全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()
昨日、小原流仙台支部のこども教室が参加して、今回第4回目になりました「~未来へつなぐ~すばらしき日本伝統文化フェア」が開催されました。1回目と3回目は大雪、2回目はあまり記憶にありませんが、今回のように晴天に恵まれたのは初めてだったかもしれません。今回メンバーから抜けた団体さんに雪男か雪女がなんて文化庁からの補助を頂いて子供に伝統文化を教えている団体で、昨年までは仙台市を通しての補助だったために集まった各団体でしたが、今年度は各々申請して補助が受けられるようになったけど、この回は続けませんか?という呼びかけに集まった団体ですので、昨年よりも減りました。いけばなの演目は「いけばな日記」をご覧ください。 子供たちのお顔があるので画像小さくしましたが、自分たちで作った浴衣に、ステージで自分で帯結びを披露した「民族衣装文化普及協会」さん、「さくら和の体験教室」さんのお琴演奏に合わせてお茶のお点前と茶花を披露した「杜の都伝統文化親子茶道教室」さんと「清翠庵表流茶道教室」さんのステージ発表です。ステージ発表の他には来場したお客様が体験できるコーナーとして囲碁、茶道、和楽器、浴衣の着付けなどがありました。とてもいい合同発表会ですので、今後も続けていけるといいのですが。こっちも見てね「いけばな日記」 いつもありがとうございます。今日もポチッとお願いします
February 22, 2015
コメント(0)
![]()
伝統文化クラブでお花を教えている小学校で、伝統文化に触れる行事上巳の会が明日開催され、クラブの子供たちが発表するのでそのリハーサルに行ってきました。職員室前のお雛様です。古い小学校ですので、こちらもたぶん年代ものそういえば、先日花生けに行ったときに、職員室前の木の段々を見て「なんだろう」と思っているうちに「お手すきの先生方お雛様をお願いします」という声がけが聞こえてきましたっけ我が家のお雛様は今年はまだ出していません。最近は、お稽古にも使っている部屋に出したいので、2月の最後のお稽古が終わってから3/3まで、1週間でも10日でもいいから出していたのですが、今年は、最後のお稽古の木曜日の翌日は創流120周年記念花展を見に東京に行くし、その翌日の土曜日は実家で法事。そして日曜日は娘の引っ越しです。一人暮らしを始めるというのですというわけでお雛様を出す暇もなく3/3になってしまいそうです。今は息子の部屋に引っ越し荷物を置いていますが、法事に帰省するというのでその荷物もお稽古終了後和室に移動しなければいけないし、やはり出せませんよね。初節句から26年目にして初めてお雛様を出さない年になりそうですこっちも見てね「いけばな日記」 いつもありがとうございます。今日もポチッとお願いします
February 18, 2015
コメント(0)
![]()
アップしようと写真を撮っておいて、実際にアップするのが遅くなってしまったのですが娘が1/31~2/1に伊豆に旅行に行ってきまして、普段あまりあんパンを食べない娘ですが「有名らしくておいしそうだったので」と買ってきた下田あんパンです。なかでもこの「牛乳あんパン」が一番人気らしいのですが、とてもおいしかったです。牛乳クリームなのでしょうか、あんこと絶妙にマッチしていてパン好きの私が今まで食べたあんパンで一番おいしいかも調べてみたらネット購入できるようですね。平井製菓もっとおいしそうな写真載っています。こっちも見てね「いけばな日記」 いつもありがとうございます。今日もポチッとお願いします
February 12, 2015
コメント(0)

突然の不幸があり、昨日は予定をキャンセルして、朝から盛岡に行ってまいりました義姉、主人の兄の奥さんのお父様がお亡くなりになりました。義姉は一人娘ですので、今回喪主を務めておりましたが、兄弟もいないのですべて主人の実家で取り仕切るかたちになっていました。午前中の火葬に間に合うように行ったので、朝早くて少し大変でした。ちょうど息子が友人の結婚式で(またです)来ていましたが、前夜遅く来て、顔も見ていないうちに出発でした。「葬儀に先立ちまして…」と会館の方が読まれたものが、今回の会葬御礼の中に入っていたお礼の言葉で、義姉が書いたと思われるそれがとてもいい文章だったので、全文紹介しようかと思いました。何度言っても足りないくらい 溢れる感謝を込めて「ありがとう」三百六十五日つけていた日記には、物差しでひいたように一直線にきれいな父の字が並んでいます。輪ゴム一つ、クリップ一つ、小さなものまで大事にする几帳面なところと丁寧さ。そして根っから真面目。不正を許さず、真っ直ぐ生きてまいりました。そんな父に“刑事”という仕事はぴったりだったと足跡をたどる今、思うのです。本当はもっと昇進もできたのでしょうが、身体の弱かった母や幼かった私の負担にならないように父は転勤を断り続けておりました。食材の買い物、料理、洗濯、掃除、私の幼稚園の送り迎え、もう少し大きくなると学校へ持っていくためのお弁当作り・・・私が入院していた数か月は、ほぼ毎日自転車でお見舞いに来て、身の回りの世話をしてくれました。なかなか真似はできないと尊敬すると共に、愛情いっぱいに育ててもらったこと、心から感謝しています。父○○○○は、平成二十七年二月五日、享年九十三歳にて生涯をとじました。向かう先で母に逢えますように、そして今度はふたりでのんびりと旅行でも楽しんでほしい・・・そんなことを願いながら、逝く背を見送ります。最後になりましたが、人生の途上で出会い、素晴らしいご縁を結んで下さったすべての皆様へ、深く感謝申し上げます。本日はご多用の中ご会葬頂き、誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもって厚く御礼申し上げます。お母さまが亡くなられてからはずっとお一人で暮らしていたようでしたが、お母さまが生きているときから家事を何でもしてきた方のようなので、不便はないということでした。お母さまは体の弱い人だったらしいですが、このお父様は今まで病気らしい病気もしたことがなく、最期も老衰ということで、大往生でしたね。こっちも見てね「いけばな日記」 いつもありがとうございます。今日もポチッとお願いします
February 8, 2015
コメント(2)
全4件 (4件中 1-4件目)
1