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京都府向日市をアピールする広告「向日」と書いて「むこう」と読みます。「日向」なら「ひゅうが」ってだれでも読めますが…。「向日」は難しい…。むこうむこう_01 posted by (C)きんちゃん「ふりむけばそこに」…。気になる、好きになる。むこうむこう_02 posted by (C)きんちゃんいつもの公園には、はるかむかしの、都が眠っていました。むこうむこう_03 posted by (C)きんちゃん大極殿公園いにしえの都、長岡京。ここにはかつて、政治を司った長岡京大極殿がありました。現在は記念碑が立ち、憩いの場として多くの市民に愛されています。むこう 向日市_01 posted by (C)きんちゃんこの広告の一つ前の広告。むこう 向日市_02 posted by (C)きんちゃん今から1200年以上も昔、古都 長岡京の中心地として政治・経済・文化が集った向日市の魅力を余すことなく伝えたい。合言葉は「むこう、むこう。」一人でも多くの人が振り向いてくれることを願って。これから向日市はさらなるまちづくり、情報発信を進めていきます。向日市って歴史ある町なんですね。
2016年01月31日
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Windows10にアップグレード後に注意する事、再設定が必要な事をまとめましたまず、一番先に設定しなければならないのは「システムの保護」。Windows10にアップグレード後には、システムの復元が無効にされているのです。PC(Windows7ではコンピュータ)を右クリックでプロパティをクリック。システムドライブ(C:)を選んで、「構成」をクリック。「システムの保護を有効にする」にチェックを入れて、最大使用量を10%ぐらいに設定。「OK」をクリックします。次にするのが既定のプログラムの設定。Windows10で新たに導入されたアプリが既定のプログラムとして設定されてしまっています。Windows7やWindows8.1で使っていた、インターネットを見たり、画像を見たり、音楽や動画を視聴したり、PDFファイルを開いたりしていたプログラムがWindows10のアプリに勝手に変えられてしまっています。まったく迷惑な話し。インターネットの場合はChromeを既定のプログラムとして再設定。画像の場合は、Windowsフォトビュアーに再設定。同様に、音楽や動画ファイルの再生を、Windowsメディアプレーヤーに再設定。PDFファイルも、Adobe Readerに再設定。次に自動再生の再設定Windows10にアップグレードされた時は、自動再生がリセットされています。改めて設定する必要があります。最後にWindows Update。Windows8.1までは、すべてのプログラムの中にWindows Updateがありました。しかし、Windows10からは無くなっています。PCを開いて「設定」の画面からアクセスします。「更新とセキュリティ」をクリック「更新プログラムのチェック」をクリック更新プログラムがダウンロード、インストールされていきます。更新プログラムのインストール後は、「いますぐ再起動」する事が望ましいですが、忘れた場合のために自動的に再起動されるようになっています。その他にも、使い勝手が変わる事、Windows7に先祖帰りしたことなどがあります。
2016年01月30日
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遅まきながら、Windows10にアップグレードしてみたインストールしたのは、NECノートPC Lavie PC-LL750JS1YRWindows10のダウンロード01 posted by (C)きんちゃんWindows10を直接ダウンロードするページにアクセス。Windows10のダウンロード02 posted by (C)きんちゃんツールをダウンロードします。Windows10のダウンロード03 posted by (C)きんちゃん元のOSがホームエディションの場合は、Windows10もホームエディション。プロフェッショナルの場合は、Windows10もプロフェッショナルにアップグレードされる。Windows10のダウンロード04 posted by (C)きんちゃんダウンロードしたツールを起動。「このPCを今すぐアップグレードする」にチェックを入れて、「次へ」をクリック。Windows10アップデート_01 posted by (C)きんちゃんWindows10をダウンロードしています。Windows10アップデート_02 posted by (C)きんちゃんインストールのための実行メディアを作成中Windows10アップデート_03 posted by (C)きんちゃんWindows10アップデート_04 posted by (C)きんちゃんPCをチェックしていますWindows10アップデート_05 posted by (C)きんちゃん準備をしていますWindows10アップデート_06 posted by (C)きんちゃんライセンス条項の確認Windows10アップデート_07 posted by (C)きんちゃん更新プログラムをダウンロードWindows10アップデート_08 posted by (C)きんちゃんインストールに必要な作業を確認していますWindows10アップデート_09 posted by (C)きんちゃんPCに十分な容量があるかどうかを確かめていますWindows10アップデート_10 posted by (C)きんちゃんインストールする準備ができました・Windows10Homeをインストール・個人用ファイルとアプリを引き継ぐWindows10アップデート_11 posted by (C)きんちゃんいよいよ、Windows10をインストールしていますWindows10アップデート_12 posted by (C)きんちゃんまもなくPCが再起動しますWindows10アップデート_13 posted by (C)きんちゃんWindows10アップデート_14 posted by (C)きんちゃんファイルをコピーしています。元のOSに戻せるように、Windows.oldにコピー。Windows10アップデート_15 posted by (C)きんちゃんWindows10アップデート_16 posted by (C)きんちゃん機能とドライバーをインストールしていますWindows10アップデート_17 posted by (C)きんちゃん設定を構成していますWindows10アップデート_18 posted by (C)きんちゃんWindows10アップデート_19 posted by (C)きんちゃんWindows10にようこそ。Windows8.1Updateの時のアカウントでログインWindows10アップデート_20 posted by (C)きんちゃん通常は「簡単設定」でOKWindows10アップデート_21 posted by (C)きんちゃん日本語版コルタナが使えるようになりましたWindows10アップデート_22 posted by (C)きんちゃんWindows10用の新しいアプリWindows10アップデート_23 posted by (C)きんちゃんログインしますWindows10アップデート_24 posted by (C)きんちゃんすべてびファイルはそのまま元の場所にありますWindows10アップデート_25 posted by (C)きんちゃん新しい機能が追加されましたWindows10アップデート_26 posted by (C)きんちゃんWindowsの機能向上のために調整を行いまいました。Windows10起動後_01 posted by (C)きんちゃんやっとデスクトップが表示されました。Windows10のダウンロード開始から、インストール、移行、起動まで約2時間。コルタナ(Cortana)が追加されました。検索窓。音声認識にも対応。Windows10起動後_02 posted by (C)きんちゃん検索窓が、タスクバーの場所をとるので、アイコンだけにしておきます。Windows10起動後_03 posted by (C)きんちゃんアイコンだけになった、コルタナWindows8.1とは使い勝手は変わります。慣れていくしかありません。
2016年01月29日
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スターウォーズ フォースの覚醒(エピソード7)を観てきました! 【1月23日】スターウォーズ エピソード7 posted by (C)きんちゃん今回のジュダイは、レイという廃物回収業の女性。レジスタンスの一人が、ダークサイドの兵隊として潜入。スリリングな展開を見せます。ロボットも型が新しくなっていて、BB-8というコロコロ転がるタイプ。闘いの中で、レイもジュダイとして覚醒。かつてのR2-D2は眠っているが覚醒する。BB-8とのコラボで地図が完成。宇宙船も、光速を超える飛行ができるようになってる。続編が面白そうですね。博物館に来てね_01 posted by (C)きんちゃん博物館や美術館の宣伝にも興味があります。博物館に来てね_02 posted by (C)きんちゃん神戸市立博物館で、須磨の歴史と文化展。2月6日~3月21日。博物館に来てね_03 posted by (C)きんちゃん六甲アイランドの神戸ゆかりの美術館で、猫まみれ展。1月22日~3月27日。JRとポートライナー_02 posted by (C)きんちゃん映画を待っている間、JRとポートライナーのコラボを撮りました。JRとポートライナー_04 posted by (C)きんちゃんJRとポートライナー_03 posted by (C)きんちゃん
2016年01月24日
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ピクセラのビデオキャプチャーボード PIX-DT230-PE0 起動しなくなったStationTVを起動すると。システムリカバリによって録画情報が消去された可能性があります。システムリカバリ前の状態に戻すために録画情報管理ツールで「復元開始」をクリックして下さい。録画情報管理ツールを起動します。「はい」をクリック。「復元開始」をクリック。復元が終了しますが、何度やっても最初の画面に戻ります。仕方なく、ピクセラのサポートに電話相談。ボード本体と、録画フォルダの同期が取れていない状態。復元操作を何度もやっているので、間違った情報がバックアップファイルまで上書きされてしまっている。同じ、録画情報管理ツールで「録画情報削除」をしないとだめだと説明。その場合は、録画データはすべて削除されると。録画データのバックアップを取っておけば、うまく復旧できる場合もあると説明。そこで、録画データが保存されているフォルダの名前を、「STVLERec」から「STVLERecXX」と変更しました。そのもとで、録画情報管理ツールを起動。「録画情報削除」をクリックします。次に、StationTVを起動時に、「ソフトウェア使用許諾書」の確認画面。テレビは視聴できるようになりました。そこで、一旦StationTVを終了。新たに作成された録画フォルダ「STVLERec」を「STVLERecYY」へ変更。先に変更していた録画されたデータのあるフォルダ名を、「STVLERecXX」から「STVLERec」に変更。改めて、録画情報管理ツールを起動。「復元開始」を試みました。しかし、以前の録画データは認識できませんでした。録画フォルダー内には、確かにたくさん録画データはあるのですが…この一覧は、復旧後に録画したものです。ちなみに予約データはそのまま残っていました。上手く復元できた例はあるようですが…【復元の失敗から復元できた例】【録画情報のバックアップファイルを復元する方法 ( StationTV )】【Pixela StationTVで録画番組を復活させる方法】僕の場合はダメでした。残念、あきらめるしかないか。うまくいった例では、拡張子*.tarとか*.ridなどの録画情報管理ファイルを使っているようだ。僕の場合は録画情報管理ファイルが書き換えられているので、録画情報管理ファイルは使えない。録画データ本体のStationTV X録画情報の*.rec.ciや、録画本体の*.recのデータを解析して、録画情報を再構築するってことはできないものか。
2016年01月23日
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洲本から山越えで五色浜 五色温泉 野島断層保存館へ 【1月16日】自動車のパンク修理で、黒岩水仙郷には行き損ねたので…。代わりに五色浜へ。青い海、青い空。雲一つなく素晴らしい眺め。そして、五色温泉・ゆ~ゆ~ファイブに入りました。単純線ですが、色々な種類のお風呂(普通のお風呂、ジャグジー風呂、薬草風呂、露天風呂、水風呂)があって楽しめました。サウナも、ミストサウナ、普通のサウナ、高温サウナがありました。温泉でゆっくりした後は、北淡震災記念公園へ。JAF割引があります。倒壊した阪神高速道路を再現。淡路島地域にどんな断層が走っているかを示した地図がありました。まずは、野島断層保存館内へ。地上に現れた野島断層が、そのままの形で保存されています。二つに分かれる断層地割れとなって現れた断層野島断層が実際にどのように動いたのかを再現した模型です。そして、その断層の一番端は。断面が現れています。野島断層の周辺には過去地震の痕跡が。これは数万年前の液状化の跡。阪神淡路大震災で動いた主断層。野島断層保存館から出ると、神戸(長田)の壁が迎えてくれました。震災を受けた神戸市長田区から移築したものです。そして、断層の上にありながら倒壊しなかったメモリアルハウスに入ります。震災当時の台所を再現。ここの住人は、震災後約4ケ月はここに住んだそうです。部屋の傾きが分かりますか。ものすごい断層の動きです。120cmですよ。その後、震災体験館に。ビデオが上映されていました。3つの震災(阪神淡路大震災/東日本大震災/南海・東南海トラフ地震)を紹介。防災の備えを怠ることのないように。野島断層保存館から出ると、なにやらオブジェが。「べちゃないロック」といいます。「べちゃない」とは「どうってことはない」と言う意味の方言だとか。大河ドラマ「花燃ゆ」ででてきた長州の方言「せわあない」と同じでしょうか。風力発電の風車もありましたが、全然回っていませんでした。夕暮れが迫って来ました。明石大橋に向けて車を走らせます。途中、夕陽がきれいなところで撮影しました。見事な、だるま夕陽になってくれました。どんどん沈んでいく夕陽。太陽が沈んだ後の、静かな海辺。愛車、新型アルトと…パンクのトラブルはありましたが、いろいろ楽しめた一日でした。
2016年01月18日
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淡路島の立川水仙郷に行ってきました 満開です!立川水仙郷 入口 posted by (C)きんちゃん立川水仙郷 紹介 posted by (C)きんちゃん立川水仙郷 posted by (C)きんちゃん水仙郷は満開 posted by (C)きんちゃん早咲き水仙(ガリル)と日本水仙が同じ畑の中で咲いています。ガリル(白色の水仙)が見られるのは、ここ立川水仙郷だけ。一面に咲く水仙_02 posted by (C)きんちゃん一面に水仙が満開です。一面に咲く水仙_03 posted by (C)きんちゃん一面に咲く水仙_04 posted by (C)きんちゃん一面に咲く水仙_06 posted by (C)きんちゃん一面に咲く水仙_08 posted by (C)きんちゃん光を浴びて咲く水仙_01 posted by (C)きんちゃんいいお天気でした。太陽の光を浴びて、元気に咲いていました。一面に咲く水仙_01 posted by (C)きんちゃん光を浴びて咲く水仙_02 posted by (C)きんちゃん光を浴びて咲く水仙_04 posted by (C)きんちゃん光を浴びて咲く水仙_05 posted by (C)きんちゃん光を浴びて咲く水仙_06 posted by (C)きんちゃん水仙の中を散策_01 posted by (C)きんちゃん水仙の中を散策する人たちです。水仙の中を散策_02 posted by (C)きんちゃん青空と水仙 posted by (C)きんちゃん謎のパラダイス 入館券 posted by (C)きんちゃんそして、ここにだけある「ナゾのパラダイス」謎のパラダイス posted by (C)きんちゃんちゃりこの淡路島カレー_03 posted by (C)きんちゃん立川水仙郷の出口のドライブイン。食堂の営業をやめていたので、淡路島モンキーセンターまでやってきました。お食事処・ちゃりこで食事。ちゃりこの淡路島カレー_01 posted by (C)きんちゃん淡路島カレーを食べました。淡路島の玉ねぎとタコのフライ入り。ちゃりこの淡路島カレー_02 posted by (C)きんちゃん大変、美味でした。後輪左のパンク posted by (C)きんちゃんところで、モンキーセンターの駐車場で。「左後輪がパンクしているよ」と言われて気が付きました。走行中に、後ろからガタガタと音がするので、調べてみないと思っていた矢先でした。PHSの電波が届かないところだったので、お食事処・ちゃりこさんの電話をお借りしてJAFに救援を要請しました。タイヤの破損箇所 posted by (C)きんちゃんJAFの方(実際は下請けの黒田モータース)が来られて、このタイヤの傷では修理は無理。タイヤ交換になると。車載車で運搬 posted by (C)きんちゃん車載専用車に乗せて、洲本市街地のタイヤマン金崎本店まで移動。交換したタイヤ_01 posted by (C)きんちゃん新品のタイヤに交換してもらいました。費用は、けん引・運搬が28Km(無料の15kmを13kmオーバー)だったので、その費用(JAF)が9,360円。タイヤ交換の費用(タイヤマン)が8,300円でした。交換したタイヤ_02 posted by (C)きんちゃんモンキーセンターから黒岩水仙郷にも行く予定でしたが、しかたなく予定変更。洲本から山越えして五色町へ。
2016年01月17日
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スラウェシ島に謎の人類? インドネシア 10万年以上前の石器発見国際研究グループインドネシアのスラウェシ島で、10万年以上前につくられた石器が見つかった―。オーストラリアやオランダ、インドネシアなどの国際研究グループが、13日付の科学誌『ネイチャー』電子版に発表しました。スラウェシ島でみつかった石器 (c)Erick Setiabudiスラウェシ島はアルファベットの「k」に似た形をしていて、1万を超える大小の島で構成されるインドネシアで4番目の大きさがあります。研究グループは、2007年から12年にかけて以前石器などが見つかっていたスラウェシ島南西部のワラナエ盆地で発掘調査を行いました。その結果、4カ所で新たな石器を発見しました。これまでの石器はいつごろのものかわかっていませんでしたが、今回の調査で、少なくとも11万8000年前のものであることがわかったといいます。スラウェシ島には約4万年前に描かれたとみられる洞窟壁画が見つかっています。このため、少なくともそのころにはスラウェシ島に現生人類(ホモ・サピエンス)がいたと考えられています。今回の発見は、それよりも前からスラウェシ島には人類がいたことを示しています。人骨などは見つかっていないため、石器をつくったのがどんな人類だったかはわかっていません。現生人類が誕生の地アフリカを出たのは6万年前ごろだったと考えられています。スラウェシ島は、地球が寒冷化して海面が低下したときにもアジア大陸などと陸続きになったことはありません。しかし、スラウェシ島のすぐ南にあって同じような条件のフローレス島では100万年ほど前の石器が見つかったり、身長が1メートル程度のフローレス原人が1万数千年前まで生きていたことがわかっています。研究グループは、スラウェシ島にも非常に古い時代に人類が海を越えて到達し、長い間居住していた可能性があるとみています。「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月14日付掲載僕はセレベス島の名前が印象があるのですが、インドネシア独立後はスラウェシ島が正式な名称。大陸でなくって、島国のインドネシアで、フローレンス原人など、古い時代に海を越えて人類がやってきたことに興味がそそられますね。
2016年01月14日
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HPデスクトップPC HPE380jpにUSB3.0ボードを増設USB3.0が標準になりつつある昨今。これからの周辺機器の増設を考えて、USB3.0ボードを増設することにした。IO・DATAとBuffaloと比べて、Windows10対応を謳っているBuffaloにした。UBS3.0増設ボード_01 posted by (C)きんちゃん型番は、IFC-PCIE4U3S。UBS3.0増設ボード_02 posted by (C)きんちゃんUBS3.0増設ボード_03 posted by (C)きんちゃんPCI-Express×1 空スロット posted by (C)きんちゃんPCI-Express×1の空スロットを確認。増設ボード 挿入_01 posted by (C)きんちゃん増設ボードを挿入します。増設ボード 挿入_02 posted by (C)きんちゃんこんな感じ。電源ケーブル接続_01 posted by (C)きんちゃんパソコン内の電源ケーブルに接続します。電源ケーブル接続_02 posted by (C)きんちゃん増設ボードとしっかし接続。増設ボードの認識_01 posted by (C)きんちゃんパソコンの電源を入れます。Windows7の場合、Windows Updateでドライバーを探しますが、うまくインストールできません。なお、Windows8、Windows8.1以降のOSでは標準ドライバーで動作するそうです。増設ボードの認識_02 posted by (C)きんちゃんWindows Updateからのドライバーインストールをキャンセルします。増設ボードの認識_03 posted by (C)きんちゃんドライバーCD posted by (C)きんちゃんそこで、付属のドライバーCDを取り出します。ドライバーインストール_01 posted by (C)きんちゃんドライバーCDをPCに挿入。ドライバーをインストールしていきます。ドライバーインストール_02 posted by (C)きんちゃんドライバーインストール_03 posted by (C)きんちゃんドライバーインストール_04 posted by (C)きんちゃん日本のメーカーなのに、使用許諾契約はなぜか英語。ドライバーインストール_05 posted by (C)きんちゃんドライバーインストール_06 posted by (C)きんちゃん設定完了です。お疲れさまでした。再起動は必要ありませんでした。ドライバーインストール_07 posted by (C)きんちゃんデバイスマネージャーで確認。Renesas Electronics USB 3.0 Host ControllerRenesas Electronics USB 3.0 Root HubUSB機器の接続_01 posted by (C)きんちゃん実際にUSB3.0の周辺機器を接続。USB機器の接続_02 posted by (C)きんちゃん一番使うのは、これから購入するUSB3.0接続の外付けHDD。そして、今使っているUSB3.0のUSBメモリだ。無事認識してくれて、とりあえずはOKです。転送速度などは、追って調べていきます。
2016年01月12日
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生田診療所の待合室にウォーターサーバー設置生田診療所の給水器_01 posted by (C)きんちゃん看護科からの提案。看護部会の意見交換で「患者さんのアメニティ向上のため」と提案されたそうです。提案は昨年の9月。設置は11月11日。「健康ニュース」2016年1月号に掲載。僕は、1月7日の受診の時に初めて利用しました。生田診療所の給水器_02 posted by (C)きんちゃん生田診療所の給水器_03 posted by (C)きんちゃんレバーを押して水を出すと、ぶくぶくっと泡がでます。「HOTは使用できません」と書いてありますが、実際は使えます。但し、熱すぎるのでご注意を。看護師長さんは、「しっかり使ってください」とアピール。水が古くなると捨てないといけないのでもったいない。夏は熱中症予防にもなります。
2016年01月11日
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風呂本佳苗さんのピアノリサイタル in西宮久しぶりに誘われて、風呂本佳苗さんのピアノリサイタルを聴きに、兵庫県立芸術文化センターへ。芸術文化センターは2005年10月22日にオープン。昨年で10周年です。その中で、コンサートに誘われてやって来ました。風呂本さんが引くピアノです。今年は、「風呂本佳苗ピアノリサイタル~水は謌う~」と題して公演。●東日本大震災チャリティコンサート※入場料による収益を被災地の復興のために寄付いたしますPROGRAMMEドビュッシー:水の反映(「映像」第1集より)スクリャービン:ピアノ・ソナタ第2番「幻想ソナタ」Op.19 嬰ト短調第1楽章 アンダンテ第2楽章 プレストラフマニノブ:エチュード「音の絵」Op.39No.2 イ短調ラヴエル:海原の小舟(「鏡」より)プロッホ:海の詩第1楽章 波第2楽章 聖歌第3楽章 海でINTERVALヴィートリス:波の歌 Op.41No.2メトネル:川の歌 Op.38No.4ショパン:舟歌 Op.60モンポウ:湖(「風景」より)リスト:エスデ荘の噴水(「巡礼の年第3年」より)「水は謌う」と題したからには、水に関した曲を期待しました。風呂本さん本人が、水色のドレスで出演。ドビッシーで水といえば、交響曲「海」ですが、ピアノにはむいていませんでした。おなじく水で思い浮かんだのが、ヘンデルの組曲「水上の音楽」。いずれもピアノ向きではありませんでしたね…。プログラム解説クロード・ドビュッシー(1862-1918):水の反映(「映像」第1集より)3曲から成るピアノ独奏曲集『映像』第1集(1905)の第1曲。ドビュッシーは先立って完成されたピアノ独奏曲集『版画』によって印象主義的な書法を確立し、この『映像』によってさらなる独創的境地を得た。「水の反映」は澄んだ水面に映る光と影の姿を見事にとらえた傑作である。同時代の後輩の作曲家であるラヴェルの名作『水の戯れ』に影響を受けた曲と言われている。アレクサンドル・スクリャービン(スクリアビン)(1872-1915):ピアノ・ソナタ第2番「幻想ソナタ」Op.19嬰ト短調ピアニストとしても活躍したスクリャービンは、多数のピアノ作品とともに10曲のピアノ・ソナタを残している。第2番は1897年の作品だが、構想を始めたのは1892年で、完成に長い年月を要した。スクリャービン初期の、後期ロマン派の伝統的な調性音楽にとどまる作風に連なるものだが、ピアノ曲を作曲する上での書法、語法の面でも、先立つピアノソナタ第1番作品6(1893)に比べて多くの面で発展が見られる。第1楽章はゆったりと抒情的な主題によるソナタ形式で、対照的な第2楽章はロンド・ソナタ形式を持つ無窮動。スクリャービン自身の言葉によると、第1楽章は「海の力。最初の部分は南国の海辺の夜の静けさを表わしている。展開部は深い海の暗い動揺だ。ホ長調の部分は、宵闇の後に現れる、愛撫するような月の光を表わしている」、また第2楽章は「嵐に波立つ海の広大な広がり」とある。セルゲイ・ラフマ=ノフ(1873-1943):エチュード「音の絵」Op.39-2絵画的練習曲《音の絵》op.39は、1916年から1917年にかけて作曲された9曲から成り、革命にともないラフマニノフが亡命する前、ロシア国内で作曲した最後の楽曲になる。標題は存在しないものの、1930年にレスピーギがオーケストレーションを試みようとしたとき、作曲者本人が第2曲は「海とカモメ」であると語っている。三連符の波をぬって、カモメが遠く近く啼き交わすように旋律が聞こえてくる。憂鬱で茫漠とした空と海のイメージが拡がる。モーリス・ラヴェル(1875-1937):海原の小舟(「鏡」より)5曲から成る組曲『鏡』(1904-1905)はラヴエルの代表的なピアノ作品で、各曲はそれぞれ、ラヴエルが属していた芸術家グループ《アパッシエ》の5人のメンバーに捧げられている。ラヴェルは若手芸術家の登竜門とされるローマ賞に何度も応募していたが、彼の革新的な作風がついに審査員に受け入れられなかったのに対し、《アパッシェ》が抗議を表明し、ラヴエルを支持したことへ感謝の意を表したものである。第3曲目の「海原の小舟」は画家のポール・ソルドに献呈された。これに先立つ1901年に印象主義的作風の傑作「水の戯れ」が書かれているが、「海原の小舟」でもその手法が生かされている。冒頭から奏でられる変拍子のおおらかなモチーフとさざ波のようなアルペジオが、大洋の波のうねりとその上をたゆたう舟を思わせ、その進む先に広がりと深さ、激しさが増していく様子が描写される。エルネスト・プロッホ(1880-1959):「海の詩」ユダヤ人の作曲家プロッホはスイスに生まれ、ヨーロッパで活躍、後年はアメリ力合衆国へ渡り、アメリカの現代音楽作曲家に大きく影響を与えた。新ロマン主義の伝統を受け継ぎながら、ユダヤの文化や宗教の精神を反映した独特の作風を持つ。三曲から成る「海の詩」(1922)は、プロッホが1920年の夏にカナダのガスペ半島の先端で海を間近に見ながら過ごした折に書き始められたアイディアが結実したもの。後に、原稿にはアメリカの詩人ウォルト・ホイットマンの詩集「草の葉」に収められた「海に浮かぶ客船の中で」の詩の一部が添えられた。標題どおりのわかりやすい音楽だが、ユダヤ音楽の旋法が随所で使用され特徴的な響きを持っている。プロッホ自身の手によって同時期にオーケストラ用にも編曲された。ヤーセプス・ヴィートリス(1863-1948):「波の歌」(「月の光の下で・2つの小品」Op.41より)ドイツ式にヨーゼフ・ヴィートル(Joseph Wihtol)とも綴られるヤーセプス・ヴィートリスは、ロマン派的民族主義を唱道したラトヴィア出身のロシアの作曲家でピアニスト、また優れた教育者であり音楽評論家でもあった。ロシアで音楽教育を受けたが、1918年の祖国のソヴィエト・ロシアからの独立を機にラトヴィアに戻った。ラトヴィアの民謡の旋律をそのまま取り入れた作品が多く、歌曲や合唱曲、民謡の編曲などは彩しい数にのぼる。20世紀の作曲家としては保守的だが、しっかりと構築された、劇的で華やかな作風は印象的。「波の歌」ははるか彼方から聞えてくる波の音が、次第に勢いを増し、激しく情熱的な奔流となっていく。ニコライ・メトネル(1880-1951):川の歌(「忘れられた調べ」第1集Op.38-4)メトネルはラフマニノフやスクリャービンと同時代に活躍したロシアのピアニスト・作曲家である。20世紀前半のモダニズム全盛の時代に、伝統的な後期ロマン派の美学を貫き、そのため当時は顧みられることが少なかったが、近年再評価が進んでいる。「忘れられた調べ」は、メトネルがノートに書き溜めた楽想から、特に何度も思い出して忘れられないものを用いて書いた作品38-40の3つの組曲集である。1917年にロシア革命が起こり、1921年にベルリンに亡命するまでの、1918年-1920年の間に作曲家された。第1集は、「回想ソナタ」を筆頭に、その中で最初に提示される「回想のモティーフ」の循環によって統一される8曲から成る。第4曲にあたる「川の歌」は和音による短い序奏で始まる。川の深みをたたえた活々とした流れ、浅瀬で日射しを受けて輝くさま、激流となってほとばしる所などが次々連想させられる。フレデリック・ショパン(1810-1849):舟歌Op.60「舟歌(バルカロール)」はヴエネツィアのゴンドラ漕ぎの歌に由来するといわれる。一般的に8分の6拍子で、波にたゆたう舟の動きを表すような特徴的な音型の伴奏を用いるもので、多くの作曲家が声楽曲や器楽曲に書いている。ピアノ曲としては、ショパンのほか、メンデルスゾーンやフォーレのものが殊によく知られる。ショパンの「舟歌」(1846)は、晩年の傑作の一つで、緻密な構成と陰影に富んだ美しさを持つ。「舟歌」の体裁をとってはいるものの、船頭の陽気さや素朴さとは対極にある内省的な作品である。フェデリコ・モンポウ(1893-1987):湖(「風景」より)スペイン・バルセロナ生まれのモンポウは長年フランスで研鎖を積み、ドビュッシーやサティの近代音楽に影響を受けた。内省的で繊細な小品で知られる。1941年、ナチスによるパリ占領を避けて故郷に戻ったあと作曲された《風景》は全3曲からなるが、第2曲の「湖」(1947)はバルセロナのモンジュイックの丘にある池の印象だという。静けさの中に浮き上がるように響く旋律は遠くの鐘の音だろうか。モンポウの祖父は鐘の鋳造所を持っていて、そのためか彼の作品には「鐘」のモチーフが含まれるものが多い。中間部、カエルが跳ねた跡が水面に波紋を起こして拡がる。静説さが効果的に表現された佳品。フランツ・リスト(1811-1886):「エステ荘の噴水」(「巡礼の年第3年」より)リストが旅先で見聞きした風景や、文学・美術などから受けた感動や印象を表現した《巡礼の年》と題する曲集は全部で4巻あるが、《第3年》のみ、前の3巻から創作年代が隔たっている。《第3年》の曲の多くは、晩年に近い1877年の夏から秋、ローマ近郊ティボリにあるエステ家の別荘に滞在した折にその庭園をモチーフに作曲された。現在ユネスコの世界遺産に登録されているエステ荘は、イタリア一美しいと称えられる噴水庭園で名を馳せる。「エステ荘の噴水」は、壮麗に吹き上げる噴水の水の動態を巧緻に表現した作品で、印象主義的手法の先駆けとして、後のラヴエル(《水の戯れ Jeux d’eau》(1901))、ドビュッシー(《水の反映 Reflets dans reau》(1905))に影響を与えたとされる。曲の半ばには、ヨ八ネ福音書より引用された「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(新共同訳より)との標題がある。若い時代は華やかに活躍したリストだが、後年になると公私両面でさまざまな苦難に見舞われた。敬度なカトリック信者だった彼は下級聖職者の資格を得て、その作風も宗教的色合いを強め深い精神性を帯びてくる。「巡礼の年第3年」においても、上述の聖書の引用も含めそうした傾向が窺える。風呂本佳苗(ふろもと・かなえ)兵庫県西宮市出身。幼少より、加藤豊子、伊藤ルミ、龍野順義の各氏に師事。英国王立音楽院にて、ロイス・フィリップス、ヘイミッシュ・ミルンの両氏に師事し、ピアノ科を首席卒業、奨学金を得て同音楽院演奏専攻科を修了。同時期にロンドン大学大学院音楽修士課程修了。また、ジョルジュ・シェボックやアンドラーシユ・シフ、ジヨン・リル、イモジエン・クーパーその他、多くの著名なピアニストのマズタークラスを受講。在学中から、ソロ、室内楽、伴奏の各分野で数多くの賞を得る傍ら、英国内やノルウェーなどでラジオ出演を含む多くの演奏活動を行う。95年、神戸と東京でデビュー・リサイタル、続いてNHK-FMに出演。99年PLG新進芸術家コンサートにてロンドン・パーセルルーム・デビュー。ソロ活動と多くの著名なアーティストとの共演で、日本とイギリスをはじめヨーロッパや東南アジアの各国、アメリカ等で演奏を重ねている。また2014年にはタイランド弦楽コンクールの審査員を務めた。ソロCD「風呂本佳苗ピアノリサイタル~野遊び日和~」、およびヴァイオリニストのEB中美奈氏との共演でフルトヴェングラー作品のCDをリリースしている。ブログ:「ピアニスト・風呂本佳苗のお茶飲み話し」:http://kanaefuromoto.blog.fc2.com/楽しませていただきました。
2016年01月10日
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Windows10 アップグレードの失敗編Windows10が公開されてから、早6ヶ月。その間に、周辺機器のドライバー、フリーソフト、シェアウェアソフトなどが続々とWindows10に対応していっている。いまや、Windows7やWindows8.1からWindows10にアップグレードする時機に来ている。そのなかで、Windows10にアップグレードに失敗した例を紹介。PCは、富士通 FMV LIFEBOOK AH77/SCPUはCore i7、メモリは8GB、HDDは1TB、OSはWindows8.1Update。スペック的には十分だ。Widows10へのアップグレードをお勧め。アップグレードの準備が整っています。特に注意は、アプリの互換性。いわゆるWindows8のアプリだけでなく、デスクトップで動くアプリの互換性だ。職場の友人のPC。僕のPCよりずっとスペックの低いPCだが、すんなりWindows10にアップグレードできた。それなら僕のPCでもやってようと思って挑戦した。インストールしているソフトが多くて、アップグレードに時間がかかった。3時間近くも…アップデートが終了しても、どうも挙動がおかしい。色々調べて、問題はインストールしていたCD革命のバージョン13がWindows10に対応していなかった。一旦アンインストールしようとしても、インストール情報が消えていてアンインストールできない。仕方なく一旦Windows8.1に戻すことに。戻すことはすぐに終わった。でも、CD革命はもとに戻っていない。改めてインストールし直し、アップデートのパッチを適用。やっと元の状態に復元できた。CD革命をインストールしているPCでは、バージョンを確認。最新の14ではWindows10に対応してるが、それ以前のバージョンでは一旦アンインストールする事。そのもとでWindows10にアップグレード。改めて、CD革命14を購入して下さいネ。
2016年01月09日
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チンパンジーを追って50年(3) 絶滅の危機から守るタンザニア・マハレの森で日本の調査隊アフリカ・タンザニアのマパレにすむチンパンジーが見せるさまざまな行動は、半世紀にわたって研究者の目を引き付けてきました。その成果をどう活かすかが、今後の重要な課題の一つになっているといいます。京都大学野生動物研究センターの中村美知夫准教授たちは、1972年から2012年までの41年間に16歳になる前に母親を失った雄のチンパンジー37頭のその後の記録を追いました。その結果、約7割に当たる26頭が孤児になった年齢の期待寿命(母親が生きている雄のチンパンジーも含めた年齢ごとの平均余命)まで生きられませんでした。チンパンジーのおとなの雄母親の役割重要授乳期だけでなく、子ども期から青年期にかけての雄のチンパンジーに母親が重要な役割を果たしていることを示すもので、ヒトの親子関係の進化を探る上でも重要な知見だといいます。中村さんは「ほかにも、1年、2年で見ているのではわからないことがわかってくると期待している」と話します。チンパンジーは今、アフリカ全域で急激に減少し、絶滅が心配されています。生息地の破壊や狩猟などが主な原因です。マハレの研究者が中心になって設立した「マハレ野生動物保護協会」は、今ではチンパンジーをはじめとしたマハレの野生動物を見る機会もなくなっている地元の人々に、かつて祖先が培ってきた伝統的知識を伝える活動に取り組んでいます。中村さんは「地元の人たちが自然に対する豊かな知識を築いてきた自分たちの文化に誇りを持つことで、多様な生き物たちが暮らしている状況を今後も守っていきたいと考えるようになることが大切だと思う」と指摘します。マハレでは観光客との接触が原因とみられる病気で多数のチンパンジーが死ぬ例が何度か起こっています。マハレ野生動物保護協会が呼びかけて、観光客にマスクをしてもらう取り組みが定着しています。データで示して中村さんは「これから50年先、チンパンジーそのものがいなくなってしまう危険性がある。私たちがこうすればチンパンジーを守っていけるということをきちんとデータとして示していくことも大切だと考えている」と語っています。【日本の“サル”学】日本で“サル”の研究が始まったのは1948年でした。京都大学の無給講師だった今西錦司博士(後に京大名誉教授)が伊谷純一郎さん(同)たち2人の学生とともに宮崎県の幸島でニホンザルの群れの調査を始めたのです。その後、全国各地で調査が行われ、ニホンザルの群れをつくる個体間には順位があることなど、今では広く知られるようになった事実が初めて明らかになりました。幸島のサルがイモを洗って食べることもこの研究の中で発見され、世界を驚かせました。日本のチンパンジー研究は、その成果の上にたって始まりました。アフリカ各地で数年間調査を行い、マハレに派遣されたのが、今西さんと伊谷さんの研究室の大学院生だった西田利貞さんでした。(間宮利夫)(写真は中村さん提供、おわり)「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月5日付掲載日本のサルの研究は意外と新しいのですね。それでも、これだけの研究と発見があるってすごい事。これからは、研究だけでなくて、チンパンジーなどを絶滅から守る取り組みも求められます。
2016年01月07日
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チンパンジーを追って50年(2) 時代とともに変わる社会タンザニア・マハレの森で日本の調査隊アフリカ・タンザニアのマハレで半世紀にわたって行われている野生のチンパンジーの研究。思ってもみなかったチンパンジーの姿を描きだしてきました。しかし、それも時間とともに変わりうることが明らかになってきたといいます。多彩なあいさつチンパンジーが見せるさまざまな行動の中でも、あいさつ行動の多彩さは研究者の目を当初から引きつけてきました。あいさつは、それまで見慣れてきたニホンザルには見られない行動だったからです。チンパンジーの集団を構成する個体間にはニホンザルと同じように順位があります。しかし、食べ物をどちらがとるかで見分けられるニホンザルと違い、チンパンジーの場合どちらの個体の順位が上か下かを判断するのは簡単ではないといいます。食べものをどちらがとるかは、そのときの状況で異なるからです。唯一の指標と考えられているのがパントグラントと呼ばれるあいさつです。ある個体が別の個体に近づきながら「オッオッオッ」と声を出すこのあいさつは、順位が下の個体から上の個体に向かって行われます。K集団が消失(3日付で紹介)した後も調査が続けられているミミキレ(M)集団では1979年から95年にかけてントロギという雄が計15年間第1位の座を占めてきました。恵まれた体力と駆け引きの能力をもつントロギは、どの個体からもパントグラントを受けて集団に君臨していたことが記録され、多くの論文が書かれてきました。現在、マハレ調査隊の代表を務める京都大学野生動物研究センターの中村美知夫准教授は、「ントロギによって、第1位の雄はこういうものだというイメージをわれわれが持ってしまった可能性がある」と指摘します。94年に初めてマハレで研究を始めた中村さんが見たのは「ントロギ時代」の終わりごろでした。それでもントロギは第1位の雄としての圧倒的な姿を見せていました。しかし、その後、M集団で第1位になった雄はントロギのように絶大な力を持つものはいませんでした。3頭の雌どおしが毛づくろいをしているところ。左端の雌のおなかには子どもがしがみつています。雌どうし集まり中村さんが2度目のマハレ入りをしたのはントロギがいなくなった後の96年です。それまで、チンパンジーの集団は第1位雄を中心に雄が集まって核をつくり、子持ちの雌は核から離れて単独で動くものとされていました。ところが、2度目にマハレ入りした中村さんが見たのは、子持ちの雌どうしが集まりをつくって移動する様子でした。雌どうしが集まるようになったことが、ントロギがいなくなったことと関係しているかは不明ですが、「チンパンジーの社会は変わる」というのが中村さんの実感だったといいます。雄に比べて雌は臆病で研究者の前になかなか姿を現さない個体も多く、雌の研究はあまり進んでいません。中村さんは「別の集団から移ってきて移籍先で一生を過ごす雌が、ほかの雌とどのような関係を築くかを知ることは、ヒトに特有とされる非血縁の個体どうしの共存や協力の進化を考えるうえでも非常に興味がある」と話します。(間宮利夫)(写真は中村さん提供、つづく)「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月4日付掲載雌どうしが集まるっていうのも、珍しい事なんですね。人間の社会構成体が変化してきた様に、チンパンジーの社会も変化するのでしょうね。
2016年01月06日
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チンパンジーを追って50年(1) 顔を覚えて名前をつけタンザニア・マハレの森で日本の調査隊今年の干支は申。アフリカ・タンザニアのマハレで続けられている日本の研究者による野生のチンパンジーの研究は今年、51年目を迎えます。(間宮利夫)【マハレ】タンザニアの西端に南北に長く延びるタンガニーカ湖に突き出したマハレ半島にある国立公園(正式にはマハレ山塊国立公園)。アフリカを東西に引き裂こうとする地球の運動がつくりだした大地溝帯の一角で、世界第2位の深さを誇るタンガニーカ湖と標高2460メートルのンクングウェ山などにはさまれ、森林が広がっています。まだ明けきらないマハレの森。チンパンジーがあちこちで「フーホフーホファー」と呼び交わす声が響きます。研究者たちは、夜明けとともに地元で生まれ育った助手と一緒に、声などを頼りにチンパンジーのいるところへ駆けつけます。「目指す個体を探し出し体力の続く限り暗くなるまで追跡し、行動を細大もらさず記録していきます」。こう語るのは、現在、マハレ調査隊の代表を務める京都大学野生動物研究センターの中村美知夫准教授です。中村美知夫准教授翻弄されながらマハレでのチンパンジー研究は、1965年10月、タンガニーカ湖に面したマハレの浜に京都大学の大学院生だった西田利貞さん(後に京大名誉教授、国際霊長類学会会長など歴任)が上陸し、始まりました。西田さんは、自由気ままなチンパンジーに翻弄されながらも、半年後、畑のサトウキビなどを食べにくるようになった群れを間近でじっくり観察し、念願の個体識別に成功します。「私は昨日の長い観察によって、顔だけでなく、体全体の特徴、その姿勢や動作の個性がかもしだす雰囲気というものを知らぬうちに覚えてしまっていたのだった。もう名前をつけていいのだ」(西田利貞著『精霊の子供たち』から)一頭一頭に名前をつけるのは、日本の霊長類研究が編み出した“お家芸”です。個体識別できたことで、チンパンジーには決まったメンバーの複数の雄と複数の雌からなるグループ(単位集団)があることが初めて明らかになりました。また、チンパンジーの集団は父系で、雄は生まれた集団にとどまる一方、雌は子どもを産める年齢に達すると別集団に移る傾向があることもわかりました。タンガニーカ湖の浜から見たマハレ山塊地域で文化多様同じタンガニーカ湖畔のゴンベでマハレの5年前からイギリスのジェーン・グドールさんがチンパンジーの研究を始めていたことも、プラスに働きました。ゴンベでチンパンジーが植物の茎でシロアリを釣るのを発見すれば、マハレでは木の枝でオオアリを釣るのを発見します。「ゴンベとマハレ、二つの調査地が互いに刺激しあうことで、それまで思いもよらなかったチンパンジーの行動が次々明らかにされていった」と中村さんはいいます。マハレに滞在する研究者は当初、多くても2、3人でした。75年、それまでの研究成果をもとにマハレの国立公園指定に向けた国際協力事業団(JICA=ジャイカ、現国際協力機構)のプロジェクトが開始され、研究は活発化しました。アフリカ各地に調査地が増え、あるところで行われていることが別のところでは全く見られなかったりすることがわかってきました。たとえば、マハレでは見られなかった堅い木の実を石で割るという行動が西アフリカ・ギニアのポッソウなどでやられていました。99年、科学誌『ネイチャー』にこれらの成果をまとめた論文が掲載されました。チンパンジーに文化が存在するだけでなく、地域によって違いがあることを世界中の人々が知るようになりました。中村さんは「ようやく欧米でも、ヒト以外の動物に文化が存在することを認めるようになったことを示すできごとだった」と語ります。チンパンジーの文化の違いは道具使用に限りませんでした。マハレのチンパンジーは、向かい合って座った2頭が、頭の上で手を握り合い、余った方の手でお互いのわきの下を毛づくろいします。「対角毛づくろい」と名づけられた、この行動はたまたまマハレを訪れたゴンベの研究者が発見しました。マハレの研究者は見慣れていて、マハレ独自の文化であることに気づかなかったといいます。木の上のろうに細い枝を差し込んでオオアリ釣りをするチンパンジーチンパンジーを追跡し行動を観察する学生集団の消失確認日本の研究者たちが半世紀にわたって見続けたマハレではさまざまなできごとがありました。とりわけ衝撃的だったのは、西田さんが最初に個体識別し調査を始めたカジャバラ(K)集団が80年代に消失したことでした。アフリカ全体でも集団の消失が確認されたのはほかに1例あるだけです。マハレのチンパンジーだけにみられる「対角毛づくろい」集団消失の理由はまだはっきりしません。別の集団に殺害されたとみる研究者もいますが、中村さんは「K集団は調査を始めた当時から若い雄が少なかった。おとなの雄が年をとって次々死んだことで集団が消失した可能性も考えられる」と説明します。50年たった今も新たな発見が続いています。中村さんたちは、チンパンジーとはどんな動物なのか、その謎に迫ろうとしています。(つづく)(写真は中村さん提供)「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年1月3日付掲載類人猿が道具を使う事はよく知られれいますが…。チンパンジーに文化が存在するだけでなく、地域によって違いがあるってこと。地元の研究者が気づかないことを、他の地域の研究者が発見するってこと。類人猿とホモサピエンスとの不思議な共通点かな。
2016年01月05日
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防府天満宮の初詣 JR山陽本線 途中に変わった名前の駅が藤生駅にて_01 posted by (C)きんちゃん藤生(ふじゅう)駅から電車に乗ります。藤生駅にて_02 posted by (C)きんちゃん藤生駅にて_03 posted by (C)きんちゃん藤生駅にて_04 posted by (C)きんちゃん藤生駅(ふじゅう)~不自由? posted by (C)きんちゃん藤が生きると書いて「ふじゅう」と読みます。でも、僕が子どもの頃は、「ふじゅう」でなくって「不自由」だってひがんでいました。藤生駅にて_05 posted by (C)きんちゃん山陽本線 神代駅(こうじろ) posted by (C)きんちゃん「神代」と書いて、「こうじろ」と読みます。「神様の代」ではありません。山陽本線 大畠駅(おおばたけ)~大馬鹿たれ posted by (C)きんちゃん「大畠(おおばたけ)」駅。屋代島に渡る大島大橋のたもとです。僕たちは、「おおばたけ」でなくって「大馬鹿たれ」って揶揄していました。山陽本線 田布施駅(たぶせ) posted by (C)きんちゃん田布施(たぶせ)駅。山陽本線 島田駅(しまた)~しまった posted by (C)きんちゃん島田(しまた)駅。僕たちは、失敗して「しまった」駅と言っていました。山陽本線 光駅(ひかり) posted by (C)きんちゃん光輝く?「光(ひかり)」駅。山陽本線 徳山駅にて(とくやま) posted by (C)きんちゃん徳山駅で、岩徳線の時間待ちでしょうか、10分以上停車。山陽本線 徳山駅にて posted by (C)きんちゃん山陽本線 防府駅にて(ほうふ)~ぼうふではありません posted by (C)きんちゃん防府天満宮のある「防府」駅。「ほうふ」と発音。「ぼうふ」ではありません。写真には撮れなかったけど、「戸田」とかいて「へた」と読む駅もあります。山陽本線 瀬戸内の海岸_01 posted by (C)きんちゃん山陽本線の眼前に広がる瀬戸内の海。山陽本線 瀬戸内の海岸_02 posted by (C)きんちゃん山陽本線 屋代島_01 posted by (C)きんちゃん屋代島(通称大島)が見えてきました。山陽本線 屋代島_02 posted by (C)きんちゃん山陽本線 屋代島_03 posted by (C)きんちゃん山陽本線 大島大橋 posted by (C)きんちゃん屋代島と大畠を結ぶ大島大橋です。大畠の瀬戸を通過する船_01 posted by (C)きんちゃんちなみに、山の上から見るとこんな感じ。藤生から防府まで1時間30分かかりますが、飽きない旅です。
2016年01月04日
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防府天満宮に初詣に行ってきました 【1月2日】JR山陽本線・防府駅で降ります。天満商店街が参道になっています。鳥居に入る前から、参拝の人たちが並んでいました。楼門が見えてきました。防府天満宮の楼門。この中に拝殿が…立派な楼門です。楼門をくぐると、いよいよ拝殿です。並び始めて参拝まで1時間以上かかりました。さすが防府天満宮、人気がありますネ。しっかりお願いしました。昨年始まった市民革命の動きが、政治の革命に発展することを…みなさんも、しっかりとお願いしていました。参拝のあとは、定番のおみくじ。干支のおみくじがあります。「大吉」が出るまで、何度も引いている人もいました。「あんたあ、久坂玄瑞か?」申年だけあって、申のトーテムポールが…そして、天満宮といえば、やっぱり牛。そして今年は、大河ドラマ「花燃ゆ」の、楫取素彦と美和の像ですね。2015年、地元のライオンズクラブからの寄贈です。
2016年01月03日
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2015年大晦日 新幹線で帰省しましたいつものように、新神戸駅に早めに到着。何本かの列車を撮りました。こだま757号 posted by (C)きんちゃん18:46発の、こだま757号。時刻表_01 posted by (C)きんちゃんのぞみ47号_01 posted by (C)きんちゃん次は、18:56発の、のぞみ47号博多行きのぞみ47号_02 posted by (C)きんちゃんのぞみ47号_03 posted by (C)きんちゃん19:03発の、のぞみ187号広島行きは撮っていません。時刻表_02 posted by (C)きんちゃんさくら573号_01 posted by (C)きんちゃん19:12発、さくら573号鹿児島中央行きさくら573号_02 posted by (C)きんちゃんさくら573号_03 posted by (C)きんちゃんひかり479号_01 posted by (C)きんちゃん19:19発、ひかり479号岡山行きひかり479号_02 posted by (C)きんちゃん時刻表_03 posted by (C)きんちゃんのぞみ49号_01 posted by (C)きんちゃん19:23発、いよいよ乗車するのぞみ49号がやってきました。のぞみ49号_02 posted by (C)きんちゃんのぞみ49号_03 posted by (C)きんちゃん広島駅で下車のぞみ49号_04 posted by (C)きんちゃん見送ります。こだま755号_01 posted by (C)きんちゃんほどなく、20:36広島発、こだま755号博多行きに乗りますこだま755号_02 posted by (C)きんちゃん次の新岩国で下車。帰省先の駅に着きました。天候不順もなく、遅れもなく帰ることができました。
2016年01月01日
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Googleのトップページ 年が明けて、2016年の卵がかえりました元気なひなです。いろんなバージョンがあるようですね。鳥たちも、紙吹雪で喜んでいます。今年もよろしくお願いします。
2016年01月01日
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