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今日は、第15回OSS(一周年記念)のDVDの感想を書きたいと思います。講師はおなじみ[リンリン竹ちゃん]です。生い立ちから社会、仕事のことと、本当に楽しくて笑いながら見させてもらいました。人を引き付ける話し方に感心です……(拍手)。【初めての就職は銀行。しかし「自分のやりたいこととちょっと違う」と思い、銀行をやめ、それを探す旅へ。やめてからの日々は、何をしたくなるか待っている日々で「人生とは?」と考え軽いうつ状態に…。そうこうしているうちに、生活できなくなり、弁当屋さんで働く。そこでの学びは「社会には色々な人間模様があって、いろんな人がいろんな生き方をしている」ということに気付く。一日3つの仕事をするようになり、アフター5はモータースポーツをしていて、ある日、事故にあうも、一命をとりとめる。その時、生きている意味を知る。ラーメン屋さんでは「自分が好きだから相手も好きだろう」という思い込みに気付き、「人それぞれニーズが違う」「いろんな考え方がある」という学びを得る。その後、車の会社と就職するも自分で勝負したいと思い、保険会社へ転職する。始めはなかなかうまくいかず試行錯誤しながら、ある日、お客さんと価値観を共有した時に、共鳴し、信頼が信頼へとつながることを学ぶ。人は、つい結果を先に求めるためうまくいかないということが多い。結果を求めるより、まずは、自分磨きから始めて、次にお客さんに対して<フォロー・サービス・気配り>をしてから、やっと結果がでる。自分の中で自分を見つめる、これが大事!そして、意識が変われば行動が変わったという一冊の本と出会う。「人間力とは知識の量ではない。高い人生、深い愛情、優しい人柄、豊かな感性、ゆるぎない道徳心の全ての総合力である。」】沢山の学びをありがとうございました転職を繰り返し、挫折をし、努力をして今のリンリン竹ちゃんがあるんだなと、思いました。無意味なことは一つもない、経験は全てその人に与えられた学びだと思うと、前へ前へと挑戦するパワーになりますね。常識に囚われることなく、その人らしさを失わず、その人なりの人間力をコツコツと築いていくことが、まず何にしても大切なんじゃないかな~。そう思いました。リンリン竹ちゃん先生、ありがとうございました!そして、ここに来てくれた皆さん、心から感謝します。
2006.10.31
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『生命尊重ニュース』11月号に載せられていた相田みつをさんの言葉です。これを見た時に、考えさせられました。灯りをどれだけ人につけていけれるだろうか、と。これからの目標をいただいた、そんな感じがします。
2006.10.30
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昨日、家のポストに『生命尊重ニュース』11月号が届いていました。これは毎月、生命尊重センターという所から発行されている十数ページの冊子です。これも、ご縁があって定期でとらせてもらっています。表紙は、相田みつをさんの言葉と素敵な絵が描かれていて、最後は、越智啓子さんのページ、そして内容は毎月色々な方が書いています。今日は、その冊子の中に書かれていた話を書きたいと思います。[佐賀のがばいばあちゃん]の著者である『島田洋七』さんが、京都第15回記念講演会で話されていたものです。<人生、決まってないから面白い>(以下、抜粋)人生は決まっていないからごっつうおもろいと思うねん。決まっていたら、つまらない。一回こっきりやから、おもしろい。初めてやからドキドキする。右選ぶのも、左選ぶのも自由やから楽しいんですよ。前に生まれた時、右行って失敗したから、今度は左にいこうか、なんてこれもつまらない話。全部成功したら、おもしろくないじゃないですか。そんな人生はないですよ。そうだったら、養殖のきゅうり、トマトみたいなものです。農薬を振られて病気はしないけど、全部同じ形、同じ色で、トマトの味はしない。きれいだけ。全然おいしくない。昔のトマトは生地も悪いし、曲がっているけど本当のトマトの味がした。人間もそうじゃないとあかん。だから、顔もそれぞれあるからおもしろい。変わった顔があるなあと思うのは人間同士だけですよ。亀から人間を見たら、わかりまへんで。ついているものはついている。並べ方がちょっと荒っぽいだけの話。(笑)ちょっと斜めについているとか。(中略)(島田さんの夢は甲子園でヒーローになることだったそうです。高校で野球部に入った時のことも書いています。)「二年になったらレギュラーで甲子園へ」と、夢をふくらませていた冬のことでした。練習中に左ひじに打球を受け、鋭い痛みが走りました。腫れがなかなかひかず、医者の話では、関節の内側の軟骨損傷で、全治一年ということでした。俺はもう野球ができないんだと思うと、涙が止まらんかった。(中略)「ばあちゃん、もう帰ってるかなあ」。近くの親戚の八百屋で電話を借り、ばあちゃんの家の番号を回しました。「ばあちゃん、おれ、もうだめや」そう言うと、涙がこみ上げてきました。俺は高校での野球はもう絶望的だとばあちゃんに伝えました。「治らんとか?」「・・治らん」俺は「可哀相になあ」と言われるものとばかり思っていたが、ばあちゃんは違いました。ほんの数秒、ばあちゃんは沈黙し、こう言いました。「世の中、一万種類くらい、仕事はあるぞ」「え?」「治らんものは治らん。それだけをずっと考えとったら、おかしくなるだけじゃぞ。野球だけが人生じゃなか。手がだめたらサッカーばせんね」びっくりしたね。「おまえはもともと野球のためだけに生まれてきたわけじゃなかろう。都会の広島で野球がやれただけでも、喜ばにゃあ。世間に見栄を張らんでええ。見栄を張るから、つらくなるばい。世間を気にするのが一番だめやぞ」「でも、夢は持たにゃいかん。夢は叶わなくても、ええ。しょせん夢なんじゃから。だから、死ぬまで夢はどんどん見ろ。人生はそれの繰り返しぞ」俺は正気を取り戻したような気がしたね。(中略)(それから、漫才をしていて、漫才ブームが終わり、仕事がなくなって落ち込んでいた時に、ばあちゃんから言われたそうです。)「漫才ブームが済んで、山あり谷ありと言うけど、谷も降りてみなさい。まんざらやない。綺麗な川が流れている。そこで、冷たい水を飲んで、体を洗って、もう一回山に向かって上がっていけ。」谷はチャンスやから、何でも悪いことばっかりではない。こういう風にばあちゃんに言われたことが、すごく励みになりました。以上で、島田洋七さんの話を終わります。人生、決まってないから面白いという題に惹かれて読みましたが、本当にためになりました長くなりましたが、読んでくれてありがとうございました☆☆☆
2006.10.30
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〈真の指導者〉とは、追随者がいちばん多い者ではなく、最も多くの指導者を創り出す者である。
2006.10.30
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何をやっても、何を考えても、うまくいかない時…そんな時って、少なくても一度や二度は、誰しも生きている限りあると思います。明るく話をしてくれているあの人も、笑顔が素敵なあの人も……。人は、困難な壁にぶつかった時に落胆する人もいれば、その理由を考える人、乗り越え方を色々と挑戦する人など、その人そのひとによって対処法は違います。頭を抱えて悩みまくる人、好きな音楽を聴いて落ち着いてから行動を起こす人、何もなかったように明るく振る舞う人…本当に十人十色ですね。どれがいいとか優れているとかではなく、どの方法がこの自分に合っているかということが大切なんだと思います。(やどかりの貝みたいなものです。)そして、自分の対処法を、人に無理強いする必要はないということです。その人の対処法は、その人が自分なりに決めれば、それでいいのです。この対処法一つにしても、個性の一つです。個性は、とても素晴らしいですね。『その人らしさ=個性』その人らしさを受け入れることが、生きていく中で大切ですね。もし、みんな何もかも一緒だったら、本当につまらない世の中になるんじゃないかな~。自分にこんな素敵な個性があることを誇れる人が増えることを祈りながら、今日は終わりにします。ありがとうございました☆
2006.10.29
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キリストの最も偉大な教えは、あなたがたが永遠のいのちを得られるだろうということではない。あなたがたには永遠のいのちがあるということだ。
2006.10.29
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今日、父がアルバムを大量に出して来て、私も一緒にしばら~く、思い出に浸っていました(笑)。長男長女は写真が多いといいますが、確かに…多い!!!。小さな頃の私の写真が…。(特に赤ちゃん時代が…。)よく撮ったな~と、感心しながら見ていました。そして、あまり顔が変わっていないことに驚きました!それとよく笑っていました。。。それにしても、あらためて自分の人生を振り返ると、沢山の思い出があったことに気付かされますね。写真一つにしても、「この時はこんなであんなで」ということを語れるくらい思い出がありますね~。写真を見ていて思ったのですが、人は一人ではなく、沢山の人の愛に包まれてこの世を生きているんですね☆有り難いことですね、本当に。これからも、前へ前へと明るく楽しく生きていきます♪そして、愛と元気を与えれる、そんな一人の自分になれたら、と思いました。
2006.10.26
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神の言葉は戒律ではなく、約束だ。
2006.10.26
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間違った道というものはない。この旅は、目的地に「行き着かない」旅ではありえないから。違うのは、いつそこに着くかというだけである。
2006.10.26
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法則は非常に単純だ。1.思考は創造につながる。2.不安や恐怖は似たエネルギーを引き寄せる。3.存在するすべては愛である。
2006.10.24
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人生の意味とは、どこかに行き着くことではない。自分がすでに、そこにいること、これまでもずっとそこにいたし、いつもいると気づくことである。
2006.10.24
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経験を見つめて真実を探しなさい。
2006.10.22
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それを苦と思うから、苦しくなる。それを恐れるから、恐くなる。それを楽しいと思うから、楽になる。と、なぜか、ふと今、ひらめきました。同じものでも、見る方向が違うと、その後の気持ちまでもが変わってしまうんですね。プラスな見方へ変えることで、どこまでもプラスへと変えられる!!!そして挑戦するパワーになる!!!と、気付かさせてもらいました。今日、ここ大分で『元気会』が開催されました。講師はあの有名な[加藤雄詞さん]です!私は受付スタッフとして参加させていただきました。もう、癒されました~。はしゃぎたくなるくらい、超!超超ちょ~ぉ!!!幸せです!理由……そんなものはありません。ただ素直に、楽しくて嬉しくて幸せと感じます♪では次に講演中のことを書きます。講演が始まる前、何か右上の背中が痛かったのですが、講演30分くらいから体と頭が軽くゆらゆらとしてきました。それが終わったと思ったら、うとうととしてきて、頭ゆらゆら意識うとうとで1時間ほど心地いい時間を過ごしました(うとうとしていましたが、話していたことは覚えています。本当に心地よかったです)。残り30分はまたちゃんと聞いていましたが、不思議なことに右背部痛はなくなっていました驚きました!加藤さんの愛の波動が、癒してくれたんだと……。とても素敵な時間を過ごさせていただきました。その後、チャネリングというものを初めて受けました。そこでも愛を感じました。今まで自分で自分を追いつめていたものがほどかれていくような…、希望が見えてきたような…。そんな感じでした。本当に今日は素敵で素晴らしい一日になりました。これからも、笑顔で自分らしい自分の人生を大切にしていこうと思います。読んでくれてありがとうございます。感謝
2006.10.22
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神はあなたがたに、痛みを減らす__それどころか、なくしてしまう__やり方で反応する道具を与えたのに、あなたがたはそれを使ってこなかった。(正直、意味がわかりません・・・・・・。でも、書きました。意味がわかる人、いたら教えてください。)
2006.10.21
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あなたがたの一部は目覚めて歩いているし、一部は眠りながら歩いている。だが、誰もが、自分の現実を創造している。発見しているのではなく、創造しているのだ。
2006.10.20
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次の言葉は、アインシュタインが、1922年(大正11年)の秋に、日本に訪問した時に述べた言葉です。「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って忘れずにいてほしい」 日本には、本当に素晴らしい伝統や文化、言語があります。アインシュタインは、『日本の心』という混じり気のない純粋な魂と、日本人らしさをこれからもずっと、忘れないでいてほしいという願いをこめて、今もどこかで見守ってくれている気がします。(写真はサンスベリアです。右前の方に新しい葉がでてきたので、感動して嬉しくなって撮りました!)
2006.10.19
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つい……。やってしまうのが、 『相手との比較』 です。そんなことをしても意味がないし、何も変わらないとわかってはいるのですが、ある時つい比較っぽいことをしてしまう時があります。自分は自分!相手は相手!でいいのに、仲間を増やしたくなるために(同意してもらいたいがために)つい自分の考えを当たり前のごとく話してしまいます。そんなことをしても何も変わらないってわかっているなら始めからしなければいいのに…と思うのですが、私の性格上、そうはいかないのです。できないと思うことも、一度自分でしてみて、失敗してみて、ようやくわかる私です(たとえ、人からやめてた方がいいとか、成功するにはこっちがいいからそれはしない方がいいと言われても、一度自分でやってみたいのです。頭じゃ納得いかないですもん)。少しの期待や可能性にかけてみたいんですね。要領がよくないんです。だけどまぁ納得して諦めれるから私はそっちの方が好きです。まさにあたってくだけろ精神です。だけど……、なんとなく、少しわかったような気がします。人は色々な考えをもっているから私が正しいと思ったことでも、ある人は別のが正しいと思うことが多いということです。人の幸せと自分の幸せは天秤にかけて比べるものじゃないんですね。その人なりの幸せがあり、その人なりの楽しみがあり、その人なりの意見があり、その人なりの生き方がある。それを否定せずに受け入れたら自分の生き方や見方までもが変わってくるんじゃないかな……と、気付きました。その人の背景までわかろうとする姿勢は素晴らしいですね!私もそんな人になれるようにがんばっていきます。
2006.10.18
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内側へ入っていかなければ、からっぽで出ていかなければならない。
2006.10.18
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最近、『心』と向きあうことをしていなかった(やめていた)自分がいます。心から素直になっていたようで、実は、まだまだ素直になれていなかったようです。今までを振り返ると、自分が作り出したプレッシャーに押し潰されそうになり、そのことで悩み、どうにもならず…の日々を気付かないうちに送っていたような気がします。そんなことに気がつきました。今、気付いてよかったと思いますo(^-^)o(もし、まだ気付いていなかったらこれからもこの気持ちを引きずっていたと思います。)この悩みは次への一歩だったのかもしれません。[誰かに相談する]ということが苦手な私は、いつも自分の頭で解決しようとします。他の人に相談すればもっと選択肢が増えてヒントもあるのでしょうが、そこまで辿り着けません。その理由は『その行為に対して自ら恐れている』からなのかなと思いました。何も恐れることはないと頭ではわかっているのですが、心はそれをまだ受け入れていなかったんですね。誰かが作って与えたものじゃない、自分自身が作った「自分の習慣や思い」が、何かと妨げになることは案外多いのではないかと思います。心と向き合うことを忘れず、素直になることで心から楽になれるということに気がついた悩みに感謝です!(この写真は道に咲いていたコスモスです。風に気持ち良さそうに揺れていました♪)
2006.10.18
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(この写真は昨日田舎に帰った時、犬の散歩中に撮ったものです。雑草の中に優しく微笑みながら咲いていて、「小さな命で、力いっぱい今を生きているね」って勇気づけられましたo(^-^)o。)ふと、「自分が今心の底からしたいことってなんだろう」と思うことが増えてきたような気がします。いつも答えはでないのですがφ(.. )、今もこれからも忘れたらいけないことは『笑顔と感謝、小さな幸せを感じる心』かなと思います。(自分の中では)答えではありませんが、これだけはいつも気にとめておこうと思っています。話は変わりますが、感情を表へ表現すると、それだけで楽しい気分になったりしませんか?今まで私は、感情を表現していたつもりでした。しかし、実際は頭での表現が多かったことに気付きました。自然(空や海、大地や木など)と触れ合うと、どこか懐かしい、嬉しい、幸せと感じます。身体はよくできていますね。その感情が身体に現れてきます。例えば「顔の緊張がほぐれて笑顔になる。」とか、「血圧が落ち着いた。」とか。人間の身体は本当にすごいです!これからも『笑顔と感謝、小さな幸せを感じる心』、そして心からの表現を忘れずに自分なりの生き方を歩いていきたい、そんな風に思った今日このごろです。
2006.10.14
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ほかのひとたちの選択に注目しなさい。だが、決めつけたり、批判したりしてはいけない。彼らの選択はいまの時点では完璧だということを知っておきなさい。そして、彼らが新しい選択、異なる選択、より高い選択をしたいと思ったときには、助けてやれるようにそばにいなさい。
2006.10.14
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発達進化することが魂の目的であることははっきりしている。それが唯一の「魂の目的」である。身体が何を達成するか、精神がどう展開するかはどうでもいい。魂にとっては無意味だ。
2006.10.13
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実践している〈マスター〉が苦しみについて語らないのは、言葉の力をはっきりと理解しているからだ。したがって、語らないことを選んでいるのだ。
2006.10.13
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自分の感情を大事にすることだ。自分の感情を大事にするとは、自分自身を大事にすることだ。
2006.10.11
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あなたがたはみな、特別な存在だ。
2006.10.11
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人生には、ほんとうの自分ではない面を示すことで、ほんとうの自分を証明しなければならないことが何度かある。
2006.10.11
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〈マスター〉は災厄を祝福する。災難のたねから(そしてすべての経験から)自己の成長が生まれることを知っている。〈マスター〉の人生の目的は、つねに成長することだ。
2006.10.11
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~不安~大事な何かを手放さねばならなくなった時、大事な何かと別れなくてはならなくなった時……。誰しも一度は体験したことがあると思います(卒業式など)。とても淋しい…切ない…だけど受け入れないといけない。けど、受け入れきれない。そう思っただけで涙が込み上げてきた前の私。今は淋しい、悲しい、だけど受け入れようと、心が変わってきました。昨日、どこからか声が聞こえたような気がしました。「大丈夫。手放すことは何もこわくないから。安心して。」と。手放すことで不安になると思っていた前の私。けれど、今はそのような言葉をどこからかいただき、手放すことは不安ではないんだと気付かせてもらえた私がいます。不安な気持ちも自分で選べるんですね。(コスモスの写真をどーぞ。)
2006.10.07
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あなたは何を悪と呼び、何を善と呼ぶかで自分自身を定義する。最大の悪は、どんなものも悪ではないと宣言することである。
2006.10.07
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自己についての偉大な概念を偉大な体験に変えたい、それが魂の唯一の望みだ。
2006.10.07
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~心の成長~『涙そうそう』の映画を10月1日に見たのですが、素晴らしく感動できる映画でした!これはおすすめ映画です♪パンフを買いました。そこには作詞をした森山良子さんの言葉がありました。森山さんがBEGINに「一緒に曲を作らない?」と声をかけたのがこの曲誕生のきっかけになったそうです。縁ですね。では、その内容を書きます。[BEGINが作ってくれたメロディは、沖縄らしい、ゆったり感のある、これまで私が歌ったことのないタイプのもので、「涙そうそう」とタイトルがついていました。それは沖縄の方言で「涙がぽろぽろとめどなく流れる」ことをいうんだと聞いた瞬間、若くして亡くなった兄への想いが溢れ出ました。涙がぽろぽろこぼれ落ちたのです。そうしてこれまで何年も心の中でつかえていた兄への想いが少しずつ整理された言葉になって出てきました。それは、誰かが「もう心の中にある辛く、悲しい想いを外に出していいんだよ」と言ってくれたような感じでした。]心のつかえが取れてそれが涙と一緒に流れていった時、すごく心が軽くなれます。では次に洋太郎こと妻夫木聡さんのコメントです。[生きていく強さとか、人間に本来なければならないもの、ってあると思うんですよ。知識は勉強すれば身につくものだし、人と出逢えれば身につくものだったりもするけど、そうではない本質的な人間の強さは伝えられたんじゃないかなぁって。(中略)涙って、いいですよね。感動した時も、悲しい時も、うれしい時も流れるし、いろんな感情の中で出てくるものだから。いちばん人間が素直になれる時なんじゃないかなって思うんですよね、涙が流れる時って。]確かに心から素直に純粋に涙を流すときは、怒りや悲しみの感情も流してくれて、生きているということを実感できます。次はカオルこと長澤まさみさんのコメントです。[(演じる上で)これは、わかりやすい成長ということよりも、心の成長ですから。心の成長って、ふとした瞬間とか、気づかないような小さなこととかに表れるものだから、本当に気にしていないと違うものが出てきてしまう。それを忘れないように、と思いました。]とても無邪気に兄ィニィの幸せを心から想っていた、カオルちゃん。お互いがお互いの幸せを純粋に想う、心が穏やかになれるこの映画を見れたことに感謝をします。(写真は仕事で海にいった時に鴨が優雅に楽しそうに泳いでいたので、それを撮りました!)
2006.10.04
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自分の感情に耳をすますことだ。自分の最高の考えに耳を傾けなさい。自分の経験に耳を傾けなさい。そのどれかが、教師に教えられたことや本で読んだことと違っていたら、言葉のほうを忘れなさい。言葉は真実の伝達手段として、いちばんあてにならない。
2006.10.04
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神はすべての者に、つねに語りかけている。問題は、神が誰に語りかけるかではなく、誰が聞こうとするか、ではないか?
2006.10.03
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あなたがたは最高の愛を誓った瞬間に、最大の不安にぶつかる。
2006.10.03
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~幸せ~改めて強く実感したことがあります。それは『幸せ』ということです。「風を肌や心で感じられるなんて、幸せ」とか「明日に希望を見出だせることは、幸せ」とか「音を聴くことができることは、本当に幸せ」とか「感情があるということは有り難くて、その感情を与えてもらっている事は、幸せ」とか。そして「こうして生きていられることがなによりの幸せ」だと。心があるから、幸せを感じとることができます。もし、心がなかったら……。例え、沢山のお金があっても…沢山の物があっても…そこに『幸せ』を感じることはできません。小さな幸せを見つけた時、その何倍もの大きな幸せを感じた経験はありませんか?小さな幸せと感じ取るか、それを大きな幸せと感じ取るか。些細なことですが、心の感じ方一つで、気分までも変わるということに気付けた、今日このごろです☆☆☆ありがとうございます
2006.10.02
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~見方一つで~ 「自分が思っていただけで、周りは自分のことをそんな風に思っていないんじゃないか?」今日、そのようなことが頭を過ぎりました。[自分はこうあるべきだ]なんて、実際そんな決まりはないのに、自分でそう決めている…そんな気がしました。<自分で自分をイメージしてその自分がここにいる>のに、それを<周りが自分のことを多分そう思っているから>と言い聞かしているような……。「自分にはそこまでの力がないから」「自分にはこんなこと、できないから」と、自分の可能性を自ら無くして諦めていては、前には進みません。そこから経験できたことも自ら断ち切って経験せずに終わらしてしまっています。食わず嫌い状態ですね。食べてもないのに嫌いだと決め付けてしまう。これでは誰の人生かわかりません。これは、自分の人生です。自分で決めて実行して沢山経験して多くの感動を得て人生を生きていくのです。だから失敗も必要です。私は、父がしている会の手伝い(受付)を初めてする前はとても不安だらけで、「私がしてもいいのかな?」「今まで受付なんてしたことがないし…」と心が安定しない状態でした。初めてすることに不安はつきものですね。だけど、そのような経験が今を支えてくれています。本当に有り難いです。父が私に任してくれたことで、私も自信がつき受付をするのが楽しいと思える今があるんだと思います。人それぞれ性格が違って当然です。意見や思っていることも違います。見方も違います。自分は、この世にたった一人しかいないのです。代わりはいません。何もできないから何かできそうという心掛け一つで、見方が変わってくるような感じがします。感謝です☆ (この写真は、実家の稲です。もうそろそろ収穫できそうです。)
2006.10.01
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どこかのレベルで自らが引き起こさなければ病気にはならないし、元気になろうと決意さえすれば快くなる。
2006.10.01
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