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「とと姉ちゃん」モデル 大橋鎭子と花森安治
出版ジャーナリスト 塩澤 実信
NHK の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は、連続週間視聴率二〇%を超えたまま、今日に及んでいる。家族ぐるみで女性生活情報誌を創刊した大橋鎭子と、編集長を担った花森安治の二人三脚で、鎭子の自伝『「暮らしの手帖」とわたし』が下敷きになっている。
大橋鎭子は十一歳で父を失い、戸籍上の戸主となって、“ 父 ”姉ちゃん と呼ばれるようになったが、母と二人の妹の上に立って、昭和の戦前・戦中下の窮乏時代に耐え抜いた。
戦後、昭和二十年、「女の人の役に立ち、生活に少しでも明りを燈すような雑誌をつくりたい」と、紹介された花森に肉薄。一筋縄では行かない彼を編集長に迎えた。
花森は「一銭五厘」とヤユされた赤紙一枚で招集された軍隊経験を持ち、病気で除隊後、大政翼賛会宣伝部に勤め、戦意昂揚のスローガンづくりに献身した。それが戦後の思いトラウマになっていて、雑誌に協力する条件に「もう二度とこんな恐ろしい戦争をしないような世の中にしていくものを作ろう」と鎭子に約束させた。こうした経緯は、拙著「大橋鎭子と花森安治『暮らしの手帖』二人三脚物語」で紹介させてもらった。
僅かな資金でスタートした「暮らしの手帖」は、三号で危機を迎えたが、昭和天皇の長女、 東久邇 成子 さんに原稿を書いてもらうなど、鎭子の体当たり的企 画で蘇生。さらに、広告を一切掲載しない雑誌のメリットを武器に、日用品や電化製品を徹底的に検証する「商品テスト」を誌上に発表することで読者の信頼をつかんだ。それは「消費者よ、メーカーに騙されるな」の姿勢ではなく、「メーカーよ、消費者を騙すな!」の視点にたっていたからだ。
この目玉企画で部数は伸びつづけ、絶頂期には百万部に達するまでになった。
花森はその一方で、大政翼賛会時代の 贖罪 の意を込めて、 読者から募ったのが一冊まるごとの大特集『戦争中の暮らしの記録』。「暮らしの手帖」創刊から、二十三年間に同誌に掲載した自らのエッセーから、二十九本を選んで B5
私が大橋鎭子と取材を通じ交流を持ったのは、昭和五十三年、花森が心筋梗塞で急死した後である。表紙、原稿、カット、レイアウト、写真と、すべてを仕切ったスーパーマン編集長の後を一任された鎭子は、「花森さんのものすごく厳しい教育を受けて来ました。その厳しさは並大抵なものではありませんでした」と前置きした上で、日々、戦場に臨むような覚悟で仕事に取り組んできたから、花森の生前そのままのフォームは継承できるとの自信を披瀝してくれた。
鎭子の時代はさらに、三十年余つづいたのである。
(しおざわ・みのぶ)
【文化】公明新聞 2016.7.22
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