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帰りは松菊里村のなかを歩いてみた。20軒ほどの村の中に松菊1里農民会館もある。ホントは食堂か小売店がないかな、と思って探したのだが、こんな小さな村では小売店さえなかった。綺麗に整えられた家が多い。全体の雰囲気は同じでも、日本の屋根とは微妙に違う。干し柿や黒豆、空豆の殻を干していて、家の前には野菜を植えている。典型的な農村なのだ。この家、よく見ると玄関がない。「玄関を持つ必要がない」という韓国の精神構造に少し興味がある。キムチや味噌のための壺が一軒の家につきどうしてこんなにも種類が必要なのか。信じられないという思いはある。ハルモニが漬けているのだろうか。本格的な家ではキムチや味噌やお酢は総て手作りで、しかも総て味が違うのだろう。バスの時間までまだ一時間半もあったので、歩いてチョチョンの町まで行くことにした。
2011年09月30日
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道沿いにはこのように、風通しのよいところにみんなが休める処がある。農作業の合間にここで食事をしたり、休みには酒宴を開いたりするのではないか。映画で見たことはあるが、実物を見たのは初めて。この休みどころの下にはすぐ村がある。後で寄って見よう。この周りには韓国式のお墓が実にたくさんある。火葬が増えている韓国にあって、ここは昔ながらの伝統が残っているのだろう。実に人口の2-3倍は墓がありそうだ。きちんと墓誌をそろえている墓も多い。なくなった年を例えば「光復(日本の敗戦)后41年」としているような墓がほとんど。韓国にとって1945年がいかに節目に当たる年だったかを改めて思う。墓誌には男はどこの生まれであり、どう育ち、どういう仕事に就いたかを必ず書く。女はどこの生まれで、何人の男女を生んだかというようなことが中心に書かれているように思えた(総て漢文で書かれているので感覚で言っています)。2193金海金氏のだれそれ」と名前だけついている夫婦の墓もあった。これは池氏(夫)金氏(妻)のキリスト教徒の墓です。妻は金海からはるばるお嫁に来たんですね。韓国は夫婦別姓なんです。このあたりは円墳ではない方墳が多い。山直里支石墓は歩いて10分ぐらいのところにあった。周りに土器は落ちていない。墓の損傷が激しく、二回発掘調査をしたが何の遺物も出なかったらしい。この支石墓を見てふと思ったのが吉備の楯築遺跡の謎の立石は支石墓の支石を作ろうとしたのではないか、あるいは既にあった支石墓を壊して新しいあの双円墳を作ったのではないか、という発想である。しかし、楯築の立石はあまりにも高い。しかも楯築の場合は、立石に加工は施されてはいない。無理は承知である。この支石墓は修羅を引くときの名残か三本の長方形の溝があった。こういう支石墓を造るには、確実に100人以上の労働が必要である。だとすると、これが造られた2500年以上前の時期にはこの周りに家族を考えると300-500人の人が住んでいたということになる。だとすると、現在とほとんど変わらないのではないか。私はこの石に寝転んでしばらく秋空を眺めていた。こんな時間が旅では貴重な時間になる。慶州やソウルの寒空が嘘のように穏やかな空だった。大きな支石墓に寝転ぶのはこれで二回目だ。支石墓って、ホント寝転びやすい。気分は2500年前の時空を飛ぶ。
2011年09月28日
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もうすっかり秋です。去年の11月、22日間かけて生涯で一番長い韓国旅行に出かけた記録が16日目でストップしています。旅日記はあるのですが、それをパソコンに書き写すのがなぜか手間取ってなかなか進みません。でも早く済ませないといけないので、いつまで続くか分りませんが、再開します。11月17日(水) 17日目 8時前、モーテルに荷物を預け観光に行くといって出る。いい宿である。パン屋で朝食を買う。辛そうに見えるが、全然辛くない。ここのバス停留所にはなんと時間表がある。韓国に来て初めて見た。それだけ本数が少ないということなのだろう。待っていたおばあちゃんに「チョチョン行きのバスは幾らかかりますか」と聞く。バスに乗るときお金を払うのでスムーズに乗るために知っておいたほうがいいと思ったのだ。おばあちゃんは「分からんよ」という反応。発音が悪かったかな。でもチョチョンに行きたいということは伝わっていたので、バスが来たときに教えてくれた。時間表は書いているけど、バス番号とかはないので、バスの前に書いている行き先を素早く読まなくてはならなかったので独りだと見落とす恐れがあった。見落としたならば1時間待たなくちゃいけない。昨日の観光案内所では、松菊里行きのバスはないのでチョチョンで降りてそこからタクシーですぐ、と聞いていたのでバスの運転手には「チョチョンについたら教えてください」とは伝えておいた。ところが、チョチョンに着いたときに「どこで降りるのか」と聞くので「この辺りかな」とモゴモゴ言って「実は」と切り出してみた。「松菊里遺跡に行きたい。ここで降りてタクシーで行きます」というと、「タクシーはない」という衝撃の答。そういえばそんな感じの村である。そもそも車が通っていない。タクシーなんかが通るはずがない。あせっていると、バスはなんと遺跡の前に来た。ラッキー!!「ちょご!ちょご!(そこ!そこ!)」バスはなんと遺跡前に行くのだった。バスの運転手はどうしてタクシーなんかにこだわっていたのか不思議だっただろう。「ありがとう!」と言って私は降りた。写真の赤い所が「現在地」である。見ようによっては何にもない田舎の一本道に下ろされたのと同じだけれども、私はドキドキしていた。松菊里遺跡は長い間日本の弥生土器、住居へ最も大きな影響を与えただろう遺跡だった。丸い住居と弥生土器に似た形質の土器。資料館が開く時間にまだ間があったので、回りをぶらぶらすることにした。資料館の裏は発掘のあとを整地したのか広場になっていた。見てみるとお立ち台が設けられていて、先月10月には松菊里の考古学イベントが開かれたようである。以前にこの遺跡を訪れた日本人団体によると、この遺跡には標識ぐらいしかなくて寂しいところだったとHPに書いていた。どうやらこの数年で大きく様変わりをしていて、資料館にあった説明では2015年まで大規模な整備計画があるらしい。広場の直ぐ隣の畑を歩いてみる。網目模様のある土器を見つけた。あるじゃないか。俄然元気が出る。その下のほうの畑に降りたならばもっと下の地層になるだろう。そうしたら土器はもっと見つかるかもしれない。探してみる。現代の酒壺の欠片しかない。土器探しに夢中になってあっという間に1時間以上経った。北側の丘の上から資料館のあたりを写す。いわゆる微高地の丘の上が遺跡になっているのが分かる。資料館は無料だけれども遺物はほとんどない(無人であった。事務室には誰もいなかった)。ただし、いろいろと解説はしていた。初めて知ったのであるが、この資料館の周りは遺跡のほんの一部であって、実際は丘に沿ってずっと広がっているらしい。しかもこの遺跡には丸い住居だけでなく2つの形があった。方形の建物とくの字型の建物である。だとすると、弥生黎明期に来た渡来人はなぜ丸い建物しか採用しなかったのかという疑問が新たにわいてくる。もう下を向いて土器を探すのが習慣になってしまった。ところが土器を水道で洗ってみると、どの土器も高熱処理された土器で、どうみても紀元前の土器じゃない。今日は土器は諦める。ふと見ると帰りのバスが帰っていった。午前10:45。時間表を見ると、うっかりしていたが、このあと13時30分以降にならないと通らない。しかたない。ゆっくりすることにする。本当は午前中で切り上げて光州を回ろうと思っていたのだが、予定を簡単に変えるところが私の旅である。直ぐ近くに山直里支石墓の案内があったので、歩いて行ってみよう。
2011年09月27日
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関東圏の皆さん、今日はどのようなことが起きているかご存知でしょうか。もちろん、上関町長選は気になります。祝島の山戸貞夫(上関原発反対の会会長)さんの当選を祈りたい。(今さっき結果が出ました。残念です)けれども、関東圏の皆さん、今日横須賀で重大な集会があったことはご存知だったでしょうか。「原発ゼロへ、原子力空母はいらない 9.25横須賀集会」というものです。これはおそらくマスコミから全く無視されるでしょう。実際は4600人集めて割りと規模の大きい反原発集会を行ったにも拘らず、です。「原発」、というタブーに加えてここに「反米」というタブーが入っているからです。けれども、首都圏の人たち(日本国民も)は、福島、浜岡以上に反横須賀をスローガンに上げなくてはならない。もう「知らなかった」という言い訳は言い訳でしかなかった、というのはこの六ヶ月の教訓です。9月15日付け「平和新聞」より、その危険性を紹介したい。原子力軍艦もゼロへ原子力空母メルトダウンしたら……がんによる死者数は少なく見積もって24-34万人。横須賀で原子力空母の重大事故が発生した場合の被害を、NPO「原子力情報資料室」が2006年に予測しました。冷却系の故障で炉心がメルトダウン、格納容器の圧力上昇を抑えることが出来ず、ついに破裂、大量の放射能が環境にばら撒かれる、という想定です。原子力空母ジョージ・ワシントンには加圧水型の軽水炉が2基搭載され、その出力は福島第一原発の一号機に匹敵するといわれています。炉心の冷却が出来なければ、福島第一原発と同様にメルトダウンを起し、重大事故に発展する可能性があります。3月11日の震災当日、ジョージ・ワシントンは定期修理のため横須賀基地に停泊していました。その時の様子を乗組員がこう証言しています。「大きな揺れの後、すぐ水位計をチェックしたところ、6フィート(183センチ)も下がっていた。」(米軍準機関紙「星条旗」3月11日電子版)空母が停泊する埠頭の水深は15m。空母の喫水(船体が水中に沈む深さ)は12mなので、その差は3mしかありません。もしもっと大きな引き波が来ていたら、艦底が海底についていたかもしれません。そうなれば、冷却水用の海水を取り込めなくなり、炉心冷却が出来なくなる可能性があります。横須賀のある三浦半島には活断層が密集しており、30年以内に6-11%の確率でM7クラスの地震が発生するといわれています。神奈川県安全防災局も、このクラスの地震が発生した場合、横須賀港で引き波で最大4.6m海面が下がり、船底が海底について座礁・転覆する恐れがあると指摘しています。(09年「地震被害想定調査報告書」)関東大震災(M7.9)では、横須賀港に停泊していた日本海軍の戦艦三笠が、激震で艦底が大破し、浸水。沈没寸前の大きな被害を受けました。停泊中の原子力空母は原子炉の運転を停止しているため、炉心を冷却するためのポンプなどは外部電力によって動かします。横須賀基地には発電所もありますが、地震や津波により倒壊・故障すれば、福島第一原発と同様、電源喪失の危険性があります。これに対し、米政府は今年4月18日に日本政府に提出した「米原子力艦船の安全性に関する口上書」のなかで、次のように説明し、電源喪失のためのメルトダウンは起こらないと強調しています。「米海軍の原子炉は、福島第一原発の原子炉と異なり、電力に依存することなく、原子炉の物理的構造と水自身の特性(比重差によって生じる自然対流)のみによって、炉心を冷却できる崩壊熱除去能力を有している」しかし、この冷却システムが具体的にどのような構造になっているのかについては、「軍事機密」を理由に公表していません。これでは、日本側で独自に安全性を検証することは出来ません。原子力艦船の原子炉に対して日本政府の規制は一切及ばず、「治外法権」になっているのです。米政府は「原子力軍艦は、50年以上、一度たりとも原子炉事故や人の健康を害し、または海洋生物や環境に悪影響を及ぼすような放射能の放出を経験することなく、安全に運行してきた」(前口上書)と述べています。しかし、実際には、原子力空母だけ見ても▽ニミッツ冷却水漏れ(1979)▽エンタープライズ座礁(83)▽エンタープライズ、造船所で冷却水漏れ事故を起して作業員9人が汚染(92)▽エンタープライズ、原子炉火災で放射能漏れ(94)▽ステニス、座礁して海水の取水口から腹水器に泥が入り込み、原子炉が二基とも緊急停止(99)▽ジョージ・ワシントン、船内80区画に及ぶ火災(08)―など多くの重大事故を起してきました。米原子力艦船の原子炉は原発とは異なり、数十年間燃料交換を行わなくてすむように設計されているといいます。つまり、それだけ多くの核分裂生成物を原子炉内に抱え込んでいるのです。それらがメルトダウンし、環境に放出されることになれば、原発事故以上に深刻な被害をもたらす危険性があります。米政府は「軍事機密」を理由に原子力艦船に関する情報を提供せず、一方的に「安全神話」を押し付けています。これに対し、日本政府も「米政府が安全といっているから安全」という無責任な態度に終始しています。国民の命や安全よりも、日米同盟を優先しているからです。こうした政治を変え、ジョージ・ワシントンの母港を撤回させ、あらゆる原子力艦船の入港を禁止させない限り、私たちの命や安全を守ることは出来ません。この図は、横須賀に福島原発事故による放射能汚染図を重ねたものです。濃い緑が毎時1マイクロシーベルト以上になります。青色は0.2-0.5マイクロシーベルトです。天候と風向きと地形次第では、簡単に静岡県、山梨県、東京都、埼玉県、千葉県、茨城県がその汚染地域に入ってしまうことは、既に我々は経験すみです。首都圏4000万人はこんなに危険極まりない「動く原子炉」を許していいのか。知らないで居ていいのか。
2011年09月25日
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「グラスホッパー」伊坂幸太郎比与子は、無知な生徒に社会の仕組みを教えるかのような、丁寧な口調になった。「例えばさ、昔、どっかの銀行が潰れたじゃない」「どっかのね」「それが結局、何兆円もの税金をつぎ込んで、救われているわけ」「それが?」そもそもこれは何の話だっか、と見失いそうになる。「そうじゃなかったら、あれ、雇用保険ってあるでしょ。会社員が納めてるやつ。あれのうち、何百億円も、無駄な建物の建設に使われているって知ってた?」「ニュースで聞いたかも」「何百億円もかけて赤字しか出さない無駄な建物を造ってるわけ。変でしょ。そのくせ、雇用保険の財源が足りないって言うんだから、腹が立つと思わない?」「腹はたつけど」「それなのにさ、そういう無駄遣いをさせた奴は罰せられない。何百億円、何兆円の税金を捨てても怒られない。おかしいでしょ。なぜだか分る?」「国民が優しいから?」「偉い奴らが黙認しているからだって」比与子は人差し指を立てた。「世の中は、善悪じゃないんだから。ルールを決めているのは、偉い奴らでしょ。そいつらに保護されちゃえば、全部問題ないってこと。」(略)伊坂の面白さは、一見何のつながりもないようなこのような会話から、物語が端緒が生まれるところだったり、切れ味鋭い社会批評が聞けるところだったりするところではある。最初は、このような「偉い奴」が表のルールで跋扈する社会の中で、裏で彼らを始末する「闇の仕掛け人」の話かと思った。自殺をさせる「鯨」、ナイフの名人「蝉」、交通事故で人を殺す「押し屋」が、次第と連帯を見せて、「鈴木」さんを狂言回しにし、てやがて「巨悪を倒す」話なのかと思った。ところが、現代では「仕掛け人」なんて流行らないんだとばかりに殺し屋同士が殺しあう話になったのであった。殺伐とした現代、グラスホッパーとはバッタのことだ。バッタも都会のように密集で生きるようになると凶暴な「イナゴ」に変化することが物語の中で述べられる。この作品の発行は2004年だ。伊坂の社会を見る目は「まっとう」だと思う。一方では、伊坂はけっして社会をどうこうしようとは書かない。闇の仕掛け人を活躍させて、せめて庶民に憂さは晴らせるような方向も、目指さない。伊坂が描くのは、結局社会の巨悪を説明しても「(見逃すのは)国民が優しいから」と呟いてしまう鈴木さんのような庶民の右往左往と、殺された可愛い奥さんのために命をも投げ出す鈴木さんの「愚かで小さな決意」なのである。伊坂作品で、鈴木さんが生き残るのは偶然じゃない。それこそが伊坂幸太郎の「小さな決意」だと思う。
2011年09月24日
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楊令伝(4(雷霆の章))著者:北方謙三楽天ブックスで詳細を見る「なんだったのでしょう、史進殿?」花飛麟がそう訊いたのは、宮殿を出てからだった。「さあな。国とはこの程度のものだ、と楊令殿は、俺たちに見せたのかもしれん」第四巻は、いままでとは打って変わって、大きな戦いが立て続けに起きる。けれども、なんだか満足度が少ないのはおそらく私だけではない。梁山泊の戦い自体が少ないのである。宋対梁山泊という単純な戦いだった前シリーズとは違い、今回は複雑な様相を示している。南では宋禁軍童貫対宗教反乱方臘との戦い。北では禁軍の趙安対燕国を建てようとする耶律大石たちとの戦い、そして金国と絡んだ楊令が入っていく。梁山泊が絡んだときだけ、すぱっと気持ちのいい読後感がある。ほかの戦いは仕方ないけど、どろどろとしている。思惑が入り乱れ、金国でクーデターを起そうとした企みを、楊令はあっという間に沈めていく。その政変の決着を部外者であるはずの花飛麟たちが眺めるということも起こる。そして冒頭の呟きにつながるのである。もう、戦いに勝てばいい、というような物語ではないのだと、著者は私たちに見せたのかもしれない。花飛麟は成長しているだろうな、とは思っていたけれどもまぶしいくらいにいい男になった。堅物の花飛麟をからかう史進が面白い。また、子午山メンバーが二度集まってしんみりするところも今回の見所ではある。もう出て来ないと思っていたが、案外新しいキャラも次々と出てきており、前回の英傑たちの人数に迫ってきた。あたらしい将校の穆凌を評して公孫勝が楊雄を思い出し、しみじみというのだ。「黙々と、ただ自分のなすべきことをやる。腕が立つことも、人に知られようとせず、ひたすら致死軍で働いた。働いたことについて称賛を求めることもせず、私の眼から見て充分な働きをしたが、名を残すことなく、同志の胸になにか刻み付けることもなく、死んでいった」著者はあっさりと死なせてしまった梁山泊の英傑たちにこのように一人づつ、言葉の勲章を与え、同時に穆凌の紹介も果たしてしまった。あっという間に読んでしまった。また、一ヶ月が長い。
2011年09月23日
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「新世界より」(下)貴志裕介 講談社物語は後半になって、さらにスピードアップする。そして主人公たちの命を懸けた冒険があって、大きな悲劇があって、切ない真相があって、意外な(私にとっては想定内の)真相があって、静かな余韻を持って終る、つまりはエンタメなSF大叙事詩であった。一応、この一千ページを超える小説の一番最後のセンテンスを書き記す。この手記は、当初の予定通り、原本と複写二部をタイムカプセルに入れ、地中深く埋めることにする。そのほかに、ミノシロモドキにスキャンさせて、千年後に初めて公開できるような手段を講じるつもりだ。わたしたちは、はたして変わることができたのだろうか。今から千年後に、あなたが、これを読んでいるとしたら、その答を知っていることだろう。願わくば、その答えがイエスでありますように。 245年12月1日。 渡辺早季蛇足かもしれないが、最後に全人学級の壁には貼られていた標語を、ここに記しておきたい。想像力こそが、すべてを変える。ここにある「想像力」とは、本来は「呪力(超能力)をコントロールする力」ということを意味しているだろう。しかし、作者が言いたかったことは、おそらく別のことである。つまり「私がここまでの世界を想像力ひとつで作って見せた。ぜひみんなも続いておくれ」という意味なのだろう。「人は実現可能なことしか想像することはできない」と言ったのはマルクスだったか。だから私は想像してみる。早季はなにを変えようとしていたのか。早季の世界では、日本はわずかに9つの小さな村しか残っていなかった。彼女はこの村通しの交流組織を作ろうとしていた。そしてその足かせになる遺伝子レベルまでに組み込んだ攻撃抑制と愧死機構(同属の人間を殺す気持ちも起こさないし、もし間違って殺してしまうと自分も死んでしまうという究極の殺人抑止機能)を捨てるという決断をしようとしていた。その結果、この1000年の間に起きた超能力者通しの支配関係と戦争の時代がまた起きるかもしれないということを覚悟しつつも、だ。小説を読んでいない人にはわかりにくいが、結局人間は自分たちの「生」に「鎖」をつけて生きていただけなのである。それはあらゆるところで矛盾を起こしていた。それが結局は、この小説の内容だった。これを捨てることは非常に危険な賭けだ。しかし捨てることで、人類はどこへでもいける「自由」を持つことが出来る。つまらない「地球の支配」などには目もくれず、もしかしたら「宇宙開発」にやっと本格的に進出するかもしれない。早季と覚はこのような言葉を交わす。「ときどき、呪力は、人間に何の恩恵も与えなかったんじゃないかって、思うことがあるわ。サイコ・バスター入りの十字架を作った人間が書いていたみたいに、悪魔からの贈り物だったのかもしれないって」「僕は、そうは思わない」覚はきっぱりと首を振った。「呪力は、宇宙の根源に迫る神の力なんだよ。人間は、長い進化を経た末に、ようやく、この高みに達したんだ。最初は、確かに身の丈にそぐわない力だったかもしれない。でも、最近になって、やっと、この力と共存できるようになってきたんだ」この二人の会話は象徴的である。呪力は1000年の間に人類の人口の九割以上が死滅するという大惨事を起こす。その過程で自らを縛ったのが、攻撃抑制と愧死機構であった。一方、呪力はエネルギー保存の法則が基本的に通用しない。達人になれば、呪力が持つエネルギーは基本無限大である。良く分からないが、作者は呪力をブラックホールとホワイトホールの関係のように捉えている節がある。そうだとすれば、ヘタをするとひとりの呪力の暴走で地球が滅亡することもありうるだろう。一方、これをきちんとコントロールすれば、人類は宇宙で大活躍が出来るかもしれない。この「力」は、きちんとコントロールさえすれば、たった一人で全地球を賄うくらいのエネルギーが出るので、エネルギー問題は解決だ、しかし、原発の安全神話が嘘っぱちだったように、「この高みに達した」かどうかはよっぽど疑ってかからねばならない。いや、「指輪物語」のように、それを棄てる「知恵」も持たなくてはならないのかもしれない。その覚悟を持つことが、が3.11以降の「人類の義務」だと思う。わたしたちは、はたして変わることができたのだろうか。今から千年後に、あなたが、これを読んでいるとしたら、その答を知っていることだろう。願わくば、その答えがイエスでありますように。
2011年09月21日
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青春18切符の最後の切符を使って、9月10日、奈良県桜井市纒向遺跡に出かけた。近鉄桜井駅に着いたのが12時前。先ずは桜井埋蔵文化センターに出かける。博物館で情報を得るのが私の古代を巡る旅のスタイルである。バスで近くまで行く。埋蔵文化センターのすぐ側に「金海吉キメキチ」という焼肉屋があった。キンカイと読まずにキメと読んでいるのが気に入って中に入った。750円の焼肉ランチ。味はたいしたことなかったけど、お茶碗とお箸が金属器になっていて本格的だった。流石に地元である。去年発表されて話題になった四棟の掘立柱建物群の遺物がきちんと展示されていた。これは遺跡近くで発見された大量の桃の種である。NHKと共同で作った模型も展示されていた。どうやら、この建物三世紀の前半に建てられ、中ごろには既に柱材の抜き取りが行われていたようで、移転廃絶したと考えられている。たった30-40年ほどで移転するものだろうか。この掘立柱建物は19.2m×12.4mの規模に復元できる。当時としては国内最大の規模らしい。模型を見る限りでは、古代の神社の原型に見える。中国、朝鮮の影響はどうだったのか、次々と疑問が起きた。面白かったのは、その他の古墳を含めて箸墓が作られた当時の纒向の地域模型もあったということ。所謂微高地に掘立建物があったとすると、次ぎに建物群が出てくるとすると、隣の微高地か。せっかくここまで来たので三輪ソーメンを食べてみた。ソーメンの中で三輪ソーメンは高級品だが、良く分かった。今まで食べた中で一番細かった。ここから聖なる山、三輪山がよく見える。お盆を伏せたような形のいい山である。ソーメン屋から少し歩くと箸墓古墳が見え出す。この地方ではひときわ大きい。どこからでも見える。ずーとシンボル的存在だったことは確かだ。埋蔵センターで纏向遺跡マップはゲットした。大塚古墳の直ぐ南隣の変哲もない溝であるが、ここで注目すべき弧帯石が発見されている。この模様が吉備の特殊器台の直弧文と同じなのである。箸墓からも特殊器台が発見されているし、いよいよ吉備と纒向の祭祀を巡っての関係性が非常に重要である。この辺りは、箸墓に先行する前方後円墳もどきが林立している地域である。箸墓が三世紀後半に築造されたとするならば、大塚も三世紀後半。この纒向小学校となりの矢塚古墳は三世紀中ごろである。唯一周濠が確認される勝山古墳は三世紀前半か後半まだ諸説あるらしい。築造時期が三世紀初頭だと見られている日本最古の古墳は墳丘が削られて今は見ることができない。纒向石塚古墳である。この地域からずっと纒向の東端を眺める。山すそ辺りまでが纏向遺跡だ。丁寧な土器採集で確定した広さである。これが大体の纏向遺跡の大きさだと思われる。ゆっくり歩いて1時間。走って、20分で突っ切ることが出来る、日本最古の都市である。この広さが狭いと感じるか、広いと感じるか。ともかく歩いて、纒向遺跡を肌で感じるという私の目標は達成されたと思う。巻向駅横の建物群が発掘された広場にはやっぱり行かないとね。この広場から綺麗に三輪山が見える。そして南側に真正面に箸墓古墳が見える。横から見ると、後円部が異常に高い初期古墳の特徴が良く分かる。これと同じ設計の前方後円墳が直ぐに全国に出来始める。誰が埋葬されていようと、古墳時代の幕開けを告げる重要な古墳なのである。巻向から桜井駅まで行って、そこから歩いて桜井茶臼山古墳を探した。去年の墳丘発掘の説明会にいけなかったので、今日はぜひとも行きたかったのだ。標識がなくて少し迷ったけど、なんとかたどり着く。竪穴式石槨墓で朱をふんだん使った四世紀の纒向の王墓である。その重要さに比較してあまりにも整備されていない印象を持った。夕暮れが迫っている。もう帰ろう。近鉄線からJRに連絡するのは鶴橋駅である。ここで途中下車して、アジョッシという焼肉屋でカルビクッパを食べた。キムチは付いてこないし、始めからご飯は入っているし、850円と高いし、あまり辛くないけど、具沢山で肉厚のカルビが入っていて、美味しかった。この日も帰宅は12時を過ぎた。総歩数は23293歩であった。
2011年09月19日
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「日本人と弥生人」松下孝幸 祥伝社この前の旅で土井が浜ミュージアムで様々な啓示を受けたため、もっと知りたいと関連本を買ったわけです。松下孝幸さんは館長です。専門は考古学ではなくて、形質人類学者である。ずっと考古学の本ばかり読んできた身にとって人類学が考古学の隣にいることを失念していました。本人は自らのことを「骨屋」と呼んでいる。もちろん誇りを持っていっている。「骨は美しい」のだそうだ。骨屋からみると、日本人や人類のいろんな面が見えてくる。ちょっと前までは顔の長い日本人は稀だった。だから、そのいい例として藤田まことさんのことをあげている。彼のデビュー時、「てなもんや三度笠」の売りは藤田まことの「顔の長さ」だった。しかし、晩年彼の顔の長さが話題になることはなかった。彼が変わったのではない。「はぐれ刑事純情派」に共演する真野あずさも充分馬面ではあるが、そういう顔は約15年間で普通になった。人骨で男女の性差を見極めるのは何処か。もちろん骨盤があれば一発だ。しかし、それ以外では頭蓋だという。眉毛の辺り、男性はこの部分が隆起していることが多い。またおでこが男性は鼻の付け根のところから後ろに向かって折れている。女性の場合は前頭部が膨らんでいる。これは子供も同じで、要するに女性は大人になっても頭の形が変わらないのだそうだ。また、全般的に女性の骨は角が取れて丸く、女性は骨になっても優しいのだそうだ。年齢は意外にも頭蓋の縫合の部分である。一般に頭は15種23個の骨からできている。縫合は年齢と共に癒合していって閉鎖してしまう。その閉鎖の度合いにおいて、壮年、熟年、老年という感じに分類するのだそうだ。身長はどうするのか。全部の骨が残っていなくても、大腿骨から身長を測る「計算式」があるのである。死因の判定はどうか。残念ながらすべての死因はわからない。外傷や病気の痕跡、例えば脊椎カリエス、骨膜炎、梅毒、ハンセン病などである。将来はわからないといっている。私が一番聞きたかった部分では、DNA鑑定で親族関係がわかるのかどうか、ということであるが、この本の出版時94年ではそれは「将来の課題」ということになっていた。その他興味深いところでは、奈良・平安時代、人骨どころか墓地さえ見つかっていない。もしかしたら、奈良・平安時代は一般人は墓を作らなかったのではないか、ということだ。野垂れ死にみたいに「ほって置く」というのは考えにくいが「ほかに説明の仕様がない」のだそうだ。朝鮮半島だけでない、大陸から船で人が渡ってきたのは充分にありうると著者は言う。「実際には本の数日、長くても一週間ぐらい辛抱すればあっさりと日本についてしまっている」だからベトナムからの難民ピープルは水分補給としてスイカを積んでいたそうである。今回、北朝鮮からの脱北者は簡易エンジンがあったにせよ、5日で日本近海に着いた。風を読む知恵と度胸さえあれば、大掛かりな船がなくても大陸にはいけたし、来れた。そのことはやはり重要だろう。ただし、中国人の骨と縄文人の骨の相関関係は「ない」のだそうだ。著者も頭を抱えている。
2011年09月18日
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八月に見た映画の紹介が大変遅れました。例によって五点満点の星の数で評価も入れています。8月5日 「祝の島」★★★☆8月11日 「ゴッドファーザー2」★★★★☆ 「トランスフォーマー3」★★★8月13日 「ツリー・オブ・ライフ」★★★☆8月15日 「一枚のハガキ」★★★★8月18日 「カーズ2」★★★☆ 「モールス」★★★☆8月22日 「風とともに去りぬ」★★★★8月25日 「シャンハイ」★★★★
2011年09月17日
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「新世界より」(上) 貴志祐介 講談社上巻だけでも498ページ、1000年後の未来の日本、利根川の近くに住む少年少女たちの話である。ひとりの少女が大人になり、自分たちの若いころの話を小説という型式で後世に残そうという試みの体裁になっている。彼等は呪術という「超能力」を使える。なぜか結界の外に出てはいけないことになっている。幾つかの謎が上巻で語られ、次第とスピードアップしていくエンタメ作品である。日本SF大賞受賞。少女たちが、私たちが古代という時代もひっくるめて現代を「古代」と呼んでいるのが、なんかおかしい。大きな断絶があるのと同時に、幾つかの地名や固有名詞はそのまま引き継がれており、連続もある。その辺りのさじ加減がぞくぞくする。設定は全く違うのであるが、この「世界」が原発事故後の日本のように思えて仕方ない。一番重要な仕事としての「子供たちの教育」「管理された世界」「外の世界の異様性」。下巻が楽しみである。
2011年09月16日
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今日の私の呟きKUMA0504 くま この記事を読んで学生のモザルハザードは消滅をしたと思った。 @就職したい企業ランキング 1位は東京電力 kyoko-np.net/2011091501.html学生のコメントは以下の通り。 東京電力を第1希望に挙げた男子学生(21)は「原発事故が起きた当初は、賠償金がかさんで倒産するだろうと、興味が沸かなかったが、ここまでやらかしてもまだ社員にボーナスを支払っていると聞いて、そのゾンビ並みの経営体力に感心した。下請け企業を奴隷のように扱えるのも、就活を勝ち抜いた『勝ち組』としての優越感をくすぐって魅力的」と話す。 また他の学生からは「『DASH村を返せ』など、時期的にまだ批判が集中しているのは知っているが、数年以内に収まるので心配していない。日本人は熱しやすく冷めやすいので、長い目で見れば優良な就職先であることに変わりはない」との声も聞かれた。と、思って今さっきよくよく読んでみたら、産経新聞じゃなくて「恐慌新聞」じゃない「虚構新聞」でした。すっかりだまされてしまった(だって、本当によく出来ているサイトなんですよ)。でもありうると思った私が恐ろしい。ちなみにこれは @tosa_suigeiさんがつくった東京電力を巡る関係図解のようです。私たちはこのことをずっと「原子力ムラ」と表現してきましたが、ここでは「ジャパン・ニュークリア・シンジケート」と表現しています。確かにムラというは、おとなしすぎたのかもしれません。これは「シンジケート」として犯罪として告発すべきなのだろうと思います。一方、ムラという表現の中に日本らしい構造関係が隠れているようで、捨て難いものがあります。どちらがいいのでしょうかね。
2011年09月15日
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」「遺作集 花見川のハック」稲見一良 角川文庫かつてこの著者の「セントメリーのリボン」を私は年間ベストワンに推したことがある。それほどまでに、彼が書く小説は衝撃的だった。今回、ネット販売で古本を手に入れることが出来ると知り、三冊ほど買い込んだ。これで生涯著作全六冊のうち五冊まで読むことが出来る。稲見一良(いなみいつら)、1931年大阪生まれ。テレビCF、記録映画の記録製作などに携わり、84年肝臓がんの宣告を受けてのち、本格的執筆活動に入る。91年「ダック・コール」で山本周五郎賞を受賞。他著に「男は旗」「ダブルオー・バック」「ソー・ザップ」など。94年逝去。稲見一良は10年生きた。何度も手術を繰返しながら、最後のほうの「鳥」などは原稿用紙一枚、ほとんど「詩」である。それでも男として生き切った。その足跡に痺れたのだと思う。最初の頃は正調ハードボイルドで、絶望的に終わるのが多かったという。ところが、私の読んだのはそこから転調した頃の作品だったと思う。ベースにハードボイルドをおきながら、内容を大人のファンタジーに変えているのである。この短編集は最晩年の短編ばかりを集めている。本来ならば、もっと膨らませて長編なり、中篇なりにすべきプロットが、短いセンテンスのいかにもハードボイルドっぽい文章でまとめられている。そして私たちを最後のページで飛翔させておわるのである。「オクラホマキッド」は、映画好きという共通事項で知り合った孤児のような少年と金持ちの老作家の交友が、ふとしたキッカケで「自衛隊から戦闘機を盗もう」という遊び心を持つようになり、それを真剣に実行に移す話だ。戦闘機はまんまと盗み出す。もちろん現実では、そのまま済む話ではない。けれどもこの短編は最後の一行でそれをファンタジーと化してしまった。「可音、オクラホマに行くぞ」「花見川のハック」はその可音をそのまま10歳の少年のハックとして登場させ、花見川を遊び場とする話である。川沿いにつくる秘密の隠れ家。アヤメとの出会い。花見川の自然があくまでも具体的で、綿密なものだから最後の文字とおり「飛翔」が切ない。「煙」はその花見川で、狩猟解禁の日にカモやコジュケイを撃ちに来た父子の姿をえんえんと写す。秋の早朝、父は息子に狩猟の礼儀、タイミング、取った鳥のさばき方等の技術を見せて、銃は息子に受け継がれることなどを示唆し、とづぜん最後の数行に移る。 パパはそれから10年生きた。再発を繰返して、三度腹と胸を切った。 パパは衰弱しきった顔でぼくを見つめながら、「ああおもしろかった」と一言言って死んだ。著者は死ぬ当日の朝、娘さんに「煙」を読んで聴かせて欲しいと頼んだそうだ。ストーリーがストーリーだけに、声をつまらせ読むことが出来なかったという。 見事なハードボイルドだったと思う。見事なファンタジーだったと思う。
2011年09月14日
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9月11日は岡山で「原発ゼロをめざす9.11県民集会」に参加しました。とはいっても、会場にたどり着くと、県総合福祉会館の一階ホールは臨時の椅子を足しても既に満杯で立ち見が出て、入り口には入りきれない人人人。よく集会に使われるホールなのですが、こんなに人が集まったのは私の経験では初めてです。500人で満杯のところ、650人参加したようです。なお、今さっき岩上安身さんが動画を配信してくれたようです。【IWJ岡山】 昨日行われた、「原発ゼロをめざす9.11岡山県民集会」を録画配信中です。写真家の郡山総一郎氏講演など。参加者は650名を超えたそうです。ぜひご覧ください。 (#IWJ_OKAYAMA1 live atbit.ly/mdbpKz)何かが変わりつつあります。写真家の郡山総一郎さんが福島を撮ってきた写真を見せながら講演をし、二人の福島から岡山に避難してきた人の発言がある予定なのですが、入り口辺りに立っていても全然聞こえません。集会のあと、岡山では珍しいサウンドデモ等、それぞれが創意工夫を凝らしたデモがある予定だったのですが、私は用事があって結局途中で出て行きました。この日は、全国各地で反原発デモが行われたようです。けれども東京では逮捕者も出たようです。今日のツイッターから幾つか。mkimpo_kid kame 「9.11 新宿・原発やめろデモ!」の写真、まとめた。64枚。ちょっと多すぎたか。読売・産経のデマ記事によれば、逮捕は公安条例違反で1名、公妨で11名だそうだけど、救援会ってどうなってんのかな。 http://www.mkimpo.com/diary/2011/no_nukes_11-09-11.html http://pic.twitter.com/h50rgju9月12日 kou_1970 鈴木 耕 デモは自由なはず。それが「一度隊列に入ったら、隊列から出てはいけない」「一度隊列から離れたら、もうデモに加わってはいけない」。こんなことがなぜ許されるのか。今回の警察のデモ警備は、明らかに度を越したやり方だ。9月12日 Entelchen Entelchen Quakelmann 日本の警察は、反原発デモが気安く参加できる「楽しいイベント化」しないために、小グループに分裂させたり、理由なく逮捕者を出したりしているとドイツTAZ紙が報告しています http://www.taz.de/Sechs-Monate-nach-Fukushima/!77803/9月10日今回のデモでは、ホントに普通の市民が逮捕されたようです。狙いはドイツTAZ紙の通りでしょう。けれども、警察(公安か)はまだまだ昔の感覚です。「左翼は怖い」「デモする人は怖い」という感覚を持った人は過去のものにいつの間にかなっている。yamaneko_strike 山猫 柄谷行人「デモで社会を変えられるのか?とよく聞かれるが、“確実にできる”と私は答える。なぜか。デモをすることでデモをする社会をつくれるから。3月以前に日本では沖縄を除いてデモらしいデモはなかった。しかし今日も全国100ヶ所くらいでデモが起きている。日本の社会は少しは変わったのだ」9月11日 柄谷さんの意見には、異論があります。「3月以前に日本では沖縄を除いてデモらしいデモはなかった」というのは、彼がマスコミに汚染されて街中に出ていない証拠です。イラク戦争前はそれこそ全国的に今回に匹敵するデモも起こりました。そしてこの10年間、数万人規模のデモは東京では年数回はあったはずです。けれども、「日本の社会は少し変わった」というのには同意します。いや、変わりつつある。まだまだこれは「序の口」なのだから。一方、宮崎駿も「Cut」9月号で述べているようですが、つどつど我々が言っていたのと同じ感想を持っているようです。miyasan_bot 宮さん(宮崎駿)bot 日本の軍閥時代の末期のあの愚かしさと、今回の原発利益集団の愚かしさがそっくりなんですよ。それに一番うん ざりしてます。「なんだ、旧軍の愚かさをもう1回原発村がやってるんだ」っていうね。 http://amzn.to/qG1L1d9月11日
2011年09月13日
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【送料無料】日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか著者は1950年生まれの哲学者である。釣りが好きらしく、田舎によく行っていたらしい。やがて群馬県の山村、上野村で東京と同じくらいの日数を過ごすことになる。そういう生活からひとつ気がついたことがあるらしい。1965年以降は、あれほどあったキツネにだまされたという話が、日本の社会から発生しなくなってしまう。それも全国ほぼ一斉にである。著者はその理由をことあるごとに山村の「かつてだまされた経験のある」人や「だまされたという話を人づてに聞いている」人から、聞いてみる。そして幾つかに分類してみせる。そこで浮かび上がるのは、単なる田舎の文明化とか、環境破壊だけにとどまらない、日本人の精神構造の変化を感じ取るのである。例えば著者は1965年の革命をこのように整理する。ひとつ、高度成長期の人間の変化である。「人間が経済的動物になった」「経済的価値があらゆる物を優先する価値になった」ひとつ、「科学の時代」に対する人間の変化。キツネにだまされるのが当たり前の話から迷信へと変わっていった。ひとつ、コミュニケーションの変化。電話とテレビである。情報は全国一律の、しかも時間差がなく伝えられるものになった。ひとつ、教育の向上と共に起こった村人の精神世界の変化。必ず「正解」があるような教育を人々が求めるようになったとき、「正解」も「誤り」もなく成立していた「知」が弱体化していった。ひとつ、死生観の変化があった。都市の様に死が個人のものになっていった。伝統的な死生観は、死ぬと魂は村にとどまる、という考えが薄れていった。その結果、響きあっていた自然、あるいは自然の生き物たちとの結びつきが変わったとしても、それは当然の結果であろう。ひとつ、自然観の変化自体があった。かつて日本では自然はジネンと発音されていた。(略)ジネンはオノズカラ、或いはオノズカラシカリという意味の言葉である。今日でも私たちは「自然とそうなった」とか「自然の成り行き」という表現を使うが、(略)自然に帰りたいという人々の伝統的な思いはシゼンに帰るということより、ジネンに帰る、つまりオノズカラの世界に帰りたいという思いだったということがわかる。オノズカラのままに生きたい、ということである。ここまでは、「人間のキツネにだまされる能力が衰弱した」という説である。ひとつ、キツネの側も変わったのかもしれない。1956年からは「拡大造林」という新しい形式が導入された。天然林を伐採し、跡地にスギ、ヒノキ、カラマツ、アカマツなどの苗木を植え、育成していくもので、この森の変化が「人をだますことの出来る」老ギツネが暮らせない時代を作りだした。焼畑も消滅した。野鼠や野うさぎを獲るために養殖ギツネが放牧されたことも影響しているかもしれない。おそらく、これらの説のすべてが「キツネにだまされることのなくなった」事の理由なのであろう。著者の論理展開は一部強引断定的なところがあり、私は全面的に賛成できないのだけど、先に人類学的に見て日本では史上類を見ない急速な骨格の変化がちょうどこの頃に起きていることからも、1965年を堺に全国的に「キツネにだまされる能力」を日本国民の共有的な能力として喪失したことに、私は同意するものである。実は、この本を読みながらしきりに、昔大学時代、常民文化研究会(民俗学研究会のようなもの)というサークルで民俗調査をしていたときのことを思い出していた。あのとき、1981年の夏のことだけど、ふと村人から「じつはね……」と教えられたことがサークル内では後々までに話題になったものである。「あの家はキツネつきの家だったんだよ」。そういうものが信じられていた時より、15年経っていた。ならば、そのような形で聞くことは充分にありえただろうと思うのである。また、あの村に行きたい(ホントは台風がなければ、行く予定だった)。しきりに思った。
2011年09月09日
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最近のリツィートから。 Eu_amo_futebol parco 酷い、この国は酷すぎる。二本松市の出産したての母子は一日中家で生活(朝6時~次の朝までで10マイクロ)1週間で64マイクロの被爆。年間3.3ミリシーベルト。年間許容量の3倍!byNHKETV特集ネットワークでつくる放射能汚染地図 3子どもたちを被ばくから守るために8月28日 fn23 fn23 「測定で分かるのは内部被爆のみ。行動記録を取ることがより重要。納得できる説明とあわせないと測定結果のみでは意味が無い。」木村真三准教授(獨協医科大学)【ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図(3)」】8月28日8月28日のNHKETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3」を録画で9月1日に見ました。思えば、この特集は十二分に政府の原子力行政を動かしていると思う。この特集の後に、やっと行政は所謂「ホットスポット」の大掛かりな調査を始めたのである。そういう意味では、おそらく、これからやっと、福島や二本松市の「内部被爆」の調査が始まるだろう(始めなければ、そこで行政は終わりだ)。しかしホント、酷い、この国は酷すぎる。 mandolinbum 館野公一 経団連の米倉会長、菅前首相と野田首相の違いを記者団から問われて、「首から上の質が違う」と言ったという。首と言っても頭のよさとか思想というのではなく、財界の言うことをよく聞く“首”がのっかった首相が欲しかっただけだろうな。>http://bit.ly/r8701O9月4日野田新首相は、なんと組閣前に何をしたかというと、歴代首相で初めて経済三団体を表敬訪問をした。そのときに経団連の米倉会長から「宿題のことはわかっていますよね」と釘を指されて愛想笑いをして帰ったらしい。宿題とは、消費税とTPPのことだとは、私でも分かる。この首相は明らかに国民や労働者のほうに顔を向けていない。そのことを改めて思った。TAKEDAmasahiro 竹田昌弘 東京新聞の社説によると、東電管内のこの夏の節電は中型の原発10基分。節電はコスト削減であり、空調の自動制御機器などを導入した企業は業績を改善した。実は、国内の照明すべてをLEDに置き換えると、原発13基分の電力が節約できるという。 http://p.tl/iSYc12時間前_SASAYAKI ささやきタロー 許せん。断じて許せん。 RT @F_Koujina: おはようございます。「しんぶん赤旗」8日付一面トップ「在日米軍犯罪・事故21万件 日本人1088人犠牲に 軍事が人権押しつぶす」 http://twitpic.com/6hh0l814時間前 chika_sara chikafujii 結局本音を言うまでに追い込まれたんだね。RT @monjukun きのうの読売さんの社説はショックだったなー…。「原子力は核兵器の材料になるプルトニウムが持てるからてばなしちゃダメ」ってハッキリ書いてあって。はぁ。けっきょく電気足りないとかも後づけの理由で、ホントは核兵器への13時間前 この読売の社説、なるほどねと先ず思う。そう思う自分がショックである。なぜこんな新聞が日本一の購買数を維持しているのか。私にはどうしても納得いかない。Eu_amo_futebol parco 【頑張れ!応援】映画「みつばちの羽音と地球の回転」に出演していた祝島の山戸さん町長選に立候補!(たかし君の父親ですね。) http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201109070140.html http://www.youtube.com/watch?v=_C6bYYYSSGE&feature=player_embedded この映画よかったら見てください。日本もまだまだ終わらねえっと思ったな。9月7日知らなかった。上関町長選は20日告知、25日投票らしい。地の利と人の利、カネの利はないけど、時の利はある。頑張れ。何か出来ないだろうか。
2011年09月08日
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【送料無料】詩のこころを読む第68刷改版「詩のこころを読む」茨木のり子 岩波ジュニア新書茨木のり子の評伝「清冽」を書いた著者が、評伝を書いた動機をこの本を読んだことと挙げていたので、探して読んでみた。優れた評伝にせよ、詩論にせよ、人や作品を紹介するということは自らを論じることに自然となっていくのだろうということを私は改めて感じた。「自分の思いを深く掘り下げていくと、井戸を掘るように掘り下げていくと、地下を流れる共通の水脈にぶちあたるように、全体に通じる普遍性に達します。それができたとき、はじめて表現の名に値するといえましょう。」彼女は言葉に出したことは、例えばこのような言葉は、必ず自らに厳しく課している言葉だろうと思えます。また彼女はこんなことも書いています。「詩は感情の領分に属していて、感情の奥底から発したものでなければ他人の心に達することはできません。どんなに上手にソツなく作られていても「死んでいる詩」というのがあって、無残な屍をさらすのは、感情の耕しかたがたりず、生きた花を咲かせられなかったためでしょう。」これは読む分には、なるほどと思うのですが、作り手にとっては、とってもとっても厳しい言葉です。もう私なんか、詩を創るのは止めようかと思ったくらいです。けれどもそのくらい厳しくなくては、詩人にはなれないのでしょう(私は素人なので自分で自分を許します(^^;)。彼女の紹介してくれた詩は総べて素晴らしいのですが、やっぱり人には好き嫌いというのがあって、私が気に入った詩は、高橋睦郎「鳩」、坂田寛夫「練習問題」、黒田三郎「夕方の三十分」、石川逸子「風」、岸田衿子「一生おなじ歌を 歌い続けるのは」、吉野弘「生命は」、河上肇「老後無事」、永瀬清子「悲しめる友よ」でした。そうそう、終章にひとつ、彼女は素敵な言葉を書いていました。「 これから先、いろんなことが科学的に解明されていくでしょうが、死後の世界のことはついにわからずじまいで最後まで残るでしょう。どんな敏腕なルポライターも、あの世からのルポを送ることはできません。想像力を働かせ、それぞれが、ただふみ迷うばかりです。 でも、どうやっても、たった一つだけ、わからないことがあるというのは、考えてみれば、素敵に素敵なことではないでしょうか。」
2011年09月07日
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「活動家一丁あがり!社会にモノ言うはじめの一歩」湯浅誠 一丁あがり実行委員会著 NHK出版新書この新書が出たのが、ちょうど震災直前だった。よって、まったく注目されないまま五ヶ月が過ぎている。ここには湯浅誠の『活動家論』が書かれている。それと同時に、NHKスペでも一度やったと思うが、もう三年目を迎えている湯浅たちが始めた「活動家一丁あがり!講座」の活動記録が残されている。会社人間に疑問を持った女の子、派遣切りされた青年、人工授精によって生まれた子供の声を伝えたいと明確な意思を持って講座に参加した女性、等々さまざまな『若者』が参加しているこの講座の内容よりも、彼らの『成長』がまぶしい。この本は注目されなかった。けれども、世の中は確実に「活動家」という意味の『転換』がなされているきがする。湯浅たちがこの講座を立ち上げた動機は、単純である。かって学生運動をしてきた年配の人たちは「今の若者はこんなにひどい目に遭っているのにデモのひとつも出来ない」と嘆く。しかし、若者たちはそのデモのやり方さえ知らないのである。だから、居酒屋で管を巻くこともできなくなった若者たちはネットにはけ口を求める、それさえも求められなくなったとき秋葉原事件が起きる。私は別に活動家じゃないけど、幸いデモ申請をしたことがある。する前とした後ではデモに対する認識がまったく変わった。この本はデモ申請マニュアルはまったくか書かれていないが、私の経験を少し書く。デモは多くは権力に対して『もの言う』行動である。もちろん憲法が保障する「発言する権利」である。だからそもそも、警察に申請に行くということさえ知らなかった。でも、デモは車道を占拠して歩く行動だから申請をしておかないと「違法」になってしまうのだ。先ずは地元警察の『交通課』に行くのである。親切な課長さんならば、丁寧に申請の仕方を教えてくれるだろう。お役所なので、書式に乗っ取ってひとつのミスも無く書かねばならない。けれどミスはたいていあるから、印鑑を持っていくのは必須である。ちょっとしたデモならば、数十人の警官が動員される。けれども、デモは無料である。いやあ、憲法ってすごいんだ、と思う瞬間である。ところが、ビラまきでたった30分街頭を利用するには何千円もお金が必要になるという矛盾にも、やがて気がつくのではあるが、それはまた別の話。課長さんが対応する。世間話の合間にデモする組織の様子それとなく訊いてくる。こちらも愛想よく応対しながら、大丈夫な情報だけは教えてあげる。警察と敵対していては、デモは出来ないからそれぐらいはサービスだ。びっくりするのは、デモ申請をして『それを許可する』のは警察ではないのだ。課長さんが「ちょっと待ってね」というので別室で待つ。課長さんが私の申請書をファックスをして許可を待つのは、その県(?)の『公安委員会』である。課長さんが電話を受けてまるで部下のようにぺこぺこしている。どうして公安がそんなにえらそーにしなくちゃならないのか、と私は思う。マスコミ対策は大切だ。マスコミには絶対こちらから情報を流す。マスコミがあっちから情報を拾って取材に来ることは絶対にない。記者クラブにチラシを置いてくるくらいはしておいたほうがいい。でも、取材にさえ来ない確率は高い。等々のことは、知っている人は知っているが、知らない人は発想さえもしない。そういう技術的なことはおそらくこの講座で出てくるに違いない。でもこの本はそれ以前のこととそれ以後のことを書いている。そもそも「活動家とは何か」「活動として何をしたいのか」「活動してどうだったか」。湯浅さんは「活動家」をこのように定義する。私は一言で言えば「場をつくる人」だと定義している。活動家といえば、デモ、ストライキ、集会、街宣……と、経験のない人は物騒に感じ、どうしても敬遠したくなる言葉を連想するだろうが、それらはすべて、場をつくり、場への参加を呼びかける行為にほかならない。その「場」とは、人々が受け容れられる場、立ち上がる力を身につける場、自由な意見交換が担保され、アイディアが湧き出す場だ。「活動家」という言葉を使いながら、そのイメージを変えようと思った。と、述べているように湯浅が「活動家」を名乗るのはかなり「自覚的」「戦略的」である。私は湯浅のこのような発想が大好きだ。この講座は、(当たり前だが)松下政経塾みたいな「活動家のエリートを育てる」塾ではない。みんなすこしづつ何かを掴み、卒業していく。かつて加藤周一は、日本社会の特徴を労働組合や政党など大きな社会批判組織は弱いが、一方では無数のコミュニティ組織があることの強みを指摘した。そして、それを活かす方法として「九条の会」を立ち上げた。日本には若者組等々の伝統もある。「活動家」はいつでも育つだろう。もうすこし「自覚的」になれば。
2011年09月05日
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この変哲もない写真は、昨日の夕方、18時40分の倉敷の風景である。街灯がつき始めた。空は曇っているが、夕方のわりには明るい。雨はちょうど止んだ。しかし、ちょうどこのとき、大型台風12号が真上にいたはずなのである。晴れの国岡山では、台風の直撃は生涯数えるほどしか起きてはいない。ましてや昼間のうちに真上を通るなんてことは、しかもそれが土曜日で一日中観察可能な日であったということは、もちろん初めての経験である。大変不謹慎だということは承知の上であるが、私はドキドキしながらずっと空を見ていた。この日は何処にも出かけず、一冊の分厚い小説を読破し、懸念の宿題をひとつ済ませた。で、結果は楽しみ(?)にしていた台風の目は現れず、このように比較的明るい曇り空が現れただけだった。ちょうどこのころ、岡山県下全域の多くのところで川の氾濫の恐れが出て(一部本当に氾濫して)、十何万人も避難勧告が出たばかりであった。幸いにも数十軒のの床上浸水があったくらいで、過去の直撃のときと比べたら被害は大きくはなかった。びっくりしたのは、倉敷地域すべてに「避難準備」の地域放送が流れたことである。大震災があって、自治体の災害に対する備えはどうやらギヤが一段上がっていたらしい。以下の本は、この日に読んだ小説ではなくて、楽しみにしていた「楊令伝」の三巻目。発売日翌日には買ってその翌日には読破していた。楊令伝(3(盤紆の章))著者:北方謙三価格:630円(税込、送料込)楽天ブックスで詳細を見る【内容情報】(「BOOK」データベースより)楊令は、幻王として金軍を率いながら、梁山泊の重装備部隊とも連携し、遼に侵攻した。呉用が潜入する江南では方臘の叛乱が拡大し、宋地方軍に大きな痛手を与えている。一方で聞煥章は、帝の悲願の地である燕雲十六州に、ある野望を抱いていた。ついに宋禁軍に出動の勅命が下り、童貫は岳飛を伴い江南へ出陣する。宋、遼、金国、方臘と入り乱れての闘いの火蓋が切られた。楊令伝、擾乱の第三巻。「これより、梁山泊の頭領となる。すべての同志を、わが血肉としよう、わが心としよう、わが命としよう。そして、宋と闘おう。かつての戦いで死んでいった、ひとりの同志の血も、無駄にはすまい。一度だけここで頼む。ともに、闘ってくれ」ついに楊令が宋江より受け継いだ替天行道の旗を掲げた。私も身体が震えた。「楊令伝」明らかにギヤが一段チェンジされている。まだまだ、童貫は最強で宋との戦いは永遠に続くかのようではあるのだが、最初のほうから楊令は「国つくり」を視野に入れているのである。一方、宗教を利用して方臘の乱が描写される。この方臘もなかなかの人物で、「あの」呉用がすこしづつ惹かれて行くのだ。この行方も楽しみである。 方臘の言っていることが、ある意味では正論だと、呉用は認めざるを得なかった。自ら戦おうと決意した人間は、みんなそれなりの道理を持っている。度人と替天行道のどこが違うのだ、という問いかけが襲ってきたのは一再ではなかった。 最後に持つものは権力。その生臭さは、むしろ方臘のほうが率直に出している。という気がしないでもないのだ。「考え込むのはやめにせよ、趙仁。はじめてしまったことを、悔むな。国などというものは、できる時にはできるのだ。殺戮の果てであろうと、無血であろうと、同じことだ。人の愚かさが、積み重なって国になる」
2011年09月04日
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土井が浜遺跡広場には住居復元や古代ハスなどが作られていた。私は近所のおじさんから昼食ができる食堂の場所を教えてもらっていた。行ってみると、案外混んでいた。私は和定食(1260円)を頼んだ。この旅最大の食費であるが、何か思い出が欲しかったのである。期待は裏切られなかった。地元の魚をふんだんに使った最高に美味しい刺身定食だった。バスは時間通りにやってきた。おばあちゃんとバスの運転手の会話がのどかでなかなかいいです。電車も時間通りにやってきた(当たり前か)。乗ってしばらくすると、私は土井が浜ミュージアムの職員が「下関考古博物館にはきちんとした土器変遷が展示されている」と言っていたのを思い出し、もしかしたら寄ることが出来るのではないかと考え出していた。要は途中下車した後、大幅に帰るのが遅くなればいいのだ。倉敷のバスの最終を電車の中で確認をする。携帯のヤフーでバス会社の電話番号を調べるのに手間取った。最終電車は11時だ。夕食は広島駅で途中下車すれば大丈夫だ。綾羅木郷遺跡のすぐ側に下関の考古博物館はある。一時間ほどは見ることができそうだ。小串の駅でみすずの電車に乗った。綾羅木郷遺跡は弥生時代の拠点集落で、1000基を超える貯蔵用竪穴が発見された。実はそういうことよりも、高度成長期の産業開発と文化財保護のはざまで、市民・研究者・行政が一体となって調査と保存運動を行い(ブルドーザーを市民が身を挺して止めたという逸話を持ちながら)、その後の日本の文化財保護行政の方向性を決めたということで有名である。1969年3月11日に国の史跡に指定された。写真は遺跡のすぐ側にある若宮古墳。貯蔵用竪穴はこのように非常に深いところまで掘っている。百間川遺跡でも掘ってはいたが、こんなに深くは無かった。祭り用の非常にりっぱな壺があった。これに見事な木の葉文様が彫られている。一体どんな「恋の」物語があったのだろう、歌があったのだろう。時間がなくなって行くことが叶わなかったが、近くの梶栗浜遺跡からは珍しい土笛も出ている。いったいどんな音楽が埋葬のときに演奏されたのだろうか。この辺りは遺跡めぐりマップが準備されていた。もう一度くることを私は心に誓った。真夜中に家路に着いた。充実した六日間だった。この旅の総額は41,518円だった。切り詰めても、やはりこのくらいはかかる。この日の歩数 11235歩
2011年09月02日
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まず、私が尋ねます。「この遺跡の人骨は300体出土して、そのほとんどはあまり身分の差別が認められていませんね。ということは、200-300年の間にこのあたりに住んでいたほとんど全員の骨が出土していると理解していいのでしょうか。だとすると、最大どのくらいの人が同時に住んでいたのでしょうか。」200-300年と言ったのは、私のあて推量です。本当は400-500年間かもしれません。というのは、九州のあらゆる博物館は当たり前のように弥生時代はBC500年に始まったという考えで説明しているし、なぜかこの山口県もそれに乗っ取って説明しているのですが、ご承知のように現在弥生時代の年代観は大きく揺れています。炭素同位測定なんちゃらとかで、弥生時代はBC1000年に始まるという説もあるくらいですし、いや、BC800年だという説もあります。そうなると、元の年代は一挙に倍近くに膨らみます。200年の間に300人居たのか、400年の間に300人居たのかでは大いに違うでしょう。ただ、話はそこが難しいだけでもないようでした。「実は、この墓では子供の墓が単独ではほとんど出てこないのですね。それはおかしい。もしかしたら、子供の墓はほかに地域を隔てて別に設けてあるのかもしれない。そういうことから分かるのは、ひとつだけ。此処に葬られている人数が、ここの近くの村の総人口ではないということだけです。」この墓では父子の人骨や、母と乳幼児の人骨があることから、この墓に子供を絶対に葬らないというおきてがあるわけではない。しかし、昔ならなおさら子供が成人する前に死ぬ確立は現代よりも高かっただろうとは思える。だとすると、村人を全員葬ったかどうかもわからないということなのだろう。「どちらにせよ、大きな村ではなかったと思います。多くて20-30人くらいかな」最近になって、やっと村の跡とか田んぼとかが発掘されているらしい。そこを鑑みての答だろうと思う。ちなみに甕棺墓も一切出てこない。土壙墓が中心。石棺墓等もある。木棺墓はない。ただし、下関よりの梶栗浜遺跡では出ている。私はこの人骨たちのDNA鑑定が出来ないものだろうか、と思う。そうすれば、誰と誰が兄妹とか親子とかが判明して、巨大な族譜が出来て、それこそひとつの村の年代記が完成しないだろうか。と、後で思った。やっぱりもう一回、ここを訪れてその辺りを質問しないとダメなのかもしれない。なんかだらだらと書いてきて、いつ終るとも知れなくなってきたがあと少しお付き合い頂きたい。というのも、このミュージアム最大の魅力は、この後に訪れた遺跡保存ドームにあったからである。この土井が浜ドームには人骨が最も密集していた地域をそのまま保存しているらしい。と、いっても人骨そのものはレプリカではある。でも出土状況がリアルに分かるので、想像が掻き立てられる。80体の人骨がある。既に紹介しているが、「腕輪を嵌めた英雄?」もここのレプリカを撮影したものだ。写真はドーム前にあった説明版であるが、弥生時代の遺跡の絵を見てみると、石棺などが土の表面に出ている。埋めていない。少なくても200年の間運営されてきた墓域にしては確かに墓の重複は一切見られなかったらしいから、誰がどこに墓があったのかは、わかるようになっていたのかも知れない。土壙墓あり、四隅に石を置いただけのものもあり、石棺もありということで、上に石を置いた形跡もほとんど見られないとしたら、このような形態だったのかも知れない。墓域は男女の区別、土地者、外来者の区別、シャーマンかどうか等の区別はあったようだ。生前特別な結びつきがあった者は一緒に葬られるようだ。この二人は男性と子供だが、親子であったのだろう。どうして二人は一緒に埋められていたのだろうか。子供が海で溺れて父親が助けようとして一緒に死んだのだろうか。葬られ方も決まりがあった。必ず顔は西北を向いていた。つまり海の方向を向いていた。彼らが海からやってきたからだろうか。それとも、聖なるものが海の方向にあったからだろうか。たいていは腕は胸のところで組み、足は少し屈している。明らかにひとつのルールに乗って葬られているのである。この女性は抜歯をしていた。抜歯は成人の証であったり、結婚や親族との死別などの人生の節目節目に抜いていた。この石棺には五体の人骨が埋葬されていた。同族なのであろうか。鵜を抱く女、である。韓国では渡り鳥である鴨がいつも特別な鳥として土器などでも描かれていた。弥生時代の人々にとって鳥は特別な存在である。土器には鳥の格好をしたシャーマンが描かれることもある。鳥は天上の神と地上の国との間を取り持つ使者であり、豊作をもたらす穀霊や祖先の霊魂を運ぶものと信じられていたそうだ。この女性が鵜を抱かされて葬られていたのも、こうした鳥の霊力を信じて死後の魂を鵜に託す村人の願いがこめられていたのだろう。鵜はいまでも土井ヶ浜沖に多く飛来する。鵜を抱いていたのはこの女性だけであり、さらに鉄製品が副葬されていたのもこの女性だけでした。非常に特別な女性だった、おそらくシャーマンか、このムラの指導者だったのだろう。レプリカではありませんが、写真パネルで面白いものをピックアップします。これは熟年男女の合葬です。同時に死んで葬られた。それはただ事ではない何かが起きたということなのだろう。この二人はおそらく夫婦であったのだろう。単なる食中毒か、あるいは劇的なドラマがあったのか。このように一緒に葬るというやり方は現代日本では採っていない。けれどもこちらのほうが自然なような気がする。そして分かるのは、夫婦の愛や、親子の愛は確実にあったのだろう、ということだ。当たり前のようだが、もしかしたら2500年前の夫婦愛の姿をこのように見れたのだとしたら、素敵なことではないだろうか。これは若い女性の例です。足の間に六ヶ月の子供の骨があります。おそらく早産で死んだのだろう。足首が切られています。現世に未練を持った女性だったので、悪霊として出てこないためのおまじないがされたと見られています。未練を持って死んだ人は他にもいただろうに、よっぽど死に方が悪かったか、性格が誰も見ても「怖い」と感じたのかもしれない。写真を見る限りでは「美人」のような気がするのですが(^^;)。このように、一人ひとりの庶民にもおそらく劇的なドラマがあったと私は思うのです。一人の骨が出てきただけでは、それを想像するのは難しいですが、ここには300体の仲間がいます。その関係性が分かったり、生活遺跡が出てくれば、彼らの人生を推測できる。それはすなわち、まだ階層差が明確でない、おそらく戦争などとは無縁の昔の庶民の生活がどのようなものだったかを知るということになる。私は後になればなるほどここの遺跡のことを知りたくなったのでした。関連本とか探そうと思います。
2011年09月01日
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