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日曜、朝、兄からの電話。ここ何日か前から、不思議に懐かしい人たちと偶然出会っていた。立て続けに5人程になると、へんな邂逅を感じるようで、あ、俺死ぬのかな、と漠然と思えていたが、この電話が入院中の叔父の他界を知らせるためのものだと直感するのに言葉はいらなかった。昨年、父と一緒に大分の入院先に見舞ったのが最後だった。短気で豪快でよく怒られた。「こん、ばかんじょうが」都合で通夜を勤められなかったが、葬儀に間に合った。10数年ぶりに京都組も参列している。これも邂逅なのか。人が死ぬとそこから縁が繋がると聞いたことがある。ある意味当たっている。代替わりして教員の従姉妹が当主になり、また違う歴史を経営してゆく。「こん、ばかんじょう」真っ直ぐな言葉だ。久々の列車の旅に昔の風情は失せていたがこの言葉だけ妙に残っているのだ。
Jul 20, 2010
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回廊に走り込んだ。雨粒の歩幅が増して地面にボッボッと音を植えた。つい先ほどまで細かな霧の衣で包まれていた杉林がさっと開けて遠くで壁を作った。「嫁いできたときにやまだよう伸びとらんで、あっちの山見えんようになったに」愛子おばさんが呟いた言葉が思いだされる。回廊の端っこで山さんがフレーミングをしている。前ボケの撮り方は教えてあったが構図を変えることで構成意図が変ることを理解できるだろうか。吊り灯籠に一つだけ電球が灯っているのが感じたらしい。たぶん大丈夫だろう。濡れかかった煙草に火を点ける。首筋にじんわり流れ落ちる汗が白い湯気になって煙と戯れている。土を穿つ雨の音に混ざってシャッターを切る音が聞こえてくる。不規則だが心地よい乾いた機会音。教えることは何もないな、そう思うと自分の顔がほころびていくのが解った。ゆっくりと煙を吐き出す。このままここで埋もれてしまうのに何の遠慮があるのだろう。ずるずると意識が瓦解していく。「さっきのポラ貰っていいですか?」気がつくとそばに山さんの顔があった。「ん?よかよ」少し雨を被ったレンズと一緒にバッグから数枚を取り出して一枚づつ床に並べる。雨音に強さが消えた。白屋岳から駆け下りてきた雲が風と戯れて樹々の間で渦を作った。雨合羽のフードが風に揺れた。足早に過ぎた雨は昼の静寂に雨だれの音を残している。視界から人の気配を消した。淡々とレンズを装着した。考えるのではない。五感で出会うものへ。葛藤が消えた。photo by Yamasaki
Jul 14, 2010
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歳月が砌に証を残していた。踏み掘られた土から這い出した太い根が観音堂の石垣を侵食している。おそらく御神木であったろう高野槇は巨木と言うにふさわしい風格でその虚に苔を扈随させている。父の里帰りに随行したときに登って来るべきだった。おそらく子供達の歓声が聞こえたはずだ。お宮さんからこの観音堂にいたるわずかな距離にだけ山の中の平和があるのだから。父のアルバムにはここの写真はない。というよりもありふれた日常を写真するほどゆとりはなかったのだ。だが父にとっては確かな記憶が足裏から蘇るはずだ。そのことを悔やみながらフレームを決めにかかる。こじんまりとした観音堂は静かに雨に濡れていた。かつては柿葺であったが貧しい山村故の樹皮の屋根、顔料の剥げた軒、飾り気のない破風。人を拒む鉄格子の門扉に十六菊の紋章。その鉄門の階段前に置かれた一足の草蛙。その白い鼻緒。息を止めた。が、シャッターは切れなかった。やはりここにも吉野は無い。色の無い山村の原色を引き出したかった。そう思ってこの撮影には自作のピンホールでレンズを作った。ポラを打ちながら露光を調整する。たしかに狙った効果は出るのだが、ただそれだけだった。人が消え失せたら宗教も信仰も無意味ではないのか。そんなことをぼんやり考えていたら雨が強くなった。古い写真には思い出があるのではない。事実と真実とがその奥に隠れている。ピンホールで撮った本家裏の雪柳が哀しく揺れている。その白さよりも鼻緒の白のほうが重く存在していた。
Jul 10, 2010
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