『
シンプルに生きる。
生きづらい時代を生きなおす方法』
(柳田邦男・香山リカ
(対談)、清流出版、2012、1400円)
"学校教育では「 生きる力
」をつけるんだ~"
と声高に言われたときもありましたが、
さて、「 生きる
」とは何なのか。
柳田邦夫さんと香山リカさんの対談では、
「 人生
」や「 幸福
」について、考えを深めることができます。
対談のメリットというか、一人の人の考えだけではないので、
表層にとらわれなくなるというか、
「あー、そういうこともあるか」と別の角度から物事をとらえられるようになります。
お二人とも数多くの事例を知っておられるので、
具体的な事例から考えることができ、「なるほど」とか、「そうなの?」とか、「そりゃしらんかった」、「そうだよな~」
などと、自分も会話に参加しているつもりで読めます。
香山さんは精神科医なので、アメリカの診断基準である DSM
の話なども出てきて
興味深かったです。
この本を読むまで、「基準はあると便利、なきゃいけない」
というような考えでいましたが、この本の内容にふれて、その落とし穴というか、
気をつけないといけないところもあるということが分かりました。
以下、長文で引用するところもありますが、僕が大事だと思ったところです。
対談としての雰囲気も、疑似体験していただければと思います。(対談としては、だいぶはしょってますが・・・。)
=============================== 『シンプルに生きる。』
p21 香山
・現代は「ただ生きる」ということの価値が下がっていて、
「何者」として生きるとか、それこそ自己実現をして私らしく生きるとかの
付加価値がないと、生きている意味がないと感じてしまう人が多い。
p48 柳田
・人間というのはそんなふうに 限界状況や崖っぷちに立たされたときに初めて
幸福というのを味わえる
のであって、
与えられたところからは絶対に幸福は生まれない。
p72-73 香山
・「 DSM 」 という診断基準がアメリカの精神学会で定められた。
DSMは
、基本的には、
精神科医になって1年目の医者も30年やっている医者も
同じ診断が出せるという理念で作られている基準。
診断基準が明確になったことで、
客観的な判断を下せるようになり、
技量の差異による診断の違いが最小限となった。
そうしたら今度は診断についで治療も、
誰がやっても同じ結果が出るような治療プログラムが
アメリカを中心に開発されて、急激に普及している。
フローチャート化されて、こういう症状があった場合はこうして、
薬はこういうものを出して、それでダメだったらこのプログラムを試みる
というような。
そういう意味では 医療者の人柄の部分や患者との相性などで対応が変わる
ということを、逆にものすごい力で排除しようとしている
。
p74 柳田
・標準化されたものには入らない、
あるいはこぼれ落ちてしまう分野もある。
p88-89 柳田
・医療者は医師にしろ看護師にしろ、
いつも冷静で客観的な姿勢を維持しなければならない。
けれど、その姿勢が「冷たい3人称」の視点であっては、
患者や家族は突き放されたような気持ちになってしまう。
かといって、1人称や2人称とまったく同じ気持ちになってしまったのでは、
医療者は患者・家族と感情の同一化が起こって燃え尽きてしまう。
そこで私は「 2.5人称の視点 」というものを提唱し続けている。
冷静かつ客観的に医学や看護学をベースに置いた対応をするには、
3人称の視点が必要だが、往々にして他人事のように、ことを処理しがち。
だからそれだけで割り切るのではなく、
自分が患者あるいは患者の家族だったらという、
1人称、2人称の立場の人に寄り添う姿勢も併せもちながら、
専門的職業人の務めをこなす。
そんな ぬくもりのある2.5人称の視点が大切
。
p140-141 香山
・交通事故や脳梗塞の後遺症、出産時のトラブルなどで植物状態に陥って、
100
%ケアを受けないと生きられない、そういう人たちがいる
。
基本的には 家族が24時間体制で看ている
ことが多い。
2,3時間ごとの痰の吸引にはじまって、
褥瘡(じょくそう)ができないように体位を変えるとか、
人工呼吸器をつけていればそれがはずれていないかを監視するとか。
家族はずっと寝ているような寝ていないような生活を強いられる。
こういう患者に対して、生命維持装置を使って生かしているだけであって、
「植物状態になったら生きている意味がないんじゃないか」
という見方をする人が多い。
特に医療の目から見ると、栄養や水分を補給して生かしているだけであって、
"生きる意味"は少ないととらえがち。
しかし
ケアをしている家族は、多くの場合、体はへトヘトではあっても、
家族間でものすごく密度の濃い精神生活を送っている
。
例えば、自分の大事な子どもを看ている母親が、
ヘルパーに頼んでちょっと家を留守にする。
帰ってきて子どもに声をかけると血圧が上がるとか、
いろいろ話かけると血中の酸素濃度が上がるとか。
それを
母親は自分の愛情のこもった語りかけなり、
手をさすったりすることによって喜んでくれていると読み取る
。
・母親が絵本『たいせつなきみ』の読み聞かせの後で
「ゆうりはゆうりだよ。
お父さんとお母さんの大切な子だよ。
ほかの友だちと違ってもいいんだからね。
体育が苦手でも、ゆうりは本と歌が大好きじゃない。
ゆうりは世界に1
人しかいない大事な子だよ」
『
たいせつなきみ
』
(マックス・ルケード、いのちのことば社、2010新装版、1400円)
p181 柳田
・
大人になって、いろいろな生きづらさを感じたときに、
あらためて絵本をじっくりと味わって音読する日々を過ごしていると、
心が癒されたり、見失っていた人生の意味や生きる支えを
見出したりすることが 往々にしてある。
p184 柳田
・近頃、大人たちが集まって
自分たちのために絵本や童話の読み聞かせをする活動
が
見られるようになってきた。
大切なのは、その感動に理屈をつけないでそのままに感じること
。
p196 香山
・ 人生に最高もなければ、どうしようもない最悪もない。
ただ"そこそこで、いろいろな人生"があるということ。
===============================
自分の生きてきた人生や、ふれてきた他の人の人生に重ねて読むと、かなり重なり合うところがあって、理解が進んだような気がします。
紹介されていた絵本『たいせつなきみ』、
ほかのところでもよい本だと聞いたことがあります。
読んでみたいです。
こういう本で、「生きる」ということを、
自分の生だけでなく、いろんな人の生から考えることで、より客観的に自分の生を見つめ直すことができ、
必要以上に悩んだり落ち込んだりしなくなるのかな、という気がします。
人生、いろいろです。
さあまた明日も、がんばろう。(^^)
いつも見に来てくださってありがとうございます。励みになります。
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