全31件 (31件中 1-31件目)
1

国立博物館からバスセンターに戻る。大邸(テグ)市に移動のためだ。移動時間二時間、出発の時には明るかった景色が着いた時には真っ暗になっていた。しかしその時間はあっという間に過ぎた。隣り合った若い男性に「大邸にはどれくらいで着きますか」と聞いたことからずっと話をして途切れることがなかったからである。お互いに片言の語彙しかもっていなくて、暗い中で辞書を時々引きながらの日本語韓国語チャンポンの会話になった。時間をかけて、自己紹介や旅の目的や仕事のことなど、興味を持っていることを話していったのである。細面で少し小柄の優しい面立ちの青年でした。キムさんといいます。彼は29歳。現在、小学校の臨時教師をしているのだという。今回は大邸で5日後に教師採用試験があるので、その準備と勉強のために大邸に向っているのだという。住所は慶州市にある。「(小学校の仕事は)疲れますか?」「オモシロイ」彼は日本語で静かに言った。子供に囲まれて優しく教える彼の姿が目に浮かんだ。けれども彼が本当にめざすのは、社会科の中学校の先生なのである。臨時教師では安定した職業ではないのだろう。非正規が全労働者の6割近くを占める韓国社会の断面がここにもある。とっても真面目で勉強熱心。試験のことに関係するのでもないのに、日本語の会話をとても楽しんでいるさまに好感を持ったのでした。話は私の遺跡めぐりのことに移る。キムさんは金海金氏の系統である。遠くまでたどれば、慶州の偉人、統一新羅の立役者金庚信(キムユシン)将軍まで辿れるのだという。日本で祖先は清和源氏だと聞くと眉唾モノであるが、族譜の継承が命より大切な韓国の場合は十分にありうることだろう。「それはすごいですね」「アニエヨ!(そんな事はないです)」自分から言っておきながら、ひどく照れていた。まあ、実際は慶州市内には金庚信の子孫は山のように存在するのかもしれない。彼にしてみれば、言っては見たものの日本人に素直に驚かれたのは意外だったのかもしれない。けれども彼の歴史好きは、このアイデンティティにもあるのかもしれない。それはそうと……、私はこの旅で感じたことをいって見る。「韓国は博物館も立派で、野外教育も熱心で、日本とは違う。すごい」「……わたしの考えですが、韓国の教育水準は日本より低い」彼は断固とした感じでこのように言い、この点では私と大きく意見が分かれた。私は「ハジマン……(いや、違う)」と言い、彼も「いや違う」と言う。彼なりに韓国の教育政策に不満があるのかもしれない。しかしそこまで突っ込んだ話はできなかった。「楽しい時間だった」ということで、お互いにメール交換をしたのであるが、実はそのメモ用紙を旅の後半で落としてしまった私でした。彼からの連絡はまだない。泊まりは東大邸のロイヤルパークモーテルへ。古いモーテルなので設備面はいまいちだったけど、一泊三万Wと安かったし、女将さんは気さくな人だったので満足でした。夕食はともかくもマッコリが飲みたかったので、それがメニューにあるところを探してしばらく歩く。しかしマッコリは市販のビンが出できたので味はイマイチだった。料理はヘジャンク(豚の骨付き鍋)です。ここでまた副食に青唐辛子が出てきた。味噌をつけて食べる。金海と同じである。慶州と蔚山は副食が多く、金海より遠く離れた大邸で同じ副食が出る。つまり、大邸は加耶地域であり、慶州、蔚山は新羅地域であるということなのだろう。1500年前の地域割りがまだ食事の伝統に受け継がれているのではないか。これは私の仮説である。バス1,000 朝食2,000 コインロッカー1,000 バス1,000 バス1,000 昼食6,000 バス1,500 博物館2,000 バス1,000 慶州→大邸5,900 宿30,000 夕食9,500計 61,900W歩数 16103歩
2011年04月30日
コメント(4)

バスで国立博物館に行く。市内では四回ほど「どこに行くのか」とあたかも親切者らしく向こうから道を教えようとする人に出会った。みんなタクシーの勧誘である。さすが第一級の観光地。今までの旅でこんなにもひつこい勧誘は一度もなかった。全員丁寧にお断りする。国立慶州博物館は二度目だ。三つの館があって一番大きいのは考古館。ここで、金尺古墳群での疑問を質問するのが来館の目的である。その前にNOフラッシュならば写真OKということなので色々と見て回った。この製鉄の場面は鐘を鋳造しているので、後代の模型だろうがわかりやすくて興味深い。新羅では紀元前57年(?)からAD300年に及ぶ350年間、木棺墓と木槨墓が採用されたらしい。木槨墓は二世紀中ごろから採用されている。鉄器を供えている墓が多い。隍城洞(ファンソンドン)遺跡は単なる製鉄遺跡かと思っていたら、新石器時代の櫛文土器や石剣まで出ていて、かなり長い間慶州の中心遺跡だったことを知る(写真は隍城洞遺跡出土の新石器時代の櫛文土器)。実は慶州大学の助手さんから詳しい場所は教えてもらっていた(慶州市隍城洞ユリム小学校前のシンフンロイヤルアパート)のだが、純粋に今は跡形もないということだったので見物に行くのはやめたのである。しかし、それでも一度いってみる価値のある遺跡かもしれない。そこから見える山や川、そして空気を吸うということ。さて、博物館のインフォメーションで質問をした。しかし、日本語ができる人がいなく、かつ学芸員ではなくガイドだったので、時間がかかったわりにはハッキリとわからなかった。一応答えてくれた質問は以下のとおり。一、古墳に葺き石があった。一部ではなく古墳全体に敷いてものなのか。川原の石を持ってきたものなのか。→古墳全体に葺き石をしている。川原から持ってきたらしい。二、古墳の周りに土器は置いていないか。つまり、日本の埴輪に似た現象はないか。→周りに土器は置いていない。三、双円墳や双方向へ突起のある円墳、一方へ突起のある円噴は普遍的にあるのか→双円墳は夫婦のものである。そのほかの形のものは、後代に至り崩れたものだろうということ。(正確かは不明)四、鉄鉱石はどこから取ってきたのか。前1cからか。この鉄の産地が大きく広がらなかったのはなぜか。→ウルサン市の北側、タルチョンという処から鉄鉱石を持ってきたらしい。何故そんな遠くで見つかったのか。あるいはそれ以上の詳しいことは不明である。ガイドの人はそれなりに一生懸命答えてくれたのではあるが、少し突っ込んだ質問はやはり大学研究者クラス或いは教授クラスでないと無理だということも判ってきた。日本の場合は、博物館の学芸員は研究者も多くいて、たいていは答えてくれる。考古学に関していえば、学問的水準は明らかに日本のほうが高い。と思う。日本の人たちがそれなりの報酬をもらっているかどうかは別問題である。これは慶州龍江洞の文官土偶。6世紀。しかし、良く見ると明らかに西洋顔。シルクロードから流れてきた人である可能性が高い。これは金庚信の墓から出てきたと伝えられている十二支像。これは以前蔚山に行ったときに遠くて諦めた盤亀台の線刻画のレプリカ一部である。クジラ漁をしている。全世紀から新羅時代まで聖なる場所だった。
2011年04月29日
コメント(4)

バスで少し戻って、慶州大学校に行った。博物館の場所を聞く。本屋で聞くと、この棟の三階にあるという。けれども、探せどもそれらしき部屋がないのだ。この棟は芸術学部の棟らしく、廊下にそれらしき作品を飾ってあった。四人ほどに聞いて、やっと学生の案内人を立ててもらってたどり着いた。博物館の助手らしき人に館内を案内してもらった。写真は撮ったが、公開はしないと約束したのでパンフの写真のみ紹介。半分は青銅器時代の遺物で興味深いものだった。キムチャンホ遺跡や忠孝洞遺跡そして隍城洞遺跡の遺物などで面白いものもあった。写真左下の鉄製の小さな壺見たいなものは、青銅器を作るときに流し込む土器(坩堝)だそうだ。日本では見たことはない。最初博物館の床の上をワックス掃除したばかりらしく、泥の付いた靴で入ろうとすると、止められた。スリッパを探しに行ってくれたが、結局見つからず、「いいです、いいです」と素足で入ろうとすると、「それだけは……」という感じで止められた。結局、古墳群を歩き回った靴で入ってしまい、恐縮した。助手さんは最初何をしに来たのかと相当不信に思っていたようだ。完全韓国語会話だったが、いろいろと冷や汗モノだった。ついでに茶戸里遺跡で拾ってきた土器の破片を鑑定してもらった。三つは茶戸里時代のもの、ひとつは新羅時代のもの、二つは朝鮮時代のもの、あとは土器ではなく石だったりした。そのとき、ついに怒られてしまった。「遺跡から土器を取ってきてはいけません。私も日本に行ったときにそれはしていけないと教えられました」「ごめんなさい。あの……、あなたに預けましょうか」「それはいい」たぶん「これからはやってはいけませんよ」という意味なのだな、と勝手に判断。この鑑定隅の土器も日本に持って帰った(^^;)。叱られたのですが、考古学的には至極全うなことで、誠実な人と出会えてなんか嬉しくなった。と、いうことで助手さん鑑定の茶戸里遺跡土器はこれです。新羅時代になると、高温で焼くので日本の須恵器に近くなります。そして朝鮮時代になると、陶器になります。「ここをどうやって知りましたか」「大学には博物館が大概あります。ここに博物館があるのかないのかは知りませんでした。but、ここに来ました」という説明で、やっと不信なものを見る目が和らいだような気がした。「これからどこに行きますか」「国立博物館に行って、後は分かりません。大邸にいこうかな」ふーん、という感じだった。バスで市内に戻り、バスセンターの近くで昼食です。表通りから離れていて、人が沢山入っている店にはハズレはない。はず。ということで、この店を選んだ。この店の名物料理は「マッタケの焼き物料理」なのであるが、(大)5万W、(小)3万Wで、まったく手が出ない。豆腐鍋(スドゥブチゲ)にした。驚いたことに副食が9皿付いてきた。昨日の食堂も多かったので、これが慶州地域の伝統なのだろう。私の目に狂いはなく、全部美味しかった。りんごと柿をクリームで和えているのは、この果物がこの地方の産地だからに違いない。何かキノコらしきものもあった。
2011年04月28日
コメント(6)

11月9日(火)晴れ昨晩から急に冷たい風が吹き出した。いよいよ冬への天気の変わり目である。予想外だったのは、風が吹き止まず、返って酷くなったこと。古墳の上や高いところにいたときには、台風並みの冷たい風が吹いた。バスセンターで市内バスの乗り場を教えてもらい(わざわざ100mぐらい付いてきてくれた)郊外の古い古墳群に行く。金尺里(クムチョンニ)古墳群である。(慶州市乾川邑)観光地の大王陵は既に行ったことがあるのでね今回は行かない。とりあえず余り観光地化されていない古墳を見たかったのである。説明版は以上のとおりである。統一新羅以前というと、2世紀から6世紀ということか。王陵とあまり大きさは変わらない。街中の観光地と違い、誰もいない。思う存分登り、時々草の生えている表面を削って敷石らしきものがあるのを確認した。疑問が幾つもわく。やはりそのあたりは国立博物館を訪ねて聞いてみようと思う。このような見事な双円墳もある。まるで楯築遺跡のような円墳の両脇に方墳がくっついているかのような形のもの。あるいは、一方だけ方墳がくっついているかのようなもの。様々な形があった。気がつけば、1時間以上ここを歩いていたと思う。土器も拾ったが、明らかに現代のものだと思われるので無視。しかしこの石は自然なのか人の手が入っているのか判断できずに持ってきてしまった。(古いけどシュガーフライみたいな形)たぶん単なる石だけど、結局捨てきれずに日本に持ち帰った。古墳の周りでは田んぼが広がっている。わらのまとめ方がユニークである。民家も数軒あった。慶州はスレートではなく、瓦葺の屋根が多い。地域の伝統かもしれない。この廃屋を写したのは家の構造が良く分かるからである。2部屋どちらとも窓(?)から入れるようになっている。沖縄とよく似ている。寒い土地柄なのに、何故こうなのか。りんごが旬である。たわわになっている畑を写していると、トラクターのお兄ちゃんがすぐに飛んできた。「なにをしている」「観光です」「観光か。ヨルシミハルケヨ(頑張れよ)」と去っていった。こんな寂しいところなので、りんご泥棒と思ったのかもしれない。
2011年04月27日
コメント(4)

バスで三つ前の停留所に戻った。茶戸里遺跡でもう少し土器を探してみたが、やはりないようである。けれども、きちんとした説明版があったので、何だか遺跡に来たんだ、という気になれた。この説明版のすぐ近くに「住南鴨宮」という鴨料理店がありました。さすがに池のすぐそばで鴨料理の店は出せなかったようです。けれども鴨料理がこの地域の名物料理になるのは必然のように思えます。昼を迎えて車が次々に止っていきます。既に鯉焼も食べて腹がいい具合だったのにもかかわらず、私は「この店は美味しい。地方によくある名店に違いない」と直感が働きました。ここで食べないと一生後悔する。ただし、鴨料理はやっぱり人数がないと食べれませんでした。私は店の第二の名物らしきコンククス(豆乳冷麺)を頼みました。私の感は当たりました。今までで最高のコンククスでした。なんともいえない濃厚な豆乳に見事に伸びのある白い麺。キューリが入っています。やはり副食には青唐辛子を味噌に漬けて食べるのですが、この味噌が絶品で、つい唐辛子全部食べてしまいました。腹が一杯になったけど、食べてよかった(もう要胃カメラのことなど完全に頭からなくなっています)。バスはきれいに乗り継いで金海に帰ることが出来ました。途中の地方の町で、市場ではなく、コンビニの前で普通に野菜などを売っているハルモニを見ました。いつも思うのですが、どうしてこのような商売が成り立つのだろう。近くに小さなスーパーもちゃんとあるというのに。しかし、スーパーは汚く、とても安くて新鮮なものを売っているようには思えない。不効率なハルモニたちの対面式商売が成り立つ所以なのだろう。この韓国の流通事情をもっと改善したならば、「韓国のダイエー」を作れるのにと、いつも思う。(二年前、ソウルの「架け橋」で出あったH氏は、総ての元凶は四大財閥が利益を独占しているからだ、と言っていた。流通の場合はロッテデパートが足かせになっているのだろうか)金海につくと、慶州行きのバスがちょうど出たところでした。1時間待って15:10発のバスに乗る。途中こんな景色が見えた。つまり30棟以上、いっせいに高層住宅を作っているということなのでしょう。それはつまりひとつの街が誕生するということです。何故そういうことが可能なのか。財閥のひとつ、建築会社の「現代」元会長は現在の大統領ではあります。慶州(キョンジュ)市内に入ると、ずっと田園地帯が続きます。きれいに規格された田んぼです。最初見たとき百済の都のあった扶余(プヨ)とは違うなあ、と思ったことを思い出しました。新羅と百済の地域の違いではなく、近代が生んだ経済格差ならびに経済政策の違いなのだとその後学びました。慶州に着くと、すぐ近くの宿をとることにした。モーテルを訪ねると四万wという、これはパス。その向い側のモーテルだか旅館だかわからない大きい建物に聞く。受付のところには三万wと書いている。「三万W?」と聞くと「2万5千w」という答え。一人旅用の値かもしれない。ここに決める。キリン旅館である。風呂はシャワーだったが、十分きれいだ。ここの旅館も「当たり」である。ここの部屋にはカレンダーが置いてある。いかにも安宿に相応しく所々に紙魚(しみ)が付いているのであるが、よく見てみると味がある。ひとつ気が付くのは、11月には3日とか23日とかに祝日がないのだ。日本とは違うのである。そういう意味でも隣の国とわが国とは違うリズムで生きている。しかし、平日ながら何々記念日は多い。11月3日は「学生独立運動記念日」。15日は「民防衛の日」である。17日は「殉国先烈の日」。何か謂れがあるのかもしれない。30日はなぜか「貿易の日」である。また、さりげなく旧暦の日にちも付いている。日本よりははるかに旧暦が位置づいている国なのである。今日は早く宿に着いたので、7時までまったりとテレビを見ていた。日本にもケーブルテレビで韓国チャンネルがあるように、韓国のケーブルテレビにも日本チャンネルがある(「チャンネルJ」)。ちょうど朝ドラの「純情きらり」をしていた。こうやって字幕で見る宮崎あおいの演技は改めて素晴らしいと思う。彼女はほとんど喋らない。それでしっかり感情だけは十二分に伝えている。チャンネルを切り替えて韓国女優の何人かと比べてみたが、無言の演技に関する限り、あおいちゃんが群を抜いて居る。夕食を食べに行きました。「シクタン(食堂)」と書いているところで、客が入っている処を探した。所謂地域色のある定食を食べたかったのである。日替わり定食らしきものがあったのでそれを頼んでみる。副食だけ9品出て、5000wである。総て食べることのできる副食だということを確認したあと焼酎を頼む。みせのアジュンマがもう一人食べている男性も日本人だと教えてくれた。声をかけてみる。初老の男性で、一週間韓国を旅しているという。良洞民俗村と仏国寺に行ったとのこと。この旅で初めて日本人と喋るので追酔いに任せ興奮して、私一人いろいろと自説を喋ったような気がする。住所交換したのであるが、なんとその後大事なメモをなくしてしまう。ごめんなさい。バス1,000 金海←→茶戸里(往復)5,000 朝食1,200 おでん・鯉焼2,000 コンククス5,000 コーヒー1,000 金海→慶州5,900 宿25,000 夕食8,000計 54,100w歩数 11,357歩
2011年04月26日
コメント(6)

住南貯水池を少し観光することにした。住南貯水池の散策路は閉まっていたのですが、池のそばからでも鴨が群れをして泳いでいました。此処は遺跡とは違いりっぱな観光地となっていました。もうお分かりと思いますが、ラムサール文化館とは地名を冠したのではなく、渡り鳥環境保護条約であるラムサール条約を冠した記念館でした。館の中は子供にもわかりやすい展示がキチンとれていて、もちろん入場無料です。職員は四人はいたと思います。文化施設に対する韓国の情熱は、歴史施設ばかりに向けられているわけではないのです。友好都市の条約を結んでいるところと鳥民具の交換をしているようです。日本の釧路とか。ベトナムの鳥の民具はこんな感じです。雰囲気があって面白い。タイの鴨民具があまりにも韓国のそれと類似しているのにびっくりする。韓国の鴨民具は夫婦和合の象徴として広く韓国内では売られています。また鴨の埴輪は青銅器の時代、二千年以上前から韓国では出土している。昔から神の使いと考えられてきたという証拠である。日本でも鴨ではないが、鳥を仮面のモチーフとしている祭りが弥生時代にあったと思う。渡り鳥は昔から神の使いとしの役割があった。いいことも悪いことも、鳥がもたらしたのだろう。もたらすのは決して鳥インフルエンザだけではない。文化館でバスの時間を聞いて、もう一度茶戸里遺跡に戻ることにした。その前に腹に何かを詰めておこうとおでんをふた串と韓国のたい焼き(たぶん鯉焼)を買った。このたい焼きは思ったよりはボリュームがあった。
2011年04月25日
コメント(6)

去年11月の韓国旅行記を再開します。八日目から始めます。五日分ぐらい17回ぐらいの連載になるかな。前回までの記事は、左のカテゴリー「韓国旅行(09~)」をご参照ください。11月8日(月)晴れ 八日目茶戸里(タホリ)遺跡にいくために8時にモーテルを出る。今日も晴天暖かい。朝食はゆで卵にした。金海バスセンターの冷たいベンチで食事です。安いというイメージなのだが、最近はコンビニで買うと二個が1200wなんだね。ジュースはモーテルの備え付けです。遺跡に行くには、金海バスターミナルに行って馬山(マサン)方面のトクサン行きのチケットを買い、トクサンで降りて今度は1番-3番のバスに乗って茶戸里(タホリ)で下ろしてもらうという道筋である。写真は金海を出てすぐに目に付いた奇怪なスローガン。後でよく見ると、チュハナ教会という文字が見えるのでキリスト教の奉仕の精神なのだろうけど、あまりにも軍隊チックなスローガンです。トクサン行きのバスの運転手は陽気な若いおにいちゃんだった。出発時には馬山行きなのにトクサン行きの人間しか乗らなかったので、「全部トクサンだ!」と私の隣のオバサンと始終世間話をしていました。このバスは市内バスのように途中でどんどん人が乗ったり降りたりするのですが、直通バスのように前払いで申告制なのである。たぶん正確には管理できていないと思う。トクサンで降りて反対車線のバスに乗ると聞いていたのであるが、茶戸里にいくと知っていたお兄さん運転手は「あっちに行け」と言う。結果、それに従って正解だった。反対側ではなく、角を曲がった停留所で待つのでした。反対側のバスに乗ったら帰ってしまうところでした。一応、行き方は聞いていたけど伝言ゲームだったので微妙な間違いはあるのです。知らないところに行くときには何度も何度も周りの人に確認しながら旅をしていくのが鉄則です。当然バスに乗るときには「茶戸里で下ろしてください」と頼んで乗ります。乗り換えてバスで10分くらい走ると、突然「ここで降りろ」といわれた。素晴らしい。ホントに何もないところだ。昌原市茶戸里遺跡とはどんなところか。午後になってやっと見つけた説明版にはこのようにあります。昨日の金海博物館では、茶戸里遺跡の特別展示をしていて、遺跡発掘中の空中写真を撮っていました。この写真の赤い点のあたりに下ろされました。2009.2月の写真なので現在とほとんど景色は変わっていません。この遺跡では一号墳からこのような木管の墓(BC1)がそのまま出てきたということで注目されたようです。もっとびっくりするのは、同時期、豊富な文房具か出土したということです。と、いうことは、楽浪郡つまり中国との交流があったことが分かるということと、この時代に既に「文字」を使用していたということです。ともかく写真を手がかりに発掘したところの原っぱに下りてみる。ここは貝塚ではないので、土器がごろごろ転がっているということはない。しかし、昨年発掘したばかりなので、まだ草が生えていないところがある。それらしき土器を幾つか拾う。今回はあまり自信がない。全部現代の土器かもしれない。当初は住南(チュナン)貯水池で降りろ、と聞いていた。そこにラムサル(?)文化会館があるというのだ。もしかして、既に遺跡の資料館ができているのかと思い歩いていって見ることにした。バス停三つ歩くのは思ったよりも遠いものでしたが、歩いていると、この遺跡のすぐそばは大きな池が広がっているのだということが判ってくる。写真は住南貯水池の南側に広がっているトンパン貯水池。これがこの池の概要です。当初橙色の14号線を右から左にバスで来て、信号の処で乗り換え、青色の30号線を北に上がり、最初の曲がり角で下ろされたのが茶戸里遺跡です。そこから右上に歩いていって、二つの池の真ん中あたりに赤いポチがありますが、そこがラムサール文化館でした。茶戸里遺跡はこのような湿地に広がる遺跡だったようです。
2011年04月24日
コメント(8)
小森陽一さんが3月26日、名古屋哲学セミナー主催で「未曾有の危機の中で加藤周一に学ぶ - 「日本文学史序説」の思想―」という講演をしていた。西川さんという方が、その講演録をメモしてくれているのでその大要を読んだのだが、重要なことを言っていると思えたので、メモしたい。講演録のメモに対する感想なので、群盲象をなでる如しではあるが、方向性はもらったような気がしたのである。大要は読んでもらうとして、ここに書かれていることに刺激を受けた。「自然大災害を恨んだりしていない被災者たち。現実の中から元気を奮い立たせようとする被災者たち。困難な状況の中で、生き抜こうとしている被災者の意識は、かってその全てが、天皇制と言う特異な装置によって翻弄されてきましたが、今こそ、我々は、これを掴みなおし、変えていくことが出来ると考えています。もう一度、加藤周一氏が、「九条の会」設立を決断された生き方を学ばなければならないと思います。今こそ、日本人の此岸性、死者を通して、生きている我々が、立ち上がる時を迎えなくてはならないと思います。死者の記憶と会話して、今をどう生きるか、我々にとって、今こそ重要です。」日本人の中の土着思想はともすると、時の支配層に利用されてきたのですが、「変えていく」契機はあるというのです。「日本の文学と造形美術、工芸作品には日本的思想表現が見える。日本的表現とは、具体的であり、非体系的であり、感情的表現であり、日常目に触れる対象を美的に表現してきた。従って、ここでは世俗的な変化を好み、体系的、論理的なものを、日常的なものの中に取り込み、実践的、具体的に日常に即して、個別的な現場を重視するのが日本文化であり、部分から全体を作るのが日本文化である。日本語は、持続的文化の新旧交代ではなく、古いものを受け入れ、これを新しいものと共存させていく。これは短歌の世界にも見ることが出来る。日本文学の歴史は、多様な形を保っている。この特質が、社会構造に結びつく時、先ず極端な保守性として表れ、天皇制はこれを利用してきた。しかし、一方、日本文化は、新しいものを、ドンドンと取り入れる特色も持ち、例えばそれが、新技術の採用、新型消費財の登場・新語乱造にも発揮されている。日本文学と、美術表現の優れた面を支えているのは、2重構造であり、表意文字と表音文字の意識的使い分けもその一つとして指摘される。」原発ムラの構造的な把握は日本人の苦手とするところかもしれないけれども、身近な放射能から「命を守る」という一点で、「ひとつになろう日本」ということは、ありえるだろう。部分から全体へ。
2011年04月23日
コメント(17)
![]()
「調べる技術・書く技術」野村進 講談社現代新書ノンフィクション作家のハウツー本である。体験に裏打ちされた知恵と、ノンフィクションの取材の仕方の本は少ないという希少性とで、大変興味深いものであった。ノンフィクションを書くときの絶対不可欠な条件があるという。「これを書かなければ、死んでも死に切れない。」というような切実なテーマは普通の人にはないが、しかしそれなりに突き詰めておく必要があるだろう。幸いにも、特別ノンフィクションではないが、私には三つのテーマがある。ところが、私の悪い癖で、もう30年くらい書く書くといいながら書いていないのが、大学のときの卒論で失敗した中江兆民論と社会人になってすぐに志した加藤周一論である。この15年の間に志した弥生時代を舞台にした小説も閑になったら直ぐ書けけるかというと、この半年の経過がそうではないと言う事を立証した。しばらくまた忙しくなるけど、このくらいが一番創作環境はいいのかもしれない。直ぐには役に立たないかもしれないが、重要だと思ったところをメモしておこうと思う。●テーマ決定のチェックポイント1、時代を貫く普遍性を持っているか。 海面下の氷山が、まったく思い寄らない場所に、その突端を突き出しており、調べれば調べるほど新たな突端が見つかるようならば、しめたものだ。あなたの選んだテーマは、時代を貫く普遍性を持っているのである。2、未来への方向性を指し示せるか。3、人間の欲望が色濃く現れているか。 この視点は新鮮だった。「人間は論理ではなく感情で動く。その感情を突き動かしているのは、煎じ詰めれば欲望である。」4、TVなどの映像メディアでは表現できないか、もしくは表現不可能に近いか。5、そのテーマを聞いた第三者が身を乗り出してきたか。……プロの編集者に一度相談してみるのは必要かもしれない。●ともかく動いてみる。……そうだよね、それが私には足りないところだ。●情報収集の方法。 資料を得るメディアは、その鮮度の順番から言うと、ネット、テレビおよびラジオ、新聞、週刊誌、月刊誌の順番。一方情報の確度からいうと、単行本と新聞が比較的高く、最下位にはネットが来る。 森健が運営している「moriken.org」で各紙や各メディアのニュースを手軽に読むことが出来る。 新聞をパラパラめくっていて、気がつく情報も多い。検索では分からないこと。 プロの書き手を目指すなら、たとえ一食抜いても本にお金を注ぎ込むべきだ。……プロは目指さないんですけど。でも傾注に値する意見ではある。●情報は袋ファイルに入れている。……私も一時期やったことがある。あのときの袋は20年ほど経過した今、もう一度見直す必要があるかも。●単行本の読み方。1、インタビュー集や対談集を手始めに読む。2、入門書から出発し、徐々にレベルを上げていく。3、対象となる人物や出来事を様々な角度から論じている複数の本を読む。4、精読すべき本、通読する本、拾い読みでかまわない本を選別する。……気に入った本は2-3回読む。これもあまり出来てていないなあ。5、資料としての本は乱暴に扱う。……つまり書き込み等をたくさんしようということ。だから基本的に買わなくてはいけないのだが、貧乏金無し。つらいところではある。この本も図書館で借りた。(だからこんなに詳しくメモしている^^;)●一次情報の質は作品の質を決める。つまり取材対象の人選は大切である。 住んでいる地域が分かるならば、とりあえず104番で聞いてみる。公表していないならば、じかに現地を訪ねて家を探す。所属する会社や組織が分かっているならば、そこから辿っていける。……加藤周一論ならば、矢島翠さんということになる。もしくは、別れたドイツの女性。そして、まだ存命ならば、詩にも出てくる妹さん。……けれども、とってもそんな勇気はない。●取材の申し込みの例文などやお礼状なども載せていて、いざというときには、もう一度読み返そう。 相手が電話に出たならば、必ず「今お電話よろしいでしょうか」と相手の都合を聞く。「突然お電話差し上げまして、大変申し訳ございません」礼儀は丁寧すぎるぐらいでちょうどいい。「誠実」が最も大切。他のところでは「原稿をこちらが送稿したのに何の連絡もしてこない編集者の多いことと言ったらない。心配なので電話すると、ちゃんと届いている。」と書いている。……私もこれに似た経験がつい最近あった。ある機関紙に原稿をメールで送った。これでいいのかどうなのか気になるので、何回か電話したのであるが、ちようど祝島に行くときと重なっており電波が届かない状況になっていた。そのこともあるから、私のほうからは何度も電話したのである。震災のばたばたしているときと重なっており、いつもすれ違いになっていた。結局機関紙を見ると、ちゃんと原稿が載っていた。電話が通じないのならば、せめてメールで返事するなりしておいて欲しかった。私は三回も電話したのである。彼のほうから、電話がかかったという形跡はなかった。期待していた編集者だけに非常に残念であった。●取材を断られたときの食い下がり方が、たくさん載っていて、面白い。●ここで肝要なのは、なぜその人物にあいたのか、あって何を知りたいのか、もう一度自分に問いかけて、明確な答を出しておくことだ。●取材の事前メモの要点などもここに載っている。質問事項をノート一ページほどにメモしたら、質問の重要度に従って◎や○印をつける。そして、質問事項を大づかみに覚えてしまう。●取材当日、絶対にしてはいけないのが、遅刻である。遅くとも15分前、出来れば30分前にいく。遠方ならば一時間前にいくぐらいがちょうどいい。中には入らない。もんの前で待っておく。余裕を持つ持たないでは、先方の印象が全然違う。●インタビューの聞き方。しゃべることの倍を聞くつもりで。「相手と同じ大きさの声で話す」というのは黒田清の弁。 メモをしない方法もある。数字などは小さいメモに書いて、あとは直後にファミリー・レストランに駆け込んで直ちに書く。案外出来るものである。……わたしも短いインタビューで何回かしたことがある。案外出来る。●初対面の印象は重要。それこそがその人の本質に近いことがままある。だからその日のうちにノートに出来るだけ詳しく書く。1、顔つき、体つき。2、服装、ファッション。相手の靴。3、表情。とくに目と口の動き。4、しぐさ、癖。たとえば、腕を組む、こちらの目を正視しない等々。5、視覚以外の感覚で感じたこと、たとえば、声の調子、握手のときの手の暖かさ、握力の強弱、体臭、香水の匂い。●最後にお勧めしたいもの。活字に限らない。映画でも芝居でも、絵画でも音楽でもあらゆる表現ジャンルでまず自分が関心を持ったものにどんどん接近していく。それから自分の関心と多少はずれていても、世評の高いものに触れてみる。最初は広く浅く、徐々に狭く深く、いずれは広く深く、方向性を変えながら、貪欲に吸収していく。するといつの間にか自分のなかに「貯水池」みたいなものが出来上がっているのに気がつくだろう。貯水池にだんだん水が溜まっていき、あふれ出たものが、自分のテーマなり、自分の表現なりになる、そういったイメージが私にはあるのだ。
2011年04月22日
コメント(0)
「ミツバチの羽音と地球の回転」鎌仲ひとみ監督この映画の上映と監督のトークがあるということで、日曜の朝岡山市内に出向いた。鎌仲監督の作品を見るのはこれが初めてである。50人ほどの小さな会場に一日3回の上映である。ちょっと嫌な予感がして一回目の上映よりもだいぶ早く行ったのであるが、前売り入場者優先という方針だったため、当日整理券を持っていた私はあぶれてしまった。「夕方5時20分の回ならば入れるかもしれません」といわれたので、夕方三番目の整理券をゲットして私はマックで雑誌「世界」の感想を書きながら7時間待つことにした。これでは入れなかったら、急遽決まった来週の上映会の券を買うかどうか決断しなくてはならない。企画の時には、まさか「フクシマ」が起きるとは予想していなかったのでこういうことになったのである。岡山みたいな地方都市でも、このような映画を見たいと思う人が150人で済むはずがない。この映画は山口県祝島の上関原発反対の闘いとスェーデンの持続可能な経験を映したドキュメンタリーである。3月14-16日に、たまたま祝島を旅した私は何を置いてもこの映画を見たかった。映画では練塀は出てこない。平さんの石垣も出てこない。しかし、私も買った(まだ料理できていない)祝島特産のひじき獲りの映像が出てくる。散歩の途中で見つけた井戸の側の竈はやっぱりひじきを煮るためのものだった。びわ栽培もでてくる。そうやって、島の中で自然の恵みを受けながら完結する農業と漁業を丁寧に映したあとに、クリーンエネルギーへの転換を果たしつつあるスェーデンの経験を取材するのである。そして最後に上関原発の反対運動にカメラは移っていく。2009年、原発工事のためのブイの設置を阻止しようと、海の上で祝島の住民と中国電力の人々がハンドマイクで「対話」する。中国電力幹部の人は「第一次産業だけでやっていけると思っているのですか」と呼びかける。今に至ってこんな呼びかけしか出来ない中電の幹部の「不勉強」には驚かざるを得ない。27年間の、何億という保証金をも蹴って、自らの暮らしのために闘ってきた祝島の人々をなんと思っているのか。「農業と漁業だけでやっていくから、反対しているんだ」間髪いれずに一番若い住民の32歳二子のお父さん孝さんは叫ぶ。不勉強以上に、エリート道を来たに違いないこの幹部の、第一次産業従事者に対する「不遜さ」が見えたときであった。「海は絶対壊れません。絶対安全です」中電の幹部が叫ぶ。これには、孝さんたちの反論がある前に、会場から「笑い」が起きた。「絶対、というから私たちは不安に思うんです。絶対ということはないんです。」孝さんは台風が来たときの事故のことを言う。この「対話」は中電の完全なる負けだった。このあとの通産省との交渉の場面で知るのであるが、27年間反対運動をして、中電の拒否にあって、これが祝島住民と中電との最初の「話し合い」なのだそうだ。これが話し合いだといえるかどうかは別として、中国電力株式会社とはそんな「不遜」な会社なのか。中電の電気を毎月一万円近く買っている私は、出来ることならば不買運動をしたいくらいだ。祝島の戦いは、リーダーの人が言っていた様に「引き伸ばし作戦」である。世論に訴えて情勢が変わることに期待する作戦だった。見通しは暗かったはずだ。3月11日までは。しかし、彼等はほんとうに明るい。おばあちゃんだらけなのに、将来を語っている。まだ予断は許されないけど、上関に原発は来ないだろう。祝島が今のままであって欲しい。そして、少しずつ若い人が増えて、500人が600人と変わっていって欲しい。鎌仲監督の印象は映画監督というよりも、環境運動家というかんじであった。監督トークの終わりに質問が出た。「日本政府はなぜこんなにも原発を推進するのですか」鎌仲さんはこのように答えた。「原発が儲かる仕組みを早々と作ってしまったんです。1954年第五福竜丸の事件が起き、450万人の反核運動が盛り上がりました。このとき、米国と密約を交わしたんです。「原発は核の平和利用といえばいいのだ」このときの中心人物が中曽根です。絶対損はしない原発政策をこのとき作ったのです。核兵器への転用が出来ることとかあったのかもしれません。世論は残念ながら、原発をまだ支持している人が多い。日本人は一旦決めたらなかなか変えない体質を持っています。これは原発だけじゃなくて、日本の政治も会社もそうです。飯田哲也さんなんかは「思考停止の原発ムラ」とか言っています。結局、一人ひとりが気がついた人たちが、声を出す勇気を持たなくてはいけないのです」
2011年04月21日
コメント(10)
池内了の指摘にいちいち頷く。寺田寅彦は「文明が進めば進むほど、天然の猛威による災害が、その激烈の度を増す」(「天才と国防」)と書いている。反対にいえば、東海大震災のときはこの程度ではすまない、ということだ。阪神大震災でも被害が大きかったが、都市が直撃になれば、今回の比ではない。もう「想定外」ではゆるされない。今度はM9でなくても、浜岡、福井に多大な被害が出るということは、既に指摘されている。「豆腐の上に立地する国」に原発を立ててはいけなかったのである。特に危険なのは中部電力の浜岡原発である。(略)運転を強行しているのは、危険性を認めればメンツを失うことを危惧しているとしか考えられない。メンツより人の命のほうが大事なのは言うまでもない。原子力専門家は、とりあえず中部電力ににたいして浜岡原発の運転中止を迫るべきだろう。ジャーナリズムの怠慢についてひとつひとつその通りだと思う。記者会見の様子がテレビ放映されているが、「まだ確認されていない」「今後報告する」「現段階では明確にいえない」というような逃げの回答への追及が極めて弱いのだ。原子力推進派しか専門家として招聘していない、等その通りだと思う。今後の原発政策の展望について、一番分かりやすく語っていたのは、環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏と「ミツバチの羽音と地球の回転」の監督である鎌仲ひとみさんとの対談であった。まずは飯田さんは「原子力ムラ」の問題点を指摘する。よく言われるのは、東電と保安院は同じ通産省だから私はそれぞれ独立させればいいとおもっていたが、飯田氏によればそれでも機能はしない。なぜならば、どちらも先祖を辿れば、東大工学部の何々先生の出身だと仲のいい人ばっかりで、お互いに痛い所をつくようなことは決してしないのだそうだ。それでも、このムラのなかで原子力安全委員会は、文部科学省や旧動燃・旧原研という村を仕切る役割があり、原子力安全保安院というのは、経済産業省の「電力村」を仕切る役割がある。二つは、戦時中の陸軍と海軍のようなもので、政治構造としてはまったく同じ構造。「戦艦大和と原発や再処理工場は、世界の現実を見ようともせず、過去の成功体験に浸って巨大技術に突っ走る点でも同じです。参謀本部の無能さや思考回路も同じで、国民を平気で犠牲にする思考までそっくりです」メディアと世論は変わるか鎌仲「基盤はまだ変わっていないですね」飯田「今のところ変わっていない」「安全にやれば原発はまだ使えるのではないか、と思っている人は、基本的に三つのことが分かっていない。一つは経済的観点。二つ目に日本の原子力がこれから急激に減っていくということを知らない。日本では運転開始から40年を経過した原子炉は安全面から鑑みて順次停止されていくことになにっています。そのことを前提にして日本のエネルギー政策は考えなくてはならない。三つ目は原子力以外に極めて有力な選択肢があるということが知られていない。この三つのことが認知されれば、そういう(東京新聞、原発続けるべきだが56%)アンケート結果になりません。」鎌仲「福島知事と同じようなことが、日本中の原発立地自治体で起きてくる。そのときに地域が生きていく方向性がどういうものなのか、祝島の挑戦には大きな意味がある」自治体は残念ながらそうはならなかった。どう思うのか。飯田「太陽エネルギーはわれわれが化石燃料で使っているエネルギーの一万倍降り注いでいる。屋根や空き地など、使っていない平面の5%を探せば、一兆キロワットをまかなえる。」「世界全体で見ると、風力発電は毎年30%づつ、市場を拡大しており、2010年に原子力の半分に当る2億キロワットに達し、あと3-4年で原子力の3.8キロワットをほぼ追い越すだろうといわれています。」「いま、200万キロワットの風力を3000万キロワットに増やし、太陽光で7000万キロワット、それに地熱、と小水力とバイオマスを加えれば、自然エネルギーで30%を供給することは出来る。
2011年04月20日
コメント(0)
大江健三郎がル・モンド紙のインタビューに答えて語っている言葉が、とても鋭いものに思えた。「広島・長崎の原爆死した死者が、私らを、核兵器を相対化する視点から遠ざけました。私らは、そのようにして根本的矛盾を意識しながら、しかも日本の事実上の再軍備、アメリカの軍事同盟を受け入れたのです。これが日本という国のあいまいさの中心に居座ることになりました。」日本という国の「あいまいさ」についてはたぶんノーベル文学賞受賞スピーチで述べた通りなのだろう。しかし、それが原発政策に対しても貫く原則になっていたということは、私はこの発言で気がついた。「日本のあいまいさを、堅固な外交政策として安住させたのが、アメリカの核抑止政策への理由のない信頼です。それと原子力発電所の安全性への理由のない確信とは、つながっていないでしょうか」そして大江はその意味がさらに「危機的な行き詰まりに至っている」という。「1994年に私の言及した「あいまいな日本」は、なお猶予期間のある、あいまいな国でした。あいまいなの対義語は、はっきりしているです。」そのあと、大江は原発問題に対する言及を「あいまい」にしたまま、沖縄問題への意思表示をあいまいなままにしてはいけないと、良く分からない言葉でインタビューを終わらす。このわかりにくさが大江の欠点であり、私が大江を読まない理由ではあるのであるが、しかし「理由のない信頼」という言葉はいかにも文学者らしく「的を得た言葉」であった。石橋克彦氏の以下の指摘はこの四週間私が思い続けてきた日本の危機管理の弱点をきちんと言葉にしてくれていた。半藤一利氏の「昭和史1926-1945」を読むと、日本がアジア太平洋戦争を引き起こして敗戦に突き進んで言った過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ている事に驚かされる。「根拠のない自己過信」と「失敗したときの底の知れない無責任さ」によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、「起きては困ることは起こらないことにする」意識と、失敗を率直に認めない態度によって、戦争も原発も、更なる失敗を重ねた。そして多くの国民を不幸と困難の底に突き落とした(落としつつある)。「世界」論者が一様に言っていたのは、(専門家たるもの)「これは「想定外」だというような言葉を、軽々しく使わないのが「専門家」と称する学者や企業の責任なのだ。」ということだ。坂本義和氏しかり、池内了氏しかり、飯田哲也氏しかり、石田力氏しかり、その他しかりである。ひとつ気がついたのは、日本はまたひとつの世界共通語を作っていたということだ。「フクシマ」。「フクシマを繰返すな」「フクシマを教訓に」。この言葉がどのように育っていくのか、それは我々日本人にかかっているだろう。神保太郎の「メディア批評」を読んで、改めて原発に対する日本のマスコミの批判性のなさ、腰砕け、腐敗を思い知った。13日の新聞は総てのマスコミ新聞が原発問題について言及している。しかし、日本原子力の父正力松太郎を社主としていた読売だけでなく、脱原発につながる論説はひとつもなかったと言うのである。
2011年04月19日
コメント(2)
昨日の続きです。小森「加藤さんは2007年11月の第二回全国交流集会で、今までは九条を変える、明文改憲ををすると言ってはばからない安倍政権のような単純な政権に対し、広範な一致点で九条を守ろう、といってきた。(略)けれども福田政権に替わって、理屈も扱い方も慎重になった。そうしいう中で九条を「守る」だけでなくて、「生かす」運動に転換していかなければならないし、それは長丁場のうんどうになるだろう、こうおっしゃいました。(略)」加藤「はじめに、二つの動詞、「守る」と「生かす」とが、どう違うかということですが、まず「守る」ほうは、今小森さんが言われたような、名文が憲法に書かれているのだから、その条文を変えないということで、ことに一項、二項を変えないのが「守る」でしょう。(略)非常にハッキリしていると思う。だから、スローガンとして生きると思う。 ところが「生かす」のほうはそうではないと思います。どういう政策を採るか、いくつか選択肢があり、その中のひとつをとるとき、今度の政府は少なくともそれが唯一の生かす道だとはいわず、いくつかある生かす道のひとつだというだろうと思います。それに対してわたしたちは「そうではない。それはいくつかある憲法を生かす道のどれにも属していない。あなたの提案している政策はどういう意味でも憲法を生かすことことにならない。憲法の精神を殺すことになるんだ」、ということをいわなくてはならない。(略)仕方ないですね。相手が変われば、こちらも変わらないわけにはいかない。だから、憲法についての考えをそもそも細かくし、それをあらかじめ内面化することが必要です。一人でするのは大変だから、みんな集まってお互い助け合いながら、理論的に整理することが必要です。つまり「憲法九条は変えたくない、守りたい」と言ったら、「しかし、解釈をもっと自由にする必要があります」という反応がきたときに、それを反駁し、反論する理屈をやはり考えなくてはならないということです。しかるべくよく勉強して、毎日の積み上げでもってしっかりした理屈をもっているように進んでいかなくてはいけないと思う。それが私のいう、単に守るのではなくて生かす必要があるということ、精神を生かすことなのです。」→この発言の背景としては、福田内閣の当時の情勢があったわけだが、その後民主党政権が誕生し、憲法問題が一時期後景に押しやられた現在いよいよ現実的な課題となっている。民主党政権がついに解釈改憲をタイムテーブルにのせてきたのである。この九条の会がこの数年、憲法を語る会を企画し、一見憲法とは関係ないようなテーマや人物も呼んできているのは、まさにこの加藤周一の問題意識を受けてなのではないだろうか。「憲法についての考えをそもそも細かくし、それをあらかじめ内面化することが必要です。一人でするのは大変だから、みんな集まってお互い助け合いながら、理論的に整理することが必要です。」ほんとうに大変だけども、昨今の海兵隊抑止力論が出たときに、沖縄だけでなくて、日本全土で草の根学習会ができるような、そんな力量を私たちは持っておかなければならない。言うは易く……。加藤「(北朝鮮問題について)私は経済封鎖しないほうがいいと思います。経済封鎖は中途半端です。平和的に解決するというのが、憲法の精神なのだから、それで押し通すべきだと思います。経済封鎖をやれば、それで足りなければ武力封鎖ということになるわけです。あるいは、経済封鎖をして本当に有効に働かせるつもりならば、必要に応じて武器を使わざるを得ないというようなことになる。たとえば、今言っていた臨検です。臨検して相手が抵抗してきたらどうするのですか。(略)初めから武力を使うことを念頭に入れながら圧力を加えるというようなことをすれば、本当に使わなくてはならなくなる可能性が高いと思います。」→たとえば、北の脅威がゼロということはないと思う。しかし、そのためにやれ核兵器を持てとか、経済封鎖だとかという発想は「現実的ではない」と私は思うのです。加藤「今日本は分かれ道にいる、というスローガンがありますね。(略)どちらをとるかということは決めたほうがいい。そうしないと実行することが困難です。いま勉強して反対だったら、できるだけ憲法の精神に反する道は歩きたくないという。戦争は嫌いだと言わないで、日本が戦争を始めたり、戦争に参加するような道を開くことに反対だという。主語は日本国であり、そして、今すぐ戦争をするかしないかが問題ではなくて、戦争へ繋がっていく道をとるかとらないかが問題であることに気づくことですね。(略)見逃してはならないのは、やはりなし崩しということ。変化が小さいから見逃していいのではなくて、小さい変化にこそ注意すべきだと私は思います。」→ここは、非常に大事なことだと思う。(2008年4月対談)加藤「戦争準備で大切なことが二つある。一つは武器を持つこと。その結果、軍産体制ができる。しかし、武器だけでは戦争は絶対にできない。(略)すくなくともある程度まで多くの国民が戦争を支持しなければ、戦争はできない。」加藤「(宣伝で気をつけること)戦争が正しいんだという信念。または錯覚、あるいは狂気、哲学。ともかく精神的なもの。(略)私が警戒するし、好まないのは「富士山は日本一の山」のあとに「世界の人が仰ぎ見る」ということ。(略)「日本一の富士山」まではファシズムではないけれども、「世界の人が仰ぎ見る」にはある錯覚があり、価値観の押し付けがあります。だから「世界の人が仰ぎ見る」が始まったら危ない。戦争準備ということを警戒したほうが言いと思います。」→このあたりの加藤のまなざしは、すでにあと10年スパンで気をつけることを言っているのだと思う。それから二年立った。あと、八年、われわれは戦争の芽に敏感でなければならないと思う。もちろん、気がついている人は既に気がついている。法律の改悪?有事立法は既に成立している。国民投票法は既に成立している。タブーは?教育基本法改悪は既になった。批判的な組織は?朝日新聞は九割がたもう駄目だ。組合は30年以上前からがたがただ。小選挙区制で反対政党は10年以内に0か1になるかもしれない。なし崩しということ。けれども、まだ希望はある、きっと。
2011年04月18日
コメント(2)
「加藤周一が語る」聞き手小森陽一 九条の会編集このパンフは九条の会から取り寄せて読ませてもらいました。二回の対談があり、最後は2008年4月26日であり、この直後に胃がんが発見されているから、実質最後の対談本だといっていいのかもしれない。(加藤周一の絶筆は夕陽妄語七月掲載分、最終発言はETV特集)だが、しかし、ここにも遺言といっていい発言が多くあり、読んでよかった。ランダムに紹介したい。(2007年12月1日の対談)小森「問題の整理をします。ほとんどのマスコミが論評していない(大連立を話し合った)小沢・福田密室会談の意味、それは、いままで日本の歴代政権があいまいにし続けてきた対米関係を重視するのか、それとも国連を重視するのか、この二者択一に関して、小沢一郎ははっきりと、対米よりも国連の安保理の決議を重視するという意見に踏み込んだ上で会談がもたれたことにある。」→正直、大連立構想に対してこの視点を私は持っていなかった。加藤氏の慧眼に敬服します。この時点でここまでハッキリしていたことは重要です。なぜならば、鳩山が2010年1月突然ころりと意見を変えたのは、まさにこの点に関してアメリカから「恫喝」に近い要請があったからだろうと想像できるからです。現在の「小川叩き」はまさにここに関係しているだろうと私は思います。国連重視案の是非は置きます。2011年春に突如起こった「大連立」の意味はまったく違います。いまや、民主、自民共に「対米従属」の立場は同じ。これにTPPがなれば、みごとに米国の属州化は完成でしょう。加藤「(「テロとの戦争」からの軌道修正について)はじめはかなりの国がイラク征伐をした。だけど、その戦争を支持していた国はだんだんと減ってくる。(略)どうしてそうなるかというと、大衆が反対だから。だから、大衆の反対が世界政治をかえるということのひとつの非常に鮮やかな例が、今われわれの眼前で起こっているということになると思います。」→これが10年スパンで考えたときの世界史の流れです。日本にいるとなかなか見えてみえてこない。日本は極めて例外的な動きをしているのでなおさらです。加藤「日本の外交の弱みは、日英同盟の頃から、つまり明治から、いつも孤立することへの恐怖です。だから何とかしてその孤立を破りたいという感じが非常に強い。たぶん日本外交の要のひとつは、孤立を破ることだと思います。ところが、あるときには成功し、あるときには成功しないわけですが、こと最近はあまり成功していません。今の日本は、確かにアジアの国々から孤立している。日本は中国や韓国の若者が一番あこがれる国ではありません。いくら日本の政府でも、そのくらいのことはもちろん知っていて、アジアで孤立していることは感じていると思います。ただし、その全部に匹敵するくらいの強力なボスがアメリカで、アメリカに頼っていれば、たとえその周りの連中がいくら日本嫌いでも、それからトラブルにになっても、いざというときにアメリカが助けてくれる。(略)ところが、そのアメリカが変わるときがくると、本当に孤立するわけで、日本にとって不幸なことになると思います。(略)日米関係は日米一体であるといっても、そんなに一体ではない。日本側はそう思っているかもしれないけれど、米国側は別に一体だと思っていない。(略)彼らは、そういうことで外交政策を決めません。それは文化の違いであって、鶴の恩返しなどと日本では言うけれど、アメリカの恩返しはそう期待できないだろう、と私は思います。」→ジャイアンとスネオの関係のような、心理学の面からこれからの処方箋をかけるかもしれません。この指摘は、もしかしたらかなり予言的かもしれません。実際、アメリカはいつでも日本を切るでしょう。日本はそれができない。自公民がやっている限りでは。小沢のときにその可能性はありましたが、アメリカ財界、自公民、マスコミが全力を出して潰してしまいました。見事なもんでしたね。
2011年04月17日
コメント(2)
![]()
「人は愛するに足り、真心は信じるに足る アフガンとの約束」中村哲 澤地久枝 岩波書店中村哲さん関係の本を読んだのはこれがはじめてである。講演を聞いたこともない。噂だけは聞いていた。立派な人だ、という噂である。医者なのに、アフガンに行って、人の命を助けるために、井戸を掘るようになった、ということも聞いていた。自衛隊派遣の対極にある人、という印象だった。2008年8月第一回目のインタビューが終わった直後にに、伊藤青年の死亡事故が起きる。中村医師は、日本人として一人残って用水路堀りの仕事に専念している。中村医師は、ペシャワール会という600万人の食料を保証するための事業を完成するためのNPO団体を運営するために、表立って発言している。しかし基本的には九州男児、あまりパフォーマンスは嫌いな性質だということがわかった。澤地久枝という一級のジャーナリストの聞き手を得て、立体的な中村哲像が浮かび上がってきていると思う。伯父が火野葦平で、彼は戦前に転向して「麦と兵隊」という従軍小説を書く。戦後火野は1931年の港湾ゼネストを背景にした「花と龍」という小説を書く。この中に、実は中村医師の父親勉も参加している。勉は日本共産党の傘下にあった全協に派遣されてその総指揮に当たったのだ。しかし、逮捕されてやはり一時転向した。母方の祖父は玉井金五郎、いわゆる川筋の顔役だった。……「革新」と「任侠」。そして「文学つまり思想」。この三つの系譜をみごとに受け継いだ人物が、中村哲という人物なのではないか。昨年6月図書館に予約して半年後にやっと読むことが実現できた。本来ならば、少しでも支援するために買ったほうがいいのだろうけど……。以下印象に残ったところをメモする。「(北朝鮮の拉致問題について)私はいま、家内の里の大牟田というところにいるんですが、あそこは何百人だか、何千人だか、強制連行で朝鮮人が連れてこられて何百人も死んでいます。そのことは皆、忘れているんですね。拉致という行為そのものは、国家的犯罪ですから、北朝鮮が悪くないなどととうことは一言も言いませんが、それ以上のことを日本はした。大牟田の炭鉱で数百人が死んでいて、一番労働条件の過酷なところに朝鮮人労働者は回されている。その合同葬儀がちようど、横田めぐみさんの拉致などを連日報道しているときにあったのです。在日の知り合いに、意見を聞いたら、「先生、それを言うと日本中から袋叩きにあいますよ」というのです。つまり、彼ら自身も自粛するような、このムード。これは戦時中のムードに近いものじゃないかと感じました。自分の身は、針で刺されても飛び上がるけれども、相手の体は槍で突いても平気だという感覚、これがなくならない限り、駄目ですね。」澤地「人の行動原理を律するという意味で、儒教というのは十分宗教的だとおっしゃいました。ご自身はクリスチャンでいらっしゃる。そのクリスチャンであることと、十分宗教的であるという意味での儒教的なものが、実際にパキスタンや、アフガニスタンで活動をなさるときに、ご自身の中でどのように生きているのか」中村「(略)私が馴染まされたのは、陽明学の「論語」です。(略)王陽明が考えるのは、実は、われわれの智識以前に事実があるのだと。その事実を感得するかどうかで、その人の徳の高さが決まるのだというのが、大体われわれが習った論語の読み方です。その「事実」は、イスラム教の中にもあるわけで、(略)だから「キリスト教の仲間だけで通用する言葉でなく、そのあたりを歩いている普通のイスラム教徒にもわかる表現で語ろう」ということも出てきます。」「マドラッサで学んでいる子供をタリバンというのですが、それはアラビア語です。単数形がタリブ、複数形がタリバンですが、マドラッサで学ぶ子供のタリバンと、政治勢力としてのタリバンは違うのです。その区別も良く分からずに「タリバンが終結している」というので爆撃して「タリバンを80名殺した」と新聞に載る。死んだのは皆、子供だったとかね。タリバン=過激思想の持ち主じゃないんですよ」澤地「日本の対アフガン政策のリアクションとして、一部の人にしろ、テロ行為を容認する人たちが、対象攻撃に日本を加える可能性が大きくなっている、既にそうなりつつあると言っていいですか」中村「次の世代はそうでしょうね。いま、残っている世代、大人の世代は、それなりの親近感をもってやってきましたけど、次の世代は日本人=欧米人という見方をせざるえないでしょう」一番多いとき24人の日本人スタッフがいたが、今もこれからもスタッフは一人つまり中村医師一人だと中村氏は言う。「(あとを引き継げる現地スタッフは)正直言ってこれからも育たないと思います。それは、やはりある人格を中心としたひとつのまとまりなので、どんな優秀な人がやっても、決して代役がきかないのです。」用水路は日本のそれが誰が作ったのかもわからないようにやがて名前は忘れられるという。「そうやって人の名前は忘れられる。しかし、そのものは残っていく。」中村「首都カブールに行きますと、東京銀座かおまけのきらびやかなアーケードができていて、何か起きないほうがおかしい。あれを見て、普通の正義感のある地元の人が、怒らない筈は無いと思うんですね。」澤地「それは石油をもとにした大金持ちがいるということなんですか」中村「いやいや、そうじゃないんです。国外からの援助で潤った政治家や商売人たちが、それを作っているんです。かたや餓死者が次々と出ているという状態、かたや、大金持ちが庶民では生涯できないほどの贅沢をしていて、それを外国の軍隊が守るという、この構図。これが崩れないわけがない。そのなかで、テロ特措法だのなんだの、むこうで聞いていると、トンチンカンなものを議論しているという気がしてならないです。」(国会での証言)アフガンの農村では復讐というのは、絶対の掟である。一人の外国兵死亡にたいして、アフガン人の犠牲はその百倍と考えていい。陸上自衛隊の派遣は有害無益、百害あって一利なし、というのが私たちの意見です。
2011年04月16日
コメント(16)
![]()
「ゴールデンスランバー」伊坂幸太郎 新潮文庫伊坂幸太郎は仙台在住の作家であるが、今回の震災に関しては特別なアクションはおこしていないようだ。彼はクールな人間だから、いつの間にかしらっと今回の未曾有の災害をテーマに小説も書くのかもしれない。伊坂幸太郎は直木賞に嫌われている。これほどまでに人気作家で、かつ新しい世界を作っているのにも拘らず、直木賞を受賞する気配がない。この作品に関しては、特にわざと避けられたのではないか、と勘繰りさえする。なぜならば、とても危険な小説だからである。監視社会、マスコミ操作、アメリカの影という一種巨大な組織の力が背景に描かれる。普通の小説と違うのは、全く普通の人間がその生贄として選ばれ、彼にはその巨大な「力」と闘う方法も、度胸も、その気さえないということだ。普通の小説ならば、その他大勢として小説の前段階で消されるべき人物である。ところが彼は逃げおおせる。これは今現在「巨大な力」がもしあれとすれば、最も危険な筋書きのはずだ。どうも陰の力が働いて、特にこの作品に限ってでも、伊坂にまともな賞を取らせるな、という陰謀が企てられても可笑しくはない。ところが、世の中は上手く行かないもので、本当に面白い作品には、辺境から評価されるものである。山本周五郎賞と本屋大賞のダブル受賞はそのようにして起こり、出版から二年と少しで映画化されてヒットするということも、「巨大な力」の想定外のことであったに違いない。……というような妄想は置いといて、映画を見て十分に筋立ては知っているのにも拘らず、大変楽しむことができた。「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ」「オズワルドにされるぞ」「いいか、青柳、逃げろよ。無様な姿を晒してもいいから、とにかく逃げて、生きろ。人間、生きててなんぼだ」「ロックだねえ」「俺は犯人じゃない。青柳雅春」だと思った。「いいか、俺は信じたいんじゃない。知ってんだよ」「まあ、雅春、ちゃっちゃと逃げろ」「なかなか洒落が利いてるお便りが」「たいへんよくできました」映画でとても印象的だった台詞が原作の中でそのまま使われている(じゃなくて映画でそのまま使われている)のは、大変嬉しかった。
2011年04月15日
コメント(12)

今起きていることを忘れないようにしよう今起きていることは未曾有の出来事だ活断層が震えて何百キロもずれたかのように今まで見えなかった社会の断面今まで気がつかなかった人の側面見えているはずだ本からの知識じゃない人からの受け売りじゃない自らが感じたことその時の臭い、ざわめき、暗さを一緒に覚えておこうそれこそが未来の子供たちへわたしたちが伝えることなのだから写真は先日の日曜の岡山西川沿いの桜並木である。投票をした後、弁当を持っていって小さな花見をした。今年の桜はすぐに散った。去年が咲いてから寒波がやってきて10日ぐらい持ったのとは大違い。その分東北に桜の開花期間が延びてほしいと思う。この写真は裏山の山桜である。この前の祝島の桜を山桜と言ったのは、訂正します。山桜は葉と一緒に咲かないといけませんでした(^_^;)うちの山桜はソメイヨシノの一週間前くらいに咲くようです。
2011年04月14日
コメント(0)
朝起きて一番最初にすることは、寝ながらテレビを見ることである。時には夢を見ながら二時間~三時間見る。最近は、春眠の中で気持が暗く暗くなっていく。今朝も、何度も何度も原発事故レベルが7に引き上げられたとニュースが流れていた。安全だ、安全だ、と言いながらいつの間にか最悪の事故レベルまで行き着いてしまった。昔の大本営発表が、こんな感じだったのだろうか。と布団の中で思う。このような日々が、被災地から遠く離れたね親類にも被災民は誰一人いない立場の朝の風景である。最近みたツイッターから。yamamototaro0 山本太郎俳優 原発発言やリツイートはCHECKされ必ず仕事干される、お前がその事に触れられぬ事は皆判ってくれる。二週以上前から母は僕に釘をさし続けた。日雇い労働役者稼業明日から干されてどう生きてく?だからって黙ってテロ国家日本の片棒担げぬ。親不孝許せm(__)m日曜高円寺行くのも許してチョ山本太郎の呟きは「本気」である。四月四日にはこんな呟きもあった。kou_1970 鈴木 耕 朝日新聞(4日付)で、福島県出身の西田敏行さんが「今度だけは怒りを」と語っている。「今度だけは、東京電力や原発を進めてきた政治家たちに怒りの声をあげたい」と。これが真っ当な感覚だろう。他の芸能人たちも、チャリテイや募金活動もいいけれど、せめてこのくらいの発言を…。この西田さんのコメントは私もたまたま読んだけど、「今、心の整理がついていない」と言い訳めいた前書きを書いた上で「今度だけは怒りを」といったのである。それほどまでに原発批判はマスコミ内ではチェックされるのであろう。それがそのまま、仕事が干されることにつながるというのは、果たして政府首脳や経済人の好きな「自由と民主主義」の国のことなのだろうか。恐ろしいのは、西田敏行も山本太郎も「例外」だということだ。kharaguchi 原口 一博 昨晩、TVで共に出演した方から電話がありました。「浜岡原発の停止について議論をした部分やいかにして原発の危険性・原発を減らしていくか話しあった部分など、安全神話だけを強調してきた人たちが嫌う議論は放送から全て抜け落ちていました。」と。編集権は侵せません。だからこそ公正に!民主党の原口議員の呟きである。この番組は月曜のタケシの「TVタックル」のことである。もう東電の破産は決まったようなものなのに、マスコミはこれほどまでに原発批判にはびくびくしているのである。TVだけではない。国民のみんなが感心を持っていることが全然わからないのは、新聞含めてマスコミの取材力が全然及び腰だからではないか。だから自由報道協会の人たちや赤旗記者の質問が、今回非常に注目されるのである。iwakamiyasumi 岩上安身 私の質問に対する菅総理の回答続き。「何らかの問題があれば、稼働を止めなくてはいけないかもしれないが、どこかの炉を止めることは考えていない」。原子力政策の根本的な見直しはなし、浜岡原発のような危険な原発の緊急停止も考えていない、と。つまり、これまでと、何も変わらず、と。「震度6ていど」で不具合が起こっている原発問題が進行中なのに、震源地がどんどん南下しているのに、浜岡原発を止める検討さえしない、菅首相はいったい何処を向いているのか。いくつもいくつもげんなりすることばかりが起こる毎日。せめて、これ以上の惨事が起こらないように、早く東北の復興だけに気持を持っていける日が来るように、願わずにはいられない。
2011年04月12日
コメント(20)
![]()
鈴木 耕さんのツイッターでの呟きです。kou_1970 昨日、高円寺のデモに行った。主催者発表で1万5千人。若い人(私たちを除いて)が多い。労組や団体の動員は全くなし。ネットで呼びかけただけでこれだけの人数。凄い。しかし、ほとんど報道されない。私が取っている新聞では、東京新聞がやや大きめ、毎日は芝公園のデモに小さな記事。朝日は無視。この反原発のデモで目立ったのは、外国の報道機関ばっかりだったらしい。いつもはマスコミの「デモ無視」の姿勢に対しては、私も諦めを感じていたのだが、今回ばかりは怒りを感じ得ない。「共産党系」の健康保険が医療費二割負担に変わるときにたしか10万人デモをしたことがあった。マスコミはベタ記事のみ。そのとき以来の「怒り」である。それ以降は三万人デモを組織しようが、二万人デモを組織しようが、マスコミはずっと無視し続けてきたが、彼らの言い訳は「動員のデモは重視しない」ということだった。動員=自主的でないとでも思っているかのような不遜な態度があるのだが、今はそれは問わないとして、今回、それこそネットで集めた「自主的な」デモにマスコミは無視を決め込んだ。今までのいい訳が、いい訳だったということの雄弁な証拠である。戦前のマスコミの態度に通じる、「言い訳」だと思う。別に反原発を唱えろ、ということじゃない。都民が原発推進の知事を選んだその日に、このような特異なデモが都下で起こったことを対比として見せるのは、充分に報道の役目だといいたいのである。「阪急電車」有川浩 幻冬舎文庫映画の予告編が流れていて、この映画の大体の雰囲気やあらすじは分かります。(公式あらすじ)恋の始まり、別れの兆し、そして途中下車……関西のローカル線を舞台に繰り広げられる、片道わずか15分の胸キュン物語。大ベストセ ラー『図書館戦争』シリーズの著者による傑作の連作集。阪急宝塚線の今津線を舞台に、宝塚駅から西宮北口駅までひと駅づづ数組の登場人物を配置して数エピソードを語らせつつ、折り返して約半年後の西宮北口駅から宝塚駅までの一駅づつのその後の登場人物たちの数エピソードを語らせる。小説としても分かりやすい。登場人物たちは、普通の庶民たち。弱点もあるし、いいところもある。楽に読ませる小説である。ちょっといい話を読んだな、という気にさせる。私のあまり得意でない分野なのであるが、読む気になったのは、ひとえに映画化されるからである。私ならば、映画をどのように作るか、興味があった。小説ならば、駅名がそのまま章立てになる。映画ならば、駅名をいちいち字幕で現すのはおしゃれではない。さりげなく場面に映すだろう。その他いろいろ「撮り方」を考えてみて、それが果たしてどれくらい映画では使われているか試してみたくなったというわけだ。映画では、老婦人(宮本信子)と寝取られた女(中谷美紀)とDV被害の女(戸田恵梨香)が主人公のようだ。私はDVエピソードよりも、図書館が結ぶ恋のほうを中心に持ってきてほしかった。刺激が少ないというのだろうか。小説はこのエピソードが冒頭に入るし、それを冒頭に入れるのが最も自然だと私は思う。武庫川鉄橋から見える「生」の字のエピソードも必ず入れたいところだ。これは映画的に映える場面だ。登場人物が次々と変わり、それぞれの登場人物が少しづつ関わっていくためには、登場人物の登場の仕方は工夫のしどころ。電車に入るところを総て最初の登場とさせてリズムを出させるのはどうか。電車の中の撮り方は、俯瞰を多用する。奥の人間がやがて時間の経過とともに主人公になる。よって、長回しを多用する。もともと平凡なテーマなのだから、色々と映像的な実験をしてほしい。さて、果たしてどうなるか。
2011年04月11日
コメント(4)
石原が25%の有効投票をも取って早々と当選確実になったらしい。とりあえず、原発政策はこれで何も変わらないかのように推移するだろう。しかし、何も変わらないという結果を出したことで、大きく変わるエネルギーはさらに蓄積されたと見るべきだろう。今度変わるときにはM7.4 の地震がM9の大きな揺れになるかもしれない。ところで、昨日知ったのですが、私のブログに激震が走りました。まるで予告もなく汚染水を垂れ流したごとく、楽天がTBを受け付けなくするようです。8日にこっそり発表して早くも11日から実施する。一番困るのは映画の記事です。(その後19日以降に延期されました)ご存知のように、ブログにはTBという素晴らしい機能があります。自分から相手のブログにリンクを張ることが出来る。そうやって、あっという間に複雑な事象がマスコミを経ずに広まってきたのがこの5年間でした。TBを飛ばすことは出来る、しかし受け付けることはできない。これでは、片足をもがれたのと同じです。普通人間は片足がなくなると歩く速度が半分になるのではない。歩けなくなるのです。一番困るのは映画の記事です。映画ブロガーはなぜだかは知りませんが、他の読書ブログや政治ブログとは違い、受け付けたTBは返すのが礼儀だという「文化」が根づいています。TBを受け付けなくなった段階で映画記事を書いてしまうとそのままTBを送れなくなるのです。受け付けることができないTBを送るほど失礼なことはありません。今回のことで、楽天からはなれて行くブロガーは相当数出ることでしょう。私も悩んでいます。とりあえず、楽天ブログに載せる映画の記事はこれで最後にします。とりあえず、何人かにTBを飛ばします。これはTBが受け付けれなくなったというお知らせだと思ってください。よって、TB返しは申し訳ありませんがして下さっても受け付けない場合があります。19日以降は完全に受け付けません。他のところで、映画のみのブログを立ちあけるか等検討もしています。そのときはよろしくお願いします。「ザ・ライト エクソシストの真実」ルーカス神父の悪魔祓いを見て、結局精神病患者を儀式で治しているのではないと、誰が言えるだろうか。監督 ミカエル・ハフストローム 出演 アンソニー・ホプキンス (Father Lucas Trevant) コリン・オドナヒュー (Michael Kovak) アリシー・ブラガ (Angeline) シアラン・ハインズ (Father Xavier) トビー・ジョーンズ (Father Matthew) キリスト教世界では、未だに天使ルシファーと悪魔との闘いは続いていて、その反映が現実世界にも降りかかっているのだという。だ、とすると、悪魔が自由に活躍をしたいならば邪魔の入る可能性の非常に低い日本とかアジアとかの非キリスト教圏内に行けばいいのに、なぜ日本では欧米式の悪魔(汚い言葉をいい、知らない間に自分を傷つけたりする)が流行らないのか。もちろん日本にも狐つきはいる。けれども、狐つきは、そんなに悪さはしない。神様のいるところのほうが悪魔君たちはほんとうは居心地がいいのだろうか。敵がいないと燃えないタイプ?と、いうような醒めた目で見るとまったく面白くない映画です。気をつけてください。やっぱり悪魔はいるか否か、自分は「疑うもの」になるべきか否か、というような葛藤を抱えながらみると、ああ有意義映画だった、アンソニーホプキンスは悪魔がついただけでどうしてあんなに雰囲気変わるんだろ?と感心して見れると思います。けれども肝心の「悪魔はいるか否か」というようなことは全然深めていません。かといってエンタメに徹しているわけではなく、淡々とすすめるのです。残念な出来でした。ところで、一体どこが引っかかって「自粛」になっちゃったんだろ?全然分かりません!
2011年04月10日
コメント(8)
![]()
東北に住んでいる作家はどうしているのだろうか。ずっと気になっていた。具体的には、仙台在住の伊坂幸太郎と岩手在住の高橋克彦である。今日雑誌「世界」を買いに行ったら、たまたま「群像」に二人の名前があった。伊坂は「PK」という短編を何事も無かったかのように掲載していて、なんのコメントもなかった。高橋克彦は特別寄稿「東日本大震災」を書いていた。盛岡で被災したようだ。被災二週間後の寄稿でまだ整理がついていない様子だ。しかし、私は以下のところをその場でメモした。一番知りたかったことが書いていた。「(略)そんな状況下にあって、被災地の人々は負けてはいない。ばかりか他の被災者を気遣い、励まし、助け合っている。そういう報道に接するたびに、私は同じ県民として心底からの誇りを覚える。本当の強さとは、このことだ。優しさこそ一番の強さなのだ。 東北はこれまで何度となく中央との戦に巻き込まれ、そのたびに敗北し、迫害と犠牲を強いられてきた歴史を持っている。私はその苦難を乗り越えてきた東北の民の「強さ」が今は失われていると思い込んで多くの物語を紡ぎ、取り戻してもらいたいと願ってきたのだが、私が案じるまでも無く東北の人々にはその「強さ」がしっかりと受け継がれていたのである。この心さえあれば、東北はきっと立ち直る。(以下略)」高橋の著作はアテルイ(「火炎」)の物語から始まって、前九年後三年の役、平泉の戦い(「炎立つ」)等を私は読んできた。高橋克彦は、この震災で必ず新しい確信に満ちた「敗北ではない」物語を始める事だろうと思う。さて、珍しく純文学なるものを読んでみた。「時が滲む朝」楊逸(ヤン・イー)文春文庫日本語を母語としない作家で初めての芥川賞受賞作。89年天安門事件前夜から2008年北京五輪前夜まで。大志を抱いて大学に進学した「二狼」の物語。作者はまだ文化大革命の残滓に成長した青年だった。「あとがき」では「革命しないとは、すなわち反革命である。反革命は死刑になるほどの罪だ。そんなロジックを元に、与えられた選択肢は常に「赤」か「黒」かの両極端のものだった」という田舎で育った人だった。だからこそ、「民主」(選挙による政府)は、総てをばら色に変える合言葉だったのだろう。「大学の寮の中でこっそりテレサ・テンの歌を聴いた経験や、尾崎豊の名曲「I love you」から受けた衝撃などは、むしろ私自身の体験に基づいたものだといえよう。」アメリカをバラ色の国ととらえ、日本を自由な国だという中国青年たちの「普通さ」を20年たってやっと私たちは文学として読むことが出来る。矛盾の中で世界史は動いている。もちろん、俯瞰の目で見ることは必要だ。けれども、それだけでは世界は見えない。日本はこれから曲がり角を曲がる。曲がらなければならない。「赤」も「黒」も選ぶことの出来ない「普通」の庶民にとって、中国の経験は他山の石ではないだろう。
2011年04月09日
コメント(6)
![]()
花見自粛ムード、見直しの動き(4/8読売)とういう動きになっているようです。「井の頭公園では、園内に設置した宴会自粛を求める看板が撤去され、アナウンスでの自粛要請もやめた。公園を管理する都西部公園緑地事務所は、「報道などを通じて(自粛を求めた趣旨が)周知できたと判断した」としており、方針を撤回したものではないと説明している。 中央区も区内11か所の公園に設置した宴会自粛を求める看板を撤去し、花見の際はマナーを守るよう求める看板に切り替えた。区水とみどりの課によると、「世論も変わってきた」として区長の指示で方針を変更したという。」けだし、当たり前なり。しかしながら、看板どころか、アナウンスまでしていたとは!!これは実質的に「自粛命令」の「撤回」なのであるが、「方針を撤回したものではないと説明」する。つくづく、日本の役所というか、お上は同じようなことをしかしない。昔、「撤退ではなく転進である」といっていた支配層もいた。方針は撤回はせず周知した ごめんなさいあっ、本の感想でした。「吉武高木遺跡 最古の王墓」シリーズ遺跡を学ぶ 新泉社 常松幹雄福岡県福岡市の西、吉武地区に青銅器を伴った金海式の甕棺墓が発掘された。弥生中期後葉の須玖岡本遺跡が奴国の王墓三雲南小路遺跡が伊都国の王墓であることは間違いは無い。弥生中期初頭のこの遺跡は、それらの国に先立つ王墓ではないかとみなされています。この時代が何世紀になるのかを書いていないのは、土器の炭素年代がまだ確定しないからですが、金海式の甕棺が出ていることが気になります。ちょうどこの頃から木棺墓から甕棺墓に移行しており、著者は遼寧青銅器文化複合から細形銅剣文化複合に移った頃だと主張しています。文化の質が変わるということは、なにかの大きな変化があったということです。隣の吉武大石遺跡は武士の遺跡だとみなされています。あまり副葬品が無いのです。副葬品は多紐細文鏡、細形青銅器、磨製石剣、ヒスイ勾玉、碧玉管玉が出土しています。北九州では前期の支石墓の時代(田村、新町)から、弥生時代前期中ごろ木棺墓(伯玄社)の時代を経て、吉武高木、中期前葉から中期中ごろの墳丘墓の吉野ヶ里をへて中期後葉の須玖岡本、三雲南小路の時代に至る。吉武大石では多くの体内に残った青銅器破片が出てきた。戦闘の証拠である。吉備の遺跡からはこのようなことは無い。清水遺跡は丁寧に葬られた骨に大量の矢が刺さっていたが、これはむしろ勇者を送る儀式だったという説がある。戦争が日常化した北九州、大きな悲劇があった山陰、戦争を回避した吉備、そしてそれを最終的に実現しようとした大和という私の仮説はまだ全然揺るがない。この遺跡は飯盛山の裾野に広がるのどかな田園地帯にあるそうだ。飯盛山登山を済ませた後でゆっくり遺跡めぐりもいいかもしれない。北九州はまだまだ未知の歴史が隠れていそうだ。
2011年04月08日
コメント(11)
![]()
総務省|東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する電気通信事業者関係団体に対する要請気になる通達がこっそり行われていることを知った。「つきましては、インターネット上の地震等に関連する情報であって法令や公序良俗に反すると判断するものを自主的に削除することを含め、貴団体所属の電気通信事業者等に、表現の自由にも配慮しつつ、「インターネット上の違法な情報への対応に関するガイドライン」や約款に基づき、適切な対応をおとりいただくよう御周知いただくとともに、貴団体においても必要な措置を講じてくださいますようお願い申し上げます。 」そのために「関係省庁が緊密に連携し、被災地等における安全・安心の確保に係る総合的な対策を検討・推進するため、「被災地等における安全・安心の確保対策ワーキングチーム」(以下「ワーキングチーム」という。)を設置する。」そもそも、いろんな憶測が飛ぶのは、今回に限っていえば、政府並びに東電がすべての情報を公開しないからであって、本末転倒である。例によって回りくどい言い方をしているが、気に食わない書き込みは「自主的に削除する」というはインターネット会社が削除するという意味だろう。こんなことを許すべきではない。それを判断するのは、どうやら「ワーキングチーム」というところらしい。いよいよ、しらっと昔のような特高準備が始まったか。以上、あまり精査されていない私の情報と感想でした。削除はされないと信じている。あっ、本の感想でした。「夢追いて卑弥呼」虎尾幹司 東洋出版卑弥呼の小説というのは意外とあるものである。しかし、いままで満足したことがない。同じ時代を描いた三国志の時代小説は傑作が山ほどあるのに、である。これはひとえに、あまりにも文字資料が無いから、小説家が勉強不足で書けないからである。そういう意味では、おそらく自費出版に近いこの著者の本は良く勉強している。九州島に秋が来て、重く頭をたれた邪馬国の稲の穂首刈りが終わった。米、栗、魚や肉の干物や燻製などが国中の者に平等に配分され、人々は例年にも増す糧を手にすることが出来た。また、国を挙げて大干ばつを乗り切った邪馬国では、国としての意識が共有され、運命共同体としての一体感が生まれた。そして、竜神を呼び雨を降らせた日輪の化身、卑弥呼と、神のごとき判断をもって作物の命を繋いだ保思御子の二人が揃う邪馬国は、近隣の国から羨望のまなざしをもって神の住む国といわれるようになった。九州島でもやはり冬は寒い。人々は貫頭衣の上に毛皮をまとうなどして体温を保つ工夫をしていたが、足は霜を踏む日も素足であった。湿地に作った沼地や深田に入るための田下駄、水下駄、祭りに巫女たちがはいていたような木靴はあったが、日常的な履物はなかった。選ばれた男達であっても、休まずにこぎ続けるというわけにはいかない。こぎ手は三人ほどで一組を作り、交代してこいだ。二十丁の櫂がつくる六ノット(一ノットは1.852キロ)に近い船足は、天草灘に出ると潮の流れにのって七ノットほどに達し、明るい間だけの航海のもかかわらず、風も味方して1日に二百四十里ほども進んだ。ところどころに、現代的な言葉使いや名詞がでるのは愛嬌だとしても考古学的な成果を良く生かした小説になっている。どうやら、邪馬台国は吉野ヶ里にあったという説をとっているらしい。卑弥呼もほとんどスーパーマンになっている。それはそれでいい。小説なのだから。しかし、この人は自衛隊勤務を経て、現在星槎グループ本部長らしい。なるほど考え方がいかにも軍人である。邪馬台国の宿敵として狗奴国が出てくるのであるが、著者の頭の中は小さい国が侵略を繰り返して大きい国になろうとするのは、非常に抽象的な自明のことだと思っているらしい。(「倭の統一は当初に過ぎぬ。その上にあるは、万民の万世の幸という志じゃ」「よいか、大の虫を生かすには、小の虫を殺さねばならぬこともある」)だから、話が動き出すと、ほとんど戦争の話に終始してしまう。それに対して、日輪の神、卑弥呼は「心を耕す」等のわけの分からない現代的な宗教の考え方を持ってきて、その宗教的権威で「倭」を統一するのである。アマテラスの祖先の天皇の権威で国を統一しようとしていた現代保守主義の思想がそのまま持ち込まれている。弥生時代は日本史上初めて戦争を始めた時代なのである。組織的に人を殺すことに、彼等は新鮮な発見があったはずだ。卑弥呼はなんと洛陽まで旅をしているが、そこでは徹底的な戦争の技術があった。しかし、日本列島ではついには中国のような皆殺しに近い戦争は起きなかった。それは何なのか。それをやっぱり描くべきではないのか。結局この本も満足しないで終わった。いいところまでいったんだけどなあ。
2011年04月07日
コメント(8)

「春との旅」昨年のマイ邦画ベスト2の作品。北海道から東北をめぐってまた北海道に帰るロードムービーである。しかし「サーカスな日々」さんからTBをもらって気がついた。急いでDVDを借りに行った。津波に流される前の気仙沼が映っていた。震災前の仙台も映っていた。小学校しか出ていない忠男は、おそらく周りに色々と迷惑もかけただろう漁一筋で生きてきた男である。女房にはとっくの昔に死なれ、娘は五年前に自殺した。二十歳の孫娘の仕事場が無くなり、足の悪い彼は兄弟に養ってもらおうと気仙沼、鳴子温泉、仙台を旅する。心配になった孫娘の春が着いていく。 忠男が故郷の気仙沼の港を歩きながら呟くシーンがある。「小さい頃津波に遭ってさあ、そこら辺りに家があったんだけど、流されたんだあ。借金して高台に家を建てたんだけど、金に困ってよお、16歳のときだったか、困窮する家族を助けるためにニシン漁に行ったんだ」彼のうしろには、今は流されてしまったに違いない漁船が並んでいた。田中裕子が経営する食堂は街の中に在った。あれは津波にやられたか、その後に続く大火災にやられたかしただろう。何度も大船渡線の鹿折唐桑駅が映った。気仙沼駅のすぐそばの駅である。ここももしかしたら火災にやられたかもしれない。私は去年の記事で「この映画の射程は長い。日本の老いを見つめようとするとき、何度でも顧みられるべき作品だと思う。」と書いた。しかし、それだけではなかった。今になって気がつく。この物語は、昭和の初期、津波という大災害に見舞われた家族が、我慢強くて無骨な東北の五人の兄弟たちが、それでも立ち上がり戦後を生きて行き、そして疲れて老いつつある景色を描いた作品だったのだ。長男の大滝秀治は、苦労して建てた父親の家を処分して資産家の家に養子に入る。息子の言いなりに老人ホームに入る予定。長女の淡島千景は鳴子温泉に嫁に行き、苦労して旅館を経営している。二男の仲代達矢は唯一漁師を継いだ。ニシン漁で借金を返したまでは良かったが、その漁が左前になると兄弟に大きな迷惑をかけた。三男の柄本明は仙台で不動産屋の娘と結婚して一時期商売を広げたが、バブル崩壊で左前になる。四男は人の良さで他人の罪をかぶって八年も刑務所暮らしをしている。長女の淡島千景は言う。「つらいから生きていけるんだ、と思うようにしたの。そう思うとすごく楽!悩んでいたの、なんだったんだって思うようになる。」思うに、東北人の生きる知恵だろう。希望はある。春という名前の希望が。
2011年04月06日
コメント(10)
昨日の福島原発汚染水放出には、ほとほと情けなく、悲しく、うんざりしました。枝野も東電も安全保安委も、切羽詰るまで決められなかったし、情報開示も出来なかったということだ。それは今までの「絶対安全だ」と言ってきたことと、構造が全く変わっていないということだ。そういうやつらに、事態を任せざるを得ない自らが情けない。原発政策を進めてきたのは、自民党、公明党、民主党です(あるいは現都知事)。その人たちが、いましらっと選挙でまた選ばれようとしている。政策論争も何もせずに。マスコミはそのことを震災原発報道に隠れてまるきり報道せずに。悲しい。もう、うんざりだ。せめて、楽しい映画をみたい、とこの前ディズニーを見に行ったのだけど‥‥‥。「塔の上のラプンツェル 2D日本語吹き替え版」ディズニーアニメ50作目ということで、期待半分で行きました。30作目は、当時、偶然ほかに見るものが無かったから見た「美女と野獣」でした。本来私はミュージカルは苦手なのです。このアニメがミュージカルだと知っていたら見なかったと思います。非常に新鮮でした。日本のアニメに慣れていた私は立体的な外国アニメも魅力的だ、と率直に思ったのです。おそらく映画館でディズニーアニメを見たのは二回目ぐらいだったと思う。それ以降、必ず新作に足を運ぶ期間がそうとう続いたのでした。監督 ネイサン・グレノ バイロン・ハワード 声の出演 中川翔子 映像はよく頑張っていると思う。城に次々とランタンが灯り空に飛んでいき、やがて二人だけの湖水の場面に映るのは定番だけど、良く出来ています。いくつかのスペクタル場面も良く出来ていました。ヒロインも今までに無い現代的な解釈を施しており魅力的です。ただ如何せむ、相手役のフリンが想像の域を出ないで類型的だし(彼女を好きになるキッカケがきれいな髪を見ただけ、というのはなんだかなあ)、最も重要な養母が魅力的な悪を醸し出していない。類型的。それよりもなによりも、最も減点なのは、音楽スコアが全然心に残らないところだ。「美女と野獣」と同じ音楽家らしいが、過去の栄光にすがっているのではないか?ディズニー映画のよさは、脇役のキャラクターつくりだ。カメレオンも馬も、日本映画では決して出来ない成功を収めている。なぜ、いつもいつもこのようなキャラが作れるのだろう。気になったのは、これがなぜか「自粛」対象にならなかったこと。途中の場面で、ダムが決壊してヒロインたちは洞窟に閉じ込められ、どんどん水が入ってきて死を意識したり、追ってたちも大水に飲み込まれる場面があるのだけど、これは「唐山大地震」と同等ぐらいにヤバイでしょう。でも、全然問題になにっていない。どこからも抗議は入っていない。確かに、ヒロインたちは助かるし、主要な悪役たちはなぜか助かっている。でも被災者がみたら、たぶんフラッシュバックする。だから問題にせよ、と言いたいわけじゃない。その反対で、そのような問題の場面はあるけど、全国上映しても大きな問題は起きないのではないか、と言いたいのだ。これが「自粛」にならなかったのは、一番大きいのはこれが春休みの目玉作品だったからだ。しかも日本でディズニー作品が途中で取りやめになれば、全世界的に興行の影響が出る。そんなこんなを考えて映画関係者たちはいちように「だんまり」を決めているのである。わたしなんかが、ブログに書いても絶対世論にはならないと彼等は踏んでいるのだろうし、事実ならない。そういうものならば、私は「唐山大地震」は別として「ヒアアフター」などは別に取りやめにするべきではなかったと思う。実際映画を見た人も問題視はしないと思う。もう遅いのだけれどもね。
2011年04月05日
コメント(2)
久し振りに朝日新聞を読む。震災や原発の推移は他の情報で足りている。見るのは、社会面の一人ひとりの取材記事である。声は多種多様になった。阪神大震災のときは、その変化についていくのが精一杯だったが、今はそれも予想済みで次の一手が打てている所が「進歩」ではある。いまは、どこまでケアがフォローが出来ているのか、その量と質を気をつけていくべきなのだろう。もう一つ見るのは、社説だ。今日は「岐路に立つ電力文明 持続可能な暮らし求めて(4月4日付)」と書いていた。「原発がこれほどの脆さを露呈した今、依存しない、あるいは依存度を極力小さくした社会を構想すべきではないのか」どうやらそこまでは書いているようだ。読売が原発依存の姿勢を変えていないと聞いていたので少し安心する。「原子力は優等生に見えた」「慢心が生まれた」と主語なしで書いている。直ぐでなくてもいいが、これに主語をつけて欲しい。間違っても、「まちがいは二度と起こしませんから」と最終的に主語なしの宣言などしないでほしい。間違っても過去を反省するとき、国民全体を意味する。「わたしたちは」という主語は入れないで欲しい。新聞の社説は、閣議決定でも、国会答弁でもない。よって、前言を翻すことがしばしばある。今までもそれは許されないことだったのだが、今回ばかりは決して許さない。
2011年04月04日
コメント(6)
「白いリボン」しまった。こんな映画だったのか。もう一回見ないとたぶん分からないと思う。たぶん推理小説を読むみたいに見たらいけない、という映画なのだと思う。監督 ミヒャエル・ハネケ 出演 クリスティアン・フリーデル (The School Teacher) レオニー・ベネシュ (Eva) ウルトリッヒ・トゥクール (The Baron) フィオン・ムーテルト (Sigi) ミヒャエル・クランツ (The Tutor) なにしろ、男爵と家令を同一人物の家だと勘違いしていた。しかも後半最後になるまで、ドクターや看護婦の家族関係が分からなかった。前半ずっと隣の男が鼾を掻いていて、集中できなかった。と、言い訳をかましてとりあえずまともなことはかけないことを告白します。ごめんなさい。私はてっきり「恐るべき子供たち」みたいな映画なのだとばっかり思っていて、大人の「悪意」を見逃していたのである。私がすんなり入った悪意はドクターのそれだけであるが、もちろん牧師の「無意識な悪意」も見逃せない。しかし、最後まで見てどうやらそれだけではないようだと終わって一時間後思う。良く分からない。世界はこれがナチズムの土壌を描いているようだ、と絶賛しているようであるが、もしほんとうにそうなのならば、私はナチズムのことを何も理解していなかったことになる。日本も全体主義に向かうにはそれなりの土壌はあったはずである。はたして日本で創ればどのようになったのか。あるいは創ることは可能なのか。と、いう課題はとっても面白いだろう。「坂の上の雲」なんか穿ってみれば、こういうテーマになるかも。無視された東学党農民運動をちらりと映すだけでいい。おそらく作っても世界からは注目されないのだろうな。ともかく良く分かりませんでした。
2011年04月04日
コメント(4)

朝鮮戦争では、当初韓国軍は信じられないほど劣勢だった。北軍によってソウルはあっという間に占領され、次々に南下、洛東江を挟んで大激戦になった。これを突破させられたならば、釜山も占領される。それはすすなわち朝鮮半島全土が北の支配下に陥ることを意味するだろう。韓国軍は軍の訓練も受けていない学徒兵も徴集していた。総力戦を闘わなければいけない韓国軍は、洛東江背後の浦項の守備を寄せ集めの学徒兵71名に任せたまま、出陣してしまう。わずかな戦闘経験のあるジャンボムを隊長に任命して。学生の中には、刑務所から流れてきた学生崩れ(クォン・サンウ)もいて、ことあるごとに隊長と衝突する。だたし、その学生も親を北に殺されており、士気だけは高かった。そこへ、北の第一個小隊が近づきつつあった。監督 イ・ジェハン 出演 チェ・スンヒョン クォン・サンウ チャ・スンウォン キム・スンウ パク・ジニ 冒頭から戦闘場面がずっと続く。飛び交う弾丸、爆撃の衝撃は常に隣にある。この映画の中では、ほっとする場面が極端に少ない。このような戦争モノにありがちな平和の場面はフラッシュとして思い出の中にあるに過ぎない。それがどのような効果を生むかというと、この映画を見ている間中、我々は完全庶民なんだけど突然徴兵されてずっと戦場にいるかのような感覚なのだ。もちろん、我々に愛国心なんて無いし、我々は絶対死なないという感覚もあるから、安心してみていられるのだけど、あるのはひとが死んでいく涙ではなくて、恐怖、ときどき「行けー撃てー」という衝動、そして哀しみである。ちょうどピョンヤン島砲撃があった後の公開なので、より身近に感じられたということもあるだろう。あそこで無くなった兵士はたった2年間の徴兵兵士だった。戦争とは、人間を人間で無くす場所なのだ。「お母さん、ぼくは北の兵士には角が生えているのだと思っていました。けれども、死にかけた兵士の口から出てくる言葉はお母さんという言葉だった。」戦闘のはじめにはそのようなことも感じられることの出来た感受性豊かな隊長も本格的戦闘が始まれば、もう「鬼」になるしかない。アメリカの戦争映画は「ヒーロー」を作るための映画であるし、政府を告発するための映画であるし、時代を描くための映画である。日本の戦争映画は、祖国や英霊への感謝を醸成するための教育映画であったり、戦争そのものの批判を醸成するための映画だったりする。韓国のこの映画は、基本的には愛国心養成のために作られている様に思えるが、それ以上に「人が人でなくなる」体験を二度としないようにしようという願いと、そしてもしかしてのときの「覚悟」を養成するための映画になっている。主人公がアイドルグループの一人(チェ・スンヒョン“BIGBANG”のT.O.P)から選ばれているということは偶然ではない。観客は九割が女性だった。仕方ないとはいえ、残念なことである。
2011年04月03日
コメント(5)
脚本がひどすぎる。青春映画の王道を目指しているのはわかる。けれども、少々の話の飛躍は目をつぶってよ、登場人物たちがころっと感情が変わってもそれが青春なんだと理解してよ、というような描写が多すぎ。監督 大谷健太郎 出演 瀬戸康史 (溝呂木美糸) 桜庭ななみ (塚本芽衣) 桐谷美玲 (立花美姫) IMALU (秋川杏奈) 田中圭 (犬田悟) 桜庭ななみが本物の女優になっているかどうかを確かめるためだけに見た映画であった。別に喋らなくても、気持ちを伝える手段は会得したし、総ての場面で気を緩めないプロ根性は身についたようだ。しかし、脚本が悪い。単なる語り部に終わってしまって、彼女が何のためにこの映画に出ているのか分からなかった。主人公は間違いなく、ビートという天才デザイナーの卵である。しかし、あまりにも突発に才能を見せ、苦労も無くみんなに認められ、必然性も無く挫折し、説得力無くやる気を出す脚本なので、ほとんど魅力がない。これ以上書いても仕方ない。残念でした。
2011年04月03日
コメント(0)
![]()
ネットアンケート調査「2011年東京都知事選挙、誰に投票しますか?」でなんとそれまで一位だった(らしい)石原が順位が落ちて、小池さんがダントツ一位に急上昇した。現在までの回答数:3068 と圧倒的に少ないが、4月2日11時20分現在関東の人が支持しているのは小池氏が1位(25.53%)、東国原氏2位(14.89%)、石原氏3位(14.89%)、わたみ氏4位(6.38%)です!!! (昨日より少し下がっているけど、まだ一位をキープしている)過去の回答数の推移を見ると、昨日大きく変化したということがわかる。もっともあまりにも回答数が少ないけれども、昨日が最大の回答数があったことを考えると、「変化」は起きていると思える。まだ石原優位は動かないとは思うが、都民、今が踏ん張りどきだ!!がんばって欲しい。(関東の方、アンケートに協力を!少しでも盛り上げましょう!)「閑人生生」朝日文庫 高村薫からさらに言葉を捜した。世界はこの国よりはるかに貧しい国がいくらでもあるが、問題は貧困そのものではなく、それを取り巻く状況の希望の無さである。(略)なぜなら、今日食べる者がない一人の絶望は、私たちの漠とした不安な気分を刺激しながら、深く静かに広がってゆくだろうからである。それなりの努力と困難を経なければならない希望より、不安のほうがはるかに広がりやすい。緩やかな社会構造の転換を果たせないまま行き詰ったこの社会に、そうして衰退の予感と希望のなさが広がっていくとき、何が起こるか。政治家は自らの無能と失敗を糊塗するために、たいていは最後は軍事的緊張の演出へ走るものと相場は決まっている。(2007.10.8)お握りを食べたいと言って餓死した生活保護申請の事件が起きた年である。しかし、それとは別に現代の状況をも言っている気がしてならない。被災者の方々は多くの人が「頑張ります」と明るく宣言している。そういわなければ心が折れてしまうということももちろんある。それ以上に個人個人は希望を持って頑張っているのだろう。しかし、最終的には政治が問題になる。政治が今こそ、希望を語るときだ。希望とは何か。働く場所を確保することである。国の消費指数を上げることだ。あらゆる家族が将来の夢を語れる環境を作ることだ。子供に「未来」がある社会である。原発無しのエネルギー政策を準備することだ。決して、大企業だけを優遇してGNPの上げ下げや株価の上げ下げに一喜一憂することではない。最初のボタンのかけ間違いを許すべきではない。政治家が無能でそのことに気がつかないあほんだらだったとき、この著者の最後の言葉が本当に気になる。希望は、「希望を語る」ということなのだ。
2011年04月02日
コメント(6)
![]()
「閑人生生」朝日文庫 高村薫高村薫の2007年9月から2009年7月、つまり安倍政権の終わりから民主党政権誕生直前までの週刊「アエラ」連載の時評である。高村薫はかつて「神の火」で虚無を抱えたトロツキストの原発襲撃計画を描いて見せた。だからといって当然この時評では原発に関する言及は無い。正直、少しは期待していたので残念。常に世の中に怒っている人はいる。とんでもない言いがかりをつけるおじいちゃんもいるが、高村薫は「いいほう」だと思い、耳を傾けてみることにした。それにしても、ほんとうに重大な事件は往々にして小さな姿をして現れることや、意図的に詳細が隠される場合があることを、久々に考えさせられた。そういうとき、お上が必ず持ち出すのは、事実が多くの知るところになれば無用の混乱を招く、という理屈であるが、それがほんとうに現実的な対処といえるケースは、たぶん地球に隕石が落ちてくるときぐらいだろう。多くは当事者たちの責任逃れと、対処の難しさを隠すための方便であり、被害を少しでも減らそうという人間的な意志が働かないのが、国や行政というものだ。かつての水俣病も、近年の血液製剤による薬害も、アスベスト被害も、皆そうして拡大し、気がついたときには、助かるはずの命の多くが失われていたのである。(2008.9.29)この文章は、「事故米」という農薬汚染やカビの生えた米が焼酎やおかきなどに不正に転売されていいたことが明らかになったことに「消費者に健康被害が出る可能性は無い」ということで農林水産省が血相を変えず、大事にしなかったことを憂いているわけである。このケースはほとんど今回の原発放射能被害に関しても当てはまる。「総ての情報を速やかに明らかにする」と国民は未だに信じていない。実際東電の協力会社の社名も明らかになっていない。IAEAの調査が公表されてやっと40キロの地域の放射能の値が発表される。「事実が多くの知るところになれば無用の混乱を招く、という理屈であるが、それがほんとうに現実的な対処といえるケースは、たぶん地球に隕石が落ちてくるときぐらいだろう。」原発事故は隕石が落ちてくる事態ではない。あらゆる手立てをうてば、助かるはずの命があるという状態なのである。今の首相はたしか「血液製剤による薬害」のときに活躍した大臣だったそうな。
2011年04月01日
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1