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モーリス・ラヴェルのピアノ曲「水の戯れ」は、とても良いと思う。何かにつけて、聴きたくなる音楽だ。 この原題が「Jeux d'eau」であると最初に耳にしたとき、反射的に柔道を連想してしまった。 そんなバカな冗談はどうでも良いのだが、この“水”は何なのか?と久しく気になっていた。音の様子からすると、海辺とそこへ打ち寄せる波を“戯れ”として表現しているように思えるのだが、どうなのだろう。 ラヴェルの出身地は、スペインにほど近いシブールという町らしい。海は、すぐそばにあるようだ。 それならば、やはりこれは海なのだろう。いや、もしかすると、実際はそうではないかもしれない… ただ、これ以上考えなくても良かろう。私が海だと思えば、もう海にしか思えないのだから。
2009.09.24
缶ビールとポテトチップス。これに勝るコンビネーションはあるのだろうかと考えていた。 ラジオから八ッ場ダムのニュースが聞こえてきた。父と母はもうそろそろ起床する時間だと思った。 9月20日の誕生花は“ヤブラン”らしい。誰にでも誕生日がある。誰にでも誕生花があるのだろう。毎日が花だ。祝いのない日はない。 高浜虚子の俳句を書き取っていた。一塊の雲ありいよよ天高し。 窓を開けた。快晴らしい空だ。もう寝よう。 ボードレールの詩に「今こそ陶酔の時」という一節があった。こういう瞬間なのかもしれない。
2009.09.20
昼間テレビのスイッチを入れたら、TOKYO MXで『大江戸捜査網』を放映していた。ごく初期のものらしく『大江戸捜査網 アンタッチャブル』というタイトルだった。 石切り場だろうか。荒涼・殺伐とした風景の中に、アジトのような木造の建物が作られていた。その建物の入り口のところには、なぜか牛の頭蓋骨が掛けられている。無頼漢たちは、バッサバッサと派手なチャンバラを繰り広げる。 …という場面を見ながら、ふと思った。これはマカロニ・ウェスタンの映画に近くないだろうか?音楽にも、そんな雰囲気が漂っているように感じられる… 興味が湧いてきたので、PCで軽く調べてみた。 ウィキペディアの「大江戸捜査網」によれば、この番組がスタートしたのが1970年。 同じくウィキペディアの「マカロニ・ウェスタン」によれば、『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』が、それぞれ1964年と1966年。 マカロニ・ウェスタンをテレビ時代劇として継承=『大江戸捜査網』。少々強引な仮説だろうか。
2009.09.16
昨日、職場でポリーヌ・エステルの「開いた窓」を聴いた。お客様がご持参したレコードである。 あッ!と思った。 確か私が26歳のときだったと思う。NHKラジオ第2放送の『フランス語講座』を毎日聴いていた。その応用編で、これが取り上げられていたのである。 もう10年以上も前のことなのに、なぜか鮮明に記憶に残っている。 当時私が住んでいたのは、築40年ほどの木造家屋の4畳半だったが、窓からの眺めが良い部屋だった。 この歌詞に、私は自分の環境を勝手に重ね合わせていたのだろう。 しかしもちろん、その部屋からリオの街は見えなかった…
2009.09.14
知人のITさんが働いているTOWERmini 東京駅八重洲口店で、『ロシュフォールの恋人たち』のDVDを購入した。 この映画についてはほとんど知らなかった。“ロシュフォール”という気の多い男がいて、何人も何人も恋人を作ってしまう、軽薄なラブストーリーでは?と勝手に想像していたほどである。 DVDのパッケージに「軍港の町ロシュフォールに~」と解説があったので、納得した。原題が『Les demoiselles de Rochefort』なので、ロシュフォール市のお嬢さんたち、というわけである。 そんな状況だったので、ロシュフォール市についても全く知識がなかった。 ウィキペディアの情報が、実に豊富で面白い。『お菊さん』の著者であるピエール・ロチは、当地の出身だったのか!等々。勉強になる。 個人的には、フランソワーズ・ドルレアックを見られるのが実に嬉しい。この映画の後ほどなくして、亡くなってしまうとは… ちなみに、SNCF(フランス国鉄)ロシュフォール駅前の広場は「フランソワーズ・ドルレアック広場」という名前らしい。
2009.09.10
夏木マリが歌っている「鎮静剤」が好きだ。 もともとは、高田渡の「鎮静剤」である。これは、マリー・ローランサンの詩「Le calmant」を堀口大學が邦訳したものに、高田が曲を付けたものだ。 堀口訳は「○○な女よりもっと哀れなのは△△な女です」のパターンを連呼するところが面白い。歌として聴いたときにも、このパターンがあるからこそ、耳に残るのだと思う。 ただ、どうしても気になってしまうところがある。“哀れ”という言葉は、ローランサンの原詩には全く出てこないのである。 恥ずかしながら私なりに、原詩に沿って訳出してみよう。 なぐさみもの 退屈というより さみしいのです。 さみしいというより 不幸なのです。 不幸というより 苦しいのです。 苦しいというより 捨てられているのです。 捨てられているというより 一人ぼっちなのです。 一人ぼっちというより 仲間はずれなのです。 仲間はずれというより 死んでいるのです。 死んでいるというより 忘れられているのです。 堀口訳のタイトル「鎮静剤」が、この詩のニュアンスに適さないのでは?とも感じられるので、冒頭で変えてみた。心を落ち着かせる何か、ということであれば、これが良いと思う。 私自身の解釈を記してみると、以下のようになる。 退屈で、さみしくて、不幸で、苦しくて、捨てられて、一人ぼっちで、仲間はずれで、死んでいて、忘れられている、そんな女。それは「なぐさみもの」なのだ。 いずれにせよ、“哀れ”なのは確かなようだが…
2009.09.06
過日、携帯を紛失したかと思い、大いに焦った。 公私混同で蓄積してきた電話帳のデータをついに失ってしまうのか、と思うと、とても暗い気持ちになった。 結局は、くだらないガラクタの山の裏に携帯が落ちてしまっていたのに、気付かなかっただけなのだが。 お宝のように思っている携帯の電話帳だが、データを削除することもある。この人にはもう用事はないだろう、と判断できれば、淡々と整理できてしまうものだ。 しかしながら不思議なもので、用事は全くないのに、どうしても消せない人が、何人かいる。 そのうちの一人、FT氏。2007年9月4日に急死した彼の連絡先は、当時のまま私の携帯に残っている。
2009.09.05
職場の定休日だったので外出。 パナソニック電工汐留ミュージュアムへ行ってみた。 開催中の「建築家坂倉準三展」。東京日仏学院や神奈川県立近代美術館・鎌倉や新宿駅西口地下広場などの設計者として知られる坂倉準三だが個人住宅の設計も数多く手がけていたのだ。 坂倉準三の設計した家…スタイリッシュで憧れてしまう。ただ“モダニズム”住宅の住み心地はどうなのだろう?と少々気になる。まぁ私の場合は住まいにあまり頓着がないので何でも同じなのだが… 上掲の神奈川県立近代美術館・鎌倉でも同名の展覧会が開かれている模様。こちらは公共建築に関する資料を多く展示しているらしい。ただ残念なことに今週末の6日(日)で終了とのこと。悔しい。 その後銀座方面へ徒歩で向かう。 ギンザ・グラフィック・ギャラリーで「銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー ~言い出しっぺ横尾忠則~ 灘本唯人・宇野亜喜良・和田誠・横尾忠則4人展」を観覧。 全体的にとても豪華な印象を受けた。タイトルが素朴な駄洒落になっているのも良い。 帰宅前にちょっと…と思いオーバカナル銀座店に寄る。カウンターで飲みながら従業員の方と話した。たまたま私と同じG県出身だということで面白く感じついつい杯が重なってしまった。 また行こう。
2009.09.03
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