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神は、あなたがイマジネーションと呼ぶエネルギーである。神は創造である。神は最初の考えである。神は最後の経験である。そして神はその間のすべてである。
2007.01.31
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今日は、休みでした。なので、起きてから布団を干して、10個ある植物さんたちをベランダに出して(今まで数えたこともなかったし、いいものがあればゲットしてたので、10個もあるということを今日初めて知りました・・・いつの間にこんな・・・・・・)「あったかいね~」「外はいい風が吹くね~」「楽しいね」などと、お話をして、(植物さんたちを部屋からベランダに出す際、手がスベって、サンスベリアちゃん一人が転落しまして、土が少し散乱してしまいました。痛かったよね、ごめんね、サンスベリアちゃん。) (おそらく、掃除をしたら?という神様がくれたチャンスなんだろうと思います。そういうこともあって)さて、掃除でもするかと意気込んでいたら、父からお電話。「そういえば、今日休みやろ?一緒に○●(←地名です)まで行かん?」と。ん~、たまには遠出もいいかなと思い(お昼つき)、父の仕事のおともをしてきました。 おともといっても、お話し相手をして、書類を出して、、、たいしたことはしてませんよ。トータル3時間ぐらいは、ずーっと、父のお話を聞いていました。意見やらアドバイスもしながら(途中から眠くなったのですが、ウトウトする暇もなく・・・)、役に立つお話を聞いていました。お昼過ぎに戻ってきて一緒に食事をして、家に戻り、それから私は近くにある護国神社へ一人で行ってきました。なんか、「今日、お参りしたい」と思いまして。心が落ち着きますね~。二礼二拍手一礼もしっかりしました。お参りも終わり、駐車場まで歩いていると、突風とまではいきませんが、強い風が吹きました。おやおや、この風は・・・、護国の英霊の風・・・・・・かと勝手に思ってしまいましたが、どうなんでしょう。その答えは、その時の風のみぞ知る・・・・・・。たまに、遠出をすると、新鮮な気持ちになれますね。 さて、残りの掃除をしましょっ
2007.01.31
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あなたがたは善であり、慈悲であり、同情であり、理解だ。あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。あなたがたは赦し(ゆるし)であり、忍耐であり、力であり、勇気であり、苦しいときの援助者であり、悲しいときの慰め手であり、傷ついたときの癒し手であり、迷ったときの教師だ。
2007.01.30
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今日、仕事帰りに、映画を見てきました。というのも映画館のポイントカードがたまったので無料で見てきました。この前は『マリー・アントワネット』で今日は『幸せのちから』を見ました。『マリー・アントワネット』は、前の日記にも書いたのですが、やっぱあの優雅なお姿には、ホレボレしてしまいます。今日も、ポスターを見ながら、「あ~、なんて美しい…なんて魅力のあるお方…」と、つい見入ってました。あの微笑みは、何度見ても恋してしまいます。今日も恋してしまいました。で、今日見た『幸せのちから』は、一言でいえば何事も諦めない力を学ぶ映画だと思います。ストーリーは、あえて書きませんが、努力を一つずつ積み重ねていって幸せをつかみとるといった実話の話です。最後は、あたたかい涙が流れていきました。話が妙に馴染みやすいのは、実話だからなんでしょうね。飾ったとこなんかないし、ごく自然な内容……。ぜひ、みなさんも見てみてくださ~い。5才の息子役の人が、かわいくてたまりません。今日、『幸せのちから』が見れたことに感謝です!
2007.01.30
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あなたの高いヴィジョンにそぐわない考えが浮かんだら、そのとき、その場で「新しい考え」に変えなさい。立派な考え方にそぐわないことを言ってしまったら、二度とするまいと心に銘記しなさい。
2007.01.29
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どこか懐かしい、どこか心地いい、そして身体に染み渡っていくこんな、自分にご褒美をあげるような、とっておき癒し音楽を、みなさんはもっていますか?邦楽、洋楽、クラシック、アロハな曲、沖縄民謡など、音楽といってもジャンルはさまざまですね。私は、映画やドラマのサントラや、邦楽などの曲をオルゴール風や楽器で演奏しているCDなどをよく聴いたりします(かなり癒されますね~)。特にサントラは、あの場面で流れてたな~と思い返すこともできて、感動をもう一度体験できるので好きです。昨日、深夜にあった久石譲さん特集をビデオに録画していて、今まで見ていましたが、やっぱすごいです!久石さん!!!音が喧嘩してなくて、自然をイメージさせるような曲が多くて壮大な美しいメロディーなので、聴きやすいし不思議な感覚に浸れます。クラシックも好きですが、久石さんの曲も好きです。私が中学生の頃、掃除の音楽が『ジブリ』のサントラで、その影響もあってか掃除の時間がやってくるのが待ち遠しかったことを、今でも覚えています(早く来い来い掃除の時間)。嬉しく楽しく掃除ができるって、いいですよね。私は中学生の頃まで、バレエを習っていたので、掃除時間はほとんどの割合で「ここはこうで、あそこからこういう流れでいって・・・、そうそう。で、次のところでこうなって」と、勝手に頭の中で音楽に合わせて振り付けを想像してイメージしていました。(あ!だから楽しく掃除ができてたのか~と今ごろ思いました。今でもたまにサントラの曲でしっくりくるのがあれば頭の中で踊ってます。)昨日の久石さんのを見ていて、久しぶりに、イメージしてしまいました。また、イメージするのが楽しいんですよ。これが!!!久石さんの曲は、本当に不思議で、一つ一つの音の強弱や、黒鍵(ピアノの黒の鍵盤のことです)をよく使ったり、その曲に魂が宿ったような雰囲気を出したり心を揺さぶられたり(本当に不思議なんですよ。そういうとこも好きです)。切なくて、けどあたたかい久石さんの曲は、これからもますます好きになりそうです。『風のとおり道』が、私的には久石さんミュージックの中で、しっくりくる一曲です。
2007.01.29
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昨日の新聞に、目を引く記事が載ってました。タイトルは『最期 どう生きるか』で、病院のドクターで働いていて、大学の医学部教授もしている恒藤 暁(つねとう さとる)さんが書いていました。では、以下抜粋です。[患者さんの「人生の総決算」に立ち会って学んだことは、人間とは生かされている存在であること。その時々でやるべきことはやらないといけないが、最終的にはゆだねることも必要だと。「生まれる」のが受け身であるのと同じように、最期の時も受け身だと思うんですよね。自分が「死なれる」とは言いませんが、「死ぬ」ときも人は受け身だと思う。患者さんにホスピスや緩和ケアを勧めると、「もう何もすることがないのか」と問われます。「あとは死を待つだけか」と。死を待つだけかどうかは医学的に決まるのではなく、その人が最期をどのように生きるかによって変わってくるのでは。]これを読んで、人間は生かされているという認識がよりいっそう強まりました。以前、何かの本で読んだのですが、「明日の朝に心臓が止まってて、起きれないということも考えられます。毎日起きれて、呼吸が出来て、心臓が動いていることは有り難いことで感謝をしないといけません。」感謝を忘れずに生きていきましょう。
2007.01.29
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神があらゆる求めに応じてくれると信じるのはむずかしい。だが、求める必要はないとわかっていれば、祈ることはずっとやさしくなる。
2007.01.28
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真剣に考えれば、誰でも神への道がわかる。
2007.01.27
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この前、同じ市内に住んでいる祖母の家に仕事が終わって行ってきました。「用事があるし、たまには一緒に話したいな~」と思ってたので。着くなり、嬉しそうに話している祖母に私まで嬉しくなって、色々話していました。おいしい夕飯までごちそうになって、本当にありがたかったです(ごちそうさまでした~)。楽しい時間を過ごして、もう帰ろうかと思ってたら、祖母が何やらゴソゴソと引きだしから出しています(なんだなんだ???何をしてるのさ???)。私:「ばあちゃん、そろそろ帰るよ。」ばあちゃん:「ちょっと、これ見てみなさい。ばあちゃんが女学校時代の頃の写真が出てきたんよ。」と、見せてくれたシロクロの写真。学校を正面から写した写真です。私:「へぇ~。ここに通いよったん?」ばあちゃん:「そうよ。ほら、ここに日の丸と校旗があるやろ?」で、説明も終わり、裏を見た瞬間、頭の中に「?」と「!」が沢山でてきました。だって、裏は~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昔のハガキだったんです~。祖母が13才の頃書いたハガキ。疎開して、仲のよかった友達に書いたものでした。残念ながら、そのハガキは住所が違うため届くことはなく戻ってきたそうな。驚き其の一郵便はがきの文字が逆!!!(きがは便郵ってなってました!)驚き其の二5銭切手なこと!!!そして、驚き其の三 祖母が結婚する前の名字!!!まさに、タイムスリップした感じでした(←懐かしいですね、ファミコン!)。帰って、祖母にメールをしてみたら「今日は嬉しかったよ。沢山話せて元気が出ました。ありがとう」という返信が来ました。そんな貴重な物を見せてくれて、いつもおいしい御飯を作ってくれる祖母に感謝!!!
2007.01.27
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まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛することを学ばなければならない。
2007.01.26
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いま、新しいかたちの神とのコミュニケーションが開かれる。双方向のコミュニケーションだ。この方法へ導いたのは、じつはあなたのほうだ。神がいま、あなたのもとを訪れたのは、あなたの呼び声に応(こた)えたからだ。
2007.01.26
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昨日、お休みだったので久しぶりに映画を見に行ってきました!なんの映画を見たかといいますと~・・・・・・ 『マリー・アントワネット』です!一言でいうと、沢山のスイートちゃんたち(お菓子です・・・目に優しいあのスイート。おいしそ~)と、主人公のキルスティン・ダンストさんの美しいこと!!!(恋しそう)そして、次から次へと変わる素敵でゴージャスなドレスの豪華さ!!!(一度でいいから着てみた~い)つい・・・・・・、心奪われてしまいました(すごくきれいすぎるし、あの魅力はなんでしょうか。いいようがありません。)内容も、よかったです!!!あんな時代があったのかな~と思ったりして。けど、プライベートがないのは心も息もつまりますね。いつも、誰かからお世話してもらっていて、いいような悪いような。帰りには、映画館のスタッフさんが作ったと思える手作りミニ花をいただきました。いいにおいがすると思ったら、マリー・アントワネットをイメージして作られた香水を、そのお花につけてくれていたんですって。今もここにありますが、優雅な香りがただよってきて幸せです。こんな香りに出会えたことに感謝です!
2007.01.24
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〈マスター〉とは、愛だけを選択したひとたちである。あらゆる時に、あらゆる環境で、彼らは愛を選択した。
2007.01.24
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自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であり、すべての物質的な生命の目的だ。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってだ。
2007.01.22
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今日の夜、月を見ながら、ラジオを聞いていたら、食のセミナーのお知らせをしていました。「前回はお米とか栄養のことを話してきましたが、今回が最終セミナーということで、土について話したいと思います。」《なに!?土についてセミナーするの~!!!なんか新しい見方だな~》と思いながら聞いていたので、そのセミナーがある日時はすっかり聞き逃してしまいました…。なんてこっだ~~~~~~~~~~~~~~~~。ま、いっか。あとで調べよう。あ、で……。そうそう!土です!!!土は、食の作られる原点だと思います。お米、こんにゃく芋、さといも・さつまいも・ジャガイモ、大根、ニンジン、大豆・豆類、レタス、キューリ、キャベツ、タマネギ、ゴボウ、タケノコなどなど、挙げだしたらきりがないですね。他にも柿や林檎など、木になる物も、土から栄養を得ています。もし、その土がボロボロで栄養もなければ、バクテリアも蚯蚓(←ミミズはこんな漢字を書くそうです!新発見!!!)もいなかったら、野菜や果物は育たず、育ったとしても中身はすかすか…なものができると思います。土には、目には見えない沢山のパワーと沢山の栄養があるんですね。植物の命そのものです。そこで、心の土について考えてみました。心の土がやせて栄養も何もない土だったら、いい種を蒔いても、芽はでてこないんじゃないでしょうか。じゃあどうしたら、芽がでてくるのでしょうか?まずは、心の土を耕す(心を柔らかくする)。次に、肥料などをまいて、交ぜる(プラスな考え方に切り替える)。そして、そこに種を蒔く(いいものを取り入れる)。定期的に水を与え、日光に当てる(潤いを与えて、パワーを作る)と芽がでて育つというものにつながります。いい事を吸収しようとしても、心の土がそれを受け入れようとしていなかったら、いい種を蒔いても芽は出てこない。まずは、心の土作りをしていきたいですね。そんな事に気付けたラジオに感謝です!!!
2007.01.22
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神はあなたがた自身がしないことは何もしない。それが法則であり、預言だ。
2007.01.21
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雪のひとひら以上に完璧なものがあるだろうか?その精妙さ、デザイン、対称性、ひとつひとつが雪の結晶としてあるべき姿を保ちながら、同時に個性的でもある。まさに神秘ではないか。あなたがたは、この自然の驚くべき奇跡に驚異の念をいだくだろう。雪の結晶について、神にはこれだけのことができる。宇宙についてどれほどのことができると、あるいはできたと思うか。
2007.01.21
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ある時、ふと考えたことがあります。「私が看護の道を目指したきっかけは何だったんだろう?」また最近、そう思うことがあるので、今日はそれについて過去をさかのぼってみることにしました。白衣とナースキャップに憧れた(ちょうど、『ナースのお仕事』がテレビで始まった頃です。その影響もありますが)のは、そうなんだけどまだ他にあった気が……。 はてあ!そうそう!!!中学3年生の冬頃、進路に悩んでた時に、老人ホームのボランティアに行かないかって先生が言ってくれたのがきっかけで…あ、これは、きっかけの一部で実際、仲のいい友達5~6人で日曜日に、老人ホームに行って(他の学校の人達も来ていて、20人くらいはいたと思います。)、入所している人達と話しながらタオルをたたんだり、生まれて初めての食事介助をしたり(大丈夫でしょうか、初めての食介・・・)、薬の服薬を手伝ったり(っても、薬の袋を開けたり、水を飲ませたりです。なんせ中学生ですから。)、カラオケを聴いたり(初めて演歌というものを聴いたり、とにかく知らない歌が次から次へと流れてきました。いい機会になりました)、してたらあっという間に夕方。帰る前に、一言ずつ皆さんの前で挨拶をするというサプライズ的なことを職員さんが用意してくれまして、心臓がドキドキバクバクしながら言うことを考えていました。そして、キター!!!私にマイクが~!!!緊張の中、私は、今日一日の感想と看護の道を進みます!という話をさせていただきました。あの時からですね、私が看護の道を決めたのは!!!みなさんに宣言しましたし。あのボランティア体験がなかったら、看護をしていなかったのかもしれません。貴重な体験に感謝です!
2007.01.21
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悟りを開いたひとは決して退屈ではない。ふつうではないかもしれないし、非凡かもしれない。だが、退屈ではない。
2007.01.19
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あなたの決断はあなたが何者なのかを映し出す。
2007.01.18
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昨日(17日)は、休みでして、家でごろごろと過ごしていました。夕方から近くの本屋さんに行って、探していたスピリチュアル系雑誌をゲット~!(Sundariという雑誌です。タロットカード付きでお手頃価格でしたので、興味のある方はぜひぜひ!)そして、帰ったら、母が「なんか郵便が来てたわよ」と一言。テーブルの上には、私がよく行くショッピングモールからの封筒があるではないですか。なになに~?と封を開け、中を見ると、そこには……当選のお知らせの手紙と…………………………………2000円分のショッピングチケットが同封されていました。あ~!あの時の~!!!200名にお年玉が当たる!というクイズに応募したのが、見事当選したんです~!正解者数が2088名で、抽選をして200名に絞ったそうな。(よくここまで絞りましたな)応募総数は7603名という数にも驚きですが、その中で正解者数が2088名、またその中で200名に絞って見事当選!!!なんてラッキー♪そういえば初めて懸賞に当たったのは、中2の頃。全国版ファッション誌のプレゼントの中のシャンプーセット5名に当たりました!それから懸賞の楽しさを知って、何かしら葉書を出していたら、忘れた頃にそのプレゼントはやってくるんです。必ずすることは、ポストを前にして、葉書に「行ってきてください!よろしくお願いします!ありがとうございます!」と強く心の中で願い、投函します。枕やオルゴール(非売品)や、本、CDや商品券、雪見大福のはんてんなど多数当たってきました(19才の夏にTOKIOのアコギライブが東京であったのですが、なんと、そのライブも当選しました~。ただ見なので嬉しい反面、交通費がかかりました。。。けど、10代最後の夏だしと思って、一人で行ってきました!超嬉しかったです!!!初一人旅!!!)。中でも驚きまくったのは、TOKIOのある人のラジオにたまたま葉書を出したら、使っているピックをもらったことです。ギターは全然わからないのでピックはもらっても使うことはないのですが、その人が使っているという貴重さに感動して、大切に保管させてもらってます。前に比べると、ここ最近(いや、社会にでてから)あまり懸賞に参加していないな~と……。また、懸賞生活(とまではいきませんが)をしていこうと思います。今年一番始めのお年玉、ありがとうございます!!!
2007.01.18
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神があなたがたを創造したのは、神としての自分を知るためだった。あなたがたは神の子である。あなたがたを通してしか、神が自分を知る方法はなかった。
2007.01.17
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なにごとも、それを変える第一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることだ。個人として責任があると思えなくても、わたしたちはすべて一体であるとわかれば、責任を引き受けられる。それから、間違っているからというのではなく、ほんとうの自分にふさわしくないからという理由で、変える努力をしなさい。
2007.01.16
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宇宙には「良い」状況も「悪い」状況もない。それをまず理解しておくべきだ。すべてはあるがままにすぎない。だから価値判断はやめなさい。
2007.01.15
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今日は、朝から駅前掃除のボランティアに出掛けました。掃除も終わり(結構タクシーが停まってる辺りに、沢山ゴミが落ちていました。ので、拾わさせていただきました。ありがとう。)、片付けして集まって、挨拶の後に、皆さんでおみそ汁をいただきました(おいし~。愛がこもってる味だわだわ)。この温かくておいしい贈り物に感謝ですそして、昼からは父がしている団体の会の準備・お茶だしなどのボランティアをさせてもらいました。昼食をとっていなかったので、父と「昼どうする?」と言ってた時に、会議をする所の人から電話が「ハヤシライス用意してるからこっちで食べよ!」早く行って準備などしないといけないので、皆さんより1時間半前に行く予定にしていました。なんて有り難いんだろう(感動です)と、いつも色々してもらっているその人に感謝しました。そして、ハヤシライスを作ってくれた人にも感謝します(父とおいしくいただきました。ありがとうございます)無事、会議も終わり、父も安心な様子で一緒に帰りました。今日は、人の真心=『有り難う』ということを身をもって経験させていただきました。こんなに素敵な経験をさせてもらったことに、深く感謝しています。今日も、素敵な日になれましたこと、本当にありがとうございます
2007.01.14
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自分が寛大であることを知っていても、寛大さを示す何かをしなければ、概念にすぎない。自分が親切であることを知っていても、誰かに親切にしなければ、自意識をもてあそんでいるだけだ。
2007.01.14
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魂------あなたがたの魂------は、知る必要のあることはすべて知っている。隠されていることは何もないし、知らされていないこともない。だが、知っているだけでは、充分ではない。魂は体験したがっている。
2007.01.12
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あなたの価値観が自分に役立つなら、大事にしなさい。これがわたしの価値観だと言い、まもるために闘いなさい。だが、闘うといっても、誰も傷つけないように気をつけなさい。傷つけることは、癒しにはつながらない。
2007.01.12
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昨日、日記をアップした時に、気付きましたアクセス数が10000回を越えていることにここを見に来てくれる人がいるから、10000回を越すことができました。本当に皆さんのおかげです!感謝します!ありがとうございます!!!これからも、どうぞ、よろしくお願い致します!
2007.01.12
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罪というものがあるとすれば、それは、他人の体験で自分を創りあげてしまうことだ。
2007.01.11
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昨日の夜も今日の夜も、気になってる星があります。それは、オリオン座の下に存在している一つの星です。ダイヤモンドみたいにキラキラとすごくきれいに輝いていて、つい時間を忘れて見入ってしまったこと15分。寒いと肌で感じながらも、まだ見ていたいと思い、ずっと見ていました。昔から空を見上げるのが好きで、特に夜は犬の散歩をしながら星座を探したり、勉強の息抜きに夜空を眺めたりしていました。ある時、眠れなくて夜空を見ていると、流れ星が次から次へと降ってきて、びっくりしたことを覚えています。願い事のことなんかすっかり忘れ、ただただずっと降ってくる沢山の流れ星を見ていました。夜空を見ていると、幸せな気分になります。小さな頃にいた所が田舎だったので、夜空がすごくきれいでした。(なぜなら、そこは明かりが少ないのです…涙。その代わりに、蛍が沢山飛んで自然な明るさを演出してくれました。)その田舎は、水がおいしくて、普通に水道水が飲めます。(カルキも入っていないと思うくらい、おいしいです。)体育の後の水は格別でした!その田舎に涌き水が出る所があるのですが、よく県外からの車が来ていました。私はその当時、「なんでわざわざこんな田舎の水を遠くから汲みにくるんだろう」と謎に思っていましたが、今の所に来てすぐにわかりました。ここの水道水は飲めません!私の身体が知っている水道水ではなかったのです。祖母の家で、私はどうしても水が飲みたかったのですが、ここの水道水は飲めるものではなく、すごくがっかりしました。最近では浄水機やミネラルウォーターが主流ですが、当時はどうだったかわかりません。ミネラルウォーターはあったと思いますが、私はあまり興味がありませんでした。自然なことが自然じゃない、当たり前のことが当たり前じゃないということを、祖母の家に行った時に学ばさせてもらいました。最近、本屋さんで色々見ていたら、全国のおいしい涌き水 みたいな本があって、その中に、私が以前住んでいた、その田舎の涌き水の所が載っていました。(こんなとこで再会できるなんて~幸せ~)この湧き水は『やわらかい水』と書かれていたので、「確かにやわらかいし、あまかったな~」と思い出したりしました。ここに来てから、私は母に頼んで浄水機を買ってもらいました。水が飲めないなんて、考えられませんから(笑)。田舎暮しが15年ほどできて、色々いい経験になったと思います。素晴らしい経験ができたことに感謝です!
2007.01.11
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愛情ある態度とは、必ずしも相手の好きなようにさせることではない。
2007.01.10
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今朝の空です(雲の中に太陽が隠れているので、やたらと左側は光っています)。びっくりしたことに、空の半分が雲で残りの半分は青空でした。(なんですか、これは~)きっちりと分かれていたので、なんだか不思議になって撮りました。(運転中、ずっと気になってて、信号が赤になれば空を見てました。赤で止まれたことに感謝)衝動買いならぬ、衝動撮りでしょうか。(あははのは)空の半分が果てしなくずっと途切れることなく、雲の集まりという、珍しい今日の一枚でした。(あっちから反対方向のあっちまでずっときれいに分かれているんですよ!)母に聞いても職場の人に聞いても、「今日、空は見てない」と言ってるのが、これまた不思議です(母にこの写真を見せたら驚いてました!初めて見たそうです。)そんな空を見れたことに感謝です!(りんりん竹ちゃんも、この不思議現象を見たと書いてます!)
2007.01.09
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昨日、ある話が仕事の休憩中にどこからともなく耳に入ってきました。女の人が二人で話しています。(AさんBさんとします)Aさん:「最近、親戚とか身内がよく死ぬのよね~。」Bさん:「へ~。そんな次から次へとってこともあるんですね。」Aさん:「そうなのよ~。この前も白血病で、もうかなり弱ってた親戚がいて。お見舞いに行った時にこんなこと言ってたのよ。この世に神様も仏様もいない、いたら『もっと生きたい』って言うのに、なんで俺がこんなめに…って。そう言って亡くなったんだけどさ。」Bさん:「…ん~。まぁそうなのかもしれませんね。神様は目に見えないですから、いないかもしれないですね。それにしても周りの人が死ぬ時はつらいですね…。」Aさん:「だけど、その人ひどい人だったのよ。自分の親の名義を自分だけのものに変えたから、親が亡くなった後、遺産金は兄弟で分けることなく独り占め。それのお返しだったのかもね。」Bさん:「え~!それはひどいですね。普通、兄弟で分けますよね。独り占めしたから、そのツケが回ってきたんじゃないですか!?」この会話を聞いて、この白血病の人は、生きるということにかなり執着していて、神様や仏様の存在を否定する考えをしていますね。死を否定=生を否定しているといってもいいくらいです。魂に気づくことなく、あの世へといったのでしょう。また、さっきまで、亡くなって可哀相にと思っていたBさんなのに、遺産金の話になったらひどいことをしたから死ぬのが当たり前だったと思っているというのも、人間がもっている心の移り変わりなのかもしれません。この話を聞いて、みなさんはどんな風に感じましたか? (写真は、私の祖母がちりめんで作った今年の干支のいのししです。なんかかわいかったので撮りました。)
2007.01.08
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自分のための最善の行動が神の意にかなわないなら、間違っているのは自分を第一としたことではなくて、何が最善かという考え方のほうだ。
2007.01.08
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あなたの愛によって、愛する者を世界に押し出しなさい。彼らが自分自身を充分に体験できるようにしむけなさい。それが、ほんとうの愛だ。
2007.01.07
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「今、目の前にあることに感謝をしましょう!」 去年の12月に、りんりん竹ちゃんのお誘いで参加できた小林正観さんの講演会で、正観さんがお話されていた言葉です。私は、今、この言葉に救われて、かなりの影響を受けています。以前の私なら、目の前にあることに感謝をするということはできておらず、どちらかといえば、その逆でした。赤信号に何度も引っかかれば「急いでるのに~!早く~!!!」なんて心の中で思っていました(焦ってました)し喧嘩を売られれば喧嘩を買い、マイナスな気分になったり 頭(知識)だけで仕事をしていたので、心は置き去り状態。だから、本当にその人の気持ちになれていなかったり幸せはどこかにないのかな~と探してみるけど、そんなものどこにもないしそんな状態で、ただ単に生きているといった感じでした。 「幸せと思うと、幸せになる」って本に書いてるけど、そんな簡単に幸せにはなれないんじゃ?と思ってたりもしていました(そう思っても幸せにはなれないよ~と思ってました)。 また、今までは、自分の中で作り上げてきた『自分像』を頼りに、生きてきました。「自分はこうないといけない。仕事もこの職をしないといけない」「とにかくがんばって、嫌なことも苦手なことも克服しないといけない」などという『自分像』を、修正することもなく(←修正してはいけないものとして思い込んでいるので。)、それを守り抜いて苦しくても生きていなくてはいけないと思っていました。 ただ、その反面、どこかで「心が本当に休まる・安らぐってどういったものなんだろう」と考えていた自分がいたのも事実です。物はある、だけど満足できない といった心のどこかで何かを求めていました。 最近、私は、心の安らぎが何か、少しずつわかってきているような感じがします。心の成長途中にあるんじゃないのかなと思います。 まずは、自分を愛して自分を許すことが第一歩なんでしょうか。 今までは、目の前にあることに感謝できずに、幸せを求めていた世界で生きていたけど、今は、五感で感じることができて、寒い時に寒いと肌で感じ取ることができて、今を生きていることができている。そんなことが、喜びや幸せにつながるんだと思います。今、目の前にあることに感謝をしましょう!
2007.01.06
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生命は永遠だ。あなたがたは不死だ。あなたがたは決して死なない。ただ、かたちを変えるだけだ。
2007.01.05
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善悪についてのあなたがたの考え、それもあなたがたをかたちづくり、創造する思考だ。その思考を変える理由はひとつしかない。「そう考えている自分」では幸福になれないときだけだ。
2007.01.04
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<真のマスター>とは、生徒がいちばん多い者ではなく、最も多くの<マスター>を創り出す者である。
2007.01.02
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