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私のサラリーマン時代は3年に10日足りませんでした。パリに出掛ける以前に勤めていたのは印刷会社。写真を撮らせてくれると言うことで入ったのですが、まったくその気配はなくて、印刷のイロハを勉強できたのは有り難かったのですが、将来のことを考えて写真の道に踏み出しました。10日足りないのは、3年過ぎると少なからず退職金が発生すると言うことで、社長さんがいい人だったので退職金がいらない10日前に退社しました。それでも20万円ほど退職金をいただき、感謝して渡航費にあてました。その後に神戸の新聞社系の会社にご厄介になり、帰国後もその会社から色々と仕事をいただきお世話になりました。昨日書かせていただいた編集長もこの会社の方です。で、その会社にはカメラマンが5人ほどいて、私はアシスタントをしたり、仕事をいただいたりしていました。 その会社が2月で無くなります。寂しいです。今でも仕事をいただくことはないのですが、顔見知りはいて、たまに食事を一緒したりしていますが、寂しくなります。あの横尾忠則氏が神戸時代に勤めていた会社は、横尾氏のデザインした社章を最後まで使っていました。この会社の事も昔話になってしまうんですね。
2008.01.31
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早いですね。今日は少し現実の話し。初めてパリに長居をして、日本に帰ってきて、パリで撮った写真を持っていろんな会社を訪ねて歩いた。旅行雑誌の草分けだった航空新聞社の「ビッグホリデー」、丸善出版の「レイル・ガイ」という鉄道雑誌、「神戸からの手紙」、パルコ出版の「ビックリハウス」「ビックリハウス・スーパー」。何とか初めて印刷物になった私の写真と文章。パリにいた値打ちはあったのかどうだか、よく判らない。翌年、神戸にある新聞社系列の出している女性誌の取材でパリとアイルランドに出掛けた。フリーランスになって初めての海外取材だった。その雑誌にしてもかなり冒険だったと思うが、当時の編集長に私は非常に感謝している。多分、その方が編集長でなかったなら、その取材はなかったと思うからだ。もう30年も前の話だが、その時の緊張感は今でも覚えている。 いい時代でした。今日は写真がありません。ちょっとお怠けです。2月に入ったらまた頑張りますね。
2008.01.30
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とにかく水が不味かった。その頃の神戸は「コーベ・ウォーター」と呼ばれるほど水が美味い街だった。水道の水が美味かったから、世界中の船舶が神戸港に入港する前に、飲み水をすべて捨てて神戸の水を積んで帰ったといわれている。それほど美味い水が 当たり前のように生活の中にあった神戸から来た旅人は、華の都パリで、その水の不味さに絶句した。ゲロッ!!。それでもお金が勿体ないから、鉄管ビールを飲み続けたのだった。ペリエなんぞ飲むものか!!。
2008.01.29
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クリューニー
2008.01.28
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フロール
2008.01.28
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パリで暮らす上でカフェの存在は大きいと思う。行きつけのカフェをいかに作るかが重要だと思う。たとえ独りよがりでも。カフェのいつもの椅子にいつもの時間に腰を下ろし、ギャルソンに目癖だけでいつもの飲み物が出てくるようになると、カフェが生活の一部になってきたと思える。ただし、飲み物がオレンジーナだったら様にはならないけど。カフェ・オ・レでもダメだし、やっぱエキスプレスがいい。まぁ、毎日同じ時間に通えば変な東洋人のことは直ぐに覚えてくれるだろう。最後に、その行きつけのカフェを何処にするかが問題。チト派手な、カフェにしたいと思うのは私だけではないと思う。カフェ・クリューニー、フロール、ロトンド。雰囲気はいいけど行きつけと呼ぶにはおこがましい気もするカフェ。
2008.01.28
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初めてパリに来て、安ホテルで過ごした時期はサン・ミッシェルだったり、ヴァヴァンだったりと、少し意識して左岸だった。一度だけ16区のマセネ通りに三ヶ月ほど居たことがあったけど、フランス人の名前で借りてもらった屋根裏部屋は、隣人(すべてアフリカ人)のチクリで追い出されてしまう。その後はパリを離れて居候生活が始まったけど、右岸での生活はこの三ヶ月だけになった。 この写真は、94年の関西空港開港記念に「関空発の海外旅行」を特集したガイドブックのパリ編を制作するために14年ぶりにパリに出掛けた時に利用したホテルの屋根裏部屋。オペラ座の右手裏側の通りに面したホテルだったが、夜、外出しようとは思わないほど寂しい街だった。 一度、夜にメトロでサン・ミッシェルへ出て、サン・ジェルマン、レンヌ、モンパルナス、ヴァヴァンと歩いてみた。涙が出そうに懐かしかった。20日間程の旅の締めくくりに、グラン・シュミエールにあった「リベリア・ホテル」に泊まろうと出掛けてみたが、アメリカンスタイルのホテルに姿を変えてしまい、思い出がまたひとつ消えていた。 部屋に戻って暮れ色のパリの空に向かってシャッターを切った。 以前なら、屋根裏部屋から撮った写真はワクワクするほど明日を感じた。この写真は、旅の終わりを告げているようで、寂しかった。
2008.01.27
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で、ペタンクの写真をもう一枚。みなさん、歳とったらゲートポールじゃなくってペタンクしましょう。いろんな所に協会があるようですけど、リュクサンブール杯争奪のペタンクを勝手にやりましょう。ぜひ。
2008.01.26
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フランスの内陸部にあるパリですが、なぜかカモメを見かけます。パリ市は海がないのになぜかカモメがいるのです。なぜか?。答えは、セーヌを利用して海まで航行する船舶があるからだとか。なるほどね。フランスのカモメはオシャレですね。行こうと思えば凱旋門だって、エッフェルだっていけるんですね。私なんか、ルーブルに行きたいのに、いっこうに近づきません。
2008.01.25
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天気のいい日はよくリュクサンブール公園に出かけていきました。日曜日にはなぜかヨットやボートの模型を浮かべて楽しんでいる人が多いようでした。大体は、ボートやヨットのオーナーは親父なんですが、たまに子供がでかいボートのオーナーだったりして、周りの子供から羨望の眼差しをおくられていました。私はガキの頃、一度だけ船の模型を作りました。私の家には小さな池があって、その池で親父が金魚を飼っていたのですが、毎年夏になると4千匹とか5千匹とか買ってきて池に放します。その池で手製の船を走らせたのですが、こっぴどく怒られました。それっきり船造りはしていません。ちなみに潜水艦でした。
2008.01.24
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フォンテンブローに出かけた時。その名前の響きが気に入って訳もなく出かけた。フォンテンブローとバルビゾンは何となくセットになっていて、折角だからバルビゾンにも寄って帰ろうとタクシーに乗ってバルビゾンまで行った。実は何の情報も持っていなくて、バルビゾンではどこへ行ったらよいのやら、ウロウロしたもののな~んにも見ずに帰ってきた。記憶にあるのはフォンテンブロー駅だけというお粗末な旅。お粗末!!。
2008.01.23
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これで一応完結しておきます。また、新たな写真がで出来ましたらUPします。そろそろパリに帰りましょう。といっても話題を、ですよ。
2008.01.22
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一週間かけてウエールズのミニSLを追いかけた旅は、当時丸善出版が出していた鉄道雑誌に掲載しました。私としては、忙しくて、楽しくて、へとへとになった旅でした。事情も分からず、スケジュール違いばかりでウエールズを駆けづり廻った旅でした。でも楽しい思い出です。
2008.01.21
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ウエールズの狭軌鉄道は勿論おもちゃではなくて、過去に鉱石や地方の産業に実際に貢献していたものです。
2008.01.20
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すべての路線で軌道幅が変わる。
2008.01.19
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アイルランドの往復はアイリッシュ・メールという列車でロンドン・ダブリン間を移動する。アイルランドにはいるとローカル線に乗り換えて西部のゴールウエイの港をめざす。そのアイリッシュメール号がウエールズを通過するときに途中下車してウエールズの狭軌鉄道の旅が始まる。最初のSLには誇らしげにウエールズの紋章がつけられている。もう一枚の写真に写るSLには英国国鉄のマークがついていた。
2008.01.19
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アランセーターを編むお母さん
2008.01.18
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アラン諸島のカロック。
2008.01.18
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パリにいた頃、6月になるとアイルランドに出掛けていました。フランス人の友人は「アイルランドは危険だ!!」といつも言ってましたが、私が出掛けていたのは北アイルランドではなくアイルランド共和国。しかも西部の田舎町ですからテロ騒ぎとは無縁でした。それでもヨーロッパではアイルランドは危険な国と認識されていたようです。写真は3枚あげておきます。まず、サイモンピアスのガラス工房そして、アラン諸島のミドルアイランド・イニシャーマンのカロックと、アランセーターを編むお母さんです。
2008.01.18
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パリにいた頃、たまに旅行に出掛けていました。この写真は,英国のウエールズを走る「グレート・ロコモーティブ・オブ・ウエールズ」という狭軌鉄道8路線を旅したときの一枚です。一週間かけて走り回って撮影しました。なかには「機関車トーマス」の中に登場する機関車のモデルになったSLもあるとか。その時はトーマスも知らずに出掛けたのですが…。
2008.01.17
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フォーラム・デ・アール横のサントゥスタッシュ教会前のモニュメント。テレビのCMはこのアングルからです。見覚えありませんか?。でも何で頭と手だけなんですかね。
2008.01.17
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なんてね。カプッチョのCMで有名になったフォーラム・デ・アール横のサントゥスタッシュ教会前のモニュメント。携帯電話を持たされたバージョンもありましたっけ。
2008.01.16
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狛犬の集団?。何でしょうねこれは。
2008.01.15
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暖かそうな写真を。新成人の写真を撮ってきました。振り袖姿です。みんな背が高いのでバック紙の設定が低すぎて、少し苦労しました。平成生まれの新成人にエールを!!。暴れないで下さいね。
2008.01.14
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多分、エッフェル塔に上ったことがある人でもいつの間にか忘れてしまう事実。斜めに上がっていくエレベーターです。
2008.01.13
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パリの冬の空は鈍色。おもたくて暗い空に、取り残されたような観覧車が空回りしていた。さびしいなぁ。
2008.01.13
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北ホテルは今、レストランだとか。
2008.01.12
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北に向かうことは殆どなかった。クリニアンクールに出掛けることも、一度、3人組のスリに囲まれて、どこまでもどこまでも付け回されて以来、行くことはなくなった。それでも写真を撮りたさに何度か出掛けたのが「サン・マルタン運河」だった。リュパブリック広場か東駅からトコトコと歩くと約10分。運河のあたりを撮影して歩く。夏場なら緑が覆い被さった運河をカノラマが優雅に通り過ぎていくが、冬場は正にマルセル・カルネの「北ホテル」の世界だ。最近は「HOTEL DU NORD」という名のレストランになっているらしい。運河に掛かる鉄橋は、鈍色のパリの冬の空にベストマッチで、モノトーンの映画の世界を思い出させてくれるが、今の若い人たちには映画『アメリ』の中に登場する鉄橋の方が通りがいいらしい。で、今日はサン・マルタン運河」の写真でした。
2008.01.12
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どこかで聞いたフレーズかな。私のいた頃はまだ一等ってのがあって、二等のチケットで一等に乗ってたりすると、コントロールってのに捕まって罰金を取られるシステムでした。まだカルト・オランジュという定期を知らない時分は、カルネという回数券を買っていたのですが、夜遅く乗ることがあるなら一等車の方が安全なんてガイドブックに書いてあったことを信じて、一等のカルネを買っていました。確かに値段が高い一等車に無駄なお金を払って乗ることはないのですが、コントロールがちょくちょく廻っている路線では、車内はすいているし、夜間でも安心は安心でした。いまはもう一等車はないそうですが、これも安全はお金が掛かるって事なのかな。その頃のことを考えれば、日本は安全だったかも。今ではそうでもないですが、私の住んでいる神戸では、まだ安全かも知れません。モノクロの写真は新鮮かな。
2008.01.11
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この写真はサン・シャペル教会の2階。とても綺麗なステンドグラスを通り抜けた太陽の光が、教会の中を飛び跳ねていた。
2008.01.11
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毎日、カメラを担いでどこかをうろついていました。雨が降ると休み。カメラを置いて美術館に出掛けていました。日本の美術館と違って写真を撮っても怒られません。ただし、ストロボと三脚は禁止。今のようにデジタルになったらある程度の撮影はストロボなしで行えるから、撮影禁止になるのかな。誰が撮ってもある程度の写真になるから。カメラを持って出ない雨の日は、外を歩いても写真が撮れないのでメトロに乗ることが多くなっていました。出来るだけメトロには乗らないで過ごしていた頃もあって、切符代が勿体ないからルーブルからシャンゼリーゼ位は平気で歩いていました。ある日、カルト・オランジュを買いました。多分、歩き疲れていたのでしょう。メトロに乗る回数が増え、出掛けて行く先が変わり楽しみが増えました。パリ中の路線に乗ってしまいました。でも鉄ちゃんではないです。念のため。
2008.01.11
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「サモトラケのニケ」。世界一美しい石像だと思います。ミロのヴィーナスよりも美しいと思います。この像の後ろからながい布をなびかせて表れたオードリー・ヘップヴァーンを中学生の時「パリの恋人」で見ましたが、あんなに美しいシーンは他にありません。
2008.01.10
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パリの公園を散歩しているとよく見かけるのがペタンクでした。今でも盛んなのかよく分かりませんが、70年代は至る所で行われていました。緑の木枠に囲まれたペタンク場でプレイしている人もいれば、リュクサンブール公園の片隅で一人黙々と練習している人もいました。日本では俳優の故伊丹十三氏が日本ローンボール協会かなにかを設立して、英国のローンボールを紹介していたようです。ペタンクとローンボールは親戚と言うよりいとこのような関係らしく、イタリアやその他の欧州の国でも名前が少し違うだけで、同じような競技あるようです。最近の日本で流行った「カーリング」もスタイルはかなり変形してますが、ルールから見ると氷上でするペタンクのようなものです。私もフランスから日本に引き揚げてくるときに2セット(鉄の玉が4つと的玉で1セット)買ってきましたが、値段が結構するのと、とにかく重くて飛行機に預ける荷物20キロの許容を食われてしまい大変でした。結局、誰もそんな遊びに興味を示さず、ペタンクは誰かにフランス土産でやってしまいました。「でっかいパチンコ玉みたい」と言った人もいました。ところで今年の秋口にテレビでちらっと見たんですが、ジャニーズのSMAPが番組の中でわざわざスタジオにペタンク場を作ってペタンクをやっていました。イマイチ盛り上がらずに終わったようでしたが、木村某が異常にはしゃいでいました。他の3人はシラ~ッとしてましたが、流石に木村某をしてペタンクを流行らせるのは至難の業なのかな。兵庫県の淡路島や三木、加西などでペタンクの競技会が頻繁に開かれているようで、実は静かなブーム。私も参加しようかな~なんて思って、でっかいパチンコ玉を買おうと思ったのですが、日本では2・3万するそうなので諦めました。ボウリングの球より高いかも。でも流行ったらいいのにと思っています。
2008.01.10
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犬だって行き当たりばったりでマーキングしたり、ウンチしたりすると嫌われそうですが、パリッ子の犬好きは病気に近いと思えます。これ見れば分かると思うけど。犬の公衆トイレだって。
2008.01.09
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パリで散歩に出掛ける時。ちょっと気になる物があります。パリのゼロ・ポイント。以前にもちょっとふれたことがありましたが、これがパリの中心です。このポイントを中心に右回りに二回り半。ですからこのポイントは当然1区にあります。場所はノートルダム寺院の前。人だかりが出来ていますから直ぐ分かると思います。取り敢えず、マーキングしに行ってきてください。犬じゃないんだからマーキングはちょっと…。
2008.01.09
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パリの公園には鉄製の椅子か木製のベンチがあります。以前は鉄の椅子を利用すると50サンチームの料金が掛かってきましたが、何年か前に無料になったと聞きました。そんなベンチに腰掛けて、することといえば「マン・ワッチング」。人をじっくりと観察することですが、パリでは観察される側の人ものんびりとベンチに座っています。大阪や東京では考えられないような時間の流れ方がパリにはあるようです。いつの間にかその流れが私の標準になってしまったひと時が、パリに居た時にはあったのでしょう。
2008.01.08
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チュイルリー公園の外れまで進んでくるとコンコルド広場のオベリスクが見える。椅子をズルズルと引っ張ってきて、ここで一休み。おや?、ここはエジプトかい?。
2008.01.07
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ルーブル宮からチュイルリー公園抜けてシャンゼリーゼに向かっているとき、振り返るとカルーゼルの凱旋門越しにルーブル宮殿の全景が見える。デカい!!!。
2008.01.07
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今日の一枚はボージュ広場と思ったのですが、公園ばかりもちょっと…と思い、駅の写真をあげたいと思う。初めてのパリはパック旅行だった。何の知識も興味もないのに、友人から勧められた格安の旅行でパリに出掛けてきて、宿泊はモンパルナスのシェラトンホテルだった。神戸にはモンパルナス駅のように大きな駅はなかったし、終着駅(神戸駅が東海道線の終点だけど、山陽本線の起点でもある)もないから、この駅には驚いてしまった。パリの国鉄駅はいずれも重厚で歴史を感じさせるものだった。ただ、モンパルナス駅は近代的な駅舎に建て替えられていたが、オステルリッツも北駅も、東駅、リヨン駅もそれは素晴らしい建物だった。翌年、パリに5ヶ月滞在した時にユーレイル・パスを使ってヨーロッパを鉄道で旅したのも、フランス以外の古い鉄道施設を撮影してみたいという思いがあったからで、私は「鉄ちゃん」ではないが、駅舎には興味があった。今日の写真は「アントワープ駅」。見ているだけで、この駅から始まる旅を経験したくなるような、そんな駅舎。日本にも下関駅や東京の八重洲口の古い駅舎に、素晴らしい建物が残っているけど、欧州の建物にはかなわない。日本の駅舎は、欧州の駅舎を真似て造られたものだから。
2008.01.06
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写真の追加です。リュクサンブール公園のポニー。
2008.01.05
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初めてパリに行った1976年。パリで一番驚いたことは公園だった。私の住んでいる神戸には、街中に大きな公園はなかった。実は須磨離宮公園とか相楽園とか、しっかり手入れされて公園はあるにはあったが、管理された有料の公園がほとんど。パリのリュクサンブール公園やボージュ広場のような居心地のいい、というより、そこに居たくなるような公園は皆無だった。ブール・ミッシュを南に下り、サン・ジェルマンを越えてさらに南に進むと、黒と金色で塗られたの格子で囲まれた広い公園が現れる。そこが宮殿だと後で教えられたが、その時代は議会か何かに使われていたと覚えている。シンメトリーにレイアウトされ清潔で整えられた公園は、私にとって初めて見るもので、私の概念にないものだった。園内にはそこここにモニュメントがあり緑の中で何時間でも時間を浪費していたい気持ちになったものだ。その公園で見つけたのが小さな「メリーゴーラウンド」だった。遊園地とか百貨店の屋上でしか出合わないものが児童公園にある滑り台や鉄棒のごとく、何の特別な意味も持たず公園にあることに驚きを感じた。こんなものなんだと妙に納得する。そう言えば、公園内を子供を乗せたポニーが歩いていた。それだけで十分。私の知る公園とはまったく別な公園がパリにはあった。それだけで、十分パリが好きになれた。
2008.01.05
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中々続かないブログ。途中で中断してしまいなにかと話しが続かない。考えてみればパリ時代とタイトルはついていても、もう10年以上行ってない。どうせ昔話なんだから今日イチの写真を選んで、その話しをしようと思います。今日の一枚は、台湾の写真。パリじゃなくてゴメンね。で、台北の中正記念堂のつもりで撮った写真。去年の5月に台湾民主紀念堂に名前が変わっちゃいました。堂内のでっかい像は蒋介石総統。中々迫力のある建物です。
2008.01.04
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今年は子年。狛ねずみで有名な京都の大豊神社は、大賑わいだとか。この写真の狛犬(?)も、少し変わった感じの狛犬。探してみるといろんな狛犬がいるようですね。今年は狛犬に昂ぶってみましょうか。とりあえず、台湾の狛犬です。
2008.01.03
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一人暮らしの親父にしたら、正月ほど暇なモノはないです。今年は、初詣の撮影もなかったから初詣にも出掛けていない。別に神仏を冒涜するつもりはないけど、日頃まったく信仰心が欠けているような生き方をしながら、クリスチャンでもないのにクリスマスを祝ったり、正月だけは神社にお参りに出掛けるという習慣は持っていない。それでも仕事とか観光とか、日頃たまたま社寺仏閣に出掛けることがあると手を合わせることはしている。しかし、それでも、「えべっさん」だけは自らの意志で出掛けている。とりあえず、自営業者だから…。 大晦日のカウントダウンがテレビから流れてくると窓を開けて、親しい人に電話をかけながら神戸港に停泊する全船舶が新年を祝って鳴らす汽笛を聞くのが、新年の行事。それから、何をするわけでもなくダラダラとテレビを見ながら朝日の昇るのを待って、4階の天文ドームの前で初日の出を見て、それからゆっくりと床に入る。 今日は2日。事始めだから、まずは写真の整理を始めたところ、もう14時間もパソコンの前にいる。正月らしい写真でもあればUP使用と思うけど、正月用に撮った写真がないので、我が家の男猫さんのミスティーの写真を合成して、親しい人に年賀状の絵柄で送って写真をUPしてみたい。写真のタイトルは「アステカ型2008年式改・鎧ねずみ型モビルスーツ MISTY nya5号」です。 笑ってやってください
2008.01.02
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本年もよろしくお願いします。
2008.01.01
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