全21件 (21件中 1-21件目)
1
自民党の憲法草案が発表された。幸徳秋水「兆民先生」にこんな文章がある。明治22年春、憲法発布せらるゝ全国の民歓呼沸くが如し、先生嘆じて曰く、吾人賜ゝの憲法果して玉耶(たまか)将(は)た瓦耶(かわらか)、未だ其実を見るに及ばずして、先づ其名に酔ふ、我国民の愚にして狂なる、何ぞ如此(かくのごと)くなるやと。憲法の全文到達するに及んで、先生通読一遍唯(た)だ苦笑する耳(のみ) 中江兆民(1847-1901)は当時保安条例で東京追放の身ではあったが、二年前「三酔人経綸問答」を発表し、『恩賜的民権から恢復的民権へ』といいながら『欽定憲法を民衆のものにしよう』と画策していた。当時の状況からいえば、もっとも現実的な政策であったろう。しかし実際に憲法が発布されると、世の人たちは憲法の条文「未だ其実を見」ようとはしない。「その名に酔ふ」だけ。兆民としては「苦笑」するしかなかったろう。そのときから116年経った。世の中は少しは進歩しているのだろうか。読売新聞の社説は読むのもバカらしいので、護憲の立場に立っていると世の改憲派が「勘違い」している朝日の社説を見てみる。「 自民党は結局、9条の手直しに求められる根幹の議論を先送りしたともいえる。結党から50年でたどり着いた改憲の姿としては中身に乏しい。 」果たしてそうだろうか。私は単に字面のみ読んで「未だ其実を見るに及ばず」、いや、実は分かっているのにわざと見ようとしていないとしか思えない。前の憲法の条文の何を変えたのか、どういう状況下で変えたのか、それを考えると、改憲の意図は明らかである。こんな悠長なことは言っておられないだろう。「イラクでの英国軍のように米軍と肩を並べて戦うのか。あるいはいまの自衛隊と同じような原則を保ち、あくまで抑制的な役割に徹するのか。この草案ではどちらも可能に読めてしまう。 」憲法草案についてはこれからおいおい展開していきたい。ただ、今日は一言だけ言いたい。『新憲法草案』という言い方は止めようなにが「新」なのだろう。それならば「旧」は今の憲法だというのだろうか。『抵抗勢力』とかいう言い方で『敵』を作り、自らをヒーローに仕立ててきた小泉のやり方に我々は既にはまろうとしているのではないか。「自民党の憲法草案」で充分。言葉には力がある。そのことは、9月の選挙で既に我々は身に凍みている。
2005年10月30日
コメント(24)
『新世紀へようこそ』光文社池澤夏樹『われわれは2001年の9月11日から真の21世紀にはいりました。』という言葉で、9月24日から始まった、MLの連載をまとめたものである。現在持っている情報で判断する。(情報源は一般読者と同じ、テレビ、新聞、インターネット)MLという特性から日々いろんなメールが入ってくるが、それも本の中に取りいれ、一冊の記録とする。(対立的な意見も取り上げる。訂正すべきはして、反論すべきは反論する。)常に弱いものの立場にたつ。(どういう立場で事実を見るか、それがはっきりしていないと、そもそも溢れかえる情報の中で溺れてしまうだろう)その結果どういう本が出来るか。2001.11.6段階で、アフガン戦争に対するスタンス・根拠は、今でも充分通用するだろう。(アメリカと日本等同盟国はやがて歴史の審判から違法の審判が下される可能性がある。最も情報のない一市民の意見のほうが歴史を見通す力があったということになるのだろう)かって、ベトナム戦争のときもそのようなことがあった。新世紀に入って、アメリカに対する反対意見は一瞬にして世界を巡るようになった。池澤夏樹の意見に対してパリから、アメリカ、イスラエル、カンボジア、タンザニアから次ぎの日には意見が入ってくる。アメリカは兵器の性能も向上し、ゲリラ作戦に対する戦術も向上して、ベトナムの徹を踏まないようにあらゆる対策は練られもしたが、平和運動もこの30年間で向上している。そういうことも考えさせる一冊であった。池澤夏樹の名前は最近どこかで見かけたなあ、と思っていたのだが、(「星の王子様」訳者であることは当然)やっと思い出した。私の今年のナンバーワン映画「エレニの旅」の字幕翻訳者だったのだ。ひとつの台詞が二重にも三重もの意味を要求する難しい翻訳、世界への理解と、歴史への理解、なかなか素敵な仕事であった。本文とは関係ないが、私がこの9.11のニュースに接したのは偶然にも上海ぶらぶら旅の途中であった。夜、ホテルで中国のテレビ番組を見ていると隣の外国人の部屋がいやに騒がしい。NHKBSを見ると、なるほどとんでもないことが起きている。朝、中国のニュースを見ると、なにも報道していない。(市民新聞は二日後に一面で扱っていた)私は急いでいたので早朝そのままホテルを出た。それなりに波乱万丈の旅を終えて、二日後上海空港を旅立った。セキュリティーチェックなんていいかげんそのものであった。ところが、日本に戻ってくると、『よく帰ってこれたわね』という状態だった。日本人は世界中の空港で厳戒態勢が敷かれたのだと思ったらしい。中国では何の騒ぎにもなっていなかったのに、日本ではまさに世界が変わっていたのだ。確かに「世界」は変わった。それは認めよう。『アメリカが支配する世界』(パックスアメリカーナ)は新たな段階に入った。よって、アメリカの多大な影響を受けている(支配されている)日本も世界が一変していたのである。しかし中国ではなにも変わらない。あい変わらず、アフガンの石油パイプの利権を巡り、アメリカと経済戦争を起こしている。私の目は池澤のように国際的ではないが、9.11に関しては偶然にも国際的複眼を持つことに成功している。
2005年10月29日
コメント(4)
監督・脚本 : 塩田明彦 原作 : 梶尾真治出演 : 伊藤英明 ミムラ 吉行和子 「黄泉がえり」と同じ原作者、同じ監督、歌まで柴咲コウ、ということであのヒットよ再び、を狙ったものではある。二匹目のドジョウはいなかった。しかしめちゃくちゃ悪い作品かというとそうでもない。役者の破綻はほとんどない。特にミムラは案外いい。最後の幻想的な場面があるが、ここにこの映画の特徴が現れている。理屈を超えた超パラレルワールド。それを許せれるかどうかで、泣けるかどうかが決まるだろう。
2005年10月28日
コメント(0)
監督・脚本 : イ・ジェハン出演 : チョン・ウソン ソン・イェジン ソン・イェジンの女優としての資質をみたくて観た。やはり監督によって相当違う。顔のアップの多用。監督はそれによって二人の恋愛に焦点を当てたかったのだろうと思う。けれども、演出は失敗したように思える。同じようなエピソードを重ねすぎた。ひとつのエピソードをもっと深く掘り下げていたらよかったのに。二人ともそれに応えるだけの演技力はあったと思う。チョン・ウソンはいい俳優になると思う。あんなに男臭い俳優はそういない。「MUSA武士」の主演俳優二人のその後の勝負はチョン・ウソンのほうに軍配が上がっている。
2005年10月28日
コメント(1)

10月23日、岡山県牛窓で行われた秋季大祭に行ってきました。瀬戸内市牛窓は近世より風待ち・潮待ちの天然の良港として栄えた、海沿いの小さな町です。いつもは静かなこの町も10月の第四日曜日には江戸時代より伝わる盛大な祭りが行われ、老若男女、どこにこんなに若者や子供がいたのかと思うくらいに人で溢れかえり、祭りに参加しています。ここのだんじり(山車)は県指定重要有形民俗文化財になっているほどの古いもので、8基作られています。江戸時代末期から明治時代初期に作られ、中国の「四霊」(麟鳳亀龍)などをモチーフする精巧な彫刻が施されています。特に関町の竜の彫刻(写真)は見事の一語。子供が乗り、代官の正装をして太鼓をたたき、囃子唄を歌い、後を子供が笛を吹きながらついていき、大人が引いていきます。昔の遊郭があったためか、着物を着た男衆の彩が華やかさを演出します。男たちは変にはしゃいでいる。牛窓は江戸時代、朝鮮通信使が寄港したことで有名です。1592年豊臣秀吉が起こした「朝鮮出兵」文禄の役、1596年慶長の役で、朝鮮半島との国交は断絶してしまうが、徳川家康の時代、日本に連れてきた捕虜を返すこと、墓荒しの犯人の送付を条件に国交を回復します。以来江戸幕府は12回にわたり、善隣友好の使節を迎えるわけです。儒学者、医者、画家、サーカス技芸団員、楽隊等来ていたことが知られています。このいきさつを詳しく書いた教科書が今年日韓で作られ、そのことは以前書きました。それを読んで、私は「いったんこじれた関係の修復は簡単にはいないこと」「いったん国交が回復すると豊かな文化交流が出来ること」を知ったのです。豊かな文化交流のひとつの例として、この牛窓の唐子踊りがあると思います。唐子踊りは秋祭りのときに疫神社に奉納される稚児舞です。写真のように朝鮮風の衣装をつけた二人の男の子が、囃し方の小太鼓、横笛と、意味の分からない歌に合わせて踊るもので、朝鮮通信使についてきた小童画踊った踊りを民衆が真似たのだといわれています。当時、朝鮮通信使と一般人との交流は禁じられていました。けれども、それでも交流はあったのです。人間同士だものないほうがおかしい。その証拠がこの踊りなのではないでしょうか。歌の意味は少し朝鮮語に似ているとも言われていますし、最初の歌だけははっきりこう歌うのです「こんねん、はじめて、にほんへわたり、にほんのみかどはとおりません。ません。こころ。しょがん。こころ。しょがん。おんれいもうす」節といい、衣装といい、「唐子」は「韓(から)の子」と思えるし、まず朝鮮通信使ゆかりの踊りであると、いっていいでしょう。子供の一生懸命の踊りにたくさんの拍手が送られていました。
2005年10月25日
コメント(4)
岡山県で国民体育祭(国体)が行われている。その関係で気がついたことをいくつか。天皇が来るということで、ものすごい大騒ぎをすることは以前から聞いていた。道路が新しくなったり、公園が新しくなったりするのは、そのほうが予算が通りやすいのだろう、めぐじらを立てるほどではないか、というのが私の今までの認識であった。岡山県に国体が来るのは43年ぶり。天皇の本格的な来岡は10数年ぶりだろう。私はここまでの大騒ぎをするとは思っていなかった。労働組合の雑談で、「天皇が通る道の町内会では、道沿いに出て日の丸を振る動員が目標を立てられて降りてきている。」「道沿いの家では決して上から見下ろすようなところへ立ってはいけないという通達が出ている。」「決して傘を持ってきてはいけない」と聞いた。その他こまごまとした通達が見事に役所、公立学校や町内会に徹底された。見下ろしてはならないというのは警備の問題なのだろうか。「そんなことはない。不敬罪にあたるということだよ。現に私は見下ろしたけど、警備は飛んでは来なかった。」と、雑談である人。日曜日、牛窓に行く途中、いやに混んでいると思ったら、道々日の丸を持った人たちが帰るところであった。警察や公安警察の動員もすごい人数である。この日まるっきり関係ないと思われるような道路にも公務の人たちがたむろしていた。町内会の動員は街中だけではないのだ。天皇はいろんな会場を回ったはずだし、この国体の間中、いったいどれだけ動員されて、一体どれだけの公費が使われたのだう。どこか調べたら明らかになるのだろうか。警備の必要性で言うと、首相が動いても同じくらいの重要性があると思うが、もちろん警察動員はこの何十分の一だろう。だいいち、公務員が何日も前から予行演習をしたりはしない。今回の動員記録は絶対公安あたりに記録されて、有事の際に活用されるに違いない。そういうと、公務労働者は「そんなことはない。昔とくらべると、町内会の動員なんてぜんぜん人が集まらない。活用なんて出来ないよ」という。なるほど、集める立場からするとそうなのだろう。昔なら天皇の車が通るホンの一瞬のために道沿いを埋め尽くすような住民の動員が可能だったのかもしれない。しかし、私は郊外のこんなところまでも、というところで人々が日の丸の旗を持っていたのを見た。そのために町内会長が一生懸命働いた経験はきっと先の国民保護法制の実施等何かに利用されるに違いないと思う。
2005年10月24日
コメント(8)
憲法改悪反対岡山市共同センターでは、憲法の改悪が画策されている2007年までに市内の過半数の憲法改悪反対の署名を取ろうと目標を持っています。そのための一環として、まず地域で署名を取る経験を交流しようと、22日午前地域署名に取り組みました。交通の便をとって、街中を対象地域に選びました。市役所の東側、さまざまなマンションが立ち並んで、ふるい商店街があり、昔からの住民が間をはさむように住んでいる、約1500世帯。事前にこの時間帯に署名を取りに行くというお知らせチラシと署名用紙をポストに入れておきました。当日は15人、7団体が参加。8グループを作りました。30分のミニ学習会と意志統一、約1時間半の署名活動でした。結果は訪問353軒、対話103人、72筆でした。この数字をどう捉えるべきでしょうか。私はわりといい数字ではないかと思います。マンションではたいていはピンポン段階でほとんど留守だし、たまに居ても『憲法?なにそれ』『個人情報が恐いのでしない』というところが多い。私たちは他の団体の経験から、署名数は訪問の1割くらいではないかと思っていました。でも2割の署名が集まったのです。私が行ったところでも、「以前署名をしてえらい目にあった」(署名詐欺がこんなところにも来ている)とか、「今家族のものが居ないので、判断できない」(あなたの判断でいいのですが)といって対話できたうち半分ほどは断られました。他のグループでは「憲法は変える必要がある」とハッキリ言った人も居たらしいが、3件にとどまっています。でも予想外に断られていないのです。やはり事前にチラシを撒いたのが効いたのか、あらかじめ署名を書いて待っていてくれた人が三件ほどあったし、「あっ、書くの忘れた」といってその場で書いてくれた人が何人も居ました。毎日新聞の9月の憲法に対する意識調査では、憲法改正に賛成するほうが世論としてはうわまっているが、9条改正については逆の結果が出ていました。現在の自民党民主党が画策する改憲の中身を住民一人一人にきちんと知らせる行動が、これからさらに必要になってくるでしょう。市民過半数にはまだ展望は持てないが、そのための一歩としてはいい経験であったと思います。来月もう一度同様の取り組みをしますが、これらの経験を各団体に持ちかえり、地域署名に足を踏み出してくれればと思います。次回の署名行動にはもっと参加者が集まればいいな。
2005年10月22日
コメント(12)

『川辺の風景』朴泰遠 著 牧瀬暁子訳作品社2800円清渓川(チョンゲチョン)の川辺で生活する1930年代のソウル下町庶民の風俗小説である。本の表紙の写真を見て、ソウル郊外の田舎町の物語だと思ったら大間違いである。実際はソウルの街の中心部、現在でいうと鐘閣駅の南側の人々の生活を描く。そこにその頃下水も洗濯の川も兼ねた生活用水があった。母子世帯の母親、田舎から薬局店に住みこみで働く少年、散髪屋で使い走りをしながら街を観察する少年、妾を囲う街の有力者、飲み屋の女中、かどわかされて出てきた寡婦、全部で50章、主人公を時々換えながら淡々と描く。名もなき貧しい庶民の小説で、こういう構成の小説として私は藤沢周平の『本所しぐれ町物語』を思い浮かべた。しかしこの小説は藤沢文学とは実は対極にあるといっていい。藤沢文学が庶民の身体に寄り添うように哀切を描く『濡れた』文学だとしたら、朴泰遠のこれは庶民を客観的にドキュメンタリーのように突き放して描く『枯れた』文学なのだ。それが朝鮮文学の特徴なのかどうかは私は知らない。エピソードの中には嫁ぎ先で不幸になっていく娘を想う母親の話等、描きようによってはいくらでも泣かせることが出来ようものなのに、ここに出で来る庶民は打算的で、常に金と地位のことが頭から離れず、成功を夢見てはいるが、一方情に厚い人々で、私は正直あまり共感を持つことが出来なかった。しかし、これこそが賭け根なしの30年代ソウル下町の韓国の庶民なのだと著者はいいたいのだろう。それだけに民俗的な記録のように忠実に生活実態を写しているのは、読んでいてよく分かった。訳がいいのかどうか分からないが、文体は現代文学とほとんど変わらない。ただ、読み進めるのには当時の時代風俗に精通してないと難しい。ただ、この本には実に30ページに渡る詳細な『註』が付いていて、この注自体がちょっとした戦前ソウル下町事典の様相を示していて面白い。註釈や解説文の充実といい、朝鮮文学の入門編としては、なかなかいいテキストではあると思う。玉に瑕は少し高いことであろうか。今年10月いったん蓋をされて道路になっていた清渓川が整備されてまたソウルの街中を流れる『自然の川』としてデビューを飾っている。この本を読むと、おそらく誰もがこの川辺の風景を歩きたくなるだろうと思う。当時の地図も付いているので、現在の地図と比べるのも愉しいだろう。おそらく今では当時をしのぶ店構えはは見るものもないだろうが、新名所の河辺を散策して洗濯風景を想像するのもよいだろう。鐘閣駅前の和信商百貨店(現在の鐘路タワーあたり)やYMCAから鐘路5街へ歩いて、今も残る団成社の映画館へ足を伸ばし、田舎から出てきたチャンス少年が次第と街の少年に変わっていった様をしのぶのもいい。昔歓楽街だった貫鉄洞の辺りを歩いて、ミン主事が妾のもとに通っていた日々を想像するのも楽しかろうと思う。
2005年10月20日
コメント(3)
山手村公民館で製鉄遺跡第一人者の光永真一氏の「吉備の製鉄」についての講演があったのでいそいそといってきた。私の考古学への問題意識は以前に述べたとおり。プロガーの人はほとんどこういう問題に興味ない人が多いのではあるが、私は「日本の平和思想」を決める決定的な時代だったと思っています。分かりにくいかもしれませんが、興味を持っていただけたら幸いです。そして「倭国大乱」が鉄を巡る覇権の争いであったとしてなら、この吉備の(原材料からつくる)製鉄について考えることはとても重要なことです。現在日本で見つかっている最古の製鉄遺跡は総社の千引カナクロ谷遺跡(6C後半)です。それどころか5Cの岡山市の佐古田堂山古墳、同じく5Cの柵原の月の輪古墳からは製鉄に使われたとき出てくる鉄滓(鍛冶のときに出てくる鉄滓と比べて錆が付いていない滓)が出ているので、5C段階(古墳時代最盛期)で吉備地方において日本列島で先駆けて製鉄がなされていた可能性は非常に高い。それは何を意味するか。「まがねふく」の枕詞にあるようにやはり吉備が製鉄の最先進地帯なのであった。しかし、それでは倭国大乱の説明にはならない。弥生時代に製鉄の可能性はないのか。私はいい機会なので、講師に執拗に食い下がった。「朝鮮半島では紀元前から製鉄を始めています。100年かけてその技術を輸入したというのなら分かる。けれども製鉄は当時もっとも必要だった技術のはず。それが500~600年も輸入できていないということがありえるでしょうか。(ちなみに稲の技術は50年で西日本から東北まで伝わっている、という説もある)今日学んだ初期の製鉄はそんなに難しい技術ではないはず、と私は思う。その見解を聞きたい。」講師は考古学者らしく、「遺跡で発見されていない以上はなんともいえない」といいながら、「鉄の技術は重要なのでその技術を教えること自体が重要な外交問題になっていたということは考えられます。簡単に伝わらなかったでしょう。」「はたからみて簡単に分かるような技術ではありません。上から見て形はつくれるかもしれないが、鉄精錬の理屈自体思いも付かないでしょうし、地下の構造に関しては素人では絶対に分からなかったでしょう。」(写真の左図参照。ちなみに右の固まりは鉄滓)確かにそうかもしれない。けれどもそれでも、これだけ長い間輸入できなかったとはやはり思えない。今回の最大の収穫は弥生時代吉備の製鉄の可能性について製鉄の第一人者が明確な反対の意を表さなかったことです。素人の私にとってはそれだけで充分。倭国大乱は、もしかしたらたった一人の鉄の秘密を握る人物を巡っての物語なのかもしれない。いろいろと波乱万丈があって、その人物は死に、技術だけが吉備に残されたとしたなら……(^^;)その他、長年の疑問もいくつか解けた。吉備の製鉄の初期は砂鉄ではなく鉄鉱石を使っているのだが、岡山県は吉備の地方に点々と鉄鉱石が取れる場所はあったらしい。一番の産地は県北である。鉄鉱石の採石場が見つかっているかというと、見つかっていないらしい。また、当時の朝鮮半島の製鉄もやはり鉄鉱石から作っていた。ただ、まだ吉備の製鉄遺跡と同じ形の遺跡は見つかってはいないらしい。ふいごの仕組みは図にある通りではあるが、あれ以上は分からないらしい。なぜなら木でできているので跡形も残っていないからである。たぶん手押しのふいごではなかったか、というのが講師の意見であった。「戦争の危機を技術の交流で切り抜けた」「大和東遷による連合政権樹立」という私の「説」は更に補強されたのでした(^^;)
2005年10月17日
コメント(6)
昨日の雨とはうってかわって晴天。倉敷屏風祭を覗く。毎年この時期に倉敷美観地区の非公開の住宅も含めて玄関先を公開し所蔵の屏風などを見せてくれるのだ。普段見れない屋敷構造やそこに住む人と話が出来て、私は楽しみにしている。「加藤」家では、おばあさんの米寿の祝いということで金屏風と福の神の博多人形、おばあさんの県展入選の絵をだし、88歳とは思えない姿でかくしゃくとして入場者の相手をしていたのが、印象的であった。
2005年10月16日
コメント(6)
『ヒトラー最期の12日間』ヨアヒム・フェスト著 鈴木直訳 岩波書店映画『ヒトラー最期の12日間』にはヒトラーの二つの印象的な台詞がある。幹部が『若者が次々に死んでいます。』と告げられて『それは彼らの義務だろう』と平然と応える。あるいは地上では市民が爆撃で大変なのだと告げられて『私は彼らに涙しない。彼らが(私を)選んだのだ。自業自得だ。」と応えるところである。この映画は歴史にかなり忠実に創られたのだということを聞いている。そうだとするとこの台詞も記録に残っているのだろうか。私はこの本を読むときまずそのことに注目した。この本の著者は、戦後一貫してヒトラーの人物像を追い求めてきた歴史家であり、またドイツのヒトラー像は長い間「悪魔化するか、けなしてまともに扱わないか」だったののに対して『脱悪魔化』を早くから唱えていた。そしてこういう映画で出来るのに60年を要したのである。ドイツでさえ、そうであったのだ。ましてや、ほとんど天皇の実態に対して実証的研究が出来ていない日本の場合(つまりドイツと比べて証言があまりにも少ない)、このような映画が出来る可能性は皆無に近いだろう。さて、上記二つの台詞に関しては1941年外国人記者にヒトラーはこのようにいっている。『自らの生存のために血を流すだけの』『強さも犠牲的精神も、もはや持ち合わせていないのであれば』ドイツ民族など『滅び抹殺されてしかるべきだ』私はそのようなものに『涙しようとは思わない』『自業自得だ』といったのは宣伝相ゲッペルスである。1945年4月21日。彼の部下であるハンス・フリッチ部長はいう。『国民が示してきた忠誠、信念、献身的態度は無視してはなりません。』ゲッペルスは怒りながらいう。『われわれはドイツ国民に無理強いをしてきたわけではない。同じように私はいかなる人間に対しても、自分の部下になるように無理強いした覚えはない。国民が自分のほうからわれわれに委任したのだ。…つまりは自業自得ということだ。』しかしこの言葉は上記ヒトラーの言葉と合わせるとほとんど同じ考え方だったといっていいだろう。『彼らの義務だろう』といったのは映画的創作だったのかもしれない。しかしどこかでそういってもおかしくはない。そういう狂気があの地下壕では沈殿していた。ヒムラーもゲーリングもゲッペルスはもちろんのこと、このヒトラーに対して盲目的服従をしていく。本を読むと、ベルリン陥落の直前に彼らが敗北を意識したのではなく、何年も前から頭にあったことが分かる。しかし彼らは次々と墓穴を掘っていく。ヒトラーの狂気に引きずられていく。いや、彼ら自身が狂気になっていくのか。いや、狂気という言葉で片付けてはいけない。歴史上の人間の科学的研究はまだこれから行われていくのだろう。
2005年10月15日
コメント(1)

監督 犬童一心脚本 渡辺あや 出演 オダギリジョー柴咲コウ田中泯歌澤寅右衛門 ほか 性別を超えた友情は成り立つだろうと思う。しかし、性別を超えた恋愛は成り立つのだろうか。愛と友情はどこが違うのだろう。今回も『ジョゼと虎と魚たち』の監督脚本家コンビでやはり最終近くに主人公がむせび泣く場面がある。それはイタイ涙なのであるが、今回主人公は女なので私にはあまりイタクなかった。柴崎コウは終始ぶすっ、とした顔で通してしまった。不思議な映画ではある。ところでやはり田中泯は凄い役者なのだ。
2005年10月13日
コメント(2)
前回は小泉政治のイメージ戦略について、小森陽一氏の講演で聞いたことを中心に少し述べた。実は最近知人から紹介されて読んだ、現在発売中の「月刊現代」11月号に見事な自民党の広報戦略がスクープされていたので、紹介したい。9月11日夜、歴史的な大勝利を収めつつある自民党の選挙事務所中継を見たとき、意外な感じを持った人は多かっただろうと思う。自民党幹部が一様に「満面の笑みを浮かべて勝利のコメントをしていなかった」のである。武部幹事長は時々笑みを浮かべていたので、私は気持ちはある程度分かったのではあるが、小泉首相に関して言えば、終始「沈痛な面持ち」といってよい表情であった。マスコミは「さすがに予想以上の勝利に責任の重さを痛感しているのでしょうか」などと述べていたが、私は批判精神を持っているので(^^;)、青白い顔をしているように思えた。「小選挙区制の威力と恐ろしさを改めて知ってしまった。次はわれわれかもしれない。」などと思っているのだろうか、と「好意的に解釈」してしまっていたのである。ところが「月刊現代」の鈴木哲夫氏が書いた「これが自民圧勝を演出した広報戦略だ 特命チーム"情報戦"工作の全貌」という記事を読むと、あれは完全な演出だったのである。あのとき小泉はおろか、安倍、武部、青木等全ての幹部に「絶対に笑わないでください。笑顔を見せてはだめです。」という指示が出ていたのである。今回の選挙のために党内で初めて設置された「コミュニケーション戦略チーム」責任者、世耕弘成の指示だった。「怖いのは反動です。有頂天になっていたら、今日われわれに投票してくれた無党派層は、明日から反自民・民主支持に変わってしまいますよ」そうか、そうだったのか。見事な指示だ。騙された。彼らはテレビから離れたとたんに「ガハハハ」と「闇の哄笑」をしていたのだ。世耕は01年選挙のときはチーム立ち上げについては「政治は直感とか信念とか覚悟なんだよ」と小泉に一蹴されたらしい。今回はばたばた選挙が決まったのがよかったのか、広報代表として「幹事長補佐」という「権限」を持つことに成功する。片山さつきは当初「自分は小泉首相に選ばれたんだ」と「落下傘候補」という批判に耳を貸さず、ブランド物を平気で身につけていたが、「戦略チーム」はそれを厳禁にし、「本籍も移しました。この静岡7区に骨をうずめます」というセリフを繰り返し述べさせたという。佐藤ゆかりに対しても「この岐阜に嫁ぐつもりでやってきました」と述べさせ、「旅行できたことがある。いいところで大好きです。」というミス発言を修正させた。……等々今まで地元に任せてばらばらにされていた広報を、データ管理を元に党で一括して行われたことに今回の「革新」があった。小泉の「直感」から「データ重視」の選挙へ、内部では見事に変わっていた。民主党が負けるのも当たり前だ。私は騙された。みんなはどうだったのだろうか。鈴木氏は「メディアは、取材者がいかにその意図を見破り、現場で真偽を確認し、是々非々で報道する力をもてるかが試されることになる」と書いている。ジャーナリストとしてはこう書かざるを得なかったのだろうが、有権者としてはそういう記者はほとんどいないだろうと思って報道を批判的に見るしか手はなさそうだ。これからさらにいろんな「広報」が始まる。しかし彼らの意図が「理性が働く前にイメージで訴える」(ナチスの宣伝の応用)というものである限り、それはいつか限界がやってくる、と信じてやっていくしかない。もちろん「アウシュビッツ」のあとでは遅いのではあるが。
2005年10月12日
コメント(5)
10月9日(日)午後、『ピースエッグin岡山』での小森陽一『九条の会』事務局長の特別講演を聞きにいった。この人、本職は東大近代文学専攻の教授だそうで、現代情勢と言葉の持つ意味について熱く語ってくれた。ピースエッグは日本平和委員会と地元実行委員会が毎年いろんな県で行っている全国的な青年平和学校である。全国から、高校生から30才ぐらいまでの青年が200人、二泊三日で平和について語り尽くす、という企画である。今年は国宝閑谷学校となりの研修施設での合宿になっいる。いろんなタイプの若者が一点平和に自覚的であるというだけで三日間語りあう。12年前、岡山で私たちも企画したが、いい経験になった。あの頃は湾岸戦争の直後で安斎育郎氏を呼んで『平和の見方』について語ってもらった。今は憲法改悪策動の真っ最中。果たしてどういうものをもって帰ってくれるだろう。講演は1時間半の講演と1時間の質疑応答。非常に充実して多岐にわたった。とても要約する力量はないが、印象に残った言葉を載せて私の感想を書く。『今回の選挙、小泉はナチスの「沈黙の螺旋」という手法を使い、憲法改悪のリハーサルをした。つまり言葉を意味ではなくイメージで語る。そして一気に進める。内と外に敵を作り、私は正しいという。批判勢力を次々と追い落とし、螺旋的に誰もしゃべらなくせる。今度の改憲もこうやるのは間違いない。』間違いないだろう。国民投票法で運動期間が60日になったら、それこそ大変である。(イメージ戦略についてはまた他日扱いたい。)『言葉のからくりには敏感にならなくてはならない。有事法制のとき、みんな、右も左も『有事法制』といった。しかしあれは従来の有事法制ではなかった。正式の名称『武力攻撃事態法』に対する運動でなくてはならなかった。イラク戦争ではなぜアメリカが攻撃することが出来たのか。あれはイギリスがイラクの核兵器によって攻撃される危険があると「みなす」ことができるから、集団的自衛権の発動によって攻撃したのである。(イラクのミサイルはアメリカまで届かない)『武力攻撃事態法』にもその「みなす」という言葉がある。それが発動されないのは憲法九条があるからである。』そうだ。そうだった。私たちは九条が変わったらどのような事態が起きるかはすでに歴史的な教訓を得ている。アメリカは核兵器の証拠が見つからなくても平気だったのだ。集団的自衛権はすでに国連憲章で認められているのだから。『最後のせめぎあいのときは言葉が重要になる』と今日、小森氏は口をすっぱくしていってくれた。そして反省する。私たちは易きに流れた。『有事法制』の方が通りが良いため、その言葉ばかり使っていた。この言葉を使うことですでに相手の土俵に乗っていたのだ。『今年の七月九条の会の2年目の集まりのとき、彼ら九人の平均年齢は77歳。鶴見さんが「この1年で誰か死ぬと思っていたけどなー」と冗談めかしていっていた。』もちろんこれは冗談にしたいけれども、冗談ごとではない。その危険性はおそらく、梅原 猛、加藤 周一、澤地 久枝、鶴見 俊輔、三木 睦子に関していえば明日にでもあるようなことだ。高齢にくわえて持病を持っている方もおられる。まさに彼らは死を賭けて、最後の戦いに挑んでいるような気がする。 時間はあまりない。
2005年10月10日
コメント(14)

講演会を聞く前に三十分ばかし時間があったので、隣の国宝「閑谷学校」を見学した。数十年ぶりにやってきたが、周りの環境はともかく講堂内はあの時のままで、まるで時が止まったかのようであった。閑谷(しずたに)学校は1668年(寛文8年)岡山藩池田光政の命により、藩士・領民のための学校として設立される。現在の講堂(写真)が完成したのは1701年(元禄14年)。藩営の庶民学校としては例を見ない華麗な造りで、総備前焼の瓦で葺いてある。日本最古の公立の庶民学校で、かつ現存する最古の学校建築である。頼春水、頼山陽、菅茶山が来遊した。明治に山田方谷が経営を継いだ。ン十年前には、私も林間学校で、この講堂に座り拝講したが、当然何も覚えていない。痺れの感覚と今も変わらない鏡のような講堂を乾拭きした記憶だけがなんとも懐かしい。
2005年10月10日
コメント(0)
「働きすぎの時代」森岡孝二著岩波新書この本を読みながら、思ったことをつらつらと。情報通信技術の発達が経済のグローバリゼーションを誘発し、それがアメリカイギリスも日本みたいな長時間過密労働をする(米英で過労死続発)という事態をもたらし、更にそれが24時間労働も可能にする情報通信技術の発達を促し、日本では派遣企業の拡大、アルバイト・パートの活用という賃金のダウンサイジングへと続いていく……この止まりそうにない「悪循環」の中で、労働者は声にならない悲鳴を上げている。この10年間でわれわれは日本経団連の『新時代の「日本的経営」』(1995)でつくられた戦略にまんまと嵌められてしまった気がする。この書物では次の記述があった。正規社員(Aグループ)有期雇用の低年俸契約社員(Bグループ)雇用柔軟のパート・アルバイト・派遣(Cグループ)この三類型に分け、Aを極端に絞り込み、BとCを大幅に増やして、雇用の流動化と人件費の引き下げを推し進めることが提案されている。私は90年代後半リアルタイムでこの本の内容については聞いたが、全然実感がわかなかった。パートアルバイトはあくまで若者と共働きの補助収入と認識しており、年収100万~300万の層がここまで増えるとは想像できなかった。(01年で417万人)。それは労働者の組織もたぶんそうだったのだろう、有効な戦いを組織出来ていない。Cグループは正規と同じように働いているのに、給料は1/2~1/3しかもらえない。その不満の捌け口はなんと政府には向かわずに、「強いリーダー」への期待に向かい、改革の名の元に「公務員の給料を下げろ」と言い、「強い国ニッポン」を目指すのである。正規はどうか、パートと共闘するなんて思いもつかない。俺たちは彼らとは比べ物にならないくらい責任ある仕事をしているのだ、と更なる長時間労働強化で乗り切るしか道は無くなる。政治について考える暇なんてあるはずがない。「改革を止めるな」というワンフレーズがとても新鮮に聞こえる。一方厚生労働省は、この間やっと重い腰を上げてサービス残業の解消に取り組んできた。(3年間に2200社、33万人に392億円の支払いを命じる)しかしこの本ではその努力も無駄になるような法案の働きを伝えている。時短促進法の実質廃止と、労働安全衛生法の「改正」で過重労働への助言指導が緩和されるのである。実はそれどころではない。私は更に労働基準法の抜本的「見直し」の動きを知っている。ひとつ、労働時間規制を外す。ひとつ、不当解雇しても金を払えば解雇できる。ひとつ、期限のない試用採用期間。ひとつ、労働条件の切り下げの下請け機関「労働委員会」の設置。(2005.04「労働契約法制のあり方に関する研究会」「中間とりまとめ」)政府と財界の「戦略」はまだ完結してないどころか、これから仕上げの段階に入ろうとしている。憲法が定める「生存する権利」を条文含めて無くしていこうとしているのであろう。それが指し示す未来はどういう未来なのだろうか。田中芳樹「銀河英雄伝説」では、自由惑星同盟のヤン・ウェンリーは銀河帝国側のラインハルト・フォン・ローエングラムに、「戦術」的には時々勝ちながらも、「戦略」的に敗れてしまう。しかしこの小説の真の主人公とでいえる「後世の歴史家」の書き方では決して銀河帝国が最終的に勝ったとは書いてはいない。後世の歴史家が今現在のわれわれをどう評価するか、われわれは歴史の只中にいる。
2005年10月09日
コメント(7)
『韓国のデジタルデモクラシー』玄武岩集英社新書韓国のノ・ムヒョン政権の実現の原動力になったインターネットの実際とはいったいどういうものなのだろうか。今回の衆議院選挙でも話題になったが、もし公職選挙法が改正されたら、日本でもその可能性があるのだろうか。そういう問題意識でこの本を紐解いた。著者は韓国出身の東大助手。1969年生まれだから現在36歳。典型的な2030世代(現代の20~30代。02年大統領選の中心世代。キム・デジュン大統領を実現させた世代とは様変わりている。)である。初めての著書だそうで、少し詰め込みすぎて、韓国の公職選挙法の実態も分からないし、日本でよく見られる『荒し』に対する対応の仕方もよく分からなかった。今ひとつイメージが沸かなかったのではあるが、いくつか受けた刺激をもとに、日本の『デジタルデモクラシー』について、展望、とはいえないまでも感想を述べたい。背景としては民主化運動と大新聞社との歴史的な対立構造がある。60~80年代パク政権時代に朝鮮日報、中央日報、東亜日報の権力癒着は構造化し、さらに新聞自体が権力化する。それに対抗して「ハンギョレ新聞」なども創刊されるが、力としては弱かった。そして最初選挙運動監視者運動などの成果で多くの市民言論団体が登場する。これらの運動が発展して常勤記者と市民記者でつくるインターネット新聞「オーマイニュース」「プレシアン」などが生まれる。私は今ひとつその実態が分からなかったが、その日本版の「JANJAN」というサイトがあることを知り、訪れてみた。日本版はおとなしい。まだ市民記者が少ないので暗中模索の状態なのであろう。「オーマイニュース」は現在35000人の市民記者、60人の常勤記者で1日200本の記事をアップしいる。そのうち150本は市民記者によるものだという。候補者の公式HPも大統領選では先にはじめたノ・ムヒョンに圧倒的に有利であった。HP「ノハウ」だけでなく『ノムヒョン放送局』『ノムヒョンラジオ』などのインターネット放送も積極的に活用する。(現在大統領のHPは青瓦台のHPに統合されているらしい)もちろん掲示板は公開されているから、誹謗中傷も入ってくる。それに対しては閲覧数の高いものを「ベストビュー」として別途管理したという。選ばれるのは鋭い情勢分析の場合もあるが、多くは一般の人の感性豊かな体験談らしい。また、オンライン上では誹謗をかわす論拠や相手候補の失策が即時に伝播出来るというメリットもある。たとえばハンナラ党が賛助演説員として投入した「普通の受験生のオモニ」が、実は議員の補佐官であったことは、インターネットを通じてまたたくまに広まったらしい。いずれも自発的な『ネティズン(ネット市民)』の層の広がりと歴史的に鍛えられた成熟度を示すエピソードだ。もちろんオンラインに全てを託したわけではないらしい。しかし、オンラインではないと出来ないこともあった。象徴的なのは大統領選投票前日に候補一本化によりいったん引き下がった有力候補が突如ノムヒョンに対する支持を撤回するするという事件が起きた。そのとき支持者が書きこんだ掲示板の文章が『オーマイニュース』や公式ホームページにすぐさま流れ、するべきことが示される。『ニュース』の訪問者数はその日延べ623万人に上ったという。支持者は電話やメールでもう一度知人に指示を訴える。結果はいうまでも無い。著者は「ただインターネットという武器を先取りして積極的に活用したことだけでない。水平的で分権的なネットワークは、自発的な参加と議論の場を保障する双方向性と内容の真実性によって成り立つものである。」と書く。確かにいくつかの事実はそういうことを証明するのだろうが、韓国のこれからもその方向で行けるのか、日本はその条件があるのか、私には今だ分からないことだらけだ。例えば日本の場合、単にビュー数が多いという情報が流れただけで、その「真実性」は検証されずに世論が形成されないか不安である。韓国ではその可能性はなかったのだろうか。ただ、日本の『デジタルデモクラシー』の可能性については、公職選挙法の改正を待つ以前に課題はやまほどあることだけは分かった。敗れた保守政党は反撃をする。インターネットを含むあらゆるメディアを使って。しかし2004年の大統領弾劾決議後の総選挙で再び敗れるのである。韓国は1年後がどうなるか分からない状態が今だ続いている。ただしその激動の中で、昔血を流して戦っていた若者が、今は子供をつれて集会に参加するようになり、韓国の『政治参加』民主主義の成熟度は後戻りできないほど高まっているように感じられる。著者は韓国と日本の市民社会が連帯する可能性はあるという。「ナショナリズムの動力が推進してきた韓国の『一国民主主義』は、外に向かって開かれた市民的民主主義へ脱皮することを、今こそ求められている」「それに比べて、日本の市民運動は、国家の政策を左右するような闘争力や組織力はなくても日常生活に密着した生活政治の発現という傾向性を持っている。」変な褒められ方をしたものではあるが、確かにそれは日本の国民性の欠点でもあり美点でもある。そこに日韓の市民運動の交流の必要性を、私も切に感じる。映画の製作、共通教科書の作成、いくつかの萌芽はすでに出てはいるのだ。市民運動でどうして出来ないことがあろうか。
2005年10月05日
コメント(2)
文化の町倉敷には「憲法九条」がよく似合う今日記念講演をしてくれた早乙女勝元さんも「作家的センスがある」と誉めたこのスローガンのように、戦災を免れた倉敷の町並みには平和な町というイメージがある。大原美術館、白壁の町、アイビースクエアを通って行って少し東に外れた倉敷市民会館で、「倉敷九条の会」の発足総会があった。私は発足には全然関わっていないが、倉敷に住んでいる縁で顔をのぞかせた。実にさまざまなタイプの人が呼びかけ人に顔を連ねている。中村昭夫(写真家)阿部省三(画家)永瀬隆(平和運動家)間壁忠彦(倉敷考古館館長)室山貴義(倉敷文化連盟会長)八束澄子(児童文学作家)等12人。会場は用意した椅子が足りなくなるくらい。ざっと私が数えて300人近くいたと思う。発足に当たって会則の討論をすると珍しく意見が出た。「私は自衛隊は必要だと思う。」それに対しては「この会の目的(憲法九条を守る)に反しなければ、大丈夫だと思います。」「むしろ、自衛隊は必要だけど、九条を変える必要はない、という人ともいっしょに運動をやっていきたい」私はいい議論が出来たと思う。
2005年10月03日
コメント(13)
10月1日(土)倉敷地方自治研究会主催の「平和を考える」分科会に参加しました。三本の報告を元に討論。有意義な午後になりました。現在の情勢分析(アメリカ、財界、軍事、改憲・思想攻勢)、日中戦争とイラク戦争の関係、亀島山地下工場の発掘報告。特に一番目の報告に関連してこんな議論がありました。「国民保護法制について、市町村レベルで計画に落としていくと思うが、その動きはあるのだろうか」「まだないと思う。」ここで私は実際に県の保護計画を読んでの感想を以前プログで書いたことを中心に述べました。そして「まずは意見を出すこと、そして監視していくことが大事ではないか」といいました。「いや、保護計画の中身について言う前に、そもそも憲法は戦争を否定しているのだから、こんな計画を立てること自体が意味がないのだ。こんな計画はつくるな、ということをいうほうが先だ」ほかの人が反論する。「でも、つくるなといっても、行政は必ず作ってきますよ。そのとき私たちは何が出来るのか」「つくると思う。でもその前にどれだけ意見が出たのかが大事だ。実際に作られた後、われわれはあの計画の中身の矛盾を指摘していけばいい。」私は納得した。やはり議論は大切だと思う。
2005年10月03日
コメント(0)
何を隠そう、私は藤沢周平氏の大ファンである。しかも、一ばん最初に読んだのが氏の「蝉しぐれ」で、いまだにこの作品がマイベストになっている。いや、それを抜きにして考えても氏の最高傑作だといってもいいのではないだろうか。だからこの映画はたいへん楽しみにしていた。(期待していたのではない)藤沢周平氏は28歳の愛妻をガンで看取ったとき、自分の人生もいっしょに終わったと思ったのだという。しかし乳児がいたので死ぬことも出来ず、屈折した想いを小説にぶつけていった。そのとき、人には言えないともし、また思いもしたという。か弱き美しいものの死、病気という運命、金銭的な苦しさ、世の中への非難、組織の中の葛藤、そんなことであったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。ついにその内容は誰にも伝えず、この世を去ってしまわれた。ただ、その想いは色濃く作品に反映しているので、したことは分からないが、想いだけはなんとなく分かるのだ。監督はこの「蝉しぐれ」の映画化が何十年来の夢だったそうだ。当然そのその想いも知っている。どう映像化するか、楽しみだった。監督 黒土三男出演市川染五郎、木村佳乃、ふかわりょう、石田卓也、佐津川愛美、緒形拳、原田美枝子、大滝秀治、大地康雄、渡辺えりこ、原 沙知絵、緒形幹太、田村 亮、柄本 明 (以下ネタバレ。反転してね。)見終わった直後は違和感だけが残った。そうか、ついに「あれ」も、「これ」も、描かずに終わってしまったか。(映画と小説は別物なので、仕方ないのだが、やはり寂しかった)しかし一番楽しみにしていた、私が思い描いていた蝉しぐれの「音」の描き方が、ぜんぜん違っていた。あそこで音を消すか!?違うだろ、場所が。しかし見終わって思う。まあこれも監督の描き方なのだ。結局監督が描きたかったのは恋愛映画なのだ。そりゃそうだ、そのほうが世間受けもするし、分かりやすい。いつものように家に帰るまでの40分間、映画のことだけをあれこれ思っていると、ふと、文四郎が父親と最後の面会をした後、土手で逸平と話した会話のことを思い出す。「泣きたいか……泣いてもいいぞ」「もっとほかに言うことがあったんだ 父上に会っているときは思いつかなかった。 父上を尊敬しているといえばよかったんだ。」「そういうものだ。人間は後悔するようにできている。」そういうものだ。人は後悔するようにできている。その後悔を元にどうやって生きていくが大事なのである。これは恋愛映画ではない。それを描いた映画なのである。しかし、描き方には大いに不満が残る。私の見方は厳しいのだろうか。監督が藤沢周平作品の映像化にこだわっていた以上、私は山田洋次とは別次元のことを監督に要求するだろう。だからいくら丁寧につくっていたとしても、そんなことは当たり前だと思う。ただ、発見もあった。ふくの描き方である。そうか、彼女はこんな女性だったのかもしれない、と思い至った。少女のときの佐津川愛美のいつも泣きそうな表情。おふく様として登場したときの気品、そしてあの目、木村佳乃には期待していなかったが、両女優とも期待以上であった。
2005年10月02日
コメント(16)
映画の日と言うことで、二本梯子をしました。その一本目。アメコミのヒーロー者である。何も考えずに楽しめばいいものではあるのだが、私はどうしても穿った見方をしてしまう。純粋に楽しみたい方は以下を読まないように。「ファンタスティック・フォー[超能力ユニット]」 監督 : ティム・ストーリー 出演 : ヨアン・グリフィズ マイケル・チクリス ジェシカ・アルバ どんな滑稽無等の作品をつくろうとも、ハリウッド作品というものは、必ず綿密なマーケットリサーチをするのである。数年前から次は何が「受ける」のか、きちんと調査してないと次の作品はつくらないと思う。このリサーチにおんぶに抱っこしているのが、日本の少年漫画の世界で、次に流行りそうな映画の約半年前に必ずその企画に似た大型連載が始まるのである。 (そうやって無理やり描かされた漫画家が何人潰されていったか)それはともかく、滑稽無等であればあるほど、ハリウッドはきちんと世情に合った企画を立てている。だからかえって時代を先取りした企画が多いのである。「インディペンデンスデイ」「ハルマゲドン」のあとにブッシュが誕生し、「スパイダーマン」のあとに悩めるアメリカが顕在化してくる。そしてこの映画、異常なほどに主人公たちは悩まないし、もっとひどいのは世論があまりにも単純なのである。ここに出てくる騒動の全ては四人に原因があるのに、世論は「ありがとう」とか言ってパーティまで開くのである。この世論の馬鹿さかげんは現在のハリケーンのブッシュ批判とあまりにも対照的なのだが油断は出来ない。ハリウッドのリサーチ能力はバカにできないのである。
2005年10月02日
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1