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キリスト生誕の時代に遡る昔からパレスチナ周辺に住み続ける「ユダヤ人」。
その血統上の子孫は、今日、さまざまな宗教に分かれており、また、スファラディ ※
ともいわれることがありますが、彼らは欧州系の入植者に対し、パレスチナの先住民です。
※ユダヤ人の子孫で、オスマン帝国の下で活動した中東系の人々のうち、一部がスペインへ移住しました。ここから、中東系のユダヤ人を指すようになりました。
第2次世界大戦終結後、古典的な帝国主義の時代は終わり、国連の下で民族の平等が追求される時代になったはずでした。
しかし、パレスチナ紛争では、欧州(ドイツ・東欧など)からの入植者アシュケナジーの権力によって、住民すなわち「パレスチナ人」が虐待され、辛酸を舐めています。
中東系住民であるパレスチナ人クリスチャンの言い分を聞いてみました。
プロテスタントの聖職者ラヘブ師(ルーテル派)は、パレスチナ人です。
同師は、民族の間の公正が保たれていない歴史と現実を踏まえ、西欧の神学およびキリスト教勢力の偏った姿勢に対して警告しています。
「 反ユダヤ
主義に陥らずにイエス・キリストを語ることの必要性を説くのであれば、イエスのユダヤ性について語るときにも 反パレスチナ
に陥らないようにという配慮も同時にまた必要」
という指摘は、まことにもっともなことだと思います。
これは韓国人カルト指導者を語る場合にも言えると思います。
メシヤは韓半島に現れる(再臨する)ことになった、日本は神社参拝を強要し、独立運動を激しく弾圧したような悪魔の(サタン側)国家だったから、とメンバーはいいます。(おまけに、日本人は韓国人に対して犯した罪を償うべし、とも。)
これに対し、文の爺さんは嘘吐きだ、韓国人は息をするように嘘を吐くから、というのでは、互いに鏡のようです。
どんな嘘も、宗教や儀式(神社参拝など)を強要する類の全体主義の権力や、その他の全体主義的な組織も、それぞれ憎むべきです。
また(しかし)、これらを民族・国民に結びつけるのは間違いだと思います。
次の記事は、RUR-55氏が下記文献の原文を読んだ内容紹介です。
http://rur55.blogspot.com/2005/01/blog-post.html
〔引用開始〕
・・・・
「私はパレスチナ人クリスチャン」 ミトリ・ラヘブ著 山森みか訳 日本キリスト教団出版局
Mitri Raheb, I AM A PALESTINIAN CHRISTIAN, translated by Ruth C. L. Gristch © 1995 Augsburg
第一部は・・・・
アラブ人クリスチャンはキリスト教の歴史の中でも最も古いグループで、イスラム教が成立するずっと以前からパレスチナにコミュニティを築いていました。パレスチナには古来さまざまな宗派が共存しており、東方教会、ローマ教会、プロテスタント諸派などを次々と受け入れてきました。従ってエキュメニスムの伝統が強く、・・・・ 、イスラムもユダヤ教も包含した共生を視野に入れることに少しも無理がない。
・・・・オスマン時代にはイスラム帝国の中の二級市民として扱われてきた周辺的存在であったことから、ヨーロッパの影響が強まり改革の必要が痛感されるなかで、アラブ人クリスチャンたちは近代化を推進する文化的エリートの役割を担うようになります。国家と宗教を分離し、クリスチャンもムスリムも他の宗派も、市民として同等の権利を持つ、世俗主義のアラブ国家を作ることが彼らの目標でした。・・・・
・・・・挫折感からパレスチナ人のあいだにはハマスのようなイスラム主義者の勢力が拡大するようになってきています。・・・・
・・・・ 反ユダヤ主義の一因となり、ホロコーストを招いてしまったことに対する贖罪の意識から、欧米のクリスチャンたちはユダヤ人やイスラエル国家に対して過度に同情的になる傾向があり、結果的にパレスチナ人が現在受けている苦難には目をつぶってしまうという問題。この欧米的な思考形式がアラブ人クリスチャンにも押し付けられ、それに異論を唱えればナショナリストのそしりを受ける。パレスチナの問題を直視することがキリスト教神学の課題であるとラヘブ師は主張します。
第二部・・・
第六章、「アウシュヴィッツ以降の神学とパレスチナ人」(要約)
西洋のクリスチャン・・・・は、今日のジュデイズムやイスラエルという国家についてホロコーストを通じてのみ理解しようとする動きがある。・・・・・ヨーロッパに蔓延する反ユダヤ主義(アンチセミティズム)の源流の一つがキリスト教であることを発見した彼らは、そのことを白日の下に曝して根絶しようと乗り出した。だが、反ユダヤ主義の根は深く、大戦後もこの風潮に目立った変化がない・・・・・。
そこで、キリスト教徒とユダヤ教徒のあいだに新たな対話が開かれた。・・・・次の二つの点において不十分である。
第一に、・・・・。イスラエルでは、喜んで対話の相手となるような人々が見つかりにくい。ほとんどの人は、そんな対話のことなど聞いたこともない。・・・・ おまけに西洋の神学者たちは、中東のクリスチャンたちに対して、対話に参加させるどころか、相談することさえしなかった。・・・・・ アラブ人キリスト教徒たちは西洋的な視点を受け入れるか、ナショナリストとして切り捨てられるかのどちらかしか道がない。
第二に、この対話はパレスチナ人の運命にほとんど目を向けようとしない。ましてや、アメリカやヨーロッパやイスラエルが・・・・・行ってきた不正に対処することなど望むべくもない。・・・・ 20世紀後半のパレスチナ人との関係、彼らを追放し、占領下に置いてきたというイスラエルの歴史は重要視されず、神学的思考に取り入れられることもない。
「アウシュヴィッツ以降の神学」は、いかにすれば反ユダヤ主義に陥らずにイエス・キリストについて語ることができるのかを問う。これまでのところ、その答えはイエスのユダヤ性を強調することに求められている。だが、ここから親ユダヤ的傾向や無批判のイスラエル支持が台頭してくることにもなった。その結果、この対話ではイスラエルが神話化され、その裏返しで「パレスチナ人」やPLOは悪魔のように描かれることとなった。「アウシュヴィッツ 以前
の神学」はたしかに 反ユダヤ
主義の要素を持っていたが、「アウシュヴィッツ 以降
の神学」は親イスラエル、 反パレスチナ
的な態度に陥りやすい。・・・・
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