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今日以下のごとく総社市長あてに抗議メールを送った。総社市長 竹内洋二 様7/30付け山陽新聞によると、貴職は教科書の採択に関して、扶桑社の「あたらしい歴史教科書」を総社市内の公立学校で採用させるため、教育委員会の方針に反して共同採択地区からの離脱を文部科学省に要望されています。このことは総社市の行政の長が個人的な特定の政治信条から公教育内容に介入しようとするものであり、断じて許すわけにはいきません。 私は、貴職が今すぐこのような介入を中止し、要望を撤回して市民・県民に謝罪するよう要求します。 私は今年六月、県立図書館に行って、扶桑社の中学校歴史教科書と他者の歴史教科書を見比べみました。科学性を重視しなければならない歴史教育の中に、「物語」を導入し、さもそれが重要な歴史的「事実」であるかのような記述がされていました。もっと詳細に見ればもっと問題点ははっきりしたのかもしれませんが、私にとってはそれだけで許しがたい教科書のように思えました。速やかな撤回を要求します。以上。何をかいわんや!!抗議先は総社市企画課秘書室へkikaku@city.soja.okayama.jp
2005年07月31日
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岡山市社保協総会に出席した。記念講演は津田光夫氏の「憲法25条に基づく医療制度をめざして」。来年度はなんともすごい医療制度の大改悪が出てくるみたいです。今でも十分医療費やら、介護費やら、高いのに、もう老人は到底払えないような額が考えられているし、介護費は高くなるし、ひどいものだ。憲法は「国による生存権の保障」をうたっているけど、今度の改憲は「国民による自立的保障」(自己責任と相互補助)にシフトする。そういう意味でも今度の憲法問題は絶対負けられない。総会では私も八月九日の「憲法を守り、生かす交流の集い」の宣伝をする予定だったが、時間が不足してカット(TT)。「自民党改憲案が出されるなど、情勢は緊迫しています。一方今現在、有明コロシアムでは一万人集会が大成功している。九条の会は新たな進化が求められている。市内の九条の会の交流集会を企画したので是非参加してほしい」と訴える予定だったのに(:_;)。
2005年07月30日
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クローンものである。決して「クローン戦争」を起こしている「スターウォーズ」にあやかって企画したのではないだろうが、ユアン・マクレガーが出ている。彼本来の「好奇心」や「いたずら心」の顔がいっぱい見れて、彼のファンにはいい映画かもしれない。見る前はスカーレット・ヨハンソンは人気にあやかってミスキャストではないかといぶかしんだのではあるが、「何も知らない無垢の少女」の顔と「妖艶な女の顔」が全く同時に同居するという彼女の魅力はこの映画でもはまり役になっていた。案外アクションシーンもこなすし、がんばっていました。何よりも、セックスの「セ」の字も知らなかった彼女がすぐに「キス」の味を覚えてしまうという設定は彼女だからこそ実現できたのであろう。なんて柔らかそうな唇でしょ。うーんセクシ~(^-^)突っ込みところはいろいろあるのではあるが、許しちゃいましょ。そんなに目くじら立てるような映画ではない。ただ自分の中で、どんなすごいカーチェイスがあろうと、どきどきしない自分がいて、そのことが悲しいというよりショックであった。「マトリックス」を観たあとではどんなカーチェイスも、仮想現実の出来事だと思ってしまう自分がいるのかもしれない。今ならむしろ「ベン・ハー」を映画館で見たなら興奮するかもしれない。
2005年07月28日
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今年初めて二回目の鑑賞である。写真は冒頭のシーン。冒頭から、魅せる。彼らはロシア・オデッサからの難民だ。ひとつの共同体の今日までの顛末が「台詞」で語られる。後ろに河、そして前にも河が流れている。過去から未来へ。現世から死の世界へ。時代の暴力の塊として、この河はさまざまに意味を変える。アンゲロプロスの映画以外ではそこまでの象徴性は持つことはできない。しかし、彼の映画にいたっては、ひとつのシーンの美しさがそれを可能にしている。しかも、もっとも大切なドラマはシーンの中では語られない。ドラマは台詞によって語られるか、あるいは背景で説明されるだけか。この物語にドラマを入れようとすると当然入れなければいけないシーンはいくつかある。難民が国境を越えたところ。15歳のアレクシスが13歳のエレニとはじめて結ばれたところ、結婚式場でエレニがアレクシスとともに逃げようと決意するところ。等々……。それを入れないことでどういうことが起きるのか。一人の女性が運命と戦い傷つき倒れるドラマを見るのではなく、一つの叙事詩を見るのである。そのとき、河は河ではなく、雨は雨でなく、白い布も、汽車も、洪水も、双子の子供も、共同体の長である父親も、人民戦線も、三回に渡る血の色(羊の血、白い布につく血痕、別れの赤い糸)も、エレニという一人の女性も、さまざまな意味を持って何度も何度も歌い継がれる存在に変化してしまう。それは決して時代を描くということではない。自分にとっての「何か」を映像として自分の中に取り込むということだ。ひとつの世界観を作ってしまった「ロード・オブ・ザ・リング」というような作り方もあれば、このような形で世界をつくってしまうこともできるのだ。「ユリシーズの瞳」のときはまだわたしのほうの準備が足りなかった。「永遠と一日」のときは時代が後方に追いやられていためか、その広がりがよくわからなかった。今回初めて彼の作品で衝撃を受けた。一回目の鑑賞のとき一つ私は勘違いをしていた。訂正してお詫びします。「霧はまったくでない」のではない。霧はいつも出ていた。ニューオデッサで、白布の丘で、アメリカにつながっているという海で。息子が死んだ海で。しかし、今回は目の前がまったく見えなくなるような霧が出ていなかっただけなのだ。その代わり雨が降る。涙のように。そして霧の日はむしろこの時代にあっては「晴れ間の日」だったのである。
2005年07月26日
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『働くものの命と健康を守る中国ブロックセミナー』に参加。労組の学習だけではない、国立公園三段峡の散策やら美味しいものを食べてちと健康を養おうという企画。労働安全衛生法の学習やら、ずっと平机での学習でそれはきつかったのだが、自然は素晴らしく、さすが国立公園だけあって、宿からすぐすばらしい峡谷がずっと続いていて、夕方と早朝に散策した。ギバボウシだろうか。可憐な花が岩に棲みついている。
2005年07月24日
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先日の人麿の「淡海の海 夕波千鳥……」の歌での私の疑問について、gooの質問サイトで聞いたら、一日で返事が二つもやってきた。インターネットのすごさをまざまざと思い知った。ともかく答えていただいた方、ありがとうございました。
2005年07月22日
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見渡せば 明石の浦に 燭す火の ほにそ出でぬる 妹に恋ふらく (門部王)人は恋する動物である。とも言えるかもしれない。欲情とも違う。共感とも違う。単なる感情の発露でもなく、理性的な状態でもない。恋することで、恐ろしくその人の内面まで入っていけることもあれば、歴史的地球的規模で個人と世界とが相対することも可能になる。思うに、古今東西の歌や小説から恋がなくならないのは無理ないことではある。さて、それにしても万葉集には恋の歌は多い。それは勅撰和歌集の伝統ではあるが、世界的に見ても稀なことではないだろうか。この門部王も身分の高い人なのに、なんとまああからさまに恋の歌を歌うことか。「漁火のように目立って出てしまった君を恋する気持ち」このころから漁火漁法があったことに私などはびっくりするのだが、それよりも、昔は電灯などなかったのだから、この火は本当に真っ黒な海の中で人の心のように赤く目だって燃えていたのだろう。情熱的でなんとなく妖しいその気持ちに女性はどう応えたのだろう。
2005年07月21日
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核兵器の廃絶を求めて、5月6日に東京夢の島を出発して8月6日の広島を目指して、毎年歩いている平和行進が、岡山にやってきたので、今年は備前~西大寺コースを歩いた。このコースを歩くのりは久しぶり。10年ぶりか。景色も変わったし、その他いろいろ変わった。もっとも驚いたのは、国民行進は昔ながら、一日中歩いているのに対して、市民行進(生協)は、歩く人がいないという理由で、長船からおくまでの一時間のみ歩いているということだ。なんてことだろうか。結局運動の意義とかはきちんと位置づけないまま始めたからなのだろう。市民行進が始まってせいぜい25年間、国民行進は今年で48年間続いている。毎年、述べ10万人近い人々が歩いているという。これはもう立派な国民行事だろう。マスコミがきちんと扱わないだけで、これだけの継続性と人々が集まる行事はいつかは教科書に載ることだろう(^^;)それにしても疲れた。首回りや足回り手などはもう真っ赤。(油断してモモの裏が腫上がった。短パンの人は気を付けましょう)約50キロ歩くコース。少しはやせたかな。
2005年07月17日
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終わって周りを見ると、岡田君目当ての若い女の子ばっかり。でもこの作品は男の子こそ観てほしい作品。しかも、中年男性は観てほしい。おっさん、見ろ!「フライ,ダディ,フライ 」 監督 : 成島出 出演 : 岡田准一(スンシン) 堤真一 (鈴木一) 松尾敏伸 (スンシンたちの知恵袋?) 須藤元気 (石原龍太郎次期首相候補の息子) 星井七瀬 (鈴木さんの愛娘。) 愛華みれ (鈴木さんの愛妻) 夜10時、電車に揺られ疲れて駅に帰ってくると、鈴木さんだけには妻の車の迎えがあった。絵に描いたような円満な家庭で幸せな生活を送っている鈴木一。ところが、ある日、愛娘が殴られて入院した。病院に向かった鈴木に、教頭は表ざたにしないように圧力をかける。加害者の父親が石原龍太郎という見事な名前の次期首相候補でおまけに息子はボクシング高校チャンプ。圧力に屈して何もいえなかった鈴木さん。彼はたまたま出合った高校生たちの提案を受け入れ、石原と決闘するためにトレーニングを始める。以上が話の「導入部分」である。ここがあまりにも、前時代的なので失敗したかなあ、と思ったのであるが、トレーニングが始まると、そういうのはどうでもよくなって惹きつけられていった。流す汗がとても気持ちよさそうだ。よーし明日からこそ、この前挫折した○○を再開するぞ、と、とりあえず思った。娘の星井七瀬がかわいい。主役の二人もいい味出しているが、(堤真一は本当にうまい)松田敏伸が案外いい味出している。
2005年07月16日
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秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛ありとも (但馬皇女)最後の一言が活きている。人に噂されようとも、つまり「こちたくありとも」といってか弱い女性が一人の女として生まれた一瞬を残している。しかも前書きを見ると「但馬皇女の高市皇子の宮に在りし時に、穂積皇子を思ひてつくりたまひし歌」とある。こういうことを国選歌集に入れるのもどうかと思うが、現代ならワイドショーが飛びつきそうな話題だ。ただし、詳しいことは分からない。
2005年07月15日
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「スター・ウォーズ3/シスの復讐」ネタバレです。まだ観ていない人は読まないように。なかなか見ごたえのある映画でした。ただし、EP1から6までの5作品をあらかじめ見ている人にとっては。なぜなら、これ一作だけでは、単にCGをうまく使った冒険活劇にしか見えないからである。主人公が暗黒面に入っていくことには、もちろん理由があるのだが、そんなもん、もっと道があったろうに、とほかの作品を観ていない人に言われると「そうですね~」としか言いようがないからである。通しで観ると、(といってもあんまり覚えていないのだが)なるほどこれは「運命」だったのだと納得するわけです。これは親子三代にわたる「因果の巡る物語」なのである。異論があるのを承知で言えば、パルパティーン→アナキン・スカイウォーカー→ルーク・スカイウォーカーという「隠された父息子関係」の間での「フォースとは何か」という問答の物語である。だからルークの片腕がなくなったようにアナキンも片腕をなくす必要があったし、パルパティーンが自分の師を殺したようにアナキン(ダース・ベイダー)も自分の師を殺す必要があった。それらの「因果」をことごとく断ち切ったのは、ルークである。ルークがいったい何を断ち切ったのか、それをじっくり描いたのが、EP1~3だったというわけだ。「ダークサイドとは何か」力には力、復讐には復讐、その連鎖を繰り返していくとアナキン(ダース・ベイダー)が生まれる。アナキンは一度負けた相手には二度目には勝っている。アナキンは復讐に任せて母を殺した人々を皆殺しにした。その前半のエピソードが後半になって生きていく。ただし、すごいからといって、イギリスでテロを起こしたイギリス国籍の少年にこの映画を見せても鼻で笑うだけだろうとは思う。それほどの深みはない。ただし、「宇宙戦争」を見て、自分も自衛軍に入りたいと思った少年が考えるきっかけぐらいにはなるかもしれない。それなしてみも、ヨーダがかっこいい。20年後あんなに老いぼれになるとは到底想像つかない。パドメ・アミダラが美しい。思ったより出番が多くて幸せでした(^-^)
2005年07月14日
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家ならば 妹が手巻かむ 草枕 旅に臥やせる この旅人あはれ (聖徳太子)いつのまにやら、投稿内容の加工が簡単に出来るようになりました。私がこのプログを使い出して約三ヶ月,その間の改善が約三回もあった。すごいなあと思う。閑話休題。ついに出ました,聖徳太子。私「草枕」の枕詞勘違いしていました。旅の枕詞なのですが,草を枕にするような優雅な旅なので,枕になったのだと思っていました。しかし、最初の枕詞で使われたころ,旅はやはり命がけだったのです。旅の途中,本当に屍があちこちにあったのでしょう。聖徳太子の人柄も偲ばれて面白い歌です。
2005年07月14日
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田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 不尽(ふじ)の高嶺に 雪は降りける(山部赤人)この歌も有名だ。しかし改めて読むと「真白」のイメージのなんという鮮烈なことか。「富士山が見えたぞ」仲間の声で部屋を飛び出す。海から競り上がるように見えてくる巨大な聖なる山、映画にもそんな場面が確かあった。極めて映像的。ということで、気になったのでまた後で調べたら、「浦ゆ」の「ゆ」は「~から」という意味らしい。私のイメージは長い航海の果てに港に着く景色だったのだが、実際は港から出てくると、しだいに富士の全体像が見えてきて、(あのような大きい山だと港からは全体はかえって見えないのかもしれない)富士の山頂が見えたという歌らしい。映像的であるというのはその通りなのだが、意味は全然違った。訂正してお詫びします。私の解釈はあくまで自流なので、あまり「信頼」されると痛い目にあうかもしれません。してないとは思いますが(^^;)
2005年07月12日
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あおによし 奈良のみやこは 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり (小野老)韓国語で「国」を「ナラ」という。どう考えてもこれは偶然の出来事ではない。日本語の「奈良」が先にあって、朝鮮半島の「ナラ」という単語ができたのではなく、その逆であろう。それほどに、7Cの倭のクニでは渡来人の影響が大きかった。別の言葉でいえば、天皇の祖先はずばり渡来人であった、という学者は何人もいる。この歌で、「奈良」を外来語だと思い、使っているという雰囲気はない。となるとナラが奈良(あるいは国という意味)になったのはいったい何時のころだったのだろう。
2005年07月11日
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春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり 天の香具山持統天皇「エレニの旅」という映画を観た。現代のギリシャ神話ともいうべきこの作品に何度も出てくるのが鮮やかな白いシーツの群。悲劇の連なりの間の晴れ間。時間が過ぎて行く中でこの鮮やかさのみ記憶に残る。なぜか共通点が多い。天皇が歌う香具山の歌なのでこれも政治文章ではある
2005年07月10日
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監督 : テオ・アンゲロプロス 出演 : アレクサンドラ・アイディニニコス・プルサニディスヨルゴス・アルメニスヴァシリス・コロヴォスエヴァ・コタマニドゥミハリス・ヤナトストゥーラ・スタトプロウ アンゲロプロスの映画では約束事であった「霧」は全く出てこない。その代わり、執拗に「雨」が降り注ぐ。あるいは雨の結果である「川」が湖のように村にそして戦場に横たわっている。霧はいつも未来を不透明にするが、物理的な力はない。しかし、雨は違う。それは時には洪水になりひとつの村を水没させたりするのである。それは運命?それは時代?それは物理的な暴力である。圧倒的な力が歴史の中にうずもれる個人の一人ひとりに襲い掛かる。ギリシャの1919年からおそらく1950年頃まで。難民、戦争、人民戦線、内戦、息つく暇もないほど、時代の雨に翻弄される一人の女性を描く。しかし女性に雨雲の全体は見えない。だからわれわれに見せるのは目の前の雨粒だけだ。雨の間には晴間もあるだろう。私たちの晴れ間とは違い恐ろしく短いように思えるが。逃げだした二人を温かく迎える、ジプシーに似たフリーの音楽仲間、そして主旋律になるアレクシスの作曲した悲しく優しい調べ、晴間になるとすぐに出てくる目の醒めるような白いシーツの群れ(最後は血に染まる)、この映画では音楽だけが、晴間だった。何回か彼の作品を観て、今回ほどワンシーンワンカットの妙味を堪能したことはない。二つの村を忠実に再現させたのはCGを使いたくなかった監督のエゴからではない。果てしない平原、やがて一つ一つをレンガで積み上げた質素な家からなる10数件ばかしの小さな村の全体像が写り、馬や羊などの生活の風景が写り、村の全体をなめるように写したあと川から着いたばかしの女性にズームしていくと、力なく死んだようなか弱い少女が抱き着替えられて村一番大きい屋敷に運ばれていく。全体から個人へそして全体へとカメラつまり監督の視線は常にそのように移動していく。それはまるでシャガールの絵の様だ。恋人を正面に大きく描くけど、常に背景には彼が住んでいた村や人々の世界が描かれている。駅のすぐ傍の工場地帯の村ではレンガ積みの家さえ珍しい、雨のもれるトタン屋根に木造の家、それらの世界が個人の悲しみにやがてシフトしていく。CGなどでは表わせる世界ではない。ひとつのシーンは突然切り替わる。ギリシャの歴史に詳しかったら、ギリシャの古典に詳しかったら、もっとこの作品の「詩篇」の意味が分かったのかもしれないが、しかし、それは次の楽しみに取っておけということなのだろう。
2005年07月10日
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監督 : イム・チャンサン 出演 : ソン・ガンホムン・ソリリュ・スンスイ・ジェウンチョ・ヨンジンソン・ビョンホパク・ヨンスこの息子はどうやら私と同年代らしい。この息子が27歳になるまで、韓国という国は独裁政権の国でとても怖い国だということが宣伝されていた。なるほど下痢しただけで「マルクス病」だとレッテルを貼られて、拷問にあったりしたのだから、怖いことは怖いのであるが、庶民はそれほどびくびくしながら生きてきたわけではなく、大統領の髪を刈っても別段庶民の暮らしをそのまましていたのである。朴正熙という大統領はあまり独裁者でひどい人物には描かれていない。その一方で、朴大統領暗殺後のどたばたで大統領になった全斗煥に対しては辛らつである。これはもしかしたら韓国庶民の偽らざる感情なのかもしれない。この映画は79年で終わる。しかし、実はこのあと8年が激動なのではあるが、理髪師を辞めた以上はここで止まるしかなかったのだろう。つくづくガンホの笑顔は素晴らしい。しかし、韓国の人たちの歴史の描き方の成熟していること。「ペパーミントキャンデー」にしても「殺人の追憶」にしても「ブラザーフッド」にしてもちゃんと自分の血肉にしてから、庶民の視点で、そしてちゃんと時代を見据えて映像にしている。日本の映画でこれが出来ているのはあるだろうか。山本薩夫に若干あった気がするが、庶民の視点に徹底しているのはなかった。チャン・イーモウの「活きる」にしても時代観が素晴らしい。日本人の歴史観について、いろいろ中国・韓国から言われるのも、全然根拠のないことではない。
2005年07月09日
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今日は「9」の付く日ということで、天満屋アリスの前広場で、署名と宣伝行動をする。あいにくの雨の中、13団体20名が集まった。事務局としてばたばたしていたので、署名に応じてくれた人の感想などは聞けなかったし、参加者の感想もあまり聞けなかった。地道に宣伝していくことが大事である。しかし、来月からは「べた署名」に赴く予定。そうでないと、住民過半数の目標なんていかないので。
2005年07月09日
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自民党の「新憲法起草委員会・要綱 第一次素案」が出た。一読、悲しくなり、怒り、そして嗤った。日本の未来が悲しくなり、こんな考えを持った輩に怒り、考え直して、こんな文章しか書けない人達、しっかり読めば、誰もがNOと言うであろう、文章しか書けない人達を嗤った。とりあえず、簡単な感想だけ。前文作成の指針「日本国民が多様な文化を受容して高い独自の文化を形成したこと。我々は多元的な価値を認め、和の精神をもって国の繁栄をはかり、国民統合の象徴たる天皇と共に歴史を刻んできたこと。」天皇が戦争を始め、国民に犠牲を押し付けたことを無視し、戦国から江戸時代にかけて、歴史の主役は誰だったかを忘れ、現代において、国民主権の原則を忘れている。安全保障の項「自衛のために自衛軍を保持する。自衛軍は、国際の平和と安定に寄与することができる。」9条2項をバッサリ削ってこれを入れる。これは単に今の自衛隊を現状追認すると言うことではない。これによって、どうどう軍隊が海外に出かけることが出来る。つまりアメリカが始める戦争に日本がついていって他国を(「自衛」の為に)侵略することが出来るのである。決定的な大転換である。「2、「公共の福祉」について 1.現行の「公共の福祉」の概念は曖昧である。個人の権利を相互に調整する概念として、または生活共同体として、国家の安全と社会秩序を維持する概念として明確に記述すべきである。2.「公共の福祉」の概念をより明確にするため、「公益及び公共の秩序」などの文言に置き換える。」これもひどい!!憲法はそもそも国の暴走を許さないため、国が守るべきことを決めた法律である。近代憲法の歴史を紐解けばどの学者もそういうであろう。しかし、この憲法は国民が守るべきことを決めようとしている。これが通ると大きく世の中が変わるだろう。改憲要綱「・国会による発議の要件については、「各議院の総議員の過半数の賛成」に緩和する」要は簡単に改憲できるようにしたいっていう事ですね。
2005年07月08日
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DVD「純愛中毒」を観た。 製作: 2002年 韓国 監督: パク・ヨンフン 出演: イ・ビョンホン/イ・ミヨン/イ・オル/パク・ソニョン 同時刻の交通事故がきっかけで、イ・ミヨンの最愛の夫の魂は弟のイ・ビョンホンの身体に宿った?構成は東野圭吾原作の「秘密」に似ている。(こっちのほうが複雑だか)イ・ミヨンが案外演技派である。注目。ところでイ・ビョンホンがあと五年位しておば様から騒がれなくなったとき、転進の方向として、かっこいい悪役をするというのはどうだろうかなと思う。私はこの人の雰囲気に手塚治虫「バンパイヤ」で見事な悪役に転身を遂げたロックの雰囲気を感じ取る。ぺ・ヨンジュンが手塚作品の中ではケンイチ君だとしたら、イ・ビョンホンは外国帰りの雰囲気を持ちかっこよく、なおかつ暗いイメージも併せ持っているとところなんかそっくり。原作をうまく料理する韓国のことだから、いっそ「バンパイヤ」を韓国でやったらどうだろう。今ならCGで違和感なくトッペイを狼に出来るぞ。あの作品のロックが、ロックの転身第一作だったのだから、イ・ビョンホンにぴったりだと思うのだが。(05.07.08記入)
2005年07月08日
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監督・脚本 : チョン・ユンチョル 出演 : チョ・スンウキム・ミスクソン・チョンウクペク・ソンヒョンアン・ネサン こういう映画にありがちな、自閉症の主人公がどえらいことをしでかすという映画ではない。では周りがすごいのかというと、どう見ても普通の、もしかしたらそれ以下の親だったり教師だったりする。しかし、なかなかいいのである。それでも、人間というものは、自閉症の子であれ、親であれ、教師であれ、時々ものすごく輝くことがあるのだ、ということを教えてくれる映画だ。自閉症の子(といっても20歳だけどね。彼の演技は素晴らしいの一言。)に話をする場面が多いので、勢い、基本的な会話や単語が飛び交う。韓国語聞き取りにはぴったりの映画かも。DVDは買いですね。お母さん役のキム・ミスクはどの映画に出ていたのだろう。「おかあさん」を見事に演じている。韓国ではマラソンを「マラトン」と読む。正確にはマr・ア・トンの言葉を縮めるとマラトンになるわけだが、マrは「馬」という意味もあるから、主人公がシマウマ好きなのは、よく出来た作り話なのだろう。この作品事実を基にしているといいながら、よく「作って」いる。自閉症の親と子供の関係というのは、世界初の映画ではないだろうか。(05.07.08記入)
2005年07月07日
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大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は (舒明天皇) 島根県に田和山という小高い山がある。病院を作ろうとしたら,三重の環濠が見つかり,弥生時代後半の祭祀上神聖な山だったに違いないと言うことになり,住民運動の結果保存が決ったところである。この山について、幾人かの考古学者が「国見」の場所だったに違いないと言っていた。--つまり「国見」とは単に,思いつきで裏山に登って,煙が立っているからわが国は豊かだなあ,と「感じた」だけの話ではないのである。れっきとした国家行事だったのだ。つまりこの歌は正式な国家文章だったのである。国家文章だから実際香具山から見えるはずもない,「海原」も言葉になるだろう。政治家の言葉はいつもそのまま受け取ってはいけない。そういう時登る山は思いつきの山ではない。平野にぽつんと盛り上がる小高い山,「かむなび」(聖なる)山である。「あきづ島」も面白い表現だ。銅鐸にもよく蜻蛉の絵が描かれている。豊作の象徴だったのだろう。
2005年07月07日
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淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(柿本人麿)先ずは「夕波千鳥」が「感傷」に結び付く、1400年前の人とは思えない、繊細な言葉への感性。それと「夕」と「千」は漢語ではないのか。(専門的なことは分からないが)これは柿本人麿の造語ではないのか。美しい造語を作っている。と、思って調べてみると,「ゆう」も「ち」も立派な訓読みでした。夕の音読みは「せき」ですね。と、なると「ゆうなみちどり」は人麿の発明ではない可能性がある。しかしどちらにせよ,言葉に対する感性は天才的。
2005年07月06日
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監督 : スティーヴン・スピルバーグ 出演 : トム・クルーズダコタ・ファニングティム・ロビンスミランダ・オットーダニエル・フランゼーゼ出来るだけネタバレは避けながら語ろうと思うのだが、どこまでうまく行くか。読む人は少しのネタバレは覚悟して読んでください。私はこのラストに非常に失望した。これだけはやってほしくなかった。途中まではよかったと思う。あくまでも一般市民の視点で、この侵略者を語るのは成功していたと思う。ダコダ・ファニングは素晴らしい。どうしてあそこまで「演技」できるのか。しかし、ティム・ロビンスが登場したあたりから、おかしくなっていく。この手のSFはひとつの大嘘(宇宙人の襲来)を描くために、襲来の方法、目的、結果は徹底的に科学的に検証されなくてはいけないと思う。そうでなくては、家族の恐怖に「リアリィティ」は生まれない。あれではだめだ。こんなにも突っ込みどころがあってはいけない。しかし、と私は思いなおす。スピルバーグとあろうものが、どうしてこんな脱力系のラストにしてしまったのだろう。おかしい。本来のエンタメを意識的に外しているとしか思えない。あの目的もどうも不思議だ。どこかに解説があるのだろうか。これはもしかしたら、不条理SFなのか?そういえば、ティム・ロビンスの言動は矛盾だらけだ。そもそも情報が遮断されている中で、どうして大阪の人間があのロボットを倒したと知ったのか。これは笑い転げてみるべき映画だったのだろうか。うーむ。悩ましい。
2005年07月05日
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監督 : ニルス・ミュラー出演 : ショーン・ペン ナオミ・ワッツ ドン・チードル 1973年、サム・ビックは、別居中の妻マリーと3人の子供を取り戻すため、事務器具の販売員として再就職する。しかし、不器用なサムは成績も伸びず、口先だけの営業を強いられることに不満を感じていた。ある日、裁判所からマリーとの婚姻解消通知が届く。新ビジネスのためのローンも却下され、追い詰められたサムは、ふとウォーターゲート疑惑の報道を耳にした。サムにとってニクソン大統領は、正直者が成功するアメリカの夢を踏みにじった男の象徴だった…。 サム・ビックと私は紙一重、ではない。妻に離婚を迫られ、人付き合いが下手で、思い込みが激しく、変な正義観を持ち、上司からはねちねちといじめられ、構造的な貧乏は容赦なく彼に忍び寄る。そうだからといって、彼は妻の恋人も殺せないし、上司も殺せない。怒りの矛先はゆがんだ正義観からニクソンに向かい、結果的には無実の人を何人か殺す。犯行前に思い通りに殺せたのは唯一自分に慕ってくれていた飼い犬であったというのは皮肉である。彼と私はいっしょではない。断じてないと自信を持って言える。ただ、彼がかわいそうだ。可哀そうだ。あわれだ。ミュラー監督は新人監督らしい。非常に手馴れた演出。次回作が楽しみ。
2005年07月05日
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富人の 家の子供の 着る身なみ 腐し棄つらむ きぬわたらはも(山上億良)この前観た映画「トニー滝谷」はまさにこんな富人の物語であった。彼らには彼らの哀しみがあるのだろう。しかし山上億良は「構造的な」哀しみに襲われている。万葉集の懐の深さである。
2005年07月05日
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茜さす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも(柿本人麿)昼なのに夜のことを想う。最初は恋人のことかと思ったが、日並皇子の死を悼んでのことらしい。こんなとき「ぬばたま」という言葉は黄泉のイメージを持つ。
2005年07月04日
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「ガラスのうさぎ」を倉敷芸文館に観にいく。四分一節子監督、小出一巳・末永光代脚本、高木敏子原作、声は竹下景子、最上莉奈ほか。意外にも表題の「ガラスのうさぎ」のエピソードは非常にあっさりしている。炎で溶けたうさぎは東京大空襲のことを幾らかは語ってはいるけど、そういう「象徴」では語りきれないことを、アニメの力を借りて誠実に語ろうとしたのがこの映画である。予算と時間の関係なのだろう、描きこみはジブリアニメとは雲泥の差ではある。演出についても、少女が自殺を思いとどまったところ等、あまりにもあっさりしているように思えた。--そうではあるのだが、私は正直ずいぶん惹きこまれた。ひとつは美術と脚本が非常に誠実だったこと。どちらも画面の隅々、台詞の一言一言に神経を配りまくり、当時を忠実に再現しようとしているのが良く分かった。ひとつはいままでの反戦アニメにあるように、終戦で終わりということにしていなかったこと。戦後の苦労もきちんと描いており、だからこそ「新しい憲法の話」の朗読が活きた。悪い作品ではない。500人規模で人を呼んでも、充分満足させうるアニメである。思いがけず、開演前には杉原氏のHPの記事「特攻隊教官が、終戦直後に郷里で自爆!」が聞けた。HPの話を更に膨らませていた。私の考古学仲間であるが、多方面でのご活躍、素晴らしいと思う。終わった後、会場すぐそばの倉敷美観地区をそぞろ歩いた。倉敷ガラス工芸、黒木三郎の寄せ木細工、備中和紙、ちっちゃなからくり玩具、等々店先の可愛い民芸品を眺めて歩き、雨にけぶる倉敷川を見ながら休んでいると、この倉敷の美しさを戦後最初に説いたのは皮肉にも外国人のバーナード・リーチだったなあ、と思い出した。偶然にも戦災を免れたため、この美しさが保たれたのだ。倉敷でこそ、九条は似つかわしい。倉敷九条の会を作ろうとしているらしいが、呼びかけ人はぜひ大原美術館の大原氏を、それが無理ならこの美観地区ゆかりの人を選ぶべきだと思う。
2005年07月03日
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今日朝日新聞で、レタスが少雨で出来すぎで余っていて、値崩れしているという記事を読んだ。(デュオで98円)買い物にハローズへいくと、チラシには載っていなかったのだが、なんと一玉78円だった。前、一玉98円のレタスを買って、あまりにも汚くて、半分以上捨てたことがあったので、試しに半玉38円というのを買ってみた。かえって、あけてみると非常にきれいな上玉。そのままちぎって、マヨネーズをかけて食べた。これ、あと数日はレタス「買い」ですな。お百姓さんは可哀想だ。
2005年07月03日
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難波津に 御船下ろすゑ 八十梶貫き 今は漕ぎぬ と妹に告げこそ(防人の歌) 八十の梶というのはなかなか大きい船だ。今、妹(恋人か妻)はここにいないのだろう。もしかしたら東国の人かも。久しぶりの東国訛りに思わず伝言を頼んだんだろうか。
2005年07月03日
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上記講演会に行った。あらかじめ予想した通りの人で、それ以上でも以下でもなかった。結局この人の役割は「アンテナ」なのだ。(勘違いしないで。評価しているんです。)別の言葉でいえば、根っからの「ジャーナリスト」。共謀罪の危険性、ゆとり教育の狙いは初めて知った。今、彼は沖縄と日中関係を追っているという。成る程~(^^)。帰りに通った商店街にはずら~と七夕を飾っている。「小金もち」とかうけ狙いの短冊も多いがみんなどうしてこうも「しあわせ」とか「健康」とか願うのだろう。具体的でないだけにかえっていじらしい。または小学生の字でこんなのもあった。「おとうさんのしごとがうまくゆきますように」。リストラされたんだろうか。
2005年07月02日
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天の原 振りさけ見れば 白真弓 張りて 懸けたり 夜道は吉けむ (間人大浦)素直だけど、見事な自然描写。この人は戦に出たことはあるのだろうか。「天」に 何を見たのか。
2005年07月02日
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いま、憲法問題活動家にとってもっとも望みうる最高の講師、ということで川村俊夫氏(憲法会議事務局長)を選んだのだが、選択に間違いなし。理論と実践両方を兼ね備えた、非常にいい講演だった。都議選が終わると、自民も民主も改憲世論を盛り上げようと画策しているという情勢から入り、憲法の歴史を説き起こして、憲法は古くなったのではない、いま世界史、世界情勢の最先端を行っているのだと訴えた。アメリカ、日本政府、財界の狙いを明らかにした上で、「自衛隊必要論」を見事に切る。現在情勢を改めて語り、元気の出る終わり方をしてくれた。以下印象に残ったこと。経団連は最初の改憲は二つかえるだけでもいいと思っている。9条二項をなくすこと。96条二段階ステップの改憲条項を、2/3国会賛成があれば国民投票をなくすか、2/3を1/2に変えれば、そのあと更に変えるのは容易だと思っている。憲法は時代とともに発展する。封建時代、ローマ法王の許しがあれば戦争が出来た。近代憲法ができたとき、自由や平等もうたったが、資本主義の発展が最優先され、全ての戦争は「合法」になった。やがて戦争を「違法化」してきたのは、人々の命がけの闘いの中。日本国憲法は世界史の最先端にいる。自衛隊はいまの憲法解釈なら朝鮮が攻めてきたら戦うことが出来るだろう。改憲など必要ない。しかし、今の憲法だと自衛隊の海外「派兵」はできないし、集団的自衛権も認められない。今の自衛隊はあくまでも「派遣」である。サラリーマンの「出張」と同じ。自民党内部も一枚岩ではない。宮沢元首相は改憲に反対。後藤田も、野中も、うまくすれば九条の会で発言するかもしれない。彼らはバリバリの保守ではあるが、「このままでは全体主義になる」という危機感があるのだ。九条の会は7月初めには3000を越えるだろう。有明コロシアムでの一万人集会は、返信はがきでひとり一枚だけという制限をかけた。はっきり言って賭けだった。しかし、団体の動員ではない、普通の市民も平等に参加できる集会にしたかった。発表があって10日目の集約でいま、5000を数えている。国民過半数へ、いま、学習運動の徹底、思想、立場、上部団体の違いを超えた団結が求められている。憲法を自分のものとして選びなおす中から、憲法が生きる21世紀が生まれる。憲法が本当に生きる世の中になる。日米関係が根底から崩れる。
2005年07月01日
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今日の万葉集今日からできるだけ毎日万葉集を一句書いてコメントを載せていきたい。万葉集は「ゆたかな文字の考古資料」。いろいろ感じる所もあるだろう。携帯で発信するにも負担にならない文字数でもある。(今日は多い^_^;)天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見る(柿本人麿)中国大陸の影響もあるそうだが、なんという雄大さ、天に自然を見、自然が天を語る。
2005年07月01日
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