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先週土曜日は、自宅から1時間ほどの場所にあるローカル・スーパーで、麺つゆのデモ。試食メニューは、シンプルにそうめん。1日中、雨がダラダラと降り続く、ひんやりとした日だった。それもあってか。そうめんも含めて麺、あるいはそれに付随するつゆを扱う案件には珍しく、試食人数も売上も低飛行気味(本来なら、試食はたくさん出て、販売数もそれなりのもの)。振り返れば、そうめん関連のデモも、随分と担当したものだ。確か、デモンストレーターになって2年目の頃からかな。王道のそうめん(具材やつゆ以外の味付けは一切なし。トッピングは薬味のネギのみか、せいぜいきゅうりとハムの2種ぐらい)と並び、つゆにトマトソースや中華だしやコチュジャンなどを加えたり、具材に色とりどりの野菜を多数載せたりする、俗名「変わりそうめん」のデモが増えた。あと、そうめんを肉や野菜と共に炒めた、「そうめんチャンプル」とかね。この変わりそうめん。最初は主に見た目の印象で「えええーっ」と引かれることが少なくなかったが、いざ食べてみると案外とイケるし、王道のそうめんに欠けている栄養素(タンパク質、食物繊維、各種ビタミン他)も摂れるので、徐々にお客様に受け入れられるようになり、2010年代前半には、そのデモ数は最盛期を迎えた。もの珍しさもあったのだろう。ところが、以後わずか数年の間に、変わりそうめんのデモはなくなってしまった。この原因を、ベテランの仕事仲間は、私にこう話した。「珍しいということはインパクトもあるということ。でも、そのインパクトが与える刺激に慣れたら、人間、飽きるんやな。ホラ、ご飯かて、いろいろな炊き込みご飯や混ぜご飯を食べ続けていたら、普通の何も味がついていないご飯が食べとうなるやんか。あれと同じ」。ああ、わかる、わかるわ!食パンにも同じことが言える。生クリーム入りのコッテリ風味や、野菜だの種実類(ナッツやらクルミやら)だのバターだのを加えた味付けパンは、発売当初は話題になっても、それはいつまでも続かない。時に大きく揺れても結局は元に戻って安定を保つ起き上がりこぼしのごとく、食物も調理も、「基本」がすたれることは、絶対にないのだ。写真は、そうめん(Wikipedia)。ついでに!そうめんつゆのデモでは、使うそうめんを選ばないといけないよ! なぜなら、そうめんによって、試食されたお客様の感想も売上も違ってくるからだ。
2025.05.29
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トシなんだろうかねえ。連続仕事のうちでも、グリル鍋などの調理器具を持っていかねばならない案件は、身体に特にこたえるようになった。仕事明けの月曜日。ゆっくりと朝風呂に入り、昼寝をして、やっと疲れが「マシになった」(とれたのではない)次第。さて、その連続仕事の後半、すなわち2日目は、京都府中南部にあるまちで、チャーハンのデモ。販売商品は、チャーハンを味つける液体だし醤油2種類。これがですね、1つのグリル鍋の中で2種類のチャーハンを同時に作るんですよ、、、つまり、卵とハムとネギでご飯を炒めた後、それを半分ずつにして、クッキングシートで作った2つの袋に別々に入れ、1つはAの味、もう1つはBの味で味付けするのだ。率直なところ、手間。調理するスペース(=試食台の上)は狭いしね。時間もかかる。ということは、試食人数に、ひいては売上にも影響するということだ。確かに、1種類の味だけより、2種類なり3種類なり複数の味をお客様に同時に試してもらう「食べ比べ」は一時的には販売数アップにつながるので、メーカーも敢えて同時進行を支持したのだろうが、、、。今回ばかりでなく、鍋料理の食べ比べや1つのホットプレートで3種類の料理を作らせるなど、時々、デモンストレーターにとってはめちゃくちゃな試食を要求するメーカーがある。考えて欲しいものだ。写真は、千本釈迦堂内に咲いていた小花。健康上の不安の他、仕事上の問題もあり、経済的なストレスも重なって心身共にお疲れ気味である今日この頃、道端や庭の隅にさりげなく咲く草花に、強く惹かれる。
2025.05.28
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(注)5月23日に書いた記事。明後日、某メーカー製造販売の中華だしを宣伝販売する。試食メニューはチャーハン。家で予行演習して驚いた。メーカーの誰がレシピを作ったのか、具材も調味料も分量通りに作ってみたら、濃いの何の。もしかして、このメーカーはレシピを作成する課をもうけていない(=栄養士を雇っていない)んじゃないのかと思ったくらい。まあ、試食は一口だけだから、インパクトを与えるべく家庭で調理するのよりは濃い目に味付けするのが通例なんだけれど、それにしてもねえ、、、。2回目。当然、レシピに記載されていた調味料の量を小さじ1杯分減らして再トライ。やはり、少し濃い。一口食べて、そのことがわかる。おいおいっ!!!誰や、こんなレシピを作成したのは?そもそも、こんなふうにデモンストレーが家で練習していること、全然知らないメーカーやエージェントや派遣会社もいるよ。そこがムカつく。ちょっと想像したらわかるでしょ。学校の先生も講義の前には予習するし、ミュージシャンもコンサート前にはリハーサルするしゃない。我々デモンストレーターも同じだ。既に出来上がっている食品や飲料、調理系でも焼肉のような簡単なもの以外は、皆、家庭で一度は作ってみて、現場にのぞむ。
2025.05.28
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(注)5月20日に書いた記事。これは、昨日のブログで述べた派遣の人選担当者に私が送信した文。ただし、個人的情報がわかる箇所は匿名にしてある。(全文)交渉していただき、ありがとうございます。〇〇の件、他の人に変わってもらって下さい。私はかまいません。が、ちょっといいですか?一年前の△△堂◻︎◻︎店の◇◇(メーカー名)の件といい、なぜ、〇〇は現場に入るマネキン(注。デモンストレーターのこと。マネキンは昔の呼称で、今なお使う人も多い)にすべてを丸投げするのですか?当日、アタフタするのは実際に現場仕事をするマネキンで、そのことはモチベーションにも関係し、ひいては店にもエージェントにもメーカーにも影響しますよ。ただ、事前に試食準備の場所を確認しておいてくれるだけでよいのです。2月のF(某スーパーのチェーン名。この時の仕事も〇〇がエージェント)の仕事では、事前確認電話の義務があったので、電話をした際にこちらで「明日、どこで準備をやったらよいですか?」と尋ねたら、店がちゃんと準備しておいてくれました。ほんの少しの連絡で、スムースにことが運んだのです。でも、〇〇は、事前確認電話は禁止でしたよね、確か?マネキンも、少なくともS(今回、〇〇の仕事を振ってきた派遣会社)のマネキンの方々は、Aさん(S所属のベテランマネキン)も話していましたが、(省略)調理系の場合は予行演習も含む事前準備をして現場に臨んでいますよ。それだけ、現場の大切さを知っているのです。なのに、いざ現場に行くと、「デモは聞いていない」だの「うちは休憩室を試食で使うことの書類が出ていない」だの、事務的に拒まれたら、どんな気持ちがするか、考えられたことがあるのかな、と思ってしまいます。「ガタガタ言わんと、こちらの指示に従え! 代わりは他にいくらでもいる」という考えにも、一理あります。メーカーなりエージェントなりには、その方が管理しやすいですからね。でも、そういう現場で働いている人間を軽視するメーカーやエージェントは、今後、どうなんでしょうね!私も68歳になりました。亡母が鬼籍に入った歳は79歳。マネキン23年の間にいろいろあり、考え、もう、そんなメーカーさんやエージェントさんとは「ご縁がない。今までありがとう」との気持ちがあります。長文、ごめんなさい。
2025.05.28
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(注)5月19日に書いた記事。長文。まあ、何なんでしょうね、この業界。人を駒と思っているんだね、メーカーも、エージェントも、派遣会社も。は!人手不足ゆえギャラアップしているのに数度の募集にもかかわらず、人が集まらない理由がここにあるわな!今日、登録派会社の1つから、メールが来た。「〇〇チェーンの△△から、6月◻︎日に仕事があります。お願い出来ますか?」私は即座にオッケイ。が、条件をつけた。「〇〇チェーンは、◇◇に吸収合併されて以来、かれてより試食を準備するために活用していた従業員休憩室の使用に、事前書類を提出させるなど、うるさくなっています。現に、この1月に〇〇チェーン△△店でのけんちん汁の宣伝販売では、店側は試食用の野菜その他は休憩室で切っていいと言ってくれたのに、〇〇チェーンを吸収し、従業員休憩室をも仕切っている◇◇は、書類が上がっていないと、従業員休憩室の使用を禁止。あれこれの交渉の結果、試食スタートが大幅に遅れました。これは、ひいては、売上にも影響します。なので、メーカーなりエージェント様より、試食準備の場所の件を確認しておいて下さいますか」このメールを送って数分後。「エージェント様に問い合わせました。そこまで(試食準備の場所の確保まで)出来ないと、言われました。なので、他の方に当たってよいですか?」カチンときた。人選担当のこの女、まあ、デモンストレーター体験が一度もないだけあって、真実カネを稼いでいる現場の我々を、ホンマ、駒と考えているわ。ホンマ、この仕事、辞めたい。天職だと感じ、仕事自体は嫌では全然ないのに。
2025.05.28
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昨日、京都市内の総合病院でMRI検査を受けた。あっけないくらいに、スッと終わった。検査中は、眼前に流れるロード・ムービーとヘッドフォンからのヒーリング・ミュージックで、リラックス、リラックス。時代なのだろう。かつての「検査や治療は痛くて辛いもんじゃ。がまんするのが治療を受ける側のツトメ」との「常識」は、消滅している。まあ、当面、週に2回くらい働けたらエエわ。それで生活が成り立つよう、調整していこう。繰り返すが、極論すれば、人間にとっての最大の幸福は「快食・快眠・快便」。極めて動物的。ところが、21世紀の今日では、このシンプルそのもののことがなかなか得難い社会になっているのだ。まず、持病などが原因で食べたいものが食べられない人は少なくないし、睡眠の質を高める乳製品が大ヒットしたことからうかがえるように、睡眠障害に悩む人も増えている。何より、お通じがスムーズにいかなくて苦しんでいる人の何と多いこと!(次々と新しいヨーグルトが発売される背景の1つがここにある)いま少しのあいだ、新しいことはせず、静観しよう。写真は昨日の検査病院近くの公園にて。
2025.05.17
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10年以上も前、ヨシダソースの創立者、吉田潤喜氏のインタビュー記事を、新聞の連載で読んだことがある。大学受験に失敗し、母親が小さな食堂を営みながらコツコツと貯めていたなけなしの金を持って渡米した吉田氏。幸い空手教師として成功するも続かず、生活苦に陥った彼は、母親が店で出していた自家製ソースを製品化することを思い立つ。もっとも、無名の人間が作った無名のソースを置いてくれる店など、あろうはずはない。そこで、当時のアメリカでは珍しい試食販売を大手スーパーで実施することに決めた。当日、吉田氏は「商売も人生も目立ってナンボ」の自己ポリシーを具現するかのように、カウボーイハットにプレスリーの衣装、そしてゲタをはいたスタイルで登場。皆が驚く中、試食(デモンストレーション)をスタートさせた。デモ中、ちゃっかり試食だけして買わないお客さんがいたので、吉田氏はその人を駐車場まで追いかけていって、尋ねたそうな。「私はこのソースに命を賭けている。どこが悪かったのか、教えてくれ」。その気迫に押されたのか、お客さんは2本買ってくれた。命を賭けている、とはオーバーな言いようだが、これくらいのキモチがないと、無名の商品が業界の一角に食い込むことは難しいのかも知れない。それにしても、商品に自信を持つがゆえにお客さんに食い下がっていく吉田氏も偉いが、買ったお客さんも偉い!(なぜなら、器の狭いタイプなら、味がどうのこうのとインネンをつけてモゾモゾ言い訳しただろうからね)きっと、お客さんは、ソースもさることながら、吉田氏の商品への熱い思いや仕事に対する姿勢、具体的には積極性やポジティブな行動、すなわち吉田氏そのものをも買ったのだろう。商売の基本は、やはり「対人」。売買は、モノだけではない。ただ、吉田氏の成功は、舞台がアメリカだったからこそあり得たかも。まず、カウボーイハットにプレスリーの衣装をまとい更にゲタをはくというデモ時の服装からして、日本では恐らくアウトだろう。星条旗のもとにフロンティア精神が根ざしている社会なら「目立ってナンボ」だけれど、島国の「周りに合わせること」を最重視する社会では、あまりに目立つと逆に排除される。どちらがいいとか悪いとかの問題ではなく、国民性だね。破天荒な吉田氏は、やはり狭い日本を飛び出して正解だったのよ。写真は吉田潤喜氏(Wikipedia)。
2025.05.15
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明後日、かかりつけ医に紹介された総合病院で、MRI検査を受ける。心配していた費用の件は、この病院が支払いをクレジットカードでも認めていると知ったことから、ひとまず解決した(金額が落ちるまでに仕事のギャラが振り込まれる)。より精密な検査を受けるよう言われて真っ先に頭を掠めたのが費用の問題だなんて、これは、裏返せば症状そのものは切羽詰まっている状態ではないということを示している。ホンマ、自覚症状らしいものはない。コーヒーをブラックで飲みにくくなったこととか、以前に比べると連続勤務がきつく感じられ「横になりたいな」と思うことが少し増えたとか、この程度。それよりも!先にも述べた通り、「わっ。また検査にお金がかかるな。どれくらいだろう?」という憂慮の方が大きい。何せ、我が家は典型的な低年金世帯で、だからこそ本音では2人ともまだ現役でいるのだから。ということは、年金世帯、それも我が家みたいに低年金で貯蓄もあまりない世帯にとって、検査も含めた医療費は侮れない負担となっているのではなかろうか。まあ、病気にならないことが1番なのだろうし、75歳を過ぎれば後期高齢者用の医療保険制度も適用される(もっとも、あれも介護保険同様に、ちゃーんと年金から引かれているんだよね)のだけれど。ここ数年、超高齢でも元気に働いているとか、低年金でも心豊かに暮らす人たちがメディアに取り上げられ、ちょっとしたブームになっているが、あのようなライフスタイルは、実際にはたやすいことではない。とは言え、国民皆保険の日本は諸外国に比べるとまだマシなんだそう。プラス、「低年金や低貯蓄は自己責任」なる意見もあり、、、難しい問題だね、これは。写真は、一本足下駄を履いた夫の姿。「姿勢がよくなり、体幹も鍛える」と、運動選手にも注目されているアイテムだ。
2025.05.14
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「ノーベル賞受賞者にきく子どものなぜ? なに?」(ベッティーナ・シュティーケル編・畔上司 訳)を読んでいる。子どもが発する人文・社会科学・自然科学上の疑問に対し、その部門のノーベル賞受賞者が、子どもにもわかるように噛み砕いて答えているのだ。個人的に、「どうして貧しい人とお金持ちの人がいるの?」「政治って何なの?」「どうしてママとパパは働かなくてはいけないの?」「戦争はどうして起こるの?」「お芝居を最初に作った人はだれなの?」などの回答には、細かい部分まで理解できるのだが、「電話ってどうしてつながるの?」「葉っぱは何で緑色なの?」「もうすぐ僕と同じ人が出来るようになるってホント?」「地球はいつまでまわっているの?」など、自然科学系の回答には、ある程度以上に突っ込んでいかれると、わからなくなる。どうも、私には科学的なセンスが欠けているようだ。それでも、とても面白い。専門的なことはハテナマークでも、例えば「恐竜がいた頃は地球は今より速く回っていた。1日は23時間だった。今後、地球の1日は25時間になり、26時間になり、やがて地球は回転しなくなるだろう」(1979ノーベル物理学賞受賞者、シェルダン・グラショー)なんて記述、そうなった時のことを想像すると、スリリングなワクワク感があるではないか(SF映画かパニック映画のネタにもなりそう)。科学って、本来はこんなものかも。理系の大学や職場に進んだ人の中にも、「暗記とペーパーテスト中心の中学高校の理科は面白くなかった」と言っている人、案外と多いしね。
2025.05.07
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2025年のゴールデン・ウィークが終わった。2025年。すなわち今年は、5月3日から我が家に遊びに来る娘一家の予定に合わせ、3日から今日の6日まで休みを取った。デモンストレーターの仕事の性質上、ゴールデン・ウィークは年末と並ぶかき入れ時で、例年びっしりと現場を入れてもらうのが常なんだけれど、そこを敢えてシフトを外してもらったのだ。ところが、我が身体に何が起こったのか。5月2日の昼過ぎ。突然に異様な動悸が始まった。呼吸が早く、浅くなっている。とうぜんながら息苦しさがあるが、それよりも、胸焼けにも似た胃腸の不快感の方がまさっている。ううむ。消化に時間がかかるとか、特別に変わったものを食べたわけではないのにな。ともあれ、仕事や家事など普段の動作は出来るものの不調は抑えられなく、せっかく訪れた娘一家にもじゅうぶんな対応が出来なかったのは、痛恨のいたり。まあ、それでも、互いに無事な姿を見せ合えただけでもエエか。写真は、3人の孫たち。
2025.05.07
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過疎地で店がなくなるということは、具体的にどんなことか。前回は、物質的な不便さを述べた。今回は、そのことに伴う二次現象、並びにデメリットを述べたい。過疎地とされるスーパーで試食販売の仕事をしていて、しばしば、店員とお客さんとの間でこういう会話がされるのを聞いてきた。「なあ、〇〇のおばあちゃん、最近、みいひんね。元気にしとるんかな。心配やわ」「そう言えば、ゴミ捨て場にも、前は押し車にゴミ袋を乗せて捨てに来ていたのに、この頃は、、。ちょっと、今日、買い物の帰りにのぞいてみるワ」。おわかりだろうか。過疎地の高齢者にとって、スーパーは単に買い物をするだけの場ではない。自分ないし他人の安否を確認しあい、店員やそこに来た自分以外の買い物客との他愛ない会話を通して精神的にも孤立化を防ぎ、引いては筋力や脳の機能低下を防ぐ役割も担っている、一種の社交場でもあるのだ。過疎地におけるスーパーの撤退は、この消滅をも意味している。ここからは、この記事を書いている私が足腰が不自由となり、住んでいる家なりアパートなりから最寄りのスーパーに行くのにも困難となった場合を想像してみる。恐らく、次のようになるだろう。1、晴れだの雨だの、付随して風が強いだの日差しがきついだの、天候を始めとする、気象現象に疎くなる。2、結果、そこから得る全身の五感が鈍くなる。3、買い物途中で、季節の花や虫、小動物に接することもなくなり、感度はますます鈍くなる。4、何より店まで歩かないことにより、弱ってきていた足腰は一段と弱まる。5、店に行かないのだから、そこの従業員や自分以外のお客さんと接することもなくなる。つまり会話がなくなるということで、脳はいちだんと働かなくなる。ううむ、、、。もっとも、こういう事情は個人レベルではどうしようもなく、行政の助けが必要なんだよね。写真は、先日仕事をした京都府と奈良県の県境にある現場近くで撮ったもの。イイ言葉だ。
2025.05.03
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数日前、京都市内にある、女子教育に長い歴史と伝統を誇る大学の閉鎖が発表された。少子化を反映してか、ここ数年は多いね、こういう話。もっとも、閉鎖なんて、店舗の場合は決して珍しくないよ。あと、他店舗との合併、はたまた渡譲(△△チェーン〇〇店がイ◻︎ン〇〇店になるとか)。デモンストレーターになって22年目。近畿地方を中心に、時に北陸や中部、または中国地方にも足を伸ばしながら、あの町この町その町のスーパーやデパート、ドラッグストア、ホームセンターなどを仕事で訪れてきた。正直、なくなってしまった店、かなりある。なくならないまでも、店名がまるで変わったり、他の業種の店舗と一緒に再編成されて◇◇タウンなる商業施設の一角になったりして、当時の面影が全くない店となると、うーん、どれくらいの数になるのかしらね?なくなってしまった店のほとんどは、人口減少が目立つ過疎地にある店。人口が少ないということは消費も少ないということで、当然ながら売上高にも影響するから、利潤追求が第一目標の店にすればいたしかたがない面もあるんだろう。とは言え、過疎地に立つ店には、立場上、営利以外の役目も担っていることが多い。その1つが、住人のライフラインを維持すること。ここで、少し想像して欲しい。自分の住んでいる町に、スーパーなりコンビニなり個人のよろず屋なり、要は衣食住の生活に必要な品を扱っている店が一軒もなくなってしまった時のこと。自給自足で暮らしている(令和の現在でも、ほぼこのスタイルの生活を営んでいる人は、ごくごく少数ながら存在する)のならともかく、そうでない人、つまりほとんどの人はおそろしく不便になるはずだ。田畑を持っているおかげで米をはじめ基本的な野菜には不自由しなくても、それですべての食料がまかなえるわけではないだろうし、身につける衣類やその衣類の汚れを落としたり修繕したりするものもいる。あと、ティシュやら電池やら、その他もろもろ。車の運転が出来る人やネットが使える人なら、これらライフライン必需品を地元で調達しなくても何とかなるが、そうでなかったら?ついでに、体力はもちろん新しいものを覚える気力も衰えていくのが人間。遅かれ早かれハンドルは握れなくなるし、ネットも難しくなる。人口減に付随して利益もあがらなくなったからとて、過疎地で店をなくしてしまうことは、その他に住む人にとっては甚大な影響を及ぼすのだ。写真は、近江鉄道沿線沿いにある豊郷で写したもの。ここも、過疎化が進行。デモンストレーターになりたての2004年、この地にあったスーパー(現在では店名が変わっている)に豆乳や歯磨き粉の宣伝販売で何度か行き、実に19年後の2023年7月に、今度は冷凍食品の宣伝販売で足を踏み入れてみて、はっきりと「過疎」を感じた。
2025.05.02
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今のところアナログそのものの我々デモンストレーターの世界でも、大元のデモ以外の付随事項ではデジタル化が進んでいる。例えば報告書。かつては手書きがほとんどだったが、7、8年前頃から、メーカーによってはウェブでの報告が始まり、ジワジワと増加。現在では◯割ほど。ウェブ報告は、字を書く過程で手がだるくならないため、私のように筆圧が強くて字を書くスピードが遅い人間にはとてもラクなのだが、、、そんなイイコトばかりでは終わらないのが、ネット。時折りツムジを曲げ、「サーバに拒否されました」と、送信途中でうまくいかなくなることがある。これはこれでストレス。ネットへの苦手意識もあり「なんでやん」と、ムキになると、決まってドツボにはまるね。さて、今日も、かの一休さんで知られる町で仕事。一休さん。童話やアニメにもなり、名前は知られているが、はて、何をした人?
2025.05.02
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週末の仕事では終業の2時間半前に商品を完売し、早く帰ることが出来て、まことにラッキーだった。これは、私の販売員としての力量ではなく、単に店側の発注が少なかったことによる。つまり、店が「こんな高いもん売れるかいな」と踏んでいたところが、蓋をあけてみれば、、、というケースだ。物価高の現在。でも、いくらそれが高いと言っても競合品と何万円何千円も値段が違うわけじゃなし(せいぜい何百円だ)ひとくち口に含むや「うわぁー、濃い」「おいし〜い」と叫びたくなるほどのとびきり美味食材も、たまには食べたい。こういうのも、いつわざる消費者心理。
2025.05.02
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昨日のブログで、「70歳の7月で一応リタイア。以後は自分が納得できる仕事、すなわち好きな仕事しかしないセミリタイア生活を希望している」と書いた。同じ思いを持つ人は少なくないようで、既に実践している人も含め、セミリタイア生活についての情報をいろいろと集めてみた。第一の課題は、、、お金なんだな、やっぱりと言うか。そりゃ好きな仕事しかしないのだから収入が大幅に減少することは容易に想像できるのだけれど、そのことを差し引いても「セミリタイア生活を満喫するには、都会に住み続けるのなら、最低でも5000万の預貯金が必要です」なんて、これ、執筆者は本気で書いているの?5000万!ぶっちゃけ、現在の日本に、これだけの預貯金がある人、どれだけいるのかしら?もっとも、預貯金は多くなくても、「ウチは不動産があるもんね、、、持ち家や田畑の他、親が残してくれた土地。そこを駐車場とアパートにしている」なんて人もいるんだが、これも真実カネに変えられる不動産を所有している人はどれくらいいるのだろう?考えれば考えるほど、混乱してくる。写真は、住んでいるまちの区役所の玄関脇に置いてある花壇で咲き誇り、最後の輝きを見せているパンジー。
2025.05.02
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今日からまた連勤。一応リタイアするつもりでいる再来年の7月に刻一刻と近づいている。「一応」と書いたのは、完全リタイアでなく、条件付きの準リタイア(セミリタイア)を目指しているから。つまり、こちらが納得した仕事以外の仕事は受けない。はっきり言ってしまうと、「好きな仕事のみ」するのだ。意にそまない仕事案件ながら、生活収入のため、義理人情など様々なしがらみのため、心の波動を抑え込んで受けた。こんな体験は、誰にでもあると思う。作家に例えたら、「ちょっと! そのテーマと切り口は私の哲学にしたら問題だよ」と感じられる内容の原稿を、ギャラをはずむから書いて下さいと編集者から頼まれても断る、ということだ。金のため、誰かや何かのカオを立てるための仕事は、しない。自分がやりたいからする。単にそれだけ。憧れるんだな、こういうワークスタイル。人生の最晩年。実現できたらどんなに幸せだろう。では、そうなるためには現在何をしたらよいか。真剣に模索している。写真は京都御苑内に咲いていたしだれ桜。
2025.05.02
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