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~心の声~昨日からなんとなく心の調子がよく、今日はさらにいいので気づいたことを書こうと思います。今朝、職場に行く前に「何か本を持っていこうかな~。あ、これにしよう」と自分の本棚から手に取った一冊の本。それは江原啓之さんの『スピリチュアルな人生に目覚めるために~心に人生の地図を持つ~』でした。途中までしか読んでいなかったからというのもありますが、手が自然とその本を選んでいたという事の方が理由としては当たっています。私は、スピリチュアルということにひかれたのが18~19歳の頃でした。前から、魂とか気にはなっていましたが、霊的というとわかりもせずに非現実的なことだと思いこんでいました。食わず嫌いのような感じですね。けれど、どこかで気になっていました。心理学や精神学はとても好きで、授業でない時も教科書をよく読んでいました。私が江原さんの本を初めて読んだ時「あれ?非現実的なことじゃなくて、意外と現実的で、実は今知りたいことが書いてある・・・。スピリチュアルってすごい」という感想をもちました。それからかなりのファンです。今日、江原さんの本を手にした(読もうと思った)一番の意味を、私は意味あることとしてとらえました。今ある自分の魂の成長を促すために、今日その本を手にしたのではないか、と。昨日の日記にも少し書きましたが、ここ最近生きる目的がわからなくなり感情を忘れていました。そんな私に本を通じて、またはメッセージを通じて色々なことを与えてくれた全てのことに深く感謝します。スピリチュアルとの出会いの場を私に与えてくれた人、江原さんを教えてくれた人、私を見守ってくれるもの、今までのさまざまな出来事。本の中にこう書かれていました。 [人生のすべての行きづまりには、そこから学ばなければならない「何か」があるのです。学ばなければならない「間違い」があるのです。すべては「たましいの成長」のためなのです。(中略)人生の行き詰まりは、実は不幸なことではありません。霊的真理に目覚めるためには、不幸どころか「幸い」です。] と 。 それを読んだ時、心の迷いが少しずつ消えていくような、心が軽くなったような、そんな気持ちでした。そして、それと同時に《あとは自分の心次第》という言葉がふっとでてきました。意識なんてしていなく、直感でピーンときました。感情も戻りました。今ある自分が幸せです。そんなことに気づいた今日の出来事でした。
2006.08.30
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~笑顔~ここ最近、心の調子が悪くて、いつも心の天気は曇りでした。楽しくもなければ悲しくもない、何も感情がないといってもいいくらい、生きている実感がありませんでした。今日こうしてパソコンを超がつくほど久しぶりに使っていますが、心の整理が少しずつでき始めているからなんじゃないかな~、と勝手に自己解釈しています。そんな心の調子が悪い中、『東京フレンズ The Movie』を先日一人で見ました。大塚愛ちゃんが好きなので、見に行きたいなと思っていました。どちらかというと、ライブのような感じが楽しめる映画でした。そして、その時、そこで、忘れていた感情を思い出しました。それは、[笑顔]という感情でした。これほど笑顔が懐かしいと思えたのは、いつ頃以来かな。その時に気づいたのですが、笑顔は、生きていく上でかかせないものですね。忙しさのあまり、つい笑顔を忘れてしまっているような気がします。[笑顔]の大切さに気づいた時、心の雲も少し消えていったように思えます。笑顔でいる時のあの幸せは、何にもかえがたいものですね! 自分でつくったプレッシャーにつぶされそうになり、どうしたらいいかわからず、感情をなくしてしまい、生きた心地がしない・・・・・・。無感情がこれほど心を不安定にしていたんですね。あらためて知ることができました。みなさん、笑顔を忘れずに毎日を楽しく過ごしていってくださいね
2006.08.29
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空の孤独な鷹よ 風に抗(あらが)いながらそこにあるのは光と闇 一人だけの空 空を見上げて泣いた 一人生きてる君よ真実の名を教えておくれ いつの日か消えてしまう君よ 光が闇に溶けるように 心の中をとおりすぎる君の歌を 歌うよ 空を見上げて泣いた 一人生きてる君よ真実の名を教えておくれ いつの日か死んでしまう君よ 光が闇に浮かぶように 沈黙の中にとおりすぎる時の歌を 歌うよ 生まれ消えていく はかない命たちよ終わりがあり 始まりがあるよ 忘れないで 空の孤独な鷹よ 風に抗(あらが)いながら空を見上げて泣いた 君よ
2006.08.20
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日本の役割!!!今日、ここ大分で「第四回 北朝鮮に拉致された日本人を救う大分県民大会」が開催されました。私は、いつものごとく父の手伝いという形で受付等をさせていただきました(募金におりました)。横田夫妻を始め九州家族会の方、救う会全国協議会の方、日本再生ネットワークの方が講演され、とても心に響く数々の言葉。会場では、涙される方が沢山おられ、講演された方々の気持ちが皆様に届いたんだと思うと、今日お手伝いさせてもらいありがたい気持ちでいっぱいです。席も満席で、立ち見・ロビーで話を聞かれた方も多くいたことに、深く感謝いたします。900人近くの方が来られたことを先ほどニュースで聞きました。3歳で拉致された人を始め143人拉致されているという現状があります。今まで政府は何をしてきたのかという残念な気持ちでいっぱいです。 もし・・・、自分が拉致されていたら・・・・・・。日本に帰りたくても帰れず、北朝鮮で食べるものもなく、閉じ込められた部屋で自分がしたいこともできず、言語も全てにおいて自由が無い・・・・・・。そんなことを考えていたら、今こうして自由があり食料もあり、したいことができる日本にいるということは、本当にありがたいことだと思います。拉致された143人の人達をこの日本にかえす行動を力の限りすることが、今の日本人の役目ではないかと思います。大分で、沢山の市民の方が気づいてくれたこと、これから日本は何をしなければいけないのかという視点をもってくれたこと、本当に本当に嬉しく思います。最後に『ふるさと』を会場皆様で歌うことができ、いい講演会になったと思います。大会が終わって、来てくださった皆様のお見送りをしていたら沢山の笑顔にあうことができました。
2006.08.20
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じいちゃん、ありがとうございました私の祖父は、13日朝方、あの世へと旅立ちました。祖父は、大工をしながら農業もしていました。なかなか笑っているところを見たことがなかったなと、父と話をしました。祖父のあとを引き継いで、父が農業をしていきます。私も小さな頃からしょっちゅう田舎に帰って、農業を手伝ってたので、仕事が休みの時など極力田舎に帰って手伝おうと思っています。まだ、祖父がどこかで見ているような・・・、(心配してくれているのかもしれませんが)そんな気がします。祖父は、病気と戦って、かなり痛くつらくきつかったと思います。私は、13日の朝から田舎に帰りました。そして「よくがんばったね、じいちゃん」と、病院から家へと帰ってきた祖父に言いました。「ばあちゃんの子守唄で、安らかに息を引き取ったのよ」と父の妹さんと話していたとき、涙が止まりませんでした。抑えていた感情が一気に涙となって出ていきました。御通夜・お葬式と沢山の方が見えられました。得を積んできた祖父の偉大さに感心するばかりでした。昼は、晴れているのに雨がパラパラと降り、御通夜はどしゃぶり、・・・。これも祖父の声なのかな~。とても不思議でした。ゲド戦記にもありましたが、「永遠に生き続けるものなどない」。この言葉にいくらか救われました。祖父がいたから私の命がある、命を繋げてくれて感謝します。ここ一年かけて、死を拒絶せず受け入れた時、何かが変わりました。感謝
2006.08.18
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これも勉強!!!8月9日、私はさまざまな気付きや学びをこの日記に書いていたのですが、最後の最後で・・・、エラー画面になってしまい、残念ながらその日記を最後まで書けませんでした・・・。すごくショックだったという感情だけが、残ってしまい、「私はパソコンから見捨てられた」とちょこっと落ち込んでいました。が、それも一つの経験だと思い、またこうして、書いています。その日は、友達と『ゲド戦記』を見ました。色々な感想があったのでこの日記に書いたのですが、残念ながら消えてしまったので、そのときと同じではありませんが、今また書きます。「見えぬものこそ本当は忘れてはいけない大切なこと」「永遠の命なんて存在しない、だから今のこの瞬間を、力の限り生きる」「自分の影(弱さ)も受け入れると、生きることに対して一生懸命になれる」です。このようなことを私は伝えたかったので、記憶をよみがえらして、今書きました。心って、眼には見えないですし、自分でも時々わからなくなることもあるくらい不思議なものですよね。重い・軽いとか、いい・悪いとか、他人からはわからないものです。バランスって大切ですね~。均衡を保つということは難しいものです。心のバランスが取れていないと、やはり傾いてしまいますよね。いくら物が沢山あったとしても、いい会社に勤めていたとしても、最後はやっぱり心なのではないかなと思います。見えないからこそ、じっくりゆっくりと見つめることが大事ですね。そして、そのバランス・均衡を保つことは今生きている中でも、色々なものとつながっています。環境もそうですし、食事内容にしてもそうですね。それを意識して物事を見ると、不思議なことに気づくかもしれません。今環境のバランスが崩れてきたから、温暖化になっているのではないかとか・・・・・・。一つ前の日記には、『ゲド戦記』の挿入歌である《テルーの唄》を書いていますのでこちらも見ていただければ幸いです。皆様がこれを読んでくれたことに、感謝します。ありがとうございました!!!
2006.08.11
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夕闇迫る雲の上 いつも一羽で飛んでいる鷹はきっと悲しかろう音も途絶えた風の中 空を掴んだその翼休めることはできなくて心を何にたとえよう 鷹のようなこの心心を何にたとえよう 空を舞うよな悲しさを 雨のそぼ降る岩陰に いつも小さく咲いている花はきっと切なかろう色も霞んだ雨の中 薄桃色の花びらを愛でてくれる手もなくて心を何にたとえよう 花のようなこの心心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを 人影絶えた野の道を 私とともに歩んでるあなたもきっと寂しかろう虫の囁く草原(くさはら)を ともに道行く人だけど絶えて物言うこともなく心を何にたとえよう 一人道行くこの心心を何にたとえよう 一人ぼっちの寂しさを
2006.08.11
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涙!!!昨日今日と、ここ最近疲れていました。疲れのおかげでいらついたり文句言ったり・・・、そんな時って誰しもあるのではないでしょうか?今日、江原さんの特別番組『天国からの手紙』を見ました。初めから終わりまで、涙の連続でした。最後のほうはのどが痛くなるほど(実際、苦しいくらいのどが締め付けられた状態でした。のどのチャクラが反応したのでしょうか・・・。よくわかりませんが・・・。)心から涙を流していました。亡くなった父から家族へ、江原さんが交信して、父が伝えたいことを手紙に書き、それを読んでいました。長女へ伝えたいこと、それを読んでいる時・・・・・・、その時にすごくのどが締め付けられている状態でした。涙は止まりようがないほど、かなり次から次へとあふれていました。「優しさがプレッシャーにならないように」、そんなことを父は長女へ伝えていました。[優しさがプレッシャー]になるということが、私自身わかるからでしょう、号泣したわけは。もちろん、ほかのとこでもかなり涙しましたが、ここまで魂から強く強く号泣はしていないでしょう。祖父母や他の人から「優しいね」と言われると、私はそれに対して責任というものを感じて、笑顔で否定してます。まだまだ優しさが足りないとか、相手は嬉しいのか、私にできることがまだ他にもあるのではないかと・・・。だから、小さな頃は、私の中にある〔長女としての役目〕との葛藤の毎日で、悔しくて悲しくてよく泣いていました。「両親のけんかは私がいるから・・・いなくなればけんかなくなるかな・・・」とか、「両親がもっと仲良くなってもらいたい・・・私には何もできないの?」とか数え切れない位、涙の理由はつきません。卒業式は必ず涙していました、泣き虫です。今では、あまりそういうことの強い責任を感じないようになりましたが、今考えると、本当によく布団の中で泣いていたな~と、ある意味感心してしまいます。そんな泣き虫の私の日記、涙のことを沢山書きましたが、自然に泣く(今日のような感動して泣くということです。何も考えずに泣く)ことで、心が軽くなったような・疲れが消えたようなそんな気分です。感動したら、皆さん、我慢せずに意識をせずに涙を流しましょう。泣いている時、ふと我に返ると泣いている自分は今生きているという素晴らしいことに気が付きます。感謝することから、始めてみてはいかがでしょうか?
2006.08.08
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星と月!!!今日は、大分の花火大会がありました。友達と浴衣を着て見に行く予定でしたが、祖父の状態から考えて、今年の花火大会は、家の中から音を聴いているだけの花火大会となりました。とってもとーっても残念ですが、こればっかりは仕方ないので、そのことを受け止めて、今こうして日記を書いています。私が、中学生の頃までいた大分県の田舎でのことを思い出したので、今日はそのことを書こうと思います。 私は、山々に囲まれた超ど田舎で暮らしていました。お店は、小さなタバコ屋さんや魚屋さんが近くに3店あり、そこでおやつや文房具を調達したりしていました。今考えるといい思い出の中に入っています。それが楽しかったのかもしれません。夏休み中は、学校のプールに行ったり塾に行ったり。楽しかったんですね、その頃はそれに気づいていなかっただけで。夏は大分市よりか直射日光が強く、外に出ると暑い暑い。家でもクーラーなんてつけないので汗をよくかいていました。あるのですがつけないんです。自然の風によく当たっていました。蝉がよく鳴いていました。けれど、アスファルトが少ない分、夕方になると昼間の暑さはなくなり、ひぐらしが鳴き夕日がきれいに見えます。蛍も、カブトムシも、よく家族で取りに行っていました。そして、夜は涼しくて、夜空がすごくきれいでした。思い出しただけでも、あの時普通に見ていた夜空のきれいさは、何者にも変えがたいです。流れ星も沢山見ることができました。あれには驚きでした。大分市から見る夜空は、あまり星が見えません。残念なことに。その田舎に住んでいた頃、夜に犬の散歩もかねて、よく散歩していました。時間さえあれば、夕方とかにも行っていましたが、夜は必ず散歩に行っていました。その散歩が一日の楽しみでもあり、安らげる時間でした。犬(ポチといいます)が、まだまだ先に行きたいと言っているのに、私は夜空をずっと眺めてばかりで、・・・、ポチ、ごめん!!!ポチも私に付き合ってくれていたんですね、きっと。ありがと、ポチ星座を見つけては嬉しくて、何かいやなことや悔しいことがあった日は夜空を見て泣いたりしていました。星の優しさ、月のあたたかさをよく感じていました。今日の日記は、本当に何を書いていいのか自分でもわかりませんでしたが、大人になって忘れていたことを思い出してもらいたかったから、私の子供時代のことを書かせてもらったのかもしれません。皆さんも、子供時代のことを少し思い出すと、その時は見えなかったことが見えてくるかもしれませんよ。 今生きていることに感謝ですね
2006.08.06
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心から、強く願うもの!!!私は、evhaさんにこの前、遠隔ヒーリングをしていただいたのですが、まあ、なんと、今の自分に当てはまることを私に伝えてくれました。(evhaさん、本当に感謝します。あまりの嬉しさに、今日はそのことを書かせてもらいます。)ヒーリングが始まった時、私の身体になんとも説明の仕様が無いぐらいの光が、かけめぐりました。ビビっとくるとは、こんな感じなのかな~、それにしてもすごいパワーだわと感動していると、もう次の瞬間、寝ていました。本当は、「最後まで起きとく!寝ない!」と強く思っていたのですが、案の定、意識はすぐに飛んでいました。evhaさんいわく「それも意味がある」と教えてくれましたが、自分では残念です。そのヒーリングをしてもらい、それから何日か私はパソコンと向き合っていませんでした。そして、昨日向き合ったら、evhaさんが守護霊様のこととかを教えてくれました。その守護霊様は、指導霊かもしれないらしく、しっかりされた方で、女性・白い衣服を着ていて巫女さんかもとのことでした。(私は、巫女さんに憧れていたので、そこでまず感動です。)そして、私が頭で色々と考えて結構いいところをいっているのに、そのことを行動に起こさない(実行できてないんです、頭の中で終わらしてしまってます、本当に。これからは、行動起こしま~す)。それと、柔軟に物事を考えましょうということも言っていたそうで(正直、「これはこれ!」という考えがあって、それができないと他の目線で物が見れなくなるなーと、確かに柔軟ではないと思っていました)。そして、これをさかんに言っていたそうです、「自分がしたいことをして」と。 この「したいことを」というところで、私は、自分が目指していた看護や、これからしたいことなど、考えました。心から願う・思うことをしていないんです、今の私は。本当に強く思うことをもう一度、確認していこうと思いました。感謝です
2006.08.05
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だからいま 会いにゆく そう決めたんだポケットの この曲を 君に聴かせたいそっとウ"ォリュームを上げて 確かめてみたよoh Good-bye days いま 変わる気がする 昨日までに so longかっこよくない優しさがそばにあるから~with you 片方の イヤフォンを 君に渡すゆっくりと 流れ込む この瞬間うまく愛せていますか?たまに迷うけどoh Good -bye days いま 変わり始めた 胸の奥 alrightかっこよくない優しさがそばにあるから~with you できれば 悲しい 想いなんてしたくないでもやってくるでしょ?そのとき 笑顔で Yeah hello!! my friend なんてさ言えたらいいのに・・・ 同じ唄を 口ずさむ時 そばにいて I wishかっこよくない優しさに会えてよかったよ・・・Good-bye days
2006.08.04
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心からの涙!!!皆様、暑いですね~。最近、全然パソコンと向かう時間がなく、元気もでらず、しばらくお休みしていました。そして、おまたせいたしました。今日、今、パソコンと向き合う時間ができたので書かせていただきます。元気もでてきましたし。8月2日、祖父のお見舞いに行きました。本当は行く予定はなかったのですが、どうしても行かなくてはいけないという心境になり、もう生きている間に会えないかもしれない・これが最後かもと思い、行ってきました。かなり具合が悪い祖父に、祖母が毎日付き添っているので、お見舞いに行った時も、祖母は祖父の背中をさすっていました。看護を学んできた私なので、祖父の容態を見るやいなや、すぐ「これは・・・・・・」というなんともいいようのない淋しさになりましたが、ここで自分の心に負けちゃだめと思い、明るく振舞いました。(まさに、知らぬが仏って、このことでしょう。)祖母と私が話していたら、祖母が祖父にこう言いました。「また○○○ちゃん(私の名前)と笑わんと。あん時みたいに、笑うんやろ?沢山沢山、笑うんやろ?」その言葉を、意識があまり無い祖父に語りかけている時、私は今まで明るく振舞っていたのに心から、どうしようもない感情が涙として、あふれてきました。止めようが無い涙・・・・・・、その元は、祖母の優しい声と祖父の顔、そして、その前にお見舞いに行った時に祖父と沢山笑ったこと。それを魂が思い出したのでしょう、祖父の前で泣いちゃいけないと思っていたので、その糸が一瞬のうちに切れて、とめどない涙が頬をつたっていきました。しばらくして、病院をでました。そして、私は今日の自分と約束していた、映画を見に行きました。最初は、『日本沈没』をみよっかな~と思っていましたが時間が合わず、他には・・・と思っていたら『タイヨウのうた』があったので、これなら時間もちょうどいいかなと思い、惹かれるようにして、その映画を見ました。映画であまり泣かない私なのですが、これは心にジーンとくるものがあり、最低3回は心の底から大量の涙を流しました。おすすめの映画です。まだ見ていない人はぜひ。次の日記に、皆さんに伝えたい歌詞をのせています。その映画の中で出来上がった歌です。今でも、かなりの余韻にひたっています。
2006.08.04
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