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さて、あまりにムカつく文章をトップにおいておくのも微妙なので、なのはA'sを見た感想を。いや~、よかったです!無印もそこそこ好きですが、こっちの方が好きかなぁ。まぁ、たまに勉強しつつ見てたので演出とか細かいとこまでは見れていないのですが、ストーリーはよかったです。きれいにまとめてあるし、何より泣ける。ベルカの騎士とかあのあたりの新キャラも好きです。はやても。ただ、見ていて気付いたのは自分は戦闘ものはそこまで好きじゃないんだなぁ、ということ。もちろんなのはの戦闘シーンって派手でかっこいいのだけど、そればっかり続くと無理だなぁ、と思えてきた。これは単に個人の問題なのだけど、自分は肉体的、物理的に動であるものよりも、精神的に動であるものに惹かれるようです。つまり端的に言っちゃうと心情描写のほうがどうやら好きらしいです。よく考えたら「空の境界」は一章より二章のほうが好きだし。演出とか細かいところを見出すとちょっと変わりますが、個人の好みとしては一章より二章ですね。まぁ、でもなのはは戦闘自体を精神的動と結びつけてるからうまいですよね。心情描写として戦闘を使っていることには間違いないですし、その映像的、視覚的な動が精神的動とうまく結びついて、その感覚が心地よいというか、琴線に触れるというか・・・。それでも、やっぱり戦闘が多いのはどうやら苦手のようです。やっぱり自分は女の子だなぁ(笑あれ、でもセラムン好きなのは何故?一応美少女戦士ものなんですけど・・・(笑まぁ、戦闘シーンよりキャラの絡みとかうさぎの頑張りようが好きだからなぁ。必殺技とかには心躍るっちゃ躍るけど。てか、セラムンSとかだとよく考えたらまともに戦ってないよなぁ、最終回。ファラオ90っていう大ボスが出てくるけど、そのボスと戦っている描写は一切なしといってもいいほどだし・・・。その前のミストレス9との戦闘もそんなそんなって感じがするし。それでもやっぱりクライマックスって感じがするのは、榎戸氏の脚本力とサトジュンの演出、そして三石さんの演技なんだろうなぁ。なんかセラムンS見直したくなってきたー!
2009年10月25日
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あまりにも知り合いに対してイラついたので、ちょっと書きなぐってみる。嫌な気持ちにしてしまうかもしれないので、作品に対する感想とかを読みに来た人は読まない方が吉かもです。あー、なんか無性にムカつくわー。正味今更その話をされてもね。というか、向こうは私のためを思って言ってくれてるのだろうけど、正直言ってその辺は意図的に自分でやったことだからなぁ。彼女以外にだったら絶対にやってないし。あの時に言った言葉に関しては撤回するつもりもないし、今でもああいった自分は偉いとさえ思ってる。というか、自分が明らかに悪いのに傷付いた傷付いたと被害者ぶるのはやめろよ。正直お前は加害者で相手が被害者だろう。だって被害者ぶってる本人の言を聞いてそう思ったのだからよっぽど。一応相手の方にも事情は聞いたけどさ、やっぱりどう考えてもそうとしか思えないんだよね。なのに傷ついた人の心を知らんとかぬかしてくるのはマジ腹立つわ。知らんのはお前の方やろ、と言い返したい。ただ、傷つけたという事実だけに関しては意図的にやったにしろ、少々良心の呵責が・・・。まぁ、傷つけることがある意味での目的だったのだし、達成したといえばそうなのだけど、傷つくことで得られるであろうその先を相手に見せることができなかったのだから、結局私は傷つけただけで相手に対してプラスのことをできてないんだよなぁ。なんかいろいろ駄目だわ。あぁ、何か言葉にしたらすっきりした。やっぱり書くことは好きです、何にしろ。嫌な思いをさせてしまった人があれば申し訳ありませんでした。自分的にももうこれっきりにしたいものです。【追記】今、金田の009のOPを見てたら泣けてきた。もちろん作画的な意味でも素晴らしいのだけど、今の私には「ゆめみてはしる/しのこうや」という歌詞の後で流れるジョーの涙が切なすぎる。今自分の心境こんな感じだわ。いろいろ思ってることはあるんだけど、なんかうまくいかない。何も考えなければ、考えないように行動すれば、多分楽なんだと思う。楽しく生活していけるんだと思う。でもそれはしたくない。たとえ「しのこうや」を走ってでも妥協はしたくない。「たがためにたたかう」と歌詞では問うてくる。私は「たがために」生きているのだろうか?今日、知り合いに周囲の反応でどうするか行動を決めるよね、と云われたが、それは自分でも分かっているし、むしろ自覚的にやっている。自分で決めてやっているのはアニメのことくらいだね、と云われたが、それすらも実は周囲の反応を見てやっているとも云える。ただ周囲というのはごく身近にしゃべったことがある人物ではなく、雑誌やオフィシャルブックなどに出てくるアニメ監督等をはじめとしたスタッフだったというだけだ。私の行動は誰かが発した外部刺激によって活性化され、内部で組み立てられる。その結果、やりたいこと、やることが決まる。つまり周りがやっていることから一部選択してやるということになる。ある種これは流されているように見えるかもしれない。でも違う。周りの人が私はただ羨ましいのだ。私もそうなりたいな、その中に入りたいな。そう思ってやる。ただ、それだけ。結局私は「自分のため」に生きているのだし、その前提として周りの人が好きだし、そうなりたいという理想がそこにあるから生きているのだろう。まぁ、行動なんて実際にやってみてやらなくていいか、と思ってやらなくなることもあるし、なんでやりたいと思ったんだろう、とか、割に合わないわ、とやってから思うこともあるが、それはそれ。別問題。まぁ、よく考えたら、知り合いには本音は喋っていないのだし、適当にあしらって周囲に合わせているように聞こえるよう喋っていたから、そんなふうに云われてもしょうがないなぁ。自分でもよくそんなすらすらでまかせが云えるな、と思っていたほどだし。それにしてもたまには吐き出すことも必要だと思う今日この頃。でも最近吐き出すことができる友人が減ってしまった気がするな。というか、大事な人には余計言えなくなってしまった、というのがあるかもしれない。中学くらいまでだと正直愚痴り合いが毎日だったからその一環として言えたけど、今や平和だもんな。そういうのは全くない。まぁ、距離感が遠くなっただけなのかもしれんけど・・・。とにかく親友ほど核心的な部分はいえない。やっぱり相手を煩わせるのも嫌だし、何もかも状況が逆な気がするからなぁ。むしろ困っている親友を見るのが嫌なだけかもしれないが・・・。結局は吐き出さないのも自分のためだな。理想は理想のままとっておきたいのかもしれん。でも以前、ちょこっと困っているときに相談したら、すっごい心配してくれたし、きちんと聞いてくれたから、感動した。本当に、感動ってこれか、こういうことをいうのか、ってくらいに感動した。あの感動を思うと、やっぱり親友にはいつかぽろっと喋ってしまうのかもなぁ、本音ってやつを。そういうのを親友というのだろうね。よく考えたら、「いつでも相談にはのるよ」と言ってくれているのだし、それ以上はあまり追求せず、待っていてくれているのだからよい友だわ。気を遣っていろいろ聞いてくれるのもいいのだけど、やっぱり話したくない部分もあるわけだし、その辺はそっとしておいてくれた方がありがたいかもしれない。聞こうとしてくれる気持ちは嬉しいし、本当に感謝しているのだけど。匙加減が難しいよな。そういや話が変わりますが、今日、輝きがなくなったよ、って言われたなぁ。前回その子のうちで遊んでいた時はあんなに輝いてたのに、って。正直あの時結構嫌気さして、無理に合わせてたんだけどなぁ。無理してる方が輝いてますか、そーですか。輝いてるように見せかけてたからそうでしょうけど・・・。でも、あの子に合わせるのはもうしんどいというか、むしろなんで合わせなあかんねん、というか。私は好きな人には尽くすタイプですが、嫌いな人には意地でも感覚を合わせたくないタイプなんだなぁ、と最近思えてきた。単純に合わせている自分が許せないだけなのだが。合わせる方が絶対楽だけど、そんなことしたくないしな。頑固やな、自分・・・。高校まではもうちょっと穏便だったはずなんだけど・・・。というか、相手が度を過ぎてしまっているだけか。正直今まで悪い意味での変人はいなかったし。(変人ではないけど、常識的に最悪だと思う人はいましたが。)基本的に私は人に優しくしたいと思ってるし、なるべく優しく接しようと自分の中では試みているつもりだけど、自分的に最低だと思う人間にはそれができないのだと気付いた。所詮天使ではないのです。十二国記の麒麟じゃないのですよ。まぁ、そういう最低な人にある種媚びるような馬鹿になりたくないし、多少それくらいの部分があった方がいいのかもしれない。なんか、最終的にごちゃごちゃしてしまったなぁ。追記長い。しかも一貫性ない・・・。いろいろ錯綜してるらしい。文章で書くと自分のことが客観的に見られるからいいなぁ。てか、知り合いのことこんなに嫌やったんか、自分(笑いや、ちょっとは嫌だと思っていたけど、読み返すとひどいなぁ。ちょっと罪悪感湧いてきた・・・。でもこれが自分の気持ちなんだろうし、後悔はしないけど。あぁ、でもこんな感じで友達には言われへんわ(笑というか、よく考えたら私って人のイメージを下げるようなことは言いたくないんよね。だってそれはあくまで主観だから。私が相談した相手にとってはいい人かもしれんし、私が言ったことで相手がその子に抱いている印象変えてほしくないしなぁ。だから、悪評を言いふらすとか絶対にしたくない。してる人を見て、こういうの嫌やなぁ、と思ったことがあるからかもしれんけど。
2009年10月25日
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さて、10月に入り、大学が始まったわけですが、夏休み中も含め、最近読んだ本の感想をまとめておこうかと・・・。●森絵都「アーモンド入りチョコレートのワルツ」やっぱりこの人の文章は好き。台詞ももちろんいいのだけれど、地の文が素晴らしい。文字から光がこぼれおちるような、とはこのことをいうのですね。作者の人間性が窺えるような、温かな作品です。●京極夏彦「魍魎の匣」相変わらず京極はすごい。ストーリーの作り方が丁寧だよなぁ。そして語り方も丁寧だ。この人(というかこのシリーズ?)の持ち味はやはり長い台詞にあると思うのだけど、アニメ版は一体どうやったんだろうか?アニメって会話劇といえる部分もあるから、あれだけ長い台詞を、しかも座敷のような場所だけで見せるのはなかなか難しいと思うのだけど・・・。そのうち見てみよう。●我孫子武丸「0の殺人」よくよく考えてみたら、タイトルからもう誰が犯人かいってるようなものだよなぁ。何で気付かなかったんだろう。それにしてもあとがきを読むとよく分かるのだけど、これは作者の目論見が成功している作品だと思う。ミステリとしての骨格はきちんとあるし、でもさらっと嫌な気分にならずに読める。これにはちょっとライトな、というか、そこまで文章を掘り下げて書こうとせず、あえてテンポで読ませたのが効いているのだと思うのだけど。ただすごい推理物を期待して読むと当てが外れてしまいそうではある作品。●藤子・F・不二雄全集より「ドラえもん」1・2巻やっぱり藤子先生の代表作はこれなんだろうなぁ、と改めて読み返すと思った。まぁ、今回この全集には初めて読む話も載っていたのだけれど、何度読んでも面白いんだよなぁ。それにしてもこの話ってこんな初期に描かれた作品だったのか、と思った作品がちらほら。もちろん単行本でも最初の方の巻に入っていたなぁ、と思うのだけど、1970年とかに描いてたのか、と思うと何だか感慨深くなってしまう。藤子先生はやっぱりすごいなぁ。話は変わるが、1巻の解説はちょっと感動した。確かにそういう見方もある。●藤子・F・不二雄全集より「エスパー魔美」1巻藤子作品の中で一番ドラマチックなのは個人的に魔美なんじゃないかと思う。少なくともドラえもんよりも人情ものであるというか、人の心というものを深く掘り下げて描いている作品だと思う。藤子先生自身も語っておられたが、やはり少し対象年齢が魔美は高いんだよなぁ。ドラえもんの各話を見ていても思うことだけど、藤子先生は対象年齢をよく考えて描く人だと思う。この話はどれくらいの層を狙うのか、逆にこれくらいの層を狙うならどういう作品を描けばよいか。そのあたりが明確によく分かっている人だったと改めて思う。●藤子・F・不二雄全集より「キテレツ大百科」1巻田中道明の解説にあった藤子先生の言葉はうーむ、とうならされた。確かに言葉を変えると同じものも違ったものに見えてくるよな。さすがにガリバートンネルの話は全く同じに思った覚えはあるが、航時機とタイムマシンはビジュアルのせいもあるとは思うけれど、ちょっと違う感じがする。うーん、夏休みに他にも本を読んだ気はするけど、何読んだか思い出せない(笑とりあえず「プラナリア」は読んだんだけど、他の所に感想書いたから割愛。あとは「一瞬の風になれ」くらいか?藤子全集は「パーマン」がまだ未読。泥棒連(だっけ?)を久々に見たいのだけど。あと魔土災炎とか。でもあれは後半にしか出ないっけ?「おばけのQ太郎」も2巻はまだ読んでないなぁ。
2009年10月05日
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なんともこれまた小野不由美らしいテーマ。十二国記では社会と国民、というか、支配体制、あるいは国家権力というものの実情と国民たちが考えていることとの差異というものをいつも丁寧にかつ見事に描いていると思うのだけど、今回もそういった部分が素晴らしい。そしてこういった問題が当然のことながら一元化できず、とても複雑な問題であり、読者に対して考える必要があることを訴えてくる。裁判員制度が始まったこの時期にこの作品を出したのは、やはり小野不由美はそれをねらっているのだとしかいいようがない。ただ本編の主要人物が出てこなかったので、あまり十二国記らしくないと思う人もいるかもしれない。十二国記でやる必要性があるのか、と思う人も多かったのではないかと思う。しかし私としては意義があったと思う。今までは何かしら王と麒麟が物語に登場し、彼らが関わる事件を通して、天意とは何か、つまり「良い国とは何なのか」を描いてきた。今回もテーマをもっとぎゅっと絞っているが、この「良い国とは何なのか」に通じるものを描いており、しかもそれに今までとは違う、新たな視点が導入されている。今まで陽子や王たちの主観は物語を通して垣間見ることができたが、実際にその陽子たちが客観的には(民や直接王を知らない官吏には)どう思われているのか、というのはあまり描かれていなかった。(「風の万里黎明の空」で鈴や祥瓊が陽子(慶王)に対してどう思っているか描かれていたりするが、あの二人は境遇が特殊ケースだと思うので除外して考えている。また謀反など、官吏の行動からある程度類推できる場合もあるが、駒各派描いていないのでこれもまた除外している)しかし、yomyomに掲載された二編は違う。どちらも官吏の立場から描いている。特に今回に関していえば、王と民の間、つまり中間の立場から描かれているのは非常に効果的だ。民の気持ちも分かるが、王が殺刑を過去に禁じていたこと、その禁を解けばどういう事態に陥るのか。それが認識できている中間の立場から殺刑、つまり死刑制度について描いている。また柳を舞台にしているのがよく、今後キーになってくるであろう、柳国の傾きも垣間見ることができ、本編とのリンクという意味でもこの話を十二国記として発表したのは間違いではないと思う。とまぁ、ごちゃごちゃ書きましたが、やはり小野不由美は好きです。こういった問題を読者に意識させつつ、けれど面白く読ませてくれるのは流石だなぁ、と思いました。
2009年10月02日
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上橋さんの獣の奏者を読みたくなった。http://shop.kodansha.jp/bc/100/past/uehashi.asx作者が泣くほど入れ込んだというのだからすごいんだろうなぁ。母は既に既読ですごくよかったと言ってるし、友人も読んで感動した見たいだったし、そのうち買おうかなぁ。
2009年10月02日
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