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文芸評論家 持田 叙子
今ふり返れば、幻夢のような思い出である。
幼稚園のときだった。祖母がふるさとの兵庫県篠山から電話をよこした。今年は松茸が豊作。みんなで松茸狩りにおいで、と誘ってくれた。
祖母は一族のゴッドマザー。そして大へんなお国自慢の人。岡山に嫁いだけれど、お盆・秋祭りとよく篠山へ帰った。
篠山はよいとこ、お城もあれば、お能もさかん。よく孫たちに話して聞かせた。
さあ、ゴッドマザーには逆らえない。父は即、母と私たち姉妹を連れて秋色深い篠山へ赴いた。
祖母の亡き弟の別荘が田んぼの中にあって、そこがみんなの家。子どもはひたすら楽しい。当時はハイカラなピンクのタイルのお風呂がある。新しもの好きな祖母は、電子レンジも備えていた(そこから X 線がでると怖がられていた。ボタンを押すと、その轟音たるや、すさまじかった)。
篠山はその名の通り、山が深い。松の木が多い。その頃はたくさん松茸がとれた。案内のおじいさんと皆で松茸狩りに行き、三田牛と取れたての松茸で、素晴らしいすき焼きを山中でいただいた。
しかし帰路、突如として秋の雷雨が私たちを襲った。前も見えないくらいの猛烈な雨。大人たちが騒ぐので、子どもも恐怖した。昔話や伝説のように、このまま山で迷って死ぬかもと思った。
姉は母がおぶったのだろうか。とにかく父が私をおぶった。記憶はこれが初めてで最後。父は昔風の男。子どもにベタベタしない。筆とカバン以上に思いものを持ったこともない。
それが雷雨の中、初めて子どもをおんぶする。大変だったろうなあ。
松茸の季節になると、このことを思い出す。幼いころのきのこ狩りの経験を哀切につづる泉鏡花の名小説「小春の狐」をよんだ時も、雨にびっしょり濡れた父の背中と松茸の香気を思い出した。
【言葉の遠近法】公明新聞 2016.10.12
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