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先日、赤十字病院で誤嚥の話しを呼吸器内科の先生としてきた。 最近、睡眠時無呼吸症と診断され、寝る時に鼻にマスクを付けて強制的に空気を送り込んで気道を確保しながら寝ている。 寝ている時に呼吸が止まるなんて当人にはどうする事もできない症状程恐ろしいものはないなぁなんて思っていたら、考えてもいなかった更なる恐怖を経験する事となった。 言葉では呼んで字の如し何んだけど、チョイと間違って食べた物とか飲んだ物が気管に入って、いきなり咳き込んだり声が枯れたりする程度と思っていたのに、毎朝飲んでいる七種類の錠剤が一錠ずつ喉を伸ばしながら勢いよくゴクンッて飲むのに、ことごとく気管に入って飲み込めなくなってしまった。 で、病院に行ったついでにその事を相談してみたが気管食道科とか耳鼻咽喉科を受診しないと確な答えは得られないとのことだった。 まあ歳だから高齢者の誤嚥はままある事だし、誤嚥性肺炎にならないように気を付ければと軽く考えていたのに、その日の夕食時、喉に何かが詰まって息が出来なくなった。 落ち着いて息を吸ってみるが息が吸えない。吐こうとするが息が吐けなかった。 段々と焦ってくる。息をしなければ、何とか息を‥‥。 落ち着いて肺に残っている空気だけで、気管に詰まった何かを吐き出さないと‥肺の中のありったけの息と全身の力を込めて空咳をした。口から何かが飛び出して目の前のテレビの画面に当たって跳ね返ってきた。黄色い粒。 一粒のとうもろこしの粒。とうもろこしに殺されるところだった。 明日、耳鼻咽喉科に行こうと思っている。 もう少し生きていたいよぅ。
2021.01.21
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正月の延長とコロナ禍の影響で何もしないうちに1年の18分の1が終わっている。 光陰矢の如しって言うけど70歳を過ぎてからの日々は新幹線『ひかり』の如くはやい。 しかも何もせずにのうのうとしているのに時間は疾風の如く過ぎていく。 「のうのう」って意味を調べてみたら「何も心配なくのびのびと」って事らしいが、のびのびではなくて、だらだらと締まりのない日々を過ごしているのに、時間は速度違反で過ぎて行きもう2月が目の前だ。なのに怠惰な生活から抜けきれずにいる。 大病を患ってから気をつけているのは、医者にも釘を刺されている事だけど「太ってはいけない」って事。 充分分かっているからこの一週間恐くて体重計に乗れていない。いや、乗っていない。意識して。で、今年に入って初めて炭水化物を抜いている。年末から好き放題食べて、松の内も松が開けても只々食って来たから結果は判っているとして認めたくない自分がいる。自分の事はよく分かっている。完全なる軟弱な爺ィだ。 パリで初めて長逗留をしたのは1967年の事。身長171cmで体重は56kgあった。 1年オープンの往復航空券と3ヶ月のユーレイルパスを購入して手元に残った資金は約80万円程。まずは半年滞在を目標に土地勘もなく知り合いもいないパリを目指した。 パリを起点に白夜の北極圏では地平線を横に移動する“沈まぬ太陽”を眺め、第二次世界大戦でドイツ軍を阻んだ『ドーバーの白い壁』を越え、ベルリンを東西に分断した壁を越え、『オリエント急行』に乗り108日間で12カ国を巡った。 パリに戻ったある日、ホテルの屋根裏部屋で夜中に目が覚めると下半身の感覚がまったくなかった。足を触っている感覚はあるのに足を触られている感覚がなく腰から下が冷たかった。ベッドから起きあがろうにも足が動かなかった。必死で腰を、足を摩る。だんだんと感覚が戻ってくる。腰から下が痺れ始める。涙が出てきた。下半身に感覚が戻り、痺れが切れて痛みが下半身を支配した。朝を待ってノートルダム寺院にあった有料の体重計(50サンチーム/約30円)に乗ってみると体重は49.5kgだった。 何してんだろう。 パリに来て160日が経っていた。その日から節約を辞めた。あと20日間で半年。日本に帰ろう。 ホテルで知り合った「パリ食べ歩き」に来ていた日本人に便乗してミシュランの星付きレストランのハシゴをした。といってもお昼だけどね。 てな感じで初めてのパリ暮らしに終止符を打ち、帰国便のパキスタン航空南廻りカラチ乗り換え便に乗ってパリ・オルリー空港を飛び立った時に、窓から見える「パリの灯」を見ながら既に再びここに戻って来ようと心に決めていた。なんて懲りない奴だ。 あぁ、痩せたい!。
2021.01.21
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病気をしてから炭水化物をなるべく減らす食事にしている。 今まで平気で炭水化物✖️3の食事、例えばラーメン+チャーハン+餃子なんてメニューを毎日、時には昼夜2食同じメニューを平気で食べてきた。お陰で死にかけたからゼロとは言わないけど炭水化物を抑え、糖質も脂質も極力抑えた食事をして来たけど、外食もせず、コロナ禍でズ〜ッと家にこもりっきりだから楽しみと言えば食べる事ぐらい。つい好きな物を食べてしまう。 いい歳して何考えてんだろう。まだ、少し長く生きていたいのに‥‥と反省しながら餅を 2個食べてしまった。 なんのこっちゃ。 アッ、タイトルおじやなのにでてこなかったね。 今度あらためて書きます。陳謝。
2021.01.07
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長い間使っていた。Macがついに動かなくなってしまった。昨年の11月中旬に内臓HDがダメになり、慌てて外付けのHDを起動ディスクにして動かしていたが、やはり、経年劣化だろうかモニターが映らなくなってしまった。Macその物は動いているけどモニターなしではどうにもならないし、いつかこうなる事もあるだろうと代替えのMacも用意していた。 にMac27inは2009年Lateって機材で、Appleからは部品もないので修理は出来ないと遠い昔に告げられていたから覚悟はしていたけど、長年写真の仕事をして来てiMacのモニターの美しさに一目置いていたので、何とか使い続けていた。新しいiMacが発売された時に買い換えようとも思ったけど、その時点でのわがiMac君は健在だったので最後まで使おうと考えていた。現実にそうなったのだが、もう仕事もせずに隠居生活を送っている身としては新しく20万円程出して新しいiMacを買うなんて贅沢過ぎると思っていたし、病気をしてからは、もしMacを新たに購入する様な事があるならMac miniにしようと決めていた。ところが昨年Retina 5KディスプレイのiMacが発売されるとそのモニターの美しさに愕然とした。2009年LateのiMacでさえモニターの美しさは別格だったのに、2015年モデルから搭載されたRetina 5KのモニターはTEXTのアプリのアイコンに書かれている文字がハッキリと判別できるほど画像が美しかったが、更に2017年から加わったiMac Proは5Kのモニターに加え、ブロセッサは18コアまで、メモリは256GB、ストレージはSSD4TBとカスタム出来る。動画は触らないからそこまでは要らないとしても5Kのモニター画面に映しだされる写真は、画像の中にスーッと手が入っていきそうに美しい。まっ、手に入らない事を悔やんでいても仕方がないとして、新しいMac miniを繋いだ27inchのモニターは情けないほど画像が汚いのだ。更に、と言うより、そんな事よりもっと重要なことは始動を拒否しているiMacから移植したデータを新しいMac miniに移植しようとしたら、外付けのHDに入っているデータが560GBあって、事前に画像やその他諸々をデータを他のHDに移して内容量を軽くしてからMac mini内臓のSSDに移そうとと思っていたのに、その前にiMacのモニターが映らなくなってしまった為、年賀状のデータが取り出せなくなってしまった。せっかく作ったのに!。 今日、取り敢えず急遽手書きで年賀状を作って出してきた。Mac miniを用意したのはAppleの新しいチップを搭載したMac miniが発表された昨年の11月。まだiMacが動いていたので、今までの写真を確認したり、RAWから現像していた為に後れを取ってしまった。で、今日に至る。年頭からのドタバタ劇。毎年の事だからそんなに驚きゃしないけどね。 歳も歳だし、老眼もすすんでモニターが霞んでるから5Kにしても同じだろうなぁ。
2021.01.02
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本年もよろしくお願いいたします。2021年が明けた。このブログを開設したのが2007年6月27日。2021年元日から数えて4937日前の事。書いたり、書かなかったり。意味のないこともたくさん書いたけど、日記のつもりで初めてみたものの、考えたら、小学校の頃から夏休みの絵日記を真面に提出した記憶が無い。そんな怠け者の私がブログを続けられる訳もないけど、何故かブログに固執している自分がいるのは、2015年に冠動脈が石灰化して救急搬送され、開胸手術を受けて長い昏睡から覚めた時に、何とか生きている事を私が理解するまで何度も何度も経緯を説明してくれた周囲の人達のおかげ。自分ひとりだったら生きていなかったかも‥と思う。そんな終の時を、今度迎えた時にせめて自分がどんな人生を送って、何を考え、何を思っていたのか、近しい人には伝えたいと思ってブログを真剣に書き始めた‥はずなのに、日記ひとつ真面に書けないボンクラの私だからまたサボり癖が出たというお粗末な話を年頭から書いている。毎日が平凡のようで平凡でない生活を送っているんだから、せめて「俺はここに居るんだそ!」って誰かに伝えたいと思い、また性懲りも無く年頭だからとブログを書き始めた次第。三日坊主で終わらなければいいが。 今でこそ、人に伝える事もない爺の日々の生活だが、大昔(私がパリにいたのは1975年から1980年)の事。そんな大口叩いて「その頃のパリは‥」何んて大上段に構えた話しは皆無だけど、底辺から見あげた話は結構面白いと思うしそこそこある。何んて‥相変わらずの手前味噌(自慢にもならない)なむかし話だけど、今年も書いてみようと思っている。 昨年10月に『KENZO』の創設者、高田賢三氏が亡くなった。1977年に日本の某通信社のコネクションでパリコレを撮影させて頂いた事があった。希望するデザイナーを挙げてチケットを手配してもらうのだが、その当時の日本人デザイナーの人気は高く、大手の通信社ながらチケットは厳しく枚数が制限されていてコレクションには行けなかった。とは言え、フリーでやってる以上何らかの形を組み立てないと仕事に繋がらない。で、取り敢えず日本人デザイナーのコレクション会場を軒並み回って会場前に集まった人出や雰囲気の写真を撮っていた。その中に見た事のあるフランス人を見付けた。その人は私の事を覚えていたらしく「今日は子供と来ているだけでコレクションには入らない」と当時、人気の高い日本人デザイナーの招待券をくれた。 サル・ワグラムで開かれたコレクションは大盛況で、何となくラッキーで入った訳だけど、ショーの後で某通信社の記者に会ったらかなりの驚き様で、チケットを貰ったと話すと「有り得ない!」と興奮し、興奮ついでにその日本人デザイナーに紹介してくれてた。彼からがコレクションの招待客に渡すお土産一式(当然非売品)とスタッフジャンパーとTシャツを頂いた。で、後日、ファッション関係の記事はダメだったけど通信社のコネを使って、バリコレで配られたグッズの幾つかを手に入れて「こぼれ話し」を一本仕立てた。 甲斐あって滞在費が少し増えた。そんな話しから‥始めますよ。 今年もよろしく。
2021.01.01
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