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年が明けて、2007年になりました。今年は、亥年です。私・・・、年女でありまして、只今幸せでございます。ありがとうございま~す(わーい。やったーやったー) さっき、母がテレビのチャンネルを変えたら、足立の花火大会がやっていました。きれいなので、つい、見とれていました。見とれながら書いているところです。 夜空に、咲いては消える花火は、どこか切ないものを感じます。それにしても、きれいすぎて言葉も出ないし、手が進みません(涙)テレビで見ていても、「きれい」だということは、本物を見たらすごいんでしょうね~。この花火は去年の夏あったそうなんですが、それにしてもきれいすぎます。家で、一人母の隣で拍手していました。幸せです~。音楽にあわせて打ち上げられる花火は、夜空で舞を舞っているかのように見えました。 見とれて何も手につかないというのは、こんなことのことをいうのかもしれません。と、ここまでは、花火の話をしてしまいました。 では、本題に入ります。私が小学生2年生の頃に、放課後、友達に学校の池に落とされたことがありました。友達:「そこに立ってて」←池の前私:「う・・・、う・・・、うん。」と、私はその友達に何も言えず、恐る恐るただただ池の前に立っていることしかできませんでした。いやなのに、いやと言えず、ほとんど言いなり状態。今なら「いや」と言える事も、当時はされるまま・・・・・・。その後、やっぱり、私は池ポチャに・・・・・・。靴もスカートもぬれちゃいました。靴はシューズに替えて帰りましたが、スカートはどうすることもできず、仕方なくそのまま帰りました。「あ~、なんて情けないんだろう。」 そう思いながら泣いて帰っていました。中学生は反対方向からこっちにきてるし。恥ずかしいのか情けないのか、わけがわからず、ただ泣いて歩いていました。すると、一人の中学生の女の人から「これで涙拭いて」ってハンカチを差し出してくれました。私は、天使様かと思いました。こんな情けない私にハンカチを渡してくれて、しかも優しすぎる!神様~、ありがとうございます。 また、ある時一人で小学校から帰っていました。すると、向こうから超とてつもなく怖すぎる、のら犬が歩いてきているではありませんか!知らんぷり知らんぷり、、、と思ってはいるものの、その犬が私にすごい剣幕で吠えています。だんだん距離も近くなり、私は怖さの限度にきていました。(誰か~、助けて~。)すると、その前にあった家の番犬(いつもおとなしくて、私はよくなでにいっていたくらい好きな犬です)が、吠えてくれました。そのおかげで、のら犬はその番犬の所へ行って喧嘩を始めました。私は、その番犬に心の中で「助けてくれてありがとう」と言い続けながら、その場を去りました。 この私にとっては一大事ともいえる2つの出来事の時に思ったこと、それは一方ではピンチにさらされる、だけど、それを助けてくれる存在があるということです。『捨てる神あれば拾う神あり』ですね。 私に、こういうことを学ばさせてくれた、この出来事に(今だから言えますが、)「ありがとうございました」と言います。こういった、人がいやなことは悲しむからしないということも学ばさせてもらいました。2007年は、なりたい自分になります!2007年も、よろしくお願いいたします
2006.12.31
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まず、こうありたいと思うとおりに行動しなさい。それから、こうありたいと思うことを言葉にしなさい。それを何度も実行していれば、新しい考え方ができるようになる。
2006.12.31
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人生の環境や条件を創造するのは、神の働きではない。神は神の姿をかたどり、神に似せてあなたがたを創造した。残りは、神が与えた力によってあなたがたが創造したのだ。
2006.12.31
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つい先日、両親が不思議な事を言っていました。「じいちゃんは極楽浄土におるみたいよ」と。私の祖父は、今年の夏にあの世へと旅立ったわけですが、その祖父がこの前父の隣にまあるい魂で現れたんだそうです(父も母も私も、そういった現象は見えないことを最初に書いておきます)。私が小さな頃から家族みんなで、毎月お経をあげにお参りに行く場所があります。その場所に、この前行ったそうです(私も毎月行ってるのですが、今月は仕事で行かれませんでした)。先生が、お経をあげたあと、父に一言。「今あなたの隣に○○さん(祖父)がいてますよ」祖父は、お経をあげている時から父の隣にいて、何かを伝えたかったんだそうです。実家が田舎の農家をしているので、母は長男の嫁として農業をしないといけない。けど母は「やりたくない」と言って、前はよくもめていました(その度に、私が母の怒りを鎮まらせるためにも、慰め&聞き役をしていました。多分私の役割なんでしょう)。祖父が伝えたかったこと、それは「母に農業をつがなくてもいい」ということでした。それを先生から聞いた母は、ほっと安心。祖父は、それを見てからまた極楽浄土へと帰っていったそうです。祖父は、昔から無口で母ともあまり話さず、自分のことも言わない人でした。ただ母の心配を軽くしようと思って、伝えに来てくれたんですね。私には不思議な事に思えても、祖父には普通なことであり、不思議でもないし変なことでもないんですよね。祖父が極楽浄土にいることを、私はただただ嬉しく思います(じいちゃん、よかったね)。「じいちゃん、本当にいつもありがとうございます!」
2006.12.31
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明日は、2006年最後の日です。ということは…今日は、2006年の364日ということですね。時が経つのは、本当に早いな~と日々つくづく感じております。そんな中、最近、読んでいる小林正観さんの『この世の悩みがゼロになる』の本に[二つの特別日]という興味深い項目がありました。では、早速内容を書きます。「人生の中で非常に意味のある日というのを特別日と言うのなら、今日は二つの特別日が重なっている日です」この一文を読んで、私は最初、頭の中が【】でいっぱいでした。この一文を読んで、私は最初、頭の中が【】でいっぱいでした。へ?今日は二つの特別日…?なんでだろう???はて・・・・・・しかし、次を読んでいくと、少しずつですがその意味がわかってきました。ではその続きを、ドーゾ。 「一つは、今日を含めた過去で言うならば、今日の私は、人生の中で最長老であり、最ベテランであり、最古参である、と言えます。その日に下した判断というのはすべて、その最長老であり、最ベテランであり、最古参である私が為したもの、ということになります。私という人生の中で、これ以上経験を積んだ人はいないのです。今日がもっとも経験を積み重ねた日、もっとも知恵がたくさんある日です。」な~るほど確かに今の自分は、今まで生きてきた中では一番長く生きているし、色々と考えて悩んできて答えを選んできて生きてきたわけです。確かに最長老ですね。 「逆に、今日を含めた未来ということを考えてみたとき、今日の私は、もっとも未熟者であり、最若年者である、ということに気がつきます。もっとも若く、もっとも未熟だ、ということです。(中略)つまり、今日という日は、過去の人生の中ではもっとも優れた最高位にある自分であると同時に、未来に向けては、もっとも未熟な最年少の私である、というその二つの特別日が重なった、非常に特異な特別日なのです。」奥が深いですね~。今という時間は、もう今が過ぎれば、もどってはこないとは思っていましたが、まさか、二つの特別日があるなんて思いもつきませんでした。一秒の変化というものを学ばさせてもらいました。奥が深いですね~。今という時間は、もう今が過ぎれば、もどってはこないとは思っていましたが、まさか、二つの特別日があるなんて思いもつきませんでした。一秒の変化というものを学ばさせてもらいました。常に前進している人生を、もっと楽しく生きていきたいですね。2006年、最後の一日を楽しく明るく学びの多い一日にしたいと思います。みなさんも、楽しんでくださ~い。 今年も、無事生きてこられたことに、感謝です
2006.12.30
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この一年を振り返ってみると、色々なことがありました。その前にも色んなことがあった事を思い出したので、今日はそのことについて書きます。今年の3月までは(私の中では)いたって普通の生活をしていました。父がしている会や繋がりがある会のボランティアで受付をしたり(かれこれ3年はしています。今、気付きました!)、仕事や人間関係で悩んだり、友達と楽しく遊んだり。それが3月から新しいご縁があって、少しずつ成長している私がいます。スピリチュアルを初めて知ったのは19才の頃でした。精神医学や心理学が大好きな私は(授業が始まる前から読書感覚で教科書読んでました。他の教科はそうはいきませんでしたが…。)、とても興味をもって「気になるスピリチュアルをすごく知りたい!」と強く思いました。江原さんが本を出して、学校の先生が話の中にそのことを言っていたのがきっかけでした。スピリチュアルという言葉を初めて聞いた時、きらきらしたものというイメージを描いたことを今でも覚えています。それから江原さんの本を読み、ますます惹かれるようになって、他のスピリチュアルの本も読んでました(し、今も読んでます)。社会にでてからは、一人で電車で東京まで行ってきた事(かなりの冒険でした!)、インフルエンザと知らずに病院まで運転して行ったら39度あった事(体温計を見た時にびっくりでした)、心の風邪の軽いのになった事(1年とちょっとで治りました。今は元気です!)、偏頭痛が相変わらず治らなかった事……と、そんな事がありました。そんな中、初めてボランティアで受付をした時に、なぜか嬉しくて楽しくて、「やっぱボランティアは最高。仕事とは全然違う」と、ボランティアのやり甲斐を見出だしていました。そして、今年の2月にあったイベントの慰労会が、3月にありました。その時に、新しいご縁をいただきました。席が隣だった、りんりん竹ちゃんです。初めての加藤雄詞さんの講演会、初めてのヒーリング(かなり感動しました。)、今まで気付かなかった(聴こうとしなかった)徳永英明さんの歌の良さ、ブログの楽しさ、偏頭痛が三日で治った事、初めての大谷和尚さんの講演会、大分で開催した元気会、やっと参加できた駅前掃除(やっと・・・でした。)、初めての小林正観さんの講演会、と、まだ他にもありますが、大まかなものをあげました。今年一年は、心の講演会を沢山聞けました。また新しい発見もあって、素晴らしい年になりました。今まで知らなかったことを知ると、見方が変わりますね。来年も『心』について、楽しく学びたいな~。沢山の出来事に「ありがとうございます!」(写真は昨日の朝、寒くて空を見たら、雲が風に流れていたので、清々しくて撮りました。)
2006.12.29
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他者の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見いださなければならない。他者を祝福すべき者として見るためには、まず自分を祝福すべき者として見なければならない。他者の神聖さを認めるには、まず自分自身が聖なる存在であることを知らなければならない。
2006.12.28
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あなたがたはいまもこれからもつねに、純粋な創造の過程にある。
2006.12.26
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今日、仕事帰りに立ち寄ったお店に置いてあった、あるパンフレットに、次のことが書いていました。『スローライフ』[現代はさまざまなモノやコトが、私たち人間の生きるスピードを上回る速さで流れ出ています。しかもそれはメディアの発達に伴い、否応なく私たちを巻き込んでしまいます。ライフスタイルで如何に生きるかというライフウエアーを探る現在、もっともっと心の豊かさが追究されて然るべきです。すなわち、時間を省いて目的を如何に効率よく達成するかが重視される「スピード至上主義」から脱却し、「遊び」や「ゆとり」を取り入れた『スロー』がこれからのキーワードではないでしょうか。]これを読んで、確かにそうだと思いました。心の豊かさは、本当に大切なことですが、日々のことを思い出すと、心は置き去りにして、時間に追われ、何事も効率よく機械的にこなしている気がします。本当は、一つの事に関してじっくりゆっくり、心と頭両方のバランスで見方を変えながら自分なりに進めていきたいけど……、何時までにこれを済まさないといけない、だから……いつもの流れ作業で早く済ませようといった感じでしょうか。見方を変えたら、違う発見があるのかもしれないのに見方を変えない(変えたいと思ってるけど、変えることを選ばない)から新しい発見がない・変わらないといった、なんとももったいないことを知らず知らずのうちにしている人が以外と多いのではないかなと思います。私も、これからは「遊び」や「ゆとり」を生活の中にもっと取り入れていこうと思いました。またそのパンフレットに、スロー=じっくりと書いていました。スローな生活を楽しめるように、まずは心と仲良くなって、頭だけで考えずに心も一緒にバランスをとりながら、ゆっくりと歩んでいきます。
2006.12.26
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この前大分であった小林正観さんの講演会で初めて聞いた言葉を、国語辞典で調べてみました。2500年前に、お釈迦様が唱えた『四諦(したい)』という四つの悟りがあります。意味)…迷いと悟りの関係を説明する根本理論で、苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦の四つをいう。「諦」は真理の意味がある。(それぞれの意味は書いていなかったので、小林正観さんが言っていたことを書きます。)苦諦→人生は苦しいもの集諦→苦の本質は執着である滅諦→執着を取り除けばいい道諦→執着を一つずつ取り除く方法(ここはあやふやに覚えているので、あしからず。。。)また、四苦八苦のことも言われていましたので、辞典をひきました。『四苦八苦』意味)…生(しょう)・老・病・死の四苦に、・愛別離苦(あいべつりく)→愛するものと別れなければならない苦・怨憎会苦(おんぞうえく)→うらみ憎むものと会わなければならない苦・求不得苦(ぐふとくく)→求めているものが手に入らない苦・五うん盛苦(ごうんじょうく)→五うんとは人間を形成する五つの要素。色(しき)=肉体・受=感覚・想=想像・行(ぎょう)=意志・識=判断。(国語辞典には五うんまでしか載ってませんでした。)の四苦を加えた苦。また、小林正観さんは『苦』についても話してくださいました。「苦は、苦しいということではありません。苦は思い通りにいかないことなんですよ。」と。小林正観さんの最新刊『この世の悩みがゼロになる』を時間があれば読んでいますが、つい時間を忘れてしまうくらい真剣に読んでいます。わかりやすく書かれているので、読みやすいです。この本と出会えたこと、小林正観さんの講演会に行けたことなど、全てに感謝します!(写真は夕空があまりにも綺麗だったので、撮ってみました。)
2006.12.24
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神がいま、こうしてあなたのもとを訪れたのは、あなたの呼び声に応えたからだ。
2006.12.24
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12月21日に小林正観さんの講演会に行って、感動と幸せのまま、その日に日記を入れました。 がその影響で、私の感情が日記のほとんどを占めていたので(・・・・・・嬉しくて、つい・・・。)、今日は講演内容の一部を書きます。正観さんが話していましたが、人間はおもしろいもので、自分の認識に忠実に100%反応するみたいです。催眠状態にしたクライアントに「今から火箸を腕に当てます」と言って、普通の何のへんてつもない箸(もちろん火箸じゃないですよ)を腕に当てる→その部位が熱くなり体が危機感にさらされたと思い催眠状態から覚める→しばらくしたらその場所に水ぶくれができるといった現象が起きたそうです。普通に考えたら、信じられないですね(有り得ません~。医学的にも信じられませんが、実際そうなんだそうです。受け入れましょう)。熱くない物に熱さを感じるということも、条件がないのに水胞が実際にできるということも。しかし催眠状態という中では声が頼りですから、声を聞く→情報を探す→認識する→反応するという流れが出来るんでしょう。認識したことに従う人間は、よくできているな~とつくづく思いました。人間の体は、まだまだ解明できていないところが多くありますね。
2006.12.22
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あなたがたは平和であり、喜びであり、光だ。
2006.12.22
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誰も、自分がしたくないことはしない。
2006.12.22
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昨日、新聞を見ていたら、小林正観さんの新しい本の広告が大きくでていて私は、「早く見たいな~。」と思ってました(『この世の悩みがゼロになる』という本です)。そんな中、今日の夕方、一通のメールが届きました。(調度、仕事が終わった時でした。なんてナイスなタイミング!)りんりん竹ちゃんさんからでした。 「今日の夜、小林正観さんの講演会があるよ」!!!まじですか!!!しかも、家の近くじゃないですか~。これは行かなければ!と強く思いました。初めて小林正観さんの講演会に行くので、わくわくしていました。ミニノートとペンをかばんに入れて、行ってきました。本をゲットして、さあ、正観さんの登場~。イメージしていた人とは違っていましたが(180度位)、不思議な何かを出しているような、そんな雰囲気の持ち主でした。話が、おもしろくて何度…いや、何十回笑ったか覚えてません。内容も充実していて、すごくいい講演会でした。話を聞いていて、頭をよぎったものがあります。それは私が保育園を中退したきっかけの出来事でした。あまりはっきりとは覚えていませんが(←いやなことなので消したいと思い、忘れていました。)、保育園でいじめられていて、かなりいや~な毎日を送っていました。ある日、いつものごとくいじめられて、大泣きして気分が悪くなり、仲のよかった友達と会うことさえ嫌になり、次の日からは行かなくなりました。親に話すこともできず、自分の中で出した答えが、それでした。トイレにこもって、中から鍵かけて、バスが出るまでトイレからは出ようとしませんでした(よくそんなことを思いついたと思いますが・・・われながらお恥ずかしい)。母が私に「出てきなさい」とか色々言ってましたが、私はトイレから出ませんでした。それが私が出した最善の答えだったからです。親が諦めた頃に、私は事情を説明しました(やっとかよ)。それで、母は私にバレエ教室に通わせてくれました。私にとって、その保育園をやめたという出来事は、バレエという新しい道を知るきっかけになった大切な出来事でした。講演会が終わって、家に帰ったらいつもなら体温の低い私が、手とかぽかぽかしています!(35.8度が平均体温で、冷え症なんです)体温がほどよく上がることの心地良さ…幸せを感じました。今日は沢山笑ったおかげで体温も上がりましたそして、母から言われた言葉「なんか変わったね~。いつもと違う」でした。今日の出来事は、必然なものでした!全てに感謝します!ありがとうございます!!!(写真はある所で撮ったイルミネーションです。)
2006.12.21
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雪の結晶が完璧ならば、あなたがたの人生のすばらしさにも同じことが言えるとは思わないか?
2006.12.21
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昨日の新聞に次のような記事がありました。『一休禅師に、霊魂が歌を詠めばこうであろうかと思わせる一首がある。「死にはせぬ ここに居(お)る たづねはするな ものは言わぬぞ」◆「一休道歌」に収められている。胸のなかのようでもあり、天空の高みのようでもあり、神さまや仏さまがどこにおられるかは分からない。分からなくて、差しあたり困ることもない◆と思いきや、神社界は困っているらしい。(中略)←インターネット上での参拝や祈願を受け付ける神社が増えたそうで、神社本庁は「ネット上に神霊は存在しない」と全国の神社に自粛要請の通知を出したんだそうです。祈る心はどこにいても通じると言われれば、「容認派」に気持ちが傾く。清らかな華やぎをたたえた神社独特の空気に触れるすがすがしさを思えば、いかにも御利益がありそうで「自粛派」に傾く。ことの是非はむずかしい◆八百万(やおよろず)の神々も「ものは言わぬぞ」の組だが、なかには多弁な方もおられよう。ま、ほどほどであればね…ぐらいはささやいてくれる神さまも、いそうな気がする。』すごく気になったので載せてみました。目に見えないことなので、なんともいえませんが、最後の「ほどほどであればね…ぐらいはささやいてくれる神さまも、いそうな気がする」という所、いいですよね。「白だ!」「いや!黒だ!」という考えに「白と黒を混ぜた灰色もいいんじゃない?」といっているようで。みなさんは、「容認派」と「自粛派」、それともそれ以外 を考えますか???(写真は冬の椿です。寒い中、咲いていました。ありがと~)
2006.12.21
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実際に何を経験するかは、あなたしだいだ。あなたは計画したことを経験するかもしれないし、べつのことを経験するかもしれない。それはあなたが何を選んだかによる。
2006.12.19
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聖なるもので、否定によって得られるものは何もない。だが、より大きな現実が見えてくると、欲求は変化する。
2006.12.18
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『歩』という漢字は「少し止まる」と書いて『歩』。と、何気に気付いたこの『歩』の漢字は、何かを思い出してくれるかのように、目にした漢字です。仕事中は、何もすることがなくても何かをしていたい(何かをしていないと落ち着かないんですすごく焦るし・・・・・・。)という私の性格上、いつも心は走りっぱな状態でで、気持ちもゆっくりと歩くことはできていませんでした。長距離走は昔から大の苦手で短距離走が大好きなため、ゆっくり歩くよりかは早歩きがいいし、歩くんだったら少しでも早い方の走るを自然と選んでいる自分が、ここにいました(特に気が短いわけではないと思いますのであしからず・・・)。この前、何かの占いに、[まっすぐ走ることはいいことだけど、周りに目がいかないため、見逃していることが実は、身の回りにありますよ]的なことが書かれていました。 ま……まさに(占いって、当たると嬉しいんですけど、こういうのが当たると、驚きませんか?どこかで見られているような・・・・・・。)全力疾走もいいけど、これからは、走るよりかは歩いてみようかな~、少し止まって周りを見たらどんな世界があるんだろう、と、気持ちも走りそうになったら、ゆっくりと歩いてみることにします。『歩』という漢字に出会えて、このようなことに気付けたことは幸せですすべてにありがとうございます!!!
2006.12.16
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『お辞儀は礼節を重んじる日本の文化。美しいお辞儀とは、心のこもった動作であること。基本姿勢の「会釈」「敬礼」「最敬礼」の3つを使い分るよりも、相手の目を見て言葉を伝えることが大事。心の姿勢を正すことが姿にも表れるのです。』と、某携帯会社から送られてくる日々の情報の中にあった言葉です。お辞儀をすると、凜とした清々しい気持ちになれます。日本人ならではの、相手に真心をこめるお辞儀は、日本文化のおもてなしの心につながりますね。
2006.12.15
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「神」であることを求める魂には、壮大な仕事が待っている。「在り方」の厖大(ぼうだい)なメニューのなかから選ばなければならない。いま、この瞬間も、魂はそれをしている。
2006.12.15
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高い意識をもったひとの場合には、魂の決定が先で、そのあとに身体の行動がくる。
2006.12.15
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苦しみは出来事とは何の関係もない。出来事に対する反応のなかにあるだけだ。
2006.12.14
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第一の法則は、あなたがたは自分が想像するとおりになれるし、想像するとおりのことができるし、想像するとおりのものをもてるということだ。第二の法則は、あなたがたは恐れ、不安に思うものを引き寄せるということだ。
2006.12.13
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つきつめればあらゆる魂は真実でないものを捨てるし、あなたが送っている人生での真実とは、神との関係だけだ。
2006.12.12
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あらゆるひとと条件を祝福し、感謝しなさい。そうすることで、神の創造物の完璧さを認め、神への信頼を示しなさい。
2006.12.11
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あなたは不安と呼ばれるところへ行こうとしているのか、それとも愛と呼ばれる場所か?人生に出会うとき、あなたはどこにいるのか。そして、どこから来るのか?
2006.12.08
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人生の皮肉は、世間的な財産と成功に関心がなくなったとたんに、それがふんだんに流れこむ道が開けるということだ。
2006.12.08
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人類の聖なる書物のすべてが___あらゆる宗教的説話や伝統のなかで___「恐れるなかれ」と、はっきり諭している。これを偶然だと思うか?
2006.12.07
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あれ?この音楽…どこかで聴いたような気が……。このような「なんだったっけ、この○●。あの時耳にした……。ん~?あれ?……でてこな~い。」といったなんとももどかしい体験をされた人は案外多いのではないでしょうか。脳は、音や言葉、映像、感覚などさまざまな出来事を記憶している、素晴らしい臓器です。(もちろん、その他の臓器も色々な各役目を果たしてくれています。いつも頑張ってくれてありがと~)。脳を使っているけど全てはとても使えていないらしいみたいです。(詳しくは忘れてしまいました。大まかな出来事は覚えているのですが、詳しいことは忘れやすいですね。これも脳の特徴です。)思い出せないことを、脳に「思い出して」と頼んでしばらくしてふと!ひらめいたように思い出すことがあると思います。脳内で、その記憶やその時の感情、状態など(天気や香り、温度といった感覚など)の情報を頑張って引き出す作業があって、私達が忘れた頃にパっと思い出すんですね。(すごいですね~)脳の中では、私達が知らない細かくて繊細な出来事が常に行われているんですね。本当に未知なる世界です。また、脳は、音楽や言葉、情景を思い浮かべることができますね。ウォークマンみたいなもので、音楽などが再生できたりします。これもまた不思議だな~と思います。脳はまだ他にも色々な役割をしています。脳は使えば使うだけ学習するので、色々なことに挑戦して体験して多くの感動を得ましょう!(今日の写真は、『あなたは絶対!運がいい』という浅見帆帆子さんの本の表紙です。かわいかったので載せてみました。) 今日も色々考えることができたことに感謝
2006.12.06
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あなたがほんとうにしたいことを、どんどんしなさい!ほかのことをしてはいけない。
2006.12.06
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神は自由な意思と選択する力をあなたがたに与えた。それが奪われることは決してない
2006.12.05
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もうちょっと辛抱しなさい。あなたは智恵を得ている。
2006.12.04
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こっちを選択した。だけど、本当にこれでよかったのか……。最近、こんなことを考える場面が多いような気がします。この思考は、『愛』と『不安』(12月4日の神との対話をご覧下さい!)でいうと、おそらく『不安』に分類されます。プラス、【疑問】も入ってきます。自分で選択したものだから、それなりのものはあったんだろうけど、よーく考えてみると「本当にあれでよかったのかな?」と、頭をよぎることがあります。「一回選択したことを、再度確認している」という風にとることもできます。初めての選択の時は、『愛』があった(選択する時は「こっちがいい!」という『愛』があって、ほとんどの人が、いいイメージの方を選ぶんじゃないでしょうか。)けどもう一度見直すと「本当にこっちの選択でよかったのかな~、もう一つの方を選択した方がよかったんじゃないかな、なんか不安だし…。」といった、迷いやとまどいといった感情になるような(←ような を強調!)気がします(みんながみんな、こうなるとは限りませんし、いつもこうなるとは限りません)。もちろん、見直しても「こっちがいい!この選択でよかった」という時もあります。優柔不断な私は、小さな頃からよく迷ってしまうことが多いので、いまだに迷うことがあります(かと思えば、人が驚くような早さで、パっと決めることもあります。)最近、やたらとこの 『選択』といったことで悩んだりすることが多いので、今日記に書いているわけですが選択したあとも、いつ、また、自分で、見直して、変えていい。選択は、自分で、決めれるんだからと、りんりん竹ちゃんさん(お気に入りに登録させてもらってるので、ぜひ見に行ってください)から教えてもらって、「そうか~」、と救われたような気がします。無理に意地をはって、本当はいやなのに「大丈夫」と思っていたら、自分は大丈夫でも心が大丈夫じゃなくなります。バランスが大切ですね。間違った選択はないんだと思った時、これも必然と思った時、小さな幸せや嬉しい発見、新しい気付きや学びといったものに出会えるような気がします。ここまで辿り着けたことに感謝します。ありがとうございます。
2006.12.03
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ひとの思考も行動もすべて、愛か不安か、どちらかを根拠としている。ほかに動機はない。(他には動機がないの?と思いましたが、そのまま、入れました。根拠が愛か不安か。もしくはオリジナルなものがあるのかどうか。いろんなパターンがあっていいと思います。)
2006.12.03
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神はいま奇跡を行っている。
2006.12.02
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感謝とは神を信頼することだ。求めるより前に神が応えてくれると認めることだ。決して求めたりすがったりせず、感謝しなさい。
2006.12.01
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