのです。モアイ像作りは宗教的な意味合いがあって、人口が急増して食糧事情が厳しくなり、森がどんどん姿を消していく中で、人々はモアイ像作りを自重するどころか、むしろ間合い像造りが加熱して、森林の伐採に一層の拍車をかけていったようです。ポリネシア人は、非常に優れた航海技術を持っています。何しろ、広い太平洋をカヌーで漕ぎ渡っていった人たちです。おそらくは、それまで住んでいた島で食糧事情が厳しくなると、住民の一部がカヌーで漕ぎ出して、新天地へと渡っていったのだと思われます。イースター島に最初に渡ってきた人たちも、おそらくはそういう経緯で故郷を離れて太平洋を漕ぎ渡ったのでしょう。しかし、イースター島の人口が増えすぎてしまったとき、彼らはもう他の島に向けて脱出することは出来なかったのです。なぜなら、船を造るのに必要な木が、もうなかったから。その結果、イースター島に破局的な事態が起こりました。少量事情の悪化から、飢餓と、部族間で激しい対立と戦争が起こり、文明が崩壊したのです。この島にヨーロッパ人が初めて足を踏み入れたのは、1722年のことです。島の人口が最大を記録したときから、おそらく100年かそこらしか経っていなかった時期と思われますが、そのとき島の人口は600人ほどになっていたそうです。遺棄された多くのモアイ像の高度な建設技術とは裏腹に、生き残っていた人々は、石器時代の生活水準まで退行していました。それでもなお、島に到達したオランダ船は、島内でまだ部族間の戦争が行われていることを目撃しています。そして、島内はそのとき、一面の草原で、樹木はまったくなかったというのです。-----いろいろな意味で示唆に富む話です。イースター島という限られた大きさの島で、人が生態系の許容力を超えるほど増えてしまった結果、あるところを契機に、一挙に破局的な事態に至ってしまった、ということです。これは、地球全体、人類全体の将来についても当てはまる話かも知れません。もちろん、地球はイースターよりずっと巨大ですから、生態系の許容力もまたイースター島よりずっと巨大です。でも、宇宙から見れば地球だって実にちっぽけな存在、とも言えるのです。また、現代人が消費する資源・エネルギーはイースター島の人々が使っていたそれよりも、遙かに巨大になっているでしょう。イースター島の人口は、最盛期には1万人か、ひょっとすると2万人にも達した可能性があると書きました。冒頭に、イースター島の大きさを、小豆島より少し大きく、利尻島より少し小さいと書きましたが、その小豆島の人口は約3万2000人、利尻島は約6000人です。利尻島はまだしも、小豆島は破滅的事態に陥ったときのイースター島より更に人口が多いのです。イースター島が破局的事態を迎えたときの人口を2万人と仮定すると、島の人口密度は1平方キロあたり125人ほどになります。1万人とすれば63人に過ぎません。一方、日本の人口密度は、1平方キロあたり340人あまりに達しています。もちろん、世界全体の人口密度はこれよりはずっと少ないです(1平方キロあたり約50人)。また、いくら自然破壊が進行していても、さすがに地球上から森林が全部姿を消す事態は、当面のところ想像しがたいものはあります。でも、これからもどんどん人口が増え、資源エネルギーの消費がひたすら増大する一方だったら、それも保証の限りではありません。このまま人類が増え続け、資源エネルギーの消費が右肩上がりで増大する一方だったら、いつかイースター島の悲劇が地球規模で再現されることになりかねません。でも、数日前の記事でも書きましたが、世界でも有数の資源エネルギーを消費している日本は、人口が減り始めています。日本に限らず、先進諸国(=資源エネルギーの消費量が大きい)は、米国を例外としていずれも出生率が下がっており、人口の増加もほぼ止まっているか、減り始めています。経済成長著しい中国やインドも、出生率はどんどん下がっている。全体としてみても、世界の人口は増加し続けていますけれど、増加のスピードは1990年頃をピークに減速しています。特に資源エネルギーの消費の大きな国々で人口増加の停滞または人口減少が進んでいるというのは、長い意味での人類の将来を考えると、むしろ良いニュースかも知れません。※しかし、何で日本語名称は英名なんでしょうね。チリの公用語であるスペイン語ではパスクワ島、現地の先住民の言葉ではラバ・ヌイ、ヨーロッパ人として初めてこの島を「発見」したのはオランダ人(復活祭の日に発見したから「復活祭の島」になったわけです)。どこにも英語名の入り込む余地なんかないと思うのですが・・・・・・ここでは、慣用に従い、一応イースター島としておきますがhttp://www.asahi.com/national/jiji/JJT201101010006.html「年間人口減、初の10万人突破=戦後最大、少子高齢化が加速―厚労省」2010年の人口減少幅は戦後最大の12万3000人に上り、初めて10万人を突破したことが31日、厚生労働省の人口動態統計の年間推計で分かった。厚労省によると、10年に国内で生まれた赤ちゃんは前年比ほぼ横ばいの107万1000人。死亡数は高齢化の進行により前年比5万2000人増の119万4000人だった。死因は例年同様、がん、心臓病、脳卒中が上位を占めている。出生数から死亡数を引いた「自然増減数」は12万3000人で、統計資料が残る1947年以降で最大の減少幅となった。(以下略)-------------------先日の記事で、2009年から2010年の人口減少は13万人と書きました。これは、自然増減と社会増減の合計として人口が13万人減った、という意味です。今回の記事は、自然増減のみで、12万3千人の減少ということです。ということは、社会的減少は差し引き7000人、と言いたいところですが、私の記事は比較の基準日が10月、この記事では12月基準なので、厳密には人口減の幅は変わってくるでしょう。
2011.01.02
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今年も皆様よろしくお願いします。日本が、そして世界が少しでも平和でありますように人々が、特に子どもが幸せに生きていくことが出来るように差別や不平等、貧困が少しでもなくなっていくように自由な世の中であるように人間の望みなんて、小さく、変わり映えのしないものです。私が年の初めに(というか、いつでも)願っていることなんて、何年も前からあまり変わりません。でも、こんなちっぽけな望みであっても、なかなか簡単には実現しません。世界に戦争が絶えたときはほとんどないし、差別も貧困も不平等もなくならない。だから、どうせ世の中なんてそんなものさ、という考え方もあるでしょうが、私は人間が人間であるためには、夢とか理想というものが必要だと思っています。というわけで、今年もよろしくお願いします。年の初めから新録音をアップしました。森山直太朗の「さくら」(YouTube版)(ニコニコ動画版)↓※音質はニコニコ動画の方が良く、画像はYouTubeの方がきれいです。同じ曲を、性懲りもなく3回目の録音です。実は、去年の10月に録音したのですが、秋に「さくら」でもないですからねえ。この「さくら」には独唱と合唱の二つのアレンジがあり(森山直太朗のシングルCDには両方収録されています)、私は合唱版のアレンジがとても好きなのです。しかし、それをもとにして録音した第1弾の演奏は、出来が今ひとつでした。第2弾は職場の同僚のピアノ伴奏と私のフルートで独唱のアレンジで演奏しています。これは自分でもお気に入りの録音なのですが、やはり合唱版に未練がありまして、今回は合唱版のアレンジで可能な限り良い録音を目指しました。バックコーラスのフルート三重奏のタイミングとビブラートの波長をぴったり合わせるのに、細心の注意を払いました。それでも、音の終わりが完全にはあっていない箇所が数カ所はあるのですが、このあたりが私の集中力の限界です。
2011.01.01
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