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「指紋を発見した男」主婦の友社 コリン・ビーヴァン 茂木健訳スコットランド人医者ヘンリーフォールズは、宣教師として日本に滞在中、友人モースを手伝い大森貝塚の発掘に携わっているときに、土器に付いている指のあとの筋から『指紋が犯罪捜査に使えないか』と発想する。指紋が犯罪捜査に与えた役割はとてつもなく大きいものがあったが、それが証拠として採用されるまでにはいろいろなドラマがあった。また、指紋発見者としてフォールズが評価されるにも、紆余曲折があったのである。科学的な犯罪捜査が始まるまでの警察の歴史が読み物風になっており、なかなか面白い。特にヴィクトル・ユゴーの「ああ無情」のモデルになったというヴィドックを扱った『悪党を捕まえる悪党』の一章など、波乱万丈。また、マーク・トゥエンの「ミシシッピの生活」の第三十一章に影響を与えたかもしれないというくだりを北村薫辺りが読んだなら、早速推理小説のアンソロジーに入れたりするかもしれない。この本には『本格』の香りがする。ただ、指紋発見のエピソードに日本の大森貝塚が入ってくることに、(日本人としては嬉しいのだが)私は危惧を覚える。縄文土器をよく見た人ならすぐ気が付くのであるが、たとえ土器に指のあとがあったとしても、目の荒い土器には決して指紋のしの字も付かないのである。この著者は日本に来ることなくこの本を書いているが、変な伝説が一人歩きしないことを祈りたい。
2005年08月31日
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8月27日県立美術館で開かれた『大地からの便り県内の発掘調査報告会』に参加した。2年前に参加したおかやま公民館のそれとは一段と進化し、会場も広くなったし、スライドもコンピューターを駆使して非常に見やすくなっていた。今回は、彦崎貝塚、両宮山古墳、中町B遺跡の報告と28年間発掘を続けてきた百間川遺跡の発掘が一段落したこともあって、まとめ的な報告を四人からいただいた。その前に百間川遺跡の珍しい遺物の展示があり、面白かった。有名な朱塗り模様のある壷、リアルな顔の土偶などもあったが、私が注目したのは鉄剣と木製の短甲である。ともに弥生時代出土。鉄剣といいながら20cmほどしかなくて『これ本当に剣ですか』と近くにいた吉備文化財センターの職員に聞いたら「うーんどうでしょうね」とはっきりしない答え。少なくとも人を殺すような剣には思えなかった。また短甲も薄い板に加工しているところや、きれいな糸通し用の穴をきちんと空けている所など、技術はすごい。イラストの説明が大和式の髪型になっていたので聞いたら『根拠は無い』とのこと。また「表面は黒漆を塗り、裏は皮を張っていた可能性があるので、実用ではなく祭祀用のものだったかもしれない」ということ。つまり実践の武器が出たわけではない、可能性があるのである。百間川遺跡は岡山県で唯一大きい環濠がある遺跡なので、私はその辺りを聞いて少し意を強くした。何の『意』か以下に述べる。2C~3C前半倭国大乱が起こり、卑弥呼がそれを治めたといわれる時代、考古学的に最近明らかになってきたのは、卑弥呼がどうであれ、その後に出来た大和の政権は畿内、山陰、吉備、北九州ら当時有力勢力の連合政権であったらしいということである。つまり倭国は、当時の中国や朝鮮半島のように『国が国を滅ぼす戦争をしなかった』のである。最初が肝心とはよくいったもので、その後日本列島の国々は基本的に外国のような残酷なみな殺し的な戦争をせずに日本という国を創ってきた。(そのため明治維新のブルジョワ革命が中途半端に終わったという欠点もあるのだが)それはいったいどこに原点があるのだろうか。それはもしかしたら『吉備』に原点があるのではないか。というのが私の『仮説』である。大和政権は吉備の祭祀(精神面)の影響を色濃く受けている。吉備の『平和思想』は本物か、それはいったいどういうものか、それが今の私の問題意識であって、今回の展示と報告は私の説を『補強』するものであった。とりあえず戦争の証拠である環濠施設のある遺跡から本格的な武器が出ていないのである。百間川遺跡の報告は思った以上の刺激を私にくれた。吉備の地方にはもともと環濠遺跡がほとんど無い。畿内や北九州と比べると明らかである。環濠は朝鮮半島から輸入された村の防御施設で、弥生時代戦争開始論のひとつの根拠になっている。しかし吉備に全然無いわけではなく、ひとつは矢掛の清水谷遺跡にある。しかし行ってみて分かったが、到底村を囲むような環濠ではなかった。小さすぎるのだ。もしかしたら市場みたいなところを目立たせるために作ったのかも知れない。しかし吉備地方にもうひとつだけ環濠施設があった。それが岡山市百間川の沢田遺跡(弥生時代前期)である。約100mの直径を持つ、まあまあの大きさ。なかに約10数軒の住居があったらしい。私は弥生時代前期、たまたま朝鮮半島から来た渡来人が作った例外的な時代だったのかと思っていた。その後、吉備は戦争のおろかさを知り、他の方法で国を大きくする方法を学んだのではないか、と思っていた。しかし、今日の報告ではこの環濠施設も目的は防御ではないらしい。その辺り発掘担当者ははっきり述べなかったので、私は会場で質問した。『もう一回確かめたいのですが、この環濠の目的は防御ではないということでいいのですね。単にひとつの村をまとめる意味だけで作ったと見ていいのでしょうか。』それに対する彼の答はこうである。『この環濠には防御施設としてはそれに関係する遺物が溝のなかから出ていないのです。それと一軒だけですが、同時期環濠の外に住居があるのです。この環濠のなかに住んでいる人たちは何らかのまとまりを持っていたと思っています。』相変わらず考古学者という人たちは人前では自分の考えを語らない。しかし、戦争のためにこの環濠を作った訳ではない、という可能性が非常に高くなった。吉備ではついに戦争は起こらなかった。しかし、弥生時代晩期、当時の倭国で最大の墳丘墓はこの吉備地方に出現する。(楯築遺跡)。それはすなわち弥生時代の最後、古墳時代が始まるとき、一番力の強かった国は吉備であったということなのである。私の想像は雲のように広がる。
2005年08月29日
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せっかく各党のマニフェストを読んできたのだから、新しい党の憲法政策も読まないと片手落ちだろう。ということで、国民新党見たらわかるように憲法については何も書いていません。ものすごい簡単な公約ですね。まあ、郵政問題意外は自民党と同じ政策だと思っていいのでしょう。新党日本これも同様です。でも田中康夫は何か違うのではないかといろいろ探しました。こういうのがありました。「新党日本」代表と信州・長野県知事の兼務に関する知事会見(2005年8月23日)その中でこういっていました。最初の高島さんのご質問で憲法に関してということであります。私は昨日のテレビでも申し上げましたが小泉さんが命をかけるといっていた拉致被害者の問題に関して一日千秋の思いで待たれているご高齢の方々に対して命をかけるといった問題今どうなっているのか、そうして、常任理事国の問題も果たしてどこへ行ってしまったのかそもそも政権与党が憲法改正試案をお示しになりながら残念ながら主たる争点にもなさっていないということです。今行うことはやはり郵政民営化というもののあり方が羊頭狗肉、空洞化しているということを、あるいは同様の空洞化がないのか、そして日本という国は果たしてどこの国なのか、私のような考えのものが日本を他の国になってしまって良いものなのかと思う。ということは大きな問題でこうした観点から正にこのことこそは皆さんがここで投票に行って憲法の問題もこの後に議論されていくことだと思います。昨日の毎日新聞の中でなぜか長野県で配布される段には載っていませんでしたがネット上および昨日の夕刊に載っているのでですね、要は憲法のことなど問題ではないってことです。自民党が憲法問題を争点からずらしていると批判するなら、少しでも自らの憲法問題の見解を述べるべきです。まあ、そんなことは全然気にしていないのでしょう。
2005年08月28日
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さて、野党の憲法政策を検証してみる。民主党《2005年衆議院選挙マニュフェスト 政策各論》1.憲法日本では今、時々の政府の都合によって憲法が恣意的に解釈され運用されるという、いわば「憲法の空洞化」がすすんでいます。このままでは、憲法に対する国民の信頼感はますます損なわれてしまいます。民主党はこの状況を克服し、国家権力の恣意的解釈を許さず、立憲主義を基本に据えた、より確かな憲法の姿を追求していきます。民主党は、過去ではなく、未来に向かって創造的な議論を推し進め、日本国憲法が高く掲げる「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つの基本原則をさらに深化・発展させます。憲法の姿を決定する権限を最終的に有しているのは、政党でも議会でもなく、国民です。民主党は、自らの「憲法提言」を国民に示すと同時に、その提言を基として、国民との対話を精力的に推し進めていきます。憲法改革のための提案が現実となるためには、まず衆参各院において国会議員の3 分の2以上の合意を達成し、その上で国民多数の賛同を得なければなりません。民主党は、国会におけるコンセンサスづくりにも、真摯に努力していきます。「日本国の象徴」にふさわしい開かれた皇室を実現するため、皇室典範を改正し、女性の皇位継承を可能とします。民主党の憲法政策については過去において一度検討した。この政策では、自民党同様何も具体的には語られていないが、しっかり「九条はかえるということ」「改憲条項は緩和する」という点で自民党と意見を一致することがわかっている。違うのは「国連主導のときのみ武力行使を認める」という一点である。つまり湾岸戦争のように、アメリカがその時々の力関係で国連を思うままに動かせるときには、日本の自衛隊は海外で武力行使をするということである。国連をあまりにも神聖視していないか。国連憲章は「集団的自衛権」を認めているのである。ただこのマニフェストでは、6月23日に出された民主党の政策なんてまるで無かったような書き方である。その点はほかの政党もそうなのだが、ここは特に不誠実なものを感じる。また、そこでは改憲手続きに関しては「各議院の3分の2以上の賛成があれば、国民投票を経ずとも憲法改正を可能とする」とはっきり言っているのだが、そういうことは選挙後のことになるのだろうか。日本共産党《総選挙にあたっての訴えと7つの重点公約》 (05年8月11日発表)【2】日本を「戦争する国」にしないために――憲法をまもりぬきます 8月はじめに発表された自民党の改憲案は、9条にねらいを定め、「自衛軍」を書き込むとともに、その任務に「国際社会の平和」を明記しました。民主党も、国連決議があれば海外での武力行使は可能だとして、その立場を改憲案に盛り込むとしています。公明党も「加憲」の名で改憲の流れに公然と合流しました。 いま改憲派が共通してもとめているのは、憲法9条、なかでも「戦力不保持」と「交戦権否認」を規定した9条2項を改変し、「自衛軍の保持」を明記することです。この方向で憲法が改定されれば、自衛隊の現状を憲法で「追認」するだけにとどまらない重大なものとなります。 自民党政府は、憲法9条に違反して自衛隊をつくり増強してきました。しかし、「戦力不保持」と「交戦権否認」という規定が「歯止め」になって、「海外での武力行使はできない」という建前までは崩せませんでした。9条2項を改変し、「自衛軍」を明記することは、この「歯止め」をとり払い、日本を「海外で戦争をする国」に変質させることになります。それは「戦争放棄」を規定した9条1項をふくめた9条全体を放棄することです。憲法9条をなげすてることは、アジアと世界にたいする不戦の誓い、国際公約を破り捨てることであり、日本の国際的信頼のはかりしれない失墜となるでしょう。 憲法を改悪し、日本を「戦争をする国」にしようとする動きの根本に、アメリカの先制攻撃の戦争に日本を参加させようという「日米同盟」の危険な変質があります。アメリカに追随して、無法なイラク戦争を支持し、自衛隊の派兵で加担した小泉内閣の“アメリカいいなり”は世界でもきわだっています。日米安保条約の枠組みさえこえた、地球規模の「日米同盟」への侵略的な大変質がすすめられています。世界的な米軍再編の動きのなかで、米軍と自衛隊の一体化が推進され、基地の共同使用の拡大がはかられています。沖縄をはじめ日本全土の基地は、地球規模の出撃・補給拠点としていっそう強化されようとしています。自衛隊の本来任務に「国際活動」を位置づけ、「海外派兵隊」への本格的な変質をはかる自衛隊法改悪のたくらみも、アメリカの戦争には世界のどこであれ無条件に協力する仕組みをつくろうとするものです。――憲法をまもりぬきます。憲法改悪に反対するすべての人々と力をあわせます。共産党のこの見解はは与党としての政策を述べたものではなく、野党としての主張を述べたものである。私は憲法に関して言えば、それでいいと思う。私はいまのところ、憲法は一字一句たりとも変える必要がないと思っている。その意味で、この見解は各政党がマニフェストの中で隠している憲法政策について適格な批判をしているし、その狙いについても、アメリカとのかかわりに言及し、もっともグローバルな視点で書かれてあると思う。欠点は少々長いということだろう。また、「一字一句変えない」事は決して後ろ向きではないと私は考えている。むしろ前向きである。今まででさえ、憲法は暮らしの中で活かされていなかったのだから、今回の改憲論議の中で、「変えない」ということを国民が選んだのだとしたら、そのとき戦後初めて「憲法が暮らしに活きる」展望が開けることを意味するだろう。そのときもう政府は憲法から逃げるわけには行かなくなるだろう。今度の選挙、憲法を論点にすべし!と私が考える根拠はここにある。社会民主党《社民党総選挙政策2005》いかす!「平和憲法」――政治の基本は平和憲法1.憲法の理念を現実にいかします 日本国憲法の理念を具体化するための法整備を進めます。「平和的生存権」を実効的に保障するための「平和基本法」や、国是である非核三原則を法制化するための「非核基本法」を制定します。憲法改悪につながる国民投票法案には反対です。社民党は共産党と並んで、「護憲」を一貫して追求しており、政策自体には賛成である。ただし、欠点は改憲運動の狙いにメスが入っていないところだ。(参考「社民党総合政策ガイド」)だからだろうか、小さい所帯なのに中身が非常にぐらぐらしている。社民党の副党首だった人が民主党から立候補する話、横光副党首が社民離党へ、大分3区で民主公認の方向というニュースはがっかりとすると同時に、護憲への決意を疑うものではある。
2005年08月26日
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小泉首相は「この選挙は正真正銘マニフェストを戦わせる初めての選挙だ」と息巻いているらしい。その言やよし。じゃあじっくり読ませてもらいましょ。とはいっても、郵政やら、年金やらはあまり得意ではない。まずは「憲法」について調べてみた。そしてまずは与党から。自由民主党《自民党からの120の約束》「新憲法制定」に向けて具体的に動きます。024.新憲法制定への取り組みを本格化17年11月15日までに自民党憲法草案を策定し、公表する。新憲法制定のための「日本国憲法改正国民投票法案」及び「国会法の一部改正案」の早期制定を目指す。自民党の憲法政策については、すでに8月3日の日記で述べてある。憲法草案は一次案は出来ているのに、ここには書かない。そこで書いていることは9条を変え、アメリカの言いなりに自衛隊を海外で武力行使をさせ、なおかつ憲法を変えやすくさせて、いつでも更なる改憲を出来るようにする、という代物だから、具体的には書けないのであろう。ただし、異様に具体的なのは「11月15日」と期日を書いているということ。アメリカからせっつかれているということもあるが、結党50周年までになんとしてでも形にしたいという彼らの焦りがある。どちらにせよ、到底容認できるものではない。公明党《公明党マニフェスト2005》 (05年8月16日発表) 当面する重要政治課題3、憲法改正問題について現憲法に新たな条文を付け加える「加憲」(*)の立場で具体的追加項目を検討公明党は、現憲法を高く評価し、「国民主権主義」「恒久平和主義」「基本的人権の保障」の憲法3原則を堅持します。その上で時代の進展とともに提起されている環境権やプライバシー権などを新たに付け加える「加憲」という立場をとっています。憲法第9条については、第1項、第2項を堅持した上で、自衛隊の存在や国際貢献等について、「加憲」の論議の対象として慎重に検討していきます。*現行憲法は維持しつつ、そこに新しい条文を書き加え、補強していく「加憲」という方式まるで妖怪ぬらりひょんみたいなマニフェストではある。「慎重に検討」という言い方でもうこれは何も言っていないのに等しいのだが、9条をたとえそのままにしたとしても、「自衛隊」という言葉が3項に入った時点で、それは自民党の案と同じ意味を持つのだということを見事にごまかしているのだとしか私には思えない。到底容認できない。次回は野党のほうを。
2005年08月24日
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私はなぜか高校の文化祭のことは何一つ思い出せなかった。中学校の体育祭の11枚も描いた応援の立て看描き、大学のときの部活の締め切り間際の「恒例」の徹夜、社会人になっての……監督 : 山下敦弘出演 :ペ・ドゥナ 前田亜季 香椎由宇 関根史織 三村恭代人生の中のきらめく一瞬。仲間との共有できるあの時。誰もが持っているものだ。でも、ものすごくありふれているし、特別ドラマチックでもいない。でも映画館を出るとき少し元気になれる。そうだ、今でもがんばれる。きっと。ペ・ドゥナはやはりいい。どこがいいのか、いまだに分からないけど。収穫は香椎由宇。「ローレライ」はうそ臭かったけど、この彼女はリアルだった。立ち姿が背中伸びて、彼女の性格がわかるね。プレゼントのシーンはやはり夢だったんだろうね。前田亜季はやはり可愛い。韓国の若者にもぜひ観てもらいたい。日本の若者は独島(竹島)のことも、靖国神社のことも語れないけど、でもこの「エネルギー」は共感できるんじゃないかな。そこから始めようよ。
2005年08月23日
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急に「だて」のラーメンが食べたくなった。ところが、行くと九月一日まで長期休暇中。「ここはきっと趣味でやってんだ~」と、なんとなく納得しながら、岡山で一番権威のある「岡山ラーメン学会」(!?)で昨年評価がトップに返り咲いた「やまと」にいくことにした。やはりやっていた。ここはいい意味で商売気がある。店を新しくし、品数も増えた。しかし味は変わらない。ラーメン@650円。そのあたりが新興の「商人」の連覇を阻み、この老舗が勝利した要因だろう。この魚臭さに私は「嫌らしさ」を感じるのだが、旨いことは旨い。
2005年08月22日
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前の本の続き。異次元世界「テーラ」から時空の穴を抜けて逃げ出した凶悪犯人を追って、ドリームバスターのシェンとマエストロは地球の日本という国の夢の中に降り立つ。そういう世界観だけで出来上がった物語かと思っていたら、前作のラストで少し変化があった。さあ、それでは「2」ではそこが展開されたり、解決するのかな、と思っていたら……これはないんではないか(怒)これはまだ物語が始まってもいないということなのか。宮部みゆきの作品は最近は特に長く長くなっているが、この作品の終わりが見えない。まさか田中某みたいに全10巻ぐらいを考えているのではないでしょうね。それなら、一年に二作ぐらいのハイスピードで書いてほしい。これだと一体終わるのに何年かかることやら。「ブレイブストーリー」はアニメ映画化される。この作品、もしアニメ化されるのなら、絶対テレビの連載アニメのほうがよい。なんだかこの作品はアニメ化を狙っているような気がしてならない。
2005年08月21日
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冒頭だいたい次のような意味のナレーションが入る。「ずーと昔、南極大陸は自然がいっぱいだった。しかしやがてこの大陸は凍りに覆われ、植物や動物は逃げていった。僕たちの祖先はここに残った。」一体いつから彼らは毎年あのような過酷な季節労働、もとい「生活」をしているのだろうか。3億5000万年前の氷で覆われているということは、3億5000万回もこんなことをやってきたというのだろうか。100キロの行進。三ヶ月以上の絶食。250kmのブリザード。半分も孵らないというヒナ。リュック・ジャケ監督 エミリー・シモン音楽途中、いらいらする。もっと効率のいいところで卵産んだほうがいいのでは。たとえば海より10kmくらい離れたところで。しかし、しだいと納得する。だってあんなに犠牲者が出ても彼らはじっと耐えているんだ。昔からずっと。それならはこれが最良の道なのに違いない。実はこの夏ずーと私の壁紙は「これ」でした。涼しいかな、と思って。映画は観るつもりなかった。でも観て、これはやはり映画館で観るべき映画だと思った。赤ちゃんの可愛さはテレビでも分かる。でも自然の過酷さは映画館でしか分からない。彼らの行進する姿が、遠い昔、古代といわれる時代、人間たちが自分たちの住むところを求めて行進している姿に思えた。南極大陸の姿は基本的には何億年も変わっていないのだろう。
2005年08月20日
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以前自民党の憲法草案を読んだので、今度は6月23日に発表された民主党の「憲法提言中間報告」を読んでみる。7月1日に憲法会議の川村俊夫さんの話を聞いたとき、「自民党も民主党もゆれている。自民党は3月に出すといっていた憲法要綱が7月にずれ込むし、民主党は一番大事な「安全保障」の部門で意見が二つに割れている。」といっていた。しかしそれだから「安全」だというわけではなく、アメリカの圧力の下粛々と日程はこなすだろうと、とも言っていた。ともかく財界も、自民・民主・公明も二つのことを狙っている。「ひとつは、9条2項の改定。戦争放棄をなくし、自衛隊を軍隊にする。もうひとつは96条。憲法を改正する方法です。ここをいじれば、後はどうでも変えることができる。」自民党も財界もそのとおりのことを言っているなあ、とは思っていましたが、今回読んでみて民主党も見事にそこは意見の一致があるみたいです。9条については第1は、憲法の中に、国連の集団安全保障活動を明確に位置づける。第2は、国連憲章上の「制約された自衛権」について明記する。第3に、「武力の行使」については最大限抑制的であることを宣言し、書き入れる。 自民党との違いは「国連主導の武力行使のみ認める」ということであり、ほかは結局同じことです。かえって自主独立を強調することによって今より更なる軍拡路線に突き進む恐れがあります。しかし思い出してほしい。イラク戦争こそ、あまりにも無法性ゆえ国連は「うん」といわなかったけど、湾岸戦争はアメリカ主導によって国連の名のもとに行われました。ボスニア紛争も同じです。アメリカはそのときの情勢や力関係で国連を利用したり無視したりしただけなのです。二つの戦争はいろんな悲劇を起こしてまだ歴史的な評価は定まっていません。この改憲では情勢しだいでは「やはりアメリカの言うなりに日本が戦争に巻き込まれるでしょう。」改正手続きについては「硬性憲法の実質を維持しつつも、より柔軟な改正を可能とするために、_改正事項によっては、各議院の3分の2以上の賛成があれば、国民投票を経ずとも憲法改正を可能とする」といっています。あからさまです。今の状況でこれを許せば、後はずるずると憲法改正し放題になるでしょう。小選挙区制によって、弱小政党が次期政権党になる可能性は非常に小さくなりました。国民があっと間違いに気がついたからといって次の選挙で大逆転できるような状況ではないのです。環境権やら何やらは単なる飾りです。10年以内に彼らの意見はころころ変わるでしょう。本当は今は民主党は「憲法行脚」をして、「世論を喚起する」活動をしているはずでした。しかし、選挙のせいで一時期止まっています。これをずーと止まらすか、一ヶ月だけの話にするかは、これからの国民の判断に任されています。
2005年08月19日
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出勤途中、大学病院の傍にムクゲが咲いている。7月の始めからずーと咲いている。本当はずーと咲いているわけではない。ムクゲは毎日花を咲かしては一日でその栄光の時を終え、次の日もまた新たなつぼみが開くのである。ムクゲは韓国の国花だという。これほど桜と対照的な花はない。そして、これほど韓国らしい花はない。韓国の60~80年代の民主化闘争はまさにムクゲのようだった。大弾圧にあっては花は萎れるが、次の日には別の花が咲き、その花は途切れることがない。私は桜を大好きな日本人である。最近は桜を観るごとにあと「何十回」見ることができるのだろう、と(人から見たら変でも私にとっては切実な)感想を抱く。しかし、ムクゲが好きならそういう感想を抱くこともないだろう。よかったのか。残念なのか。
2005年08月18日
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重松清「疾走」(上)(下)角川文庫この作品をミステリだという意見は聞いたことがない。何しろ、重松はミステリなど一度も書いたことないし、この作品は事件は起きるが、それは重松の「例外」だと捉えられているからである。しかし、この作品には「謎」がある。どきどきするような一級品の「謎」が。重松清はずーと「家族」をテーマに描いてきた。この作品は今まで小説と全然違うという印象を持つ人もいるが、私はいかにも重松らしい作品だと思う。今まで重松の小説に出てくる父親は過剰と思えるほど家族を守ってきた。しかしそれは本当に過剰だったのだろうか。もしも、一人の少年を、人を思いやる心も、年相応の知恵も、少しばかりの勇気も併せ持っている一人の15歳の少年を守るべき家族が崩壊したなら、少年はどうなってしまうのだろう。これはいままでの物語の裏返しの物語である。更に言えば、人はひとりで生きていけるのだろうか。人はなぜ生きているのだろう。なぜ人を殺してはいけないのだろう。そういう重たいテーマを引きずりながら、この作品はずーと主人公の少年シュウジのことを「おまえは……」という過去形の語りがけで綴られていく。この語り手は一体誰なのか。私は三通りの結末を考えていた。最悪と、まあまあと、最良の結末である。結果は皆さんが味わってほしいと思う。
2005年08月17日
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邑久郷土資料館のことを書いた後、某氏から「特殊器台の研究はこれからなのです。」「桃太郎スタジアムにある資料館に特殊器台があった」と教えてもらいました。早速今日行ってみました。非常にいい博物館でした。きれいなこと、(後で述べるが)展示遺物の質が高いこと、説明文が一歩踏み込んでいること、学芸員が非常に親切だったこと、岡山県で最高の考古博物館といっていいだろう。「遺跡&スポーツミュージアム」という。縄文時代の松菊里型の壺(朝鮮半島との交流)篭目のついた土器(縄文)弥生土器で変わった形が多い。銅鐸型土製品(弥生。祭りに使われたか)絵画土器(弥生。人物像としてシンプル)そして直孤文としか思えない「装飾版」さらには写真にもある巨大な器台。学芸員の方にいろいろ聞きました。特殊器台とはいえない。「特殊な器台」だそうです。(弥生後期3。ちなみに特殊器台は後期4かららしい。しかも墓から出ていない。しかも籾殻が刷り込まれている。しかも出てきたのはこれ一つのみ等々。謎、謎、です~)これは2004年に報告書が出たばかり。これからの研究になるのでしょう。6000年前のプラントオハールが発見された朝寝鼻貝塚の場所も初めて知り、帰りがけによって見ました。加計学園の玄関口にありました。
2005年08月16日
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やっと文庫本が出ました。一気に読んだ。解説子が言っているように、この小説に限っては第一作「失踪症候群」第二作「誘拐症候群」を読んでからこの三作目に入ったほうがよろしかろうと思う。設定自体がまるで現代の「仕掛け人」なのであるが、三作目に至ってはまるで仕掛け人VS仕掛け人。というエンタメ性と、最愛の人を殺されたのに、加害者は法の網をくぐりのうのうと生きている。果たして彼らに復讐することは許されないことなのだろうか。重い問いに対して、安易に倫理的な理屈を持ち出して解決しようとしていない。その普遍的な問い。いつもながら、視点が次々と変わることによる、「何かある」と思わせる構成。傑作です。長い間待っていた甲斐がありました。ところで私、この本は三部作で完結したことになっているらしいのですが、わたしはぜひとも四作目を造ってもらいたいと思います。なぜなら主要登場人物で、ひとりだけ過去が明らかになっていない人がいるということがひとつ。失踪、誘拐、殺人、とだんだんと犯罪性が高くなってきたなら、最後まで行かないといけないでしょう。というのがひとつ。今回ひとつの罪の根源に迫ったのだとしたら、次に「敵」として相対するのは「国家」でしょう。だとすれば次の題名は決まりです。「テロ症候群」。(これだけカタカナというところにいまひとつ自信が持てない。かといって「天誅症候群」というのもなあ……)
2005年08月16日
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岡山県下のすべての遺跡はまだ訪ねてはいない。(<あたりまえ)しかし、考古学の博物館なら主なものを行っていると思っていたが、今回瀬戸内市の資料館を訪ねて、まだまだ注目すべき博物館は在るのだと思い知った。『日本全国見学できる古代遺跡100』(文春新書)を参考に瀬戸内市(旧邑久町)にある門田貝塚と郷土資料館を訪ねた。門田貝塚は遺跡公園になっている。弥生時代前期から鎌倉時代に及ぶ集落遺跡。ここから出た弥生時代前期後半の土器は『門田式』と命名され、瀬戸内沿岸地方の時代を測定する場合の指標となっている。公園には弥生後期の竪穴住居を二棟復元している。カヤぶき屋根の立派な住居だ。少しきれい過ぎるのもどうかと思うが、横壁をコンクリートで固めているのは興ざめ。又、住居の扉が閉ざされていて見学出来るようになっていない。学問的には非常に怪しい復元住居では在る。そのあと旧邑久町役場のすぐそばに在る『郷土資料館』に行く。鉄筋三階立ての小学校をそのまま資料館に使っていて、考古学資料は2階の4部屋を使っている。まずびっくりするのはその考古資料の数の多さである。門田遺跡だけではなく、旧石器から中世まで満遍なく数多くの遺物が展示されていて、展示している数の多さだけなら県立博物館より多いだろう。しかも、一応すべての展示物に説明が付いている。しかも私の初めて見るような考古資料が多く、びっくりした。熊山田遺跡(弥生)の人形型土製品の表情の豊かさ、水落古墳(7C)の家型陶棺の巧みさ、高砂山古墳から出土した内行花文鏡。堂免遺跡(弥生前期)の円形周溝墓。どうしてこの博物館が今まで注目されていなかったのか。注目すべき遺物があった。国城遺跡(弥生中期後葉)出土といわれている器台形土器。この大きさが50~60cmくらいあって、特殊器台といわれても通用する大きさであり、しかも脚部に竜?の抽象化した線刻絵画があるのである。これは祭祀用の器台だと考えるほうが自然ではないか。ところが、私は特殊器台が邑久地方から生まれたという説を聞いたことが無い。私がこのことを注目するのは訳がある。吉備地方から始まった特殊器台はその祭祀方法がやがてそのまま大和政権に受け継がれる。(ここまでは現代考古学の定説)それは吉備の主要メンバーが大和に移った証拠だという説が今大きくなっている。(近藤義郎『前方後円墳と吉備・大和』)つまり、特殊器台の源が吉備にあったのではなく、二つ河を隔てた吉井川東側にあったかどうかというのは、日本史の内容を決定付ける重要なファクターなのである。もしこの遺物が特殊器台の直前の姿だったとしたら、いったい何が理由で彼らの主体は吉備に移ったのかということが問われなければならない。新たな謎が生まれたお盆休みの遺跡めぐりでした。
2005年08月14日
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今日急に百万両のラーメンを食べたくなった。そういえば初めてここのラーメンを食べたのは、30年前の夏休みだったような気がする。相変わらずの店構え。相変わらず、カウンターにお金が置いてあって、かってに清算して帰るシステム。しょうゆベースのスープにしっかりつけたシナチク、昔ほどではないが、客は常時10数人は入っていて、次々とかってにカウンターに置かれたラーメンを食べては帰っていく。変わったのは主人の代変わり、値段も300円から450円に変わった。もっともこの10年値段変わっていないので、がんばっているほうだと思う。途中何度もテレビで紹介されたり、一日何百人という人が訪れたという時代があったり、支店を出しては失敗したり、この店にも幾星霜かの時代は流れたが、私はみんなが言うほどは味は変わっていないと思う。この味の濃さと案外のさっぱり感は、当時水島の労働者たちには必要な味だったのだろう。そして部活動で疲れた私たちにも。変わったのは私たちの味に対する好みなのかもしれない。
2005年08月13日
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さて、盆休みだ。仕事のことは忘れて、携帯が鳴らない事を祈りつつ、一日中涼しいところにいた。子供だましという説と、傑作だ、という説が入り乱れている『妖怪大戦争』をやはりチェックすることにした。カップルやら、子供連れやら、熟年夫婦やら、いろんなタイプが見に来ているが、中年ひとりというのは私だけか(^^;)愉しめた~(^^)神木隆之介君はかわいいし、大人も楽しめるパンチラサービスはあるし(^^;)何より妖怪が人間に擦り寄ってはいない、さすが妖怪の大御所たちが関わっているだけあり、妖怪に対する愛が感じられた。以下ネタバレモード。(反転してね)加藤保憲の目的ならある程度は達したのかもしれない。あれなら、ほぼ帝都は消滅したのだから。妖怪たちは『勝った、勝った』『祭りは終わった』といって帰っていったのだけど、実際はいったい何十万人の人間たちが死んだのだろうか。それは見事に省略する。いろんなところにおごる人間たちに対する警告がちりばめられていて、私などは大変面白かった。曰く『過去を知らなければ未来はない』『復讐するのは人間だから、私は人間ほど落ちぶれたくはない』そして最後の水木しげる御大将の含蓄ある言葉『戦争は……』良く分からなかったのは、加藤はどうしてアギを拒んだのだろう。台詞がよく聞き取れなかった。アギとはどういう妖怪なのだろう。傑作です。
2005年08月12日
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今日昼過ぎ、私のオフィスに激震が走った。某氏が時事通信の次の情報を持って現れたのである。岡山2区に現職市長擁立=反対派への対抗馬第2弾-首相「全ブロックに女性候補を」 自民党は11日、衆院選岡山2区に萩原誠司岡山市長(49)を擁立することを決めた。小泉純一郎首相が萩原氏に直接出馬を要請、萩原氏も基本的に受諾する姿勢を示した。同選挙区からは、郵政民営化法案に反対した熊代昭彦氏が立候補を予定しており、東京10区へのくら替え出馬が決まった小池百合子環境相に続き、反対派選挙区での2人目の対抗馬擁立となる。 保守系同士がどう争おうと知ったことではない。(個人的には改憲派の問題点を明らかにするいい機会なのではあるが)しかし現職市長が選挙に出るということは、同時に市長選が始まるということなのである。過去国政選挙は労組の団体はタッチしてこなかった。しかし首長選挙は政策協定を結び、半年前から政策実現のために必死になってやってきたのだ。今回は一月しかないので、この一月が地獄のような日々になることが目に見えてしまう。いや、『絶好のチャンス』になるのだろうか。
2005年08月11日
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今年も8月6日と9日がやってきて、過ぎていった。恥ずかしながら、今年はその時間帯に黙祷さえしなかった。目の前の企画に没頭していたためであるが、今日、長崎市長の『平和宣言』を読み、改めて、何も問題は解決していどころか、新たな問題に自覚的な人は動き出していることがわかった。そして改めて広島市長の平和宣言も読んでみる。正直前文は名文のように見えて、抽象的であり、あまり感心しなかった。しかし後半になるというべきことは言っており、しかも具体的な行動提起までしている。「まず私たちは、国連に多数意見を届けるため、10月に開かれる国連総会の第一委員会が、核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案します。それは、ジュネーブでの軍縮会議、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のどちらも不毛に終わった理由が、どの国も拒否権を行使できる「全員一致方式」だったからです。」ニューヨークNPT会議の不毛な議論をそのままにするのではなく、次の手を打っている。強かである。しかし、私は長崎市長の『平和宣言』に感心する。難しい言葉は全然使われていない。しかし言うべきことはすべて言っているし、しかも広島平和宣言より一歩踏み込み、NPTが不毛に終わった真の原因をはっきりアメリカに求めている。アメリカ国民にはこのように説得している。「アメリカ市民の皆さん。私たちはあなたがたが抱えている怒りと不安を知っています。9・11の同時多発テロによる恐怖の記憶を、今でも引きずっていることを。しかし、1万発もの核兵器を保有し、臨界前核実験を繰り返し、そのうえ新たな小型核兵器まで開発しようとする政府の政策が、ほんとうにあなたがたに平安をもたらすでしょうか。私たちは、あなたがたの大多数が、心の中では核兵器廃絶を願っていることを知っています。同じ願いを持つ世界の人々と手を携え、核兵器のない平和な世界を、ともに目指そうではありませんか。」毎年二つの市長の平和宣言は学ぶべきところが多い。二つとも英語や中国語、その他の言語にすでに翻訳されている。外国の友達がいたなら、そのアドレスを教えてあげること、(残念ながら私にはいない)それだけでも大きな平和運動になるだろう。
2005年08月10日
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今日は、大阪憲法会議から事務局長の筆保勝氏を呼んで、九条の会・憲法共同センターの交流会をした。大阪から、32Pに渡る資料が届き、それと岡山側の資料も作らないといけないので大変だったが、いい交流会が出来たのではないかと思っている。 初めて来るような九条の会の人も来て、いい交流が出来た。それにしても大阪の憲法共同センターの資料はすごい。さまざまな動きが出来ている。九条の会も280あるとか。岡山市の67万に対して大阪府は440万。約七倍であるが、うちは40も九条の会はないぞ。
2005年08月09日
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「姑獲鳥の夏」を観る。以下たぶんネタバレあります。出来るだけしたくないのですが、ネタバレしないと語れそうにないので、まだ未見の人は読まないように。いいですか。警告しましたよ。監督 : 実相寺昭雄 出演 : 堤真一(京極堂) 永瀬正敏(関口) 阿部寛(榎木津) 宮迫博之(木場) 原田知世(涼子 梗子) 田中麗奈 いしだあゆみ思ったよりよかった。確かに美術はしょぼい。致命的である。脚本も冗長な所や説明不足もあることは否定しない。しかし俳優人ががんばっている。阿部寛意外は役にはまっていたと思う。眩暈のするようなカメラワークも、今回の作品にいたっては意味があった。本来この作品はミステリーではない。容疑者の過去が見える榎木津がいる限り。しかもこの作品にいたってはあまりにも容疑者と探偵のと関係が密接すぎる。単純に言うと、京極堂は容疑者のために出張ったのではない。関口のためだったのである。キーマンは関口であるが、永瀬が思った以上にがんばっていた。映画オリジナル場面で、紙芝居のおっちゃんが言う。「何が真実か分からんじゃないですか。先の大戦だって、本当だと思っていたことが違うといわれたり……」というような意味のことを言っていた気がする。私は先に長いあの原作を読んでいたのだが、どうしてこの作品が昭和27年の設定になっているのか、どうして京極堂は科学的な頭脳と憑きもの落としの能力を同時に持っているのか、そういう設定の意図がいまひとつ分からなかったのであるが、今回やっとすっきりした。戦後のあの頃は確かに物事の善悪が逆転した時代だった。だからこそ科学的な思考が必要ではあったのだが、それだけでは感情的などろどろは解決できない。憑きもの落としが必要になる所以である。梗子 涼子の憑きもの落とし以上に関口の「憑き物」を落とす必要があった。京極堂は見事であった。原田知世もなかなかよかった。
2005年08月07日
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8月5日の夜、県庁所在地の花火大会に初めて行った。映画鑑賞会の仲間が、大会近くのマンションに住んでいて、毎年そこのベランダでパーティすると言うので(会費制)覗かせてもらったのだ。いくら会費を取っているからといっても、飲み物食べ物のほかにかき氷はあるわ、ところてんつきはあるわ、ヨーヨーつりまで準備しているわ、すごい!楽しんでいるなあ~。花火はすぐ目の前かと思っていたら、少し遠かったけど、全体像が見えたし、見下ろす形で見る機会なんてめったにないので、なかなか素晴らしかった。こんな大きい花火大会は10数年ぶり。前半は一発づつ趣向を凝らした花火。青い花火なんて初めて見たし、銀河みたいに楕円形の花火がいろんな角度で打ち上げられたり、ハート形の花火は一回観たことあったかな。花火って毎年進化しているんですね。写真はいっぱい撮ったけど、たぶんみんな失敗。携帯で撮ったのをひとつだけアップします。デジカメで撮ったのは取り込む機械が遠くにあるのでまた機会を捉えてアップします。
2005年08月07日
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途中、ネタバレ的な話になると思うので、未見の人は読まないように。まず、私は原作は読んでいないし、これからも読む気がないことを断っておく。だからこの評論は原作から離れて純粋にこの映画について語るつもりだ。イージスとはギリシャ神話に登場する「ゼウスが娘のアテナにあたえた防具アイギス(イージス)」が語源らしい。つまり最強の盾なのである。事実イージス艦の防御能力のすごさはこの映画の中で何度も言及される。そして米軍より盗んだ核兵器級の爆弾を抱えて東京湾に現れ、政府を脅すわけだ。某国のテロリストの煽動に乗った自衛官の幹部が協力するわけであるが、彼らは最強の武器を持ちながら、「専守防衛」の原則が気に食わないというわけである。「日本は平和ボケしている。亡国のイージスだ。」というわけだ。原作の意図はどうなのかは知らないが、この映画では監督は「専守防衛、是か非か」という論点は微妙にずらしてつくっている。(如月)「撃たれる前に撃つ。それが鉄則だ。」(千石)「じゃあどうして俺のときには撃たなかったんだ。」ぐっと詰まる如月情報員。防衛論議を個人の話にすりかえて誤魔化してしまった。そうやって千石伍長を主人公にすえて、話を作ったのは阪本順治らしい。監督はがんばった。さすがに俳優人たちもよくがんばっている。退屈だけはしなかった。しかし、と私は思う。それではなぜ今この時期にイージス艦なのか。話を誤魔化してしまった以上、結局印象に残るのは、ドラマではなく、イージス艦という「本物の兵器」だけなのだ。製作者や監督の意図はどうであれ、これは到底反戦映画にはなりえない。結局、「これだけ優秀な武器を持ちながら宝の持ち腐れだよなあ。」と観た人が思っても決して不思議ではない、という映画になっている。だから改憲へ、とは単純には結びつかないだろうが、それを後押しする映画にはなると思う。結局、設定自体は現状に振り回される映画なのだ。結果好戦映画になっている。防衛庁の勝利だろう。「いまの日本は危機管理がなっていない。そのことを指摘した映画だ。」と誰かは言うかもしれない。しかし、本当の危機管理はテロリストをおびき寄せない政策だろうと私は思う。ことの発端はあるはずのない最悪の米軍製化学兵器を某国(北朝鮮であることはあまりにも明らか)テロリストが盗んだことにある。しかも、それを消すためにはやはり米国製の強力焼夷弾が必要だという。今回の「危機」の原因は日米安保条約にあることは明らかだ。テロリストをおびき寄せない政策というのは同時に戦争をもおびき寄せない政策でもある。だからヨンファが「見ろ!日本。これが戦争だ。」なんて言わなくてもいいのである。かって考古学者の佐原真は「人類の歴史300万年を仮に3mとすると、日本の場合最後の3mmで武器や戦争を持った。殺しあうことが人間の本能ではない。戦争は人間がつい最近作り出したものだから必ず捨てることが出来る」といった。人間が盾を持ってたかだか3000年に過ぎない。必ず捨てることが出来る。そういう雄大な映画を、誰か撮ってもらえないかなあ。
2005年08月04日
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8月2日、自民党が「新憲法第一次案」を発表した。読売新聞は当然のごとく社説で「[自民憲法原案]「条文に即して議論すべき段階だ」」と、ほぼ追認している。「「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を排し、今日の安全保障環境と国際情勢の下で、自衛隊の任務を適切に位置づけたものと言えるだろう。」と、いい、「公共の福祉」の記述についても「自己中心の個人主義ではなく、本来、憲法が想定していた「責任ある個人主義」に基づいて、社会の存立の基盤を確かなものにする意図が読み取れる。」とべた褒めである。朝日新聞は「自民憲法案 失速気味の改憲論議 」と、斜に構えた論説を張った。しかし、それでいいのだろうか。今回、自民党は初めて条文化して憲法案を発表したのだ。改憲派はこれを大いにたたき台にするという。それに反対する立場も、この案を大いにたたくべきではないのか。これから自民党は全国で「タウンミーティング」を開き、そこでまるで全国の世論を聞いたという形にして、秋の11月結党大会に向けて決定版を出そうとしている。自民党案では、の「戦争放棄」という表現そのものをタイトルからも条文からも削除した。それに付け加えて、9条2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除し、新たに「侵略から我が国を防衛し、国家の平和及び独立並びに国民の安全を確保するため、自衛軍を保持する」と明記した。また、自衛軍が「自衛」活動のほか、「国際貢献」や「秩序維持」の活動を行うと規定した。これは、たんに現在の自衛隊を追認するだけではないことは明らかだ。枡添要一もはっきりいっている。「集団的自衛権を認める」ということである。つまり、アメリカがイラクであれ、地球上のどこであれ、勝手に起こした戦争に日本が巻き込まれ日本も侵略戦争の片棒を担ぐということである。 この憲法を素直に読むと、そうなるのだ。国民の権利については、「自由及び権利には責任が伴う」「公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責任を負う」と規定し、内閣が定める政令でも「法律の委任」があれば権利制限できる仕組みです。「公益や公の秩序」が個人の人権より優先するという考えを打ち出している。そもそも憲法は「政府が暴走しないために、国が守るべき法を決めたもの」である。世界の憲法はほとんどがそうである。「お国のために」という時代がやってくる。やってこさせてはいけないのではあるが。これは「法案」である。抽象的な論議はしにくい。大いに叩こう。
2005年08月03日
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四月から始めていた週一回のハングル講座が今日で夏休みに入るのを記念して(?)講座を早めに切り上げてもらって、8:30より近くの居酒屋で打ち上げをやった。美人のチョン先生が、実は結婚していて、可愛い子供まであるという事実を知り、愕然となった。「私の口を見ていてください」と発音の「オ」と「オ」の微妙な違い、「ん」と「ん」の微妙な違い、「う」と「う」の微妙な違い、(ハングル習った人だけうんうんとうなずく事柄ですが)その他いろいろな微妙な違いを彼女の形のいい唇を見ることで何とか脱落しないでここまで来た私にとって、(これはもちろん発音をマスターしたという意味ではない)非常にショックな事実であった。それはそうとハングル講座の半年の総括は反省点ばかりだ。そもそも、私のこの一年間の目標の一つはハングルの日常会話をほぼマスターすることではなかったか。いつの間にやら、日常に紛れて、毎日のラジオ講座、アルクの通信講座も挫折したままだ。何をかいわんや!!だからといって明日からがんばるということではないのだが、生活の建て直しが必要であるということは確かだ。この四ヶ月の講座でとりあえず、ハングル文字を読むことだけは何とかできるようになった。(
2005年08月01日
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