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蒸し暑い日々が続きます。こんな時は、仙崖義梵の絵を見て和みましょう。仙崖義梵は江戸時代後期の禅僧。彼は多くのユニークな絵画で知られます。ご覧になった絵画も多いでしょう。ここでは、仙崖義梵の犬と猫の絵を比べましょう。絵画は、九州大学デジタル・アーカイブスより。「犬」何犬でしょうね?「猫」虎ではありません。もっとご覧になりたい方は、下記リンクをどうぞ。【Japaaan】 「仙崖義梵コレクション」 ※リンク不良、修正しました。
2016.06.30
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タコクラゲという、クラゲがいます。タコクラゲは、関東より南の温かい海に住んでいます。口腕が8本あるから、タコクラゲの名で呼ばれます。タコクラゲには、褐虫藻が共生しています。そのため、タコクラゲは植物の様に光合成ができます。光合成ができれば、栄養分の糖を自ら作り出すことができます。二酸化炭素を使って、酸素を作ることもできます。だから、タコクラゲは、日光を浴びて光合成します。ひなたぼっこが好きな、タコクラゲ。もし、人にも光合成ができたなら、夏の陽射しも、少しは好きになれたのに。「タコクラゲ」(ウィキペディア、フリーライセンス画像より)
2016.06.28
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ミツバチの女王蜂は、オスとメスを特殊な方法で産み分けます。ミツバチの受精卵からは、メスのみが生まれます。一方で、未受精卵からは、オスのみが生まれます。つまり、普段のミツバチ社会では、役立つメスのみが生まれます。オスが不足し、未受精卵ができた非常時のみ、オスが生まれるのです。このオスを必要としない繁殖を、単為生殖と呼びます。単為生殖は、コモドオオトカゲの様な大型の生物でも確認されています。コモドオオトカゲでも、やはり未受精卵からはオスが生まれます。単為生殖は、種のムダをなくす方法と考えられています。本来繁殖に不要なオスは、種にとっては無駄なのです。聖母マリアは処女懐胎によって、イエス・キリストを生みました。単為生殖で生まれたイエス・キリストも、やはり男でした。人に単為生殖の力があれば、男性諸君、いかがされますか。
2016.06.26
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鎌倉時代の絵巻物、男衾三郎絵詞(おぶすまさぶろうえことば)。この絵巻物には、「八国一の醜女(しこめ)」が登場します。この時代、醜いとされて、国司にも相手にされなかった女性。その容姿は、出張った頬、金壺眼、眉を抜いて描き、天狗鼻、縮れ髪。好意的に解釈すれば、彫が深く、大きな眼。眉を整え、鼻は高く、ウェーブがかかった髪。現代ならば、美人なのかもしれません。時代によって、美的感覚は変わります。美的感覚もいつかは変わって、さて、私の時代はいつ来るのでしょうか。
2016.06.24
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鳥獣人物戯画に乱舞する「高山寺」の印。京都高山寺に伝わる、鳥獣人物戯画。鳥獣人物戯画は、甲・乙・丙・丁の全4巻から成ります。有名なのは、甲の巻。蛙と兎の相撲絵などで知られます。丙の巻,丁の巻には、人物も描かれています。だから、鳥獣戯画ではなく、鳥獣”人物”戯画が正式名称。残念ながら、鳥獣人物戯画は大きく損傷しています。有名な甲の巻も、本来は2巻だったのを、1巻にまとめたもの。1巻分の絵が失われ、張り合わせて巻物になっています。その際には絵の順番も入れ替わり、話の脈絡がありません。さらに巻物を見た人が、部分的に抜き取りました。そのため、さらに鳥獣人物戯画は、内容が分からない巻物になりました。さすがに高山寺も、絵の抜き取りに耐えかねました。巻物に乱舞する「高山寺」の印は、部分抜き取りを防止するため。ルール違反の抜き取りに耐えてきた、鳥獣人物戯画。そしてルール違反は、鳥獣人物戯画の中にもあります。蛙と兎の相撲合戦。なんと、蛙は兎の耳に噛み付きます。蛙が相撲に勝ったのは、ルール違反のおかげでした。(画像はウィキペディア・フリーライセンス画像より)文化財を大切に。鳥獣人物戯画に舞う「高山寺」の印は、文化財保護の難しさを伝えます。
2016.06.22
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昨日、6月18日は、登山家ジョージ・マロリーの誕生日でした。「なぜ、エベレストに登るのか?」と問われ、「そこにエベレストがあるから」と答えた、ジョージ・マロリー。1921年,22年と彼はエベレスト登頂を目指し、人類最高到達高度を記録しましたが、登頂はかないませんでした。1924年、彼は3度目のエベレスト登山に挑みました。しかし、6月8日の目撃情報を最後に、彼は姿を消しました。まだ、37歳の若さでした。その後、長い月日が過ぎました。そして、1999年、75年が過ぎ、彼の遺体が標高8100m付近で発見されました。彼が人類初のエベレスト登頂を果たしたかは分かりません。ただ、山頂までに十分な、酸素ボンベの容量はありませんでした。無酸素、軽装、まだ行く手に残された難所。シェルパの助けもなく、登頂の可能性はゼロに等しかったと思われます。彼の遺体は、今も標高8100mの地に埋葬されています。その場所は「虹の谷」とも呼ばれます。エベレストの高度では、酸素濃度1/3で、ヘリコプターも飛行できません。今も回収できない登山家の遺体は、200体以上。極低温でミイラ化し、亡くなった時の姿で横たわっています。登山家の遺体は、目立つ色の装備を身に付けています。色とりどりの無数の遺体は登山家の目印になり、「虹の谷」と呼ばれています。「なぜ、エベレストに登るのか?」マロリーに改めて問いかければ、何と答えることでしょうか。
2016.06.19
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観音様のひげを見ないとの意見が多かったので、補足します。たしかに慈母観音や最近の観音像(とくに海外製)では、ひげが省略されています。また仏像では、識別が難しいかとも思います。下記の写真のリンクは慈母観音ですが、ひげが良く分かります。リンク先には、拡大図もあります。彩色の大仏などでは、ひげが良く分かります。本来は観音様も、この様なお顔に。【日記】 「ひとは、うちなる大仏様 - 大仏復元 -」時代に黒く色あせる前の観音菩薩像。かつては女性の姿で、ひげがある。違和感のあるお姿だったことでしょう。【日記】 「女じゃないわよ - 観音菩薩 -」
2016.06.18
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マリア観音と呼ばれる観音菩薩像があります。隠れキリシタンが、「慈母観音」をマリア様に見立てて拝んだものです。子供を抱く慈母観音の姿は、やさしい母親の様に見えます。しかし、観音菩薩は、本来は男性です。菩薩のモデル、それは釈迦です。釈迦はもちろん男性ですから、観音菩薩も本来は男性。男性である証に、観音菩薩にはヒゲがあります。本来は男性であった観音菩薩。それが中国では、慈母観音の様に女性化しました。男性なのに、女性の姿。それが慈母観音の姿です。ウチの女房にはヒゲがある。そんな奥さんがいたならば、それはありがたい観音様かもしれません。 ※ リヤドロの観音様には、ヒゲが描かれていません!
2016.06.16
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涅槃図などの仏教絵画には、猫はあまり描かれません。それは、猫とネズミのお話が理由です。釈迦が病床に就いた時、釈迦の亡き母が、天から薬袋(または衣鉢袋)を投げました。しかし、その薬袋は、沙羅双樹の枝に掛かりました。ネズミは薬袋を釈迦に届けようと、沙羅樹に向かいました。しかし、そのネズミは猫に捕まり、食べられてしまいます。結局、薬は釈迦に届きませんでした。そのため、釈迦は亡くなってしまったと言われます。釈迦の使いのネズミを捕らえ、釈迦を苦しめた猫は、涅槃図には描かれません。その習性ゆえ、猫はのけ者になりました。ごく当たり前と思う行いが、ある人にはうとまれる。猫がいない涅槃図は、その人生の理を教えてくれます。
2016.06.14
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うさぎの数え方は、一羽、二羽。これは、うさぎを鳥に見立てたため。それは、獣の肉を食べることが禁じられた頃に、跳ねるうさぎを”鳥”と称したための数え方。しかし、不思議な数え方もあります。蝶の数え方は、一頭、二頭。飛ぶ蝶を、まるで獣の様に数えます。海外で蝶を”head(頭)”で数えたためと言われます。さらに鳥なのに、孔雀の数え方は、一面、二面。鳥というより、扇の様に見立てたのでしょう。見掛けで判断された、孔雀の数え方。彼らは物の様に数えられることを、喜んでいるでしょうか。
2016.06.12
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先日の紫式部の墓のすぐ傍に、若宮八幡宮がありました。若宮八幡宮は、小さな八幡宮。数多の神社仏閣がある京都では、見逃してしまう地味な八幡宮。私も通り過ぎ掛けましたが、ふと気になり立ち寄りました。しかし、そこには意外なものがありました。写真の石灯籠は、「切支丹(キリシタン)灯籠」と呼ばれます。またの呼び名を「織部灯籠」とも呼ばれます。キリシタン灯籠はその名のとおり、隠れキリシタンとの関連が言われる灯篭。竿の下方が土中に埋められ、正面にはマリア様を連想させる人物像。さらに若宮八幡宮の灯籠には、十字架風の横向きの閂石まであります。これは特に珍しい、閂形織部灯籠です。織部灯籠は、桃山時代の古田織部が考案したと言われます。古田織部は、徳川家康に切腹を命じられた、あの茶人です。織部灯籠、切支丹灯籠と、隠れキリシタンの関連は疑問視する声もあります。ただ、マリア様に似た人物像や十字架様の閂は、隠れキリシタンの礼拝を連想させるのも納得できます。今回の灯籠ではよく見えませんが、アルファベット状の記号が刻まれているのも織部灯籠の特徴。イエズス会を表す「IHS」という説と、織部の生年天文13年の甲辰にちなんだ「辰」の変形と説があります。切支丹灯籠の独特の意匠。古田織部の悲劇の最期。切支丹灯籠の謎は深く、歴史の中に隠されています。【過去の日記】 「ちょっと地獄へ - 紫式部墓と小野篁墓 - 」
2016.06.09
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質量の1トンは何キログラム?1トンは1000キログラムと答えたあなた。あなたはきっと日本人でしょう。1トンの値は、世界中で同じではありません。主要国でも、1トンの値は異なります。日本の”トン”は、フランスから取り入れたもの。正確には「メトリックトン」と呼ばれます。それに対し、イギリスの”トン”は1016キログラム。「ロングトン」と呼ばれます。また、アメリカの”トン”は907キログラム。「ショートトン」と呼ばれます。イギリスの”トン”はアメリカより、109キログラムも重いのです。もしも、あなたに神様が、1トンのお菓子をくれるなら、イギリスの神様からいただきましょう。けっして、アメリカの神様から、受け取ってはなりません。
2016.06.07
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また移動が多く、慌しい1週間をすごしていました。昨日、その移動の途中、下記の場所の前を通りました。京都にある紫式部(むらさきしきぶ)墓と小野篁(おののたかむら)墓です。狭い道を入ると、紫式部の墓と小野篁の墓があります。右にあるのが小野篁の墓、左に見えるのが紫式部の墓です。源氏物語で有名な紫式部の墓は、小野篁の墓の隣にあります。小野篁は、802年生まれで、853年没。紫式部は、973年ごろに生まれ、1014年ごろに亡くなりました。なぜ、時代が違う二人の墓が、隣り合ってあるのでしょうか。小野篁は、夜になると井戸を通って、地獄に通っていたという逸話の持ち主。地獄で小野篁は、閻魔大王の裁判の補佐をしていたそうです。一方、紫式部は源氏物語を書いたため、地獄に落とされかけました。源氏物語で描かれた愛欲の世界が、罪になるとされたのです。その紫式部を救ったのが、小野篁。閻魔大王を説得して、紫式部の地獄落ちを阻んだそうです。紫式部の没年は、小野篁の没後160年。紫式部が閻魔大王に出会った時、小野篁は専任の裁判補佐官だったのでしょう。気になるのは、誰が地獄から戻って、紫式部の裁判結果を伝えたのか?おそらくは、小野篁は死後も、地獄から戻ってきているのでしょう。ちょっと、地獄へ。はい、もちろん、私が忙しかったのは、地獄へ行っていたからではありません。
2016.06.05
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オーストラリアには、ナガヒラタタマムシという昆虫がいる。ふつうの生物は、山火事を恐れて逃げるもの。しかしこの虫は、数十キロ先の山火事さえ察知して、好んで焼け跡に集まる。そして焼け跡残った焼けた木に、卵を産みつけていく。この虫が焼け跡を好む理由は、推定でしかない。おそらくは、焼け跡には外敵がいないからだと思われている。日本列島という場所は、災害が少ない地域ではない。無数の活断層があり、大陸プレートの境界に位置する立地。日本は、大地震源の宝庫と言える。地震が起きれば、津波の被害を受けやすい地形。火山帯も多数ある。台風も到来すれば、短く急な河川は急激に増水し、氾濫する。高潮も起きれば、山地も多く土砂崩れも起きる。まだ日本が今ほど温暖な気候でなかった頃、私たちの祖先は、なぜ日本に住むことを選択したのだろう。極東に位置し災害がない日本には、外敵がいなかったのだろうか。ただ、その選択は誤りではなかったのだろう。その後の温暖な四季の到来が、繁栄をもたらしたのだから。四季の変化を受け入れる様に、あらゆる災害も自然の定めと受け入れる。どれほど過酷であったとしても、四季も災害も自然の摂理と受け入れる。それが日本に住むということなのだろう。地震、水害、土砂崩れ、台風、噴火。そのすべてが、日本に住むために受ける試練。それでも、次に大災害が我が身に降りかかる時、それを受け入れる覚悟は、まだ私にはない。
2016.06.02
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