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但馬に泊りがけで仕事に行ったとき、泊まった宿です。【但馬長寿の郷】兵庫県の施設です八鹿町内からは、すこし離れていて、自動車でしかいけません。しかし、部屋も結構広くて、一泊2500円(素泊まり)と格安です。レストランも併設されているので、食事はできます。宿泊棟の隣には、ロッジもあるので、家族で自炊して宿泊できます。
2007年12月30日
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仕事で但馬・養父市八鹿町に行った時の写真仕事で、兵庫県の北部、養父市八鹿町に行って来ました。運転手になって八鹿町内を回ったとき、目に付いたところを写真に撮りました。【酒蔵・山陰美人の建物です。八鹿町市街地八木川沿いにあります】【これからの雪に備えて、庭の松に縄をかけています。】
2007年12月28日
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丹波・柏原 明治のトンネル・鐘が坂隧道旧鐘ヶ坂隧道 7 posted by (C)きんちゃん【トンネルの中から見る】旧鐘ヶ坂隧道 8 posted by (C)きんちゃん 延長268メートル、幅4.5メートル。 篠山市側の抗口には、明治維新の立役者有栖川宮熾仁親王の「時成自同」、丹波市側には政治家三条実美の「鑿山自同」の石造扁額が掲げられている。旧鐘ヶ坂隧道 9 posted by (C)きんちゃんまた、寄せられた寄付が掲げられた石版がある。金弐百圓 東京府華族 織田信親金四百圓 柏原上中町 土田雅二金弐百圓 遠坂村 生田新右衛門金弐百圓 柏原上中町 片山助右衛門 同 柏原上中町 上山正蔵 同 佐治村 衣川佐兵衛 同 賀茂村 安田丞右衛門 同 黒井村 荻野貞二郎 などと名前が連ねられています。佐治村は丹波市青垣町の集落、賀茂村は、丹波市氷上町の集落、黒井村は丹波市春日町の集落です。遠坂村は青垣町の奥の遠坂トンネルの地名かな。旧鐘ヶ坂隧道11 posted by (C)きんちゃん最近まで使われていた、鐘が坂トンネル。この脇から遊歩道が整備されていて、明治のトンネル(鐘が坂隧道)まで行けます。今は、ここよりもっと下に新しいトンネルができています。旧鐘ヶ坂隧道12 posted by (C)きんちゃん
2007年12月27日
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丹波・柏原には、もう一つ史跡に値するものがあります。明治のトンネル、旧鐘が坂隧道です。旧鐘ヶ坂隧道 1 posted by (C)きんちゃん最近まで、共用されていた旧鐘が坂トンネルの柏原側の入り口から遊歩道が整備されています。自動車を停めるスペースがあります。 鐘ヶ坂峠は交通の難所で通行や物資の輸送は困難を極めていた。 明治12年多紀郡長であった園田多祐氏と氷上郡長の田艇吉氏数名が発起人となり、鐘ヶ坂隧道開鑿(かいさく)之義願書を兵庫県に提出し、翌13年12月に許可となった。 総工費4万余円。鑿岩工夫は6万3000人に及んで完成をみた。その工事費の半額は、多紀・氷上両民の寄付でまかない2年10ヶ月を要して明治16年(1883年)に完成した。 日本で5番目に作られたトンネルで、レンガ積みとしてはわが国最古である。 麓の柏原、上小倉で3基の釜が作られ、鹿児島からやってきた職人がレンガを焼き約28万枚の煉瓦が使われている。旧鐘ヶ坂隧道 2 posted by (C)きんちゃんトンネル内の壁は地下水でぬれています。旧鐘ヶ坂隧道 3 posted by (C)きんちゃん旧鐘ヶ坂隧道 4 posted by (C)きんちゃん旧鐘ヶ坂隧道 5 posted by (C)きんちゃんトンネルの出口付近には草が芽吹いています。旧鐘ヶ坂隧道 6 posted by (C)きんちゃん
2007年12月26日
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丹波・柏原 俳人の田ステ女公園雪の朝二のじ二のじの下駄のあと彼女がこどものころ、詠んだ俳句です。中学校で習った記憶があります。 田ステ女が42歳の時、夫李成が亡くなりました。代官の妻として、5男1女の母として恵まれた日々を送っていたステ女は深い悲しみの中、ここ高谷の地に庵を結び、千日の間ひたすら仏念にあけくれ、夫の菩提を弔いました。その姿が人々の心を打ち、誰言うことなくこの庵を「千日寺」と呼ぶようになりました。 その後、ステ女は出家し、名を貞閑と改め、播州網干に創建した不徹庵で多くの尼僧を育て、元禄11年(1698年)66歳の生涯を終えました。 千日寺は明治初年に廃寺となり、そこにあった石地蔵、石灯籠、手水鉢、ステ女百回忌に建てられた句碑は西楽寺に預けられていました。それらをここに戻し、新しく句碑、歌碑を加えて「ステ女公園」として甦りました。ステ女公園1 posted by (C)きんちゃん田ステ女の詠んだ詩が碑になっています。ステ女公園2 posted by (C)きんちゃんステ女公園3 posted by (C)きんちゃん丹波のような田舎に、隠れた文化人がいたことに驚かされます。ステ女公園の碑 posted by (C)きんちゃん
2007年12月25日
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【柏原歴史民俗資料館】柏原歴史民俗資料館1 posted by (C)きんちゃん 資料館は栢原藩伝来資料の保管と柏原町の歴史・民俗・考古に関する資料を収集保存し、調査研究・展示する施設として国指定史跡「柏原藩陣屋跡」に隣接して設置されました。なお陣屋跡の表御門は「長屋門」として県指定建造物となっています。 常設展示は「柏原藩陣屋跡」、「栢原藩主織田家の人々」「支配機構と経済基盤」、「教育と支配理念」、「城下の賑わい」の五つのテーマで構成しています。藩主一族伝来の武具類・書跡、藩政日記・制札などの文書類、城下古絵図等々の豊富な歴史資料を駆使して、丹波地方の一小藩の藩政・城下町の姿にせまります。 平成9年度からは、柏原出身の江戸中期の女流俳人「田 ステ女」の貴重な遺品を集めた田 ステ女記念館を資料館に隣接して増設しています。【旧氷上郡各町村組合立高等小学校校舎】旧氷上郡高等小学校校舎1 posted by (C)きんちゃん 明治18年(1885年)氷上郡各町村組合立高等小学校校舎として建てられた。その後、氷上第一高等小学校、郡立柏原病院となり、明治41年(1908年)から昭和23年(1948年)まで柏原高等女学校校舎として使用され、青垣出身の俳人細見綾子をはじめとする多くの才媛を育てた。 木造二階建て、寄棟造の本棟は、屋根は瓦葺ながら、外壁の下見板には白色系のオイルペンキが塗られ、バルコニーを支える太い6本の円柱や玄関扉上のステンドグラスを配した半円形の飾り窓などに明治中期の洋風建築の成熟ぶりが感じられる。 市内に残る数少ない明治洋風建築で、学校制度の変遷を語る上でも貴重な建物である。旧氷上郡高等小学校校舎2 posted by (C)きんちゃん
2007年12月24日
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丹波 柏原藩陣屋跡柏原藩陣屋跡4 posted by (C)きんちゃん柏原藩陣屋跡5 posted by (C)きんちゃん【書院次の間】屏風があり飾られています。客人を招く部屋でしょうか・・・。上段の間とつながっています。柏原藩陣屋跡6 posted by (C)きんちゃん【書院上の間】一番奥の部屋、主人の部屋でしょうか・・柏原藩陣屋跡7 posted by (C)きんちゃん柏原藩の紋です柏原藩陣屋跡8 posted by (C)きんちゃん【上段の間】左手の奥の茶室のような部屋・・・
2007年12月23日
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丹波・柏原の陣屋跡です。正徳4年に造営された陣屋は、文政元年(1818年)火災にあい焼失しました。その後、再建されたものが現存する陣屋で、桧皮葺の玄関と棧瓦葺寄棟造の表御殿の一部が残っています。長屋門1 posted by (C)きんちゃん陣屋の前にある、長屋門です。陣屋の表御門にあたる長屋門は、火災にも遭わず正徳4年(1714年)陣屋創建当時のまま残っています。内部は向かって左側が番所、右側が馬見所と砲庫になっていました。柏原藩陣屋跡の入口柏原藩陣屋跡1 posted by (C)きんちゃん柏原藩陣屋跡2 posted by (C)きんちゃん入口の近くの間です柏原藩陣屋跡3 posted by (C)きんちゃん間仕切りの間が、空いています。これが、奥の間、主人の間や大事なお客を通す間になると変わってきます。
2007年12月22日
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柏原・八幡神社の南側に、丹波市の柏原支所があります。柏原支所 posted by (C)きんちゃんちょっと、レトロな感じのする建物です。柏原支所脇の赤い橋 posted by (C)きんちゃん柏原支所の脇には、赤い橋が架かっています。ここから、柏原の陣屋跡に行きました。
2007年12月21日
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丹波・柏原の八幡神社の狛犬隠れた名作だそうです!!八幡神社 狛犬1 posted by (C)きんちゃん八幡神社 狛犬2 posted by (C)きんちゃん右手の狛犬柏原の生んだ名工佐吉 村上源照信が文久3年(1863年)に刻んだものである。向かって右は阿(あ)像(雄)、左は吽(うん)像(雌)である。佐吉は幼時当町大新屋在の名工初代難波金部兵衛の養子となり、義弟二代目金兵衛が生まれたので大阪に移って精進した。この狛犬は彼の腕に磨きのかっかった46才の作である。奉献の文字は筑前福岡の女儒者亀井少琴の書という。八幡神社 狛犬3 posted by (C)きんちゃん正面から見ると、けっこう凛々しい顔をしているでしょう。
2007年12月17日
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丹波・柏原の八幡神社には、三重塔があります。普通、三重塔と言えばお寺ですよね。神社に三重塔があるのは、全国でも18ヶ所だけとか・・・。八幡神社 三重塔1 posted by (C)きんちゃん八幡神社 三重塔2 posted by (C)きんちゃん三重塔は、文化10年(1813年)から同12年にかけて建立された。 心柱に「従文化癸酉霜月至同十二乙亥正月」と墨書があり建立の経過は社蔵の日記(文化9年より12年)によって詳しく判る。各重柱間を三間とする三重塔で、初重内部は四天柱を立て全体に格天井を張り、来迎壁前に須弥壇を据える。心柱は八角で初重丸桁桔木にのせた牛梁の上にたつ。江戸時代後期建立の塔婆で神仏混淆当時の名残を止めた数少ない歴史的建造物である。八幡神社 三重塔3 posted by (C)きんちゃん三重塔の初重の梁に水鳥の絵が描かれています。四つとも別々の鳥です。八幡神社 三重塔4 posted by (C)きんちゃん八幡神社 三重塔5 posted by (C)きんちゃん八幡神社 三重塔6 posted by (C)きんちゃん八幡神社 三重塔7 posted by (C)きんちゃんところで、狛犬も有名な作だそうです。
2007年12月16日
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柏原は織田家十代の城下町ですまずは、八幡神社です。八幡神社1 posted by (C)きんちゃん八幡神社 石段1 posted by (C)きんちゃん長い、石段が続きます。八幡神社 石段2 posted by (C)きんちゃん八幡神社 石段3 posted by (C)きんちゃん八幡神社 石段4 posted by (C)きんちゃん八幡神社 石段5 posted by (C)きんちゃん八幡神社2 posted by (C)きんちゃん八幡神社の本殿です。万寿元年(1024年)男山八幡の別宮として創建、後、明智光秀の丹波攻めで戦火にあったが天正10年(1582年)豊臣秀吉が武将堀尾茂助に命じて再建させた。構造形式は本殿拝殿がづづいた複合社殿で三間社流造桃山期の手法で、各部の彫刻は室町時代の様式である。 大正2年国の特別保護建造物。昭和2年国宝。昭和25年国の重要文化財に指定され、昭和50年から21ヶ月をかけ、国庫補助事業として本殿は半解体、拝殿は解体修理が行われた。八幡神社3 posted by (C)きんちゃん八幡神社4 posted by (C)きんちゃん三重塔から見た本殿です。八幡神社5 posted by (C)きんちゃん本殿から、鳥居を見返してみました。
2007年12月15日
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冬といえば、やっぱり”ぼたん鍋”ですね。体が、芯から暖まる。猪と聞けば、野生で臭みがあると思っている方がいますが、実際は、非常に淡白で食べやすいです。脂身も牛の様にベタベタにならなくて、あっさりしています。食べたのは、丹波・柏原の帰り、篠山の大手食堂です。「大手」と言っても、大衆食堂。篠山城跡の「大手門」の名前を取っているわけです。篠山 ぼたん鍋_005 posted by (C)きんちゃんこのお店では、ぼたん鍋は1人前3800円也。篠山 ぼたん鍋_001 posted by (C)きんちゃん昆布でだしをとった後、赤味噌を入れます。その後、猪肉、山の芋、ごぼう、しいたけ、えのきだけなど煮えにくい物を先に入れて、その後、白菜、ねぎなどの煮えやすい物を入れます。篠山 ぼたん鍋_002 posted by (C)きんちゃん「肉を煮すぎたかな」と思っても、牛肉の様に堅くならないのです!!篠山 ぼたん鍋_003 posted by (C)きんちゃん篠山 ぼたん鍋_004 posted by (C)きんちゃん猪肉の量は、ちょっと少なかったけれど、「赤肉」と「黒肉」の両方があって(ロースとそうでないものかな?)、けっこうおいしかったです。これで、この冬は風邪を引かないかな?インフルエンザワクチンより効果があるかも・・・(^^♪
2007年12月14日
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12月8日(土)、中央区年金者組合・写真クラブの例会がありました。会員の撮った写真を出し合いました。テーマは「秋」。今回は、リッチにカナダ旅行をしてきた人の写真も並びました。例によって、お互いの写真の批評をしあったり、「ここをカットしたら構図がよくなるのでは」と指摘したりしました。そのうちに、先生がやってきて、いろいろアドバイスしていただきました。
2007年12月12日
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神戸・サンパルの歳末セールガラポンに当ったよ!!写真クラブの例会の後、三宮勤労会館北側のサンパル地下で食事をした。歳末セールのガラポンの抽選券をもらった。すぐにガラポンをやったら、緑色の玉が出てきた。「おめでとう、三等です」と500円の商品券2枚をもらった。「ちょっと得した!!」
2007年12月10日
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鞆の浦ですが、「渋滞解消」という理由で、鞆の浦の港を横断する橋を建設する計画があります。常夜灯の沖に橋が架かり、自動車が走ることになります。「鞆の浦の文化遺産を保存しよう」ホームページ橋が架かった時のイメージを私が撮った写真に入れてみました。【常夜灯の位置から見たイメージ】架橋 常夜灯 posted by (C)きんちゃん【鞆港から見たイメージ】架橋 常夜灯2 posted by (C)きんちゃん【架橋の架かる位置から見たイメージ】架橋 鞆港横断2 posted by (C)きんちゃん架橋 鞆港横断1 posted by (C)きんちゃん【医王寺からの朝日のイメージ】架橋 鞆港横断3 posted by (C)きんちゃん
2007年12月09日
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鞆の浦の古寺めぐり最後は、善行寺と小烏神社【善行寺】鞆の浦 古寺めぐり 善光寺 posted by (C)きんちゃん護法山善行寺。浄土真宗本願寺派のお寺です。寺院調査の中で、表装の裏面に「天□□年甲午(中略)山田村寺迫」の墨書が発見され、この年号が天文3年(1534)と推定され、寺伝を立証することができたそうです。立派な本堂ですね。鞆の浦 古寺めぐり 善光寺2 posted by (C)きんちゃん【小烏神社】小烏神社_01 posted by (C)きんちゃん【小烏神社】祭神は小烏大神と天目一箇神といい、鞆鍛治の氏神です。奈良時代から船具加工が始まり、南北朝・室町時代には多くの刀鍛治がいました。伝統あるふいご祭(鉄鋼祭)は、12月第1週の土・日曜日に行われます。【小烏の森古戦場】1349(正平4)年、足利尊氏の弟直義の養子直冬は、中国探題として鞆の浦大可島城にいましたが、反逆を疑われ尊氏の中央軍とここ小烏の森で戦いました。しかし、直冬軍は敗れて九州へ逃亡しました。小烏神社_02 posted by (C)きんちゃんここまでで、古寺めぐりは終わりです。鞆港近くの小さい祠に、力石が祀ってありました。【力石】力石_02 posted by (C)きんちゃん力石_02 posted by (C)きんちゃん【鞆の津の力石(ちからいし)】 江戸時代、船積み荷物の陸揚げ、積み込みに従事する仲仕(なかし)たちが、祭礼の場などでこの力石を持ち上げて、その力と技を競ったものです。 花崗岩製で、重さ140kg~200kg(37~54貫目)あります。 鞆港のそばの祠に3個、沼名前神社に20個あります。【万葉の歌碑】対潮楼の下に、歌碑はありました。万葉歌碑 posted by (C)きんちゃんむろの木歌碑吾妹子之見師(わぎもこがみし) 鞆浦之天木香樹者(とものうらのむろのきは)常代有有跡見之人曽奈吉(とこよにあれどみしひとぞなき)鞆の浦は瀬戸内海交通の中心の港でした。万葉の時代は遣唐使、顕新羅使などが立ち寄り、いくつもの歌がよまれています。万葉秀歌といわれるこの歌は、730(天平2)年大伴旅人(おおとものたびと)が大宰府の役人の任期を終えて鞆の浦に寄った時の歌です。727(神亀4)年か728(神亀5)年に任地に向かう時、妻の大伴郎女(おおとものいらつめ)と神木のむろの木に海路の安全などを祈ったと考えられます。728(神亀5)年大宰府で最愛の妻を失った旅人の嘆きが伝わってきます。説明文が無いと、何の碑かまったく判りません。時の流れを感じますね。この後、ブログ中に書いたように、民族資料館に行ったり、夕日を撮ったりしました。そして、いよいよ鞆の浦ともお別れです。鞆港の夕日_03 posted by (C)きんちゃん鞆港の夕日 釣竿 posted by (C)きんちゃんバスセンターでお土産を買って、バスで福山駅まで行き。新幹線で神戸まで帰って来ました。
2007年12月08日
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鞆の浦の古寺めぐりは、終わりに近づきました。【正法禅寺】鞆の浦 古寺めぐり 正法禅寺 posted by (C)きんちゃん大雄山正法禅寺、臨済宗のお寺。本堂は、少し大きい(りっぱな)造りです。鞆の浦 古寺めぐり 正法禅寺2 posted by (C)きんちゃん鞆の浦 古寺めぐり 正法禅寺3 posted by (C)きんちゃん本堂脇に、水琴窟があります。【安国寺】鞆の浦 古寺めぐり 安国寺 posted by (C)きんちゃん道の突き当たりにあります。鞆の浦 古寺めぐり 安国寺2 posted by (C)きんちゃんここは参拝料が必要です。そのかわり、ご本尊を拝ませていただけます。瑞雲山安国寺、臨済宗のお寺。鎌倉時代の優れた建物と仏像が、安国寺の長い歴史の重みを物語っています。鞆の浦 古寺めぐり 安国寺釈迦堂 posted by (C)きんちゃん【釈迦堂】鎌倉時代、文永十年(1273)に金宝寺の仏殿として建立されたと思われる。その翌年、この仏殿に阿弥陀三尊像(重文)が安置されました。鞆の浦 古寺めぐり 安国寺庭園 posted by (C)きんちゃん【安国寺庭園】 この庭園は枯山水式庭園で、白砂や岩石で滝や流水を表し、室町末期の作庭と推定されます。三途の川には石橋がかかり、蓬莱山には岩石で仏様を表し、蓬莱式庭園ともいいます。中央部の鶴島にはソテツを配し、亀島には松を植え、鶴亀式庭園ともいいます。鶴亀式庭園は戦国時代に流行し、武将は自分たちや主家の繁栄を願い、作庭しました。そして、石橋の矢穴や長さ高さが桃山期の手法で1599(慶長4)年安国寺恵瓊(えけい)が改造したといわれています。でも、実際見た時は、かなり荒れ果てた庭でしたよ。鞆の浦 古寺めぐり 安国寺本堂跡 posted by (C)きんちゃん【安国寺本堂跡】 ここに建っていた本堂は徳川時代、寛文年間の建設であったと伝わっています。広く回廊になり、庭園を眺められる・本堂は近在になきすばらしい本堂であったといわれます。 明治・大正のころは、無檀家のお寺になり、荒廃していた。そのおり、大正9年11月30日、雨宿りの浮浪者による失火で、焼けてしまいました。残念な事です。
2007年12月07日
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鞆の浦の古寺めぐりは続きます。沼名前神社の手前、寄り損ねていた、左手にあるお寺によって行きます。【小松寺】鞆の浦 古寺めぐり 小松寺 posted by (C)きんちゃん萬年山小松寺、臨済宗のお寺。境内には、琉球使節の扁額「琉球司楽向生碑」が掲げられている。鞆の浦 古寺めぐり 小松寺2 posted by (C)きんちゃん【ぼけふうじ】鞆の浦 古寺めぐり26 posted by (C)きんちゃん 本堂前に祀る有髪薬師地蔵尊は、非常に珍しい石仏で古来霊験顕著として遠近より参拝者が多い。 ”おかげさま”というボケ封じのご利益があるとか・・・。沼名前神社に別れを告げて、さらに北への道を進みます。【本願寺】鞆の浦 古寺めぐり 本願寺 posted by (C)きんちゃん興楽山本願寺、瀬戸内の時宗の拠点であったといわれています。この寺も質素な造りです。お地蔵さんが脇に立っていました。鞆の浦 古寺めぐり 本願寺2 posted by (C)きんちゃん白壁のきれいな通りです。鞆の浦 古寺めぐり29 posted by (C)きんちゃん鞆の浦 古寺めぐり30 posted by (C)きんちゃん白壁の角を曲がると、慈徳禅寺です。【慈徳禅寺】鞆の浦 古寺めぐり 慈徳禅寺 posted by (C)きんちゃん大悲山慈徳禅院、臨済宗のお寺。境内には、薬師堂があり、宗派を問わない信者がいると言います。鞆の浦 古寺めぐり 慈徳禅寺2 posted by (C)きんちゃん鞆の浦の古寺めぐりもあとすこし・・・。
2007年12月06日
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鞆の浦の古寺めぐり さらに続きますささやき橋の角を曲がっての2つ目のお寺です。【顕政寺】鞆の浦 古寺めぐり 顕政寺 posted by (C)きんちゃん壽福山顕政寺、日蓮宗のお寺。質素な造りである。ガラスの模様が、日本的でない感じ。境内に、別のお堂があります。鞆の浦 古寺めぐり 顕政寺2 posted by (C)きんちゃん大きい道にでると、山手に鳥居が見えます。沼名前神社です。「ぬまくまじんじゃ」と読みます。【沼名前神社】鞆の浦 古寺めぐり 沼名前神社 posted by (C)きんちゃん鞆の祇園さんそもいわれる沼名前神社。大綿津見命(おおわたつみのみこと)と、須佐之男命(すさのおのみこと)が祀られています。鳥居は、珍しい形の石鳥居です。上部の笠木の先端が丸みを帯びてそり上がり、鳥が止まっているように見えます。”鳥衾(とりぶすま)”と呼ぶそうです。と言っても、言われないと気付かないと思います・・・。鞆の浦 古寺めぐり 沼名前神社2 posted by (C)きんちゃん本殿の手前にある門は、”随神門”と言います。お寺の仁王門にあたるものでしょう。鞆の浦 古寺めぐり 沼名前神社3 posted by (C)きんちゃん鞆の浦 古寺めぐり 沼名前神社4 posted by (C)きんちゃん【拝殿の右に祀られている神社】左から八幡神社・竈(かまど)神社・松尾神社・厳島神社他に、渡守神社・護国神社等があります。沼名前神社にお参りすると全国の主なお宮さんにもお参りできるってことです。お寺でも、「西国三十三ヶ所めぐり」などがあるところがけっこうありますね。鞆の浦 古寺めぐり 能舞台 posted by (C)きんちゃん【能舞台】豊臣秀吉が配下の将兵の長期の戦場での慰安用に造られたもので、簡単に分解して移動できました。伏見城に置かれてましたが、二代将軍徳川秀忠が伏見城取り壊しの時、現在福山城にある伏見櫓とともに水野勝成に譲り渡しました。その後万治年間(1650年代)に三代水野勝貞は、鞆の津祇園社(現沼名前神社)に寄進しました。そして、こけら板で葺き、楽屋、鏡の間、橋掛りを常設し、固定舞台となってます。この舞台の前に、能舞台を観覧する建物が建っています。鞆の浦 古寺めぐり 森下仁丹 posted by (C)きんちゃん沼名前神社から降りてきて、ふと見ると森下翁の銅像が・・・。後で調べると、森下仁丹の創業者でした。出身が鞆の浦だったそうです。
2007年12月05日
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鞆の浦 古寺めぐりの続きです【山中鹿之助首塚】鞆の浦 古寺めぐり 山中鹿之助首塚 posted by (C)きんちゃん戦国時代の終わり、毛利に滅ぼされた尼子(あまご)氏の家臣山中鹿之助は、主家の再興を願い兵を挙げました。1578(天正6)年岡山県の高梁川阿井の渡しで討たれ、毛利輝元や足利義昭に首実検をされました。岡山県の阿井の渡しには胴塚があります。【ささやき橋】【ささやき橋の伝説】応神天皇のころ、百済よりの使節の接待役・武内臣和多利と官妓(かんぎ)・江の浦は、役目を忘れ夜毎この橋で恋を語り合っていました。それが噂になり二人は海に沈められました。それから、秘語(ささやき)の橋と語り継がれています。鞆の浦 古寺めぐり ささやき橋 posted by (C)きんちゃん鞆の浦 古寺めぐり ささやき橋2 posted by (C)きんちゃんこの「ささやき橋」のあたりの道は、鍵曲(かいまがり)になっています。本当の鍵曲は道の両側に塀があるのですが、ここは片側だけです。以前は、両側に塀があったのかもしれません【静観禅寺】鞆の浦 古寺めぐり 静観禅寺 posted by (C)きんちゃん鞆の浦 古寺めぐり 静観禅寺2 posted by (C)きんちゃん正覚山静観寺、臨済宗のお寺。質素な造りです。春には桜が咲きます。ささやき橋の手前にあります。【妙蓮寺】鞆の浦 古寺めぐり 妙蓮寺 posted by (C)きんちゃん鞆の浦 古寺めぐり 妙蓮寺2 posted by (C)きんちゃん法昌山妙蓮寺、日蓮宗のお寺です。山門の脇には鐘楼があります。本堂の前にある、お墓の山はなんだろう?ささやき橋の角を曲がったところにあるお寺です。
2007年12月04日
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鞆の浦 寺町地域のお寺めぐりです午前中は、いろは丸展示館、太田家住宅(保命酒を作っていた)、淀姫神社、焚場跡、波止などを見て周り、午後からとなりました。【阿弥陀寺】鞆の浦 古寺めぐり 阿弥陀寺 posted by (C)きんちゃん鞆の浦 古寺めぐりの最初のお寺。心光山阿弥陀寺、浄土宗のお寺です。本堂の大きな造りのとおり、中にも大きな大仏(高さ4m)があるそうです。阿弥陀寺の前の道から、南禅坊を眺める。鞆の浦 古寺めぐり 阿弥陀寺2 posted by (C)きんちゃん【南禅坊】鞆の浦 古寺めぐり 南禅坊 posted by (C)きんちゃん海龍山南禅坊、浄土真宗本願寺派のお寺です。山門に鐘楼があり、意匠的にもすぐれています。尾道でも、同じようなお寺を見た覚えがあります・・・。南禅坊本堂鞆の浦 古寺めぐり 南禅坊2 posted by (C)きんちゃん【法宣寺】鞆の浦 古寺めぐり 法宣寺 posted by (C)きんちゃん大覚山法宣寺、日蓮宗のお寺。 大覚山速心院法宣寺は、1358(延文3)年日蓮宗の高僧の大覚大僧正が、ここに法華堂を建立し布教したことに始まると伝えられています。鎌倉時代の法華教は、南北朝時代になって鞆の浦に伝わり、中国地方に布教する拠点となったそうです。【法宣寺の天蓋の松】鞆の浦 古寺めぐり 法宣寺の松 posted by (C)きんちゃん境内一面に枝葉を広げる黒松は「天蓋の松」と呼ばれ国の天然記念物に指定されています。幹回り3.2m・高さ5.5m・枝張り東西19.3m・南北34.0mで枝葉の広がった総面積は約600平方メートルです。まだ生きて、葉を広げていた頃を想像するとすごいですね。法宣寺の本堂かなり立派な本堂ですね。鞆の浦 古寺めぐり 法宣寺2 posted by (C)きんちゃん
2007年12月03日
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鞆の浦に泊まった翌朝、早起きして医王寺に行きました。鞆港に登る朝日を見るためです。山の中腹にあるだけに、チョット息切れしました。【医王寺】医王寺_01 posted by (C)きんちゃん医王寺_02 posted by (C)きんちゃん桃林山慈眼院医王寺は、平安時代の弘法大師の開基と伝えられる真言宗の寺院です。本尊は木造薬師如来像で県の重要文化財に指定されています。慶長年間(1600年頃)福島正則が藩主となり、鞆城代大崎玄蕃がこれを再興しました。現存する鐘楼は1642(寛永20)年福山藩主水野勝成の建立、本堂は1685(貞享2)年四代水野勝種の再興したものと伝えられています。ここから15分ばかり登ったところになる太子殿からの展望はすばらしいものです。1826年オランダの医師のシーボルトはツツジや松の観察のために小路を登りました。鞆港の朝日_02 posted by (C)きんちゃんきれいな朝日でしょう!!医王寺_03 posted by (C)きんちゃん医王寺_04 posted by (C)きんちゃんここから登った所に、聖徳太子を祭っている太子殿があるっていうので行ってみることにしました。太子堂_02 上り坂 posted by (C)きんちゃんところが、登り出すとすごい坂道。いくらたってもたどりつきません。ブロックで階段がつくってあるのですが、ブロックの間に入れられた盛り土が雨で流されて、ブロックがむき出しに・・・。非常に歩きにくい・・・。やっとの思いで太子殿に到着です。太子堂_01 posted by (C)きんちゃん【聖徳太子のご詠歌】父のさと立ち出て、来る母の里。またたち帰る父のふるさと。太子殿から下りてきて、今度は、明圓寺というお寺によって見ました。明園寺_01 posted by (C)きんちゃん明園寺_02 posted by (C)きんちゃん【松江山明圓寺】真宗大谷派のお寺。写真を撮っていたら、「ここは京都に大きなお寺があるのよ」と言っておられました。東本願寺のことですね。大きなソテツがありました。ホテルへの帰りに、もう一ヶ所、地蔵院に寄りました。地蔵院_01 posted by (C)きんちゃん【鶴林山地蔵院】真言宗のお寺。「中国地蔵尊霊場第8番」の札所になっています。脇室の十一面観音は、鞆の浦古寺めぐりの本尊になっているそうです。本堂は、真新しい建物でした。地蔵院_02 posted by (C)きんちゃん朝食前の、お寺めぐりでした。本格的な古寺めぐりは、その日の昼食後になります。
2007年12月02日
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日本丸・海洋丸の神戸港寄港で中断していた、鞆の浦紀行を再開します鞆の浦には、多くのお寺があります。まず最初は、だれもが立ち寄る対潮楼です。対潮楼_01 posted by (C)きんちゃん福禅寺対潮楼 海岸山千手院福禅寺は、平安時代の天暦年間(950年頃)の創建と伝えられる真言宗の寺院です。本堂やそれに隣接する対潮楼(たいちょうろう)は、江戸時代の元禄年間(1690年代)に建立されました。客殿からの海の眺めはすばらしく、特に正徳元年(1711年)朝鮮通信使は、この景観を「日東第一形勝」と賞賛し、従事官李邦彦(イバンオン)はその書を残しました。また延享5年(1748年)には正使洪啓禧(ホンケヒ)は客殿を「対潮楼」と命名し、洪景海(ホンキョンヘ)がその書を残しています。ここが文化交流の場になっていました。弁天島(対潮楼から)_02 posted by (C)きんちゃん対潮楼_02 posted by (C)きんちゃん私が行った時は、雅楽の演奏サービスがありました(土・日曜日限定)。対潮楼_見ざる言わざる聞かざる posted by (C)きんちゃん「見ざる、言わざる、聞かざる」がありました。円福寺 対潮楼を探して、間違えて反対側の山に登った時にお参りしました。円福寺_01 posted by (C)きんちゃん円福寺 大可島城跡にある真言宗のお寺。元々は、沼名前神社の南側にあったという。円福寺_02 posted by (C)きんちゃん芭蕉の句碑「疑うな うし保のはなも 浦の春」「くだけちる波の花をみると、この浦までも新春のめでたさがある。この自然をつくられた神徳を疑うな」 1777(安永6)年に建てた石碑を再建したものです。碑文は備後の俳諧の指導者鼎左の筆です。この碑文の前文に「二見の図を拝みて」とあり、1689(元禄2)年伊勢の絵をみてよんだ画賛です。なお、円福寺の夾明楼(きょうめいろう)は頼山陽の叔父頼杏坪(らいきょうへい)が美しい景色に感嘆して命名したものです。円福寺 芭蕉の碑 posted by (C)きんちゃん大可島城(たいがしましろ)跡 1342(康永元)年四国伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力をもつ北朝足利方が燧灘(ひうちなだ)で合戦となり大可島城にこもる南朝方は全滅しました。その後、戦国時代の村上水軍の一族が大可島城を拠点に、海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権をにぎっていました。慶長年間(1600年頃)鞆城を築いた時、陸続きとなり、現在ある南林山釈迦院円福寺は、真言宗でこの年代に建てられました。淀姫神社淀姫神社_01 posted by (C)きんちゃん 鞆港の淀姫神社の波止を見に行くためにやってきました。【淀姫神社】 明神山に淀姫神社は鎮座している。神功皇后の妹と伝えられる淀姫を祭神として、古来、平らの産土神(うぶすながみ)として祭られてきた。現在の社殿は、大正2年の造営で、拝殿の前には神輿の飾り場がある。 旧暦7月7日(現在は8月第1土曜日)は、俗に「だんご祭り」と呼ばれる淀姫神社の祭りで賑わい、「平らの投げ神輿」として有名である。淀姫神社_02 posted by (C)きんちゃん 淀姫神社の上からも、周りに回り込んで探しても、波止を見れることはできませんでした。 海からでないと、見ることができないようです。
2007年12月01日
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