昨日の日記で、
「わかる とは、 かわる こと」
という、高木善之さんの言葉を引用しました。
それに関連づけて、
「分かる」ということをテーマにした教育書、
佐伯胖(さえきゆたか)『
「わかる」ということの意味』、1983、岩波書店
を紐解いてみました。
(リンク先は新版ですが、私が読んだのは旧版です。 ページ数は、違っているかもしれません。)
同書p110より
=========================== 「ほんとうは、君にはきっとすばらしい能力があるのだ」
と 本気で信じてくれる先生や親
がいてくれれば、
ボクもそんなに不安がって、
「能力なし」とされまいとツッパることに忙しいということには
ならないと思います。
===========================
親が子どもにしてやることで一番大事なのは、信じることだ、 というのは、斎藤一人さんの近著でもふれられていました。
(これは昨日読み終わった本です。斎藤一人『普通はつらいよ』 )
このテーマは大変奥深いものなので、こうやっていろんな本を関連づけて徹底して追求していくと、いいかもしれません。
「教育」の根本を考えること であると思います。
逆に、これを全く深く考えずに「ただ教えているだけ」という教育になってしまった場合、それは大変危ういことのように思います。
以下、佐伯先生の本より引用を続けます。
p118より
========================== 親や先生たちが、 子どもから学び、子どもを原因としつつ、
自らも変わり、子どもへのはたらきかけをしていく、
という感覚があふれている環境
をつくることこそ、
今日何よりも必要なのではないかと思います。
==========================
ここで、「 変わる
」という言葉が出てきました。
しかも、本人が変わることの前提として、「 周りが変わる
」
ことにふれられています。
大変示唆的です。
「わかる」「できる」「変わる」ということ
は、
具体的にどのケースでどういうことか。
これは突き詰めていく必要があるのではないか?
具体的なケースは本の中を読んでいただくとして、
まとめ的なことを、本の終わりのほうよりどんどん引用していきます。
p170より
==========================
「本当にわかる」「本当にできる」ためには、
まさにこの 「できること」と「わかる」ことの相互作用
が
活発にならなくてはならないのです。
しかし、そのためには、
「中心的な問い」を適切に入れかえる
必要があるのです。
あるときは思い切って「できるようになること」に専念し、
別のときには「わかるようになること」に専念し、
しかも、その 行ったり来たり
をしながら、
それらを通して自然に「わかる」ことや、
自然に「できる」ことを自覚しなおすことがなければならないのです。
============================
ここの部分だけ読むと抽象的ですが、
具体的な経験・エピソードを思い起こしながら、
自分の頭の中にリンクを張っていってほしいのです。
もしかすると、昔わかっていて、今は忘れてしまったことが、再び戻ってきたかもしれません。(^^)
ちなみに、具体的な「わかる」方法論の中には、
p182に、
===============================
・ 視点
を意識する :「 納得する
」ための重要な手がかり
===============================
ということが書かれています。
また、再三にわたって、「 わかり直し 」という言葉が使われます。
p193
===============================
・私たちは人生の途上で何度も何度も「わかり直す」べきなのです。
===============================
そうすると、 そもそも「学校」とは何か 。
そういった、広く大きなところにまで行き着きます。
そもそも「学校」とは何か、「教育」とは何か。
日々具体的な細かなことで悩みながら実践を積み重ねていると、
つい目の前のことに追われるのみで、
こういった大きなこと、原理・原則的なことを見失ってしまうことがあります。
己の戒めに、今こういった本をもう一度読み返してみてよかったです。
p212以降より(部分引用を配し、覚えておきたい点をまとめた)
===============================
・学校というところ:
生涯を通して学び続けるための準備をするところ
・学校で学ばなければならないこと
(1) 自分が何を学ぶべきか選択できること
(2) 自分で自分の学びが正しいか否かを判断できること
(3) 他人や社会と交渉をもち、
社会や文化から新しい知識を吸収できること
・学問というもの:
「ほんとうだとされていること」を学ぶことではなく、
まさに、自分自身で、本気で、
「何が本当なのか」と問うこと、問いつづけること
・他人から「感化を受ける」ことができるためには:
(1)何が本当に価値あることかを求めつづけること。
(2)「表面的なこと」の背後には、常に、
「 表面に現れていないこと
」があるはずだと考え、
それがどんなものかを知ろうとすること
(3) ものごとには常にさまざまな側面があり、
「かくかくしかじかである」という断定は
できうる限り保留し、
いつでも、 根本から考え直すことを辞さない覚悟
をしていること。
=一言で言ってしまえば、「 無知の知
」
(自分が無知であるということの素直な受容)
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非常にテーマが大きくなったところで、
今日はこのへんで。
ところでこの本、なんと古本屋で105円で買ったんですよね。
全くお買い得でした。
定価で買ってもいい買い物なので、
ぜひこれを読まれた教育関係者の方は、
今手に入る新版を買って読まれることをおすすめします。
佐伯先生の本は、他の本も、具体性に富んでいて読み物としてもおもしろく、
基本をおさえたり、大事なことを確認する上で最適です。
おすすめの教育学者さんです。
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