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いろんなことがありました。 これからも、いろんなことがあります。 でも、こんな調子。 ただ、いまは、これでいい。 http://jp.youtube.com/watch?v=E06SoECIp1U よかったら、いや、これ読んだ人は全員みてほしい。 見てください。見る方がいい。見ろ。
2008.03.24
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A&Vフェスタの時にもかけた、ボブ・ディランの「フォーエバー・ヤング」。ザ・バンドの『ラスト・ワルツ』から。みなに語りかけるディラン。しかし、その姿は、垂直に切り立った崖のようでもある。http://jp.youtube.com/watch?v=1TLygQpSiyU
2008.03.24
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えー、わたくし、ミクシィでは、最近、こんなことしかしておりません。コレもまたyou tubeの動画。しかし、カッコいい。カッコよすぎませんか。お客さんが、ボウイと一緒に、ハモる。 “I ain't got the power anymore”のところで。 「もうこれ以上わたしには力がない」っていう、ネガティヴな物言いで、大合唱というのが、実に、よろしいのですよ、これ。 http://jp.youtube.com/watch?v=9T8aoEW-u_8&eurl=http://mixi.jp/view_diary.pl?id=733388275&owner_id=781882&org_id=734330839
2008.03.24
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ザ・フーが、ウエスト・エンドの象徴ならば、こちらは、イースト・エンドの雄、スモール・フェイセズ。 おいら、スティーヴ・マリオットが、死ぬ1年ぐらい前に、ロンドンのライヴ・ハウスで見たんだ、聴いたんだ、彼の姿、その声、その音楽。 吐く息が白い。夜のロンドン。くるねー、ぐっとくるねー。みなさまも見てくださいまし。you tube、下記のページで。http://jp.youtube.com/watch?v=jVkSOq7pOJA
2008.03.24
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今回も、ミクシィの日記を転載。──────────────ロッキング・オン・ジャパンの掲載誌が送られてきた。 少し前の日記には、「昔、勤めていた出版社の雑誌に12年ぶりに投稿した」と書いたが、ロッキング・オン編集部を辞めてから20年。最後に原稿書いたのが、96年のロッキング・オン本誌なので、干支が一回りした勘定になる。 結局、同じところをぐるぐる回ってるだけ。これではどこにも辿り着かないと、自分でも思う。また、渋谷陽一にしても、一緒に仕事をした中で唯一残っている山崎洋一郎にしても、たぶん、おいらが投稿してきたことを、せせら笑っている気がする。「なんだ、これだけ長い年月が経っているにもかかわらず、いまだにきみは我々と関わりたいのかね」と。そうだな。おいらは、確かにさもしい浪人、網干さもじろう、みたいだな。 だが、できる限りの労力使って書いて、それが掲載されて、原稿料が入るのだから、何も文句はない。今回は400字詰め原稿用紙で10枚半書いたので、42,000円也。 もし毎月投稿して1年間連続して掲載されれば、50万円近くになる。 へんてこりんな自尊心と羞恥心にまみれているよりは、50万円いただき、というアティチュードで臨んだ方が、遥かに爽快だし、正解だろう。 うつ病になってから、何もしたくない、何も欲しくない。何処にも出掛けたくないという気分に陥っていたが、今日、半年ぶりぐらいにモノを買った。バイクのヘルメット。いままで使っていたのが、安物で、50キロぐらいで走っていても、シールドの脇からビュービュー風が入ってきて、目を開けているのがきついくらいだったので、これで、普通にとばして走ることができる。フルフェイス型だが、マウスガードが開閉できるタイプで、とても使いやすい。良い買い物だった。 そうだ、できるだけ投稿して、ギャラを貯めて、次はモトグッチのバイクでも、買わしてもらうことにする。 原稿のテーマにしたミュージシャンは豊田道倫。彼にも連絡して、恩を売っておこう。一緒に飲みに行って、奢ってもううことにしよう。 とにかく、しつこくやる。ひとつずつひとつずつ。 アデュー。
2008.03.18
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加藤典洋さんの「言い忘れたことが忘れられないということ」から。 ○ ○ ○ 十数年前、ある漫才師がノイローゼにかかって失踪した。その漫才師が、やがて姿を現し、テレビのモーニング・ショーのような番組で相棒に揶揄され、頭を掻き掻き、というように語った話が忘れられない。彼は、ある時、聴衆の中に、一人だけ、みんながゲラゲラ笑う中で、ニコリともしない観客がいるのを見つける。はじめのうち、視界の中にチラチラする程度だったその観客が、少しずつ彼の中で無視できない存在に育ちはじめる。それ以後、気になって「お笑い」をやりながら観察すると、そのような、けっして笑わない客が演芸場に必ず一人はいた。それ以後、彼はそのただ一人の笑わない客を、何とか笑わせようと壇上で苦心し、ペースを乱し、ノイローゼにかかり、もう壇上に登れなくなって、失踪してしまうのである。(中略) 漫才師が会場の中に見つけるただ一人の笑わない客は、たとえばベルイマンの『第七の封印』に出てくる死神に似ている。彼は、あるコミュニケーションの世界に現れて、そこには、必ずそれで包摂しつくせないもののあることを教える。それは壇上に立つものの前に現れて、お前には見えないものがある。お前には言い忘れたことがある筈だ、と囁くのである。 ぼくには、死神をもたない漫才師は余り面白くない。同じように、「言い忘れたこと」におびやかされない言説は、退屈に聞こえる。(中略) ところで、死神に睨まれた漫才師、つねに「笑わない客」を見据えて壇上でお喋りを続けなければならない漫才師はどうすればよいだろう(それはぼく達のことである)。 この間死んだアンドレイ・タルコフスキーの『ぼくの村は戦場だった』を二十数年ぶりに見て、そこに回想シインとして現れる情景から、ある解放感を味わった。そのシインの中で、主人公の少年は少女とリンゴを一杯に積んだトラックに乗り、トラックはリンゴをぽとぽとと落としながら速いスピードで村の道を走る。走り続けるトラックから次から次へと落ちるリンゴは(ぼく達が走りながら考え、考えながら喋る、そこで次から次へと言い忘れられ、言い落とされていくことどもは)、その後、どうなるだろう。それは、大渦巻の中に海面深く姿を没し、見えなくなる。 ぼく達にできることは、ぼく達の話すことを、そのような穴ぼこだらけのメッセージとして提示すること、けっして「素晴らしい思想」などとして語らないこと、自分の席のかたわらに、どんなに混んでいようと、自分の死神のための席を一人分、確保しておくことであると思われる。 ○ ○ ○ ルカさんが、少し前に書いた、よびりんさんの講演の時に、一人黒ずくめの格好をした異様な風体の人がいた、という下りを読んだ時、すぐに、この加藤典洋さんの文章を思い出した。 その時は、何もコメントしなかったのだが、何故か今日になって、引用しておきたくなった。 よびりんさんをはじめ、なんらかのことをなす人は、どんな瀬戸際に立たされても、ポジティヴィティーが溢れていたりする。しかし、ボジティヴであろうと、ネガティヴであろうと、自分の席の隣が空いている。そういう人ではないと、やはりつまらない。付き合いたくない。そんな思いを持つ。
2008.03.17
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久しぶりに、コクシネルを聴いた。ずっと前、そう、もう20年くらい前だ。こんな感想を持った。 「さて、生きてる時間の3分の1を寝ている我々は、80年の人生のうち27年近くを夢の中で過ごす勘定になる。コクシネルは、27年の夢が残りの53年の現実を凌駕できるというひとつの証拠である」ゆったりとしたベースの鼓動。その中で、述懐は繰り返される。『あなたは何か信じられないというような顔つきで死んでいった白い煙突から あなたの灰が 広い空を越え舞い上がっていく』それが、貴方に届くことを私は切に願う。 変わらない。20年前と何一つ変わらない。それでは、いかんのだろうが。
2008.03.14
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上田現が死んだ。ちょっと前には、フィッシュマンズのサポートをしていたHONZI が死んだ。あまり好きではない書き手だったが、池田晶子が46歳で死んだと新聞に出ていたのは、去年の暮れだったか。みな、癌だった。そして、みな、わたしより若い。上田現には、もう10年くらい会ってなかったが、それ以前は、毎年2回ぐらいのペースでインタビューしていた。「ワダツミの木」が、彼の作詞・作曲であることを知って、随分驚いた憶えがある。しかし、もういない。 死んだものは帰ってこない。生きてるものは生きてることしか語らない。 確定申告をやらねばならない。PANTAさんへの長いインタビューが金曜にある。準備をしなければならない。でも、今日は、昼間からちょっとだけお酒を飲ましてもらう。みなさん、さようなら。ご冥福を祈ります。魂の辺境の地から。
2008.03.10
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飽きてしまった歌はもうおやめつまびくその調べはもうおやめ弦を張ったまましばし休みなさい誰ももう口ずさみたがっていないよ ボブ・ディランの曲。どこが好きか。それは「弦を張ったまま」休む、というところ。弦をゆるめてしばし休みなさいでは、たぶん、こちらの心に浸透してこない。ギリギリとテンションをかけて張ってある弦。しかし、それはいま鳴っていない。そこに釘付けにされてしまう。写真は、成人を迎えて、記念写真を撮ったあとの、かの女。2カ月遅れぐらいだけど。着物を着たのは七五三以来だそうだ。あれ、でも、わたしは着物着た記憶がないぞ、七五三の時でも。そうか、ないのか、和服を着たことが。いいな、そういうことが、まだ残っているというのは。この人生に。
2008.03.09
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昔、勤めていた出版社の雑誌に、12年ぶりに投稿した。昨日(あ、もうおとといか)に連絡が来て、掲載されるそうである。一応、原稿なのだからして、自分では精一杯書いたつもり。載らなかったら、結構めげていたと思う。しかし、こうして、実際載ることになってみると、なにやら、ひどく後ろ向きな気分にもなってくる。ロバート・フリップが言った「さらに前へ進め」という言葉からすると、結局、大きな円を描いて同じところをぐるぐる回ってるだけじゃないか。まったく「外部」に逸脱して行ってないじゃないか、というような想いが立ち上る。しかし、うつで底を這いずり回っているいまのおいらには、これができる限りの精一杯の抵抗でもある。いまは、この苦い水を飲む。癪にさわっても、ありがたく飲む。
2008.03.01
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