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March 22, 2016
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カテゴリ: 抜き書き
自分の本当の感じ方を偽って述べても、けっして本当の自分は立派になるわけではない。私たちにとって大切なのは、本当の自分が立派になることであって、本当の自分の感じ方を偽って立派なことを述べることではない。本当の自分の感じ方がそれほど立派でないのに、立派な感じ方をしているように偽るからこそ不快になるのである。

そして、本当の自分を立派にしようという望みやエネルギーは、本当の自分の感じ方を自分も認め、それを述べることができるところから生まれる。本当の自分の感じ方を偽っている以上、自分は委縮していくだけである。

本当の自分の感じ方を述べることが自己主張でもあるし、他人との本当のコミュニケーションを可能にする。

だから、本当の自分の感じ方を述べられないような雰囲気をつくってしまう関係は恐ろしいのである。

そのような雰囲気の中で育って自信をもつなどということはあり得ない。この種の雰囲気はある種の家庭や、ある種の宗教団体などにある。したがって、それらの集団に属している人は、自信の欠如としての狂信しかもてないのである。

堅苦しく束縛されるような雰囲気を相手から感じとってしまうのは、相手は口では何を言おうと、根本においては限りなく受容されることを求めているからである。相手が密着した一本化を心の底で求めている時、どんな口で“自由”を言っても束縛を感じるものである。

どんなに立派なことを言っても、そんな雰囲気の場所には近づいてはならない。相手の言うことが立派であればあるほど、相手の要求にはノーと言えなくなる。相手の言う通りにならない自分を悪く感じてしまう。

しかしはっきりさせるべき問題は、相手の言っている内容ではない。相手の心情である。雰囲気が自分に不快であるならば、論理的な根拠がなくてもノーと言ってよいのである。「理由は言えないけど、私はいやだ」ということが正しい時もあることを、忘れてはならない。


【自信】加藤諦三著/三笠書房





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Last updated  March 22, 2016 07:35:25 AM
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