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金メダルは勿論、血のにじむような練習の成果、それを支える人達の努力と支援の結果でしょう。もちろん本人の類稀なる才能もあるでしょうが、美しい花の種も、それを咲かせる地道な努力が無ければ花は咲きません。金メダルを取った選手達は、大輪の花の咲くが如く、笑顔と涙で人生の花を咲かせました。しかし、その一方で過剰なまでの、マスコミの取材攻勢で、笑顔に影がさしているような場面もありました。帰国してすぐに家族に会いたい選手もいたでしょうに、恩師の墓前に直ぐにでもお参りしたかったでしょうに、重なる会見や取材やTV出演、パレードの結果、プライベートな時間や練習の時間さえ奪われては、せっかく花を咲かせた選手には、気の毒です。綺麗な花を撮影に行って、自分のカメラの都合で、花の向きを変えたりしている内に、いつのまにか手折ってしまうようなものです。美しいものをより美しいとアピールしようとするのは人間の身勝手かも知れません。おそらく花はそのままの美しさで充分に美しいのですから。
August 31, 2012
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9月1日に小倉百人一首財団主催の現地案内で参拝する「清凉寺」と「源融」のことを調べておりますと、京都の「常盤」と大阪の「太融寺」のことが出てきました。嵯峨天皇の息子に「源融(みなもとのとおる)」と「源常(みなもとのときわ)」という息子がいましたがその内、常(ときわ)さんの別荘があったため、地名となって右京区の「常盤」が。そして融さんは父、嵯峨天皇の勅願によって遠く摂津の地に、建てたお寺が「太融寺」であることを再確認しました。以前にも、「太融寺」の「融」が源融の字が入っているので、ゆかりの寺院と聞いておりましたが、開基のようですね。父、嵯峨天皇から譲られた千手観音像を祀り、大坂の陣や太平洋戦争の大阪大空襲(昭和20年6月)でも建物は灰燼に帰しましたが、御本尊(秘仏)は無事だったそうです。京都市下京区の残る「塩竈町」は源融が東北から取り寄せた海水をもとに、塩を焼いた跡だとか。河原左大臣という名から五条から六条にかけて河原町通から富小路通周辺を歩きますと、その名が案内板に登場します。そして宇治の平等院ももとは源融の別荘だったとか。藤原道長の奥さんが嵯峨源氏出身であったことから、嵯峨源氏に伝わる宇治の山荘を譲り受け、やがて息子の頼通に譲り、彼が寺院にしました。9月4日から平等院の約50年ぶりの鳳凰堂は修理に入ります。清凉寺(棲霞寺)に平等院に、太融寺と源融ゆかりの寺院は全て大伽藍です。
August 30, 2012
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昨日の夕方、初めて孫の顔を見に、娘が入院している病院へ 行ってきました。自分の娘の時は、家内が北海道で出産しましたが、その時は病室に赤ちゃんが後から連れられてきたのですが、娘の時は病室に入った時には既にもう赤ちゃんが、母親と一緒に部屋の中で暮らしていました。夜は、希望すれば別室で預かってくれるとか。行った時のタイミングが良かったのか、余り泣かない赤ちゃんで、まだ見えていない眼で、まだ聞こえていない耳で、何かを求めるかのように、一所懸命手足を動かしているようなのですが、それも まだまだぎこちなく、それはそれは小さな小さな動きです。その内、すやすやと眠ってしまいました。一度寝ると3時間位は、ぐずらないという親孝行な赤ん坊です。 カメラで写真を撮って、後で見返すと、寝顔がお地蔵さんのような顔です。これはうちの孫だけでなく、どこの赤ん坊も、すやすやと穏やかでいる時はあどけない菩薩顔なのでしょう。その時にふと思いましたが、仏師が地蔵菩薩を彫る時に赤ん坊の純真無垢であどけない顔をモデルに彫ったのではないかと。六道能化(ろくどうのうけ)の地蔵菩薩は、この世だけでなく、あの世に行った人間達も救ってくれるといいます。大人だけでなく、勿論子供達も。冥界に行った時に、助けてくれるお地蔵さんのことを知っている大人は、大丈夫ですが、年端もいかない子供は、あの世で困った時に誰にすがってよいのか?判りません。なので、この世の親たちが、お地蔵さんの方にお願いをするために我が子の涎かけを首からかけたといわれています。その子の匂いがお地蔵さんに解るように、その子の名前をお地蔵さんに覚えて貰えるように。赤子達も自分とよく似た顔をした人が傍にいれば、きっと安心するでしょうね。
August 29, 2012
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一昨日、大分空港を出発する前に、少し空港で時間がありましたので、夕食に何を食べようか?と悩んだ挙句空港3階のレストランで「とり天定食」を注文しました。 2年前の石仏火まつりで、臼杵に行った時もやはり地元のとり天定食を平清水(ひらそうず)の中華料理屋さんで食べました。とても美味しかったです。 からし入の酢醤油やお塩で食べますので、夏場でもあっさり食べることができます。去年やはり同じ店に行ったのですが、とり天が品切れで麻婆豆腐定食を食べました。代わりに大分駅でとり天丼なるものを食べました。これはこれで卵とじが天麩羅とマッチして美味しく頂きました。4-5年前に全国チェーンの大衆食堂「やよい軒」で期間限定メニューの大分名物「とり天とだんご汁定食」を京都で食べて以来、すっかりファンになりました。今では大分に行ったら、一度は食べないと気が済まない程になっています。
August 28, 2012
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今朝8月27日10時35分、娘に娘が誕生しました。 初孫です。私は九州方面から神戸へと出張をしていましたので、家内から知らせを聞いたのは、メールと電話でした。心配されていた帝王切開ではなく、普通分娩で何とか無事に出産ができたようで、体重は2760g。8月24日の予定日を3日過ぎた割には小柄な子供として誕生しました。 名前は「璃生(りお)」。娘が考えた名前です。薬師瑠璃光浄土(浄瑠璃世界)の「璃」に、「生」きるという字を重ねた名前です。 2年後のFIFAワールドカップ ブラジル大会では2歳、そして更に2年後の2016年「リオ」のオリンピックの頃には4歳、きっと可愛い盛りになっていることでしょう。
August 27, 2012
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国東半島に山間部に位置し、九州最古の木造建造物を所有する富貴寺大堂。国宝指定です。間口4間、桁行5間の宝形造の木造建造物ですので、ほぼ正方形のシンプルな古建築です。中には建物と同じ時期に造られた阿弥陀如来像(重文)が座ってらっしゃいます。また、柱や梁などには、これまた当時に描かれた浄土図が微かに残っています。肉眼では殆ど判らない板絵ですが、懐中電灯を当てると、まるでエックス線でもあてた様に浮き上がります。西南隅の梁に大威徳明王が、そして東南隅の梁にはどうやら降三世明王が描かれていることが判りました。浄土だけでなく、曼荼羅もどうやら描かれているようです。 もう少し時間をかけて、もっと時間をかけてゆっくりとこれら内部の仏画を拝観してみたいと思いました。 また境内には「奪衣婆」の石造が安置されていました。
August 26, 2012
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大分県の臼杵で実施されている「石仏火まつり」に今年も行ってきました。これで3年連続です。毎年8月の第4日曜に実施されるこの祭りは、全市を挙げて行われている大きなイベントです。JRの臼杵駅からはシャトルバスが出て、会場では蓮飯やカボスやカボス焼酎の振る舞いがあり、満月寺では盆踊りが行われ、石仏公園と呼ばれる広場一帯には、小さな松明が無数に焚かれます。今は賑やかなこの「石仏まつり」、その発祥はかなり古いようでもともと臼杵の深田地区で行われていた「虫送り」の行事と「地蔵講」が合わさった行事だともいわれています。いつもは昼間しか拝観できない60以上もある石仏群も、この日は夜間に参拝することがせきるのです。夜に拝めるのはこの石仏まつりの日と大晦日、年に2回だけです。
August 25, 2012
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今年も京都ブライトンホテル主催の「広河原松上げ」に案内をしてきました。3年連続です。雨にも遭わずに、見事な松上げの様子を見物できました。松上げは京都の北部でいくつかの地域で未だに伝えられている伝統行事ですが、この広河原ならではの特徴は、「灯篭木(とろぎ)」が燃えて倒された後、その炎に向かって、長い竹を持った大勢の若者達が、炎を撹拌しに行く奇習です。竹の先で書き上げられたトロギの燃え残りは今一度、ならず5度も6度も7度も、何回も炎が再燃します。これが見物客へのアフターサービスだと感じたのは私だけでしょうか?終わった後は拍手喝采でした。また更にその後、観音堂に行って夜中?或いは夜通し、踊り明かす?というのが「広河原松上げ」の大きな特徴です。他所の松上げではこのようなアフターは無いようです。
August 24, 2012
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3年連続で「六地蔵めぐり」の団体案内を勤めてきました。昨年、一昨年と京都リビング新聞社主催の「六地蔵めぐり」でしたが、今年は神戸新聞社主催で兵庫県の方々を主に案内してきました。鳥羽地蔵の「浄禅寺」、桂地蔵の「地蔵寺」、常盤地蔵の「源光寺」、鞍馬口地蔵の「上善寺」、山科地蔵の「徳林庵」、(伏見)六地蔵の「大善寺」です。午前中3ヶ寺、昼食を挟んで、午後から3ヶ寺。姫路からバスに乗られた方々は午前7時集合、三宮は8時集合、その一行が大型バスで鳥羽の浄禅寺に到着したのが午前9時20分。解散は午後4時15分。雨雲が洛南を被い、雷が暴れまわる直前のことでした。さてお参りしましたお地蔵さんはそれぞれのお寺で少しづつその印象が違います。例えば私はこんな風に感じました。■鳥羽地蔵・・・・・・・顔が四角ぽく、頼りがいのある「お父さん」 のようなイメージ■桂地蔵・・・・・・・・・一番背が高く、スポーツ系に走るがっちり 体型の「お兄さん」のイメージ■常盤地蔵・・・・・・・美人顔で優しく微笑みかける憧れの彼女 のイメージ。 常盤御前の如き美女。■鞍馬口地蔵・・・・・「乙子地蔵」さんとも呼ばれ、女優のマイコ のような「お姉さん」のイメージ■山科地蔵・・・・・・ユーモアあふれる個性的な顔で、人を笑わ せることが好きな「叔父さん」のイメージ。■(伏見)六地蔵・・真っ直ぐに立ち、均整の取れたバランスで 優秀な「優等生」のイメージ。
August 23, 2012
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京都の「六地蔵めぐり」のお地蔵さん方は全て「化粧地蔵」です。木造のお地蔵さんで化粧つまり彩色が施されている例は珍しいのですが、町中の祠の石のお地蔵さんは、よくお化粧が施されています。昔は8月24日の地蔵盆を前に子供達が「お地蔵さんもおめかししましょ。」とばかり、白粉を顔に塗り、墨で目鼻を書き、口元に朱を指したようです。今では、世話役の大人たちがお化粧の落ちてきたお地蔵さんにリメイクをしているようですが、まだ子供達がその役目をしている町内が有るかも知れませんね。一度お化粧をすれば2-3年くらいはそのままで大丈夫というお地蔵さんも多いようです。 「化粧地蔵」は何を表現しているかということですが、おそらくは「民と共にありたい。人々と一緒の目線でありたい。」というお地蔵さんの本願を表しているのではないでしょうか。 こんな伝説があります。昔、村の子供達が石のお地蔵さんを引っ張ってきて、川を堰き止めて遊んでいたそうです。そこに伍兵衛という大人がやってきて「こらー!お地蔵さんでそったら遊んでねえどー!」と怒って子供達を追っ払ったそうです。そして石のお地蔵さんを元の場所に戻して、手を合わせてから家路につきました。その日伍兵衛の夢枕にお地蔵さんが現れ「これこれ伍兵衛よ。昨日私は折角子供達と一緒に遊んでおったのに、邪魔をしおってからに。」と嗜(たしな)めたそうです。翌朝、伍兵衛は子供達が遊んでいるところに、石のお地蔵さんを背負っていったそうです。
August 22, 2012
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明日8月22日と23日は「六地蔵めぐり」です。京都独特のこの風習はお精霊さんを大切にする京都の民間信仰の中から沸き起こった様な気がします。六地蔵の寺に祀られている地蔵菩薩像は平安時代の初めに小野篁が木幡の地で一本の桜の木から刻んだという伝説です。その地蔵菩薩像6躯を平安時代の終わりに後白河法皇が、都に通じる6本の街道沿いに移すようにと指示をしたという伝説です。清盛から地蔵菩薩遷座の支持を受けて実際に関わったのが西光法師という話です。6駆の地蔵菩薩像は全て「化粧地蔵」の姿となっており、造られた時代をとやかくいうつもりはありませんが、その中の大善寺の地蔵菩薩立像は、左右のバランス良く、顔のサイズも控えめで、端正な立ち姿であり、プロの仏師による作と推測されます。この1駆だけが重文指定を受けています。ただ他のお地蔵さん方も個性豊かで、美人顔の常盤地蔵や深泥池地蔵(乙子地蔵)、包容力のあるお父さんタイプの鳥羽地蔵さんや山科地蔵さん、肝っ玉母さんの様な桂地蔵さんなどお地蔵さんファミリーと呼ばせて貰ってもよいような親しみやすさがあります。
August 21, 2012
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2年ぶりに大覚寺の「宵弘法」にお参りしてきました。五大堂での読経、そして池にせり出した桟橋での「施餓鬼会(せがきえ)」の後、大沢池に浮かぶ船に火を点す「送り火」が今年も行われました。精霊船は既に池に浮かべられている中、桟橋から出発する小舟の船頭が、施餓鬼会をしている僧から、親火の松明を受け取り、浮かべてある船に接近し、御供物や札等を満載した筏に点火。午後8時過ぎともなりますと池の上はすっかり闇の中です。最初は点火に手間取った様子でしたが、一旦火が点きますとみるみる内に燃え広がり池の水面を紅く染めていきました。五山の送り火は点火をしますとその文字の通りに炎が浮かび上がりますが、宵弘法では特に文字や記号は意識していません。その代わり水面に炎が反射するため、炎の規模が2倍に見えるのです。弘法大師の月命日21日の前日の夜に実施するので「宵弘法」と言われていますが、そのルーツは奈良県や東北地方に残る「二十日盆」の風習や「施餓鬼会」にあるような気がします。
August 20, 2012
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長岡市にある「勝龍寺」の「観音大祭」にお参りしてきました。これまで2度お参りをしましたが、いずれも11月第2日曜日の「ガラシャ祭」の時で、8月18日の観音大祭にお参りしたのは初めてです。普段は京都国立博物館に寄託されている御本尊、十一面観音立像(重文)も年に二度だけは里帰りされ、御開帳されています。団体13名程の皆さんとご一緒だったのですがお忙しい中、ご住職にもお話をして頂き、弘法大師空海の偉大さをあらためて感じるひと時でした。中国に渡った空海は青龍寺の恵果阿闍梨に仕え、密教の奥義を惜しみなく与えられ、僅か2年ほどで日本に戻りますが、その時に師であった恵果阿闍梨へ敬意を表して、乙訓の地に現在の勝龍寺を建てたという伝えです。時代は少し下って、村上天皇の御時、勅命により当時の住職、千観和尚が雨の祈祷で天皇からお褒めの言葉を頂戴したそうです。「龍に打ち勝って雨を降らせ給うた。」その天皇の御言葉から「勝龍寺」に改名したというお話でした。また、勝龍寺周辺は安土桃山時代に、細川家が領していた土地で、細川忠興が明智家から嫁を娶った時も勝竜寺城でのこと。つまり忠興と玉(後のガラシャ)が新婚時代をおくった土地なのです。土地の古刹ですから、きっと忠興と玉の若夫婦もこのお寺に来て、御本尊を拝んだのではないでしょうか?とは御住職の談。成程、大いに有り得る話ですね。
August 19, 2012
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今朝、京都駅まで自転車を走らせておりますとそこかしこで「地蔵盆」の準備をしている光景に出会いました。本来24日が地蔵菩薩の縁日ですから、8月24日に地蔵盆をするのが筋なのですが、平日ですと、世話方の大人たちの都合がなかなかままならず、殆どの町内では24日前後の土曜・日曜に実施しているようです。そうなりますと今年は8月25日でも良いように思うのですが、縁日よりは早い目にするという仏事の常識と、もうひとつの理由は小中学校の夏休みの終わりが早まっていることにも、あるのでしょう。昔は8月31日までだった子供達の夏休みも、今は秋休みの導入から、8月最後の週には学校が始まってしまいます。そうなりますと、地蔵盆の時に宿題や自由研究の追い込みの真っ最中ということになり、、ただでさえ少子化の影響で子供の参加率が少なくなっている昨今、子供の参加がかなり危ぶまれることになります。それよりはお盆の直後であっても地蔵盆を少し早い目に実施した方が子供達も参加しやすいということになるのでしょう。昨年はお盆の真っ最中に地蔵盆をしている町内を見かけました。「地蔵盆」も時代と共に徐々に様変わりしているようですね。 今日は午後から激しい雷と雨が長く続いたため、地蔵盆の後半の催しが中断されたり、延期になっていたようです。雨のあたらない屋内に会場を引っ越して光景にも出くわしました。
August 18, 2012
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長岡京市の「勝龍寺」では明日8月18日観音大祭が行われ、御本尊の十一面観音立像(重文:鎌倉時代)が御開帳となります。真言三宝寺派(本山:清荒神清澄寺)のこのお寺の御本尊は、普段は京都国立博物館に寄託されていますが、年に2回だけ里帰りされるのです。その一日が8月18日。もう一日はガラシャ祭の日です。この祭りは毎年11月第2日曜日に実施されています。像高は僅か85cm程の念持仏サイズの仏像なのですが、檀像の様な風合いがあり、存在感が際立ちます。また、鎌倉時代にしては珍しく一木造で右足がやや前に出て動きが見られます。十一面観音立像なのですが、頭上面は現在全て失われていますので、知らずに拝んだ方には聖観音立像に見えても無理はありません。
August 17, 2012
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これまで講演の仕事をダブルヘッダー(1日2回)でこなすことはよくありましたが、トリプルヘッダーが久しぶりです。「五山送り火」の講演では初めてです。これまで京都全日空ホテルを会場に、京都リビング新聞社とサンケイリビング社の主催でそれぞれ、レクチャーをしていたのですが、今年はその2講演に加えて、ホテル日航プリンセスが主催するライブで鑑賞する「五山の送り火」という企画があり、そのライブ講演を引き受けたのです。ホテル日航プリンセス京都の屋上に設置されたカメラ2台から、送り火の中継をし、それに解説を加えるというスタイルですが、カメラは肉眼で見えない、現場の様子をリアルに伝えてくれるので、松明の様子や人影、東山大文字の大師堂の外観など、そこまで見えましたので臨場感たっぷりです。屋外で自分の眼で拝む送り火も良いですが、屋内で高性能ズーム機能を持つカメラの眼を通して拝む送り火も、なかなか新鮮でした。
August 16, 2012
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奈良高円山(たかまどやま)の「大文字 送り火」へ9年ぶりに行ってきました。14日夜に大阪の実家へ帰った後に、翌日15日夜、JRで奈良入りしましたので、最初東大寺の万灯会にお参りに行ってからと考えていましたが、東大寺のこのお盆の行事が、昨年から事前申込制になっているようで、残念ながら東大寺へのお参りは断念しました。 「浮見堂」から見るのがベストビューかな? と何の根拠も無しに行ってみますと、生い茂る木々が遮って送り火が見えません。慌てて飛火野会場付近に接近しましたが、その辺りはかなりの人出。でも高円山に点火された「大文字」は充分見えました。19:10頃からは慰霊祭が飛火野会場内で行われていたらしく、神職と僧が参列する、神仏習合の珍しい合同慰霊祭だそうです。 20:15頃には混雑する飛火野を一旦後にして、新薬師寺方面へ歩いて行きました。途中民家の屋根から「大」の字が見え隠れしましたが、新薬師寺北門に到着した頃には、殆ど消えていました。暗闇の中、僅かな街灯を便りに夕涼みがてら帰り道の家族の姿が日本の原風景のひとつだなあ、と勝手に納得していましたら、お父さんは外国人でした。子供は日本語を話し、お母さんは日本人らしく、英語と日本語両方を喋っていました。奈良は昔も今も国際都市のままです。
August 15, 2012
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「盂蘭盆(うらぼん)」が略されて「盆」。「盂蘭盆」は古代インドの言葉「ウランバーナ」が元の言葉です。「ウランバーナ」は本来「逆さ吊り」という意味だそうで「逆さ吊りにされるほどの苦しみ」という意味に発展します。お釈迦さんの弟子の一人に「目蓮」という優秀な方がいらっしゃいました。しかし、母親が死後餓鬼道に苦しんでいるということを自らの神通力で知り、餓鬼道で苦しむ母を何とか助けたいと、お釈迦さんに願いでます。そこでお釈迦さんは、夏の修行が終わる僧達を百味百珍でもてなせば、その功徳で餓鬼道に堕ちたそなたの母を救えるだろうと助言します。その通りにした目蓮尊者は、餓鬼道に苦しむ母を無事助けることができたという話です。お盆の精霊棚に果実や野菜などが色とりどりに置かれているのはそのためです。餓鬼道で食べ物や水が口の寸前で燃えるほどの苦しみが「ウランバーナ」なのか?或いは、実の母が苦しむ母の姿に悶絶する目蓮尊者の苦しみが「ウランバーナ」なのか?いずれにせよ、「六道」で苦しむ方々を助けようととすることが、お盆の本来の意味なのでしょう。
August 14, 2012
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直近3か月間(8月-10月)の私の活動予定です。 記8月2日・・・JR西日本ジパング倶楽部 「夏の旅ウォーク」上賀茂神社と社家 3日・・・JR西日本ジパング倶楽部 「夏の旅ウォーク」上賀茂神社と社家 4日・・・JR西日本ジパング倶楽部 「夏の旅ウォーク」上賀茂神社と社家 9日・・・神戸新聞文化センター 三宮校 「六地蔵と閻魔王 冥界の裁判制度」 11日・・・JR西日本 京の歴史探訪ウォーク 「二条城界隈の魅力&京の七夕」 16日・・・京都リビング新聞 「五山送り火鑑賞と フレンチの夕べ」 16日・・・サンケイリビング新聞 わかって楽しむ 京の歳時記シリーズ「五山送り火鑑賞と京料理」 16日・・・ホテル日航プリンセス京都 「ライブ映像で鑑賞する五山の送り火」 18日・・・よみうり文化センター高槻校 古刹・隠れ寺 セミナー3 現地案内 「宝積寺・勝龍寺」 20日・・・よみうり文化センター天満橋校 京都の歳時記 パワースポットシリーズ4 「大覚寺 宵弘法」 23日・・・神戸新聞文化センター バス案内「六地蔵めぐり」 24日・・・京都ブライトンホテル 現地案内「広河原の松上げ」 25日・・・びゅう大人の休日バス案内 初日 「臼杵石仏火祭と宇佐・国東半島の巡礼」 〜国宝臼杵石仏群・臼杵市内社寺参拝・別府温泉泊〜 26日・・・びゅう大人の休日バス案内 二日目 「臼杵石仏火祭と宇佐・国東半島の巡礼」 〜宇佐八幡宮・富貴寺・真木大堂・熊野磨崖仏・両子寺〜 27日・・・神戸新聞文化センター三宮校 仏像セミナー 石仏編 27日・・・神戸新聞文化センター姫路校 仏像セミナー 石仏編 28日・・・京都新聞文化センター 一度は逢いたい仏像シリーズ 「菩薩編」 31日・・・よみうり文化センター 高槻校 平清盛セミナー 教室「天皇家と摂関家」9月5日・・・JR西日本ジパング倶楽部「現代版 雪月花の庭」 ~成就院・妙満寺・廬山寺~ 6日・・・びゅう 大人の休日 バス案内 「パワースポットの源流を探る」〜延暦寺・浮御堂〜 7日・・・びゅう 大人の休日バス案内 「パワースポットの 源流を探る」〜実相院・上賀茂神社・貴船神社・鞍馬寺〜 8日・・・京都検定講習会「神社と祭礼の魅力」 〜石清水八幡宮と平安神宮&石清水放生会と時代祭〜 11日・・・JR西日本ジパング倶楽部「現代版 雪月花の庭」 ~成就院・妙満寺・廬山寺~ 12日・・・日経カルチャー バス案内「長谷川等伯」 〜本法寺・妙蓮寺〜 13日・・・日経カルチャー バス案内「長谷川等伯」 〜北野天満宮・金地院・智積院〜 14日・・・JR西日本ジパング倶楽部「現代版 雪月花の庭」 ~成就院・妙満寺・廬山寺~ 16日・・・よみうり文化センター神戸&天満橋校 国宝十一面観音セミナー日曜G 「聖林寺と長谷寺」 17日・・・よみうり文化センター天満橋校 京都の歳時記パワー スポットシリーズ「峰定寺の採灯大護摩供」 18日・・・びゅう 大人の休日バス案内「海のある奈良 小浜」 初日〜神宮寺・明通寺・萬徳寺〜 19日・・・びゅう 大人の休日バス案内「海のある奈良 小浜」二日め〜蘇洞門巡り・若狭彦神社・若狭姫神社・国分寺・羽賀寺〜 21日・・・よみうり文化センター神戸&天満橋校 国宝十一面観音セミナー金曜G「聖林寺と長谷寺」 22日・・・よみうり文化センター高槻校 古刹・隠れ寺セミナー3 第6回現地案内 「浄土寺(兵庫県 小野市)」 24日・・・サンケイリビング新聞社 学んで楽しむシリーズ 「安井金比羅宮 櫛祭」 25日・・・京都新聞文化センター 一度は逢いたい仏像シリーズ 第3回「明王編」 25日・・・京都リビング新聞社 「国宝十一面観音 巡礼」 シリーズ 第1回〜観音寺・寿宝寺〜 26日・・・JR西日本 京の歴史探訪ウォーク 「源平ゆかりの 神社」~若一神社・西八条邸跡・六孫王神社・羅城門跡~ 27日・・・よみうり文化センター 京都校 世界遺産セミナー (現地拝観)〜上賀茂神社と社家〜 28日・・・よみうり文化センター高槻校 平清盛セミナー(現地) 〜若一神社・西八条邸跡・六波羅蜜寺〜10月1日・・・神戸新聞文化センター三宮&姫路校 仏像セミナー 石仏編 現地バス案内〜岩船寺・当尾石仏の里・浄瑠璃寺〜 2日・・・京都検定現地講習会 秋編「どっぷり仁和寺」 〜金堂・霊宝館・御殿〜 3日・・・芦屋公民館 市民大学「仏像」講演 5日・・・朝日カルチャーセンター 世界遺産シリーズ 「奈良」編 ~東大寺~ 6日・・・読売日本テレビカルチャーセンター 北千住校 石仏講座 7日・・・びゅう大人の休日バス案内 初日「壬生狂言と寺院 プレミアム拝観」〜光縁寺・壬生寺・高台寺〜 8日・・・びゅう大人の休日バス案内二日め「壬生狂言と寺院 プレミアム拝観」〜大覚寺・等持院・醍醐寺三宝院・即成院〜 9日・・・京都リビング新聞社「古建築ウォッチング 門編」 12日・・・よみうり文化センター高槻校 平清盛セミナー続編 〜清盛と日宋貿易〜 14日・・・京都銀行 観光文化セミナー「京の文化財 庭園編」 15日・・・神戸新聞文化センター さわやか大学「仏像」講演 18日・・・よみうり文化センター 京都校 世界遺産シリーズ「京都」編~東寺~ 19日・・・綾部市仏教会主催「京の文化財」講演 20日・・・韓国中央政府役人 研修講演「京都の遺産」 21日・・・サンケイリビング新聞社 学んで楽しむシリーズ 即成院「二十五菩薩お練供養」 23日・・・京都新聞文化センター 一度は逢いたい仏像シリーズ 第4回「天編」 23日・・・京都府年金協会主催「仏像」講演 25日・・・よみうり文化センター天満橋校 京都パワースポットシリーズ5 「亀岡祭 巡行」 26日・・・よみうり文化センター神戸&天満橋校 国宝十一面観音セミナー金曜G 「法華寺と海龍王寺」 27日・・・よみうり文化センター高槻校 古刹・隠れ寺セミナー3 平安京 南の防衛線 〜東寺・城興寺〜 28日・・・よみうり文化センター神戸&天満橋校 国宝十一面観音セミナー日曜G 「法華寺と海龍王寺」 29日・・・神戸新聞文化センター三宮校 仏像セミナー 明王編 29日・・・神戸新聞文化センター姫路校 仏像セミナー 明王編 30日・・・京都リビング新聞社「国宝十一面観音巡礼」シリーズ 第2回 〜室生寺・大野寺〜 31日・・・びゅう大人の休日バス案内 初日「当尾・加茂・斑鳩 の古刹巡礼と古塔拝観」〜海住山寺・岩船寺・浄瑠璃寺〜11月1日・・・びゅう大人の休日バス案内二日目「当尾・加茂・斑鳩 の古刹巡礼と古塔拝観」〜法隆寺・法輪寺・興福寺・大安寺〜 以上、予定も含めています。
August 13, 2012
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お精霊(しょらい)さんとは亡くなったご家族や親しい方々の霊のことです。一般にご先祖様とも呼んでいますが、ご先祖に限らず、自分よりも年若く亡くなった家族を全て「お精霊さん」と呼びます。そのお精霊さんが一年に一度家に戻ってくるのが、「お盆」です。お盆の時期はもともと7月15日一日だけだったようですが、それが二日になり三日になり、ついに7月13日から15日までとなり、旧暦で無く新暦でお盆をするところも多く、現在8月13日から15日までというのが、一般的なお盆の時期となっています。今でも7月13日から15日をお盆としている地域もあります。さて、京都の場合は16日を送り火として、五山の送り火に合わせお精霊さんが一斉に冥途に帰ることになるため、16日の夕方までお盆と言っても差し支えはありません。送り火は五山の送り火ですが、迎え火は各家庭で、仏壇や斎壇の前で提灯を灯したり、お寺でお灯明を供えて迎えたりしています。ここまでは、お精霊さんの滞在期間が少し長くなるだけで、他の地方とそんなに変わらないのですが、お盆の前に「六道まいり」をするご家庭もあります。東山の珍皇寺や西福寺、西陣の千本釈迦堂などでお盆の前(8月7日ー10日)にご先祖様に帰ってきて貰いやすい環境を整えるのです。その代表が「珍皇寺の迎え鐘」。十万億土の彼方まで聞こえるという鐘を打ち鳴らすと、まだあの世にいらっしゃるお精霊さんが、まもなく帰る時、自分の帰るべき娑婆の方角に目星がつくのでしょう。またお盆がおわってから、京都のご家庭では「六地蔵めぐり」をされる方々もいらっしゃいます。冥土に帰られたお精霊さんが、あの世で不自由していないだろうか?と、冥土での世話をお地蔵さんに頼むために巡礼です。これは8月22日と23日。京都では「お盆」のビフォー・アフターにも、丁重なおもてなしの精神が活かされているようです。
August 12, 2012
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もう何年ぶりでしょうか? まだ子供達が小学生の頃でしたから、12-3年も前のことでしょうか?それ以来の宇治川花火大会。前回はJRで宇治駅まで行き、JRで京都駅まで帰ってきましたが、今回は最後まで交通手段に迷ったのですが、帰りのことを考えて自転車にしました。いつも通る宇治川の左岸(南側)の道は隠元橋辺りで通行止めになっていると押していく可能性もあると判断。国道7号線沿いに観月橋から六地蔵まで迂回して、黄檗・三室戸を通過して宇治橋に接近する方法を選びました。先ず観月橋で、橋の下の複雑な迷路に入り込んでしまい、六地蔵でも住宅街に入り込んで、約20分程時間をロスしてしまいました。宇治橋北の地点に到着したのは既に8:20頃、花火は後半に差し掛かっていました。道中、六地蔵や木幡、黄檗辺りでも道路からチラチラと花火は見えていました。遠くから見ますと、花火の色合いや形も面白さは大いに楽しめますが、やはり音の迫力は近くでないと味わえません。余り近すぎるのも、ちょっと問題ですが。 20:45の打ち納めの時は、宇治橋の北100m程の地点で、通行止めをした国道7号線の上で見物しました。隠元橋から宇治橋間の堤防、特に左岸(南側)で見物された方が、もしいらっしゃいましたら、あの辺りの状況はどんなものであったか教えてください。
August 11, 2012
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閻魔さんや地獄、冥界に関する日常的な言い回しをいくつか追加で紹介しましょう。■閻魔帳 学校の先生が極秘でもつ、生徒達の素行表・成績表の元となるノートのこと。冥界では閻魔王を含めて十王の内、七王までが稼働し、第五法廷の閻魔王までが人間の五悪をそれぞれの法廷で問うことになっていますが、閻魔王以外に裁判官は、亡者の取り調べを次の裁判官へと書類で申し送りをし、それが閻魔王のところまで行き、大方閻魔王が亡者の来世を総合判断します。それぞれの法廷の裁判官から順送りに送られる罪状ノートが閻魔帳と呼ばれています。最近の学校では余り使われなくなりましたが、年配の方には懐かしい言葉でしょう。■「地獄の沙汰も金次第」 お金によって左右されない採決・判断はないということの譬え。冥界での来世の判決もお金次第ということになりますが、調べて居る限り、お金で十王の裁判が左右されるという例はありません。 ただ、冥界の裁判が7日め毎ですので、その時にこの世にいる者達が法事・法要を執り行い、亡者の生前の善行を声高に言うと、その言葉が冥界の裁判官達にも届き、裁判に情状酌量の余地が発生すると聞きました。とすれば、お金は直接、亡者に持たせて、裁判官に付け届けをさせるのではなく、残された者たちが、法事・法要を7日め毎に実施して、故人を偲ぶとよいということになるのではないでしょうか。法事・法要にも毎回であれば結構なお金が必要になりますので、今は初七日と四十九日位で、あともう一回となれば35日でしょうか。実はこの35日めこそが、閻魔王が出番の裁判の日なのです。■「地獄に仏」困った時に助けてくれる救世主のこと、或いはその行為を指します。地獄で獄卒どもの責苦に耐えかねて、救いを呼ぶのは地蔵菩薩です。地蔵菩薩は六道の間を、隈なくパトロールし、困った人からSOSが入れば、瞬間的に助けにやってきてくれるそうです。まるでスーパーマンですね。しかし人間界にいる時に普段からお地蔵さんを拝んでいないと、助けに来てくれた時に「君、余り見かけことないなー」と帰ってしまわれるかも知れませんね。でもお地蔵さんはそんな狭い了見は持っていないので、本気で助けを呼び「これからはきちんと手を合わせますから!」と必死の形相でお願いすればきっと助けてくれることでしょう。しかしそれも獄卒どもが理不尽なお仕置きをした場合の時のことで、決められた一定のお仕置きは覚悟しなくてはならないようです。つまりサッカーの試合のように、行き過ぎた獄卒のプレーには、イエローカードやレッドカードで、断固処置してくれるということなのでしょうね、きっと。
August 10, 2012
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今日は神戸、三宮の神戸新聞文化センター(KCC)の特別セミナー(シリーズではなく単発もの)で「六地蔵と冥界の裁判制度」のお話をしてきました。夏のこの時期小学校の低学年の頃、近所のお寺でご住職さんに地獄絵の絵解きをして貰ったことを覚えていましたので、やはり夏は閻魔さん方と地獄のお話をする機会を楽しみにしています。閻魔王や地獄に関する日常の言い回しで、馴染みのあるフレーズがいくつかあります。■「地獄の釜の蓋がひらく。」日頃忙しくしている人達がたまのお休みをとること、の譬えですが、ごく最近まで私はこの言葉の意味をはき違えていました。地獄の牛頭・馬頭などの獄卒たちが亡者を釜茹での刑に処して、「どれどれそろそろ煮上がったかな?」と蓋を開くという、おぞましい光景を想像していました。■「地獄の一丁目」 延々と続く地獄ワールドの最初のエリアを指すことから見知らぬ土地で、最初に足を踏み入れた場所や、これから続く地獄の様な場所の入り口に入ったことを指す表現。 地獄は「熱地獄」だけで地下八階構造で、各フロアーが16エリアに分かれています。ということは16×8で128の責苦のエリアがあるそうです。有名な「血の池地獄」や「針地獄」もそのひとつです。言ってみれば地獄は128丁目まであるということです。■「嘘をつくと、閻魔さんに舌を抜かれる。」 閻魔王は冥界の裁判官である十王のリーダーであると同時に第五法廷を担当しています。その第五法廷では「妄語」の罪を裁く法廷なのです。第一法廷は「殺生」、第二法廷は「偸盗」、第三法廷は「邪淫」、第四法定は「飲酒」、そして第五法廷が「妄語」とそれぞれの法廷で審議する罪が異なるのだそうです。「妄語(もうご)」とは「嘘をついて人を惑わすこと」です。法廷で閻魔さんが直接、亡者の舌を引っこ抜くことはないのですが、妄語の罪に引っ掛かった亡者は、獄卒に舌をヤットコで引っ張られ、伸びに伸びたところに上から針で突かれるという猟奇的な地獄に堕ちることから、そんな言い回しが生まれたのでしょう。
August 9, 2012
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4年前の北京オリンピックが2008年の8月8日午後8時に始まりました。中国人は「8」という数字を好むと聞いています。「8」は陰数(偶数)の一番大きな数字です。日本人も「8」という数字には「末広がり」というお目出度い意味を重ねます。また「嘘八百」・「八百屋」という言葉からも、数が多いという意味もあるようです。「8」という数字の上に「9」という数字があり、こちらは陽数(奇数)の最大の数字です。が、「9」は「九重(ここのえ)」等で解るように、どうも天皇が使う尊い数字というイメージがあり、一般に使うには憚られるようです。■「7」・・・「幸運」・「成長」 これからまだ伸びるというイメージ■「8」・・・「無限」・「永遠」 無数の集まりで循環しているイメージ■「9」・・・「究極」・「最上」 これ以上ない至上の境地というイメージ 今日は8月8日、日中の暑さも、オリンピックの熱も、甲子園の熱闘ぶりも、まだまだ続きそうな気配です。
August 8, 2012
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本日8月7日(火)22:00~ BS朝日「京都千二百年の旅」に案内人として登場します。お時間がございましたら御笑覧ください。約1時間のコアな京都紹介番組で今回は「鞍馬と貴船」がテーマです。
August 7, 2012
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湖北の高月町で毎年実施されている「観音まつり」に行ってきました!例年8月第1日曜日実施で、今年は8月5日でした。もう随分と前から行きたいと思いながら予定が合わずにいつも断念していたのですが、今年は予定がうまい具合に空きましたので、JRで京都駅から約80分かけて行ってきました。 これまで団体参拝・拝観でお参りしてきた「向源寺」・「石道寺」・「己高閣・世代閣」・「赤後寺」はさておいて今までお参りしたことのないところにという、目標を立てていました。JR高月駅からは巡回バスが3ルート30分おきに出ていましたので、今回はこのバスでの移動にしました。1コースのバスに午後11時半に乗車し、まず向かいましたのが、尾山釈迦堂と呼ばれる「安楽寺」。重要文化財指定の「釈迦如来坐像」と市指定文化財の大日如来像が宝物館に安置されていました。釈迦如来坐像の方は、9世紀から10世紀の作とされ、螺髪は小ぶりですが、頭部の同じ木から掘り出されています。 そこからバスが無い時間帯に入りましたので、高野大師堂まで歩いていきました。約25分。重文の伝教大師像が安置されていると聞きましたので、これは是非とばかり、向かいました。その尊容から、実際には元三大師像でしたが、元三大師像特有のゴツゴツとしたお顔ではなく、比較的平坦な相貌でした。しかし彩色も映え、眉目秀麗と伝わる元三大師良源の姿を意識しているように思いました。鎌倉時代作の重要文化財です。他には「保延寺 阿弥陀堂」・「保延寺 観音堂」・「雨森観音堂」・「円満寺」・「理覚寺」・「片山観音堂」・「西野薬師堂」・「正妙寺」と10か所にお参りを果たしました。正妙寺では足早にお参りをさせて貰い、最終バスに揺られ、JRは17:18高月駅発の播州赤穂行の快速に間に合いました。京都駅を出たのが10:00でしたから、あと1-2時間早めに出ていれば、もっと多くのお参りが出来たことでしょう。
August 6, 2012
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今日8月5日は滋賀県長浜市の高月町を中心とした地域、「観音の里」では朝から夕方まで、地元の行政とバスなどの観光関連会社、そして観音像など仏の像を守る地域の人達の協力のもと、普段非公開の仏像、或いは予約が必要な仏像が御開帳されるのです。中には、向源寺など通常公開されている仏像も含みます。 決まったコースを行く定期バス(既に満席)の他、千円で乗り放題の巡回バスが3コース出るそうです。 記尾山 釈迦堂(安楽寺) 釈迦如来坐像(重文) 大日如来坐像(市指定)古橋 己高閣・世代閣 薬師如来立像(重文) 十一面観音立像(重文)他石道 石道寺 十一面観音立像(重文)他高野 大師堂(満願寺) 元三大師像(重文)保延寺 阿弥陀堂 阿弥陀如来坐像 保延寺 観音堂 千手観音立像雨森 観音寺 千手観音立像井口 円満寺 十一面観音立像井口 理覚院 十一面観音像 聖観音立像渡岸寺 観音堂(向源寺) 十一面観音立像(国宝) 十一面観音立像(県指定) 大日如来坐像(重文) 阿弥陀如来坐像(県指定)高月 観音堂(大円寺) 十一面観音像(市指定)落川 浄光寺 十一面観音像柏原 阿弥陀堂(来光寺) 薬師如来像(市指定)横山 横山神社 馬頭観音坐像(市指定)唐川 赤後寺 千手観音立像(重文) 聖観音立像 (重文)磯野 磯野寺 十一面観音像東高田 赤分寺 十一面観音像東物部 光明寺 千手観音像宇根 冷水寺 十一面観音坐像 十一面観音坐像西阿閉 竹蓮寺 聖観音像(市指定)片山 観音堂 十一面観音立像西野 薬師堂(充満寺) 薬師如来立像(重文) 十一面観音立像(重文)西野 正妙寺 千手千足観音立像松尾 松尾寺(覚念寺) 十一面観音像重則 普門寺 聖観音像東柳野 薬師堂(長命寺) 薬師如来像
August 5, 2012
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オリンピック最近3大会の印象をつらつらと綴ります。■シドニー大会(38歳) 現在の西賀茂の家に引越して、手術のために入院し、その退院間際に始まりました。大会が始まるやいなやすぐトライアスロンがテレビで流れ、病院で眺めている身には眩しい位の身体の強靭ぶり。職場復帰するまでに少し自宅療養期間がありましたので、テレビで観戦する余裕がありましたので、しばらくはゆっくりとテレビ観戦ができました。柔道では男子で三つの金メダルを取り、最終日には現在、男子監督の篠原信幸選手が、決勝でドゥイエ(仏)選手と相対し、内また透かしが認められず、審判の判定に悔しい思いをした場面が印象的です。また現コーチの井上康生選手が優勝し、表彰式でジャージの下の膨らみの中から母の遺影を取り出して、金メダルの喜びを母と共に分かち合っている様子が印象的でした。■アテネ大会(42歳) 競泳陣に期待が高まる中、北島康介選手が男子平泳ぎ100m・200mで連続金メダル。また女子800m自由形では柴田亜衣選手が、この種目では日本人初という快挙!「あわてず あせらず あきらめず」という彼女の言葉が印象的です。また陸上では室伏選手が、競技終了後には第二位であったのが、金メダル選手のドーピングで繰上げ金メダル。体操男子の団体金メダルもモントリオール大会以来で、金メダルの数は16個という東京大会以来のメダルラッシュという日本選手の活躍が際立った大会でした。■北京大会(46歳) 開会式が8月8日午後8時という中国人の好きな「8」という数字で始まった大会。開会式は出雲大社へと日帰りで向かった帰りのバスの中のTVで迎えました。プロ野球選手を中心として、期待された野球は残念ながら4位でしたが、女子ソフトボールは宿敵の米国を破り、悲願の金メダルを手にしました。体操男子団体の二連覇は中国に阻まれましたが、この大会初参加の内村選手が個人総合で銀メダルを獲得し、大器の片鱗を見せてくれました。
August 4, 2012
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ロンドンでオリンピックの熱戦が続いていますが過去のオリンピックの時の断片的な思い出を箇条書きで綴ってみます。■東京オリンピック(2歳) 聖火ランナーが大阪の道を通過した時に、たまたま 大阪の祖父母の家に来ていたようで、周りの人達に 連れられて、観に行ったようですが、実際の聖火ラン ナーの姿は覚えておらず、周囲の人達がいそいそと 沿道に向かう時の様子だけが断片的に残っています。■メキシコオリンピック(6歳) ウエイトリフテイングの三宅選手の記憶だけがうっすらと 残っています。確か東京大会からの連覇で沸いたのでは と。またその後の映像でサッカーで銅メダルを取ったことが 快挙と知りました。■ミュンヘンオリンピック(10歳) この時は夏ではなく、秋に実施されたように記憶しています。 和歌山の祖父母の家に行った時に、深夜テレビで放映され ていたように覚えています。水泳平泳ぎの田口選手、バレー ボール日本男子の金メダルなどが印象に残っていますが、 もうひとつ強烈な記憶が、選手村で起こった不幸な事件です。 イスラエルの選手にパレスチナゲリラが銃撃を加え、前代未 聞のことが勃発し、大会途中でオリンピックの続行自体が危ぶまれました。■モントリオールオリンピック(14歳) 中学2年の時でクラブ活動で夏場も練習漬けの最中でした。クラブの練習の合間に自宅へ友達数人と泊まり、翌朝観たテレビ放映が瞼に残っています。白井選手らが活躍した女子バレーボールの金メダルを今もありありと覚えています。男子体操も団体金メダル、種目別でも平行棒と鉄棒で金メダルを日本選手が取ったように覚えています。また女子体操では、10点満点を連発したナディア・コマネチ選手が旋風を起こしました。ルーマニアの白い妖精と呼ばれていました。■モスクワオリンピック(18歳) 高校三年の時ですね。米国を中心とする数多くの国のボイ コットで、結局は当時の共産圏内の国を中心に行われた 空白の大会です。レスリング・グレコローマン モントリオール大会金メダリスト高田選手がモスクワ大会での参加を、強く訴えていたシーンが報道されていました。■ロサンゼルス大会(22歳) 大学3年生の暑い夏でした。夕刻アルバイトから戻って昼間の余熱が残る四畳半の下宿で読んだ新聞に、蒲池猛雄選手が高齢ながら、射撃のラピッドファイアピストルで金メダルを取ったという記事を強く覚えています。また、銀閣寺の友人の下宿に近い食堂で、体操の具志堅幸治選手が個人総合で金メダルを取った映像が流れていました。■ソウル大会(26歳) 社会人になって初めてのオリンピック。まだまだ新人でテレビを観る余裕も殆ど無かったのですが、同僚と行った食堂のテレビで、水泳背泳ぎの鈴木大地選手が僅差で金メダルをものにしたシーンが強烈でした。同僚が大学時代水泳選手でしたので、鈴木選手の快挙を凄く喜んでいましたね。■バルセロナ大会(30歳) その瞬間は観ていなかったのですが、TVのダイジェストで中学生の岩崎恭子選手が、水泳で金メダルを取ったという快挙に驚きました。また柔道の吉田秀彦選手が得意の内股で頂点に立ったシーンをよく覚えています。まだ一歳の娘と遊ぶ時に、「内股ー!内股ー!」とキャッキャ、キャッキャと興じたものです。■アトランタ大会(34歳) 人間ドックに行った時の待合室で、野球の予選が行われていました。確か日本ーオダンダ戦だったでしょうか。野球に金メダルの期待が高まったようですが、結果は確か銀メダル。女子マラソンでは有森裕子選手が2大会連続でメダルを取り、「自分で自分を褒めてやりたい。」という言葉が印象的でした。銀メダルを取った時の前大会よりも満足な表情であったのは4年間の間の苦労が並大抵ののものでは無かったことを象徴していたのです。
August 3, 2012
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昨日8月1日迄の「住吉大社 夏祭」のハイライトは何といっても、大和川の川渡御でしょう。紀州街道に沿って南下してきた行列が大和川に掛かる橋を渡るのですが、その際に担ぎ神輿だけは若衆達に担がれて、この時期水量の少ない大和川に歩いて入っていきます。そして堺市側からも別の担ぎ手達がスタンバイし、中州では神輿渡し式を行うのです。京都の松尾大社では、船に乗せて神輿を渡す「船渡御」がありますが、住吉大社夏祭の船渡御はまた違った光景ですね。 また右岸から神輿が川に入る前と、左岸に到着する時には堺鉄砲衆による種子島の空砲実演がありました。これも迫力があります。 行列が大和川付近に到着したのは15:30頃、そこからが長く、大和川を渡り終えて、出発したのが17:20頃でしたが、神輿の行列が、宿院の頓宮に到着するのは午後7時を回るそうです。
August 2, 2012
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大阪の阿倍野区に約12年間住んでいましたが、住吉大社の夏祭には不思議と縁がなく、今回初めてお参りをしてきました。住吉さんには6月の「田植祭」に出向き、あらためてその規模の大きさ、奉納行事の多彩さに驚いたものです。その時に大阪三大祭に数えられる「住吉大社 夏祭」にも是非、ひと月半後に参拝しようと思ったのです。今年は6月30日にほんの僅かな時間ですが「愛染まつり」、そして7月25日に「天神祭 本宮」、そして今回の「住吉大社 夏祭」と、大阪三大祭を今夏、全ひと通り拝見です。 さて、住吉大社 夏祭は7月30日から始まり、31日の大祓式、そして8月1日の「神輿渡御」と3日間続きます。ハイライトはやはり大和川での渡御です。大阪市内側から、堺市側へと神輿の巡行をバトンタッチする儀式がなかなか壮麗です。午後1時から始まった境内、第一本殿前の発御式、そして1時45分頃には馬上の猿田彦を先頭に行列が出発します。船神輿をはじめ、殆どの行列は反橋(太鼓橋)を迂回して、神社境内の外へ出るのですが、最後の担ぎ神輿だけは太鼓橋の上を通ります。傾斜がきつい住吉の太鼓橋は初詣の時は通行を禁じるほどのダイナミックさです。その橋を神輿を担いで渡るのですから、観ている方もハラハラです。そして大和川に行くまでに、路面電車の通る車道に出て、その道を南下、「紀州街道」をひたすら南へと進みます。近年復活された「住吉踊」は京都洛北の「やすらい祭」に見られる花傘を中心に人を輪を描いて踊る様子。紀州街道沿いの道沿いには、氏子の人達が大勢、そわそわと行列を待ち構え、中には休憩所を設けて、行列の人達に飲み物を提供していました。
August 1, 2012
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